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2001年09月01日(土)00時03分までのKumanolifeGuestbookへの書き込みです。


サクラ - 2001/08/31(金) 23:42<

おしらさまと瀬織津姫

おしらさまと瀬織津姫

エミシの国の女神
早池峰─遠野郷の母神=瀬織津姫の物語
菊池展明

『遠野物語』(柳田国男・佐々木喜善著)第二話に「大昔に女神あり」と出てくる、
この「女神」の名は瀬織津姫(せおりつひめ)といいます。東北の霊峰=早池峰(はやちね)山は、
宮沢賢治が愛した山でもありますが、瀬織津姫は、早池峰大神とも呼ばれ、
千年以上にわたって早池峰郷の守護神として大切にまつられています。
 この女神の名を、聞いたことがあるという普通の人はそう多くはないでしょう。
これは、神々の名の展示室のような『古事記』『日本書紀』に記されることがなかったからですが、
調べていきますと、名を変えられてではありますが、ちゃんと登場しています。
瀬織津姫という名を神々の歴史の表舞台に出してはならないとする大きな力が、
記紀の編集思想によって働いたことが、この女神の名が歴史から隠された理由でした。
このことを明らかにする話が本書の前半部分です。
 では、そのように隠された女神=瀬織津姫が、
どのように早池峰─遠野郷にまつられるようになったのでしょうか。
本書の後半は、これまでの民俗学で「謎」とされてきた東北の小さな神=オシラサマ
の背後に隠された神が瀬織津姫であることが明かされます。
遠野は、このオシラサマ・河童・ザシキワラシなどの里としてよく知られる土地ですが、
これらの小さな神々のルーツの神が、この瀬織津姫であることが明かされます。
 従来の歴史神話学および民俗学がよくふれえなかった領域は、
天皇制の発生の現場とその継続の過程でした。
瀬織津姫がこの天皇制の発生と継続の過程で、いかに消されようとしてきたかというのが、
本書の底を一貫して流れる、日本史全体を再考しようというテーマです。
 日本の庶民がこよなく愛してきた、おそらく最大最高の水の美神が瀬織津姫といってよいでしょう。
あなたの暮らす身近な場所のいたるところに、瀬織津姫はまつられています。
日本の歴史は、大事な部分が明かされていません。
瀬織津姫がわたしたちの国の歴史の根幹あるいは琴線にふれる、
すばらしい女神だということが、本書から伝わってくれることを望みます。
http://www5.ocn.ne.jp/~furindo/emishi.html

ピンクのトカゲさん!
こんな本見つけた...これは絶対に読まなければ!(わくわく)
大好きな鬼たちは、
零落し、鬼となったと言われるけれど、どっこい消されてなるものかって
太古の昔から、高笑いしながら生きている。
消されたって、あだなすものと言われたって、自分の血の中に、
鬼のやさしさや、愚かさや、強さ弱さがないまぜになって、流れてる...
封印なんかされないよ〜

無頼派・ンクのトカゲ - 2001/08/31(金) 22:18<

ポン吉さん始めまして

あっしは、三河の香具師のヤゾーの末裔でして、関西の地名は、あっしもなじみが薄く
タタラなんて難しいことは解りやせし、
そのあたりのことは、あかねさんに任せるとしやしやして、
古代史については、「ふでのまにまに」(菅江真澄)
伊勢の内宮なんて古いもんじゃありやせん。
持統以降のことですぜ。
もともとは、天照大神っていうのは、男神・天照大神(アマテルノオオカミ=天照国照彦=火明命)ですぜ。
この火明命=アヌさんがサンカの祖神ですぜ。
まぁいいやぁ話題になってた名前を亡くしたってのも、
記紀から名前を消されったってことですぜ。
持統(祖母)から文武(孫)の皇位継承っていう当時の政治的な思惑により、男神・アマテルノオオカミ(サンカの祖神)は、女神・アマテラスにされ、名前を亡くした(抹殺された)ってわけですぜ。
さわりの部分だけですいやせん。
あとは、なりゆき

ポン吉 - 2001/08/31(金) 20:14<

もっとわかりたい、but ポン吉

あかねさん、ピンクの蜥蜴さん古代史のカキコミ、カシコミカシコミ、見ております。
大変興味あるのですが、当方の浅学と関西地名のなじみ薄にてポン吉してます。
 一つお願なんですが、鉄の伝承をおおざっぱに解説していただけないでしょうか。
たとえば、国内産鉄原料の発見と製鉄、半島や大陸からの外来鉄との関係等。
 東では、8世紀の初めに新羅のひとが、上野国で国産銅を発見してわざわざ「和銅」と
改元してますね。でも鉄の普及はもっとさかのぼるようなのに、それほど騒いでる様に
みえません。
 タタラは、鉄だけに関連するのか、金属一般の技術なのか?
 今、「モリ」地名と金属伝承―続・日本山岳伝承の謎 谷有二を読んでるところです。
 よくわかってない故の大雑把なお願なのですが、よろしくお願いいたします。
 または、本を推奨してください。
   きょうかい でした。

きょうかい - 2001/08/31(金) 19:31<

かわいい

ポン吉は、タヌコのこどもなんですか?

にっちょ - 2001/08/31(金) 17:43<

トコブシ?

ポン吉、かわいいねヤゾ−さん。
野生の「たぬこ」でさえこんなになつくのに、姪のところのネコ(アビシニアン種)はゼンゼンなつきません。
野生の血が抜けきらないそうです。

消し去れない血の流れ、人間もおなじですネ。
議論、討論、意思の確認がお互いできるだけ人間として産まれた意義を感じます。
山窩歌謡に「陰陽法歌(かげひりのうた)」なんてのがありましたね。
山窩の血は精力絶倫だそうですから「マグヒノリ」なんてのがあったのでしょうね。

ヤナさん。
大皿にのっているのはトコブシですか?
ウマソ−ですね・・実は私も今年の夏は、素モグリまくりました。(漁業権を持つ方と一緒です)
箱フグはもうメチャクチャ美味かった。(食さない方には、なんてゲテモノなんだと思うかも?)

バリ師さん。
ホ−ムペ−ジの魚拓素晴らしいですね。
アイゴの引きはハンパじゃないですよネ、それを延べ竿でやりとりするところがオモシロソ−。
お子さま可愛いですね、将来やはり釣りキチかな?







バリ師 - 2001/08/31(金) 11:27<

和歌山のアイゴ釣り

きのう、サンテレビのビッグフィッシングで「和歌山田辺のアイゴ釣り」が放映されておりました。

私のバリ釣りは、筏や波止から延べ竿で釣りますが、和歌山は磯から、独特の田辺ウキやラセン仕掛けを使こたリール釣りであります。

小西会長が「グレよりもアイゴの方がシャープな引きをする」と言うとってでした。さもありなん!あれグレ師に言わすと「アイゴの引きは品がないでな」とかぬかしよるんですが・・・。

ウキのトップに赤い玉つけた田辺ウキをいっぺん使こてみたいなと自作しようと考えております。

ぽん - 2001/08/31(金) 09:47<

ポン吉の写真ありがとうございました。

こんばんは。ぽんです。
ヤゾーさん、ポン吉の様子、おかしいですねえ。りこうなんだか、馬鹿なんだか。
子供もそうですが、その間が抜けたところがかわいいですよね。
写真をとなりで見ていた子供が「けっこう細いんだねえ」と言っていました。
細面なのに、どうして、タヌキ顔て丸くされちゃったんでしょう。いつもいつも不思議に思ってます。

ひだる神に会ったら、何か食べるか、持っていなければ、手のひらに「米」て書いてなめると
良いそうですよ。ふふ。
うちは親、子、ともに水木しげるさんのファンです。
先日、NHKの公開番組に水木さんが出ると言うので、出かけました。
内容は子供ばっかりしゃべっていて、水木さんの面白い話はあまり聞けず、がっかり。
出演者は囲炉裏端に車座に座っていたんですが、、収録が終わり立ち上がる段になったら、
司会者も子供もさっと立ち上がったんですけど、水木さんは片手で立ち上がりにくいのか、
座り込んだままだったです。
そうしたら、司会者が「どうぞ立ち上がってくださってけっこうですよ」と声をかけたんですが、
手は貸さない。
水木さんは、見学者席を厳しい顔で一瞥すると、立ち上がりました。
(ここで、倒れるところを見られたらと気合を入れたたんだと思ったんですが)
「ひるどき日本列島」という番組もそうだけど、進行ばかり考えていて、人(素人のが多く出ます)を、
駒ぐらいにしか考えていない様子が見えるときが多々あって、気分が悪くなります。
見てるこっち悪いのか。
関係ない話で費やしてすみませんでした。考えすぎかもしれないけど、なんか悔しかったのです。

コスモス - 2001/08/31(金) 02:04<

爽やかな秋の風

ポン吉君の無邪気な顔を見ていると、心が和みますね。

それはポン吉君にはなんの邪念もないからでしょうか?

邪念のないアホな顔は、本当に大切なものを知っている顔のようにも思いました。

サクラ - 2001/08/31(金) 01:23<

このごろ..

涼しくなって、ついうたた寝してる...
      又今日も...

おゆきちゃん、見ました!映画!
    ここに来てると、いろんな見方が出来て、映画も楽しくなりますよね。

おユキちゃんのレスについ「うっそー」
だって、みなさんすごーい、書き込み量だから、
私だって気後れしちゃいそうで、うまくなんか書けないのですもの...

でも、いつのまにか忍び寄るのは
         秋の気配でしょうか...
あー、また天たかく馬肥ゆる秋が再び巡って来るのですね
         
秋の夜長には何思う?
         

やぞー - 2001/08/31(金) 00:01<

あははははは

おもろいです。
写真も見ました。
それ食べたら夏ばて治りそうです。

夕方前に子供のタヌキと遊んでいたら、
アホが移りました。
いや、もともとアホでした。

もしかしたら、子供タヌキに遊ばれていたのかも知れません。

ヤナギムシ - 2001/08/30(木) 23:35<

ケケケケ

うううん・・不景気やのに・・HAPPYなヤナの食卓
 ハニーの料理は、・・GOOODやねーーーぇ

   あははははは・・どや・・うらやましいやろ
  みなさん、すこしかわった・・カキコもええおもて・・画像掲示板にのしてみました

題名は、ネバネバ丼・・ご飯の上に、山芋やろ・なめこ・おくら・なっとう・・のり
  を、のせてできあがり・・・お醤油をかけて、めしあがれ・・

       おいちいい・・けけけっけけ
         どや・・うらやましいやろ

                 やなでした・・・なははははは
  

ピンクのトカゲ - 2001/08/30(木) 18:25<

名無しの神々

あかねさん
近所にも東栄町から出てきた人も多く、子供の頃、花祭り舞っていた人も多いです。
この花祭りも白山信仰との関連が深いことを指摘しておきます。
青玉の「湯立て」花祭りの湯立てと共通すれば、との意見
いずれにしても、記紀編纂時の持統の意思にもとに、男神・アマテルノオオカミを女神・アマテラスに変更する過程で名前を剥奪された神の系譜という点では、丹波(火明命等)、伊勢(瀬織津姫等)、穂(朝廷別王)とも共通の要素を含んでいます。
そうした可能性を持つ青玉神社が鎮座する播磨もまた名前を剥奪された神の地と言うことで興味あるところです。
とりとめなくてすみません。

とんちんかん小僧 - 2001/08/30(木) 15:56<

補足

おミヨさん
レス有難うございます。私も笛師銀兵衛が大好きです。
彼の表稼業である笛の音色は如何程のものか判らないですけど…。“楽聖”と呼ばれる
に相当する持ち主だったに違いないと思います。
銀兵衛とは関係ないですけど、現役のミュージシャンで私が敬愛している、イギリスの
JETHRO TULL(ジェスロ・タル)のボーカル兼フルート奏者のイアン・アンダーソンに
通じるものがあります。中山ラビやRENAISSANCE(ルネッサンス)のアニ−・ハズラム
と同じように…サンカ魂があるように思います。

あかねさん
>徳岡って馴染み深い名前なんですよ〜。
えっ?そうなんですか。知っている事を何でも良いですから教えて下さい。
戦国時代の忍びの話もいっぱいあるので順を追って書く予定です。
お楽しみに!!


 走りの一平(はしりのいっぺい) [生没年不詳]

 豊臣秀吉に仕えた忍び。近江国(滋賀県)醒ヶ井(さめがい)の透波で
“韋駄天”と称ばれていた。
 その名の通り速足の特技が買われた。
『見聞雑録』にある話で、
〈美濃(山梨県)より召し抱えた透波の名誉の者、変化の六平、龍馬(りゅうま)
の小八(こはち)ともうす者後直参の透波に召し出されるべく候。さりながら
拙者梅津在城の間はお預け下さるべく候、高坂弾正様に申せし候〉と。

 服部嵐雪(はっとりらんせつ) [承応三〜宝永四(1653−1707)]

 其角と並んで松尾芭蕉の双璧といってよい。江戸(東京)豊島郡の湯島に生まれた。
 壮年時、井上相模守に仕えた。当時は服部彦兵衛活助といったらしい。芭蕉の門に
入ったのはその頃という。俳名は治助、その句は質実、穏健。一派を雪門という。服部
の姓から伊賀忍者の名門服部氏の出とされ、ここから忍者説が出てくる。

あかね - 2001/08/30(木) 14:47<

霧の丹波

●「丹波 霧の里」というHPがあります。その中の「丹波由緒」で歴史について少し触れられてます。

   http://www.ne.jp/asahi/tanba/kirinosato/index.htm

 ここで色んな山や歴史をみてると、丹波人の心にちょっと触れられる気がします。
 といっても私の故郷は山を越えればすぐ丹波なので、気候は似ており、全般的な気質もやや丹波っぽい
 かもしれません。特に福知山とは言葉がそっくりですし。で、とりわけ兵庫の丹波は大変身近な地域で
 あり、帰省したら必ず、丹波へも出かけます。良い所ですよ〜。
 このHPからリンクしてる色々な山歩きのHPも、播丹但等の山々や各地域の歴史、地理・地形などを
 把握するために、かなり参考になります。

 過去ログを見てたら私、どうも特に天目一やアジスキ、道主女神の話を書き込むと、
 内容がダブる癖があるようです。ああ、もう…。すみません、です。

●ピンクのトカゲさま。確かテンショウと読むのだと思います。あんまり詳しくないのでよくわからないです。
 玉そのものは、玉の取れた地域(国)が近いので、神々や氏族の、玉の採掘地取得争いと、
 出雲、日本海連合国なんかとの関係もキーかなぁと感じます。
 青玉の湯立ては、伊勢系の湯立て神事ではないと思うのですが、そう感じるだけでホントのところは
 さっぱりわからないです。花祭りの湯立て神事と関連があれば面白い所ですが、いわゆる白山信仰
 そのものは、東播磨の奥播磨では全く聞いた事はありません。
 (丹波の白山には確か、加賀からの分社が今は麓に鎮座してるはずだけど。これも前に書いたなぁ)。
 ただ、“妙見山が兵庫県には5つあり、そのうち川西市の能勢妙見と、東播磨の奥播磨にある2つの
 妙見山、丹波山南町に位置する妙見山の4つが、一直線上に並んでおり”、とても興味深いです。
 ほんで故郷には「北辰神社」があり、戎さんともう一神(失念、豊受?)とともに、西向に三社並んで、
 同じ神域に同じ大きさの社殿で、祀ってあったりします。その並びは忘れましたが、社名は戎さんです。

●とんちんかん小僧さん
 完なのですか?もっと続けて続けて。楽しみに読んでます。
 特に戦国下での播磨の忍びの話には、その時代の播磨史の色んな大事な事が含まれてる気がして、
 ワクワクします。徳岡って馴染み深い名前なんですよ〜。

