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2007年12月30日(日)11時45分までのKumanolifeGuestbookへの書き込みです。



 No.:136   管理人ヤゾー 0 2007/12/30(日) 11:45
アーカイブとして終止符を打ちます
みなさん、ながいあいだお世話になりました。
ここはアーカイブとして役目を終えます。
よい交流をさせていただいたこと、
またたくさんのことを学ばさせていただいたことに、
心から感謝しています。
ほんとうにありがとうございました。

管理人ヤゾーとしては、
引き続き新しく立ち上げたティルムン・ネットワークにて、
管理運営をしてゆきます。


ティルムンの空は澄み ティルムンの地は清く ティルムンでは人々は思慮深く聖なり

http://tirmun.net/

 No.:135   皆神龍太郎 0 2007/12/29(土) 23:28
クマノライフ閉館
クマノライフも今年限りなんですか?
久しぶりに覗かせていただき、ちょっと驚きました。

先日、筒井さんとお会いしたんですが、筒井さんも山窩の研究はもう止めると言われてました。
山窩の研究をしても世の中からちゃんとした反応がないから、というのがその理由だとか言われてました。

ハジメさんら、三角寛が書き残した山窩の末裔を最初に見つけ出され、三角寛の山窩研究批判を本格的やられた筒井さんが山窩研究を止められ、クマノライフも閉館を聞くと、山窩研究の歴史がまたひとつ消えていくような気がしています。

兎に角、長い間ご苦労様でした。

 No.:134   こうへい 0 2007/12/29(土) 17:08
まちがいm(__)m

 見慣れてるのは、東西に走る山脈のまちがいでした。

 No.:133   こうへい 0 2007/12/29(土) 17:06
錯覚?
 今日、軽トラに荷物を積んで奈良からの帰り、香芝市穴虫から高架の道路にあがりました。

 右に二上山が見えてます。

 当麻寺の看板があちこちに見えます。

 どうも、東に向かって走ってるような気がする。

 で、方向磁石で見ると、ちゃんと南に向かってる。

 どうもおかしいな?と思いながら、二上山の回りを走ってるのか今度は南に走ってる気がする。

 で、方向磁石を見ると針がクルクルと安定しない。

 あれですかね、ボクは南北に走る山脈を見慣れてる。

 で、南北に走る山脈の沿って走ると、勘が狂うんでしょうか?
 

 No.:132   yoshiko 0 2007/12/28(金) 15:55
クマノライフよありがとう・6
早いもので、あと数日で年が変わっちゃうんですね・・・
一年なんてあっというまですね。

私のようなサンカ門外漢をも
優しく受け入れてくださった
管理人さん、こうへいさん、ヤナさん、おりょうさん、ヨーカンさん
とんちんか小僧さん、Pikkiさん、みなさん
本当ありがとうございました。m(__)m
クマノの皆さんには、本当にいろんなことを
教えて頂き、とても勉強になりました。

昨年から今年にかけては
公私ともに忙しく、ほとんど
カキコもできませんでしたが
気持ちのうえではクマノが途切れてしまったことは
一度もありませんでした。

閉鎖になってしまうのは、ちょっぴり寂しいですが
でも、これは新たな始まりの第一歩なんですよね♪

進み方はそれぞれ違えども
方向性に誤りがなければ、辿り着く所は
同じだと確信しています。
みなさん、どうぞこれからもよろしくお願い致します(*^0^*)

管理人さん、長い間本当にお疲れ様でした!
これからのティルムンでのご活躍を楽しみにしていま〜す☆



*****************************************************************

最後に、元気の出る動画をご紹介させて頂きます♪
以前、管理人さんが紹介してくださった『ふわふわのくに』と同じ種類かも!?

『WALKING TOUR』
http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=6468


私は元旦から仕事ですが(涙)
みなさん、良いお年をお過ごしください(*^0^*)/


 No.:131   りんご 0 2007/12/28(金) 12:19
ありがとうございました
 パソコンを見始めたばかりの頃、玉置・天川 関連の著書がある、浜本末造さんの検索から、クマノライフを知り、とっても楽しみに拝見していました。
 管理人様、皆様、本当にありがとうございました。

今 私が読んでいる、
『淡路の神秘 エル.エロヘ.イスラエル』
http://www.atc.ne.jp/seikindo/awaji/elelohe.htm

という本では、
播磨風土記、播磨一之宮伊和神社、ひいては祭神の 伊和大神(いわのおおかみ) を知ったのですが、
読んでも 々 尽きぬ驚きがあり、ぜひ皆様にお手にとっていただけたら、幸いに思います。
では、皆々様、お元気で !! そして よいお年を。

 No.:130   PIKKI 0 2007/12/28(金) 02:54
どっちへだ
URL http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/pikkipikki/diary
どっちが 明日への方向だろう
どっちが 君の本当の姿だろう

君なら
どっちへだろうか
夕陽の中で見詰め合う
昨日へだろうか
それとも
諦めへと退却し続ける
明日へだろうか

町は
最後の時代の雑音だらけ
過去は
積み木の町の
人形たちの涙で大洪水

未来を知りたいというなら
どうか
俺の頭をかち割ってくれ!

 No.:129   おりょう 0 2007/12/27(木) 23:55
クマノライフよありがとう. 5
皆様、長い間ありがとうございました。

いつも温かい空気で居心地よくしてくれた皆様ありがとう。

こられなくなってしまった蜜柑さんありがとう。

心が萎えたときいつも声掛けしてくれたヤナさんありがとう。

そしてここを訪ねてこられていた皆様ありがとう。


ここの常連の方々(こうへいさんたち)の次のセブリ地は何処?

私は引き続きサンカを求めてネット内を流浪して歩きます。

管理人さまありがとうございました。

それでは皆様よいお年をお迎えくださーいね。






 No.:128   こうへい 0 2007/12/27(木) 18:09
クマノライフよありがとう・3
帰ったら先ず見るのがクマノライフでした。

ここがあったから、経験のない世界に入れた気がします。

質問に答えて下さった、見知らぬ人たち・・親切に感謝します。
ありがとうございました。

トモダチになってくれた人たち、ありがとうございました。

また、どこかでお会い出来るのを楽しみにしております。

 No.:127   ヨーカン 0 2007/12/27(木) 09:05
クマノライフよありがとう・2
傀儡子の村から(みなさん ありがと〜!)

久しぶりに街を見渡せる山に登って眺めてみました
メジロ捕ってた子供の頃に同じ地で見た風景とはまるで異なっています
古い町並みは壊されて工場が立ち並び、新興住宅がギッシリとならんでいます
かっては目立ったお寺の屋根がビルの陰に隠れて
燻った茶色と木の緑が、今は赤や白やらの派手な色合いの街になりました

クマノの風に触れていなければ・「変わってしまったな〜」で オシマイでしたね
PCさわりだしてすぐにクマノと出会えてよかったです

りんごさんの関連投稿を見せて頂いて調べてみたら、なんとま〜驚きました
「播磨鑑」に依れば 播州には7箇所にクグツの座本があったと書かれております
・・その中に私の住む地がありました 仰天・・!
 
ポツンとある柿本人丸の祠の意味も、異色な祭りの形態の意味も、きっと知らないまんま・・

この村に居つき、生き抜いてきた先人たちの足跡を知らなければ
教訓は生かせず、失敗は繰り返されます
正史にあるものは、役にも立たない綺麗ごとばかり
苦しみ翻弄されて生きてきた庶民の隠された歴史『野史』こそが
生き抜く知恵と勇気を与えてくれると思うようになりました

たくさんの出会いをくれた「クマノライフ」・・  ありがとう!
たくさんの教示を頂いた諸兄姉の方々に感謝です・ ありがとう!


 No.:126   ya(・ε^)na 0 2007/12/27(木) 01:37
クマノライフよありがとう・・
この約8年間・・
 クマノライフとサンカのことは・・・私の中から消える事はなかった・・
  友人が儚い最後をむかえた時も・・
    たくさんの方々のサンカ研究を教えていただいた時も・・
     魚釣りの好きな方々との会話・・
   モズの生贄やオシラ様・オクナイサマの話・・
  柳田や熊楠いろんな話に花が咲いた時も・・・・

 いつもワクワクする自分がそこにあった!!・・・


    おミヨさん・・tuyaさん・nonさん・yoshikoさん・・良介さん
     バリ師さん・東沢さん・こうへいさん・モンムーさん・ニッチョさん・GAINAさん
      ヨーカンさん・△うぶさん・セブリさん・トンちゃん・・

    そしてドングリさん・青木さん・飯尾さん・他の先生方・・
        ほんとうにありがとうございました・・

            でも私の大好きな世界の探検は限りなく新鮮なまま・・
                       来る年もつづきます・・

      どこかにサンカの痕跡を探して見たいと考えます・・・・
        サンカファンのみなさん、・・・・へっへ

              またいつか・・へへへへ

       

                      へへへへへ
       


  

    

  

 No.:125   PIKKI 0 2007/12/26(水) 00:56
様々な地獄をみた一年でもあり、楽しい一年でもあった
胃潰瘍手術から糖尿病で入院で始まった一年だった。
今年読んだ本のナンバー1は、最後まで、誰にも隠しておくつもりだったけど・・
それは、「井上ひさし対談集」(岩波書店、1999年)。
特に黒澤明監督との対談ー「ユーモアの力・生きる力」(『全集 黒澤明』第六巻1988年より)がすごい!
黒澤映画を全部見直さなければと思う。

職場でのパワハラやセクハラ・・、「仕事しなくていい」どころか、掃除や電話も取るなという半年間もいまは懐かしい。
(学会系企業で「学会員じゃないから駄目なんだ」という特殊な会社でもあったが・・)

それから、交通事故や山での転落事故。
とうとう、さすがの僕も精神的にまいってしまったのが、夏だった。

僕のリストラ体験からいうと、会社を辞めるか死んでしまうかまで、たいがいはエスカレートするから・・
そこを逃げ出したくないとか、納得できないなら、できるだけ詳しい人に、できるだけ早く相談するのがベストだ。

ただ公的機関や弁護士は、あまり詳しくないので、信頼できる労働組合や組合活動に詳しい人間に相談がいい。
僕の場合も、そこでよく聞いて、一人ででもいいから組合を作ればよかったナーと後悔している。

人間人生ー逃げ出すか、闘うかの二つの道しかないのだから。

 No.:124   鼠小憎痔瘻吉 0 2007/12/25(火) 08:05
 花見 より 人見  
 このごろの若げ衆はテレビとパソコンばぁ見て、なかなかに人の謦咳に接しての情報を得ようとはしない。
 完全に成長した文化とか人物の見識はありえないものかもしれない。だが、いちおうの人物と目されるご仁の見識というものは nativity (土着性)で完結した様相を示しているものである。

 オレ、子母沢寛の『勝海舟』を 5回読んだが、幕末の中心人物だったとはいえ、じつにいろんな人びとがナマ情報を得ようとして勝海舟の自宅へ押しかけている。中にはそのまま海舟宅に泊って行っている。
 また、押しかけられた勝のほうも、名札を見て気にくわない者には合わないようにしている。

 去年の年末に他界した先輩のMさんなどは、悩みがあったとき、四里も五里も歩いて、夜中の二時でも三時でも、相手を叩き起してお教えを乞うたと言っていた。

 オレ、二人の若者をけしかけて、二人の人物の自宅へ押しかけさせたことがある。
 一人は眠りのなかで、六代前までの先祖の顔を特定できた人物の Aさん。も一人はこれも今年正月に他界したが Juhouin.com を張っていた加藤喜八郎さん(密教の泰斗)。

 将来なんらかのかたちで人びとに恩返しをやろうとする無限の覇気を持つ青年には、どんな人物もよろこんで会って話をしたいもんである。

 そういう意味あいからいって、一見を奨めたい人物は富良野の唯我独尊のマスターだ。
 この人、16才まで暗い気分に襲われ続けだったが、ある日忽然と嬉しくってうれしくってたまらなくなったという「現代・天狗小憎」である。
 しぜんにこの人物のもとに若者があつまった。数年前市長に立候補して落選したが、今は市会議員をやっているとか。
 カレーとコーヒーの店を富良野の中心地に開いていたが、今は山の独尊、沢の独尊などもやっている。
 なにせまあ、接客業なのに、まったく人疲れしない。
 ある日、オレが行ったときは財布を無くした宮崎県の青年が、ひとから「そんなことなら、唯我独尊のマスターを訪ねなさい」とすすめられてやって来て、その青年と相談してる最中だった。

 No.:123   PIKKI 0 2007/12/24(月) 09:35
陰部露出ではなかった?−クリスマスに日本神話とキリスト生誕を考える
「星座で読み解く日本神話」勝俣隆(大修館書店)やっと読了。いよいよへとへと。

《ところで、天照大御神や月読命の誕生直前に、底筒以下三神が誕生しているのは何故か・・底筒以下三神はオリオン座三星の神格化である。
この三つ星は、水平線上に三つ並んで等間隔に垂直に昇るのでよく目立ち、かつ、上筒之男命の位置に天の赤道が通っているので、真東から真西に沈み、東西を知るよい指標として航海神とされた。
興味深いことに、このオリオン座三星の名を西洋では「東方の三博士」と呼ぶ。キリストは、誕生日のクリスマスが元々冬至の祭りに由来するように、太陽神の性格の濃い神である・・
太陽(キリスト)の誕生(一陽来復)を知ったのが、この説話でなかったのか。
キリスト教の復活祭イースターが語幹に「東」を意味する「イースト」を含むように、「東」は復活生成の聖なる方位であり、それは陰陽道でも同じであった。「ひむか」(ひむか)も「東(ひむかし)」の語幹から来ており・・》(「星座で読み解く日本神話より」)

