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2001年11月03日(土)23時57分までのKumanolifeGuestbookへの書き込みです。


ピンクのトカゲ - 2001/11/03(土) 07:09<

大伴

とんちんかんkozoo
道臣も大伴だよな
やっぱり、大伴がキーワード
ところでMr.Dongly
野史辞典では
大伴位置付けてなかったけど
どうなるの?

とんちんかん小僧 - 2001/11/03(土) 02:09<

日本起源説

 忍術の発生を日本とする説は、日本書紀に、神武天皇東征のとき、大和国忍坂(おしざか)
村で、天皇側近の道臣命(みちおみのみこと)が、諷歌倒語(ふうかとうご)の術で賊を破
ったとあるのが初めてであると説き、道臣命を忍者一号としている説がある。第二説は、役
の行者小角を甲賀流・伊賀流忍術の流祖とする説で、小角の修験者兵法をもって忍術の流祖
とする説である。
 また小角は七書で研究していたのだろうという説。小角は遁甲術を研究していたとする説
など、諸説があって、今のところ、どれが正しいのか、全く謎である。      
                                       終

忍びの習俗・言葉

合印(あいじるし)
 忍びは仲間内の連絡法として合言葉と合印を使った。伊賀・甲賀の忍びたちは、家に秘密
の目印をつけ、会う時は家伝の松明(たいまつ)を点(つ)けるという暗号によって通信し
たといわれている。

忍びいろは
 忍者たちが創案した暗号文字。『万川集海(ばんせんしゅうかい)』では大秘事口伝とな
っている。漢字の偏と旁を組み合わせて独特の文字を作った。忍びいろはという。ただ単に
符牒として用いただけでなく秘伝書を書き著わすにも用いたといわれる。

Ya(^z^)oo - 2001/11/03(土) 01:12<

ニセクロナマコ

みなさん こんばんわ

釣りバカに強引に誘われて釣りに行ってました。
青もん(ハマチ・メジロ)が釣れているとのことでしたが
流石に連休前なので 場所がなくて 随分と歩いて行く磯まで行ってきました。
それで釣れたのは あまり見たことのない細長い魚が一匹だけでした。
帰りには 潮だまりで大量(50匹はあった)のナマコを発見しました。
僕も友達もナマコが好きなので パンツまで濡らして捕りました。
でも 普段食べているナマコと色が違います。
とりあえず5つばかり持って帰りましたが
なんだか本当に食べられるのか不安になり ネットで調べてみました。
そしたら どうやらニセクロナマコというナマコらしいことが分り
毒があるので食べない方がよいと書いてました。
ガックリして 疲れがドッと出てきました。
あ〜あ ナマコ 美味しいのにな〜
写真 画像掲示板にあります。

ヤナギムシ - 2001/11/02(金) 23:02<

ヤ(+ナ+)ギムシ

いったい何が・・わたしを呼び起こしたのだろう
  わたしは、ただ・・静かに・・
  眠りたいだけなのに・・

    誰なんです・・

           あなたは・・

              なぜ・・私を・・揺り起こすのですか?

  わたしは・・

        お願いです・・静かな時間が・・

             そんな時間が・・ただ・・欲しいだけなのに

                           そんな時間さえも・・私には・・

    頂けないのですか?



              静かな・・闇だけが・・


                      迫ってくるだけなんですか・



お(^ミ^)ヨ - 2001/11/02(金) 16:55<

とんちんかん小僧さん

「忍者の系譜」探しています。いまだに手に入れていないんです。
情報ありましたらよろしく御願いします。

白髭明神あるところ、古の帰化人が住んでいたところらしいのですが、日本の神社や祭神には朝鮮渡来の
神や渡来氏族がまつった神が多いのですね。

一乗寺、是非出向いてください。お話楽しみにまっていますので。






とんちんかん小僧 - 2001/11/02(金) 15:26<
おミヨさん
レスありがとう。ようやく『忍者の系譜』手に入れられたんですね!
羨ましいです。修験道と忍びの関わりなんかも詳しく書かれているんですか?

ピンクのトカゲさん
ありがとうございます。でも、もう最終回分を残すのみです。

あかねさん
忍びの素性は、よく判らないものなんです。たまたま、剣術なんかの××流みたいなものが
先祖より伝わっていたなら口伝・書物等があれば判るんだけど忍びの場合は江戸時代の半ば
になってくると飾りだけの存在になっていき忍術の鍛錬そのものが不必要となってしまい
[昔は忍者だった]ということだけが未来に伝えられるだけなんです。
(全ての家ではないですけど) 公なので語れない事もありますが…
播磨地方での忍びの働きについては、今後良い資料が見つかれば書きたいと思ってます。
播磨の事はよく判りませんのでまた色々教えて下さい。

あかね - 2001/11/02(金) 13:40<

播磨も面白いぞ

おミヨさん
その通りですよね〜〜(^o^)。書いて下さってありがとうございます。
揖保では、朝日山大日寺・恩徳寺なんかがありますね。
兵庫県全体から見れば、西播磨には少ない、という意味でした。変な書き方で失礼しましたぁ。
法華山一乗寺って、一度出向いてみたいと思ってるのですが、何度も行くチャンスがあったにも関らず、
なぜか未だに行ったことがありません。あの三重の塔が見たいなぁ。

ヤゾーさん
私もいろいろ考えてると、わからないことだらけで、頭の中がぐるぐる巻きになってきますー。
お書きのとおりで、まことに不可思議なことがいっぱい…。
金屋子神の話ですけど、西播磨には馴染みある神さまなんですが、なんでか、東播磨では
あんまり近しさはないのですよ〜。大歳神、猿田彦なら、かなり多いんだけどなぁ。
ボイントは根の国かなぁ。ああ、今は頭が切り換えられなくて、働きましぇん。お仕事に戻りますぅぅ。

おユキ - 2001/11/02(金) 12:55<

巣箱作ってみます

私も連休に巣箱を作ってみます。
ピーちゃんと仲良くなりたいもん!

ここを覗くことで、
心がとても優しくなれたり、ほっとしたりしてます。
ありがとう!

お(^ミ^)ヨ - 2001/11/02(金) 12:27<

おはようざんすざんすさいざんす

以前に三角寛第6巻の「解題」読んだ折に、私もなんとなく納得いかないものを感じました。ですが、なにがどうときかれるとこまるのですが・・・・・。

利田ヤゾウ サクラさん
トニー谷のビデオありがとうございました。面白かったです。
画面にでてくるバス(魚ではありません)と景色に興味がいってしまいました。
きょうヤゾーに回覧いたしました。

あかねさん 久し振りの播磨のあかねさん節たのしかったです。
神戸の摩耶山に法道仙人像があるようですね。
伝説として印度で法を修めて神通力を得、紫雲にのりて中国に渡り、百済を経て本朝に飛来し、播磨国
加西郡法華山に天降り、所持するものは、千手観音像と仏舎利と宝鉢だけであった。その宝鉢は仙人の意
のままに空中を飛びまわり人家の門前に行き布施をうけ。別の名を「宝鉢仙人」と呼ばれた。
大化元年(645)8月、船師の藤井某が、年貢米を船積みして播磨灘を通りかかったとき、宝鉢が飛んできた船師は其れを断った。すると船中の米俵が法華山に飛んでいってしまった。船師が非礼をわび、米俵はもどしてもらったが、その時、飛行中1表だけ川のほとりに落ちた。その地を米堕村(米田村)とよぶようになったそうです。
法道は播磨・攝津・丹波の諸国に百ヵ寺に余る寺院を建立し、他にも明石、加古、印南、飾磨、揖保、佐用
とひろがっていった。
童男行者が百済王子の恵という説もあるようです。

私も「宝鉢」飛ばしたい。飛んでこなくてもいいですけん・・・・・。

蜜柑 - 2001/11/02(金) 03:11<
文芸春秋から出る本、
著者の思い込み激し過ぎのような気がします。
以前、著者の講演会行きましたが、
「そりゃ、違うよ!」という部分が結構ありました。

Ya(^z^)oo - 2001/11/02(金) 00:05<

誕生と“とりあげ婆さん” 支離滅裂です

みなさん こんばんわ。

サクラさん そういう事って たまにありますね。
僕の場合は ふら〜と少し遠い温泉へ行く位です。
往復3時間で行ける 小さな旅です。

ヤナさん 僕も 歩くって 
本当に大切なことだと思うようになってきました。
歩くと なんか身体も心もスッキリするような気がしますね。

とんちんかん小僧はまだ 山小屋に来たことがなかったんだね。
ヤマガラが懐くのは そう珍しいことではないと思います。
たまに ボケ〜と空なんか眺めているときに トンボにたかられることがありますが
虫が苦手なので嬉しくないです。
カマキリなんどにたかられたもんなら ひとりで大騒ぎします。

ピンクのトカゲさん 
こちらこそ ありがとうございます。
HP がんばって下さいね。

あかねさん お久しぶりでした。
古い鍛冶屋さんの仕事場などには アマノマヒトツ神の他にカナヤゴ神の祠を祀っていたりしますね。
そのカナヤゴ神の由来は 山神王と海竜王との子である母神と金山彦との間に生まれた神とあるそうですね。
山神王と海竜王ってなんでしょうね。


修験道では 山に入り修業するということは 母の胎内に入り再び誕生するという意味があると言います。
ですから山に入るということは 一度死ぬという意味もあるのだそうです。

う〜ん なぜかイザナミの黄泉の国行きと母神イザナミ想って泣いたスサノオが ふと思い浮びました・・・(・_・?)

白山(シラヤマ・ハクサン)信仰ではククリヒメを祀っていますが
日本書紀では ククリヒメとは黄泉の国で穢れたイザナミに対し 禊をすすめて浄化させた女神だとされています。

う〜ん イザナミ・スサノオ・ククリヒメ・修験道はなにか関係があるのかな・・・(・_・?)

シラという言葉は古語で 誕生・分娩の意味があるとされ
沖縄などに残る産屋のことをシラと呼ぶそうです。

また 山の神を産神とする地域は東日本に多いそうですが
産室には山の神の掛け軸を掛けていたそうで
産気づいてくると“とりあげ婆さん”が山の神迎えをしたそうです。

イザナミがヒノカグツチノを生んで死んでしまいますが
そのヒノカグツチノから山の神が生まれたとあります。
その一つの金山彦と深い関係にあるタタラや鍛冶屋の妻や母親が
“とりあげ婆さん”の役をつとめたという伝承も多いそうです。

とめどなく書いてしまいましたが どういうことなんでしょう・・・(・_・?)

あまり知りもしないのに 考えてたら 頭がウニクラゲになってしまいました・・・(-_-;)

あかね - 2001/11/01(木) 20:45<

播磨話でm(__)m

>百済から亡命した王子恵(童男行者ー聖明王の子)と恵を先導した修法道士多々以の子無可
(法道仙人)が日本の忍術(法)の鼻祖であるらしい。

 王子恵というと、以前に書きました通り、日本初の金物のまちとされる中播磨・三木市に伝わる、
鍛冶・金物の起源話にも登場します。五世紀半ば、天目一箇命を祖神とする東播磨の大和鍛冶と、
百済の王子恵が丹生(タンジョウ)山へ亡命してきた時に連れてきた技術集団、韓鍛冶が技術を交流し、
韓鍛冶たちが三木に住み着いて、鍛冶を行ったのが始まり──という話です。
 その後、鍛冶技術の発達とともに、三木市は優れた技術を持つ大工職人(日原大工と呼ばれる)も
数多く輩出し、平城京、平安朝の時代から国宝級の建物をたくさん手がけてきたのでありまする。

 他には、お書きの、日本に佛教を伝えた百済の王子童男行者が、中播磨の明石浦に来て、やがて
摂津国丹生山の「明要寺」や、三木市志染町の「高男寺」を開創したという話も伝わります。
 
 そして法道仙人と云えば、三木市志染町大谷には「伽耶院」という、大化年間に法道仙人が毘沙門天の
おつげによって創建したという修験のお寺があります(先の丹生山はこの寺の東南にあります)。
この寺の本尊毘沙門天は、童男行者作と伝わり、体育の日の採燈大護摩には、山伏姿の修験者が近畿一円
から集まるそうな。花山天皇の行幸もあり、全盛期は数十の堂宇、百三十余の坊があったらしいです。
 興味深い点は、三木市志染には「志染三宅」が置かれた事と、「伽耶院」の向かい(志染川を挟んで)には、
播磨風土記に出てくる市辺押磐皇子の王子、億計王子と弘計王子が隠れ住んだ「志染の窟屋」もある点です。
何か、大和が中・東播磨を押さえて、対吉備国制圧の拠点地とした事と関ってるような…

 兵庫県には、法道仙人の伝承を伝えるお寺って多いですよ〜。特に中播磨に多いんですが、百済系
仏教文化の伝承が多い東播磨でも結構、あります。丹波(白髪山や白山もあります)にも多いし、但馬や
摂津にもいくつかあります。あ、西播磨には高句麗・新羅系仏教文化が多くて、法道仙人の伝承はあまり
聞かないです。東播磨の寺では、例えば、西国25番・加東郡社町の御嶽山「清水寺」(赤松円心が再興)も、
法道仙人開基と伝わっています。

 とんちんかん小僧さん、おミヨさん、西播磨で赤松のもと、諜報活動を行った徳岡氏って、何だか
中・東播磨・丹波等をベースにして頑張ったような気がしてきました。忍者ってわからないのだけど…

ピンクのトカゲ - 2001/11/01(木) 07:27<
ヤゾー
リンクありがとう。
とんちんかんkozoo
いまのシリーズ面白いよ。
それに対する、おミヨさんのレス『妖星伝』の鬼道の巻、思い出しました。
サクラさん
産霊山秘録の勅忍なんていうのも、このあたりからイメージしたと思います。

とんちんかん小僧 - 2001/11/01(木) 02:30<

文藝春秋『本の話』より

『幻の漂泊民 サンカ』 沖浦和光著 四六判/上製カバー装/432頁
が11/23に文藝春秋より発売、本体予価2048円。

文明社会から置き去りにされた異能集団はいかに発生し、日本の闇に消えていったか。
従来の虚像を粉砕し実像に迫る白熱の民俗誌。

またまた興味深い本が出るようです。今とてもワクワクしてます。
ヤゾーさん、手乗りやまがらはスゴイ!ますます、山神に近付いてますネー。

ヤナギムシ - 2001/11/01(木) 01:10<

・・・・・

がんじ・・じいじ・・どこえいってしもたんや!!

  遠い世界に・・旅に・・出ようか

 それとも赤い風船にのって・・雲の上を

   歩いてみようか・・

       ちいさな・・小さな・・夢・・

          歩いてみる事・・
    
                          そおなんです

   一人で・・・・・

           へへへへ歩いてみる事なんです・・なんです

                      なんですよぅ

                                  ヤナギムシ

サクラ - 2001/11/01(木) 01:03<

誘惑...

昨日、八重洲ブックセンターへ「漂白に生きた人びと」部落開放11号を買いに行ったとき

新幹線の切符売り場で思わず立ち止まってしまった。
    このまま、どこかに行ってしまいたい誘惑に...
   駅弁片手に...
     熊野が穂国が播州が..待っているいる〜
北の遠野にオシラサマに愛にいくのもいいなぁ...

誘惑に打ち勝ってそこを離れたのに
   今度は宇都宮の餃子...博多の明太子...はたまたさば寿司が...
  あ〜惑い多き年頃に
       心は乱れてしまいます!