ピンクのトカゲ - 2001/08/30(木) 07:37<

しつこく青玉

あかねさん
崇神条の出雲(丹波)神宝献上事件の神宝→狭穂姫が燃え盛る稲城で掌に巻いていた勾玉→ヒカトベの子供の神託→ミカソの玉、なんていうのが、青玉かもしれませんね。桑田郡に出雲神宮(?)だったか鎮座してましたよね。また、教えてください。
それと、福知山のあたりにも『天照御魂神社』鎮座してましたよね。確か?
鎮座地の地名って、確か、天照って書いて、『テンショウ』って読むんでしたよね?
後に刃傷事件にまで発展した伊雑宮寛文事件。
伊雑宮でも、天照大神を「テンショウダイジン」って読ませてますよね。
伊雑宮の主張する「伊勢二社三宮説」、そして、「大成経」なんかひっかかります。
伊勢と丹波の繋がり、これからも情報お願いします。

あかね - 2001/08/30(木) 03:29<

かつての神々

 ヤゾーさん、神さまが零落して……に、の件ですが、書いててバチあたったらどうしょう、なんて
ちょっと恐くなってきました。一般にはそういう説が言われるそうですが、個人的にはめっちゃ、愛着の
ある大事な神さまたちです。何せ、曽祖母方の氏神さん達だったりするので(青玉さんじゃないのだけど)。
 零落というより、あまんじゃこなどは、縄文とか、かつての信仰の名残を現してるのかもしれない、
とも思います。忘れ石だったかな?がある山麓は、「日に向かう風信仰」の地で、縄文の太陽・鉱山信仰
の地ですし。さらに賀眉里の南部にある西脇市にも「天目一神社」があって、その社を中心として、
三方の山の頂きには「環状列石」も残ってますので。
 一本たたらについては、「鉱山跡に現れる」、あたりに畏怖される秘密があるのでしょうね。
以前、どなたかが書かれていたささやななえのマンガを思い出すナァ。

あかね - 2001/08/30(木) 02:59<

九頭竜さん

●ヤゾーさん
  夏バテ大丈夫ですか?私はようやく夏ばてから立ち直って元気。んで、暴れててごめんなさいね。
 滋養のつくものをいただいて、元気をつけてくださいね!
  井沢氏のご先祖が龍野の出だとは初めて知りました。出雲と宇佐だけが「死拍手」って、ホントに
 不思議なことですよね。色々、想像してしまいます。
  そう言えば、司馬遼太郎氏の父方(祖父)も播磨(姫路の飾磨<英賀(あが)>)で、別所氏と
 姻戚関係にあった英賀(あごう)城城主・三木氏(讃岐の河野氏の出)を盛りたてた、「英賀衆」の
 一つだったそうです。ほんで司馬さんのおじい様が出られた村の氏神は、確か天神さんだと思います。
 とすると、菩提寺は多分、あの大きいお寺だな〜。ビバ、姫路!

●諏訪大社の御柱
  って、本殿がなくて、方形の場に御柱を四本たてますよね。なぜ方形で四柱なのか。
 これは移動するタタラ場(「高殿」)が、四本の柱を立てた事にも由来があるそうです。ほ〜。
 方形なのは安來など山陰にある4隅が出っ張った方形墳墓とも関係があるらしい。
 そういえば、鎌足の墓とされるお墓や、カモツバだっけ?なんかも方墳ですね。 

●九頭竜
  役行者開基の天台修験大寺院「神峯山寺」(大阪府高槻市)がある「神峰山のお山」(寺山)は、
 地元では「九頭竜さん」と呼ばれてます。九頭竜さんとは「讃岐の金毘羅さん」のことだそうです。
 そうです、「えべっさん」なのです。
     http://www2.famille.ne.jp/~shindo/index2.html  ←神峯山寺HP
 何でも大昔はこんな内陸まで、お山の下は海だったから、という事だそうです。
 (そういえば京都の清水寺の下付近も、その頃は内海だったとか。よう、イメージしませんけど)。
 ちなみに同寺のご本尊は、日本最古級の毘沙門天像(北方を守護する)です。
  ほんで、神峯山寺近くの成合(なりあい)という所には、神戸あたりの浜に「像」が流れ着いた伝承が
 残ります。この像って何かナァ。不思議。
  それから、高槻は藤原氏の別荘かな?があった所で、藤原縁の地。鎌足も同地にしばらくおり、
 お墓も高槻に該当するらしきものがあります。確か鹿島神宮から移したお宮もあったと思う。
 継体天皇陵(オオドノ王←多)もありますね。
 前述の九頭竜さんをかつて祀っていたのは、藤原氏配下となった地元の海人系豪族で、その社は後に
 春日神社となりますが、神峯山寺麓の原村に今もあり、そこには「龍神踊り」?が伝わってます。
 藤原は尊称ですが、「葛原」の別名だともいうし、何か不思議ですね。
  きょうかいさんとふじこさんの書き込みから、こんな話を思いだした次第です。

ヤゾー - 2001/08/30(木) 00:41<

バスク語

バスク語は、スペイン、フランスなどの周囲の言語、つまりラテン語を母体とするスペイン語などの印欧諸語とは
本質的に異なる孤立言語であるのが非常な謎とされています。
文法的にはウラル・アルタイト語族に属していて、語順も日本語配列と一緒で、
語順やテニヲハの使い方は日本語と似ていて、民族的にはアジア言語が起源のアジアから流れてきた民族と推定できます。
ここにバスク民族と日本民族との不思議な接点が見出されるという説が語られています。

と、以下のページにありました。

http://www.sun-rise.co.jp/basque/MYSTERY.html

おミヨ - 2001/08/30(木) 00:24<

追記

>バスク人は黒い髪、黒い瞳、北欧にくらべ一様に小柄、この点からも日本人の血がはいっていると

バスク人全部がという意味ではありません。何人かに一人がということです。念のため。



ヤゾー - 2001/08/30(木) 00:05<

タタリ神

みなさん、こんばんわ。

ふじこさん、二度目の書き込み、ありがとうございました。
サンカの人たちが、自然を大事に思い、共に生きてきたことは意味のあることだと思います。
そのサンカの人たちを知ることで、自然を大事にする思いが芽生えれば、素敵なことだと思います。

おユキちゃん、お久しぶりでした。
サクラさんと同じくらい素敵な感想文だと思いましたよ。
クサレ神にするのも、もとの神さまに戻すのも人間次第なんですね。

もんむーさんも一年になるんですね。
ネットって時間の感覚が不思議な感じがしますね。
こちらこそ、よろしくお願いしますね。

あかねさん、そうですか。
神さんも零落すると妖怪になりますか。

先祖が播州竜野の出であるという井沢元彦氏の本に書いてあったことですが、
二礼・四拍手・一拝という拝礼作法があるのが、全国で出雲大社と宇佐神宮だけなのだそうです。
そのことを、井沢元彦氏は「死拍手」で、不幸な死を遂げたこよによるタタリ神を封じこめる意味があると考察しています。
そして宇佐神宮に祀られている比売大神をヒミコではないかとも考察しているようです。
菅原道真の例にあるように、神社の意味にはタタリを鎮める為のものが多いのかも知れませんね。

最近、猛暑の疲れか、なんだか元気がなくて文章にも覇気がありません。
じいじさん、お元気ですか。
たまにはお顔を出して下さると嬉しいです。

おミヨ - 2001/08/29(水) 22:33<

バスクandバローハ

min-minさん もんむーさん あかねさん 
いろいろ情報有り難うございました。
min-minさん
まとめて書いていただいて解りやすいです。

>バスク人に関するイメージで、なんか“重い石”を運ぶのが得意そうですよね。
>そんな伝統的なスポーツがあったと思うのですが。

バスクで尊敬される人は、よく走る人、草を早く刈る人、力のある人とか。
「力石」といって村の若者が112キロの砲丸状の石を肩にのせ競うというもの、つい最近、テレビで
放映しておりましたよ。これらのスポーツもバスク人の労働に関係しているようですね。

バスク人は黒い髪、黒い瞳、北欧にくらべ一様に小柄、この点からも日本人の血がはいっていると
いわれる所以でしょうか?フランコに抵抗する以前のバスク人は太古から臆病な民族で、ピレネー山脈に
上手に逃げ込む事ができたから、今もピレネー山脈のふもとで生活でき、残ってきた民族ではと言う事です

バローハはマドリッドで医者を2年程やっていて小説家になった人で代表作「知恵の木」の主人公同様、
厭世的悲観主義者で、ニヒリズムや無政府主義に共感、闘争や行動のうちに唯一の救いを見出し、
「冒険家サラカイン」などで行動の人をえがいたとか。また、「バスク」「マドリード陋巷図会」などもあり、私は、まだ、どれも手にしていません。「木賃宿の賊」面白そうですね。手にいれられましたら、また教えて下さいね
椋鳩十記念館如何でしたでしょうか?

おユキちゃんしばらくです。
「千と・・・・」私も早くみたいんだー、でも9月はいるまで我慢してます。ゆっくりみたいから。
雑誌ユリイカ 宮崎駿「千と・・・・・」の世界 買ってきましたよ。これから読みます。
内容、おもしろそうよ。

とんちんかん小僧さん つづき楽しみにしています。
笛師銀兵衛に胸トキメキ。





あかね - 2001/08/29(水) 21:57<

道主

●「一本タタラ」
 ヤゾーさん。
  そうなんです。アメノ(アマノ)マ(メ)ヒトツノミコト(天目一命)の零落した姿の一つが、
  一本タタラだとか、言われています。やがて妖怪になっちゃうんですね。
  大和鍛冶起源地に残る「大人(オオヒト)」伝承は、天日槍命(=海檜槍命←斉部氏など海人の神。
  アジスキタカヒコネノ命。多氏と関係深い)だと言われていますが、天日槍(矛)命=天目一命説や、
  宗像女神(道主女神)と天目一命のお子神が天日槍命だ、とも伝わっております。
  大人が、土地の「あまんじゃこ(天邪鬼←天探女)」伝説と繋がるのも、零落の形なのかもしれません。
  一晩で天への掛け橋が掛けきれなかったあまんじゃこの伝承に、その理由があるのかも。 
   それから前述した加美町には、紀州の「ひだる神」伝承もあります(南方熊楠が書いてますね)。
  南から北へとある地点まで歩いて行くと、疲れてある種、飢餓状態のようになって、
  「ひざるが憑く」というのですよ〜。「だ」が「ざ」になってるんですね。
  子供の頃にこれを聞いた時、どんなでっかいお猿さんが憑くのかと、メチャメチャ恐かったのを覚えてます。
  ひだる神伝説は、日本各地に残ってるそうです。

●「道主女神」
 ピンクのトカゲさん。
   そうでしょ!宗像女神となるのは、何だか不思議でしょ。でも宗像とするのに、兵主神社(青玉と
  同じ託賀郡にもあるのです)の各地への配置と、神功皇后の半島出兵への備えや、他にも一応、
  文献上で納得できる?理由付けはあるんですが、うろ覚えなんで資料で確認してみますね。
   今思い出せる理由としては、この地は「加古川上流に位置し、古代には瀬戸内海〜日本海を行き来
  できる海・川ルートでダイレクトに繋がっていた」事や、「大和朝廷直轄大杣山」(完成したのは7c
  .でも6Cから船材など山の幸を中央へ献上)地帯が近い事、加古川中流に「三木市の志染(しじみ)
  三宅」があったりして、「大和が中・東播磨を吉備制圧の足掛かり地とした」事によるようです。
   更に言えば「天目一と道主女神が婚姻せずにアジスキをもうけた」伝承に、わけが隠されてる
  のかも…。「針間鴨国造山(部)直の祖神が天目一命で、息長氏系」だとされており、賀茂配下として
  活躍し、青玉神社や、同地にある式内社も、この山直が祀ったものです。
   古代には丹波だった時期もあるので氷上の女神さんなんかも、関係あると考えるのが自然ですよね。
  まぁ、どうあれ、針間各地には古代、卑弥呼のように鬼道?によって地域を治めていた女神さんが
  首長としてあったようなので、この辺りに何か隠されているものがあるのやもしれません。
  バリ師さんがお書きの、日女道さんもそうです。日女、姫…。興味深いです。

●「バスク」関連再々
 もんむーさん
  前に書きました[ゴイハタ]という旅行会社のHPアドレスがありました。
  → http://www.goihata.com/Paginas/j.euskalherria.html
  それからこんなのも。→ http://www.alc.co.jp/mlng/wlng/basque.html
  やっぱり、あんまり参考にならないかも、です。既にご覧になってたらごめんなさい。

  「エル・スール」を見た事がありますが、バスクが舞台だとは全然、気付きませんでした。そうか。
  何を見てたんだかな。お父さんの時計と部屋の暗さ、土が白かったのばっか、覚えてる…
  でも前作の「ミツバチのささやき」の方がずっと好きだナァと思いました。
  あの女の子、メチャメチャ可愛いですよね!

 min-minさん
  どこかにあったと思ったのは、「バスク決死隊」だったのですね。すっきり。有難うございました。

もんむー - 2001/08/29(水) 21:06<

シブミ

Googleはパーフェクトな検索をしてくれていると思ってたんですが、min-min 
さんとおミヨさんのバスクについてのやりとりはヒットしてくれないんですね。
kumanolifeの掲示板ではおミヨさんの椋鳩十の話だけかヒットして、それだけ
かと思ってました。Google、意外とダメ。うーむ、ちゃんと過去ログには目を
通さなくては。

min-minさん
min-minさんの紹介されていたトレヴェニアン「シブミ」(ハヤカワ文庫)です
が、min-minさんのページや他の人の書評を読んだんですが、かなりの傑作で
あるという感蝕を得ました。バスクとアメリカ、日本との比較文化論として楽
しめるという評価もありました。早速読んでみます。

ヤゾーさん
もう一年ですか。僕がkumanolifeを見つけたのもちょうど去年の今頃だったと
思います。「戒厳令の夜」を読んだ直後で、ドキドキしながらヤゾーさんの文
章を読んだことを覚えています。ヤゾーさん、みなさま、これからもよろしく
おねがいします。

でわでわ

min-min - 2001/08/29(水) 17:37<

バスク関連再び

おミヨさん、あかねさん、こんにちは。

おふた方のレスポンスの良さには敬服いたします。
ないないとは言いながらも結構バスク関連書物があるものですねぇ。
ここでちょっとまとめてみます。

☆「フランス民話 バスク奇聞集」(堀田郷宏訳編/現代教養文庫1267・社会思想社)
☆ 狩野美智子著「バスク物語地図にない国の人々」渓流社
☆「バスクもう一つのスペイン」 現在・過去・未来 (増補版) 渡部哲郎 1987年 彩流社 
☆『街道をゆく22,23=南蛮のみちT、U』司馬遼太郎著 朝日文庫
☆『バスク人』ジャック・アリエール著 白水社新書クセシュ
                       ↑
                    訂正:文庫(実際は新書なんですけども)

To:おミヨさん

映画関連サイトで私が重宝しているのに次のものがあります。

http://cinema.media.iis.u-tokyo.ac.jp/

ここで検索かけて見当たらない場合には、あかねさんご紹介の「全洋画online」
が出てまいります。ちなみに「バスク」で検索しますと見当たらず、「全洋画online」
で一件『バスク決死隊』(1959)なんてのがひっかかってきましたが・・・(^^;;


バスク人に関するイメージで、なんか“重い石”を運ぶのが得意そうですよね。
そんな伝統的なスポーツがあったと思うのですが。
日本のどっかでも石臼みたいなものを何メートル運べるか、なんていう行事がありますね。

min-min@横浜

もんむー - 2001/08/29(水) 16:51<

バスク幻想

min-minさん、おミヨさん、あかねさん、情報ありがとうございます。私もこ
れからいろいろあたってみます。

きのう、おとといと飯田から天竜川にそって二俣にかけて行ってきました。飯
田の隣の喬木村では椋鳩十記念館を見学しました。そこでは7月に椋の山窩小
説をテーマにした宮下和男さんによる夏期講座があったそうです。記念館の職
員の方からその時のレジメを頂きました。それにはバローハの「バスク牧歌調」
のうち「木賃宿の賦」という短い文章が転載されていました。