《イザナギ大神の禊祓で神々が誕生するのは、極めて宇宙論的な壮大な神話といえるのではなかろうか。イザナギ大神は天父神としての性格を持つ。つまり、天空そのものを身体として持つ。(注:それに対してイザナミ大神はすべての命を生み出す大地母神的)
ゆえに、イザナギが禊をすることは、天と海が東を意味する聖地で接触し、触れ合い、ぶつかり合うことで、太陽(アマテラス)や月(月読命)が誕生するという壮大な構想の宇宙的規での神話であったのではないか。(「同上」)

詳しくは、この本参照を。
特に興味深かったのは、ギリシャ神話と日本神話では、太陽や星座の性別が逆になっている点だった。
”日本最初のストリップ”という学会定説のアメノウズメ(=オリオン座)の踊りは、そんなもんじゃなくて・・という著者の説は次の日記にでも。

 No.:122   入谷・クリヤキントン 0 2007/12/24(月) 06:25
サスペンシヴ・NOW
 浅草に近いといえば近い。イリヤ(入谷)には、ホ〜ンと栗焼き工場があるのです。
 あっしが棲んでいる浦和から 30分ぐらいなので、20年前はここの F産業 kkによく行ったもんだ。

 職域で天津甘栗の展示販売やってると、シラン顔して通りすぎた娘さんたちが、展示の道具を片付け始めると、きまって 5 〜6人やってきて「あら、もうやめるの?」と言いながらタカってくる。

 そうと知ったこっちは、忘れたころに行くようにする。「○日めに来ます」では珍奇性が消えるのだ。

 急に大量の注文があった職場は「あ、もうすぐ閉鎖されるんだナ」と思うことにしてる。次に行ったときはやっぱその通りになっていて跡形もない。

 5 〜6年前、ケーブル・テレビを引いたことがある。
 いつも好きな囲碁をやっているので、はじめのころはオモシロかったが、いつも無限の知能しぼりに繋がっているので、興味がガック〜ンと落ちてしまった。
 銭形平次などいつもやっている。が、これら番組はそのむかし、世間に平穏無事に流れたことが判っているだけに、いっこうに気乗りがしない。
 『木枯らし紋次郎』だけは、なんべん見てもシビレるので、毎日欠かさずに見ていたが、7回ほどシリーズこいたらすぐやめた。それ知ってこっちも、ケーブル引きはすぐやめた。

 次の板、現在の時間の流れに介在する事件性とか suspensibilitiveness はどう編まれているのだろうか。

 No.:121   こうへい 0 2007/12/23(日) 22:22
釜中村探検隊始末記?
海南市 別所 は、願成寺が千光寺の別院だったことから別所と呼ばれるようになったと言われている。

願成寺(がんじょうじ) 天台宗、衣笠山。開山、湛慶。久寿2年(1155)開創。千光寺(海南市多田)の別当職(長官)だった湛慶上人が、鳥羽天皇の皇后待賢門院の冥福を祈るために千光寺の別院として建立したと伝え、当初は七堂伽藍が整い、多宝塔などの24堂塔を有する大寺院として栄えたが、応仁の乱や戦国時代の戦禍で堂塔の一部が焼失。本堂は天明5年(1785)に再建。本尊の木造千手観音坐像(秘仏・1月1日、4月18日開帳)は国指定重要文化財になっている。

この、別所が、蝦夷征伐で捕らわれた人々が俘囚と呼ばれ、日本各地、別所移配されたといわれる別所なのかは解らない。

金屋町(現有田川町)釜中村

田殿丹生神社の前にあったという大きな寺最勝寺の釜中にあったという別院とは??

釜中村 元治2年 就切支丹宗門家並印形帳・・Yosikoさんのお知り合いの先生に訳して貰ってわかりました。
    檀家
浄土宗 石垣大乗寺  17軒
浄土真宗 鷺森御坊  17軒
浄土真宗 釜中道場   9軒

で、釜中村全部です。

ということは、

田殿丹生神社の前にあったという大きな寺、最勝寺の、釜中にあったという別院は、元治2年には、もう無かった可能性がある。
天日神社から、村に降りていく途中の左側の低いミカン畑が、寺の跡のような気がする。
理由は、畑の石垣に、五輪の塔の頭がはさまっている。
この畑から、多量の焼き物・・茶碗等が掘り出された。

右上に「寺屋敷」という地名が残っているという。

天一神社

 続紀伊風土記から
 天一神社 在田郡石垣荘釜中村 天一神は一夜巡りの神といふ

 は、現「天日神社」と思われる。

村人は認めていない合祀先の神社では、祭神が天照大神になっている。
・・と、収穫の少ないまま終わります。

 No.:120   PIKKI 0 2007/12/23(日) 18:05
最近までオートバイの見世物も盛んだったとか
URL http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/pikkipikki/diary

寅さん映画や「三丁目の夕陽」より遥かに面白かった 本はー
「間道ー見世物とテキヤ」(坂入尚文)。今年読んだ本の中でも、故郷北海道に関しての本の中でも、ベスト3に入れたい。

特に後半の、テキヤ(飴細工)になっての・・テキヤ仲間や各地の親分衆や極道との付き合いは、誰か映画にでもしてくれんもんだべか。
僕が転々とした北海道の故郷も観られるし。

泣いて、笑って、歯軋りして、頷いて・・一気に読了。
北見だかの「プリズンホテル」(浅田次郎の抱腹絶倒の傑作!)の廃墟や、釧路や小樽や夕張やらのかっての廃墟に行ってみたくなってしまったナー

 No.:119   PIKKI 0 2007/12/23(日) 12:11
ここ数日間で面白かった本についてー
URL http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/pikkipikki/diary
「間道ー見世物とテキヤ」坂入尚文(新宿書房2006年)という本がメッタやたらと面白い。芸大中退の著者の最初の見世物小屋がなんと、北海道。

「白の民俗学」は難解すぎて頭が痛い。
この国最大のタブー「聖と賤、差別と被差別」構造の秘密とは?
昨日やっと読了した「白の民俗学」のテーマを要約すると上記か。

けれども、それが沖縄やアイヌや日本海沿岸に共通するどころか・・
北陸・関東以北の被差別部落に特に多い白山信仰や、それとは反対に信州以西に多いシャクジ神・ミシャグジ神・宿神・魔多羅神等というより始原に近い信仰へとも遡りうるものだと感じた。

そして、このような日本史上最大の謎に初めて気がついたのが、昨日日記に書いたロシアの天才的民族学者ネフスキーだったのではと思う。
「海上の道」という最晩年の傑作を書いた柳田國男や折口信夫もまた当然、彼の話しや著作から当然気がついていながら・・
天皇制や被差別部落という、この国最大のタブーの前で、身がすくんでしまったのかもしれない。

「四天王寺の鷹」にも、権力争いに負けた物部氏の半分は諏訪神社や信州以北へと敗走し、残りは四天王寺の奴隷(ここから今流行の雅楽の東儀氏が出てきた)にされ・・
というように負けた側の人々が次々と、寺社・天皇等の奴隷的身分に落とされ、それがまた近世には被差別部落等へという歴史の流れなのではないかと思う。

 No.:118   切られの与三郎 0 2007/12/23(日) 11:09
オシャカシャマでも気がつくめぇ  
 甲斐源という人物が書いた『死、それは新しい出発だった』という本に、「ある炭坑地方出身の学生が自殺する直前に書き残した遺書に、棚の上の茶わんや鍋窯一切が光彩を放っているとある」が記されていました。
 前後の関係で判断して、その人物は 4才とし上の T さんにちがいない。「ああ Tさんは死んだのか」と思って 20年以上の時間がたちました。
 
 ところが、ひょんなことから、こうへいさんにも告げたことのある人物から、Tさんの所在がわかりました。さっそく連絡をとったところ、なんと健在々々!!

 そうすと、死んだ炭坑地方出身の学生とは、Kしかいない。
 その姉さんのいうことにゃ、風邪をこじらせて死んだとのことだった。
 それにしても、死んだ歳が若かすぎた。32才ころ、オレが遭ったあとの直後 Kは死んだのだが……。

 諏訪のオリンピック・カメラという会社で遭ったのでした。
 
 愉快で発展的な性格だった K。なぜ死んだ?

 No.:117   こうへい 0 2007/12/23(日) 09:37
清里
英国製オートバイの集まり「英車の集ひ」が、和歌山県花園村と清里で1年交代で行われています。

今年は、清里でした。

清里は自走には遠いので、花園村参加のみでしたが、清里も行ってみたいと思うようになりました(^^)

 No.:116   おりょう 0 2007/12/23(日) 00:28
再び清里
PIKKIさん本一冊読むのも結構エネルギー使いますね。
PIKKIさんのページ見させていただいて、イカ100円で安いからいっぱい買ってきたら頭と足しか入って
いなくてお腹こわしたつて書いてあったのが笑えました。大丈夫ですか?

http://www.geocities.jp/gra3106picpher/kaitaku.html

清里の歴史読んでちよっとホロッとし、黒姫高原の「鳴けない山鳥の詩」の先生やサチと重なってしまいました。風景写真もたっぷり見させていただきました。
若駒がはねあそぶような八ヶ岳の風景っていいですね。
清里はお菓子のような家が建ち並び、きれいすぎてあまり興味なかったのですが、この歴史読んで八ヶ岳周辺
の景色みると行きたくなりました。

 No.:115   PIKKI 0 2007/12/22(土) 21:16
ヤゾーさん皆さんおばんです。「白の民俗学」やっと読了。へとへと・・
URL http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/pikkipikki/diary
「笑え」 (一番下に父を偲ぶ歌を)

みんなが いまでは
自分の悩みや
迫り来る不安や重圧のために
挨拶や 笑うことさえ
難しくなってしまった

脳脳梗塞と心臓動脈瘤破裂手術とで
ボケが急速に進行して
もう十数年間寝たきりの母に
ある日突然 聞かれたことがある
「死んだらどうなるんだべか」

どんな立派なことを言おうと 
どんな素敵に振舞おうと 
ぼくらは 
身近な自然についてさえ
ほとんどなにひとつ知らない
ちっぽけで傲慢な存在だ
だから
笑いで誤魔化してでもいいから
その不安に耐えて生きるべきなんだ
いつかは それが
ほんとうの笑いに変わってしまうことだって
ないとはいえないんだから

だからぼくは
もう十数年間寝たきりで
床ずれだらけの母を できるだけ
笑わしてやろうとしたんだ

笑え 笑え 
もっと笑え
もっと大きく口を開けて
笑え 笑え もっと笑え
のどチンコが見えるぐらいに
もっと もっと 口を開けて
笑え 笑え 
もっと笑え


「ニューギニアより飢え逃げのびし兵士なる
 父は植林する海見ゆる丘まで」

 *亡き父そっくりな経歴の・・反骨作家故城 山三郎同様に、今は亡い父は17歳で海軍に 志願したのだとい う。
 そして、ラバウルからニューギニア縦断。
 戦地から帰ってからの父は、何度も再婚して
 同じ再婚同士の母と結婚したという。
 僕は素面の父を一度も見たことがない。
 それでも、僕には誰よりも尊敬する人だ。

 No.:114   Thy sensibilitiveness 0 2007/12/22(土) 08:21
   絶  唱
 √♪ いとおしい 山鳩が 野をこえて 里へゆく ♪

 若駒がはねあそぶような、八ヶ岳をはじめてみたとき、おもわず、この絶唱のメロディーが胸をついて出てきたもんでした。ピンションだのペンションだの、まだまったく影もなかった時でした。

 戦時中に朝鮮半島で苦しみ、三重に引き揚げ、男手ひとつで娘を育てあげ、晩年は飯富温泉ちかくをついの棲みかとおもい定めた人物が、甲斐源というペンネームで『死、それは新しい出発だった』という本を書きました。晴れた日には必ず飯盛り山に登っていたそうです。

 √ …… 、淡雪のころ なぜ 死んだ ああ、小雪

 茅野の立て岩遺跡……、この地で何百代の人生が繰りかえされたことだろうか。


 √。♪ 安来 センゲ〜〜ン 。♪

 津軽のお岩木山では、いまでも集団でお山詣りをするときは、「サンゲ・サンゲ 六根ショウジョウ」を唱えるのではないでしょうか。
 ネパール語 saηge(共に、いっしょに)、 saηgat(つきあい)。
 これらの語が日本列島で変化して、村落ぐらいのいみで,センゲ、サンゲが派生したとおもうが、どな。

 アラ エッサッサ〜!! 