でね、まっすぐ帰ってきて読んだんですよ。
飾り気のないじぃじ、ばぁばの語り口に思わず引き込まれてしまいました。
     
     

Ya(^z^)oo - 2001/11/01(木) 00:45<

座布団一枚

面白いです。

山田く〜ん Donglyさんに 座布団一枚もってきて〜

Dongly - 2001/11/01(木) 00:41<

鯉の手ほどき

いや、「鯉捕りまーしゃ」という料亭が福岡筑後川中流の浮羽町か
吉井町にあります。この店は物書の火野葦平達がたむろした所だ
そうです。この店の主人の「鯉捕り方法」を聴いた事があります。
真冬に褌一つで潜るそうですが、寒さ防ぎに醤油を五合?飲みます。
そして川の底に入って上がってくる時は、両手・両足・両脇・股間
・口に一匹づつ、合計八匹の鯉を持ってくるとか。(恋なら一匹)
 そうそう、大事な事は恋への接近法、決してドサとか・ドヒャとか
ガバとか、飛びついたりしない。何かと似ていません?鯉の方にゆっ
〜くり・ゆ〜〜っくり手を伸ばすと、貴男の手の温かみ・ホテル体温
を感じて、鯉の方から「腕の中に」「抱かれに」入ってくるそうです。
(30年前位前に聞いておけばよかった!!)

Ya(^z^)oo - 2001/11/01(木) 00:05<

コイの抱きどり

みなさん こんばんわ

むかし アマと呼ばれた人は 海だけでなく川にもいたそうです。
コイの抱きどりなどといい 川に潜って 素手で静かに魚のエラをつかんで捕るのだそうです。
コイの他 ウナギやナマズなども素手で捕まえたそうです。
利根川のコイの抱きどりは有名で錦絵にもなっています。
漂泊漁民とアマとの関係も重要な意味がありそうです。

秋も深まると コイの抱きどりより 恋いを抱き寄せたい気分であります。
ヤマガラは直ぐに懐いてくれるのだけどなぁ〜
新しいヤマガラのページも見てね!

因に カメツとカメは関係ないとのことです。
下北山村には そもそもカメがいないのだそうです。
不思議な話しですね〜。

今夜は まんまるお月さんがでています。
タヌコたち お月さんを見ると血が騒ぐのか
5、6匹が外で戯れ合っています。
時折 フギャ〜 といった鳴き声が聞こえます。
ススキもいっぱい生えて 月夜にタヌキがポンポコポン!?

turukot - 2001/10/31(水) 19:39<

一連の対話の中のレスとみなしてもいいでしょうか?

さんかうぶさん

>ある時期、日本国は朝鮮半島南部地域も包括していたみたいですね、
>1000年前の事も諸説紛々。
>我々その間一体何をしていたのかと思います、大して進化していない。
>時の大宝律令500律1000条も有り、帰化の為の
>細目まで決められていたと聞きます。

なるほど、そうですか。
私自身は自分の故郷の、古くからの系譜を持つ「土地の人」という視点で見るようにしています。発想として国境や県境を取り払って(政治的にではなく、早とちりなさらぬように)オラホの土地と、たとえば、本州のどっかの土地と沿海州のどっかの土地と朝鮮半島のどっかの土地と同じような視点(つまり「内」と「外」の視点で見ない−いや、「内」はあくまでも「オラホの土地」で、「外」はそれ以外の土地ですか)
ようにはしているのですが、情的レベルでは難しいですなぁ〜〜。
かなり実践的には取り組んでいるつもりですが。。。。(「つもり」かな〜〜)

とんちんかん小僧 - 2001/10/31(水) 14:51<

中国発生説 その3

朝鮮経由で遁甲の術渡来

 第三の中国伝来説は直接中国からではなく、中国から三韓(現在の朝鮮半島)を経て日本に
入ったもので、七書ではなく、天文遁甲の術である。この遁甲を修得した人は甲賀の人で帰化
人。前述の大伴細人というのはこの遁甲術第一号をまちがえて言い、聖徳太子に付会したので
あろう、という説。
 遁甲の術は中国に起こり、六朝(ろくちょう)時代に三韓に伝わり、推古天皇の御代に日本
に渡来した。
『日本書紀』、推古天皇十年(638)冬十月の条に、百済の僧侶観勒(かんろく)が、遁甲方
術の書を持ち来って献上したことが明記してある。
 天皇の命令によって、僧観勒のついて遁甲術を伝習させられたのは、甲賀の人で、大友村主
(すぐり)高聡。仁徳天皇の御代に日本に帰化した漢人の子孫であった。朝廷が甲賀の帰化人
を選んで遁甲術を学ばせた意図は、近江甲賀に多い帰化人をあつめてスパイ団を組織し、これ
を新羅国内に放って、新羅のスパイ団に対抗させる意図であったとしている。
当時推古天皇は朝鮮半島に任那(みまな)日本府の回復をはかり、軍を送っていたが、新羅の
スパイ団に散々に痛めつけられていたからである。来目皇子を新羅討伐将軍としニ万五千の軍
兵をつけて送り出し、皇子は福岡県糸島郡の屯営で潜入した新羅のスパイに刺され倒れた。新
羅の間諜、加摩多の一味の仕業といわれる。
 遁甲の術は後の斉明・天智の時の日唐戦争に活躍した日本の間諜団に受け継がれ、近江諸郡
の帰化人によって組織された。忍びの名家である甲賀五十三家の伴氏は、第一号遁甲術の大友
村主高聡の末裔であると断定してよいと説く。この説によれば、遁甲術中の隠れ身の術や、深
草兎歩(とほ)と称する忍び独特の歩き方は遁甲のものという。そして忍術の日本における発
生は甲賀遁甲術組織である、というのである。

Dongly - 2001/10/31(水) 12:33<

そこ!そこです!

やぞーさん
>「カメツ」とは 正確にはサンカというより川の好きな人という意味
 そうですか。語源が分りそうな気分です。『部落解放』では「亀釣り」
はサンカでない別人としてます。「犬釣り」「猫釣り」の仕業でしょう
か。カメツは本来は、「釣り」でなく「手づかみ」ですか?古くは高度な
「釣り」や「網」を使うのは渡来系と聞いた事があります。江戸期頃まで
は別所の民も佐渡ヶ島では「採取」だったようです。
>サンカも同じような意味で「だんな場」という言葉
 この語、山伏系も使うようですが。「旦那寺」という従属性をにおわせる
地方は多いようです。美濃お宝衆(乞食サンカ)は「島」を使うようです。 
>「由緒のある河原乞食の人たち」
「由緒ある」などという形容詞を「客観性を錦の御旗に掲げる」民俗学者は
つけません。その限りでは、河原乞食という偏見と先入観に満ち々た用語で
すましています。学者は対象と「理不尽なまでの」距離を置く事で「悪意を
ばら撒く」事もあるようです。また乞食が中世期や九州では「らい者」を指
していますが、河原乞食と呼ぶ人自身が「乞食」の流の確率が高い筈です。
 誇りを込めた言い方「由緒ある」の由緒を知りたいものですね。

おミヨ - 2001/10/31(水) 11:11<

カメツ

Donglyさん ヤゾーさん
柳田國男の「ポンの行方」によるとポンスケの名前は鼈から出た我々の命名で、オゲは川魚漁具の名が元
らしい。「カメツ」も「カメつり名人」が「カメツ」になったのではと単純に思っていましたよ。

とんちんかん小僧さん
多胡弥は、大友細人のような諜報専門の”静かなる忍者”ではなく、”騒々しい忍者”で諜報より謀略の
方が得意で、敵砦、敵陣に潜入、火を放ち、大騒乱を起し、多胡弥の為に、敵陣に火煙が立ち、大混乱に
おちいると、機を逸せず敵陣を夜襲し、度々大線果をあげたそうです。
天武天皇は、「孫子」の羊羹の術(うそ、用間の術)の積極面、謀略間の達人というべきで、その間者の
多胡弥は、謀略間者の代表的人物だそうです。とんちんかん小僧さん横からすみません。

ヤゾー - 2001/10/31(水) 00:05<

雑感

サクラさんの言う通りです。
ヤマガラやタヌキに遊んでもらって 癒されているのは僕なんです。
そのお返しに 少しだけ食べ物をあげているんです。
タヌコたちは食べ物にしか興味なさそうですが
ヤマガラは食べ物よりも人と遊ぶのが好きみたいです。
軽快に いろんな飛び方を僕に見せて 楽しんでいるようです。
なにがそんなに嬉しいのだろうというくらい 全身で飛ぶことを楽しんでいます。
よく 僕の顔を目掛けて飛んできては 30センチ位前で旋回して驚かせてくれます。

修験道ではよく自分たちの領域のことを霞場という言い方をしますね。
Donglyさんの『野史呼び名辞典』では 「かすみ」のことを
「だんな場」という意味もあると書かれていますが
サンカも同じような意味で「だんな場」という言葉を使いますね。
重層した関係にあるのかも知れませんね。

体と額に汗して 何かを作ったりするのって ほんとうに楽しくて充実感がありますね。
また そういう場面を 女性や子供が見ると 惚れなおすようです。
家買って 借金に追われるのなら 2年くらい仕事を辞めて
自分で建てちゃえばって思ったりします。
自分で建てれば3分の1のお金で建てれるし なにより面白いです。
そして 家庭が円満になりそうです。(そんなことしたら 離婚されるって?)

「カメツ」とは 正確にはサンカを意味した言葉というより
川の好きな人という意味だそうです。
自分たちでも 川ばかり行っている人のことを「カメツ」と呼ぶのだそうです。
今でも 年配の人は 川の好きな人のことを あいつは「カメツ」だとの言い方をするみたいです。
それくらい 下北山村では サンカの人たちに対して 違和感がなかったみたいです。

地元で世話になっている75歳くらいの議員さんがいますが
代々炭焼きだったそうで 小さい頃に河原で瀬降っているサンカを見て 
父親から「由緒のある河原乞食の人たち」だと教えられたそうですが
自分たちも 転々と粗末な炭小屋を移り住む暮しをしていたので
同じようなものだとの意識があったみたいです。

おミヨさん 役小角の話し ありがとうございました。
修験道の祖 役小角と忍者・サンカとは なにやら深い関係にあるみたいですね。
また 修験道に渡来の伝承が色濃く残っているのは
ベースに縄文が強くあったからだと思ってます。
修験道の聖地の多くは 先住民の領域であり 
小角に影のように付き添ったとされる前鬼・ 後鬼と呼ばれる者たちは
まつろわぬ山人(縄文人)だと言われています。
また国津神である一言主を使役した話しや
山岳信仰ではクニトコタチやオオナムチなどを祀ることから
国津神系の人であったように思います。
縄文人は排他的ではなかったので お家を隠す必要がなく
渡来系の特徴や文化がそのまま残ったような気がします。
友好的に融合していたからかもしれません。
むしろ 渡来系そのままの方が 出自を分からなくしている気がします。 

おミヨ - 2001/10/30(火) 23:02<

「忍者の系譜」より

百済から亡命した王子恵(童男行者ー聖明王の子)と恵を先導した修法道士多々以の子無可(法道仙人)が
日本の忍術(法)の鼻祖であるらしい。これらの人々が持ち来たった「孔雀明王経」や「孫子」などが、
忍術にもっとも重要な経典になったからという。法道は後年、熊野で賀茂ノ小角(役の行者ー亡国出雲人)
とあい、「神通術」の精隋とも言うべき経典類を与えて、補陀落へと旅立つ。この経典によって小角は
行者兵法を編み出すが、弟子の韓国広足にそしられ失脚、漂泊の旅に出る。葛城山の旅徒も漂泊の旅を
つづけ、それぞれが各地で行者山を開く。伯キ国大山、阿波国剣山、攝津国剣尾山、近江、伊勢国鈴鹿山
などなど。これらの人々は、採薬、採鉱冶金、そま、猟、木地といった生業を営むかたわら、行者兵法を
きわめる。これがやがて忍術(忍法)に成長し、甲賀者、伊賀者という忍者集団となる。

ヤゾーさん白髭についてありがとうございました。
百済系、高句麗系、新羅系と3説あるようですが、古代の縁起や由来は明らかでないようですが、修験者の氏神でもあるようです。

とんちんかん小僧 - 2001/10/30(火) 17:12<

忍術の発生の関連人物(3)

多胡弥(たこや) [生没年不詳]

★天武天皇に仕えた忍び

 間者第二号は、天武天皇(?〜天武十五年=?〜686)の志能便として、天皇が大海人
皇子頃から働いていた多胡弥(大和=奈良県)だという。
 壬申の乱(弘文元=672)時、これは天智天皇の弟、大海人皇子(天武天皇)と天智天
皇の子、大友皇子(弘文天皇)の間に起きた皇位継承権をめぐる約一ヶ月に及んだ内乱で
ある。
 この時、大海人皇子の志能便多胡弥が、命を受けて大友皇子方を近江国瀬多に攻め込ん
だという。
 多胡弥は、大伴細人のような諜報としてだけでなく、謀略が得意で戦いに参加、敵の砦
や陣中に潜入し、放火、大騒乱を起こして戦果をあげたと伝えられるように、その奇襲ぶ
りはまさに忍者的働きだったという。
『日本武道全集』四巻の忍術の項にも、天武天皇に逆心をもった者の籠城(ろうじょう)
中のところへ、天皇方より多胡弥が命ぜられて放火するところが出てくる。
 また戸部新十郎著の『忍者と忍術』(毎日新聞社刊、文庫本ものちに出版)にも、こう
して壬申の乱は制せられた一証、とある。


Donglyさん
>同じ時宗の徒に多い鉢屋なども考えねばなりませんが、これは
>とんちんかん小僧さんの追跡・追求が期待されます。
あまり大きく期待しないで下さい。私も追跡・追求をやって良い結果を得たいとは思いますが、
果たしてそういう凄い資料を見つけ出す事ができるのかどうか。時・年月をフルに使って調べ
ていきたいと思ってます。まずは自分のルーツについて知る事が最も大切な事ですが…。

Dongly - 2001/10/30(火) 11:23<

体と額に汗して

働く事の充実感を現在のくの人達は知らないのではないでしょうか。もっとも
冷や汗を書くことは日常のようですが。ましてや漁師にせよ、樵にせよ、大工
にせよ、鍛冶屋にせよ腕と経験で渡世する仕事のその喜びは、サラリーマンの
比ではないと思います。日曜大工・日曜樵・日曜土方の小経験から感じます。
「一体大学は何を教えているのだろう?コンピュータにせよ、どこかに宮仕え
しなければ生活できない(従属的な)人間を作りだしているのでは」、かたや
「過去の何時の日にか、日本人は奴隷になる精神回路を埋め込まれているので
は」と思います。
>サンカを誇ってもよかった、
 サンカ自身に「志」「理想」があったのではと見ています。とんちんかん
小僧さんの「忍び」シリーズを注目していますが、作者達に「忍びの誇り」を
追求する姿勢があったのでしょうか。為政者の高度な犬の精神では「志」とは
縁の遠いもです。従来のサンカ「民俗学」に代わる、サンカ「歴史学」の登場
が待たれます。熊野では、サンカの「何かの誇り」らしきものを、感性豊かな
方なら、「サンカの個」を観察することにより追及できるでしょう。
>下北山村ではサンカに対して一切差別的なことはなかった
 被差別部落でエタ系がエタ系を差別せず、鉱山などで現場の労働者間に余り
差別がなかったのと、同じです。戦後の炭鉱労働運動の強靭さはここにあった
とみています。高学歴や背広・ネクタイ・靴が差別を拡大・固定しました。

サクラ - 2001/10/30(火) 03:30<
すずめ すずめ
 お宿はどこじゃ
      チチチ チチチ
 こちらでござる

おじいさん、よくおいで
    ご馳走いたしましょう...

なんて、ヤマガラやタヌコが恩返しにきたら
   やぞーさんはさぞ、幸せだろうなぁ...
     でも、きっとそんな見返りは期待してないだろうなぁ、やぞーさんは。

  期待しなくっても、いっぱいいろんなもの、もらってるよう気がする。私まで
ありがとう!kumanoのヤマガラさん、タヌキ君

古代幻想...
   うーん、みんなにいろんなところに、連れて行ってもらえて
     しあわせ...!!!
    つづきは夢の中で...会おう!
         今日は八百万の神々の
      どなたのお姿が垣間見られるのだろうか?