「木賃宿の賦」はバスク人の木賃宿を切盛りする老婆とその客の話で、老婆の
同胞に対して愛情のこもったもてなしをする姿が描かれています。

またインターネットで調べたのですが、バローハ「バスク幻想」(芸林書房)が
入手しやすそうです。ただこの本はスペイン語の教材で、詳しい註釈があるそ
うですが、対訳があるのか不明です。それでも「木賃宿の賦」がなかなか味わ
いのある文章だったので、ヤフーショッピングで注文してしまいました。届い
たらまた報告します。

バスクに関する映画にはバスク出身のヴィクトル・エリセ監督による「エル・
スール」があるようですが、まだ未見です。アントニオ・バンデラス主演の
「暴走遊戯」もバスクが舞台だそうですが、ETAの話のようです。

百科辞典類を調べた限りでは、バスクの人々がサンカのような生活をしていた
ということではなく、椋氏はバスク人の精神的な側面を山窩小説にとり入れた
ということのようです。

芸林書房ホームページ
http://www.threeweb.ad.jp/~geirin/

でわでわ

とんちんかん小僧 - 2001/08/29(水) 16:06<

伊賀者・甲賀者とスッパ・ラッパ (3)

 ラッパとは、主として関東で使った言葉である。乱波などという字を当てる。
『北条五代記』に、その生態が明瞭に書かれてある。
「見しはむかし。(中略)この者を国大名衆、扶持し給いぬ。いかなる仔細ぞといえば、
他国へ忍び入り、山賊・海賊・夜討(やとう)、強盗して、物盗ること上手なり。才智
ありて、謀計調略をめぐらすこと、凡慮におよばず」
 のちに述べる有名な風魔小太郎は、相州ラッパの頭目だった。
 芸謡集“松の葉”の中にも、謡(うた)われている。ただし、ラッピとなっている。
「我ら都のラッピ洛外寅薬師(らくがいとらやくし)、しかも我らは申し子でな、浮
かれ者でござる」
 むかし、乱暴狼藉を働いていた男が、隠者の生活に入り、往時をしのぶといった歌だ。
 関西の歌だから、スッパというべきところ“洛外”に語呂を合わせ「ラッピ洛外」と
なったのだろう。
 このように、スッパもラッパも同じことだが、『爛カ〔木偏に可〕堂棋話(らんか
どうきわ)』にたいへん面白い話が載っている。
 秀吉が毛利攻めの陣にいて、本能寺の変を聞いた。さてどうしようと迷ったとき、
蜂須賀小六が進み出て、
「一六の了簡(りょうけん)」(一か八かの博打)
 でことを決すべきだ、と次のように言った。
「先年、筑前守殿もスッパ仲間の博打は御覧なされ、お手前にもおりおり、裸に
なっても御覧なされたるお覚えあるべし」
 秀吉と小六の出会いは名高い。
 この引用文によれば、小六の一党は、とりもなおさずスッパであり、秀吉はそこで
スッテンテンになるほど、博打をやったり、眺めたりしていたらしい。
 スッパたちの暮らしは、戦に雇われるか、盗賊を働くか、そうでなかったら、どうせ
博打ぐらいのものである。
☆彼らの生態の一例です、まだまだ謎が多いです。サンカとの結びつきも含めて。(了)

おユキ - 2001/08/29(水) 12:55<

千と千尋を見てきたよ!

日曜に千と千尋を見てきました。
夏休みが終わってからのほうが空いていると思っていたのですが、
思ったより混雑してなくて、ゆっくりと見ることができました。

前もってここでいろいろとお話を聞いていたので、
とても興味深く見ることができました。

クサレ神が翁の面に変身する場面は、
とても迫力があって印象に残っています。
人間が自然を汚すことで、名のある河の神もクサレ神になっちゃうんですね。
でも、そのクサレ神をもとの神さまに戻したのが人間の千尋なんですよね。

自然に対する強い思いや、抹殺された神々さまへの思いが、
作品の中に込められていたように思いました。

本当の名前を奪われ、取り戻すということにも深い意味が込められているのでしょうね。

サクラさんのように上手く書けなくてすみません。

おミヨさんも見てきたら嬉しいな。

ふじこ - 2001/08/29(水) 11:26<

80%山地

小学校のころ日本の面積37万平方キロメートルのうち、その80%が山地でしかもそのほとんどが山林であるといったようなことを教わった気がします。そのころは他の国のように広い平野がなく、山が海に迫るわずかな平野に大勢の人が住んでいることが他の国と比べて、非常に損しているような印象を持った覚えがあります。それから新田の開発にかけた昔の人の情熱を思わずに入られません。なぜなら水田の真ん中に、小さな盛り上がった丘のような部分があり、そこだけ雑木が茂っているので、何か祀られているのかなと思うと、お稲荷さんらしいお社がありました。ということは、そのまわりは初めはほとんど雑木林だったのだと思います。それから山中湖畔の国道の湖沿いのわずかな土地に水田があったりします。そうやって山野が開かれていくにつれ、漂白の民は住むところを奪われていったのかもしれません。また、日本の川も治水工事が行われていったり、汚れていったりしたため、漂白の民が野営できるような川はなくなっていったのでしょう、そんなこともサンカと呼ばれる人達が、常民と同じような生活をしていたなければならなくなった
原因ではないかと思います。でも、他の掲示板で、京都の山中に今でも戸籍も持たず言葉も通じず厳示唆ながらの生活をしている人達がいるといった書き込みを見たので、もしかしたらまだ、かつてのサンカのような生活をしている人達がいまでもいるのかもしれません。自然環境がよくなければサンカの人達が出来たような生活は出来ないと思います。サンカの生活は環境に負荷がなく、人間が自然と折り合って自然環境と調和して生きていける生活に仕方だと思います。

ピンクのトカゲ - 2001/08/29(水) 07:53<

道主女神

あかねさん
やっぱり、青玉神社オモシロイですよ。
『道主女神』宗像というのも不自然ですね。丹波の五姫、あるいは、天道日女あたりと関係があるのではと睨んでいます。
 丹波五姫ということになれば、日葉酢姫―倭姫というラインで縄文の水の女神・天知迦流美豆比賣<瀬織津姫>に繋がります。また、天道日女は、瀬織津姫の影が投影されています。
 津軽の『天后』は、天道日女が丹波から直接、津軽に行ったのでは、と考えています。
 道主女神についてもう少し続けてください。お願いします。

とんちんかん小僧 - 2001/08/29(水) 01:08<

伊賀者・甲賀者とスッパ・ラッパ (2)

副題:スッパ・ラッパの生態

 スッパとは、主として関西で使われた言葉である。透波、あるいは素波という字を
当てる。
 忍者的役割を表わす用例に、次のようなものがある。
「軽すっぱは、身を重く持たいで、ひょいひょいと躍り歩く者ぞ。そのようなものを
集めて置いたぞ。すっぱどもをぞ」(『蒙救抄(もうきゅうしょう)』)
「すっぱというは、唐国にてはこれを間者(かんじゃ)という」(『三将軍解』)
 甲斐(山梨県)の武田家では、スッパを七十人も抱えていたという。
 また、秀吉が抱えた近江(滋賀県)のスッパ、俗称“韋駄天”は、その異名のよう
に、早駆けの名手で、五人分の扶持をもらっていたという。
 だいたい、近江・美濃(岐阜県)にスッパが多く、二千人もいたという記録がある。
 盗賊ないし詐欺師を表わす用例もある。
「このあたりに隠れもないセッパ(スッパ)でござる」[狂言・女山賊(やまだち)]
「まかり出でたるは、都にすまいする大スッパでござる」[狂言・六地蔵]
「都にかくれもないスッパじゃ」[狂言・いくい]
「スッパ、盗人をいうなり」[『反故木』]
「盗人どもこれを聞き、よき物取りとて、信州のスッパと上州(じょうしゅう)の
ワッパ(ラッパ)ども集まりて」(『加沢記』)
 狂言のほうは、まず登場人物の身分をあかす口上が主である。そして、このスッパ
たちは、大仰な名乗りとは裏腹に、失敗をやらかす愛嬌者である。
 服部嵐雪(はっとりらんせつ)の句に、
「素波に出でて朝帰る月」
 というのがある。盗賊が朝帰るさまにかけた風情である。     −つづく

ヤゾー - 2001/08/29(水) 00:12<

RE 1年目・・

みなさん、こんばんわ。

そうですか、一年ですか。
もっと前から知っていたような気がします。
一年前の過去ログを見てみましたが、
とても懐かしい気がしました。
こちらこそ、今後とも宜しくお願いします。(ちょっとテレますが)

>鳴けない山鳥の詩より

きょうかいさん、白山について、ありがとうございました。
『鳴けない山鳥の詩』まで買っていたのですね。
僕も買って手元に置いておかなければ!

アカネさん、いつも貴重なお話、ありがとうございます。
天目一命って、なんだか熊野の伝説にある一本タタラをイメージさせる名前ですね。
一本タタラは 一本足で一つ目。獣のような姿をしており鉱山後に現れ、熊野山中に今もいると言われています。
熊野のどこかで一本足で一つ目の木彫りの民芸品を見た気がします。
玉置山にも一本タタラの伝説が残されているようです。
また大台ケ原の方にはタタラ力水というのもあるそうですよ。

あかね - 2001/08/28(火) 23:39<

稲荷と産鉄、縄文に続くかな

 にっちょさん。今、過去ログを確認したら、「簪」とお書きでしたね。
うわぁ、恥ずかしい〜。おっちょこちょいで、ごめんなさいm(__)m。かんざしは竹製なのかなぁ。
耳飾の玉、翡翠も一緒に出土してたりしたら面白いですね。縄文の交流・交易が見えそう。
簪も櫛・剣・弓矢・蛇なんかと祭祀繋がりがあったような。興味津々です。

ピンクのトカゲさん
 そうなんです。『青玉』って不思議でしょ。
 「青玉」は眼球の青い人、または片方の目を病む人(→天目一命)を表現したのだ、という説があります。
私は「銅を含む水は青い」事とも関係あるかも、と思ってます。不動信仰も盛んな郡なので、
時代はわからないけど、何かお不動さんの青とも繋がりがあるのかもしれません。
青玉の女との関わりについては何も伝わっていないので、関係は全然わからないです。
ただ、河内、特に北河内(枚方)や、摂津・北摂とも、古代から関わり深い地域ではあります。
 鎮座する村落は「鳥羽(とりま)」で、もろ鉱山系!付近には色々、古代からの銅山がありました。
近くのある山には、入ると戻って来れないという、ある種の「禁足地」のような所も残り、これは縄文に
栄えた地の名残、聖地でもあるのかもしれません。町には『縄文遺跡』も幾つか発掘されています。
また、付近の山には、大人(天日槍命)伝承と関わる「あまんじゃこの座り石」や「忘れ石」などがあり、
その石の並びは太陽信仰、レイラインかもしれないです(推測)。
また「血石」だったかな?という、重い死体を運ぶためにバラしたという大石も近くの山に残り、
死穢を嫌わない、更には死体と豊穣を祈る信仰(推測)との関わりもありそうです。
あ、でも金屋子神の名を祀る習慣は、中・東播磨では聞きません。不思議。鞴神はあるようです。
お書きの青玉神社と猿田彦、金山彦。更には火明への繋がりもあるのかもしれませんね。
 町名は「加美」(賀眉・賀美→神)といい、「紀伊や常陸」(常陸国風土記にもよく似た巨人伝承が
出てきますね)にもあるのが面白いでしょ〜!播磨国風土記にも、賀眉里と出てきます。
しかも“賀眉里は奈良初期には一時期、丹波だった”事もあります。国占めの嚢神話も面白いですよ。
 「青玉神社」由緒には、“鍛冶業のご神徳によって栄え(三国岳から鳥羽に遷座)、土地を拓き農を進め、
加古川流域の農業の繁栄をもたらせた”とあり、加えて、「交通安全」の神徳もあるとされているのが、
鉱山や山による人の流れをさすようで面白いです。この社の湯立ては狩人の安全を願ったのが始まりです。
 うろ覚えですが、同社には確か、天目一命の妻(同地の神話では婚姻してないけど)としての
「道主女神(宗像女神)」と「酒造り」、近くの清水で酒を醸した「清水信仰」も残ってたと思います。
これは「山姥信仰とか山神信仰」とも、重なってるのかもしれなくて、縄文伝来かも(推測!)…。
古代賀眉里には式内社「播磨二宮天目一神社」と「荒田神社(道主女神)」が鎮座し、無論、青玉神社と
関わりがあるそうです。
 それから「山神社」は多分、東播磨を平安まで支配していた「針間鴨国造山部直」を祀ってるのだと
思います。ちなみに、この鴨は賀茂なんですよ〜。興奮してキリがないので取合えずこの辺で。

min-min - 2001/08/28(火) 18:07<

祝:一周年記念

そうですか、ヤナさんはここへ来て一周年なんですかぁ・・・。

どうぞ今後とも独特な『ヤナギムシ節』でもって、私たちを楽しませてください。
ときどき暴走しちゃう“やんちゃmin-min”←(ブッブー、オ○ジだろ、オ○ジ、なんぞと
ツッコまないでちょうらいね。)ですが、今後ともよろしく、先輩!。 <(_ _)>

きょうかい - 2001/08/28(火) 17:16<

ヤナさんのメタモルフォーゼ?

  ヤナギムシさん、おめでとうございます!!!
 
  ヤナギ虫さんは、いつ成虫になるのですか?

ヤナギムシ - 2001/08/28(火) 16:07<

1年目・・

2000年8月26日にはじめて、PCにサンカなる言葉から、検索・・ここ熊野にやってきました
 私にとっての、1周年記念です・・

   今後とも、みなさんよろしく!!