 No.:113   おりょう 0 2007/12/22(土) 00:33
清里高原
山梨県の八ヶ岳山麓のふもとの「念場千軒」に居付き部落がにあったというのは今の清里高原にあたるんですね。

行ったことないですが綺麗な街で一時ブームで賑わっていましたが今はどうなんでしょう。

http://www.eps4.comlink.ne.jp/~lamp/history.html

「・・千軒」というのは千軒もの家があったという意味ではなく先住民のセンの意味だそうです。

 No.:112   PIKKI 0 2007/12/21(金) 16:20
おりょうさん、皆さんこんにちは。今日の読書はー
URL http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/pikkipikki
「比嘉春潮ー沖縄の歳月、自伝的回想録から」日本図書センター読了
奥伊勢ドライブの後風邪気味で・・どうも春に胃潰瘍の手術をした胃の調子が良くないので、ベットで本を読んでいた。

タイトルの本はー
著者が明治16年に生誕してからの約百年間の実に貴重な日本・沖縄の歴史的な証言だ。
明治後の沖縄と戦前日本を理解するキーマンのような位置にいた人の貴重な回想録だ。
出版社生活が長かったので、その頃の文学者のほとんどや、伊波普ユウ・柳田國男・折口信夫等の民族学者のほとんどや歴史学者のかなりの人々との交流も興味深い。

沖縄知事の秘書官的立場だったので、そこで後の警保局長・内務大臣になったエリート内務官僚に貸しがあったので(沖縄の辻と呼ばれる遊郭&社交場&宴会場で妓を紹介)その裏側にも詳しい。

特に興味深かったのは、関東大震災の後に、彼を含めて訛のきつい沖縄人の多くが、暴行を加えられたり、何度も殺されそうになったエピソードだ。
反体制的と見なされたほとんど労働運動家や社会主義者のほとんどもまた拘束されて、大杉栄一家や亀戸の労働組合員等が軍隊に銃殺されたりした。
相当数の沖縄人や日本人でも言語障害のある人々や漂泊民的人々が、自警団の検問の際に「君が代」がうまく歌えずに、殺されたとも書かれている。

この頃東京で、浮浪者一歩手前の生活をしていた・・日本を代表する詩人の山之口獏や宮沢賢治もまた、そのような目にあったり、目撃したのではないかと想像できる。

 No.:111   おりょう 0 2007/12/21(金) 00:33
「白の民俗学」
こんばんわ

なんだか文章に違和感あると思ったら誤字ですみません。


PIKKIさん読書すすんでますねー。
「白の民俗学」面白そうですね。検索してみよう。
家の近くに白山神社あります。この近くの地図を見ると昔の囲い地のような地形になっています。
地図見てると結構面白いですね。


 No.:110   PIKKI 0 2007/12/20(木) 20:34
なんだ・・柳田國男はとっくにこの国の極秘秘密を知ってたんだ!
最近の僕はもっぱら図書館かネットで本を読んでいる。けれどもこの本ー
「白の民俗学」前田速夫(河出書房新社、2006年)は日本史や日本文化を一変する本だナーと思う!この本の冒頭から抜粋する。

《関東地方はエタ部落の氏神は、例の浅草新谷町を始めとして、多くは白山神社を祇れり。
此点はすこぶる興味ある事実にして、他の特殊部落にもこの神を崇祇する例少なからず。
讃州木田郡下高岡村の白山相人は極めて卑賤なる陰陽師にて白山に仕ふ。生計の為に箕のを作る。
奥州地方の「モリコ」又は、「イタコ」と名づくる一種の巫女は口寄せを為すに、白山明神の名を唱へて祈る。
また甲州に昔日神筋と称する特殊部落ありしがごとき、何れも遇合には非ざるべし》(所謂特殊部落の種類」柳田國男(大正二年『国家学会雑誌』より)

 No.:109   おりょう 0 2007/12/19(水) 01:03
永田町
こんばんわ
珍しい方が出揃いましたね。

永田町は小泉前首相、田中前首相サンカ節で一時盛り上がっていたのでそのせいかと思っていました。

山梨県はアウトロー的な人がおおいですね。テキヤさんの丁の字一家などもそうですね。
武田信玄の子孫であるという銀行のオーナの出自の話、また銀行のマークが竹じゃないかとか、八ヶ岳
の山麓に居付き部落があった話などいろいろ盛り上がりました。

サンカの話題で8年も続いたんですね、それだけサンカ研究は奥が深いということでしょうか。


 No.:108   あおき 0 2007/12/18(火) 21:59
三次盆地ですか
 僕の母方の一族が代々神官をやってます 先祖の墓がたくさんあるところです
サンカ資料館行ってみます 知りませんでした 小さいころよく行きました
 そういえば川に家がせり出して親戚の家が建ってたような思い出があります
 もしかしたら先祖は・・・

 No.:107   あおき 0 2007/12/18(火) 21:54
あらー
 クマノライフ終わるんですかー? 時々投稿はしないけどのぞいてます
ティルムンですか見てみます 僕はハジメさんが亡くなってからなんとなくサンカの探求がもう難しいなと思い始めていたので 新しい視点で物を見てみるのもいいかもしれませんね
 来年も皆さんにとっていい年でありますように

 No.:106   世間師 0 2007/12/18(火) 21:00
永田町
>また政府関係者も見ているようですとメールがきたと思ったら、
>首相官邸や衆議院、また官庁からのアクセスが頻繁に続いたこともありました。


永田町関係の人に話を聞くと、今でも年配の人は「山梨出身者」と聞くと、反応があるそうです。

小佐野賢治
金丸信

昭和のお騒がせ人物の背景は、少しは関心があるのでしょう。

 No.:105   PIKKI 0 2007/12/17(月) 22:58
「サンカの歴史」八切止夫(作品社)読了
URL http://www.rekishi.info/library/yagiri/
サンカと意味をかなり拡大解釈(被差別部落や漂泊民全般)しているように思うのですが・・
後半の五木寛之「風の王国」解説や日本古代史解説は目から鱗でした。
矢切史観は、巻末エッセイを書いている朝倉喬司氏の解説につきるのかもしれない。

《虐げられた者たちへの思いやりや反権力的心情。もちろんそれもあったのだろうが、さらにその核心部には、「文明的なるもの」全般へのゆえの知れぬ嫌悪感と表裏をなした、この国の文化の「見失われた」基層部への強い憧憬の念だったのではないかと思う。・・・

そして、彼が駆使する語呂あわせの数々は、表面上の馬鹿馬鹿しさとは裏腹に、われわれ日本人が互いに言外に了解しあっている、「聖と賤」をめぐる、あるいは「支配、被支配」をめぐる、ある逆説的な真実の感触によく響き合う。》

故八切止夫氏の膨大な著作集を読めるサイトをリンク集最下段にリンクしておく。

 No.:104   PIKKI 0 2007/12/16(日) 00:55
「幻の漂泊民・サンカ」沖浦和光(文藝春秋)読了
URL http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/pikkipikki
やはり沖浦氏のサンカの起源の説明(徳川末期の凶天明等の大飢饉)が最も説得力があるのではと思う。
そして日本史上、最も似たものとしては北海道のアイヌではないかと思った。
サンカが関東以北で存在しないという理由もまた、古代以来の被差別部落というマージナル(境界)がなかったせいではと思う。

来る者は・・ライ病者だろうとなんだろうと拒まないという自由でアナーキーな漂泊民サンカ。
そして、現在とっくに幻の民となってしまったサンカが、僕らの関心を集めるのもまた
古代以来の生活の智恵や文化が、生きるために必要な時代になったからではないかと思う。
貧富差拡大の二極分解社会を生きる現代の智恵は、とっくに失われたサンカにあるのではとも思える。

この本を読んで何故サンカに魅せられてきたかという理由がやっとわかった。
それは一言で言うとー
「自由でアナーキーな漂泊民」だったからではないかと思う。
それを支えたものは、彼等の技術(夏の川魚漁や冬の竹細工等)だったのではと思う。
ライ病者を唯一暖かく受け入れた人々だったという事も特筆すべき特徴だったのかも。
ライ病者がその境内に多かった・・物部守屋の霊を祭った日本最古の仏教施設「四天王寺」(聖徳太子=秦河勝建立)と同様に、最も日本史では美しいエピソードの一つではないかと思う。

広島三次盆地にある日本唯一の「サンカ民俗資料館」を是非訪れてみたいもんです。

 No.:103   My sensibility 0 2007/12/14(金) 20:59
猫の金玉が前から見える人もいる
狸の置物の金玉にしげしげと見入れるというのは、
心に余裕がなければできることではありあせん。

日ごろ、よくタヌキを見ていますが、
そんなに大きいという印象はないですね。

それより、かわいいピーちゃん(ヤマガラ)を、
目の前で襲った野良猫の方が、
憎たらしいほどに立派で黒光りしたキンタマをぶら下げていました。

猫の金玉は前から見えないとうい言葉をテレビで聞いたことがある。
つまり猫が通りすぎた後ろからでないと、オスかメスかわからない、
つまり物事は通り過ぎなければ、ほんとうのところはわからないということなんだろう。

しかし、ごくまれに、前からでも見える人がいる。
それは、予知するのでも、勘が鋭いということでもない。
その人が、オスだと思えば、オスしか歩いてこないのだ。

自分の場合、まだまだ逆の方が多いかもしれない。

 No.:102   こうへい 0 2007/12/14(金) 19:10
できたら。。
来年当たり、福岡の泥棒部落に行って来マフ。。(^○^)

永らくお世話になりました。

これから皆さんどこに行かれるんでしょうね。

 No.:101   世間師 0 2007/12/14(金) 00:36
こんばんわ
管理人様
お疲れ様です。

最近思うのは、サンカって名称は間違いなんだなと思います。
サンカは他者がつけた、他称であり、
ジプシー・エスキモーといった間違った名称だったと、結論付けました。

私が会った人達も、サンカとは呼んでいなかった。
マージナルのインタビュー受けて、「あの人達はサンカです」と言った人の息子さんが、
サンカって呼び名を全く知らないんです。

本当のサンカを知る為には、サンカの名称を克服しないと、いけないと思います。

そうすると、自称サンカに会ったと主張するベンジャミンが、偽者であるのは言うまでもありません。
中丸薫と組んでいる時点でおかしい。

 No.:100   ya(・ε^)na 0 2007/12/14(金) 00:35
今年限りなん??
クマノライフ今年限りなんですかぁ??
  掲示板だけなん??風の王国もですかぁ・・??
 なんとかネットもなんや・・んんん
  ようわかりませんよう??

   へぇ・・はやいもんですねぇ・・もう8年ですか
    私は半年遅れやさかい7年半ですか・・
    
 クマノライフには随分と精神的に助けていただきました・・
     十代の頃から興味のあったサンカに出会えたり
       その答えを教えていただいたり・・

   へっへへ・・
    ほなら・・・打上げや!!
       みなさん・・書き込みくらはいませ
         時間はおませんよぅ
    
     

 No.:99   ya(・ε^)na 0 2007/12/13(木) 23:20
おこんばんわ・・へへ
お久です・・
 このところ、なんや深いため息の生活がつづいとります・・
  あんまり家の中ばっかりですと・・んんん
 ほんまに落ち込みますねぇ・・
    そんなときに限って・・
  おいどに、なんか出来物・・・
     あいてててぇ・・・・
       節ブシがこのところ随分と痛みまして、こらまた随分と歳を感じます
    何かスポーツと思いまして、うんとこテニスしましたら・・んんん
     腰の痛みが激しくなってしまいましたがな・・とほほほほぅ
       どないせい!ちゅうねん!!
   年末やちゅうのに!!・・ぜんぜん暇やし・・
      ガソリンも灯油も値上がりやし・・
    年明け2月にはビールも焼酎も値上がりですがな・
         あがらへんのは、父ちゃんの株ばかり・
     年金問題も行き着くとこまできたみたい・・・

   そんなとき・・心の中にどーーんと響くのがサンカ!!
      あのセブリ物語の中・・警官が兵役の話をする時のあの表情!!
          なあんも関係ない・・あんたらのことでしょ・・ってする
       あの表情!!ええなぁ・・

   いまから、また見ることにしましょかいねぇ
    
   心が荒まないうちに・・へっへへ
         
  

 No.:98   PIKKI 0 2007/12/13(木) 21:05
ヤゾーさんおりょうさん、皆さんおばんです
とても面白いサイトのご紹介ありがとうございました。
僕も中退者ですが・・中退者には厳しい日本社会です。
図書館から借りてきたサンカ関係の本を読書中です。
「漂泊の民俗文化」吉川弘文館(「サンカの生活」と「家船と糸満漁民」等)
「サンカの歴史」作品社(八切史観)
「漂泊の民サンカを追って」現代書館(筒井功という人のルポルタージュ)
 それと、もう一冊筒井氏の本。

  「君は黄金の金玉を知らないか?」

つい先日のことだった
いままでなかなかゆっくりと
見てる機会がなかったので
店頭の狸の置物の金玉に
しげしげと見入っていた
かなり年季の入った黄ばんだ金玉だ

よく言われてるけど
狸のはいったいどんくらい
大きい金玉なんだべか?

そこへ店主が現れて
「なにかご入り用でしょうか?」
けれどもまさか
狸の金玉の大きさを調べてるとも言えない
「いえ、焼き物にちょっと興味がありまして」
「ごゆっくりどうぞ」

またまた
狸の置物の金玉の大きさを
ゆっくり確認できんかったのが残念

 No.:97   My sensibility(管理人ヤゾー) 0 2007/12/13(木) 01:35
裏話
ここまで続けてこられたのは、
おりょうさんやヤナさんたちの存在は大きかったですよ。
あらためてお礼いたします。
ありがとうございました。

このサイトを運営して、表に出さなかった、
また言わなかった裏話がたくさんあります。
その一部を書いてみます。

運営当初から8年近くメールをやり取りしてきた王子こと陰謀王子の存在は大きかったです。
嫌がらせ等から、何度か閉鎖を考えたときに、
『よいこともいっぱいあったでしょ』という一言で続けることができました。

この王子は不思議なお方で、
サイト運営当初から、僕がテレビに出たりすることを言い当てていました。

蜜柑さん関係以外からも、何度か出演依頼やら、
出版社からの執筆依頼みたいなこともありましたが、
何故か断ってきました。

また王子から、このサイトが注目されていますよというメールをいただいて、
アクセスログを取るようにしたら、
世界各国の名だたる教育機関からのアクセスがあることがわかりました。

また政府関係者も見ているようですとメールがきたと思ったら、
首相官邸や衆議院、また官庁からのアクセスが頻繁に続いたこともありました。

アホな高校を中退した人間が、たまたま作ったサイトを、
よくもまあとも思いましたが、
それだけサンカという存在が気になるのだなと痛感したことがありました。
ネットは誰が見てても不思議ではないですが、
想像以上に著名人からのアクセスもあったみたいです。

管理人ゆえに見えるネットの世界とうものもあって、
この手の掲示板というか、システムには限界を感じていました。
管理が面倒というか、神経が疲れたりしますし、
投稿者に気を遣ったり、管理人に気を遣われたりするのも疲れたりします。
ここ何年かは、ほんとうに書きたいことは2ちゃんねるに書くことが多かったように思います。

大手企業のコミュニティサイトやブログとうものもありますが、
利用しているのか、利用されているのか、疑問に思うこともあって、
しばらくネットは、ビジネス、調べる、買う、ということに限って活用しようと考えたこともありました。