     

ヤゾ− - 2001/10/30(火) 00:09<

巣箱を作ろう!

みなさん こんばんわ

につちょさん お久しぶりでした。
彩箱という行李というのがありますが
漂白民の白丁と関係があるのでしょうか。
あまり詳しくはないのですが 
白丁という人たちが行李を作っていたと何かに書いていたと思います。

おユキちゃん 是非 巣箱を作ってみて下さい。
自分の作った巣箱に小鳥が営巣して ヒナ鳥が巣立ってゆくのを見ると
なんだかとても嬉しいものです。
ヤマガラやシジュウガラなどのカラ類は 
お利口さんで人懐っこいので 巣箱の大家さんを信頼するみたいです。
巣箱の広さは12センチ×15センチ位で 穴が28ミリから30ミリ
巣箱の底から穴の位置まで12センチから15センチ位が良いみたいです。
雨風のあたらない 小鳥の気持ちを考えて 場所を決めて下さい。

Donglyさん 同感です。
もっとサンカを誇ってもよかったと思いますし
下北山村では サンカに対して 一切差別的なことはなかったことが
書かれていなかったことが残念です。

さんかうぶさん 僕は 人の手の入っていない自然が好きですが
その”管理された自然”が好きという気持ちも理解できます。

Dongly - 2001/10/29(月) 23:48<

読みましたよん

ヤゾーさん
漂泊の民「サンカ」の実像(『部落解放11月号』)興味深く読みました。
サンカを”賤しい民”とする”思い”が著者にもあり、同じ賤民の末裔である我々
大衆の共感を得ようとしているのでしょうか。江戸期にも幕藩体制の上層部にい
た者もいます。したがって疑問は「近代発生説」。川魚漁師・春駒・すっぽん捕り
など非竹製品のサンカの話ですが、時宗の徒が多い事、金毘羅信仰が見える事、
「被差別部落内で差別を受けている」等ですが、この民俗学者達はここで終わっ
ています。喜田貞吉の「坂の者」末裔説、柳田國男「傀儡」末裔説も消化する必要が
あります。同じ時宗の徒に多い鉢屋なども考えねばなりませんが、これは
とんちんかん小僧さんの追跡・追求が期待されます。
また無籍といっても生地師文書の写しを持っていた場合もあり、有籍者の中にも
セブリ・サンカはいたようです。ましてや役人や警察官にも居つきありですから。
 それしても何かの伝統・何かの「理想」「志」なくして、そして組織的保証なく
して、長い間、漂泊に耐え得るものでしょうか。そのヒントが見えません。
 後書の山伏聖地と同じサンカ聖地は隠語。「かすみ」でしょうか。そうなら山伏
由来になりますが。
最初の論文の「カメツリ」は下北山村でサンカではなく、サンカは「カメツ」です。

につちょ - 2001/10/29(月) 23:23<

チュクムルジャン

竹工芸の職人をチュクムルジャン(竹物匠)と言う。
朝鮮朝時代には竹材を使う工芸が発達していた。
タンスから小さな文房具に至るまで、多様な竹製品が木製家具と共に
一般家庭の中で大きな比重を占めていた。

手近な物としては竹の筋をそのまま利用した筆入れ、箸入れ、櫛、すだれ、うちわ、
農夫が夏の炎天下で被るサッカッ(編み笠)、喪主が3年間被らなければならなかった
バンガッ(方笠)など挙げればきりがない。
その中でも庶民が持てる華やかな竹製品としては彩箱という行李がある。

竹の表面を薄く細く削り、赤や青の色で染めて模様に編み上げたものだ。
最近は観光客目当てに竹を細く割いて編み上げたハンドバッグなどが土産物として
人気を得てるという。
竹細工といえば、昔から全羅道の潭陽が有名である。 (文・金 龍煥)
                            

とんちんかん小僧 - 2001/10/29(月) 16:54<

「七書」伝来説(2)

 また672年に終わった壬申の乱に、大海人皇子が、甥にあたる大友皇子と皇位継承をめぐ
って争い、大友皇子を近江国瀬多に破り、大友皇子は栗津にのがれ自殺しているが、その大
海人皇子の勝利の鍵は、これまでの戦闘には珍しい迅速な用兵術がものをいった。すなわち
皇子の下に、大和の人で多胡弥(たこや)という、忍びがあり、情報収集だけでなく、敵中
に潜入して焼討ちをしたり、夜襲をかけたりして功績があったというのである。これは七書
による忍術の応用である。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
忍びの習俗・言葉(不定期的に書きます)

影墓(かげはか)
 伊賀という特別な地域で発達した習わし。養子先で養子が死んだ場合、実家の方でも供養墓
を建てる。これを影墓という。その際、養子先に遠慮して一字だけ戒名を変える習わしがある。

三無忍(さんむにん)
 忍術を学び身につけるべき者が体得すべき心得。例えば無足忍とは、足音を立てぬ歩き方を
身に付けよの意味。

おユキ - 2001/10/29(月) 12:57<

ヤマガラちゃん

ヤゾ−さん(の手)とヤマガラが写っている写真見ました。
とっても可愛いいですね。
野鳥と仲良しになれるなんて羨ましいです。
どうしたらヤマガラと仲良くなれるのですか。
私も巣箱を作ってヤマガラのきそうな木に掛けとこうかな。

さんかうぶ - 2001/10/29(月) 04:36<
turukotさん
ある時期、日本国は朝鮮半島南部地域も包括していたみたいですね、
1000年前の事も諸説紛々。我々その間一体何をしていたのかと思います、
大して進化していない。時の大宝律令500律1000条も有り、帰化の為の
細目まで決められていたと聞きます。

ヤゾーさん
確かに三角寛、”無から有を生じる”だけでは考えられない
物が上がっていますね。後の学者が引用してはばからないのも頷けます。
少し前、鈴鹿のH/Pの事、書かれてましたね。日本コバ辺りは木地師が
集まっていたどころではなく、正にこの辺りが、木地師の発祥地ですよね。
奈良の都の建設の資材(材木)供給ですが、この辺りは大きな川も無く
材木そのままでは搬出、無理が有るので、恐らく、小物でしょう(彫り物、
細工物)。原材はやはり、瀬田川、宇治川、木津川利用だと思います。
鈴鹿は薄っぺらで浅い山々ですが、場所によっては、周囲3〜4Kmに人家
無いところもたくさん有り、御手軽に秘境に入れるので重宝しています。
エンジンの付いた奴はナンセンスで、徒歩か自転車に軍配が上がり、
エコロジー、大きな獣に会うと感激します、共存している事で。
本州のフロンティア、紀伊半島、その懐に包まれて、、、、。うらやましい。
しかし、青山高原、大台町、経由して鈴鹿が繋がっているのが救いです。
僕はなぜか、”管理された自然”が好きです、理由を考えた事ありません、
なんなんでしょうね?

ヤゾ− - 2001/10/29(月) 01:23<

コトツ(言継)

みなさん こんばんわ
NHKアーカイブ見てました。

ヤナさん クウェクウェって 元気になったんですか?
なんだか チョコボールが食べたくなってきました。

GAINAさん 画像掲示板の弓神楽の写真 ありがとうございました。
山伏の世界の人とも交流がおありですか。 羨ましいです。
玉置神社の公式サイトの管理人のGAINAさんなら当然のことなのでしょうね。
修験道にとっても 玉置神社は最重要拠点のひとつですから
貴重なお話もいろいろとあるのでしょうね。

>私も十種神宝がどんなものなのか よく判りません。

でも 流石にお詳しいですね。
古神道かなにかの本に 十種神宝は品物ではなくて 
ニギハヤヒが授かった神秘能力(行法)みたいなことが書れていたような気がします。
十種神宝の中の 蛇比礼(おろちのひれ)、蜂比礼(はちのひれ)なんて
サンカの祈言(テンジン払え)と共通したものを感じます。

ゴールデンバットのバリ師さん 
その ちょっとええ日やったんで梅酒で乾杯! というのが面白いです。
カニカゴ貰えて 良かったですね。
そういえば ズガニのシーズンですね。
僕も仕掛け買ってきて 川に仕掛けとこうかな。

さんかうぶさん サンカとニギハヤヒについては ピンクのトカゲさんが詳しそうです。
三角寛氏のサンカの伝承採録によると サンカの一派であるタジヒベ(蝮部・田火部・丹比)は
火明命の一族であると伝承されているということです。
ニギハヤヒの正式名は 天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊 ですね。
また『播磨国風土記』では 火明命は出雲の神であるオオナムチの子とされているようです。
このような話しを 荒唐無稽な三角寛氏の作り話とする向きもあるようですが
そうとは思えない なにか感じるものがあります。
三角寛氏のサンカに関しての著作には 疑わしいところも間違いなくあると思いますが
歴史民俗学にて 利田さんたちのレポートが 一部 三角寛氏のサンカ論を裏付けていますし
確かなものもあるように思います。
また サンカの歴史は文章ではなく 伝承(コトツ)によって伝えられてきたとされているところに
とてもピュアなものを感じています。
アイヌやネイティブな人たちの多くが 文章ではなく 
伝承として 自らの歴史を伝えていることに共通した美しさを感じます。

おミヨさん ネットで少し調べてみましたが
白髭神社って 猿田彦命を祀ったり 素盞鳴命を祀ったり不思議な神社ですね。
また 新羅と関係が深いとも書いていましたよ。

turukot - 2001/10/28(日) 19:55<

東アジアエトセトラ

さんかうぶさん
>半島の民族と歴史、民俗に御詳しそうですね、今後もここの板との
>関わりで、御教示下されば、有り難いです。

私も学び始めてまだ日が浅いのですが、エミシを理解するのに必要と思う故です。
従来の取り組みは、対ヤマト、対アイヌ民族、そうでなければ、韓国朝鮮。。
などと視野が狭く、断片的な印象がぬぐえません。

少なくとも東アジア全体のなかの集団として、文化、考古学、民族・民俗学、政治力学
などの影響、関連、比較などを行っていく必要があるのではないかと考えています。

また、ここで、語られているのは暗黙に「日本国」という国境が超歴史的に存在してきたかの
ように当てはめ、「内」と「外」に分けている気がするのは思い込みでしょうか。
結局、サンカが云々、百済系が云々と言っても、「結局、混合民族論におちつくのかな?」
とも思うこともあります。

ヤゾーさま。
>サンカ以外にも アイヌに関したものや同時多発テロに関しての良い文章があり
>630円は安いです!

公には「アイヌ民族」とし、ケースバイケースで使える場を考えたほうがいいと思います。
また、部落解放関係者と日本国内の先住民サイドとは交流盛んです。執筆もされている方は
いらっしゃると記憶しています。

それからユダヤ人も人種的に様々でしょう。コーカソイドだけではありません。

さんかうぶ - 2001/10/28(日) 03:19<
ニニギとニギハヤヒの{ハヤヒ}に関してです。
親子(兄弟関係?)とは定説みたいですが日本国内の(主として西から
東への)移動に関して先行したのが{ハヤヒ}で有り{速}→{早}→{先}
つまり先遣隊と考えても良いのでしょうか?
又、○○降臨伝説で、降臨=他所からの移動=新地への出現、と思う
ので、移動と場所決めに関して(地理に詳しい){サンカ}が関わったと
推測するのは突飛すぎるでしょうか? 火明の名もチラツキますので。
ただし、{サンカ}の名はまだ無いので、それに相当する人としますが。

さんかうぶ - 2001/10/28(日) 02:06<
>臣は中国では奴隷の意味で、TVに「大臣」を見てた中国
>の留学生が「トンデモない国にきた」とて急遽留学を止めて帰国したそうです。
Donglyさん
そう言われれば、むこうの時代劇では、大臣クラスの人を{大人}と言い、
{臣}の言葉は出ませんです。、、、、この事かな?漢漢辞典で調べて
みます。

私もバッドを吸うバリ師 - 2001/10/28(日) 00:37<

カニカゴ

■今日、図書館で「部落開放11月号」を読んできました。私が一番知りたい角度から(川漁師)、光を当てたゾクゾクするような記事が並んでおりました。明日でも本屋で探してきて、手許に置いておきます。

■ほんで図書館の帰りに友だちとこ寄ったら、「物置片付けよったら、おじいが使ことったカニカゴが出てきたんやけど、持って帰るか?」と言われ、カブに積んで帰りました。

これでモクズ獲って、サンカせえちゅうことなんやろかいな。ちょっとええ日やったんで梅酒で乾杯!

GAINA - 2001/10/28(日) 00:13<

おきつ・へつ・・・・・

こんばんわ!

ヤゾーさんのおっしゃる通りです。
天照大神の勅を受けたオシホホミからニギハヤヒに授けた「十種神宝」を持って、
天磐船で高千穂(飛騨・位山の説も)に天孫降臨。
十種神宝は
沖都鏡(おきつかがみ)、辺都鏡(へつかがみ)、八握剣(やつかのつるぎ)、生玉(いくたま)、
死反玉(まかるがえしのたま)、足玉(たるたま)、道反玉(ちがえしのたま)、
蛇比礼(おろちのひれ)、蜂比礼(はちのひれ)、品々物比礼(くさぐさのもののひれ)。
死人を生き返す神道呪術の最も強力なもの。
「ひ・ふ・み・・・・ふるへ ゆらゆら と ふるへ・・・」の呪文もあります。
天理市の石上神宮にあるとか、玉置神社の何処かに埋まっているとか・・・・。
玉置神社の方は、奈良の寺尾氏、関連のもは天理図書館に古文書が残っています。
天理教の祖(おやさま という)中山みきが玉置神社を信仰した関係上、
天理図書館の蔵書に加えたものらしいです。

また、山伏の呪文(真言系や天台系で違う)で
「おきつ・へつ・やつか・・・・・」と唱えられています。

山伏の世界の人との交流もありますが、
「ノーマクサンマンダ」だけでなく憶えきれない程の呪文があり、
大変なことです。

私も十種神宝がどんなものなのか
よく判りません。
ではでは!

ヤナギムシ - 2001/10/27(土) 23:12<

けけけけけ・・クウェクウェ

はははっはあ・・
  大きな胡桃の木・・
       おおおおおおおぉぉぉ
 ただ・・眺めているんです

 へへへ朝霧が・・・漂ってるんです

    ピピヨッピヨピヨ・・駒鳥なんかなーーぁ

  なにを、さえずるんですか??

あはっははぁ・・

へへっへへえへ・・
         ええんちゃう・・のん・

                 やなぎむし    


                       へへへへへへ・・ヤナギムシ

ヤゾー - 2001/10/27(土) 20:11<

僕は山伏になりたかった!

みなさん こんばんわ

>☆部落解放11月号、ただ今読破中ッス!!

僕も三日振りに山小屋に戻ってきたら
『部落解放11月号』が届いていました。

サンカの起源について納得しがたい説もありましたが 素晴らしい内容のものだと思いました。
サンカ以外にも アイヌに関したものや同時多発テロに関しての良い文章があり
630円は安いです!