きょう - 2001/08/28(火) 13:49<

鳴けない山鳥の詩より

サチのお爺さんのころ、この氷沢村の台地にわずかな人たちとともに生活の場を見つけ、立山信仰の山神、『オイノ様』を主神とし、これを心の支えとしながらの、山窩暮らしになった先祖たち。
サチの父・良作はまだ幼かったころ、その父彦七が毎朝の勤行と水行をしていたことを、かすかに覚えていた。杣仕事の合間に、彼らの祖先はもともと、天台宗・白山権現を主宗とした、天台・曹洞宗の当山派と称する九頭竜民族であった―と聞いたことがあった。元来、立山信仰を中心として、時の移ろいとともにその生活も狩猟、マタギ―木地師―仏師―曲げ物師―塗り師と、その生活形態を変える中で、一向宗、禅宗、曹洞宗と分かれたが自然崇拝を中心とする根元は、変わることもなく連綿と受け継がれていたのである。
  145頁
 ヤゾーさん
 とりあえずこんな記述を見つけました。

ピンクのトカゲ - 2001/08/28(火) 08:18<

青玉神社

あかねさん
青玉神社オモシロイですね。さすが眼の付け所が違う。
記考元条の河内の青玉の女・建波邇夜須毘賣なんかと関係があるんですか?
崇神条で建波邇夜毘賣の子・建波邇夜須毘古命が叛乱を起こしますが、楠葉の語源説明で糞袴などの逸話を載せています。埴安神なんかも伊弉冊尊の糞から誕生したってされてますよね。土に関する神は、記紀から冷遇されていますね。
大歳神は、縄文の女神・天知迦流美豆比賣の夫婦神として記載されています。大歳は、また、猿田彦と同神とも言います。
愛宕の祭神は、迦具土命ですね。この神の誕生も、本牟津別王の誕生と酷似してます。
また、青玉神社の情報お願いしますね。

あかね - 2001/08/28(火) 02:30<

海人、山人

●手元に「フランス民話 バスク奇聞集」(堀田郷宏訳編/現代教養文庫1267・社会思想社)があります。
 ISBN4-390-11267-8 C0139です。′88年当時480円。
 フランスバスクの常民文化を伝える民話・伝説集の、ジャン・バルビエ編「バスク伝説集」から主に
 抜粋した本。怪物タルタロや、妖精ラミナ、動物民話、熱心なカトリック信仰と土俗信仰が
 結びついた奇跡物語などが載ってます。挿絵が良く、P・ティヤック作です。

 また、ゴイハタ?という旅行会社のHPにこうありました。
 “バスクについて知りたいと思ったら、手軽に読める本として狩野美智子著
 「バスク物語地図にない国の人々」渓流社をお勧めします。”

 それから、バスクの映画紹介と音楽についてのHP、MSNで検索したら確か見かけたように思います。
 映画の方は、全洋画ONLINE(HPアドレスどっか行った)や、本なら「ぴあ シネマクラブ 洋画編」
 (3千円ちょいくらい)に網羅されてると思います。シネマクラブには載ってる確率が高いかも、です。

●ヤゾーさん
  播磨と熊野について、私もそう思います!播磨の開拓神である伊和大神は、出雲系末端氏族と
 される伊和族の神さんですもんね!それに紀州から多氏や物部等、播磨への人の移動が、
 播磨国風土記にいろいろ見られますもんね。

  先日、帰省した際に天戸間見命(=天目一箇命)を主祭神とする、元々は播州・丹波・但馬の国境に
 鎮座していた『青玉神社』(東面してます)へ参拝してきました。杉の大木(天然記念物の杉もあります)
 が立ち並ぶ杜にあり、厳かな神域でとても気持良かったです。
  他の祭神は大歳御祖命(合祀)で、末社には、本殿向かって右に『熊野神社』、左に『稲荷神社』
 『山神社』『愛宕神社』が祀られてました。
  お稲荷さんは、ここから車で30分くらい下った所にある、元来は天目一命を祀る鍛冶の宮と
 呼ばれる社でも、末社として祀られてます。そこには「金毘羅さん」と「大歳神」等も。

  この近くには鉱山・蹈鞴関連地名が多いンですが、熊野系地名もあるんですよ。大和鍛冶起源地で
 あり、天目一やアジスキ(特にこの2神はこの地方にとって非常に重要な神)、宗像女神と関わり深い
 この辺りに、熊野系地名もあるのは興味深いところです。
  青玉神社では7月15日前後に『湯立て神事』が行われ、忌湯を浴びて無病息災を祈る人々で賑わい
 ます。湯立て!面白いでしょ。忘れたけど、昔は「フイゴ祭り」もあったのかもしれません。


  あ、伏見稲荷には1月12日に、矢を射って邪気を払う「奉射祭」もありますね。
 弓神事は、農作物の吉凶を占う祭ですが、その起源は海人の太陽信仰と、鉱物を射て見つけるための
 山の神事にあるそうです。海人と山人が重なってる神事ですね。
 

ヤゾ− - 2001/08/28(火) 01:24<

天城超え

「流れ土工」というと伊豆を舞台にした映画『天城超え』を思い出します。

伊豆に泊まってサンカの話しに盛り上がったなんて、
とても羨ましいです。

さぞかし濃い話しが飛び出したのでしょうね。

今度、その時のお話を聞かせて下さい。

ミス蜜柑 - 2001/08/28(火) 00:21<

伊豆高原にて

皆さんが、心配されているDonguryさんに会ってきました。
元気でした。サンカの話で1泊2日、盛り上がりました。

その席には数人のサンカ通がいたのですが、一番印象に残ったお話を。

昔、といっても高度経済成長前は「流れ土工」という職人がいて、全国を流れ歩いていた。
彼らは、「サンカ」の連中とも仲がよく、しばしば「瀬降り」に泊めてもらっていた。
さて、サンカ通のIさんは、「元流れ土工」のKさんと知り合い色々な話を採取した。
その中ですごい話が、
「若いころ、新潟の瀬降りにいたとき、田×××子がまだ小さなころ、真紀子は母親に背負われて、瀬降りに遊びに来ていた」

んだって。


ヤゾ− - 2001/08/28(火) 00:03<

大国の主(オオクニヌシ)の国

みなさん、こんばんわ。

あかねさん、バチ師さん
播磨と熊野はどこか共通したものがあるみたいですね。
それはどちらも出雲や縄文と深い関係があるからなのかも知れません。

神話では、オオクニヌシは出雲、伯耆、因幡、播磨、さらに山陰地方から越の国、
そして信濃まで勢力下に収めたとあります。
また、出雲と熊野が深い関係にあったことは知れれていますから、
同じ文化が深層に流れているのかも知れませんね。

また信濃には三大縄文的祭の一つとされる諏訪大社の御柱祭があり、
忍者やサンカと深い関係があるところといわれています。
そういえば『鳴けない山鳥の詩』も信濃が舞台でした。

誰か〜『鳴けない山鳥の詩』の中で、
白山信仰についてなんて書いてあったかおせえて〜

>でも、映画のなかの不思議の温泉町に「生の眼」ありますって目のお店がありました。
>あれって、どの神様が食べられるのでしょうか?

ふぁ〜い、よいこのサクラしゃん、夏休み日記ごくろうさまでした。

目玉の看板のある不思議の町の風景は、
つげ義春さんの『ねじ式』の影響ではないかとの話しです。
だからメメクラゲが食べるのかも知れません?

おミヨ - 2001/08/27(月) 23:42<

バスク

もんむーさん min-minさん こんばんわ

「バスクもう一つのスペイン」 現在・過去・未来 (増補版) 渡部哲郎 1987年 彩流社 が
ありますが、未読なので内容はわかりません。

バスク地方は、漁業がさかんで、9世紀にはグリーンランドにまで捕鯨にでかけ、16世紀には
ニューファウンドランドまでタラ漁にいっているといいます。
マゼランがフイリピンで死んだあと最初の世界周航をなしとげたセバスティアン・エルカノは、
バスク海岸ゲタリアの出身だそうです。

バスク人についてはいろいろな仮説があって私も興味をもっています。

>『バスク人』ジャック・アリエール著 白水社新書クセシュ・・・・渋谷にて2店ほどあたりまし
                               たが見当たらず。もう少し探します
>『街道をゆく22,23=南蛮のみちT、U』司馬遼太郎著 朝日文庫

私も読んでみたいのでさがしてみます。
バスクに関する映画・音楽もさがしています。


サクラ - 2001/08/27(月) 23:12<

夏休みの日記

せんせい
えいがみてきたよ
「せんとちひろのかみかくし」ていう、えいがだよ。

大好きな妖怪さんや八百万の神々がフクロアライして
不思議の世界のお風呂に入りに来るの。
おしらさまは黙っているのに優しくて、
白龍の「ハク」も優しいのにやっぱり自分に迷ってる...
名前を取り戻すことで、本当の自分にかえれるんだって。
ブチャムクレな千尋はかわいくて、
描かれる現実の町々もなんて懐かしい感じがするのだろう...

宮崎 駿のえがく世界は、見れば見るほどいろんなことが
語られているようで...またまた見たくなってしまう。
なにより、楽しめるのがいいことだとおもう...もん

彼は日本を舞台にしたのは、民族的空間−物語−伝承−行事
意匠ー神ごとから呪術に至るまで、がどれほど豊かでユニークで
あるかはただ知られてないだけなので、
そんな豊かな伝統を持っていることを、私たちは根を失っていく子供たちに
伝えなければならない。
ボーダーレスの時代、
よってたつ場所を持たない人間は、もっとも軽んぜられるだろう。
場所は過去であり、歴史である。
歴史を持たない人間、過去を忘れた民俗はまたかげろうのように消えるか、
ニワトリになって喰らわれるまで玉子を生み続けるしかなくなるのだと思う
と語っている。

楽しい、美しい映像に酔いしれた後、
はっと、気づけば...

ハクの名の少年のまなざしは、過去の歴史を見据えようとするもの。
千尋のまなざしは、等身大の私たちも、前を向けるって語っているような
そんな気がした。
妖怪さんや八百万の神々のかわいさ、楽しさの後に、
ここで深読み解説聞けるなんて、これも一粒で2度おいしくて...!!!

でも、映画のなかの不思議の温泉町に「生の眼」ありますって目のお店がありました。
あれって、どの神様が食べられるのでしょうか?

せんせい、知ってる?

min-min <http://homepage2.nifty.com/TUBA/> - 2001/08/27(月) 18:32<

バスク

もんむーさん、おひさしぶりです。min-minです。

バスクとバスク人に関して以前おミヨさんともお話しして、関連書物を探さねば、と思いながら
忙しさにかまけ失念しておりました。(^^;;

もんむーさんがおっしゃるように、バスクといえばほとんどETA(バスク解放戦線)等のテロリズム
の話ばかりになり、バスクそのものの情報が非常に少ないですね。
僕がバスクに興味を抱いたのは前にも書いたかも知れませんが、トレヴェニアン著『シブミ』を読ん
で以来です。作品の後半に登場するルッコというバスク人がなんとも魅力的に描かれております。

さて、それで僕もちょっとインターネットで調べてみましたら、次の様な関連本があるようです。
またちょっと面白いURLなんかもありましたのでご紹介します。

『バスク人』ジャック・アリエール著 白水社新書クセシュ・・・・渋谷にて2店ほどあたりまし
                               たが見当たらず。もう少し探
                               します。

『街道をゆく22,23=南蛮のみちT、U』司馬遼太郎著 朝日文庫

これはありました。実際は「南蛮のみちT」が【バスクとそのひとびと】と題しかなり参考になる
内容が書かれておるようですが未読です。 
この本の中でちょっと面白いな、と思われる箇所があります。
『バスクには山バスクと海バスクがあります』という箇所。このバスクをサンカにかえてみて下さい。
面白いでしょ。

バスクって、山の民とばかり思っていたのですが、ナ、ナント十、十一世紀頃には
セミクジラをビスケー湾で捕っていたんですねぇ!
これを記述した次のようなURLがあります。
http://www.handmadejapan.com/sidestory_/sst017_01.htm
http://www.mnet.ne.jp/~whalenas/seisuiki/seisuiki_01.html

以上あまりお役に立てませんがご参考まで。

min-min@横浜

ピンクのトカゲ - 2001/08/27(月) 07:40<

これも偶然?

ヤゾー
フーテンの寅の姓が『車』っていうようなもんですよ。

バチ師 - 2001/08/27(月) 02:45<

日女道

少し時代が下りますが、明治になり廃藩置県の時に、江戸時代の藩の中心であったのに県庁が置かれへんかったのは姫路と弘前ぐらいですな。ほんで戦前に旧制高校があったのに、戦後、国立大学がないんは姫路だけやちゅうて、友だちは憤慨しとりますが、ま、私はそんな情けない姫路がええと思てます。

あと姫路城がいっぺんも戦争してへんのと、印度のネールさんにもろた釈尊の遺骨(?)が名古山にご安置してあるぐらいがお国自慢かなあ。

あかね - 2001/08/27(月) 00:09<

古代播磨はアジール

ヤゾーさん
 「播磨学講座@古代──神は野を駆けて」(姫路獨協大学播磨学研究会・編/神戸新聞総合出版センター
発行)を読んでたら、興味深い記述が目に付きました。その中の「愛と闘いの詩──播磨国風土記の世界
──作家・寺林峻氏」の、「山間地にアジールの原形」から抜粋します。
 『人間が人間を縛り、裁く上には、息ぬきとなるような例外を認めないことには秩序が保てないという
ことがあって、それがアジールを育てていったといえるでしょう。国のしめつけがきつくなるほど、そう
した治外法権の場所が必要になってくるのですが、その一番早いアジールが実は播磨ではなかったかと
私は思っています。それも寺院とかいう狭い区域ではなく、西播磨の山間部一帯が一種のアジールとして
の性格を帯びていたのではないかと考えるわけです。時の権力から追われた人と自分から進んで逃げて
きた人を播磨の歴史の中から拾いあげると思いがけないほどの数になるはずです。すぐに思い出される
だけでも秦河勝、芦屋道満、平智盛、源季房などが浮かんできます』。
『こういう人たちを迎え入れたことによって播磨に古くからあった豊かさに裏づけられた自立意識に、
はっきりと反骨のすじ金を入れることになったのです。めったなことでは大きな力にのまれないという
意気込みです。これは特定の誰というよりも古代播磨の気風となっていたと思います。追われた人も
逃れてきた人も播磨の地に来て土地の人と姻戚関係を持つなどして広がりを持っていったからです』。
『そして、この気風こそが播磨国風土記に中央政権の成立するプロセスに起った残虐な事件までも
平気で書きとめさせたと思うわけです。土地の気風というのは郡司とか国司とかいう立場を呑んでしまう
だけの力を秘めていたと受けとめて間違いではないと私は考えているのです』。
『播磨の気風を形成したものとして、先進技術に裏付けられた豊かさと気候の穏やかさ、そして時の権力
にそういうのをいさぎよしとしない人を迎え入れたことにあると申してきましたが、ここで「畿内に最も
近い畿外」という地理的原因も大きくからんでいたことを改めて強調しておきたいと思います』(まま)

 古代播磨人が反骨の精神だったかどうかは、私にはよくわかりません。ですが、物部守屋によって、
秦河勝のもとにいた渡来尼僧・恵便が、東播磨北部へ流され、中央に戻されて活躍した後も、すぐに
中播磨へと自ら好んで戻り、以後そこで生涯を送ったという事からも、渡来人が住み易い環境があった
のは確かだろうと思います。それと、西播磨だけでなく、山陽道沿い、更には播磨中部の「鉄の道」
付近も同様にアジールだったのかもしれません。
 同氏の他の記述に、『播磨は贖罪の地とみなされていたのです云々…。播磨に追いやられた人は何かの
罪を犯したのではなくて、時の権力にさからったとか、何か不敬な言動をしたとかいうのが原因になって
いたのです』というのもありました。なるほどなぁ。播磨(や丹波)でサンカへの差別を聞かない、と
いうのは以上の事柄にも、原因があるのかもしれない…、と思いました。
 あ、播磨各地にも、縄文の遺跡は結構、見つかっています。 

ヤゾ− - 2001/08/27(月) 00:09<

これって偶然?

みなさん、こんばんわ。

しぶとく『千と千尋の神隠し』についてです。

アマテラスの使者であるタケミカズチがオオクニヌシに国譲りを迫ったときに、
「この世の政治は我が子孫がし、おまえはあの世のことをしなさい。おまえの住む宮殿はすぐに作ろう。
“千尋”もある注連縄でゆわえて、柱は高く太くしてあげよう」と言ったとか?

出雲大社の神官は出雲国造と呼ばれ、82代も続く家系であり、
その名を“千”家という。

ちょっと無理矢理かなぁ?