そんなときに、誰からともなく、流れからティルムンというサイトを立ち上げることになり、
ネットの可能性を試してみたいと思うようになりました。
ティルムンでは気負うこともなく、自然体で管理人としてやってゆこうと思っています。

当面は王子のブログが中心となり、ぼくも書きたいことがあれば書き、
ティルムンで書いてみたいと思う人が現れたら、
ブロガーとして参加していただくことになると思います。

10人でも100人でもブログを追加する容量があり、
2ちゃんねるのような掲示板を展開することも可能にしています。
また利用者の意見を取り入れて、様々な機能を追加することもでき、
管理人としては、技術的にはまだまだ未熟ですが、
一年くらいかけてかたちにしてゆこうと思っています。

今のかたちだと、参加するというのも、
なかなか難しいかもしれませんが、みんなで育てるサイトを目指して、
クマノライフからティルムンへ管理人として移行したいと思います。

夜更かししてしまいまいた。

 No.:96   おりょう 0 2007/12/13(木) 00:02
ご無沙汰です。
My sensibility さん

ベンジャミンさんを工作員とかいっているオルタナティブ通信です。
http://alternativereport1.seesaa.net/archives/200712-1.html
裏情報に驚くほどど詳しくて面白いです。

http://benjaminfulford.typepad.com/benjaminfulford/
ベンジャミンさんのぺージです。オルタナティブの西山管理人はCIAだとバトルやっていました。
ベンジャミンさんは中国地下組織のメンバーだとかともいろいろ言われています。
忍者のおじさんの話はもう出ないですかね。

PIKKI さん「道ゆく芸能者たち 猿舞座村崎修二」は面白いですね。
村埼次郎さん最近テレビ界の才媛と結婚したらしい。

焼尻紋次郎 さんすみません出来なかった。
メール出させていただきますね。

このページはなくなってしまうんですね。さびしい〜〜。




 No.:95   My sensibility 0 2007/12/12(水) 23:23
リンク
PIKKIさん 最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございます。
ここは今年いっぱいでアーカイブというかたちになります。
忙しさにかまけて、なにも書かずに申し訳ありません。

ある方からリンクで教えていただいたサイトを読んで、
世の中には、天才的な人っていうか、面白い人っているもんだなぁ〜と関心した。
そして恐ろしいほど、深いところでシンクロしている。

http://goldentamatama.blog84.fc2.com/

 No.:94   PIKKI 0 2007/12/05(水) 20:03
「歴史はマージナル」(現代書館)を読書中
この中の「道ゆく芸能者たち 猿舞座村崎修二」は必見です!

《現在の話ではありませんが、例えば山口県のある地域では、いわゆる部落の人たちが五段階いたんですね。
僕は部落の問題を解決したいという立場で言ってますんでこらえてほしいと思うんですが、
例えばカワタ、通常はヨツといわれていた大きな集団がありました。
しかし、奇妙なことにヨツの上にヨツ半というのがありまして、家船(えぶね)というのはヨツ半で瀬戸内海の漁民です。

それからサンカをサンタと言いました。それからニタというのがありました。
これは修験者とか巫女さんだとか、いわゆる道心坊、何かいかがわしいものを持って歩く人たちです。
通常、われわれの世間でサンカというと、茶せんと呼ばれたり宮番と呼ばれたり、あるいは日本海のほうへいっちゃうと、鉢屋と呼ばれたり、院内の者とか、夙の者とか、坂の者とか、岩国領では道々の者と、それぞれの地域によっていろんな言われ方がありまして・・》

 No.:93   My sensibility 0 2007/12/02(日) 23:43
ふるい
ここのところ、身の回りの人たちが
シンクロしているかのように『ふるい』という言葉を口にする。
人為的なものにしろ、時代の流れにしろ、
世界を意図的に汚すことで、
人類をふるいにかけ試しているのかもしれない。

この間、信号でクルマを止めて何気なく外に目をやると、
パチンコ屋から40代位の車椅子の女性が、
母親と思しき75歳位のお婆さんに押されて出てくるところを見た。
なにやら言い争っているような、お互い険しい顔をしていた。
勝手に頭の中で、僅かな障害者手当てや年金をパチンコにつぎ込んで負けたのかなと思った。
どうして花を育てるとか、お金もかからず、心が豊かになるようなことに、
興味がいかないのだろうかと、悲しく切なくなった。

年末位から、本格的にティルムン・ネットワークに書いてゆこうと思います。
掲示板もティルムンの方へ移行します。

http://tirmun.net/

 No.:92   PIKKI 0 2007/12/02(日) 15:13
5年くらい前ネット開始の頃の詩が数編見つかったのでー
URL http://6114.teacup.com/pikki/bbs
 「国民総葬式国家ー日本」

国民の税金や共有財産を
掠め取ることしか頭になかったこの国の政官財の
壮大なバベルの塔も
いよいよ完成の時を迎えつつある

つい40年ほど前には
借金ゼロだった国や地方は いまや
少なく見積もっても1000兆円の借金
といったって いつの時代も
最終的に支払わせられるのは国民の血税からだ

本来年金積み立て者に支払うべきだったのに
約10兆円の年金積立金を強奪して「リゾート法」やグリーンピア以降も恥じることなく
自然破壊と人間破壊に懸命だった厚生労働省官僚たち
彼らに負けず劣らず
正当な担保をとるという資本主義の根本を覆して
バブル投資に狂奔した挙句のこの国の銀行や大企業たち

その彼らが
我々の血税からの数十兆円もの援助で息を吹き返し
いまやわが世の春楽しみ
史上最高の利益を貪り
社会貢献どころか
国民への恩返しさえも忘れて ますます
アメリカのハゲタカ国際金融資本家に瓜二つ

かなり前に読んだSF「斎藤家の核弾頭」(篠田節子)にも
そう遠くないこの国の
似たような未来の話があって
ランク付けされた国民背番号の下位の人間から
臓器移植や人体実験や食料へと
順番に抹殺されてゆく

そこでは 俺みたいに
学歴も社会に役立つ才能もない自称詩人の類の人間が
真っ先に反社会的という烙印を押されて
データー収集や管理用のマイクロチップを
体内に埋め込まれて 監視カメラだらけの
原発跡地や公害跡地・災害跡地へと追いやられる
そこで
遺伝子変異等の実験データーを十分に採取された後は
めでたく勤めを終えて
臓器移植や食料のために抹殺される
めでたし めでたし
その場所の放射能やらの安全値が確認された後に
税金ネコババに目の血走った政官財支配層の
日本低国株式会社の偉いさんたちの
豪邸がにょきにょきと建ち並ぶ

原宿には留置場よりも、国会や首相官邸の隣に税金ネコババや売国どもの留置場を作るべきだべなと思う。
あまりにも官僚・公務員・政治家・企業の犯罪が多すぎるし、これが日本人のモラル崩壊の原因だからだからだ。
いまや、政官財=税金泥棒というイメージが日本人に共通の常識となりつつある。
表題の国会に核弾頭をぶち込むという爽快なSF小説は、日本SFの金字塔、篠田節子の「斉藤家の核弾頭」。

 No.:91   詩人PIKKI 0 2007/11/29(木) 02:06
公明党議員以外の超党派反貧困の闘い
URL http://www.labornetjp.org/news/2007/1127shukai
日本の年金や健康保険制度は、つい最近まではー
無策無為の国家に代わって福祉政策を代替してきた企業の努力もあって・・
先進国の中では、時期アメリカ大統領と目されているヒラリー・クリントンが新たな国民皆健康保険制度の手本としているように、世界の中でもなかなか優れたものだったと思う。
高い消費税のもとに・・医療費や教育費もほぼ無料で、老後の年金制度に何の不安もないという北欧の国々は、国民総意で国の未来をともに考えるという文化の伝統があって例外的だったと思うが。

日本のそれらが急速に悪化し始めたのがー
何度も厚生省大臣となった稀代の無責任男にして官僚・財界言いなりの小泉不純一郎からではないかと思う。
現在の日本は、アメリカとともに先進国中最悪の福祉内容の国から、世界最悪の国へと転落しつつあるのではないかと思う。
約十年間三万人以上という世界一多い自殺者数はこれからますます増加することだろう。
「障害者自立法」という障害者の抹殺を意図するような法律や、高齢者への税的負担増は、そう遠くない将来ー
無権利の職場から次々とリストラされては、自殺やホームレスや犯罪へと追いたてられつつある労働者たちや、同様に、無権利で世界一差別されている女性の次に、次々と老人たちが自殺等へと追いたてれて行くことになることだろう。

自然破壊を含めて、この国の未来は限りなく暗い。
そのような税金ネコババしか眼中にない・・政官財の指導者たちを選び、彼らの誤りに目をつぶってきた事のツケを、日本人全体が払わされる時代なのだと思う。

この書き込み関係のリンクは左のブックマーク最下段にー

 No.:90   焼尻紋次郎 0 2007/11/26(月) 19:45
  やっと はいれそう
 ヤゾー親分さん、いつもお世話になります。こんかいは又、ティルムンとかで、特別ご案内賜り、恐縮です。
 あれからこっち 4 〜 5 回、周辺をウロウロしましたが、石アタマかかえているので、やっぱどこがどうなってるのか、ヤミクモに殴り込みかけることもできませんでした。

 My sensibility さん、貴重なご教導有り難うございます。

 殴り込みかけてみます。もう 73才、されど 73才。そのうち脳細胞も柔らかくなるこってしょう。

 No.:89   My sensibility 0 2007/11/26(月) 18:30
文章は左脳で物づくりは右脳かえ?
ティルムンのサイト構築が一段落してから、
今度は物を作る作業に追われだしたら、
文章を書くということが、
とても苦手になってしまった。
ちと困ったです。

>tilmun の語源を知りたいです

紋次郎さん 下記のリンクにティルムンに関してのことが書いてあります。

http://tirmun.net/prince+index.p+13.htm

日本超古代文明のすべてという本の縄文世界王朝の謎 幸 沙代子著という箇所には、、
ティルムンとは世界最古の歴史と由緒を持った日本の古名だというようなことが書いてあります。

Tirmun(ティルムン)→rの脱落→Timun(ティムン)→m〜pの転音→Tipun(ティプン)→t〜j転音→jipun(ジプン)→日本Jippon(ジッポン)

とも書いてありました。

そこまでは思いませんが、響きがいいなと思いました。



 No.:88   PIKKI 0 2007/11/25(日) 13:30
アメリカ発の「サブプライム住宅ローン債券」=国際金融危機とは?
今夏発生して以後(来春あたり世界大凶荒になりそうな)
最近さらに「格付け」をめぐって深刻化している「サブプライム住宅ローン債券」を震源とするアメリカ発の国際金融危機は、新たに進化して巧妙になった「バブル商法」でないかと思う。
狂牛病の牛肉といっしょで、危険なものも切り刻んで金融商品に混ぜてしまえば、もはや誰にもわからんくなってしまう。
国際金融資本のやり方・騙し方は、インフルエンザウイルスやコンピュータウイルス以上の進化速度の激しさなのかも。

アメリカは数十年に一度くらい」バブルを意図的に起こしては・・
その「ババ抜きのババ」をお目出度い投資家やヨーロッパ人や日本に押し付けてきた国だ。
先日の日本のバブルの発端となり被害を大きくしたのはー
アメリカでの日本企業のバッシング(日本製車や電気製品を燃やしたり「アメリカ人の魂と言うべき建物を・・」というマスコミ報道)の後に、土地・建物取引でババをつかまされたのが印象に新しい。
(竹下蔵相が米国大統領に買うように脅かされたらしい)

自国資本家のなりふり構わぬ利益追求(発展途上国の方が投資利益大)のために、あらゆる分野で坂道を転げ落ちてゆくアメリカ対策がー
今後日本の最も重大な問題なのかもしれない。
また以前のバブル期みたいにアメリカからババをつかまされないためにも。
気づいたら、中国覇権のアジアで独りぼっちという悲惨なことにならないためにも。

 No.:87   焼尻紋次郎 0 2007/11/24(土) 08:19
tilmun の語源を知りたいです
 としとってきたらアタマが硬くなります。
 先日、マッサージさんから N.S.N という新しい I.T.会話法があるとか、トンチンさんから mixi というのもあることを紹介してもらいました。 web log という個人中心のコミュニケもあるそうですが、まだナンにも知りません。

アメリカの訴訟社会をマネして、日本人が覆面をしてモノいうようになったので、I.T 掲示板が崩壊しつつある、そういう崩壊の次のコミュニケ手段を模索しているのが現段階だろうと考えてますが、ちゃいまっか。

 小生ごときは、新しいことばに接したら、その語源がわからんことには前へ進めません。
 web log 、mixi はなんとか解りますが、S.N.S とは磁石のくっつきぐらいしか連想ははたらきません。

 til^mun とは沖縄の人が開発したのでしょうか? どうも、そういう音韻を感じますが……。

 til は「ごま」、mun は草 しか連想がはたらきません。沖縄語であれば「mun = もの」。
 こういうことばかり考えるので、パソコン用語の習得がまったく進みません。
 このごろ、ようやく「矢印」がカーソルと呼ばれるものであることをしりました。カーソルなら計算尺を習ったときに覚えたからです。
 でも、なんで「カーソル」いうんやろか。

 No.:86   管理人ヤゾー 0 2007/11/23(金) 14:09
ティルムン・ネットワーク
みなさん こんにちわ

なんとかサーバー移転も完了し
ほぼ以前のままの状態でアクセスすることが出来るようになりました。

また新しいサイト ティルムン・ネットワークというのを始めましたので、
ここにお知らせいたします。

成り行きにまかせて ぼちぼち管理してゆきますので、
ここをご利用くださった皆様も
よろしかったらご利用ください。
まだまだ始まったばかりですので
殆どなにもない状態ですが
陰謀王国は一読の価値があると思います。