編集後記として書かれていた 次の文章に とても興味をひかれました。
『「サンカ」が使っていた隠語と一致する地名がみつかったのです。その場所については、
「サンカ」自身が、「自分たちの故郷だ」と語っていたという情報もあります。
さらに、その場所が修験道の「聖地」であったという事実は見逃せません。』

>「十種神宝」の阿比留文字による古文書の存在は判っているのですが・・・。

GAINAさん リンクの件 ありがとうございました。
そういえば「十種神宝」はタカムスビからニギハヤヒが授かったものでしたよね。
実は 東京にいるころに 無性に山伏になりたいと思ったことがあって
そのときに いろいろと山伏の作法みたいなものを覚えたことがありました。
今でも 手印を組んで九字を切ったり 真言なんかを覚えてます。変な奴です。 

バリ師さん 僕も山本素石さん読みましたよ。
釣り随筆集で 井伏鱒二さんが ガラの悪いあんちゃんに
白髪を抜かれて テグスとして使われたとか書いているのを読んで笑った記憶があります。

Donglyさん トンデモ的な話しですみません。
代々 山伏をしている方を近くで見たことがあるのですが
印象としては 渡来系でも 古代ユダヤ人の血が入っていそうな 
顔のパーツの大きな風貌でした。
それに やはり 縄文的な雰囲気も感じました。

とんちんかん小僧 - 2001/10/27(土) 15:34<

忍術の発生の関連人物(2)

大伴細人(おおとものさいじん〔さいにゅうともいう〕) [生没年不詳]

★聖徳太子に仕えた忍び

 間者(かんじゃ=後世の忍術)第一号。
「わが国最初の用間の実践家は、推古天皇の摂政となった聖徳太子(欽明三〜推古三十=
574〜622)であり、太子の志能便(“しのび”の名付け親は太子)は大伴細人で、伊賀(
三重県)出身であった」(『忍術』奥瀬平七郎著)とある。
 争いを好まれなかった太子は、細人ら多くの忍びを諸方に派遣し、紛争、事件などの明細
を調べさせ、政事(まつりごと)の上での判断に活用された。細人を諜者としては使われた
が、謀者には使われなかったという。
『日本書記』推古天皇の項に、
「一たびに十人の訴(うったえ)を聞(きい)て、あやまたず」
 という点からもみても確かであろう。つまり、多くの庶民生活のありようを事細かに知っ
ておこうとされたからであろう。ちなみに「決定版『忍者』のすべて」(『歴史読本』臨時
増刊号)には、
〈特定の個人を指すのではなく、大伴氏の下にあった地位の低い忍びのグループに付けられ
た名称ではなかったか〉(芝守雄)とつけ加えられているのは一見識だろう。


seburiさん
昨日、無事到着しました。どうも有難うございました。
第二弾ヤナさんテープとともに…

☆部落解放11月号、ただ今読破中ッス!!

Dongly - 2001/10/27(土) 11:16<

まずルーツから

ヤゾーさん
>国津神=縄文系の歴史の抹殺。・・・「縄文」期は長すぎるようです。歴史学で
も見直すべしの見解はあるようです。「天皇」以前の「国津神」時代を、特に
カヤ時代の隠蔽のため?吉野ヶ里や三内丸実在は「縄文」を超える印象です。
>記紀から、百済系、新羅系を導けるというのは本末転倒。
 私の文のミスです。ご意見は当然です。記紀がなくても、実在したようです。
>熊野一体は南朝と関係の深い所。どれほど民族的に違いがあったか。
 山伏廃止令にも拘らず、明治政府の援助があった?本宮大社の山上への再建。
北山村や龍神村など筏師や木地師の調査と分析から何か得られるのでは?
>親友に南朝遺臣の末裔がいますが,百済や新羅、その他様々な血が入ってる?
 一般に、異種の混合か混血か、両方あるのでは?
私事です。母方は苗字からは百済系とされ、母方職業神は黄幡様(カヤ系)で祠
あり、野鍛冶のようです(物証有)。本貫地に同姓が今でも多く小字は長田です。
六部・サンカをなぜか嫌い、江戸末期の「居付き」の模様ですが不明です。
 父方現姓は、近年被差別集落の目付役兼任の自作農のようです。旧姓は祈祷師
筋に多いとされ、『和妙類集抄』の郷名にある新羅系の有名な賎民苗字で、現姓
Tは三代前に婚姻関係で乗っ取た事が系図からも明白です。従って四代以前の伝承
は不明です。T姓は一説では海賊筋ですが、本物の末裔は福岡直方に在住ですが、
未調査です。聞取りと観察によれば双方共「癩病筋」の形質があります。「真実を
嫌う」親戚からはこれ以上情報を得る事は無理です。
>北朝は何系になるのでしょうか。
 ピンクのトカゲさん、どうでしょう?今でも藤原氏でしょうか?

ヤナギムシ - 2001/10/27(土) 00:38<

へへへへ・・

ごほごほ・・
  ケセラセラ・・
   昼をまわった、山にはすでに、
   冷たい冷気が、私のうしろから・音もなくせまっていた

        錦の山並みは、わたしを、大きく包み込んでくれている

               ふと、振り向くと闇が迫ってきた

                おーーーーーい



           誰かの・・声が遠くで聞こえた!!

  私は、闇の世界から・・振り返り・・長い石段をまた

          一歩一歩帰りの道を、

              歩きだした・・・・・・

                     又誰かが・・・オーーーイと・・呼んだ!

       わたしは・・・・なぜか?    
            ニコリと微笑んで・・

                   歩き出した・・・ただ・・嬉しくて

          歩き出した・・・あるきだした



             ん・・・・・ん・・よし!!






        歩き出した!
                              ヤナギムシ

バリ師 - 2001/10/27(土) 00:26<

またまた

またまた、ここで佐藤垢石の名前が出てくるとは!

井伏鱒二の釣りの師匠で、文学の方でも「十年釣って、三行書け」とアドバイスした人物ですな。

その三行が書けたら、後は続けてもよいと言う意味でしょうか?

ヤゾ− - 2001/10/27(土) 00:12<

日本の歴史は難しいですね!

みなさん こんばんわ

>国津神=縄文系の歴史の抹殺です。
>記紀の成立も当然これと軌を一にするものであり、記紀から、百済系、新羅系を導けるというのは、本末転倒です。

その辺りは ピンクのトカゲさんと同感で
文献として残ったものを どれだけ信用してよいのか疑問に感じています。
また 百済系と新羅系が どれほど民族的に違いがあったのかも今一つ分りません。
ニギハヤヒについては 縄文系先住民と友好的に融合しようとした渡来系のリーダーというイメージがあります。
サンカやこの国の隠された歴史にとって とても重要な存在であるように感じています。
ピンクのトカゲさんと違うのは この国の歴史は 
天皇を祭り上げすぎても 否定しすぎても 正しく認識できないように感じているところです。

>南朝が百済系主体でできてるといる(らしい)事。

熊野一体は南朝と関係の深いところですが
また縄文的なところでもあると感じています。
また 親友に南朝遺臣の末裔がいますが
百済や新羅 その他様々な血は殆どの人たちと同じように入っているでしょうが
どちらかというと縄文的な匂いのする人間のように感じています。
また南朝が百済系とするならば 北朝は何系になるのでしょうか。

Donglyさんの『野史呼び名辞典』は とても貴重なお仕事だと思っています。

きょうかいさん お久しぶりでした。

ドゥービー・ブラザーズですか。
羨ましいです。

おミヨさん タヌコを庇ってくれて ありがとう ポン吉より
サクラさん PC君のご機嫌直って良かったね!

サクラ - 2001/10/26(金) 23:53<

やっと...

みなさん おひさしぶりです。

PC君のご機嫌斜めで、このところメールトラブル、変換トラブル続きでした。
PCくん、冬ごもりしないでおくれとなだめつつやっとご機嫌直ってくれたよう。

おミヨさん
タヌキっておいしくないんですね。
よかった!よかった!
kumanoのタヌコもこれでやなさんに狙われずにすんだよう...

きょうかいさん・もんむーさん
秋の夜風に良い音楽は心地いいですね。
神田うのはともかくとして...(^^)

思いっきり、深呼吸して...
今宵はレインボーブリッジの夜景がなんだか奇麗にみえるなぁ〜







Dongly - 2001/10/26(金) 23:36<

遅くなりまして

おミヨさん
 有難う、カフカノオミ。臣は中国では奴隷の意味で、TVに「大臣」を見てた中国
の留学生が「トンデモない国にきた」とて急遽留学を止めて帰国したそうです。
ピンクのトカゲさん
 二ギハヤヒは確かカヤ系か新羅系です。根拠(文献や調査など)はすぐ出てきませ
んので、見つかり次第、報告します。それまでは「直感的」仮説で結構です。
南朝を担いだ連中の痕跡地の何を調べる。容易に確認できる?南朝を担いだ連中に>
百済系だの証明。>
 歴史を調べる場合、文献法・民俗的法・民族的法・実地調査など多様であると思い
ます。地図をよく観察しただけで地域史や人間史が見えてくる事があります。文献だ
けでは味わえない妙味です。浅学無学で古文書の読めない私でも、歴史を掘り起こす
事ができると思います。また温故知新だけでなく現在から過去を照射する視座も必要で
す。例1.初めての町を歩いただけ昔の赤線か青線か判る友人が居ました。それは
「町のにおい」だそうです。例2.山口出身の故・岸首相はある選挙の際に「明治天皇
は南朝系の血筋を引く」と主張したそうです。柳井で「お前達わの人間と違い、我らは
朝鮮の高貴な血の末裔」と今でも言うそうです。例3.南朝の上層部を匿ったとする旧
家は各所にあります。「百済系南朝」を主に担いだ連中が百済系とするのは当然です。
1)苗字で解る場合も。2)地名は地形に基くものが大半ですから、3)地形と地名の
法則性は当然ある。4)『何かの法則性』とはどんな法則性?>
1)苗字は変えている場合がおよそ50%近くですから。また八切説でない法則性らし
き物を感じます。プライバシーが入りますので。2)俗説でしょう。柳田国男『地名の
研究』で「地名は人名や地形からの由来ではない」と言いながら、地名を地形や地勢
から説明しています。この矛盾を誰も説明していません。地名はやはり「誰がそこに住
んでいるか」で「好字」漢字を使い命名したと見ます。古代に地名付け標準書を支配者
は編集した思います。傍証ですが「職人歌合せ」の存在。歴史の本質は政治史だから
です。日本史は「一生懸命に人民を排除」してきたようです。『XXの地名』の執筆者達
は「本当の事は書けない」と言います。4)柳田国男は「千年この方同じ地に住み続け
た人が何人いるだろう」としますが、近隣には相異なる地名があり、他地方に同じ地名
があります。少なくとも同属のいる地を「渡り歩いた名残」と見れば判ります。例、別
所は各所にあり、類似の性格をもつ幾つかのグループに分類できます。地名の分布にも
「法則性らしき」物があります。サンカも旧被差別部落か固有の集落を作る場合もあり
ます。「居付き」しやすいからでしょう。野史呼び名辞典をジックリご覧下さい。

もんむー <http://members.jcom.home.ne.jp/mommoo/> - 2001/10/26(金) 21:48<

股旅演歌

みなさん、お久しぶりです。

先日なにげなくケーブルテレビのカラオケチャンネルを見てたら、音羽しのぶ
という新人歌手のプロモーションビデオをやってたんですね。
題は「しのぶの渡り鳥」。

いわゆる股旅演歌ってやつです。それで彼女のコスチュームがなんとなく「瀬
降り物語」の衣裳を思わせるものだったので興味深く見入ってしまいました。
よく聞くと歌詞がやたら津々浦々全国をまわる内容なんです。

で興味がわいてGoogleでいろいろ調べてみたら、なんと


衣裳プロデュースが神田うのだったんです。がっくし


股旅というのもそのうち調べてみたいです。

でわでわ

きょうかい - 2001/10/26(金) 19:36<

小旅行

 みなさん、お久しぶりです。
明日、あさってと、西伊豆の戸田(へだ)に行ってきます。
よくある、飲み会旅行ですが、何か面白そうなのを
拾ってきたいと思ってます。
 昨日は、ドゥービー・ブラザーズのコンサート行ってきました。
 チャイナ・グローブよかったです。

おミヨ - 2001/10/26(金) 17:12<

狸汁

 釣りの名手としてもしられる佐藤垢石の「随筆集 たぬき汁」の中に 会津の山奥から送られてきた狸を、銀座の料理屋で腕をふるってもらって、一夜食通、酒友といっしょにあじわったのだが、テキやカツ
は固くて歯が立たず、すまし汁やマヨネーズあえは、その臭さに閉口した。賞味できたのは、肉を細かく
ひき調味料を入れて焼いた肉ダンゴと、サイの目に切った肉を泳がせた八丁ミソの汁「軽く山ウサギに似た
土の匂い」が一種の風味となって食欲を刺激したそうです。
これで、タヌコも美味しくない事がわかって命拾いしました。

Donglyさん
鹿深臣と雄二はかふかのおみで「日本書記」の記事にみられるそうです。

近江には白髭神社は多くあるのでしょうか?
白髭神社について色々おしえてください。



とんちんかん小僧 - 2001/10/26(金) 13:19<

中国発生説 その2

「七書」伝来説

 七書とは、孫子、呉子、司馬法、尉繚子(うつりょうし)、李衛公問対、黄石公三略、大公望
六韜(りくとう)……以上七種をいう。七書は用兵術、軍略、用間術など、まさに忍術伝来の種
本的なものである。誰にでも知られている孫子の兵法、第十三篇の争篇に出てくる有名な用間篇
は、「間に五間あり、郷間、内間、反間、死間、生間。反間ほど利のあるものはない」などの間
謀の種類別や、間の意味語源については、「間は罅隙(かげき)あり、人をして敵の罅隙に乗じ
て入り、以て其の状を探知するなり」などと記述してあるし、間謀の使いかたや、情報分析に関
する心得まで書いてある。
 七書が何時代、誰によって日本に持ち込まれたか?これについても諸説があって、謎とされて
いるが、史実による公式持ち込み時期と人物は、天平六年(734)の遣唐使である吉備真備が持ち
帰ったことになっている。しかし異論もあって、公式の持ち帰りではないが、遣隋使(607年帰朝
)の小野妹子が持ち帰ったとする説、あるいは仏教伝来前後に、大陸(中国)から多数の帰化人
が渡来しているから、その頃、七書が持ち込まれ渡来した可能性も強いという説もある。
 仏教伝来は538年であるから、仏教とともに、七書が日本に渡来し、聖徳太子や大海人皇子も
七書を研究されていて、その兵法を実戦において応用されたということになれば、聖徳太子が587
年、物部守屋を征伐されて滅亡させた戦勝の陰に、太子の側近に大伴細人(おおとものさいじん、
あるいは息人)とよぶ忍び〔能き便(たより)を志すの意で志能便(しのび)〕がいて、情報収集
に功績があったという説も成り立つのである。

ピンクのトカゲ - 2001/10/26(金) 12:56<

RE:Mr.Dongly

主語は、ニギハヤヒです。
要するに直感ということですね?
百済系南朝については、「らしい」わけであって、断定はできないということですね?
南朝を担いだ連中の痕跡地の何を調べれば、容易に確認できるのですか?
また、この南朝を担いだ連中というのは、どう言う連中を指すのですか?
この時代、利害関係により、今日は、北朝、明日は、南朝というようにめまぐるしく変っていました。
そもそも、南朝派、北朝派と簡単に分けられるものではないのでは、
また、百済系南朝というと南朝(後醍醐)が百済系という意味にも取れますが、
そうでないのなら、南朝を担いでいた(?)連中を指すのであれば、南朝方の旧百済勢力とでも言うべきだと思います。
もちろん、南朝を担いでいた連中が百済系だと言うことが証明できてのは無しですが
苗字で解るじゃなくて苗字でわかる場合もあると言うことですね?

地名は、地形に基くものが大半ですから、地形と地名の法則性は当然あります。
しかし、文脈から、そうした単純なことを言ってのではないように思いますが、『何かの法則性』とはどんな法則性ですか?
地図は、何度となく眺めてますが、私には、それ以上の法則性はわかりません。
その説明が欲しいところです。
やっぱりこれでは、納得も反論もできません。

Dongly - 2001/10/26(金) 10:55<

タブー・・ならはじめ!