>天河神社のこと瀬織津姫との関係あるいは知っているのでは
>知ってるんでしたら、メールください。

ピンクのトカゲさん、こんばんわ。
天川という土地の意味や、また弁財天という性格として、
抹殺された側の人たちや神々を投影することは知っていますが、
瀬織津姫のことは全く知りませでした。

あかね - 2001/08/27(月) 00:06<

ヤゾーさん、にっちょさん、悼む言葉、有難うございます。嬉しいです。
ホントに、釣り糸をたれてくれているといいなぁ…。手先が大変に器用な人で、大好きな叔父でした。

にっちょさん。だいぶ以前にご自宅近くで、縄文の遺跡が見つかった、というお話をされていたと
思います(もし間違えていたらごめんなさい)。
その中で、「箸が見つかった」と話されていたのが、私にとっては非常に興味津々でした。
箸の素材や形、サイズがどんなものであるかによって、意味合いが色々、変わってきます。
もしそれが「鉄製」であれば、「錬鉄(錫)の際に鉄を挟む道具」かもしれません。
鉄は残る可能性が大変低いけれど、保存状況によっては残ってたのかもしれませんね。
もし、その箸が銅であれば祭祀に用いたものかもしれないです。
高野マキやその他の素材でも、箸文化伝来の点や、ずっと々、後代の三輪信仰、更に後代の膳部や笹原直
・阿倍や高橋・足立氏等と「刀式」(刀式の起こりは、北摂・茨木市にある総持寺。藤原○○←失念)で
仰ぐ神様(女神名失念…)のそもそもの由来とも遠く関連しているかもしれなくて、非常に興味深いです。
ちゃんと、発掘情報をチェックしておけばよかったなぁ。素人ですが、興味はつきませんのです。

ピンクのトカゲ - 2001/08/26(日) 22:02<

天河神社

2000年11月26日からの掲示板参照しました。
びっくりしています。
あの前後で天河神社が話題に上がってますね。
どの程度まで、ご存知ですか?天河神社のこと
瀬織津姫との関係あるいは知っているのでは
知ってるんでしたら、メールください。

にっちょ - 2001/08/26(日) 21:12<

あかね様

叔父様の死を悼む。
心からお悔やみ申しあげます。
黄泉の国で釣り糸をたれることでしょう。(合掌)

関西で言うチヌ釣りは関東では黒鯛と言ってひじょうにポピュラ−な釣りです。
繊細さを求めてこの道に入る方もたくさんいるみたいですよ、

「千と千尋の」・・こどもと見てきましたヨ。
Kumanolifeで勉強したおかげで深く見ることが出来ました。
地下の風呂炊きは手足が長く『土蜘蛛』のようであり、また黒柳徹子風のオババは『八咫烏』で
お風呂は一般庶民にも施浴がほどこされた『寺の風呂』あの大きな風呂釜は『千日の温室』がはじめられた
大湯屋釜、などなど勝手に思いこみ楽しく過ごせました。

これもkumanoに書き込みをなされている方々のおかげです。
早くまた皆さんが揃うことを心から願っています。

サクラ - 2001/08/26(日) 21:03<

縁か?

三河手筒花火のニュースTVで見てました。
昔に生まれていたら、インターネットがなかったら、
手筒したことのある方の貴重な話も聴けませんでした。
花火はげの話も(^^)
    きゃ、うれしい...アノさんに感謝です!

いろんな話知ってらっしゃる、ピンクのトカゲさん
これからも、貴重なお話を心待ちにしています。
あはは、たまにはドジ話も似合いそう....(^^)
あっ、これは、私のことでした。

ピンクのトカゲ - 2001/08/26(日) 18:53<

煙火

昨日は、市の手筒祭りでした。
私の籍のある地区は、煙火やらないんですが、祭りで煙火やる地区は、年に2回お祭りできるようになったって喜んでます。
煙火=夏って思うかもしれませんが、
こちらでは、3月ぐらいから10月ぐらいまで
煙火の季節です。
サクラさん
また、手筒について話しましょう。

もんむー - 2001/08/26(日) 16:47<

ピオ・バローハ

やぞーさん、みなさんこんにちわ

今日書店をまわったのですが、歴史民俗学はまだのようです。批評社のホーム
ページにも特に告知がないのが気になるのですが。

以前、おミヨさんが椋鳩十の小説におけるピオ・バローハの影響について書か
れていましたが、たかしよいち「椋鳩十の軌跡」(理論社)にもそこらへんのこ
とが書かれてました。

それによるとピオ・バローハはスペイン、バスク地方の出身で、バスク人をモ
チーフにした作品を多く発表しており、椋鳩十の「山窩調」はバローハの作品
「バスク牧歌調」を意識しているそうです。

下宮忠雄「バスク語入門」(大修館書店)によるとバスク人はスペイン北東部か
らフランス北西部にかけて生活しており、彼らの話すバスク語の起源について
はあまりよくわかってないそうです。その骨格がクロマニヨン人に似ているこ
とから、イベリア半島の原住民だったという説があります。

それで今、バスク人について調べているのですが、Google などで調べても、
バスク地方の分離独立派によるテロの話ばかりで、彼らの生活について書いて
あるものはみつけられませんでした。政治的な活動ばかりが目立って、彼らの
生活そのものの理解が進まないというのはちょっと悲しいところです。バロー
ハの作品も日本では絶望的なくらい出まわってなくて、まだひとつも読めてま
せん。

特にサンカとバスク人との類似性を示すような資料を見出していないのですが、
どなたかバスク人の生活に関する資料をご存知ないでしょうか。

でわでわ

ヤゾ− - 2001/08/26(日) 12:05<

地域性

みなさん、こんにちわ。

アカネさんの叔父さんは相当な釣りバカだったんですね。
叔父さんのご冥福をお祈りします。
昨日も釣りバカとの会話の中で、『がまかつ』の竿の評判がよいのは何故なのだろう?
僕たちはまだ使ったことがないので、次ぎは絶対にがまかつの竿を買おうとな話してましたよ。
それとフライではなくて毛鉤を少しだけコレクションしていたことがありました。
使うというより小さくて綺麗なので?

サンカに対しての差別についてですが、とても地域性があるようです。
その辺りにとても重要なものが隠されているのかも知れません。
下北山での、サンカの人たちと親しく接していたお年寄りの話しでも、
全く差別心というものがなく、同じように学校に通い、お互いの家と瀬降りを行き来していたそうです。
またサンカの子供はとてもできが良かったと話してくれました。

沖浦教授が仰られるのは、それはサンカの人たちに対して、
どこか仲間意識のようなものがあったからなのだろうということでした。

それとは逆に、この秋に出る沖浦教授の『幻の漂泊民・サンカ』では、
最後のサンカといってもよい人たちを取材したものがあるみたいですが、
その中で、彼らが厳しい差別に苦しんだ話しがあるそうです。

また、利田ヤゾウが取材した、昭和50年頃まで戸籍のなかった松サンたちサンカの姿と、
下北山での話しの中のサンカ、沖浦教授が取材した最後のサンカの人たちの姿の違いは、
それぞれ地域性があったことを意味しているのかも知れません。


アカネさん、伏見稲荷では毎年11月8日に吹革(フイゴ)祭りというのがあるようですね。
稲荷神社が秦氏の氏神であることなどを思うと、タタラと稲荷、秦氏との関係が見えてきますね。
また、ご存知のことがありましたら、ご教授下さい。

あかね - 2001/08/26(日) 07:15<

バチ汁

↓の続き
 バチ汁、父も好きだそうです。よく母親が作ってくれたと、懐かしそうに話してくれました。
うちではバチ状のものは手に入らないので、普通の揖保の糸を使います。私も好き。
 バリ師さんの姫路弁でのお話、嬉しく懐かしく、これからも楽しみにしております。めんめら〜(笑)
東播磨の最奥は、同じ播州弁でも語尾が全然違い、スロ〜な感じです。全般的な気質も違うかも
しれません。女の子がしゃべるとかわいいけど、男性がその語尾を付けて話すとまったりしてて、
ちょっと眠くなってくる感じがします。のんびりまったりもっちゃり(-.-)で眠いのだぁ
 あ、東播磨中部のサンカのおばさんは、蜆も売ってらしたそうです。差別はやはり、ないです。

あかね - 2001/08/26(日) 06:55<

播磨の釣鉤

バリ師さん
 レス、大変遅くなってごめんなさい。京の鮎の毛鉤の件ですが、私にはやはり、ちんぷんかんぷんです
けど、職人芸の極みのような、値のはる美しい毛鉤も色々発売してるはずです。以前地元で、風格ある
品の数々を、写真で見た事がありますが、毛鉤も体裁も綺麗だナァと思っただけの奴です。ははは
ただそれは特別な職人仕事で、内職のおばちゃんたちが(それぞれ得意分野もあるらしい)担当する類の
簡単な品ではないと思います。でも内職の方々の仕上げの確かさとスピードも見てて驚きますよ〜。
あれは手先の器用さが要求されますなぁ。ちっこい釣鉤に巻くのなんて眼がじんじん痛くなりますもん。
 ほんでメーカー関連のHPも見てみました。「がま磯」なんてあるのですね。なんか良い名だなぁ。
 私事ですみませんが昨年、ちぬ釣が大好きな叔父が突然、亡くなりまして、焼き場に遺体をおさめる際、
棺に愛用の釣竿を一本、一緒に入れ(本当は入れちゃいけないんだけど)、骨あげの際、骨臺に竿の燃え滓
の欠片も一緒に入れるのを見て、涙が止りませんでした…。お墓に納める普通の骨壷とは別に、ごく小さ
な臺に遺骨の一部を分骨して、そこに釣竿も入れたのです。毎週のように出かけていた海に、その灰を
まくとの事でした。それがいいのかどうかわからないけど、叔父の人生にとって釣は大きな大きな要素
だったので…。グスン。叔父の釣った、特にちぬは美味しかったなぁ…
 朝から、暗い話題で失礼しましたm(__)m。しかも話の流れから脱線してしまいました。

ピンクのトカゲ - 2001/08/26(日) 01:14<

PS

正しい日本語
『天皇皇后がオランダ女王陛下夫妻の宮中晩餐会に招かれました』
これが正しい用法です。日本語の
この意味よく考えてください。
これはオウム以上にマインドコントロールされている証拠です。
神風&竹槍でB29追撃訓練
これ当時の最高レベルの学識者が指導したことですよ。

ピンクのトカゲ - 2001/08/26(日) 01:05<

さすがヤナさん

そうですよ。
でも、ちょっと、間違ってます。
天皇皇后は、陛下をつけてはいけません。
やっぱり、今のレベルこの程度か

ヤゾ− - 2001/08/26(日) 00:15<

歴史民俗学

もう出たのかな?
地元の本屋に注文していますが連絡はないです。

小さいグレはすべてリリースしました。
間違ってもヤナさんには釣られないようにと一言添えて(笑)

にっちょさん、釣果を心配するメールありがとうございました。
そうとうな釣りバカとお見受けしました。
次回は釣果を写真でお見せできるようにしたいです。

サクラさん、こんばんわ。

>それぞれの胸にあるサンカへの想いは山への憧れであったり、
>釣りへの憧れであったり、昔への郷愁や自然への憧れであったりします。

心にしみいる言葉だと思いました。
難しい問題にも取り組まなければいけないとは思いますが、
サンカを通して、シンプルに、失われつつある文化や自然を大切に想ったりすることに意義を感じています。

ヤナギムシ - 2001/08/26(日) 00:04<

もっと、敬語の勉強せなあきません

天皇皇后両陛下、オランダ女王陛下御夫妻の御主催による宮中晩餐会に御招きにあずかられた

           あかん・・舌かんで口の中痛うなってしもたがな・・

        うううん・・むつかしいな  わかりません!!?

          今の、若い衆・・敬語の勉強せんと

            訳判らんもんばかりになってしもて

  問題の、提起もでけへんように、なってしまうようになってしまうかもしれへんな!!


                    すんません・・ヤナでした

サクラ - 2001/08/26(日) 00:01<

こんばんわ!親愛なる

やぞーさん、無頼派桃色蜥蜴さん,min-minさん、ほか皆々さま

結論は出ないけど...
素直にいろんな方のスタンスでのお話聞きたいと思います。
白に関するいろいろな話も興味あります。
タブーによって隠される...それって闇の歴史を作るってことですか? 
私は闇の歴史が知りたいと思っています。

真っ青な空の下、山越えしているサンカの人たちの
一枚の写真に自由な憧れと明るさを見出している方々も居ると思います。
それぞれの胸にあるサンカへの想いは山への憧れであったり、
釣りへの憧れであったり、昔への郷愁や自然への憧れであったりします。

その中での差別の話や歴史の話もやはり欠かせないもののような気がします。
素直に利く耳があったらと思います。
そして、相手のことを認めながら語れたらいいのに...と思います。
前向きに...

やぞーさんやみなさんの大きな心で
こんな私にも、しらやまひめの話聞かせてくださいな。
そして、他の楽しい手筒花火や、釣りの話も
たたらのは話も聞かせて欲しいのですが...

ヤナギムシ - 2001/08/25(土) 23:39<

うんとこしょ・・どっこいしょ

おミヨさーーーん・・さくらさーーーん
  どこえいったん・・ええ・・なんですか・・
    すこし・・かたい・・なにがです?
  天王星ですか・・太陽から遠い・・光もあたらんから・・すこし暗いし
   寒いですね・・けけけけけけ

   おいしい料理食べてる時、だれや・・便器のふた開けるのは!!

     ねえねえ・・ヤゾー・・グレのこまいの釣らんといてや・・

   おおきなって・・」ヤナの釣り針にかかりたい・・ゆうとったんちゃいますか

              あらま・・電話や・・ほなまた


                     ・・やなでした  



     

無頼派桃色蜥蜴 - 2001/08/25(土) 20:17<

報道機関の去勢

この問題について、もう一言だけ書かせてください。
昨年のゴールデンウィークに新聞各紙で『天皇皇后両陛下、オランダ女王夫妻の宮中晩餐会に招かれる』って報道がありました。
これどう思います?
おかしいと思いませんか?
日本語には、謙譲語って言うのがあります。
身内には、敬語を使わないって言うやつです。
もう一度見てください。
おかしくありませんか?
これを万人がおかしいと思わないうちは、この問題自由な発言ができないのでは...

min-min <http://homepage2.nifty.com/TUBA/> - 2001/08/25(土) 14:42<

確かに重いですが・・。

みなさん、こんにちは。min-minです。

まず最初にこの掲示板を掻き回そう、というような意図で発言しているわけでは
けっしてない事を述べさせてください。

>>天皇制についての専用ページでも作って議論するのが良いと思います。

いえいえ、天皇制の是非やらシロクロ決着をつけるとか、そう言う問題ではなく
発言の中でどうしても「天皇」もしくは「天皇制」について触れざるを得ない
場合が多々あるかと思います。その時、必要以上に腰を引いて述べる必要は無い
のでは?と言いたいだけです。それが肯定する立場に立つか否定される立場に立
つかは個々人の自由なわけで、逐一ヒステリックに非難されるものではない、と
考えるからです。

私個人の考えでは、世間のマスコミについては、こと「天皇」もしくは「天皇制」
に関する報道姿勢は完全に“去勢”された状態である、と言っても過言ではありま
せん。
それは1961年に発生した深沢七郎氏の『風流夢譚』(中央公論)にまつわる
右翼陣営からの攻撃に屈服して以来、この国には「言論の自由」は死に絶えたのです。
だからといって、この掲示板でも「歩調を合わせる」必要は感じません。
けっして「パンドラの箱」を開けるなどと大それたことだとも思いません。自然の
流れの中で「天皇」「天皇制」の話題も語れる場であることを願うものです。

>差別をなくす行きつく先は天皇制解体です。

ピンクのトカゲさん、あなたのスタンスは了解致しました。これもひとつの意見
だと思います。また、ある意味で勇気ある発言だとも思います。

おそらくこの話題でやりとりしても結論が出るとは思いませんので、私からこの件
にかんする「書き込み」はこれにて終了いたします。

min-min@横浜

とんちんかん小僧 - 2001/08/25(土) 14:15<

伊賀者・甲賀者とスッパ・ラッパ (1)

副題:忍道を目ざした伊賀者・甲賀者
 *今後もスッパやラッパについては何度となく書く予定です。

「忍術とは偸盗(ちゅうとう)術である」というそっけない表現がある。
 技術的には、たしかにそうである。
 忍者の使命は、それが義理であれ、請け負いであれ、ある限定された目的のため
に偸盗術を使う。
 盗賊は偸盗のために忍術を使う、というのが差異といえば差異である。もっとも、
忍び込まれ、ものを盗られたほうからいえば、単に盗賊にしてやられたと思うほか
はない。
『万川集海(ばんせんしゅうかい)』には、
「そもそも忍芸は、ほぼ盗賊の術に近し」といい、だからこそ、“正心(しょうしん)”
[いずれ詳しく書きます]ということを強調したわけである。
 伊賀忍者・甲賀忍者は、そのように修行した。忍術を忍道にまで高めようとした事に
なるが、そのため、しだいに技量は落ちたのだろう。人格の完成を目ざせば目ざすほど、
使用し難くなる術だからである。
 けれども、そんな経緯を辿るものが忍者である。だから、忍者学などという大げさな
ものはないにしても、忍術を職能として、おそらく組織的に活用した忍者といえば、伊賀
者・甲賀者をおいてない。
 それ以外の忍者らしい働きをしたのは、
<スッパ、ラッパ、トッパ>とよばれる連中だった。
 むろん、混同はある。忍者として伊賀者が有名になると、忍者的働きをする者を、伊賀
の出身であるなしにかかわらず、“伊賀者”とよんだ。
 加賀の“偸組(ぬすみぐみ)”など、諸国に伊賀者が抱えられたというが、それらの多く
は、スッパ、トッパの類だったのだろう。逆に、伊賀者のことを“伊賀のスッパ”とよぶ
場合がある。
 こういうわけで、スッパ、ラッパは厄介な対象だ。けれども、戦国期から徳川初期の盗
賊は、彼らが主役だった。もともと、スッパ抜く、あるいはトッパなやつ、というように
、動作を示すのが語句の本義のようだ。
 意味合いとしては、忍者的役割を表わすほか、盗賊をさすこともあれば、無頼の徒をさ
すこともある。また、常民とは異なる一団(たとえばサンカ)を表わす場合もある。
                                    −つづく

ヤゾ− - 2001/08/25(土) 13:25<

解放とは歴史文化の尊敬から?