紋次郎さん 

>「ことし一杯」ということで、掉尾を飾らしてもらおうかと、二つ三つの話題を用意していました。

お心遣い 誠にありがとうございます。
紋次郎さんも よろしかったらティルムン・ネットワークをご利用してください。

PIKKIさん いろいろと大変でしたね。
そういう企業は 近い将来に淘汰されるに違いありません。
いや そうあるべきだと思います。
個々の意識が高くなって
そういう企業のものは買わない
売らない時代になって欲しいものですね。

ティルムン・ネットワーク

http://tirmun.net/

 No.:85   PIKKI 0 2007/11/23(金) 02:18
首切り
URL http://blog.goo.ne.jp/pikkibikki/
つい先日 トヨタグループに続いて
創価学会系企業からも首切りされてしまった
どっちの会社も知る人ぞ知る大企業
僕はよっぽど「首切り」に縁がある人間らしい
といっても 昨今のこの国では
日本人の大多数は
生きることや法治国家の権利からリストラされ続けるが

トヨタ方式のリストラは 体験者なので
大昔からそのやり方を知っている
以前のそれはというと
グループ内の人事・総務責任者が定期的に集まって
共産党対策や著名人を呼んでの勉強会や
極秘の「要注意人物ブラックリスト」の検討会
誰それが何月何日にどこへ行って誰と会ったとかを
報告しあうという仕組みだった

そのリストに載っているのは
共産党員や他の左翼
以前なんらかの反体制的運動をやった人間たちで
そのえげつない項目は憲法違反もいいところだ
警察署へコンピュータシステム等を寄贈したり、
それを使っての社員情報をやり取りや
幹部への餞別等も公認の事実だ

ブラックリストの内容がまたえげつない
会社への反抗度から 交友関係図式
(「それ見りゃスパイは一目瞭然!」とうっかり口をすべらせてしまったので
リストラ後に共産党からは見放され
警察からは目をつけられて
ほとんど毎日パトカー等尾行つきだった
丑三つ時に一度路肩に車を停めて
ライトを遠目にしてのは今考えると冷や冷やもんだ)

その他にも
借金・貯金額から趣味やセックス内容
本人ですらうろ覚えの家族の車ナンバーから
通院・病歴や病院での診察内容や言った事まで
僕も僕のリストラされた上司も
「病院でなんで会社の秘密をばらすんだ」と
もっと上の上司から大目玉だった
愛知県の精神科には特に注意が必要だ

過労死や突然死や自殺の中間管理職も多かった
団体割引の生命保険ウン千万円が
濡れ手で粟で入ってくるもんで
お偉いさんたちは喜びのあまりドンちゃん騒ぎ
とうとうあの邪魔な野郎もくたばりやがったか
おまけにウン千万円の臨時収入
トヨタでは一番の出世コースの組合も
組合費で接待ゴルフや海外旅行は日常茶飯事
残念だったのは組合からの
満期の生命保険を受け取り拒否したので
出世コースから外れて窓際族になってしまったこと
もしもあの時すんなり受け取っていたら
今ごろは悪くても課長や県議くらいにはなっていたのかも

トヨタのリストラ方法はどんな風に進化したのか気になる
以前はまだまだ穏便で
仕事を与えないとか
配転先で「あいつはアカだから話すな」とか
中高年社員や女子社員を一列に並ばせて
退職するまで芝生のゴミ拾いとか
トイレの時間や回数をストップウオッチで測定・記録や
僕の場合は神道系らしい手かざしの新興宗教に連れて行かれて
「狐がついてる」とか言われたり
逃げ出した女子社員を皆で取り押さえて引きずりまわしたり
礼拝のあと集められたトヨタグループの社員を指導していたのが
とても目つきと人相の悪いのだったのでたぶんそっち関係なのかも
そういえば
「山口系暴力団の殺し屋に注意しろ」と忠告されたこともあった
その上司は目をかけてくれた同郷人だったので真実だったのかも

ただ創価学会系企業の方がはるかにえげつなかった
半年くらいの間仕事を与えられなかった
電話も受けるな 掃除もするなと
そして公然と目の前で僕の悪口を言い
「首にする」「早く辞めろ」の毎日だった
トヨタの場合はー
「掃除をやってきます」と言えば了解され
「母の介護があるから」と出向拒否をした時も
ただ一人のセクハラ上司以外は同情的だったんだけど・・
それが一変したのは
法務官僚がリストラの陣頭指揮に天下ってからだった

学会系企業の場合はー
セクハラもパワハラもいじめも
学会員の社員の信心のようなもんだったんだろう
詳しくはーまた今度の詩で

 No.:84   焼尻紋次郎 0 2007/11/22(木) 17:44
シロート・テキヤの親分、その名はもつけ
 秋田ではモツケといえば蛙のことですが、これが津軽にくると内意ががらりと変わって「差し出ぐちを叩く者」とか「変質者」みたいな意味になります。
 オレは「ふだん記・津軽グループ」に入って、このモツケと知り合ったのでした。
 津軽は急に天候が変わるので、急に憂鬱になったり、はしゃいだりを余儀なくされるのか、固有の「津軽ジョッパリ」という精神風土を産んでいます。もつけもその一種で「mo(小)うつけ」が訛った呼び名だと思われます。
 もつけは「ふだん記」でのペン・ネームです。このもつけが「もつけ」の意味を自分なりに会得したのを、解説したことがありました。それによれば「むしょうに世話焼き好きで、ひとの間に割ってはいって、いろいろ口出しをするのだが、結果はヒッチャカ・メッチャカになる……そういう男をモツケという」と。

 じじつ、そういうことを、このもつけがやったんです。
 もう 30年もそれ以上もむかしのことですが、もつけの身辺に、家庭の事情や身体障害などで困窮している若者たちがいたそうです。
 後楽園周辺に、よく人が出ているのに露店商がいない。そこを思いついたので親分気取りになって世話を始めた。すると次々と仲間が増え、ついにホンモノ・テキヤの親分から呼び出し状がきたそうです。

 さすが青くなったか、出発の朝、愛妻と水盃をかわし、腹にサラシを巻き、ドスを呑んで出かけたと言っていました。
 本名は沼柿健児(とでもしておきましょうか)。でっぷり太ってハゲの N.H.Kアナウンサーが同級生だとかいっていました。ナンバースクールの弘前高校の出でした。この仁も十年前に他界。

 このもつけが実家を継いで大鰐にいた頃に訪ねました。
 奥さんつれて大館の飴市に行ったときのことを「ふだん記」に書いていましたが、「行ってよかった」と感激の一文でした。
 飴市に出ていた露店商の人びとをみる目も、われわれとはちがうのでしょう。

 No.:83   焼尻紋次郎 0 2007/11/20(火) 06:15
浅草のテキヤの親分
Mail ijyana@rb3.so-net.ne.jp
 ヤゾー親分さん、おはようございます。
 「ことし一杯」ということで、掉尾を飾らしてもらおうかと、二つ三つの話題を用意していました。

 おりょんさん、11月 20日にここをごらんになることができたら Eメールいだけませんか。
 小生の身辺事ですが、浅草のテキヤの親分をめぐっての因縁ばなしがあるのです。
 それは二人の人物が、それぞれに従兄弟〜従兄弟半の関係にありながら、おたがいにそれを知らずに合い、ケンカ分かれみたいになり、しかも、今は二人とも故人になっています。

 それこそ「故人情報」ですので、だれかに聞いてもらわねばならないし、適格な掲示板はここでしょうが、考えかたによっては、掲示板むきではないので、掲出をためらっていたのでした。

 No.:82   管理人ヤゾー 0 2007/11/19(月) 20:40
サーバー移転
みなさん こんばんわ

サーバー移転作業により
もしかしたら明日から少しの間
アクセスできなかったり 投稿データが消えたりするかもしれません。

なんか急に寒くなって 鼻水がでてきたりして
明日にでもストーブだしてこないと風邪ひきそうです。
みなさんも風邪にはお気をつけください。

 No.:81   PIKKI 0 2007/11/17(土) 18:57
やっとネットに復帰できた!
ヤゾーさん、紋次郎さん、おりょうさん、みなさんこんばんは。

天皇制の秘密や輪郭がやっと僕にも見えてきたとこです。
そのきっかけは中沢新一「精霊の王」(講談社)です。
柳田國男の石神問答を発展させているのですが
キーとなってる諏訪神社を境にして、東では多く残ってる宿神・シャクジ神が
西では被差別部落の神社や芸能の家系にごくわずかな痕跡しかないとか。

それと、「さまざまな戦後」シリーズ(日本経済社)の森崎和江「生き直す」にあったのですが
なんでテキヤの総本山のような神農神社が新潟・巻町あって年一回年末・・
なのでしょうか?

 No.:80   焼尻紋次郎 73歳 0 2007/11/14(水) 06:07
√ 。♪ 星はなんでもしっている ☆♪
Mail ijyana@rb3.so-net.ne.jp
  My sensibility さん、おはようございます。

 「意識を変える力のある画像だった」とは、なかなか sensitive 。

 オレ、幼児のとき、永わずらいばかりしていたそうです。
 5歳のときの、ある夏の夕べ、おふくろが、オレを抱いて夕涼みがてら表にでました。
 そのとき「あ、星が出ちょる ほら」と、天空をゆび指しました。
 そこで大ショックくらって、こんなまちがったヤツになりました。

 去年、となりが木を伐ったんです。
 「としとったら、なぁ〜んにもいいことはない」と思っていたのですが、目覚めが早くなって、ふと東の空をみたのですが、ビラン・ビランと光る大きな星を見たのでした。
 朝の 3時半ぐらいです。ここんとこ 2回みましたが、最初は U.F.O かと思いました。
 あれがスバル・金星と呼ばれていることを「検索」でしりました。

 子供たちをつれて、気仙沼に行ったとき、次男坊が星をみて「怖いようだ」といったことを想いだしました。
 このごろ、雲がとても美しいと感じています。これもとしとったせいでしょうか。

 

 No.:79   My sensibility 0 2007/11/13(火) 19:33
地球の出
月周回衛星かぐやのハイビジョンカメラによる「地球の出」の画像を見た。
地球は丸く青く雲は白くほんとうに綺麗だった。
意識を変える力のある画像だった。

http://www.jaxa.jp/press/2007/11/20071113_kaguya_j.html

 No.:78   おりょう 0 2007/11/13(火) 19:31
ヨコと横
紋次郎さんお答えありがとうございます。

 
神奈備掲示板の紋次郎さんはじめ博識な方々の書き込み読ませていただいています。

 No.:77   焼尻紋次郎 0 2007/11/13(火) 06:44
同音衝突でんしょう
おりょんはん、おはようございます。

 同音衝突という用語(?)は川崎真治さんがよく使っておられました。固定した一つの音に対応した概念とか内意は一つでありたいものですが、現実にはいっぱい出てきますよね。
 たとえば、「あげハマ」のハマと浜辺のハマ。
 縦糸に横糸の関係から「よこしま」とか「よこ訛れる」が派生したのでは?

 この場合、タテがタテマエ(出発時ではウソ)から掟とか法という意味となって、それに刃向かう概念がヨコになったのではないでしょうか。

 ヨコは「 √ i oko 」まで辿れるかもしれません。「 √ i oko 」は「バカする」の意。
 √。♪ オコサでオコサで ホントかね。 
 oko = バカ なんです。 マ おこがましくも……。


 No.:76   おりょう 0 2007/11/12(月) 19:17
ヨコと横
紋次郎さん
ヨコと横は違った意味になるのですね。
横がつく言葉には邪ま、横領、横着など正しくないもの、よこないものが多いですね。

 No.:75   焼尻紋次郎 0 2007/11/12(月) 07:23
mam を思いだしちゃった!
 アイヌ語に「mam(愛撫する)」があることを思いだしちゃったんです。
 mam のほんとうの意味は「愛撫する」ではありません。

 寺田寅彦さんは、四万十川の解釈に、この mam を使って「とてもすばらしい川」とやっちゃんですヨ。 
 それを無検討・無反省に N.H.K.が採用して全国に流したんです。

 オレが「そんな解釈はなり立たない、四万十川上流一帯はシマというくにで、河口付近は十川(トガワ)と呼ばれているのだから、そのシマとトを合わせたのが四万十川だ」と、抗議したのでした。
 ところが、権威を尊崇するインテリの気持って恐ろしいものがありますね。
 ちょうど、オレの不在のとき N.H.K四国なんとかから電話がかかってきて、受話器に出たおへまに、凄い剣幕でくってかかったそうです。

  ya(・ε^)na さん、宗旨がえしまへんかぁ ことばはオモロイんやでェ。


 No.:74   焼尻紋次郎 0 2007/11/09(金) 06:26
 『紋次郎・言語考古学』はじめました
Mail ijyana@rb3.so-net.ne.jp
 オレ、山手樹一郎のお江戸チャンバラものはぜんぶ読みました。
 そこには「まぶ」が出てきてました。
 『呼び名辞典』みました。4 〜5項目別になってますが、江戸時代の遊女の情夫というが共通してま。
 まおとこの ma でしょうねえ。

 女性がかいがいしく働いて小銭を矯めたところに、転がりこむがマブらしい。
 そうすると mami とは女性のほうにつけた名前では? 末尾の -i が、それを語っている。 
 まぶを長火鉢のヨコ座に据えるか、ヨコ座の前に据えるかは、その女性の情やけんまくで決まったらしい。

 ヨコ座のヨコとは、大将という意味です。ヨコ目付けなどと使われてますが、トルコ語にも「ヨコ=大将」がある。
 一家の囲炉裏まわりの席順はきびしかったらしいですね。アイヌでもそうです。
 今でも宴会などで主催者が席順まちがえると血の雨が降る。