ピンクのトカゲさん
新羅または伽羅系とする根拠は?>主語は何ですか。二ギハヤヒ?でしょうか。
 本は少し見ましたが、勉強はしていません。だから批判も十分できませんし、読
んでも何が正しいのやら珍分感分。古代史は作者との「信頼関(感)係」の有無が
基準と「誤解」しています。直感で妥当と思う事を仮説におき、調査で自己確認です。
百済系南朝の意味>南朝が百済系主体でできてるといる(らしい)事。太田亮・朴火
丙植・金達寿・鹿島昇本か「耳学問」でしょうか、すみません忘れました。
南朝=百済系の仮説は、鹿島昇?説で、他にも理由がありますが、南朝天皇を担いだ
連中の痕跡地を調べれば容易に確認できそうに思います。
姓・家名様々に基づく、苗字の成立の説明無しに苗字で分かる?!>一般には苗字を
二人に一人は変えてるようですから、分からない場合もありますが、その他の要素と
組合わせれば分かりますし、分かれねばならぬという立場です。
地名で分かるの?>私は歴史の重要性を地図を見て認識しました。最初は
「あっと驚く為五郎」でした。全国の道路地図を丹念に見て下さい。何かの
「法則性」に気かれるはずです。だから歴史研究に「地名を使ってはならぬ・タ
ブー」の意味が判りました。また「地名について柳田もけしからぬ」すら聞いた
事があります。やっぱり知ってるんですね。タブーだから、やろうーでスタート
。「好字」二字令>は支配者にとって都合の”好い字”のようです。
国津神>客神と共に、どこに行ってもある「いわれ不明の」「文献に絶対ない神」
 非新興宗派で立派な神社ですら町村史にない場合があります。サンカは文献に
ない歴史があるのかもしれません。サンカ歴史学をやる方は出てきて下さい。
『歴史民俗学』はサンカについては『民俗学』です。

ピンクのトカゲ - 2001/10/26(金) 08:06<
さんかうぶさん
唐系と言った場合、色々な誤解が生まれます。
唐は、あくまでも国名であり、
人種(?)論には、適わしい言葉ではありません。
それと、高句麗だけでなく、百済の支配層も夫余族がルーツとされています。
また、韓半島南部及び北九州は、黒潮の影響も強いと思います。
八切、現在の中国の概念で古代をとらえており、江南の視点に欠けます。
Donglyさん
百済系南朝の意味がよく解りません。
楠は、苗字で解るとされていますが、苗字には、姓に基くもの家名に基くもの等さまざまです。
苗字の成り立ちの説明無しに苗字でわかるとするのは
それと、楠という苗字が百済系という具体的な根拠を示すべきです。
同様に、これでは、納得も反論もできません。
それと、地名云々についても、どうして地名でそなことが解るのか
地名ということになれば、七一五年に好字二字令が出されています。
当然、この命令には、不比等の意思が働いています。
私は、この命令は、日本語の基層言語たる縄文語(アイヌ語に近い言葉だと推測されます)の流れを汲む地名の抹殺にあると考えています。
国津神=縄文系の歴史の抹殺です。
記紀の成立も当然これと軌を一にするものであり、記紀から、百済系、新羅系を導けるというのは、本末転倒です。
それこそ、天皇制の呪縛にかかったままですよ。

さんかうぶ - 2001/10/26(金) 05:54<
すみません、一人称の{我}も使用します、(間違い発見)。
ただし、{甲}は主語としての文頭には来ません(のはずです)。

さんかうぶ - 2001/10/26(金) 04:45<
先ず、間違い訂正をします。
ツングース系は高句麗でした。

ピンクのとかげさん
元々の韓人である百済、新羅は文化面で中国(今の中南部)と交流が
比較の上でより大と推測され、{唐系}と(私が)言ったまでです。
人種からではありません。それは、繊維関係や焼き物関係に於いてです。
一方、漢人とは常に相入れなかった(長城より外の)東北アジア騎馬民族
のツングース系の高句麗は、鍛冶関係や牧畜関係が得意だったようです。
勿論、お互いに、一部、オーバーラップも存在するとは思いますが。
こんな文化面での差を基礎にした区分わけに於いてで、
どなたかが忍者との系統を説明されるのではないか、と言ったわけです。
Donglyさん
現代北京語では、人称としては{伊}{甲}は使用しませんし
世界中の華僑達で共通語として使用されている華語にも使用しません。
ただ、古式の流れを保っている福建語系では現在もさかんに使用されて
います。ただしこの説明はあくまで口語が主でして、文語は無知です。
{我}、{称(禾遍を人遍にして下さい)}、{他}が1、2、3人称順です。
2人称だけは{伊}{甲}と共に、使用しますので、{伊}{甲}を対になる、
と(私が)敢えて言ったわけです。文献からではありませんです。
つるこさん
半島の民族と歴史、民俗に御詳しそうですね、今後もここの板との
関わりで、御教示下されば、有り難いです。

とんちんかん小僧 - 2001/10/26(金) 01:38<
やぞーさん
>忍者や忍術の重要拠点である伊賀・甲賀がどうして百済系だと単純に
>言えるのか教えて下さい。
文献の羅列だけでは限界があるというのは十分承知しておりました。
でも今の私には、それ以上の事を知るすべがないんです、今は。
何時か自分の足でもって調査する事が夢です。
自分のルーツも含めて。
その時、本当の真実が判ればいいなと思っています。
『部落解放』さっそく注文しました。楽しみです。

Donglyさん
>毛利の忍びに世鬼一族がいたそうです。何者でしょうか?
世鬼一族についても、また書きますので首を長くして待って
もらえないでしょうか。前に『陰陽忍軍歌』書いた後に書こう
と思ったんですけど、気分次第で何書こうかって決めてるので
Donglyさんがろくろっ首にならない間に書きますよ!

ヤゾ− <http://www.kumanolife.com/History/dna.html> - 2001/10/26(金) 00:32<

日本人固有の遺伝子

みなさん こんばんわ

このサイトの中で いろんなところでリンクされ 意外に多くの人が見ているページがあります。
それは日本人・韓国人・中国人の遺伝子を簡単に紹介したものですが 
その中で 日本人固有の遺伝子を持つ人が 本州に住む日本人の中で4.8%というのがあります。

その4.8%の人たちというのは どういう人たちなのだろうかと考えてみたことがありました。
それは 縄文をベースに 渡来系の人たちと友好的にバランス良く融合した人たちなのではと想像しました。
そして  その人たちというのが サンカを始めとした人たちではないかと夢想したりしました。

みなさんは どう思われますか。

ヤゾ− - 2001/10/26(金) 00:12<

『漂白に生きた人々』

『部落解放』誌の十一月号に『漂白に生きた人々』という特集で
被差別民と漂白民の関わりなどを沖浦教授が寄稿されていて
「川と生きる」では、
最後のサンカといわれる方の手によって、
明治以降の「川縁の漂白民」について、かなり子細に調査報告されていますので
ぜひ、ご一読のほどをとのメールをある方から頂きました。
それで午後から時間があったので とんちんかん小僧と一緒に県立図書館に行って探して見てみました。
川漁の様子や竹細工などの写真を交えて かなり読みごたえのある本でした。
残念なことに 貸出し用の本ではなかったため 大きな書店を何件か探してみましたが
置いてあるところはありませんでした。
ネットで調べてみると 出版元の解放出版社というところで買えるようなので注文しました。
興味のある方は 買って読んでみて下さい。 630円でした。

http://kaihou-s.com/index.htm

つるこ - 2001/10/25(木) 19:36<

こんばんは。

DONGLYさん、さんかうぶさん

百済、高句麗の人々は今の満州・中国東北部のツングース系(何をもって。。系としているのか、言語?)
といわれていますが、一国の中に幾つもの民族・部族集団がいて、系統も異なる集団がいたのではないで
しょうか?
別にのちの渤海に限らず高句麗国内にも、ツングース系の諸部族が包含されていたことは想像に難くは
ないと思いますし、百済にしても支配者層はプヨ(夫余)系とされますが、被支配者層は南韓土着の民と
いうことが(全員ではないにしろ)考えられます。

また、少し脱線しますが、現在のツングース系を見ても出自はいろいろ(アイヌ系、ニブフ系の出自を
持つ集団もしばしばある)で生業も習俗も単一ではないし、一つの集団としての帰属意識をもっている
わけでもないようです。
また、幾多もの基層文化の上にツングース系の言語などが被さっているとの論もあります。

これほど複雑な様相をもっている上に、長年 他地域、他集団との接触、興亡もあり
現在の集団=古代の集団 となっていると考えるのはどうか(誰が考えているということではないですが。。)とも考えます。

DONGLYさん、「被り物」のご教示ありがとうございます。

蕨手刀について:舞草刀は、私が思うに別個のものと見たほうがいいと思うのですが、大和刀の源流と
なたと聞きます。
また、蕨手刀は交易でエミシ集団を超えてハヤトやアイヌ族に流入していたようです。

ところで「萬サ」さんとは郡上八幡のアマゴの職漁さんとちがいますか?

ピンクのトカゲ - 2001/10/25(木) 17:25<

新羅または伽羅系とする根拠は

Donglyさん
新羅または伽羅系とする根拠は?
また、伽羅と新羅の関係をどのようにお考えか?
主張する以上は、根拠を示しましょう。
これでは
納得も反論もできません。

Dongly - 2001/10/25(木) 15:53<

いっぱい教えて

おミヨさん
伊の原字は甲>出典を教えて下さい。
百済人の鹿深臣>「鹿深臣」・・これ南都雄二(芸名の由来も)?
鬼室集信がおり甲賀は薬学にも長け。木素貴子などの兵法家も渡来し武術を伝
えて>これも特徴的な薬や治療法、武術は後の何流派でしょうか?
バリ師さん
長良川中流には1990年頃は三人の竿師が、とか。「川をなぶったら、あかん」
コンクリートは止めて、石垣・石積・石敷にすれば、どうでしょうか。水は30
%以上は工夫で使用量は減り、再利用のシステム作りで更に減り、ダムや堰増築
は不要。節水時期に調査した事があります。また水道料金の値上げも不用。
ピンクのトカゲさん
百済、高句麗は、夫余族が源とか。夫余族はツングース系>『夫余記』に夫余
自体が「五ケ」と呼ばれる五「部族」からの交代政権とあり、万世多系で、
「高麗記?」には失政・汚職があれば「王を殺せ!」の声が上がったとあり。
ヤゾーさん
楠正成がなぜ百済系?>記憶によれば苗字からです。またゲリラ的やテロ的な戦法
からも感じませんか。正成の人糞武器は今流行の「生物学的武器」でしょう。
とんちんかん小僧さん
毛利の忍びに世鬼一族がいたそうです。何者でしょうか?また毛利自体が忍びと
いう説があります。成る程、毛利家紋は江戸期忍者や目付家紋に類似ですが。
毛利は新羅系とされる新羅三郎を祭った安芸の国・武田を滅ぼしました。
徐福は忍術、捕鯨、紙の製法、医療、織物法を日本人に教伝>。具体的に分か
りませんか?後代まで残ったものがあるはずです。
さんかうぶさん
古式中国語では{伊}と{甲}は対語、{伊}三人称単数の「彼あれ」、{甲}
一人称「我、自分」>後半は『学研・漢和辞典』で確認。前半の出典を教えて。

おミヨ - 2001/10/25(木) 13:04<

こんにちわ

天智治世より百年前の敏達13年7月に、百済人の鹿深臣が渡来してきて甲賀を開拓し、甲可から甲賀に
転かしたという説もあるようです。
また、残されている伊賀の伝承には、平安時代の中期、荘園主の交代によって、甲賀三郎兼家が藤原氏の荘官となった時点で、北辺の甲賀地域が伊賀の国から分割され、近江の国に編入された。もともとは伊賀の国であった証拠として伊の原字甲をとって甲賀となづけたといわれています。奥瀬平七郎さんなどは、後記を
とられているようです。

忍者が百済からの帰化人説としてもいろいろあるようです。
天智8年(669)、近江朝を創設した天智天皇が、旧百済人を700人ばかり蒲生郡に移住させた。
これらの一族が甲賀郡に移住、その中に鬼室集信などの薬学者がおり甲賀は薬学にも長けていた。また、
木素貴子などの兵法家も渡来し武術などを伝え、忍術の大本である「用間」の術も伝授。
その他にも色々説があります。

楠木正成は、河内地方の一土豪で、その一族は散所の長として、古くから、地方の一勢力であった正成の家も、伊賀における服部氏同様、帰化人の末流ではないかと・・・・・・・・。

質問の意味が違っていたらごめんなさい。

ヤマガラこれからみます。


バリ師 - 2001/10/25(木) 12:19<

おお萬サ!

まさかここの掲示板で「萬サ」の名前がでてくるとは思いもよりませんでした。

長良川の「萬サ」、山本素石をして「宝石のような男」と称され、今西錦司がサツキマスについて教えを乞うた川漁師。愛嬌がありユーモアもあったと言う。

萬サは、長良川河口堰に対して「川をなぶったら、川が怒る。きっと川が暴れるぞ。」 「どんな魚道を造ったってアカン。川はぜんぶ魚道なんやて。」と言葉を発した。

五代続いた鍛冶屋の息子で、手先が器用で竿はもちろん、魚篭もタモもエサ箱も自作した。1992年、長良川の川開き(渓流の解禁日)の日、2月1日に亡くなっております。

「萬サ」に、何故かニューオリンズジャズのクラリネット奏者ジョージ・ルイスの姿を重ねてしまうのは、私だけでしょうか。まったく妙な組み合わせなんやけど・・・。

Dongly - 2001/10/25(木) 12:08<

ひとつの理解・誤解

ヤゾーさん
<魂置と霊置の意味>たま(魂・霊)→たま=玉と、シンプルに考えています。
<忍者や忍術の重要拠点である伊賀・甲賀がどうして百済系?体術関係では確
か新羅三郎義家(新羅系?)をルーツの一つの説>現在までの政治的な役割。
楠木正成はなぜ南朝天皇を擁して長期の戦いをしたのか?人相、あり方からで
す。1つの集団の支配層は例えば忍者では「上忍」などは百済系、下層の「下
忍」は新羅や高句麗などの構成ではないでしょうか?組織を階層構成として考
えねば、単純に何々系とはいえない。これが「複雑さ」の原因でしょう。
「何々系」というのは上層部の「人種」を指しているのでは?地名では現われ
てます。例えば桃里があっても親分がいるのでなく、子分の「矢の者」が多か
ったり、検校谷があってもそこにいたのは高々「座頭」身分でしょうから。
<忍者、修験道、能やお茶の日本独自の物>日本的とはいかなる意味ですか?
定義みたいなものが欲しい。共通性は「賎民」のあり方や文化のようです。
ピンクのトカゲさん
<オレもそんなに単純なものじゃないと>古代史は不勉強ですが、史料上の議論
が多いので、物理的・化学的方法によらないと確定しないかもしれませんね。
天皇陵とされる古墳発掘・研究、しかし既に改竄された物もあるようですね。
ただ天皇制度に思想的に隷属する考古学者に期待できるのかの疑問もあります。
記紀を前提にすれば、唐・百済・高句麗・新羅などの「グループ名」は使わな
いと議論にならないのではないですか。
<天御影はニギハヤヒと共に天降。ニギハヤヒは何系になるんですか?>新羅ま
たはカヤ(国)系・・・多分ウガヤ(上加耶・辰韓)系人でしょう。宮崎の宇土
神宮、宇賀神が関係と推定しています。従って記紀ではカヤが出ず、アラカヤ
(下加耶)すらもでず、先住民のニギハヤヒは神話化され、敵視されたのでは。 
<この何系何人という概念。戸籍という概念を前提>戸籍制度は確か国を前提と
するものでしょう。従って記紀以降でしょう。私の理解は高々通りです。
 すぐには結論がでないと思いますが意見・議論をボチボチ続けて下さい。

ピンクのトカゲ - 2001/10/25(木) 07:47<

八切説で説明できない項目

ヤゾーと同様にオレもそんなに単純なものじゃないと思う。
日本書紀にこれも明らかに親新羅派の天武が遁甲を能くすると出ている。
また、後、近江国造となる大田陀牟坂は、近江三上の祝・天御影の後裔である。
この天御影は、ニギハヤヒと共に天降ったとされている。
ニギハヤヒは、何系になるんですか?
こんなところも八切説では、説明できません。
もっと根本では、じゃぁ天皇家は、一体何系何人なんですか?
この何系何人という概念。戸籍という概念を前提とするものです。
倭の国籍は?などという愚問
これと一緒です。
魏誌東夷伝を見ると韓人と倭人の名(特に新羅)は、類似してます。
倭人と新羅についても、意見をお聞かせ願います。
八切は、前にも言いましたが、人種と民俗の区別がついていません。
だから、古代になると、支離滅裂になるんです。

これに絡んで、さんかうぶさんに質問
唐系朝鮮人ってなんですか?
百済、高句麗は、夫余族がルーツとされています。当然、夫余族は、ツングース系になります。
ツングース系朝鮮人の新羅と夫余族をルーツとする百済、高句麗は、どう違うんですか?