無頼派桃色蜥蜴さん、こんにちわ。

>差別をなくす行きつく先は天皇制解体です。

差別解放運動に携わっている方の中には、そういう考えの方が多いということは知っていますし、
その考えもよく分ります。
また、部落の権化といってもよい作家である中上健次氏と栗本慎一郎氏との対談の中にあるような、
「天皇というのはそういう闇の部分とストーンとつながっているんだな」といった親近感的感覚もよく分るのです。
(2000/11/26〜の掲示板を参照願います)

僕としては、何かを否定することによっての解放や名誉回復よりも、
闇に葬られた側の人たちの歴史文化を再認識し、
お互いが尊敬し合い、誇りに思えるようになればいいなと思ってます。
その為には、嘘に嘘を固めた歴史ではなくて、真実の歴史を明らかにすべく、
探究することはやって行きたいと思ってます。
と、大層なことを書きましたが、単に好きでやっているに過ぎません。

白山についてのお話をもっと聞きたいです。
どなたか聞かせて下さい。
山鳥の詩もお願いします。

無頼派桃色蜥蜴 - 2001/08/25(土) 12:05<

感性?

幸か不幸か私は感性というものを持ち合わせておりません。
先日の騒動にしても私には、どこがどう騒動だったのか未だ理解できていません。
そうした感受性欠如の人間ですので発した言葉があらぬ方向に行くのではとの懸念からの書き込みです。
以上の部分だけを捕らえてレスしないでください。
さて、ヤゾーも指摘の通り小説からこの世界に入ってくる人も多いと思います。
一方、現実問題(自分自身の問題)として差別と言うことを考えている人もいるのです。
今では、気にしてませんが、地方出身、地方在住、ただ、香具師の血筋というだけでアイツは、俺らとは違うという眼で見られたことがあります。
部落出身者については、地方では、現実の差別としての問題が横たわっているのです。
身分出自による差別、一種のカーストです。
その頂点に立つのが天皇と言うことです。
差別をなくす行きつく先は天皇制解体です。
天皇制を議論する掲示板を設けるのではなく、差別と天皇制解体は、表裏一対の関係にあります。
やっぱり話題変えましょう。

ヤゾ− - 2001/08/25(土) 09:30<

感性

みなさん、おはようございます。

ふじこさん、はじめまして。
慶隆一郎氏さんの小説を読んで、サンカに関心をもつ方も多いみたいです。
今後とも、よろしくお願いします。

朱奈さん、ありがとうございます。
後で、風の王国掲示板にレスをつけておきますね。

ピンクのトカゲさん、min-minさん。
岡山では、Donglyさんに僕のクルマに同乗して頂き、そうとう突っ込んだ意見を交換しましたが、
その時の僕の印象は、サンカや部落について、とても深く知っておられる方だというものでした。
殆どの意見が一致したことから、Donglyさんにしてみても、僕に対しても同じように思われたかも知れません。
知っているからこそ、語るのには順序もあり、時期というものがあると感じています。

>そのとき、長吏部落(穢多村)と向き合えるか、目を逸らさずに居られるか?

Donglyさんの文章を読み返してみて、充分に向き合っていたと感じています。

>何時までもこの問題を回避してはここの掲示板の存在意義もまた疑われかねません。

それこそここで天皇制を議論し出したら、中途半端に終わるのではないでしょうか?
生半可な気持ちで天皇制を議論するのは難しいと思っています。
天皇制についての専用ページでも作って議論するのが良いと思います。
単に天皇制についての個人的な意見なら、
特別意識しなくても、話の流れから話題になったりすると思います。

さんかうぶさん、お久しぶりです。
貴重なご意見、ありがとうございました。

ヤナさん、昨日はコッパグレの入れ食い状態でした。
濁りはまだ少し残っていましたが、うねりは殆どありませんでした。
行くのが1日遅かったみたいです。


僕が、サンカや被差別部落に惹かれ関心をもち始めた理由は、
なんら思想的なものによるものではありません。
感性によるものです。
それらの血を意識した時に、細胞の一つ一つが、
ワクワクとした喜びを感じたからかも知れません。

それと同じように、昭和天皇が好きだという想いも感性によるものです。
なんら思想的なものはありません。

天皇制については、僕にはよく分りませんが、
天皇というものに関心があった時期がありました。
それは、柳田国男が、サンカや被差別部落には、
日本の文化の古層に属する重要なものを表示していると指摘したように、
宗教者としての天皇に同じようなものを感じていたからなのかも知れません。

久しぶりの釣りから帰って、ホケーと惚けている時に、
難しい話しを振られるとレス書くのに難儀します。
それで、また釣りに行きたくなります。

さんかうぶ - 2001/08/25(土) 02:31<

アンモニア?

こんにちわ。
皮なめすのにアンモニア?ですか?。小水の中に含まれる胆汁成分ではないので
しょうか? ( 蛋白の固定でしょうから)。
以前、京都で甲冑作っている人から聞いた話では皮ナメシに牛の脳みそを
使っているらしいです。初めて聞いた時には驚き、それ以上の具体的な作業手順
を聞き出す気にもならなかったです。でも、大体、想像は出来ますがね。

サンカについてでも同じ事ですが、
別所、俘囚と穢多は(経過上、重複する部分も多いですが)やはり来歴由来が
違うはずですので、別々に論じるべきではないでしょうか?
短気になって、十束一かかえにしたら、重くて足がふらつき、タジタジとして
蛇行しそうです。


ヤナギムシ - 2001/08/25(土) 00:14<

むむむむむむむむ

minさん・・ヘビーやね・・
  むむむむむむ・・・
確かに、・・切羽詰った感じがしますね
   わたしの、思いとはかなり、離れた世界を
                  見ているような気がしますが

   いまここで、パンドラの箱開いてしまうのでしょうか??

        

min-min <http://homepage2.nifty.com/TUBA/> - 2001/08/24(金) 23:01<

無頼派桃色蜥蜴様

ピンクのトカゲさん、こんにちは。日和見min-minです。(^^ゞ

>>白山信仰ということになれば、あくまでも「しらやまひめ」が原義です。
「はくさん」で考える前に...
この神も瀬織津姫と同様(というよりオシラを介しリンクするものと思います)、記紀から抹殺された神です。

この辺り、ザックリと説明願います。モヤモヤするのは大嫌いです。

>>それと、この問題については、別所、俘囚といったあいまいな表現でなく、穢多というものと正面向き合わなければ、取り組めないと思います。

御意!
これは以前よりず〜っと、感じていた点です。「別所」、「俘囚」と言って、一体普通の日本人の何割の人々が理解できるでしょう?
「穢多・非人」として僕らは教育を受けたのです。はっきり言えば良いのでは?

>>生半可な気持ち(当然、天皇制の是非は避けて通れません。)では難しいものと思います。

これまた、賛同。
弊発言(8月11日付け)の
>>【天皇制】についてもタブー無しで行きたいと思います。

のとおり、この姿勢は変えておりません。「天皇」もしくは「天皇制」に関しては極めて
デリケートな問題である、という認識は持っておりますが、何時までもこの問題を回避
してはここの掲示板の存在意義もまた疑われかねません。
では自分自身の中で「天皇もしくわ天皇制」の問題が全て整理されているか?と問われると
答えは残念ながら“NO”です。でも、考え続けています。決論はまだ先のことかも知れませ
んが、この「思考」が今を去る十三年前の「昭和天皇崩御」の時のように、訳の分からない
『自粛』なる言葉で「思考停止」をくらった苦い思い出だけは忘れないつもりです。
そうした「暗黙の圧力」を感じる限り、抵抗を続ける所存です。

>>中途半端で止めるならこのあたりで話題変えましょう。

はい、そういうことです。みなさんの率直な意見を知りたいです。

min-min@横浜

ふじこ - 2001/08/24(金) 21:23<

松平忠輝

初めまして、サンカに興味を持ったのは弘法大師空海からです。彼が遣唐使として必要だった費用は山に住む鉱山技術者達の援助によってまかなわれたと言ったようなことからです。山岳修行者とも密接なつながりがあったのでしょう。そしてまた、この夏徳川家康の息子の一人である松平忠輝が母が鍛冶師の出で、やはり漂白民と密接なつながりのある人生を送ったという慶隆一郎氏の小説を読みとてもおもしろかったです。
 渡しは小学生のころ佐賀県にすんでいたのですが、そこには背振山脈と言う山脈があるのです。サンカと何か関係があるのでしょうか。またそのころ髪もひげも伸ばしナップザックを背負った異様な3人連れの男の人達を見かけたことを、あまりにも異様だったため覚えています。あの人達はサンカだったのでしょうか。

朱奈 - 2001/08/24(金) 18:19<

こんにちは

こんにちは、また来ちゃいました。今回は色んなページを拝見させて頂きました。
Photo ギャラリーでの写真、とても心が洗われるようでした。緑と水の組み合わせはとても素敵です。
他にも便利なページがたくさんあって、ビックリしました。
塩とか薬草とか...興味があるものだったので、じっくり読んじゃいました。

ヤゾーさん、風の王国掲示板にも書き込みさせていただきました。
それでは

kumanoの無頼派ピンクのトカゲ - 2001/08/24(金) 16:25<

まさしくそれです。

あかねさん
まさしくそれです。
これを避けては通れません。
そのとき、長吏部落(穢多村)と向き合えるか、目を逸らさずに居られるか?
最初にkumano来たとき、この問題には触れない方がいいとDonglyさんに釘刺されました。
ワルやってたときの仲間。
何人も部落出身者居ます。
やるならヤツラのためにも現実問題として、徹底してやりましょう。
中途半端で止めるならこのあたりで話題変えましょう。

ヤゾ− - 2001/08/24(金) 15:15<

河原と散所

「屠は、よろずのいきたるものを、ころし、はふものなり。これは、りょうしというものなり。
沽は、よろずのものを、うりかうものなり。これは、あき人なり。これらを下類というなり。(中略)
りょうし、あき人、さまざまのものは、みな、いし・かわら・つぶてのごとくなるわれらなり。」

と、真宗門徒の聖典・五五三頁にあるようですが、

そのような賤民群の中に、河原と散所の二つの流れがあったとされています。
時代が下るにつれて散所の民も河原の民との区別なく賤民とされたようですが、
平安末期頃に、神社や寺院の所有する散所に流人や難民が入りこんできます。
そうした人々は雑業に従事する人々でありましたが、
散所に住居する条件として、支配社寺の所定の奉仕義務を負わされることになります。
それは巨大な支配力をもつ社寺に隷属することで、逆に保護を受けることでもあります。
それにくらべて河原の民には隷属の義務もなかったかわりに何の保護もなかったといいます。

台風の後にはバカ釣れすることがあります。
それで釣りバカが釣りに行こうと誘うので、
今から、釣りに行ってまいります。

サクラさん、きょうかいさん、こんにちわ。
あかねさん、稲荷と産鉄について、ありがとうございました。
釣りから戻ってきたら、報告します。

“お願い”

リアルにサンカの姿を描いた『鳴けない山鳥の詩』の中に、白山信仰について書かれていたように思うのですが、
白山についてどんなことが書かれてあったのか、本を買った方は教えて下さい。

あかね - 2001/08/24(金) 14:23<

稲荷と産鉄

>稲荷信仰とタタラには深い関係があるようなことを聞きますが
 ヤゾーさん、好きな話題をふって下さり、有難う。おミヨさんも! 稲荷には「稲穂が成る」や
「鋳成り」説などがあり、農耕の進展には鉄製道具が不可欠であるというのも大きな関わりですよね。
稲荷信仰についてはご存知、神奈備さんがわかりやすくまとめておられるのは、ご覧になられました?↓

   http://www.kamnavi.net/inari/index.html

 山砂鉄採取は赤鉄鉱を多く含有する山土を、水流で下方へ流して得るため、その初期には扇状地の
田の開発になりました(鉱山のある地は長石粘土に恵まれ、土地が肥沃で農耕にも適す場合が多い)。
また鉱山の水脈把握は、鉱石採掘の際に重要です(例えば武田信玄の弟配下となった産鉄の「百足衆」も、
水脈を見つける技術を持っていたそうです)。
加えて精練にも、水は不可欠ですね(もちろん田圃開発後には、農繁期に採掘・精練を行うと田が荒れる
ので避けるべきなのですが、中々そうはいかず、近世になっても、農繁期には山師等側へ農従事者から、
苦情が絶えない事が多かったそうです。と言っても、農民も農閑期には鉱石運搬に従事し、率の良い
金子を得る場合が多々あったとかで、難しいところなんですが)

 遡って褐鉄鉱(錫)の初期製鉄時代には、葦や蒲等の禾本植物の根元に成す錫を採取するため、同時に
湿地開発にもなったようです。産鉄にとって水辺、水脈を押さえる事と、農耕には深い関わりがあり、
漁民の道具と農具、鉱山道具(中には杣や伐採道具も)、大工道具(鉱山の樋大工等)に共通点が多く
見られるそもそもの理由は、この辺りにまで遡ります。

 本来の大地母神としての産神、原始宗教としての稲荷信仰へ、天台密教の『茶枳尼天』(天台密教は
学研エンテリカシリーズがわかりやすいです)、禅寺で見られる『ウスサマ明王(雪隠の神様。汚物を浄化する)』
等や、「掃く」から便所神・箒神・安産(白砂等)信仰、水神、山神(主に東日本)等も習合…。

 オシラサマや白山信仰も関係があったはず。白は産室の白や女性の白無垢の白で、生まれいずる際には
真白でなければ生まれないという考えもあったそうです。加賀白山のククリ姫がイザナギの汚辱を水で
生まれ清めさせた話も、関連あったかと思います。柳田説では、「シラ」は誕生または分娩と関係した
言葉で、沖縄等に残る産屋はシラとよび、特に「稲積小屋(稲の産屋)」も指していたそうで、生むもの
育つものをシダ、即ちシラと古語では言っていただろうと、確かあったはずです。
加えて和の建築歴史的には、この稲積小屋の神が、後に「納戸神」(納戸は元来は稲を積む部屋→納戸神
の場→夫婦の寝室→子をなす場)ともなっていくようです。←「積む」は、秦氏が秦を賜った起源、伏見
稲荷とも関連してますね。

 あ、タタラとダイレクトに関連してるのは、タタラが「ホト」に例えられる、という基本的な事を
忘れてました。鉄が何度も再生する、生み出される力がある→穀・稲霊へと。
他には、鍛冶屋の妻が、産婆を勤める場合も多くあった点も、ありますね。
 あ、汚物の話では、梅原猛説の葦原醜男の「シ」が、アイヌ語で汚物を指すという強引と思える説は、
掃く、白、清めて再生する、穀物神、生み出す力辺りの信仰とも絡めて考えているのかもしれませんね。

 話が飛びますが、「四谷怪談」縁の「お岩稲荷」は、鉱物採掘加工と関連してるようです。
武家ですが「伊右衛門」とは、江戸時代、優秀なマエビキ鍛冶に与えられる登録商標だったとか。
 仕事中に急いで書いてるので、話は前後するは、うろ覚えだわ、ですみません。間違いがあったら
ご容赦下さい。だいぶ、色々抜けてますが、すぐ思い浮かぶのは、こんなところです。

>ピンクのトカゲさま
「長吏由来」書と白山の関係を思い出しました。

きょうかい - 2001/08/24(金) 03:19<

ちょっとずれますが、白衣について

以前、何で医者、看護婦は、白衣なのかと考えてました。写真を見てると
大正のある時期までは、黒衣なのです。なぜかというと特に外科医は、
返り血を浴びるにで目立たぬようにしてたみたい。ということは、あまり洗ってない
ということ。ゼンメルワイスという人が、感染という事を発見するまでは、
不潔はどうでも良かったみたいです。きょう、たまたま「葬儀屋さん」(八尋一郎)
という本読んでたら、葬祭の正装が、もともと「白」だったそうな。たぶんそれが
今の「黒」に変わったために医療は、「白衣」にしたのかなと思いました。
 でもどうして葬祭は「黒」になったのかなあ?誰か教えてください。
20年くらい前、祖父の法事で白ネクタイで行ったら、従兄弟の嫁さんに、
まじで軽蔑されたのを思い出しました。単に知らなかったのです。

サクラ - 2001/08/24(金) 01:59<

ながれ...ながれて

昔、川は曲がりくねり
たくさんの水害をおこし、時には急に時には緩やかに自然を育んできたという。
いま、曲がりくねった川はなくなり...ダムが出来た。

言の葉が生き物として、移り変わりゆくなかに
昔の息遣いきこうとしている...