 山手樹一郎などの作家を支えていたは、その半分ちかくが闘病生活者ではなかったか……。
 永くはないなァ〜。

 神奈備掲示板の“H.P.”の右最下に『紋次郎・言語考古学』に入るボタンがあります。
 きのふから初めました。ことばに魅力感じるひとはおいであれ。

 No.:73   おりょう 0 2007/11/08(木) 18:54
マブ転じてマミ
ちよっと調べてみました。紋次郎さんのいわれるようにタヌキ掘りした鉱山の穴や坑道のことをマブといい、
それが転じてマミになりマミアナ(狸穴)になったんじゃないかとありました。
そういえばマミちゃんというタレントがいましたね。タヌキ顔ですね。




 No.:72   焼尻紋次郎 0 2007/11/08(木) 06:19
 美 意 識
ya(・ε^)na さん、おはよ。
 オレ、3時半に腰つっぱって、そのまま起きだした。目はチバしってると思うヨ。
 いえね。あの夏のクソ暑いにィ、アンカ二つ、上下に電気毛布入れて寝てまんねん。
 そしたら、電気アンカで膝のすぐ下をゴソ〜っと低温やけどして、足の下にタオルまるめて二つ、枕させたら、腰に来たんでアリマス。
 永くはないナァ〜。
 冬になると、これにホッかロンを二つぶちこみまんねん。
 永くはないナァ〜。

 おりょんはん、おもてから見ると横穴の奥は暗いし、黒いやろ?
 「試してガッテン」にマミちゃんが出てはる。
 あれ、風邪ひいたときに、激烈なクスリ飲んだんやろ。それにしてもノド口蓋までが……?。
 有名人はソンをする。
 でも、むかしの人はお歯黒にこころ惹かれて「色気がある」と感じた。女衆は眉も剃ってチャーミング。

 No.:71   おりょう 0 2007/11/08(木) 00:49
無題
あは・・・・

だじゃれの意味なんかようわからんわー。


 No.:70   ya(・ε^)na 0 2007/11/07(水) 22:29
あはーーぁ・・
しかし参ったなぁ・・
  何のことかよう判りませんけれど・・
  言いたいこと言う人・・て
  口いっぱい言う人!!・・て
    あははっはは・・内臓の奥まで・・
       見えちゃいますよねぇ・・・・・・
      ほんま下品ですよね・・
        なんです・・おまえに言われとうないってかぁ!!・・へへっへ
   すんませんねぇ・・
     
   今日ねぇ・・ぼろアパートの爺さんとこ・・んんん
       のぞいたりましてん・・ほんだら・・
      両目が血走ってます・・
        もう永ないなぁって・・感じです
     人って・・なんなんやろねぇ・・


            ほんま!!
              なんなんやろねぇ???

 No.:69   やも 0 2007/11/07(水) 05:46
だじゃれ まみちゃん
 くちの奥があんなに黒く見える人もめずらしい。
 
 だから、マミちゃんいうのやろか。

 No.:68   おりょう 0 2007/11/06(火) 22:56
マミ
もののけとかの意味で魔魅かとも思われます。タヌコちゃんの顔はどことなく魅惑的でもあります。

 No.:67   焼尻紋次郎 0 2007/11/06(火) 08:53
マミ穴 タヌキ掘り
Mail ijyana@rb3.so-net.ne.jp
 おりょんはん、さっそくのご寛恕ありがとさんにござんす。

 栃木県馬頭町の入り口ちかくに、 1 間半ぐらいの石の塔みたいなのが二本立っていました。
 こどもの頃あそんだ大川の馬洗いの泉池ちかくにも、同じような石がつっ立てられてありました。
 おへまの家では、それはそれはおとなしい馬がいたのですが、年とってばくろう(馬喰)に売ることに決めたそうです。売られて引いてゆかれるとき、その馬は涙をながし、何度もなんどもふりかえったには、家族ぜんいんが泣いたそうです。

 もう、40年もまえのことですが、岡山県西大寺市(現、岡山市)の校医が催眠術で、ある女の子の前世は、広島県の牛だったことを報告しています。その牛もよくできた牛で、いつも正午きっかりにモ〜〜ッと鳴いてシ時刻をしらせたそうです。
 その又前世は深大寺(東京の西)で、女の子だったそうで、母親に早く死にわかれてこの子も早逝しました。あまりにもの薄幸に嘆いた父親が、こんど生まれてくるときには「いいことあれかし」と願いをこめて、その女の子が死ぬとき掌に墨で「斧(よき)琴・菊」と書いて弔ったそうです。
 西大寺の女の子の掌に、文字らしい痣があったので、そういうことが分ったとのことです。
 あの時点だったら調べられたんだがナァ〜。そのころ、オレ、行って、そのことを想いだしてはいたんです。でも、ケツに火がついていたので、その校医のところへ行けなかった。ザンネン・ザンネン。

 わが生まれ育ちの地、筑豊には「タヌキ掘り」といわれる横穴があっちこっちにあります。
 石炭の露頭があったら、脈ありかとおもってか、試掘した跡です。
 マミという動物はいなかった。マミ穴が「タヌキ掘り」になったんでしょう。
 マミってどこの言葉でしたか、たしか“銅”という意味だったと記憶していますが……。

 No.:66   おりょう 0 2007/11/05(月) 22:37
こんばんわ
焼尻紋次郎さんなんでも使ってただいて大丈夫ですよー
紋次郎さんのページ見たいのですが、私のパソコンダメなようで見られません。
とんちんかん小僧さんのも読みたいと思っているのですがうまくいきません。なぜでしょうか。

最近見つけた昭和26年の古本に我が狸穴の近くの川の橋端で、終戦後の食料難のときに牛の密殺が行わ
れていたという記述発見。つい最近散歩時に見つけた馬頭観音が昭和23年の建立となっており、密殺場
と場所は離れているが同じ町内なので関係ありそうな気がします。
今まであまり近辺を歩いたこともなかったのですが、結構いろんな小さな歴史発見があって”散歩もまた
楽しかな”である。
 

 No.:65   焼尻紋次郎 0 2007/11/05(月) 17:13
広州の造船跡遺跡のことを無断掲出しました。
Mail ijyana@rb3.so-net.ne.jp
 おりょんさん、4年ほどまえにここに披露された広州の造船所遺跡のことを、無断ながら『青草掲示板』にだしました。わるかったら、削除します。

 でも、あれは掲示板という庶民メディアでは、最高の書き込みだったとオレ思いますよ。
 こういう掲示板はひとつ……またひとつと消えてゆくは、人類の行方を彷佛させるようで、きもちのいいもんではありません。

 35年前に現れた『ふだん記』も消えました。「新人類文化」と銘うって勇ましく登場したのです。自分史はここから流行となったのでしたが……。
 文化の担い手は庶民なんですがネェ〜〜。

 No.:64   My sensibility 0 2007/10/31(水) 18:36
剣山とアーク
まだ見れてなかった番組がyoutubeで見ることができた。
テレビ番組のなかで、あまりにもリアリティのある演出をされると、
他になにか意図でもあるのではという思いがした。

http://www.youtube.com/watch?v=mhADVY-XVVk

おりょうさん、ありがとうございます。
新しいサイトの構築やら、
このサイトの引越しやら、
食べてゆくための仕事まで、
てんやわんやの大騒ぎです。

 No.:63   焼尻紋次郎 0 2007/10/29(月) 08:45
日本舞踊のお師匠さんのタンカバイ
Mail ijyana@rb3.so-net.ne.jp
URL http://bbsavi.jp/426097
いまから 18年前後のころ、まだ輸入品とか海外商品が珍しかったのか、福島県郡山市では、まいとし輸入博覧会と称して、業者をあつめてテント小屋を建て、売り出しを主催していました。
 当時、大学生、高校生を三人かかえていた小生も、少しでも稼がにゃならんので、友人に頼んで売り場を確保そてもらいました。
 その売り場のテナント料金がバカ高くって、小生が割り振りされた場所は、包丁を売る豊さんといっしょでした。一軒分を二人で借りたわけです。
 打ち合わせということでもなく、仲間も加わって立ちバナシをしたとき、豊さんが名セリフを展開するやり方だということがわかり、小生は「豊さんの芸を盗ませてもらいますよ」と、いったことを覚えています。
 あとで判ったことですが、テキヤにはタクバイとタンカバイとがあり、豊さんのはタンカバイに属するほうだとおもいます。
 さて、豊さんがしゃべり始めた。
 それを見て、オレは「こりゃダメだ、オレにはできない」と声をあげてしまいました。
 声はつぶすこともできましょうが、なにせ豊さんの動きにはスゲェ腰が入ってらぁ。「磐石」とはこういうたち廻りのこったろうとおもいました。

 豊さんは奥さんといっしょに来ていましたが、奥さんから「日本舞踊の師匠してるんですよ」と語られて、さもありなんと、心底から納得したもんでした。
 たいしてキヤイが入っていたとは思いません。それでも群集は群集を呼び、聴く者の耳目を奪っていました。

 あ、10月 25日でしたか、めくら滅法にキーを叩いていましたら、いちおう念願の『一杯のみやの価値観』なる掲示板ができました。http//bbsavi.jp/426097 だそうですので、どうぞお遊びにおいでください。
 すでにとんちんかん小憎さんが、偶然にも立ち寄ってくださり、書き込みしてくれました。有り難うございます。

 No.:62   おりょう 0 2007/10/27(土) 00:20
こんばんは
My sensibility さんお仕事ご苦労さまです。

焼尻紋次郎さん狸穴とは麻布ですか?
勝海舟、日暮里のお寺に大きな石碑があったようなきがします。

昔芝公園近くに住んでいたので麻布懐かしいです。
そうだ麻布十番の温泉にいってみよう。

PIKKIさん頑張ってください。



 No.:61   PIKKI 0 2007/10/26(金) 17:59
皆さんこんばんは
どうやら来月からまたネットに復帰できそうです。
紋次郎さんしばらくお待ちを!
また紋さんの書き込みをリンクしたいもんです。
僕が正真正銘のodn時代から「過激詩人ビッキ」を標榜してた・・
最近へたれ気味のPIKKIです。

ヤゾーさんご紹介ありがとうございました。
それにしても何故日本人はいつまでも、「天皇制」から自由になれないのでしょうか?
古代天皇制もとても興味深いのですが(それと非常に似通った儀式の残る沖縄との関係で)
日本人の性格が、「天皇制」やサンカ・被差別等の原因なのかも?
それと、いまや最後の国民共有財産となった戦前の天皇の財産ー国有林の実態を主権者の国民が知る権利を行使することが、日本の未来にとってかすかな希望ではないかと思うのですが。
gooのブログが無事だったので当分はそっちを利用する予定です。
「pikkibikki」で検索を。

 No.:60   ヤゾー 0 2007/10/25(木) 11:54
無題
PIKKIさん お久しぶりです。

いろいろと大変だったようですね。
このサイトも今年いっぱいでアーカイブにする予定です。

現在、管理人のひとりとして、新しいサイトを立ち上げている最中でして、
一般公開が決まれば、お知らせしますので、
そのときは是非、ご利用ご参加ください。


天皇の蓄財

http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060825

 No.:59   焼尻紋次郎 0 2007/10/25(木) 10:06
マミアナの住人
Mail ijyana@rb3.so-net.ne.jp
 Pikki さん、いま小生のアタマの中には二人の Pikki シャンが同居してます。
 一人は会津にいらっしゃって、尊台 Pikki さんじゃないみたい。
 どこにお住まいの Pikki さんでしょうか。おEメールください。

 いま日本の「おどり」を纏めようとして『勝海舟』を読み直しています。これで 5へん目です。

 おりょんさん、勝海舟のオランダ語の師匠は永井青崖ですが、その先輩は都甲市郎左衛門といって、狸穴に住んでいました。静岡の出身だそうです。

 No.:58   PIKKI 0 2007/10/24(水) 18:18
ヤゾーさん紋次郎さん皆さんしばらくです
トヨタに続いて創価学会系企業をリストラされてしまっててんやわんやでした。
久しぶりにHPをと思ったら、gooのは終了らしいです。
ネット業者がなかなか工事に来ないので、HPの再開は今年末くらいになりそうです。

紋次郎さんの書き込みをできるだけリンクしてたのに残念!
gooの僕のブログに時々書き込んでくれるhilotnuu氏がいくつか紋次郎さん関係のものを残してたと思うのですが。

どなたか天皇制についてのよい本ご存知ないでしょうか?
戦後没収された最後の国民共有財産の国有林以外の世界一ともいうべき天皇の有価証券や預貯金は?