ついでに、もう一つ
おそらく、甲賀を百済系とする前提として、鹿深の臣=百済系からのものと思います。
しかし、おミヨさんが、提起したように、甲賀−伊賀の対応ということになれば、この鹿深の臣の意味も変ってきます。
別所という概念も再構築する必要があるのでは
八切は、アイヌについても、振れていませんから、エミシーエゾーアイヌといった問題についても、八切では説明できません。


さんかうぶ - 2001/10/25(木) 03:41<
ヤゾーさん
詳しい事は お二人さんに任せるとして、
唐系朝鮮人の百済、高句麗。ツングース系朝鮮人の新羅。 又、その後の
渤海国の絡みかも知れませんね。 これ、間違いだらけならスミマセン!

ヤゾ− <http://www4.ocn.ne.jp/~tamaki-j/> - 2001/10/25(木) 02:25<

玉置神社公式サイト

う〜ん 流石に玉置神社公式サイトだけあってお詳しい!

「霊峰 玉置山・玉置神社読本」も面白かったです。

http://www.ne.jp/asahi/network/tamaki/

それになにより そういうGAINAさんが サンカに興味があることが面白いですね。
宜しかったら 相互リンクなど して下されば嬉しいです。

ヤゾー - 2001/10/25(木) 01:33<

みなさん こんばんわ

>そうすると玉置神社はやはり魂置か霊置でしょうか?どっちの玉ですか。

玉置山・玉置神社の名前は、神武天皇がヤタガラスの先導で吉野へ入る前に
玉置山にて兵を休め 勾玉を置いて東征の祈願をしたことに由来していたと思います。
しかし それより遥か以前から 玉置神社のもととなった玉石社の磐座を信仰する 縄文自然信仰があったと思われます。

魂置と霊置の意味がはっきりと分らないのでなんとも言えませんが
玉置神社は玉石社の磐座を始まりとしていますので
その磐座とは神籬(ヒモロギ) 霊籠る(ひこもる)という意味があると思いますので霊置でしょうか?

>やっぱし伊賀・甲賀は百済系なのでしょうか?
上の質問については、【06/27(水) 14:10<】に書いた通り>br>百済系だと私も思っています。

お二人にお訊ねします。

忍者や忍術の重要拠点である伊賀・甲賀がどうして百済系だと単純に言えるのか教えて下さい。
忍者の武術である体術に詳しい方に聞いた話では、確か新羅三郎義家(如何にも新羅系)を
ルーツの一つとしていたような気がします。
忍者といえば 裏の仕事だと思います。支配者側である百済系が何故そのような仕事を与えられていたのですか?
どちらかというと百済より新羅の方が理屈があるようもの思いますが、これも単純な考えでしょうか。

それと、楠正成がどうして百済系なのかも教えて頂けたらと思います。
友人の画家が 楠正成の肖像画を見ると どう見ても縄文系の顔だと言います。
渡来人や渡来の文化なくしては この国は語れないと思いますが
忍者 修験道 能やお茶などの日本独自のものは 
そのベースに 必ず独自の文化や感性があったはずだと思っています。
NHKの『日本人はるかな旅』では そういうことも伝えたかったのではないでしょうか。

クミコさん こんばんわ
介護の学校へ行きはじめたんですね。
がんばって下さいね。

おミヨさん ヤマガラの写真は トップページにリンクしています。

GAINAさん こんばんわ

玉置神社行きたかったのですが 用事が出来てしまい今は出先からです。
GAINAさんが 「玉置神社公式サイト」の管理人だとは知りませんでした。
早速 今から 見せて頂きます。

GAINA - 2001/10/25(木) 00:06<

暖かな玉置山でした。

皆さん こんばんは!

玉置神社例祭も無事終了しました。
玉置神社広報という立場で300カットの写真を収めました。
盛大なお祭りでした。
ヤゾーさんがお見えになるのではと思い気をつけていましたが・・・。

実は 「玉置神社公式サイト」「霊峰 玉置山・玉置神社読本」の
ホームページをGAINAが制作いたしております。
「霊峰 玉置山・玉置神社読本」には面白い情報を掲載しておりますので、
よろしかったら見てやってください。
霊験新かな神社ということで、役の行者、空海他主だった宗教者が修行しています。
今ある皆様ご存知の新興宗教の教祖の殆どが参拝に来ていますし、
亡くなった河島英五さんも生存中の最後の仕事で、
玉置山の自然を物語風エッセイを書き下ろしています。
神事の全てを本殿の中で撮影しましたので、
画像掲示板にそのうち投稿いたします。

玉置神社に関する古文書も探していますので
お心当たりの方はお知らせください。
「十種神宝」の阿比留文字による古文書の存在は判っているのですが・・・。
皆さん、よろしくお願いいたします。

とんちんかん小僧 - 2001/10/24(水) 15:30<

忍術の発生の関連人物(1)

御色多由也(おいろたゆや) [生没年不詳]

★伊賀流忍術の祖か

 伊賀流、同流忍術の祖といわれる。第七代孝霊天皇の頃(孝霊元〜七十六=前290〜215)
の人物という。
 延宝七年(1679)、菊岡如幻(じょげん)の書いた『伊乱記』に、
〈――不断未明より午の刻までは士農工商各家業の所作を励まし、午の刻より暮れまではひた
すら武法弓鳥(ぶほうきゅうちょう)の道を磨き別して惻隠術(そくいんじゅつ)を鍛錬す。
上代より伊賀の遺風としてその古(いにしえ)の御色多由也より謀術(ちょうじゅつ)を伝へ
て……〉とある。
 孝霊七十二年(前219)に、中国秦の始皇帝の臣徐福(じょふく)が不老長生(ちょうせい)
の仙薬を求めて渡来、仙薬を探したが見つからず帰国を断念、忍術をつたえた、と。
 御色多由也は、その一人で、忍術というより仙術で、これを修行すると「千里眼の術」「穏形
の術」「夜視の術」「水火に入る術」「身が軽くなる術」「一(ひとつ)の身が分形して数十人
になる術」など、幻化の事九百余もできるという。『真説忍者列伝』(小山竜太郎著)は実際に
は疑問、できたと見せるために呪文を唱えたり魔術を使い人の目を惑わせたのか、と。御色多由
也は女性、または徐福だったのか。


Donglyさん
>やっぱし伊賀・甲賀は百済系なのでしょうか?
上の質問については、【06/27(水) 14:10<】に書いた通り
百済系だと私も思っています。

Dongly - 2001/10/24(水) 12:19<

蕨手刀とクズナの赤い花

 さんかうぶさん つるこさん 有難う「舞草の刀」。
ぜひ一度現物を見てみたいです。
確か、蕨手刀は俘囚関連と言われますが、愛媛宇和町(山田薬師・別所・笠置・
赤間などの地名あり)は冬季が寒い内陸の盆地です。全体が別所と思われ、
蕨手刀が出土しています。江戸期伊達が入る頃まで曲家が多く、「大きな家に
住むのは生意気」とて伊達が禁止したとあります。また米の干方が他と違うの
は有名(エミシ風か?)で、赤米・黒米なども作り、雑木林になるクズナの新
芽を食べる特徴があります。若い郷土史家の話ですが、「自分の家の言葉はク
ラスでも違う」ので、国語教師に聞いたら、「それは万葉言葉だ」と言われた
そうです。
 ヤゾーさん  
そうすると玉置神社はやはり魂置か霊置でしょうか?どっちの玉ですか。
長良川の中上流域付近は、鮎・あまご・岩女・五月鱒の影の濃い所だそうです
『萬サと長良川』。
 おミヨさん とんちんかん小僧さん
やっぱし伊賀・甲賀は百済系なのでしょうか?会った印象ではそう思いますが。
記紀には「出身国名」、「人種」や「部族」がはっきり書いてあるようですね。
歴史学や民俗学が「民俗学」を避けているので、困っています。

おミヨ - 2001/10/24(水) 10:06<

ヤマガラはどこに???

おれへんかったですよー

>古式中国語では{伊}と{甲}は対になる言葉でして、{伊}は三人称単数
>、つまり「彼、あれ」、{甲}は一人称で「我、自分」です。
さんかうぶさんのおっしゃるように古来からの音称ではなく、漢字の転用からで甲賀そのものに特別な意味はないようです。はっきりとはわかりませんが・・・・・・。

伊賀と甲賀になぜ忍者が発達していったのか?         つづく

つるこ - 2001/10/24(水) 07:01<

舞草刀

>「草舞」の名刀、

本タイトルの名では?
広義に蕨手刀の範疇に入っていたりしていますが、
見てくれはだいぶ異なります。

岩手県南、一関市東部に「舞草」地名があってここが鍛冶の場所だったと聞きます。
銘には「俘囚OOOO・・」とあったような。。

さんかうぶ - 2001/10/24(水) 04:50<
Donglyさん、おミヨさん、とんちんかん小僧さん、ありがとうございます

Donglyさん、いやはや詳しく御存じなので、果たして資料役に立つか?。
このシリーズ本はポピュラーでして、上級者には頼りないかも知れません。
それと、俘囚の刀鍛冶の件は、確か谷川健一編「金属と地名」だったと
記憶していますし、小川氏と言う人が詳しく研究し出版しているはずです。
「草舞」の名刀、 既に御存じかも知れませんね。

伊賀の名は{伊勢}からでしたか。甲賀の名を付けたのが「時の為政者」。
あまり詳しくはないのですが
古式中国語では{伊}と{甲}は対になる言葉でして、{伊}は三人称単数
、つまり「彼、あれ」、{甲}は一人称で「我、自分」です。そうすると
時の為政者が言語に明るかったわけですね。普通は甲乙丙丁とします
ので。これで忍者の起源を中国系と証明出来るのではないかと
ほくそえんでいたのですが、ペケでした。

クミコ - 2001/10/24(水) 00:46<

サンカ度57

みなさま こんばんは
ご無沙汰していました。
心理テストをみるとツイしてしまう愚かな私です。

この10日から介護の学校にいっています。
ここでも心理テストがあったのですが、
介護には向かない性格でした・・・

GAINAさん ヤゾ−さん玉置神社お祭りいいですね!
思い託しています。



ヤゾ− - 2001/10/24(水) 00:05<

玉置神社

みなさん こんばんわ

>熊野奥之宮 玉置神社の例大祭が24日午前10時から行われます。

GAINAさん ありがとうございます。
行って 「ぜんざい」食べて 餅拾いしたいです。
確か 山伏が 護摩を焚いたりもするんですよね。
山小屋から 2時間近くかかりますから
行けたら がんばって 行きます。

玉置神社に始めて行ったのは もう10年以上前になります。
夕方 川湯温泉で入浴し 風がとても気持ち良かったので
そのまま ふら〜と玉置神社まで足を伸しました。
地図をたよりに 山深い道を何度も迷って行ったものです。
急峻な山に へばりつくようにして数件の民家が集まったところを最後に
(こんな山奥にも人が暮しているんだと驚いたものです)
真っ暗な鬱蒼とした山道を 30分くらい登ったところに玉置神社の駐車場があり
そこにクルマを止めて寝ました。(人の気配が全くしない不思議な空間で 少し怖かったです)
真夏だというのに 寒くて 星空がとても綺麗で 夢ばかり見て よく眠れなかった思い出があります。
たぶん 都会の人が始めて行ったら なんという山奥にある神社なんだと驚くと思います。
朝早く起きて 朝霧の中 駐車場から神社まで 森の中を歩いたのは とても清々しくて気持ち良かったです。

玉置神社については その存在を知る人は あまり多くないようですが
出自がサンカとも噂される出口王仁三郎が 最高神と位置づけている
この世の創造神である国常立尊を主祭神とし 日本最古の神社の一つといわれている神社です。
また 玉置神社の奥の宮である玉石社には 国津神・出雲系である大巳貴命が祭祀され
摂社の三柱神社は 全国の稲荷神社の発祥の地であるともいわれています。

玉置神社の写真は http://www.kumanolife.com/Topics/6_23.html にあります。

おミヨさん ヤマガラの写真 見てくれました?

ヤナさん サンカ度 心理テスト 100点目指して がんばってね!?

ヤナギムシ - 2001/10/23(火) 23:35<

kekekekke

やなぎむし・・サンカ度70に進歩しました
  んばんなんやろね
      悲しい言葉

        うれしいことば

            なんなんやろね

         けけっけけけなんか・・へへっへ酔うてます

             っけけっけけけけけけ

とんちんかん小僧 - 2001/10/23(火) 13:54<

中国発生説 その1

徐福伝来説

 第一の中国伝来説は、中国秦の始皇帝の命を奉じた徐福という文化人が、不老長生の仙薬
をさがすために、はるばると旅をして、孝霊天皇の御代に、熊野新宮付近に渡来上陸した。
徐福は帰化したという説と、自分は中国に帰還したが、伴ってきた女性二人を日本にとどめ
ておいたとも伝えられている。徐福は忍術、捕鯨、紙のすき方(製法の法)医療、織物の法
などを日本人に教え伝えたといわれている。
 延宝七年(1679)に菊岡如幻著の『伊乱記』中に
「上代より伊賀の遺風とて、そのいにしえの、御色多由也(おいろたゆや)より謀術を伝え
て……」 とあるのは、徐福か、二人の女性を指すと解釈されている。御弓路太夫(おゆろ
たゆや)と書かれたものもある。

さんかうぶさん
どうしようかと迷っていたら、助け舟が…
おミヨさま、適切な解答ありがとうございました。

おミヨ - 2001/10/23(火) 13:34<

今日は秋晴れで爽やか

甲賀地方は、古代においては伊賀地方と区別されず、伊賀郡の一部として存在していて伊賀、甲賀両群
の住民達は同族であった。伊賀の称は、孝霊天皇の即位3年に、伊賀、伊勢両国に、大和朝廷の統治権
が確立した際、命名。「伊勢の国は、伊勢津彦の国也、伊香は伊香津の知召国也、其国臣之を知る」
(日本書紀)従来から自称していた名をもちいた。
伊賀,伊勢の原住民は、もともと同種の民族、伊賀(IGA)は山の中、伊勢(ISE)は平野を意味する呼称
漢字が入ってから伊賀(香)伊勢の字があてられた。
伊賀郡から、甲賀郡が分郡したのは奈良朝にはいって後のことで、その当時の為政者が新郡を甲賀と
命名した。分郡後も、ほとんど変化なく人情,風俗,文化は、依然として同一郡的に相互交流をしてい
たが、徳川期に至り封建制度が、両者を隔離、伊賀はこの時代名目的に寺社荘園の支配下にあり、伊賀
の地侍達は、よるべき守護を持たなかったが、甲賀郡は、近江の国に属していたため、近江の守護という
中央政権につながる武家政権に、直接支配されていた。伊賀の地侍は、連合政権を造り各自独立していた
が、甲賀の地侍は、嫌でも、近江の守護の統治に服さねばならなかった。      つづく