なんて思っていたら、
昔読んだ「もう一つの万葉集」イ・ヨンヒ著がめにとまった
万葉集を古代韓国語で読み解いてみた本ですが、
一つ一つの言の葉に込められた意味が今までとは違った形で読めそうで、
またよんでみようかなぁなんて思っています。

大泊瀬稚武天皇(雄略天皇)の
こもよ みこもち ふくしもよ むぶくしもち
が
狛よ 瑞穂の狛たちよ 復旧(ぼっく)よ 瑞穂の復旧の者たちよ
なんて読み解いた本です。
ちなみに瑞穂というのは「みちゅ」(水湾というと言う意味の古代韓国語)
「ほる」は郡(こおり)を意味した韓国語。
だからみちゅほる国すなわち広開土王に滅ぼされたびりゅ百済のことだそうです。
「復旧島よ」と言うのは「日本人よ」という呼びかけでで、
みちゅほる国の高句麗系の狛続が彼らの占領地を呼ぶ時の呼称だとかかれてます。

ね、韓国語で読み解けるなんて、ちょっと万葉集のイメージ変わって
面白いですね。今度読み直したら、新しい発見が有りそうで、わくわく...

ヤゾ− - 2001/08/24(金) 00:03<

白山は吐く山(火を吐く山)

なるほど、白山とは火山を意味した言葉でもあったのですね。

渡来系の人たちにとって、火山はなによりも嫌なものであったとの話しを聞いたことがあましたが、
確かに、渡来系の人たちが多く移り住んだ関西には火山がありませんね。
と、いうより、渡来系の人たちの中でも、火山を怖れたグループと、神聖視したグループがあったのかも知れません。
縄文系の人たちにとって、火山は身近なものであり、神聖視する存在でもあったので、
縄文土器に見る、火山の爆発をイメージしたものが多いのだという気がします。

それと、朝鮮半島で数少ない火山の一つが白頭山(中国名は長白山)であり、古朝鮮の開祖とされる檀君の神話の舞台でもありますね。
日本の飛鳥〜平安時代にかけて、朝鮮半島の付け根に渤海国(ぼっかいこく)と いう国があり、
歴史上10世紀半ばに契丹(きったん)により滅ぼされたといわれていますが、白頭山の噴火によって滅んだという学説も有るそうです。
また、朝鮮半島において、やはり皮を剥ぎ、漂泊する人たちの呼び名が白丁。

やはり『ハク、白』という言葉には、深いものがありそうですね。

>記紀から抹殺された神です。
>別所心の深層心理でしょうか。

ハク) 私の本当の名は『ニギハヤミ コハクヌシ』 コハク川の化身の白龍。

    本当の名前を取り戻すことの意味かぁ.....

『千と千尋の神隠し』に関したインタビューの中で宮崎監督は、
「途中から仏教や儒教が入ってきたけれど、結局、僕たち日本人の中には、原始的な宗教心が残っている」
というようなことを仰っているようです。

にっちょ - 2001/08/23(木) 22:52<

こんなのもありました。

白には1)長崎キリシタン語で神仏を奉ずる者、2)盗賊・女盗賊
とあり、「白波三人男」で知られます。多いのは」3)別所関連で、
白山(しらやま)、白峰、白子など枚挙にいとまなしです。白衣は
八十八ヶ所参りの死装束と死の直前お世話になる方の衣、明治期まで
の喪服で、褌も腰巻も汚れてても白、奴豆腐も白(坊主の作るゴマ豆
腐は黒色)、車も白色が多く、奥様だけが「しろない」と白のエプロ
ンをかなぐり捨てました。別所心の深層心理でしょうか。

何故か懐かしいDonglyさんの書き込みでした。

ピンクのトカゲ - 2001/08/23(木) 22:15<

しらやまひめ

白山信仰ということになれば、あくまでも「しらやまひめ」が原義です。
「はくさん」で考える前に...
この神も瀬織津姫と同様(というよりオシラを介しリンクするものと思います)、記紀から抹殺された神です。
それと、この問題については、別所、俘囚といったあいまいな表現でなく、穢多というものと正面向き合わなければ、取り組めないと思います。
生半可な気持ち(当然、天皇制の是非は避けて通れません。)では難しいものと思います。

とんちんかん小僧 - 2001/08/23(木) 22:09<

大間違い

『陰陽忍軍歌』で鉢屋七平とは鉢屋弥三郎の変名だと言いましたが、後で調べて見ると
違うことに気づきました。
 鉢屋七平なる人物は、鉢屋衆の棟梁となったので鉢屋の名字を名乗っているが、本名
は、なんと笛師七平といい銀兵衛亡き後に鉢屋衆の棟梁に任命されたようです。
 鉢屋衆について、新たなる事が判りました。いずれ発表します。

おミヨ - 2001/08/23(木) 20:26<

前につづく

お稲荷さんとタタラ深い関係があります。

白山も吐く山(火を吐く山)でやっぱり関係あります。

タタラにくわしいあかねさんしばらくです。

あかねさんいっぱい書いてね。

没義道法主 - 2001/08/23(木) 20:15<

台風、グズってましたね

台風の時や大雪の時は考えます。セブっている人やむかしの人は、どうやって雨風をしのいだのか、と。
考えてみるとコンクリの箱で安全に台風をやりすごせるようになったのは、長い人類史の中でも
ここ百年ちょいのことなんですよね。雨だの風だのを恐れるほうが間違いなのかも知れません。
でも文明に毒された私は、アウトドアライフとは対極の人生をあゆむしかないのです。
だからこそサンカとか別所とか、体制やシステムとは無縁の人たちに興味深々。

えっと、長年の疑問だった俘囚と武士の関係、関幸彦さんの「武士の誕生」NHK出版読んで
きっかけがつかめました。関試算で平安中期俘囚数は約三万。そのうち一万が関東にいたそうです。
当時の健児が千そこそこでしょうから、大変な数です。
確か正丁人口が六百万かそこらのころでしょ。(ここらウロ覚え)
人民人口の0.5パーセントが俘囚ということになります。
現在人口に換算すれば75万。自衛隊の三倍以上です。
俘囚は鉄技術者の面と、軍事専門家としての面もあったんでしょうね。俘囚の中から
侍大将になった者も多いと思います。悲惨な奴隷と言うより、やっぱローマ帝国のゲルマン人
じゃなかったのかなあ。

おミヨ - 2001/08/23(木) 20:13<

皮と川

昔、トイレの事を「厠」といっていた。流れ沿いに住居を持つ人々は、その流れに桟橋のような、張り出し
を設け、先端に囲い小屋を作って用をたし、天然の水洗トイレであって本来は、「川屋」だったらしい。
その昔、皮をなめすのにアンモニヤが必要なことから皮屋さんが荷馬車でお小水をとりにきていた。
皮と川つながりませんか?ちょっとあやふや。
雪隠は皮屋言葉で節が折れぬように展し乾かす事をいい、引っ張る棒杭のことですって。

Donglyさん復活で〜〜〜〜〜〜す。

ヤゾ− - 2001/08/23(木) 19:45<

再び『ハク』について

ハクという言葉を考えてみましたが、泥沼にはまってしまい、訳が分りません。
自白、白状の白と吐くには共通した意味があるように思います。
では色を表す『白』はどこからきたのか調べてみると、
ドングリのハカマを剥ぎとると、色が白いところからきたものだと言います。(本当かな?)
ということは、河をテリトリーとした狩猟民が皮を剥ぎ、ドングリを食べるのにハカマを剥ぐという行為から、
ハクという言葉が生まれてきたのかも知れません。(無茶苦茶言っていたらゴメンナサイ!)
その『ハク=白』が、やがて白山信仰として、主に原住民系の人たちの信仰になっていったのでしょうか?(もの凄い飛躍です!)

>皮屋がアンモニアを持ちにくるから厠

なるほど、言葉は奥が深いですね。

>ヤゾーさんの体も風で揺れてた

はい、飛ばされそうになりながら撮影してました。
ところで、稲荷信仰とタタラには深い関係があるようなことを聞きますが、
何かご存知ありましたらご教授下さいませ。

あかね - 2001/08/23(木) 09:37<

荒れる海

ヤゾーさん。フォトギャラリーの新作、拝見しました。
動画も見た。波が岩肌を激しく洗ってて恐いけど、ワクワクもしました。自然の凄さだぁ。
画面が揺れてる気がするのだけど、もしかして、ヤゾーさんの体も風で揺れてた?

ピンクのトカゲ - 2001/08/23(木) 05:37<

カワヤ

Donglyさん復帰すれば、直ぐレスくれるでしょうが、
カワってピンクのトカゲめが
現在のクロームなめしの前は、革をなめすのにアンモニアを用いていたから
皮屋がアンモニアを持ちにくるから厠
当然水も必要

とんちんかん小僧 - 2001/08/23(木) 01:08<

陰陽忍軍歌 (15)

 そして、高倉山へかろうじて駆け登り、上月城方面を一望して驚嘆した。
一ひねりで倒れそうな上月の小城を二重三重に取り囲んだ毛利の大軍――谷も山も田も
川岸も、すべて毛利の軍勢で埋まっている――。
 秀吉は、毛利の力の巨大さを、その時、たしかに見た。
 その同じころ、徳利老人も一族一党の総力をかけて上月城攻めにかかっていた。
 信長より派遣された播磨救援の大部隊約五万余は、徳利老人の放った手の者と、既に
毛利への内応が成立している荒木村重の側近にある池田宗次(池田のオゲ衆と呼ぶ素破
)一党との連携による流言飛語により、秀吉の総帥力が危ぶまれ、各将の意見、主張が
勝手放題となり、部隊は加古川近辺に滞留して動かず、秀吉は完全に孤立し、上月城救援
の軍勢は事実上少しも増加していなかった。
 徳利老人は、徳久以下忍役の腕の立つ者三十人ばかりを上月城内へ送り込んだ。
「尼子勝久の首を取れ」
 目的はそれ一事と心得よと命じ、さらに、子飼いの猫又ら若い組子ニ十人に、上月城
の水の手の砦を焼き払えと命じた。
「鉢屋に用心せいよ、鉢屋は捨て身じゃぞ」
 徳久にも、猫又にも同じことを言った。
 苦境というより一大危機に立った秀吉は、ついに上月城の尼子一族三千人を見捨てて
退却した。信長の諒解を得たといわれるが、退却より他に秀吉の助かる道はなかった。
 天正六年七月三日、孤立無援となった尼子勢はついに敗北。尼子勝久らは自殺し、山中
鹿介は降伏して捕えられた。
 徳利老人は、吉川軍が占領した大亀山陣地で数ヶ所の手傷を受けてもどって来た猫又の
手当てをしながら、その報告をきいていた。
「水の手で、鉢屋の待ち伏せにおうてわしらは全部やられた。徳久のお頭は鉢屋の頭と
刺しちがえて死んだと――仲間の一人が言うたが、その鉢屋の頭は、牛方宿の常吉じゃ
ったとョ。ほんまかなァ」
〈徳久が死んだ――常吉が鉢屋七平だった〉
 徳利老人は恐怖とも敗北ともわからない気分の中で、じっと動かずにいた。   終

ヤナギムシ - 2001/08/23(木) 01:02<

ヘヘヘへへへへーークション

だれや、、ふん・・好き好んでようあんなとこに・・いくわ!!
   あほちゃうか・・・
         なんでやなつれっててくれへんかったん・・

  なんて、アホの言えるヤナですが・・災害の時・・あまり冗談もいえません
    みなさん・ご無事でしたか!!

     じいじさん、donglyさん、いろいろ語りましょう、そして教えてください
  お二人は、がんじみたいですね・・・鳴けない・・山鳥だって鳴いてみたいでしょうに
         遠くでその声きいてる人だってあります

   ときには、すごく楽しみにしている・・雛鳥だっているんですよ
      親鳥の気持ちで・・鳴いてください

           楽しみにしている・・・ヤナギムシでした


          おおおおっと・・親鳥さん、ヤナギムシは、食べないで!!
                注・・・   下痢しますから・・けけけけ
       

ヤゾ− <http://www2.csc.ne.jp/~kumanolife/index.html> - 2001/08/23(木) 00:07<

河、皮はなぜ同音なのか?

みなさん、こんばんわ。
お陰さまで、これといった被害もなく、台風を無事に過ごすことができました。
でも、後始末が少し大変でした。

『千と千尋の神隠し』の中で、主人公のひとりである白が河の神であり、本当の名がニギハヤヒからきているのには、
どういった意味があるのだろうかと考えていました。
ある方に聞いた話によると、宮崎監督は映画を作る際に、膨大な量の資料を参考にし、
それらを上手く作品に生かしているところが、天才と呼ばれる所以であると聞いていましたので、
なにか意味があるはずだと考えていました。

カワという言葉は原始日本語だと言います。
では川と皮とでは全く違うものなのに、どうして同音なんでしょうか?
古代の人たちにとって、川は大地に被さる皮のように感じたからでしょうか?
それとも、皮を剥ぐ場所が川の近くであり、密接に関係していたからでしょうか?