 No.:57   My sensibility 0 2007/10/17(水) 22:08
リサ・ランドール
直感や感性というものだけではなく、
科学者として異次元の存在を語るというのが素晴らしいと思う。

http://www.nhk-book.co.jp/tv_r/teigen/tachi/01.html

ここのところ忙しくて、
投稿できません。

適当に使って下さい。

 No.:56   焼尻紋次郎 0 2007/10/17(水) 15:17
志村喬そっくりさんの親分さん」
Mail ijyana@rb3.so-net.ne.jp
 京都にも縄張りを持っていらっしゃったらしい。志村喬(俳優)とそっくりの親分さんでした。
 浦和駅方面から家に帰る途中、その親分さんが経営してらっしゃった一杯呑み屋にたちよりました。
 なにせ、安い安い。ビールなどは原価にちかかった。

 その奥さんも店に出ていらっしゃって、これまた出来た女将でした。
 その女将の若いときの写真が店に飾られていましたが、日本舞踊での舞い子すがたでした。

 日本舞踊とテキヤとはなにか濃いつながりがあるのだろうか。

 No.:55   焼尻紋次郎 0 2007/10/14(日) 08:14
世間師 RE / カドワカシ
Mail ijyana@rb3.so-net.ne.jp
 ya(・ε^)na  さん、やっとかめ。
 三年半前はついぞついぞ言語のことを書きすぎました。まだ反省が足りないかもしれませんが……うう。

 世間師は、立田先生の『野師呼び名辞典』に、ちゃんと出てましたよ。これ、すげぇ辞典ですね。
 5種の意味が出ていまして、大略「各地をわたり歩いて、騙しまわる人種」ということらしいです。

 かどわかしとは人さらいですよネ。 世間師もそういう悪さもやらかしたんでしょう。
 ひとさらいは「おおまが時」に出る。
 きんじょのおばさんが「ほら、早よ家に帰らんとひとさらいが出るばい」……、こういうことばを聞くチャンスがなかった現代のおとなは不幸です。

 世間師は明治期のことばらしい。
 その前に「ひんようし」というのがいて、各地で寺院への喜捨を集めてドロンしてみたりしました。
 子母沢寛著『勝海舟』(全六巻)の第一巻に出てきます。その「ひんようし」を勝海舟のオヤジがやっつけるのですが、面白いです。

 ひとさらいの sar は、ネパール語で「うごかす」
 ひんようしの hin は ネパール語で「卑しい」。  …………オットッとォ〜〜

 No.:54   ya(・ε^)na 0 2007/10/14(日) 00:02
カドワカシ・・
紋次郎さん・・
  世の中にはいつもいつも・・んんん
 おかしな、ごじんがいてはりまして・・
   円天・や豊田商事やなんやかやと・・
  ほんでから・・騙した騙されたと皆さん騒ぎます・・・
   その昔 田舎の地で食うに困った親達・・
      可愛い子供たちが・・・

  カドワカシ・・・
     世間師・・・・
    なんやようわかりませんねぇ・・

 No.:53   焼尻紋次郎 0 2007/10/13(土) 06:05
テキヤ / 渥美清・ミノモンタ
Mail ijyana@rb3.so-net.ne.jp
 このテーマはすでに、この掲示板でも語られていることかもしれませんが……。
 なんとかいう落語界の大物さんが、先日、ミノモンタさんの語りぐちについて「間のとりかたが抜群だ」と絶賛していました。
 小生はミノモンタさんが人気を博した裏には、渥美清さんが燃えたえた「残り火」があるとおもいます。
 そのまた背景にはテキヤの語りぐちがあって、テキヤの語りぐちの背景には、江戸気質の「きっぷのよさ」がある……かと。
 ミノモンタさんの要領だけを真似て、ネクタイしめた青年や元教育界のセンセイみたいなのが、紙をはがしはがし、ニュース解説をしてる姿をみるにつけ、テレビ各局の総務課は何を考えてるんだろうと、イライラを通りこして、腹立ちすら覚えます。
 テレビに現れるテキヤ・スタイルの青年が一人います。ふとん入れ真空パックのタクバイをやっていす。こういう後続をどんどん育てないことには、維新による言語の断絶の傷は癒されないのではないかと想うのです。
 ところで、小生はテキヤと香具師のちがいもまだ勉強していません。
 だが、「あの二人」はまちがいなく、テキヤといっていました。次に、その二人のことを書かせていただきます。

 ヤゾー親分さん、世間師というのはどういう人種なんですか? おれ、いちど「世間師」といわれたことがありますが、どうもワカランような、ワカランような……。

 No.:52   My sensibility 0 2007/10/11(木) 19:07
巨大ナメクジ
巨大ナメクジの写真を山小屋日記にアップしました。
気持ち悪いですが、
なかなか興味深い模様してます。

ナメクジというより、ツチノコの子供か?と一瞬思いました。

 No.:51   My sensibility 0 2007/10/06(土) 23:56
アウトソーシング
このごろ、やたらに勧誘の電話が多い。
あまりしぶといと不機嫌になってしまう。
今日のは、どこかゆったりとした田舎の匂いのする女性からの電話であった。
努力して標準語をしゃべろうとしているのが伝わってきたし、
また言葉のイントネーションがどこか憎めないような感じであった。

10分以上話を聞いてから、最近アウトソーシングとやらで、
中国のテレホンオペレータから電話があったり、
またメーカーに問い合わせたら中国のテレホンオペレータに繋がるそうですが、
どこからの電話なんでしょうかと訊ねてみた。
するとその女性は沖縄からだと答えてくれた。

そうですか、はるばる沖縄からですかと言ったら、
女性の言葉が余計に沖縄風のイントネーションになった。
それでつい気を許して契約してしまった。
とても喜んでいた。
自分も田舎ものなんだと痛感した。

>やぞーさん山小屋に12年ですか?

おりょうさん みんな歳をとるはずですね。
その分 それぞれ積み上げてきたものもあると思います。
それを生かせるようになれたらよいなと思ったりしています。

 No.:50   おりょう 0 2007/10/05(金) 23:06
無題
そうですか・・・。ご病気でもされたのかと心配していました。お元気でよかったです。
また面白い話でも書いてくださいませ。難しくないほうがいいですわ。^^
私は最近ロムっているだけですが楽しみにしています。

やぞーさん山小屋に12年ですか? 百足、蜘蛛、アリンコにもめげず、毎年の台風にも山小屋は飛ばされも
せず、しっかり山の住人ですね。これからも頑張ってください。
クマノライフも8年の経過ですか? んーあまり振り返りたくないです。


ベンジャミンフルフォードさんって最近知ったのですが、面白いページですね。
カナダの人で最近日本国籍とられたそうです。
カナダのほうがいいのにと思います。

 No.:49   焼尻紋次郎 0 2007/10/05(金) 11:33
山羊のこと
Mail ijyana@rb3.so-net.ne.jp
>あらまー 焼尻紋次郎さん、どうされていたんですか(おりょんさん)?
 
 哲学してましたヨ。
 いろんなことが、さもホントウのこといってるみたいな学問の形態ちゅうことを、睨みつけていました。
 人間が持っているいろんな考え方でのクセを、白日のもとにひっぱり出して、コンクリートの上に叩きつけないことには気が収まらないのでした。

 山羊の乳は牛乳よりもはるかに高栄養で、シナの本など読んでいますと、仙人とか老人は山羊一匹を連れて遠距離を歩くスタイルが出てきます。これ、生きてるべんとうですね。
 山羊の語源(?……みたいな)は、ラテン語の lac(乳)ではないかと思いはじめました。ヤクという動物もいますよネ。これが第二子音濁化のクセで yagi になったのでは……と。

 No.:48   ヤゾー 0 2007/10/04(木) 21:05
無題
紋次郎さん お元気そうでなりよりです。

今年の12月でここを開設して八年になります。
また山小屋に暮らし始めて12年目になります。
どちらもそんなに長く続くとは思いもしませんでした。

 No.:47   おりょう 0 2007/10/04(木) 19:39
無題
あらまー 焼尻紋次郎さん、どうされていたんですか? お久しぶりですね。お元気でしたか?

クマノライフも長く続いていますね。

 No.:46   焼尻紋次郎 0 2007/10/04(木) 15:20
舞い戻ってきましたが……
Mail ijyana@rb3.lso-net.ne.jp
 席亭のヤゾー親分さん、しばらくでした。
 3年半ぶりに舞い戻ってみました。
 おりょんさんの文字みたら、なつかしさが身に沁みました。あのときは泣かせてごめんね。
 ヤゾー親分さんに訴えていた山羊のこと、もう少し肉付けができました。
 長居は無用、またいづれぼちぼち書かせてください。

 No.:45   My sensibility 0 2007/09/27(木) 20:57
無題
ベンジャミンフルフォードさんのホームページにある文章

http://www.benjaminfulford.com/

>戦争や貧困、環境破壊のない『新時代』を築きたい人達のためのホームページです

>日本人が『プロパガンダ』から目が覚めた時、人類や地球を救うことができる

>日本が立ち上がれば、世界から「戦争、貧困、環境破壊、無知」などを、なくすことができる

>日本こそが新しい時代を創ることができるのだ。そのためなら、私は命をいくつでも投げ捨てる覚悟がある

経済力や技術力だけでなく、
自然と調和するという心、和をもって尊しとなすという精神、判官贔屓という美意識、
それらの魂を蘇らせることができたなら、
この国には世界に先駆けて型を示す役割を果たすことができるような気がしています。

またサンカ、部落、在日等のマイノリティーという存在が、
闇の領域から光へと向かったときに、
大きな力となるような気もしています。

 No.:44   おりょう 0 2007/09/26(水) 22:22
無題
ベンジャミンフルフォードさん
September 26, 2007
日本のフリーメイソンの幹部と会いました
日本のフリーメイソンの幹部から連絡が来ました。「あなたは色々とフリーメイソンの事を勘違いしているので、本当の事を教えましょう。忍者からもらったというフリーメイソンのバッチを00ホテルに持って来てください。」

会った人物は外資金融機関の日本人幹部だった。彼は私に自分のバッチを見せ、私のバッチを見ながら色々と説明をした。

「私は日本のグランドマスターの代理です。あなたの持っているバッチは見た事がないが、確かにフリーメイソンの幹部のバッチのようです。日本のフリーメイソンはフィリピンのグランドロージ(本部)の下にあり、大本はイギリスのグランドロージ(本部)です。戦後マッカーサー将軍が設立に携わったものです。昔は形式的に日本の総理大臣がみんな入っていたが、機能はあまりしていなかった。みんなあまりロージ(本部)に来なかった。本当の意味で参加していたのは鳩山一郎元総理だけです。小沢一郎も鳩山由紀夫も入ってはいない。今日本人のメンバーは200人だけで、殆どのメンバーは外国人です。」

一つ確認できたこととして、日本のフリーメイソンは二種類ある。中世時代からある日本のフリーメイソン(入会は断ったが、私がバッチをもらった方)と、戦後に設立されたというイギリスのフリーメイソン。前者のフリーメイソンのバッチのデザインには六つの繰り返しがあるが、後者の方は三つの繰り返しになっている。そして戦後に設立されたフリーメイソンは、中世時代からあるフリーメイソンについて殆ど知識がない。
(無断転載です すみません)

 No.:43   My sensibility 0 2007/09/26(水) 20:24
無題
鉱山では竹で編んだ籠は重要な道具だったでしょうし、
渡り山師とサンカには重なるものを感じます。

 No.:42   じげもん 0 2007/09/25(火) 09:28
尾平鉱山の山師
大分県と宮崎県の県境にある祖母山。
この山の大分県側にかつて繁栄した尾平鉱山があります。
ここでは、近年まで新しく坑口を開くとき、壁に神代文字で「カナヤマヒコヒメミコト」と刻み、祭典を行い吉凶を占ったそうです。
神代文字(豊国文字)ですので、鉱山師たちはその意味も由来もわからないまま古来の言い伝えにしたがって祭事を執り行っていたようです。明治時代の文献によると、その文字がまだ残っているということなので、早速探索に行ってまいりました。
現在、尾平鉱山区の住人はわずか2戸。
いろんな人に尋ねましたが、結局神代文字に関する情報を得ることは出来ませんでした。が、子供の頃からそこに住んでいる方から「渡り山師(鉱山師)」の話をお聞きしました。
渡り山師とはその通り、鉱山を渡り歩く人たちですが、これがかなりしっかりした組織であったそうです。
ある日、知り合いの渡り山師宅の仏壇にあった小さな筒を開けてみたところ、彼が所属する組織の親分以下の組織図が詳細に書かれていたそうです。
事故で身体が不自由になった者も見捨てることなく最後まで持ち回りで面倒をみていたといいます。
サンカ同様、すでにほぼ消滅している職業かもしれませんが、痕跡はまだ濃厚かと思われます。
情報があればお知らせ下さい。

 No.:41   おりょう 0 2007/09/24(月) 22:52
無題
9・11の事件、当時から「やらせ説」はささやかれていましたね。
その日、ユダヤ人は全部会社に出勤していなかったとか、飛行機突入の第一報にブッシュさんは少しも驚か
なかったし慌てるふうでもなかったといいます。
サブプライムローンといいアメリカはなんでもありの国なんですね。

ビデオの一番最後でもベンジャミンさん「僕を脅した忍者・・・」とか言っていますね。
そこのところをもっと詳しくなんて思いました。

部落開放読んだのは6年前なんですね。ジュンク堂に探しにいったのを思い出しました。


 No.:40   My sensibility 0 2007/09/24(月) 18:45
無題
部落解放493号を引っ張り出してきて、再び目を通しました。
熱の篭った眼差しで読んでから、もう6年も過ぎてしまったんだなと、
しみじみと感慨に耽ってしまいました。

その当時のことだったかと思います。
映画に詳しい方から、この映画の主人公は、
君の好きなサンカではないのかと言われて観た映画があります。

伝説の広島ヤクザ 山上光治を描いたVシネマで、
新・広島やくざ戦争 武道派列伝 主演 小沢仁志 というものでした。

作中に、山○もん?(正確に覚えていませんが)、と何度も差別されるシーンがありました。
Vシネマに対する自分のイメージを覆すほど、深みのある、泣ける映画でした。

仁義なき戦いシリーズ 広島死闘篇では、
北大路欣也が山上光治を演じていました。

 No.:39   まれびと 0 2007/09/24(月) 10:36
一応
URL http://www.geocities.jp/marebit/
転載しておきます。

**********************************

 




 研究会場の小さな集会所の二階は畳の間になっていて、川魚漁に用いるさまざまな漁具が展示されている。棕櫚箒作りもその製作工程が理解できるように工夫されていて、いろんな種類の箒の実物が並べられている。

 二階への階段と廊下には、小学生の感想文がズラリと張り出されている。地元の小学校の先生が、先祖たちの苦労が理解できるように、この地区に伝わる川魚漁と棕櫚箒作りを授業に取り入れて実習させたのである。子どもたちの作文を読んでいくと、懸命にそれに応えようとしていることがよく分かる。

 先にみたパンフに記載されていた1998年度の解放文化祭の展示物がそのまま残されているのだった。たった一部屋の小さなものだが、今日では、日本唯一の「サンカ民俗資料館」である。

沖浦和光「幻の漂泊民・サンカ」(文春文庫)

  