日本で最初に間者を用いた人は、聖徳太子で、太子は伊賀の国人、大伴細人を側間として用いたといわれる。
とんちんかん小僧さん大伴細人について書いてください。楽しみにしています。





Dongly <http://www7.ocn.ne.jp/~iyasi> - 2001/10/23(火) 11:41<

奪われた小太鼓

さんかうぶさん ありがとうございます。
「日本民俗文化資料集成(8){妖怪}号」 内198頁。
図書館にもありますので借りてみます。
 長者も別所の長吏の流のようで、丹波由良の山椒の長吏と同類でしょう。
女主人が多かったようで人買もし(最上婆のように)、クグツなど遊び女
もおき、付近に鍛冶屋地名がある事から中世の往還沿いにあったようです。
ご指摘のような修験が噛んでいる場合は女主人は、前比丘尼でしょうか。
修験を宗教者のみと捉えると五来さんの『修験の研究』ですか。
<念仏踊り系や白山系祭りの踊り、修験花祭り系に多く、「かんこ踊り」
「念仏おどり」>
 一遍のはじめた時宗も、一遍が中世期乞食の隠語であるように、最下層に
なった別所の者を絡め取った宗派です。野史呼び名辞典では、北部九州の諸
芸能が、九品念仏、声聞師、美麗田楽にしろ、別所の流をくむ、諸寺社に
隷属した産所や印内がの系譜を持つもである事が、推定されます。昔諸芸能
の多くが寺社の隷属民です。階層の中で、神事や芸能者は最上位者で、童子
村に住む者が下位です。童子すら米作り自作農や庄屋の初まりですから。
 神楽などもこの観点から見る必要があるかもしれません。本来の数多の小
太鼓が一つの太鼓に強制された歴史は、また魂を奪われた住民系の歴史です。
 民俗学は東三河の花祭を観察してますが、ここはピンクのトカゲさんの
カスミ(またはチシキ・シマ・マグサバ)です。

さんかうぶ - 2001/10/23(火) 04:25<
みなさん こんにちわ

Donglyさん、出典の件です。
三一書房 「日本民俗文化資料集成(8){妖怪}号」 内198頁付近に
書かれています。 要約しますと、
米も満足に採れないのに祭りの資金が有る、つまり、非鉄金属
が採れる、又は、炭焼き長者、(又は、出稼ぎ長者)との推測で、
いずれにしても、またしても {かなけ}! です、
当然、{かなけ}には修験者が絡んでいますし、修験者には
中央構造線(地学)が絡みですね。 修験と{かなけ}に関しては
少々勉強中でして、その内に投稿する予定です。

{かぶりもの}と祭りの件、別所関連とのこと、私も直感で薄々感じてました
。たしかDonglyさんもどこかに書かれていましたね。
これは出典資料は有りませんが、私の直感でした。。。調べてみると
(ネット上で)、念仏踊り系や白山系祭りの踊り、修験花祭り系に多く
見られます。「かんこ踊り」「念仏おどり」などでサーチすると、興味深い
結果が得られます、皆さん一度御試しあれ。

とんちんかん小僧さん
伊賀と甲賀の地名は、忍者より先か後か(時代上)、ご存知でしたら
教えて下さい。




とんちんかん小僧 - 2001/10/23(火) 01:18<

忍術はいつ、どこから日本にどう伝わったのか? 

インドバラモン源流説

 忍術の発生、伝播ほど、深い謎につつまれていて捉えどころのないものはない。
 ある人はインドがその源流であろうと説く。インド文明の起こった紀元前4000年頃に、インドの
社会階級四種のうち、貴族階級にあったバラモンから起こった仙術(魔術・幻術)は、紀元前550
年頃中国に入り、老子の道教と結合して、中国で独自の発達をとげ、それが仙術として日本に仏教
伝来の後、伝来した。仙術を修行すれば、千里眼・隠形(おんぎょう)の術・夜視の術・身を軽く
する術(飛行)・水火に入る術・分身術(自分の形を数十人に増えさせる幻術)など九百余種類
の幻化術を行うことができるとされている。
 隠形の術、身を軽くする術、夜視の術などは、かなり忍術的で、バラモン源流説も、全く荒唐無
稽と笑いとばすことはできない。なぜなら、東洋の武術などはインドから起こったと考えられない
事はないから。(詳しくは判りませんが。)

GAINA - 2001/10/23(火) 01:02<

祭りに行きます。

こんばんは!

奈良県十津川村・霊峰玉置山の
熊野奥之宮 玉置神社の例大祭が24日午前10時から行われます。
以前にヤゾーさんが訪ねられ、熊野ライフ通信に掲載されています。
熊野花の窟、産田神社、神倉山・神倉神社と並び、
古代磐座信仰の原点ともいわれる神社です。
樹齢三千年以上という杉の巨樹群や枕状溶岩など見られ、
豊かな森が残るまさに霊峰です。
標高1,000mの頂上近くで食べる処もありませんので
当日は「ぜんざい」などが振る舞われ、栗はありませんが、餅撒きはあります。
写真撮影をしてきますので
また画像掲示板に写真を送ります。
腕章をして撮影していますので
ヤゾーさん、時間が取れましたらお越しください。

http://www4.ocn.ne.jp/~tamaki-j/
http://www.ne.jp/asahi/network/tamaki/


ヤゾ− - 2001/10/23(火) 00:09<

豊かな森の国

みなさん こんばんわ

バリ師さん 「日本人はるかな旅」 よかったですね。
出土品の編んだ籠を見た時に 思わず瀬降りサンカが作った壁に掛けてある籠と見比べてしまいました。
なんだか よく似てました。

この国が 世界にも稀にみる多種多様で豊かな森におおわれていたことを思うと
この国に生まれてよかったと あらためて思いました。

つるこさん Donglyさん 
『もののけ姫』にでてくるジバシリではないですが
獣の皮を被ることで 人目を避けるようにして暮していた 
村の話を何処かで聞いた覚えがあります。

サクラさん 食欲の赴くままにしていたら
タヌコみたいに・・・(-_-;)
もう言いません・・・ (^人^;)
 

サクラ - 2001/10/22(月) 23:56<

こんなとこが...

DONGLYさんこんばんわ

なぜか
>ところで秋祭で餅撒きがあります。皆さん餅拾いに行きましょう。そして写真を
>見せて下さい。来年は雑煮のコンテストと食べ歩きしませんか?
ここのところだけ、
字がおおきくみえちゃいました....

うーん、
栗にお餅...うふふ
考えただけで楽しくなります!

あはは、どうも色気より食い気がかっちゃう、秋だもの!

秋の実りの豊かさに
オコゼの好きな山の神様
感謝しちゃいます!

Dongly - 2001/10/22(月) 22:14<

かぶりもの

つるこさん
ボシダありがとうございます。博多祇園よりいわれがありそうで見たいものです。
<被り物は最初から兜などでしたか?かつて動物の皮?>
 熊本球磨地方では兜、宮崎西都市では鎧、宮崎近郊では確か大臼、となってた
ようです。町村史持っていますが未読。臼太鼓踊で検索すると、画像が見えます。
赤熊と聞いたのは兵庫県の??でダムの近く無住の寺あたりだった?、神社に祭
時の踊りの古い写真があり、舞手が被っていました。後者は別所の流れ、前者も
別所の流のイボロ系が受継ぐ業や文化と見ています。確証はいまからです。
神楽とか山伏を研究してる住込みの民俗学者に捉まり、忙しいので余り話したくな
かったのですが2時間位「尋問」されました。宮崎には旧内藤藩は福島相馬郡から
「団七踊り」と共に来ています。神楽や山伏踊、箕舞、十五夜踊などありますから
、別所・山伏・サンカでしょう。ある方が「ここにサンカはいますか?」と尋ね
、「そのような被差別民はいません」と一蹴した教育委員会課長にも会いました。
 この辺りのある集落では他でサンカを「ありよし」と呼ぶそうです。
熊本と宮崎の県境には鷹の巣山。南峯には海彦・山彦を祀る市房山があり、戦前は
数万の人出があったそうで、山サンカの聖地の如き印象です。
 ところで秋祭で餅撒きがあります。皆さん餅拾いに行きましょう。そして写真を
見せて下さい。来年は雑煮のコンテストと食べ歩きしませんか?

Dongly - 2001/10/22(月) 21:39<

kaburimono


被り物は最初から兜などでしたでしょうか?かつて動物の皮を被ったりしていませんでしたか?

つるこ - 2001/10/22(月) 19:09<

補足

連続すみません。

ボシダ(BOSIDA) だと「ご覧になる」の原形ですか。
会話などでは ボシンニダ:BO-SIB(M)NIDA/ボショヨ:BO-SYEOYO/ボシヌンダ:BO-SINWNDA
で使われます。

BO は 見る(BODA)の語幹、SI は尊敬の接辞です。

つるこ - 2001/10/22(月) 18:54<

赤熊

DONGLYさん
>朝鮮語で「見ましょう」の意味とかの説があります。

みましょうは 「ボブシダ(BO‐B-SI-DA)。または「ボジャ(BO−JA)[見ようぜ]」です。
ただ、中世以降大きく変容していますので(母音調和の崩壊、過去形の接辞の追加など)、
現代語そのまま適用できるかどうかは怪しいです。この時期は変容後ですか。

>また大和魂と戦ったエミシのリーダーに、確か赤熊の名があった様に思いますが。
>エミシまで遡っては調べてませんが

被り物は最初から兜などでしたでしょうか?かつて動物の皮を被ったりしていませんでしたか?
シャーマニズムにおいてそのような踊りがあったと聞きます(エミシがシャーマニズムを持って
いたかどうか知りませんが)。岩手において鹿(しし)踊りというのがあります。
ひょっとして脱線??

ところで赤熊はどこの(別所、または東北)リーダーですか?

バリ師 - 2001/10/22(月) 18:02<

夢うつつ

日曜日、朝4時起きのバリ釣りやったもんで、その夜は眠い目をこすりながら、「日本人はるかな旅」を見ておりました。二箇所ほどカッと私の目が見開いた場面がありました。

一つは出土品の中で「蔓で編んだ籠」。何千年もの前の手仕事の編目模様に何か胸が熱くなりました。今でも使い込まれて飴色になった竹魚篭なんか、もう頬擦りしたくなるほど好きなんですなあ。

もう一つは「漆」でありました。和竿に置かれた「本漆」のてかりもええもんですなあ。

その頃、魚釣りはあったのか知らん?大雑把に言うと「旧石器時代(火を使わない)はモリとかヤスで魚を獲っておりました。新石器時代(火を使う)に釣りという竿(棒?)と糸(麻?)と鉤(骨?)が世界同時発生的にでてきた」という文章を読んだことがありますが・・・。

何千年もの時空を超え、もしくは遠く離れた地球上のあちらこちらで、共通する何かsomething。そこに静かに永遠を見据えていくと、民族・宗教・体制とかの違いや差異ではなく、人として、人間としての自然な道が見えてくるような気がいたします。

番組が済んだあと、私も嫁はんに「栗食いたい」と所望しておりました。

さんかうぶ - 2001/10/22(月) 04:32<
Donglyさん、ヤゾーさん、こんにちわ
{出展}の件、ちょっと御待ち下さい、すぐ報告します(今日は時間切れでして)。

最近「日本の中の朝鮮文化」なる本をよみましたが、まったくもって、
イ、ロ、イ、ロ、と考えさせられる内容でした。 それでは。

ヤゾ− - 2001/10/22(月) 00:05<

縄文と栗


みなさん こんばんわ

さんかうぶさん Donglyさん こんばんわ
なかなか 面白そうな お話ですね。
もっと 聞かせて下さい。

『日本人はるかな旅』の第3集「海が育てた森の王国」見ました。
やはり サンカは 縄文をベースにした民のように思いました。
縦穴住居の中で 焚火を囲んでの 一家団欒の様子はなかなか良かったです。

なんだか とても 栗が食べたくなったので 残っていた栗を茹でました。
山栗は 小さいけど とても甘くて 美味しいです。

Dongly <http://www7.ocn.ne.jp/~iyasi/> - 2001/10/21(日) 19:37<

かぶりつき

さんかうぶさん☆ 次の文が気になります。
祭に関して。大変な山中で、自分達が食べる米すら満足に採れぬ土地にも拘らず、盛大な
祭が昔から存在する所。異常に大きなカブリ物を被って舞う祭、それは大きければ・・・。
 これ出典をおしえて下さい。
 これはエミシ→別所特有と聞いてます。確かに調査でも別所らしき場所にあります。
例、熊本・宮崎には鎧や大兜を頭に載せて踊る「別所」もあり、兵庫の別所では被り
物を赤熊(あかしゃぐま)とします。「続・野史呼び名辞典」には、【赤熊】愛媛新居
郡西条で頭の赤い子供の如き妖怪で、座敷ワラシ(『遠野物語』に出てくる)に類似。
【赤頭】信州岩田村金峰山・土佐吾川郡生賀生に住む山男、とあります。
また大和魂と戦ったエミシのリーダーに、確か赤熊の名があった様に思いますが。エミ
シまで遡っては調べてませんが。

Dongly - 2001/10/21(日) 16:04<

言葉狩りと忍び

今日の朝日新聞に熊本市白川沿いにある藤崎宮の祭りボシタの記事があり
ます。62頭の馬を追い、一万六千人、観客三十万人とか。加藤清正が
侵略侵略時に必勝を祈願した神社。その後「朝鮮滅ぼした」の意味でボシ
タと受け取られたそうです。他にはボボした(SEXするの方言)とか朝鮮
語で「見ましょう」の意味とかの説があります。
「伝統に従う」に対して在日団体や歴史教育者が抗議してやめさせたそう
です。でも在日の作家は「不快な思いをする人がいるという感情的な理由
で言葉を消すのは・・・。考える回路を断って、言葉だけ封じても。結局
どの立場の人も納得できない・・」。といってます。
 差別語は地名や苗字になっているいます。差別語を真に追求するなら、
地名や苗字を追求することです。しかし考える回路を持たないか、使わない
人が多いようです。加藤清正は朝鮮で貰った梅毒が原因で死亡の俗説があり
ます。しかし熊本市本妙寺近くには清正の廟があり、西国から戦前ライ者が
大勢お参りし、戦前近くに彼らの「楽園」を作ろうとしたが、日本政府が弾
圧し、離婚などで家庭破壊、「島送り」や「断種」した歴史があります。
患者達は当時の責任者に対しては「等価報復」をまだしていません。反省のた
め必要でしょうか。藤野著『医療とファシズム』。この著者には関連の者から
の嫌がらせが多かったそうです。またライ者を「セイショッコ(清正公)さん」
と呼ぶ地方もあります。
 朝鮮侵略の加藤軍の先陣に、ハチヤ・イボロがいたようですが、宮崎西臼杵
郡の踊りの由来にあります。とんちんかん小僧さん紹介の「忍びの戦法」です。
「自虐史観」と唱える人は、この歴史をどう考えているのでしょうか。もしか
したら古の「祖国」を侵略したことになるかもしれません。
 ハチヤはエミシ・別所の流れのようですが、またサンガの類とみています。
サンカの仲間なのでしょうか?心当りある方はよろしくお願いします。

さんかうぶ - 2001/10/21(日) 03:20<

ピーヒャラドンドンを考える

縄文弥生時代、大陸江南やインドシナやはるか南島から
渡来の民由来の国津神系神社は、本来海洋民族であった事も
あり、海の彼方に彼岸が存在するとの理念であり、
霊験あらたかな時間は、太陽が(沈んで)海の彼方に帰ってからで、
星(特に北斗七星)を頼りの航海術だったと推測され、それゆえの
拝火信仰(=夜を尊ぶ)を持っていたので
祭礼は夜間に行われていたのではないかと推測されます。

しかし、その後、半島から流入してきた民族は騎馬民族だったので
海には特別の感情を持ち得ないゆえ、又、古来の国津神を凌駕せん
が為に、太陽信仰を確立し、天津神系神社に統一し、祭りごとは
昼間に行うようになった、しかし、抵抗の強かった地域には、今だに
夜祭りが残っている、例えば秩父の夜祭りなど。