ハクの同音語には剥ぐ、掃く、伯、白等があります。
剥ぐと掃くとでは、表面のものをはぎとるという意味があるのでなんとなく分ります。
では、伯にはどういった意味があるのかというと、長輩の男子、諸候の長という意味があるそうです。

それで、なんとなく河と白が関係のある言葉のような気がしてきましたが、
それ以上のことは思い浮かびませんし書いていて訳が分らなくなってきました。

Donglyさん、早く復帰してなにか教えて下さい。


朱奈さん、はじめまして。

あまり知らない僕が答えたら、嘘になるような気もしますので、
お知りになりたいことをメールで送って下されば、
知人のタヌキ憑きか言霊遣いかは分りませんが、
その人に答えを頂いてからメールで返事させて頂きます。
それを見て、自分の感性で判断して下さい。
今後とも、よろしくお願いします。

山ちゃんさん、はじめまして。
ありがとうございます。
今後とも、よろしくお願いします。

久しぶりに 【Kumanolife Photo Gallery】を更新しています。

http://www2.csc.ne.jp/~kumanolife/index.html

山ちゃん <http://www5c.biglobe.ne.jp/~qr3535/.htm> - 2001/08/22(水) 21:58<

前からみてた

このフォーラムに登録される前からこのページを見てたよ
相変わらず凄いページで感心致します。
フォーラムにページ紹介された記念にカキコです。

朱奈さんへ・・・
私も言霊関心派ですがどう言った意味でのご興味なのでしょうか?
もし私の知っている範囲でも言えますし、ヤフー検索エンジンで"井沢元彦""作家"で検索すると
井沢元彦先生(言霊研究家)の公式ページがあってそこそこ知れますよ。

朱奈 - 2001/08/22(水) 18:39<

初めまして

初めまして、朱奈と申します。
言霊について、探していたらこのページに辿りつきました。
私も言霊について大変興味を持っているのですが、私のまわりにはそんな風な人がいません。
この掲示板にこんな事を書いて良いのかかなり迷ったのですが、書かせていただきました。
言霊について私も学びたいと思っているのですが、もし宜しければ言霊について知っている限りで
いいので、教えていただけませんでしょうか?
メールでもOKなので、お願いします。

突然こんな事をお願いしてしまって、申し訳ありません。
それでは、失礼します。

とんちんかん小僧 - 2001/08/22(水) 14:56<

陰陽忍軍歌 (14)

うみさん
レス有難うございます。キャンプ楽しんで来て下さいね。
あと2回程で終わる予定です。次回作からは再び短編です。

もんむーさん
山田風太郎は、19、20歳の頃、よく読みましたよ。
本当に惜しい人を亡くしました。一度会いたかったなー。


副題:上月城落城と尼子氏の滅亡
 上月城奪回に成功した秀吉は、信長の諒解を得た通り、尼子勝久、山中鹿介ら
主従に上月城の守備を命じておいて、三月二十五日、姫路へ引き上げた。
 しかし、尼子がこの上月城守備隊につくことについて、尼子の重臣立原久綱(
鹿介の母の弟)は反対した。城として西方の地形が脆弱で、ここに立て篭もる者は
必ず敗北している事実を見ても、われらは、上月城に入るべきではない、というのが
、久綱の言い分であった。これと同じ判断を秀吉も持っていた。秀吉は上月城を廃城
にしようとしたのだが、山中鹿介のたっての願いを容れて、尼子の城として与えた。
 尼子一族は、城も土地も持たぬ漂白の牢人部隊にすぎなかった。鹿介は、その尼子
のために城が欲しかった。城が、たとえ“陣場借り”に似た預りものでも、御大将
尼子勝久に城主となってもらいたかったのである。
 上月城の復旧工事が慌しく始められた。本丸は半焼け状態で残っていて何とか使え
たが、ニの丸や南北の出丸、矢倉は焼失しており、特に重要な水の手、目高の集落に
ある菖蒲谷――そこには四季を通じて涸れることのない大量の湧水があった。鹿介は
水の手を守るために、目高の出丸に兵五百を詰め、水源地守備には盟友熊谷新右衛門
を隊長として兵三百を配した。
 日が経つにしたがい、旧地出雲や山陰各地から、尼子の旗揚げときいて譜代の臣や
牢人が集まり、総勢三千人を越える勢いとなった。
 四月十二日、京都出撃を計画していた吉川元春が、小早川隆景の再三の意見(宇喜多
直家に異心ありとの意も含め)に従い、京都出撃を変更して、小早川軍に合流して上月
城攻めに決した。その総兵力約五万六千余。
 これに宇喜多忠家(直家の弟。直家は病気と称して出陣せず)隊一万余騎が加わり、
まさに、怒涛の如く押し寄せ、たちまち上月城を完全に包囲してしまった。
 そのころ、秀吉は三木城の支城である加古川の野口城攻撃にかかっていたが、上月
城の尼子より救援の訴えが相次いで届いてきた。秀吉は緊急を要する上月城援護のた
め、三木城攻めを一時手控えにし、救援軍として姫路に到着した伊丹城主荒木村重を
副将に任じ、二万二千の兵力を編成して五月五日姫路より佐田郡へ向った。―つづく

きょうかい - 2001/08/22(水) 14:08<

去勢されし大河

15万年前海面は、今より100M低かったそうです。後に東京湾と言われるところは、
古東京川が、太平洋に注いでいました。当時の中州が湾内に残っています。
その支流には、多摩川、入間川、鬼怒川(利根川)という3つの大きな流れ。
 こんな時だけ、かすかに甦る、はるかなる大河多摩川。うれしい・・

ピンクのトカゲ - 2001/08/22(水) 11:11<

豊橋支局

さしたる被害もなく今は青空が広がってます。
今長靴はいて会社の周りうろうろしてます。
クミコさんご心配なく、
台風これから接近する皆様
ご無事を祈ります。

クミコ - 2001/08/22(水) 09:13<
ピンクのトカゲさん
長〜〜いです!
目がチカチカしてきたので、
少しずつプリントアウトしながら
ぼちぼちいきます。
台風無事をお祈りしています。

ピンクのトカゲ - 2001/08/22(水) 08:32<

豊橋支局

また、雨降りはじめました。工場の周り冠水してます。これはいつものことですが
ヤゾー
昔は、私も台風の前海行きましたよ。ボード持って

ピンクのトカゲ - 2001/08/22(水) 07:12<

台風情報

こちらクマノライフ豊橋支社です。
豊橋付近再上陸と言うことですが、今は、嵐の前の静けさとも言うべき状況です。

おミヨ - 2001/08/22(水) 06:21<
ヒナン(美男)が避難して非難されて撮ってきた写真

なんか雰囲気でてて、いいですねー。

なんか以前にもこんな写真見たことあるような〜〜〜。。(^^)

やぞー - 2001/08/22(水) 00:05<

爆睡してました

あかねさん、お久しぶりでした。
ご心配かけて、すみません。

もんむーさん、ありがとうございます。
なんか、今は風も雨も殆どありません。

あの怒濤の荒れ狂う海を見たからか、なんだかほんわかしてしまい、
沈静効果でもあるのか、久しぶりに爆睡してました。
頭は今でも寝ているようです。
どうやら雨はそうとう降ったみたいですが大丈夫そうです。
下の川の音がゴーと聞こえるだけです。

東海、関東地方の皆様は、これからだと思いますが、
お気をつけ下さい。
今度の台風はどちらかというと雨台風だと思います。

では、再び爆睡します。

もんむー - 2001/08/21(火) 22:10<

嵐のセブリ

台風の日のセブリってどうしてたんでしょうねー。

とんちんかんさん、こんばんわ

いだ天百里、山田風太郎が亡くなったことが契機になって、増刷しているよう
です。町の本屋さんでも手に入ると思いますよ。とんちんかんさんの感想も聞
いてみたいです。この作品、ハードボイルド風かと思うと脱力ギャクもあり、
良くも悪くもエンターテイメントなのですが、ちゃんと撫衆の自然観も描かれ
ています。自由民と歴史に縛られた人々との葛藤がテーマのように思いました。

やぞーさん、山小屋はだいじょうぶですか?
いまがまっさかりだと思いますが、山崩れとか気をつけてくださいね。

今日から南信濃の遠山郷に行く予定だったのですが、とりやめになってしまい
ました。残念。あそこらへんは椋鳩十の故郷で、子供の頃、遠山でサンカの話
を聞いたことがあるそうですから、そこらへんを調べたかったんですけど。
あと、長尾宏也さんもここらへんの杣人の話を書いています。

でわでわ

あかね - 2001/08/21(火) 21:44<

ハラハラ

皆様、ご無沙汰です。実家へ帰省しており、昨晩大阪へ戻ってまいりました。
北摂も、ますます雨風が強くなってきてます。みなさまも、お気をつけ下さいませ。

ヤゾーさん
ドアがもぎれてしまう、デジカムで撮影…そんな恐いこと、お止めになって下さいませー。
気持はちょっとわかるけど、読んでて、ハラハラしてしまいました。臨場感ありすぎ〜〜。
大変迫力のある海の写真で、まるで薄墨で描いたかのように美しく、厳かですらあるのですが、
危ないよぉ〜。もう、台風の海へは行かないでね。

ヤゾ− <http://www.kumanolife.com/Topics/8_21.html> - 2001/08/21(火) 18:25<

避難して非難されてきました

みなさん、ご心配して下さって、ありがとうございます。

避難を非難と誤字してましたが、
その通りに避難する積もりで海を見に行って、
パトロールのおまわりさんにアホかと非難されてきました。

アハハハ・・・ (-_-;)

少し前に山小屋に戻ってきましたが、
どうやら台風はこれからのようです。
また、なにかありましたら報告します。

台風の海をページにしています。

http://www.kumanolife.com/Topics/8_21.html

ピンクのトカゲ - 2001/08/21(火) 14:38<

ヤゾーそっち大丈夫か?

ヤゾーんとこの高原大丈夫か?
オレんとこの工場ある高原 名前だけで低地の田んぼの中だで周りの道路冠水し出したぞ〜
いま浜松から帰ってきたけど、浜名バイパス通ってきたら、遠州灘ウドまいていたぞ(うねっていた)
ヤゾー気をつけろよ〜
危なくなったら、ちゃんとバコシせろよ〜
三河の香具師のヤゾーも気をつけるから

きょうかい - 2001/08/21(火) 13:16<

お気をつけあれ

ヤゾーさん
特に何もなくても、ご自身の安否を時々、ご報告ください。
  

うみ - 2001/08/21(火) 02:17<

台風直撃ヤバイですねぇ〜

 こんにちは。久しぶりにカキコさせていただきます。
うみと申します。

私もじいじさんの書き込みを読んで、なんだか胸が熱く嬉しくなりました。
またいらして、色々なお話を聞かせてください。ぜひ!

 ヤゾーさん、台風直撃ですね。ヤバクなったらさっさと逃げてくださいね。マジで。
数年前、鹿児島のネット友達とチャットしている最中に台風が直撃したことがありました。
ちょうどチャットも真っ盛りの夜中の2時、
彼女の隣家の新婚の奥様が彼女の家に駆け込んできて
「車出してくださいませんか・・・主人が流されて・・」と泣きながら入って来られました。
一部始終をリアルタイムで書いてくれてた後、彼女は車ででかけたのですが・・・。
翌日のチャットによると、ご主人は見つからなかったようです・・。
モニターのこちら側でどうすることもできず、歯痒く悔しい思いをしました。
(不謹慎ですが、実は・・・興奮もしました・・・)

ヤゾーさん、実況中継もまぁ読む側としては楽しい?のですが、
命に関わらんうちにはよ逃げてくださいね。

>とんちんかん小僧さん
「陰陽忍軍歌」いつも楽しみに読ませていただいてます。
母方の田舎が上月町なもので。田舎の闇の濃さが脳裏によみがえってきます。
来週は南光町にキャンプに出かけます。千種川の支流の小川で水遊び。
蛍はもういないでしょうね・・・。 

・・・・ではでは・・・・

とんちんかん小僧 - 2001/08/21(火) 01:39<

陰陽忍軍歌 (13)

ピンクのトカゲさん
有薗教授の本、紹介ありがとうございます。探して読んで見ます。

もんむーさん
山田風太郎氏の『いだ天百里』面白そうな本ですね。
私も探して読もうと思っています。個人的にも、好きな作家の一人でしたし、
彼が忍び者を書くようになった時、日本で最初に『忍法』なる言葉を使った
ようですし、『くの一忍法』シリーズもいい味を出していると思いますよ。
サンガが外国で自由に暮らしていたって事、何か本で読んだ事あるような
気がするので、また次まで調べておきますので。


 熊見河原における残忍な処刑は大方終わっていた。老人はその方向に眼を向けたまま、
「これで、徳岡一族は、むかしのウラタタラ――にもどることが出来るかもしれぬな」
と呟くように言った。
 徳岡一族の祖は、山陽・山陰の西部一帯を支配した大内氏とその遠祖を同じくする、
多々良氏であった。百済聖明王の第三子琳聖太子が渡来して多々良氏を称したことに
始まると伝えられ、徳岡の祖は裏多々良としての任務に生きたが、その忍びの術は百済
の遁甲術といわれてきた。大内氏が家臣陶晴賢に討たれて滅亡、その陶晴賢を毛利元就
が討ち取った時、徳岡利兵衛は一族を率いて元就に仕官し、元就の信頼を得た。
                                    −つづく

バリ師 - 2001/08/21(火) 01:07<

三途の川にて

にっちょ様、ヤナギムシ様、同じ釣り師としてのお悔やみのお言葉、痛み入ります。

身内が亡くなると、忌明けまで殺生を慎んだりいたしますが、病床で「もういっぺんバリ釣りに行きたい」と願っていた師匠の心中を思い、近々、師匠の竿袋を持ってバリ釣りに行ってこようと思っております。

博打に博才があるように、釣りにも釣才があるような気がいたします。私の知る限り、たんと魚を釣ってくる人は、例え陽気で声高に喋ろうとも、その眼の奥には何か「深く暗い感じ」を持っております。それはそのままサンカの遺伝子であり、縄文人の遺伝子ではないかと睨んでおります。良い釣りを!

ヤゾ− - 2001/08/21(火) 00:03<

台風直撃か!?

>カスタムナイフ大好きです。ぜひ一度自分で作りたいです。

作るのは思ったより簡単だと思います。
問題は道具だと思います。
しっかりとした作業台と万力、ベルトグラインダー、ヤスリ類が必要です。
でも一番高価なベルトグラインダーでも3、4万位ので充分だと思います。
一度自分でナイフを作ってみるというのも貴重な体験かも知れません。
その気になれば、なんでも作れちゃう気になれますから。

>ヤゾー急に振ってごめん なんか知らない?

タバですか? う〜ん、聞いたことないです。僕もゴメン!


>台風接近のニュースに、直撃されないかと心配しています。

サクラさん、ありがとう。

そ、そうなんですよ。
台風が直撃しそうで大変なんです。
小さい頃から台風が来るとワクワクして、海を見に出掛けたりしていました。
でも、今では憂鬱な気分になってしまいます。
3年前の全国的に爪痕を残した台風では、こちらでも大きな被害が出ました。
山小屋も傾きましたし、地元では一週間も断水と停電が続きました。
都会だったらとんでもないことですが、地元の人たちは結構楽しんでいるようにも感じました。
僕は難儀しましたけど。

う〜ん、どうしようかな。そろそろ風が強くなってきたしなぁ〜
ロケーションが良いかわりに風当たりも強いから、
オズの魔法使いみたいに小屋ごと吹き飛ばれたりして?
そうなったら、ドロシーならぬアメリカまで飛ばされてドロンパになったりして?(あ〜しょうもなぁ それにちと古いです)
やっぱり何処かへ非難しようかな? ← 結構深刻に考えてます。
それともネットで実況中継してやろうかな。
3年前の台風の時には、山小屋が傾いて、小屋を捨てて逃げ出すまでを、
携帯電話で友人に実況報告してあげたら、後であんなに面白い電話はなかったと言ってたもん。


PS

じいじさん。サクラさんだけでなく、何人かの人が、じいじさんの文章からは、
とても素晴らしいものを感じましたとのメールが届いていますよ。

サクラ - 2001/08/20(月) 20:52<

おなじだなぁ...

今朝、じいじさんの書き込みを見て出勤。
絶対にかえったら書き込みしようと考えていました。
じいじさん、じいじって呼ばせてもらってもいいですか?
そして、沢山いろんなこと、話してください。
聞きたいのです...

やぞーさん、
台風接近のニュースに、直撃されないかと心配しています。
やぞーさんはしっかりした丸木小屋建ててるから、
ちょっとやそっとでは、大丈夫と思っていますが、
クギ一本くらいなら、頑張って送ります..
ひとでが欲しい時...ヤナサンでも送ります

タヌコもヤマガラも嵐の中、頑張って生きていくんだろうなぁ..

おユキちゃん、久しぶりです。
いい夏休み過ごせましたか?

そして、