しかし、矛盾も有り、飛鳥古墳の壁画に見られる北斗七星の絵は
なぜか?、私の現在の知識では判りません。

祭りに関してでは、以下が要チェックでしょう。
たいへん山の中で、自分達が食べる米すら満足に採れない土地に
も関わらず、盛大な祭りが昔から存在する所。
異常に大きなカブリ物をかぶって舞う祭り、それは大きければ
大きい程。

やぞー - 2001/10/21(日) 00:39<

ヤマガラ

みなさん こんばんわ

>楽しみにしておりましたNHKの『日本人はるかな旅』の第3集「海が育てた森の王国」

min-minさん お久しぶりでした。
「海が育てた森の王国」 楽しみです。
ありがとうございました。

>第5巻のタイトルが「日本列島を漂泊していた流民たちの豊穣な世界」

もんむーさん そては楽しみですね。
五巻目に それをもってくるあたりに 五木氏の意気込みを感じますね。
きっと 素晴らしい内容のものだと 期待しています。

サクラさん こんばんわ
素敵な休日を過ごしたようですね。
巫女の舞いって 何度か見たことがありますが
舞っているときの巫女さんって ゾクっとした魅力的がありますね。
僕も 今日はよい時間が過ごせて とてもリラックスして
今まで 爆睡してました。半分惚けてます。

とてもよい天気だったので 表に椅子を持ち出して
1時間ほど ヤマガラを眺めていました。
いくらヤマガラが 人懐っこいといっても
いきなり懐いて 手乗りヤマガラにはなりません。
やはり そこには信頼関係がなければ無理です。
でも 今日は1時間 外に座っていたので
随分 ヤマガラも慣れて すぐ近くまで寄ってくるようになりました。

動物は 本来 人間が好きなのだと思います。
そして とても人に興味があるように感じることがあります。
人を観察して 危害を加えない存在だと分れば
無条件に信用して トモダチになれるように思います。
そういうことを 肌で感じることができたときには
とても幸福と共に安らぎを感じます。

サクラ - 2001/10/20(土) 23:56<

小さい秋みつけた

おユキちゃん
  私もドングリ五つ拾ってきましたよ!

min-minさん・もんむーさん
  素敵な情報ありがとう!
    明日が楽しみになりました。
      それに五木さんの本がまたまた楽しみに...

東京都下の府中まで小さい秋見つけに行ってきました。
  瀬織津姫の祭られる
    小野神社と稲荷神社は静かに秋の気配につつまれて
      ひとりとてもいい時間を過ごせました(^^)

大国魂神社は
  今日の良き日に結婚式が雅楽の中で挙げられて
    巫女による五十鈴の舞いが奉納されるのを
      垣間見ることが出来ました...
七五三や、お宮参りのかわいらしい子供らもいて
  騒がしい世の中に、末永く幸多かれと祈ったことでした。

大国魂神社の摂社に宮之メ神社にはアメノウズメノミコトが祭られていて
むかしは武蔵国中の神職らが集まって7月の12日から青袖の舞衣を着て舞い
13日には本社拝殿で杉の小枝を手草として舞う「杉舞祭」があるそうな...
創立は本社と同じ景行天皇41年(111年)ころからという。

瀬振場で有名な多摩川の分倍河原の近く
  甲州街道沿いの神社は
   きっとサンカの人々の目印通りみち..
     
そんな秋みつけたよ!
  でも、やぞーさんのように途中に温泉なんてないのです...
    あ〜、秋色につつまれた、やぞーさんがうらやましい(^^)

もんむー <http://members.jcom.home.ne.jp/mommoo/> - 2001/10/20(土) 21:46<

日本人のこころ

五木寛之さんの「日本人のここ」シリーズの第2巻が出版されていたので買っ
ちゃいました。サブタイトルが「隠れ念仏の九州と隠し念仏#の東北」です。

非合法の信仰をひっそりと守りぬいた人達の話です。権力に背を向けて自分達
の精神生活を守る姿がサンカと呼ばれた人達とだぶって気になってました。

この第5巻のタイトルが「日本列島を漂泊していた流民たちの豊穣な世界」だ
そうです。隔月刊予定だそうですから、おそらく来年の春ごろですかね。
楽しみです。

でわでわ

min-min <http://www.inpaku.nhk.or.jp/nihonjin/> - 2001/10/20(土) 09:06<

NHK番組『日本人はるかな旅』

管理人のヤゾーさん、みんさん、おひさしぶりです。
すっかり秋も深まり食べ物の美味しい季節となりましたね。

楽しみにしておりましたNHKの『日本人はるかな旅』の第3集「海が育てた森の王国」
がやっと明日、10月21日(日)午後9:30より放送予定とのことです。
本来でしたら10月14日(日)に放映されるはずだったのですが、確か今回の同時多発
テロの特別番組で放送延期になったと記憶いたします。(こんなところにテロの影響が出
て来たわけですね。)

同番組に関するURLは http://www.inpaku.nhk.or.jp/nihonjin/ です。
右上のURLをクリックすると見られます。ご参考まで。

ヤゾー - 2001/10/20(土) 00:05<

雑木林に戻したい!

みなさん こんばんわ

サクラさん タヌコたち まるまる太ってきたけど
たぶん 寒さに備えて着太りしているのだと思います。
よく タヌキ汁といいますが
ほんとうに 昔の人は タヌキを食べたのかなぁ?
食べたら可愛そうとかは別にして
どう見ても 美味しそうではないです。

おユキちゃん お久しぶりです

落ち葉の季節に 雑木林を歩くのはいいですね。
小鳥の鳴き声と落ち葉を踏みしめる音 
森の匂いのする爽やかな風
それに 雑木林では いろんな動物たちとも出会えたりしますね。
そんな雑木林は ほんとうに少なくなってしまいました。

山小屋のある山も 30年前は 雑木林だったそうです。
松茸も採れたそうで サルもたくさんいたようです。
でも 前の持ち主が 雑木林を切り倒して植林したのです。
たぶん 国から補助金が出たのでそうしたのだと思います。
その植林したヒノキも 林業不況により 手を入れずにほったらかしの状態でした。
10年ほど前 山を買ってから雑木林に戻そうとして ほんの少しですが手を入れました。
それで 今は 植林したヒノキの間に シイやナラ クリ等の雑木が生えて
植林した木にとっても 雑木にとっても 中途半端で良くない状態です。
ほんとうは もっと がんばって 作業すればいいのですが
最近は なにもしないで 怠けてます。

生きる為に お金を稼ぎ
そのお金の為に 貴重な時間を多く費やし 命も費やしていることに
とても 空しさを覚えたりします。
飢えることさえなければ お金にはならなくても 雑木林に戻す作業をしたり
ヤマガラやタヌキと戯れていた方が 身体や精神にとって
よほど  幸福なことなんだと思います。

おユキ - 2001/10/19(金) 12:52<

里山も秋

サクラさん、みなさん、こんにちわ。

近くの里山も、少しずつ紅葉が始まってます。

赤く色付いたガマズミの実が綺麗です。
霜がおりるころになると甘酸っぱくなって、
小さいころにはよく食べましたよ。

秋の雑木林を散歩するのって、
風が爽やかで好きです。

とんちんかん小僧 - 2001/10/19(金) 01:55<

古代の忍び (7)

夏焼大夫(なつやぎだゆう) [生没年不詳]

★帝室宝庫を狙った伊賀者

 伊賀流忍者の祖ともある。第七十四代鳥羽天皇の時代、皇室の御物(宝物)が蘭林坊、
桂芳坊の御倉に納められていた。永久元年(1113)三月十三日の夜、雨中、蘭林坊御倉に
盗賊が忍び込んだ。夏焼大夫、神仁の一味で、皇室の御倉を襲い、御物を盗んだという。
左衛門志中原明兼が追跡して桂川辺で合戦となり、夏焼は、松尾山に逃れるが、京に再び
戻った宿で検非違使平忠盛らによって捕縛された。失敗に帰したが、民家ならとも角、
なぜ、夏焼は皇室の宝庫を狙ったのか。当時の皇室の皇位継承問題に関連があるのでは、
また夏焼大夫が中央権力との繋がりの有無もすべて歴史の闇、と松田修氏は指摘されている。
 夏焼とは地名から見ると、『大日本地名辞書』の伊賀国名賀郡大家戸の項に、夏焼村
という地名ありと。                               終

* まだ、ここにあげていない古代の忍びも何人かいますが別の機会にとり挙げてみようと
思っているので今回は7回でおしまいです。

サクラ - 2001/10/19(金) 00:53<

はい、こんばんわ

だれかさんが だれかさんが 
  だれかさんが みつけた
    小さい秋 小さい秋 小さい秋みつけた

まだまだ、みつけてないのに
  今日の東京は12月の気温だったとか...うーん、寒いはず
    皆様、うたたねなどしてお風邪を召されないように(^^)
      そして、タヌコの襟巻きや尻当てなんて考えられませんように!
        タヌキ汁も思い出さないでね〜やなさん!

DONGLYさん、ピンクのやぞーさん
  八切の説も交えて、又楽しいお話してくださいね。
    ファンがいっぱいいるんですから(^^)

ヤゾ− - 2001/10/19(金) 00:05<

犬神一族の陰謀とは!?

みなさん こんばんわ

D.Godot.Sさん 律儀に覚えて下さっていたのですね。
ありがとうございます。
『犬神一族の陰謀』の単行本化 とても楽しみです。
某銀行のルーツを調べ シノガラに迫った内容のものだそうですね。
こちらこそ 今後とも よろしくお願いします。

D.Godot.S - 2001/10/18(木) 15:54<

ヤゾーさんへ

『犬神一族の陰謀』(坂口義弘作/白土三平画)は、『歴史と現代』(歴史と現代社発行/新國民社発売)に5回に渡って連載されていた傑作だそうです。このHPでの発言を、坂口義弘氏に教えたところ、かなり前の連載なのに話題にしている人がいるとのこと、驚いておられました。氏は現在、ここでの話題をきっかけに、単行本化することを検討しているそうです。詳しく決まりましたら、またここでお知らせいたします。では、今後ともよろしくお願いいたします。

ピンクのトカゲ - 2001/10/18(木) 10:18<

どういたしまして

Donglyさんは、八切と違って、フィールドワーク十分されているから、確かな結論出ると思うんです。
それに私も期待してるんです。
そんなわけでちょっと辛口になってしまいました。
八切説の中には、磨けば光る原石もあります。
ちょっと距離おくと見えてきます。
ほんと期待してますよ。
地名からと言うことになれば
『和名類聚抄』、『風土記』、『記紀』等、古代に遡れる地名の考察からはじめれば、面白い結果が出るのではと思います。
古代についての質問があれば、なんなりと
私も勉強不足ですが、応えれる範囲でお答え致します。

Dongly - 2001/10/18(木) 08:30<

分かりました

ピンクのヤゾーさん
 八切説についてありがとうございました。私が言ってるのが八切説なのか
自分が調査や民俗的方法からいってることなのか、分別できなくなっていま
す。おいおい八切を再読してみます。
 三河とサンカ(出雲系)はどちらが語源なのか不明ですが、やはり関係
ありそうですね。私の場合は地名から仮説をたてています。トカゲさんの
「穂の国の歴史」は検証の1になるかもしれません。ありがとうございます。

とんちんかん小僧 - 2001/10/18(木) 00:41<

古代の忍び (6)

鬼童丸(きどうまる)[生没年不詳]

★京の都を荒らし回った盗賊

 平安時代(1020年頃)の盗賊。茨木童子(いばらきどうじ)とも酒呑(しゅてん)童子とも
いった。前身は比叡山大師坊(だいしぼう)の稚児だったという。修験者、山伏から忍術の技術
も学んだろうといわれている。
 この鬼童丸の京都荒らしに閉口した朝廷は、源家の多田満仲の長男頼光に討伐を命じた。
 ことの次第は、池田中納言の一人娘が鬼童丸にかどわかされたことからである。頼光は、渡辺
綱、坂田金時(きんとき)、平井保昌、碓井貞光、卜部秀武(うらべひでたけ)ら五人とともに
岩清水八幡、熊野権現に願をかけた。
 山伏姿に変装した一行六人は、笈(おい)に武器を隠し、龍事(りゅうじ)の砦といわれた鬼
の岩屋に潜入した。岩清水、熊野では神便鬼毒酒という酒と星兜を頼光に与えたという。
 頼光ら六人は、それらを持参し、首尾よく鬼童丸を逮捕した。が縛られたところを見た頼光は
、「手ぬるい。もっと鉄の鎖できつく」と指示する。それでも鬼童丸は脱獄した。そして鬼童丸
は頼光の寝室の上まで達し、天井から落ちてきて頼光の命を狙った。気づいた頼光は危うく難を
逃れた。鬼童丸はその後も執拗に頼光を狙ったが、ついに某日、頼光は鬼童丸の裏をかき、遠矢
(とうや)で射殺したという。

ヤゾ− <http://members.jcom.home.ne.jp/mommoo/index.html> - 2001/10/18(木) 00:11<

お元気ですか!

みなさん こんばんわ

ここのところ 少し忙しいこともあって 投稿が疎かになっています。
ご迷惑をおかけしています。

新しくなった 風の王国 掲示板も ご利用下さい。

もんむーさんが 新しくホームページを公開しています。
そちらの方も よろしくお願いします。

ミス蜜柑さん 戸祭力さんって 意味深な名前ですね。

http://members.jcom.home.ne.jp/mommoo/index.html

ヤナギムシ - 2001/10/17(水) 23:08<

わっしょいわしょい!!

ダンジリかつぎよんねんデー-ェ
  神輿とちゃいますよ・・ぅ

   勇壮やねーーぇ

     おっさん、ヤナはみてるだけーーぇ

         画像もみてね

ミス蜜柑 - 2001/10/17(水) 02:56<

月曜日の読売新聞の記事ですが

「遊び半分」で人ひき殺す…当時少年の3容疑者逮捕




 宇都宮市の鬼怒川河川敷で1995年、廃品回収業の男性を車でひき殺したとして、栃木県警宇都宮東署の捜査本部は14日、当時少年だった、宇都宮市内に住む24―25歳の会社員の男3人を、殺人と盗みの疑いで逮捕した。3人は「遊び半分で何度も車をぶつけているうちに、ひき殺してしまった」と供述、容疑を認めている。

 調べによると、3人は、95年4月9日午前1時から2時ごろ、同市石井町の鬼怒川左岸の河川敷で、近くの小屋で生活していた住所不定、廃品回収業戸祭力さん(当時47歳)を、「酒があるぞ」などと言って誘い出し、軽乗用車ではねて殺害した疑い。車は犯行前日、日光市内で盗んだものだった。

 3人は中学校の同級生。


これから、調べようと思ってますが、この記事以上の内容のこと(他の新聞で見た!!。地元では有名な話ゾナ!)など、心当たりのある片は、お教えください。



とんちんかん小僧 - 2001/10/17(水) 02:09<

古代の忍び (5)

安倍晴明(あべのせいめい) [延喜二十一〜寛弘ニ(921〜1005)]

★式神を操る京の陰陽師

 平安時代の陰陽師(おんみょうし)。陰陽道は忍術でいわれる気を察し、吉凶禍福(きっ
きょうかふく)を直覚(ちょっかく)する察気術(さっきじゅつ)。そのほとんどを陰陽道
から入っている。陰陽師は朝廷の陰陽寮に勤務していた。仕事は天文・暦数・天候を密封し
て申し上げることなど。陰陽師は『和名抄(わみょうしょう)』に「おむやうのつかさ」とあ
り、“おんみょうのつかさ”ともいった。
 安倍晴明は幼少時、賀茂忠行(かもただゆき)に陰陽道を学んでいた。ある時、忠行