 奇しくもメールで注文していた月刊「部落解放」2001年11月493号が届いたその日の朝、広島の府中市役所(商工観光課)へ電話を入れた。役所の人はどこの馬の骨とも分からぬ者の依頼に、とても熱心に動いてくれたというべきだろう。いくどかのやりとりの後、集会所の場所が分かりました、これから見に行ってきます、またこの件にくわしい地元のSさんという人にもお話が聞けるかあたってみます、という返事が来たのは昼頃だった。ずいぶん行動派の人だなと半ば苦笑しながら、ほのかな期待にときめきながら、わたしは受話器を置いたのだった。

 電話を待っている間、わたしは「部落解放」に掲載されたSさんの手記「漂泊民からの逆照射 古老たちのアイデンティティ」を読んだ。それは沖浦氏の言葉を借りれば「自らサンカと呼ばれた小集団の末裔であることを正面から名乗る宣言、すなわち、サンカとしてのカミングアウトであり、歴史の闇の中に沈められてきた山の漂泊民のアイデンティティを求めての思想的宣言」である。沖浦氏がはじめて目にした小冊子の中でSさんは次のように記している。

 




 「私のルーツをさかのぼっていけば、『サンカ』にたどりつくのではないか」 これが私の脳裡にうごめいていた疑問であった。それは同時に得体の知れない不安と、漠然とした畏れの感情を育て上げていった。

 私は、川魚漁と棕櫚箒づくりを生業としている父母の姿に、尊敬の念をもちつつも、また一方では恥かしく感じるという矛盾性を抱き続けてきた。

 「いったい自分は何者なのか、なぜ差別を受けるのか」という問いは、私を解放運動に向かわせ、「差別の根源を問う」という手放せぬテーマを、自らの課題とした。

 父母とともに同じ生業をしていた人々は、どのような歴史の位相の中で現在にたどり着いてきたのか・・・

沖浦和光「幻の漂泊民・サンカ」(文春文庫)より孫引

 



 村々でときに塩をまかれ石もて追われたサンカの人々を比較的、寛容に受け入れてくれたのが、同じ苦しみを受けていた被差別部落の人々であったことは前述した。しかしその部落内にあっても差別は存在した。被差別部落の人々からすれば「かれらは血筋が違う」のである。そして「サンカ」という名称が現在でもなお「差別語」として生き続けていることは、2チャンネルなどのWeb上の書き込みを見れば容易に分かる。「サンカ」とは主に川魚漁や竹細工などの生業をもち里山を経巡った回遊型の非定住民の総称であるが、かれら自身が自らを「サンカ」と名乗っていたわけではない。「エスキモー」や「ジプシー」と同じく、与えられた蔑称なのだ。

 私の敬愛する父母は「サンカ」という蔑称で呼ばれた者たちである。私の自己は否定すべき「サンカ」と敬愛する父母の二つに切り裂かれている。「サンカ」と呼ばれた父母は、なぜそのような蔑称で呼ばれなければならなかったのか。そしてその父母の血を継ぐ私はいったい何者なのか。そのような激しい葛藤と自問のなかでSさんは、「『サンカ』という言葉は賤称語であると定義すべきだ」と宣言した上で、一説にいう「困窮極まった末に村を捨てて山に逃げ込んだ」というネガティブな姿だけではない、まつろう諸々の先入観を拭い去った上での、いわば敬愛する父母の生きようの「光」の部分を紡ぎ出そうとする。

 




 時折、私が川に出かけ、スッポンをとって帰ってきても、一目見ただけで「あの辺にゃあ、まだまだおるじゃろうが」と、古老たちは啖呵を切る。父にとってその生業は、単に生活の糧にするためだけではなくて、期待と落胆、工夫と挑戦、喜びと自負といった、人間の精神を高揚させてくれる何ものにも代えがたい「なにか」であった。自然が父に与えてくれたくれる恵み、それを手にした時の興奮を常に手応えとして受け取ることのできる、生き生きとした世界であったのだ。

 そうしてゴクリと酒を喉にし、「川はええどぉ」と頬をゆるめて語る姿には、「非定住」「無所有」なるがゆえに厳しく苛酷な差別を受けてもなお、手放さなかった人間としての意地が感じられる。

 権力の支配・締めつけを拒否し、搾取と収奪から自由になるということは、とりもなおさず被差別者としての烙印をその身に受けることである。そのような烙印を焼きつけられても、しょせんは権力のつくったシバリに過ぎぬと歯牙にもかけず、ただ悠然として川底に立ち、そこから見える風景とともに世間の人間絵巻を望遠していたのである。

 人間が到底太刀打ちできぬ自然界の荘厳さと常に対峙しながら生きてきた。それはすなわち、すべてを手中に収めきろうとした権力への無言の抗いであったのである。

 その高らかな誇りにつながる自然体を、わが父の身体と精神は今でも記憶している。

月刊「部落解放」2001年11月493号>作田清「漂泊民からの逆照射 古老たちのアイデンティティ」

 



 ついでSさんは「かつての漂泊生活にまつわる苦い思い出を疎ましく感じて、多くを語ることはしなかった」叔父が、その死に際に「川へ行きたい」という言葉をつぶやき、死んでいったことを記している。

 




 その葬儀には私の父も参列している。しばしすれ違った時を経ての、真実のそして最後の再会は、「川へ行きたい」という末期の言葉の中にあった。故あって故あって島に生きる道を選び、川のない地に生きた弟の亡骸の前で、座して崩れる父を見た。

 その生を全うさせぬ差別のシバリが、若き日の叔父の躍動を、定住の枷(かせ)に封じ込めたのだ。しかし、川から離れ、一切を語らぬ沈黙の時間の果てにあっても、自分がもどれる場所は、最後まで手放していなかったのである。

 「川へ行きたい」。実に険しき遺言をみる。

 



 Sさんの文章はわたしをぎりぎりと締め上げる。それは「サンカ」に勝手な夢想を寄せ自己陶酔していたわたしに対する呪詛である。と同時に、もっとやわらかな、どこか霧でぼうっと霞んだような広い川面の風景へわたしを押し出していく。それは故なき差別に苦しみながらも、いまやわたしたちの多くが失ってしまったしずかな喜びをその胸にとどめながら、寡黙に、律儀に、自然に日々の暮らしを続けてきた、どんな「名称」からも逃れた人々のいる仄かな「光の風景」である。

 



「サンカ」と呼ばれた位置から、この社会を眺めてみることは、とりもなおさず「定住・所有」の軛(くびき)に沈められ、結果として近代天皇制国家にからめとられてしまった私たちの精神性とその現在を、逆照射することになるであろう。

 それは権力支配によってつくられた価値観を、根底から覆すことである。真実を覆い隠していた虚像を、あばくことである。被差別民衆の暮らしの中には、このような逆照射の視点が必ずや内在化されている。解放思想の源泉は枯れず湧き出でている。

 



 父もまた、八十を超えた今なお、春暖かくなれば川へ行く。父を育て、ともにその時をすごした生命たちが、そこには生きている。父の行く先には、私が定住生活を常態として受け入れることで見失ってしまった精神の気骨が、そこで待ってくれているのだ。そのことに私は今、痛恨の念をもち、父の後ろ姿を見つめる。

 これまでの歴史の中で、蔑視し沈黙したはずの「漂泊者」の側には、帰る場所がある。揺るぎないアイデンティティーがそこにはある。

 私は疑う。定住者には住む場所こそあるが、そこは確かに自分の帰る場所なのか------。さらに問う。「サンカ」と呼ばれた人々はいかにして、自分の精神の拠り所となる場所を、築きあげてきたのか。

 私が求心すべき場所は、漂泊者として生きた父たちの、遺産の内奥にある。

月刊「部落解放」2001年11月493号>作田清「漂泊民からの逆照射 古老たちのアイデンティティ」

 



 夕方に、電話が鳴った。府中市役所の返答は、教育委員会の人が集会所を見に行ったがすでに展示はされていなかった。Sさんにも電話で訊ねたが「棕櫚箒も何もかも、どこへいったか分からない」という。そして(展示についてのお話を伺えたら・・という申し出については)「話をしても、誤解をされないように上手に話せる自信がないので、いまはそうしたお申し出はすべてお断りしています」というものであった。

 沖浦氏が「日本唯一の『サンカ民俗資料館』」と評した展示は取り払われ、多数の貴重な展示品もどこへいったか分からぬという。もともと「1998年度の解放文化祭の展示物がそのまま残されている」ものであったそうだから、あるいは一定の期間を過ぎて予定どおりに撤去されたのかも知れない。しかしひょっとしたら、「サンカ」であった印の品をわざわざじぶんたちの集会所に展示することはないと一部の者たちから声が上がったか、あるいは展示に対する無理解や嫌がらせ行為があったのではないだろうかと、わたしは疑ってもみたりする。そして何より、Sさんが答えたという言葉に含まれた微妙な言い回しに、わたしはとまどったのだ。どこの馬の骨か分からぬ者の申し出をたんに断るだけなら想定内だ。だが、Sさんの物言いにはそれ以上の影がある。それは「話しても理解してもらえない。もうたくさんだ」という深い絶望である。

 しょせんはわたしも鈍感な烏合の衆ではなかったか。手前勝手な空想を抱き、興味本位で嗅ぎ回る犬畜生ではなかったか。川魚漁や棕櫚箒つくりの展示を見、話を聞き、Sさんのいう「逆照射」の何たるかを己の目と耳と頭で考えたいと欲求したが、いまわたしは、じぶんがひどく軽率で、嫌らしい人間であったような気がしてならない。固いしこりのように、残っている。

2007.9.23
******************************

 No.:38   My sensibility 0 2007/09/23(日) 18:06
無題
>ベンジャミン・フルホードさん

三回に分けて3時間24分すべて見ました。
サンカの部分は何度も繰り返して聞きました。
話半分としても興味深い話ばかりでした。

911で救出消火活動で亡くなられた消防士や警察官の人たちのことを思うと、
せつない気持ちになりました。

 No.:37   おりょう 0 2007/09/22(土) 15:49
「車坂」
http://video.google.com/videoplay?docid=-3859363222910740882&hl=en

上記アドレスのベンジャミン・フルホードさんの口演観ていて吃驚しました。りそな事件にサンカがサンカしていたそうです。
16分あたりに山の部族サンカ・・・と。

釣楽さんこんにちわ
そうなんですか、車坂町生まれでしたか。深く考えませんでしたが車寅次郎の名前の由来そうかもしれませんね。さすがに読みが深いですね。
この「裏社会日本史」によりますと、戦後の上野や浅草祭り秩父の祭りなどその他の縁日を取り仕切っていたテキヤさん達は甲州、群馬、埼玉などの出身者が多かったようですね。なんとなくサンカとむすびつけてしまいます。

 No.:36   釣 楽 0 2007/09/22(土) 13:27
寅さんはの由来は「車坂」からかも
おりょうさん、こんにちは。
「渥美清は板橋の生まれなんだ〜」とHPで検索した所、下谷区車坂町(上野駅近く)に生まれ、その後に板橋の志村に転居したようです。
おりょうさんが絶賛されている書き込みを見て購入した「裏社会の日本史」に、乞胸の居住場所について書かれており「その居住地は、日本橋界隈、続いて上野の下谷界隈へと移った・・・」とあります。車坂町は万年町とも隣接しておりますので、身近に大道芸人などを見ながら育ったのでしょう。
フーテンの寅さん(車寅次郎)の由来は「車善七」からと思っていましたが、出生地の「車坂」だったのかも知れませんね。
このHPで紹介されている本をなるべく読むようにしておりますが、目を通すだけで消化不良で終ってしまいます。しかしこのフランス人、凄いですね。ありがとうございました。

 No.:35   My sensibility 0 2007/09/20(木) 19:19
無題
人間の精神は創りだすものに宿る

道具であれ、映画であれ、すべてそうなのでしょう。

 No.:34   まれびと 0 2007/09/20(木) 11:35
<皆神龍太郎さん
>府中市の「サンカ民俗資料館」

「漂泊に生きた人々」の特集号「部落差別」が届いた今日、やっと休みがとれて、府中市役所に「サンカ民俗資料館」について電話で尋ねてみました。
あちこち親切に調べてくれて「わたしも知らなかったので、これから現地に行って見てきます。」 後ほど連絡を呉れるといったん電話を切られました。行動派の方のようで(^^)

皆神龍太郎さんは行かれたことがあるとのことですが、事前連絡とかは必要ないんでしょうか?
ふらりと行っても見せてもらえるものですか?
ご教示いただけたら有り難いです。

 No.:33   おりょう 0 2007/09/20(木) 01:22
渥美清
テキヤ生活のトラさんの10代の頃のお話です。
車虎次郎のトラさんはテキヤ稼業の役にはまっていい味だしているのは若い頃に経験があったんですね。板橋生まれのトラさんは終戦後家出して上野アメ横辺りでテキヤさんをやっていたり、上野界隈の賭場の使い走りなどをしていたりしていたそうです。後に浅草に流れ、映画出演するようになりロケ地などで因縁つけてくる人などがいたりすると、いつもトラさんが隠語などをつかって追っ払っていたといいます。生の渥美清さんを
彷彿とさせる目撃者のお話でした。


 No.:32   ya(・ε^)na 0 2007/09/19(水) 23:58
皆神さま・・
三角寛の全集読んでまして・へへへ
  ほんま・・憧れてしまいますよね・・
 ほんまか嘘かって話になりましたら・・んんん
  そうなんかもしれませんねぇ・・

  でもその精神になると・・なんや話は・・・んんん
     ちがいますよね

  ウメガイの原型って??
     テンジンの原型って??

   へっへへへ・・・どないなんでしょうねぇ・
     
      受け入れる事って・・受け入れてくれるお人がおるってことって!!

     どんなことなんやろか??・・ねぇ

 No.:31   皆神龍太郎 0 2007/09/19(水) 20:36
府中市の「サンカ民俗資料館」
5年ほど前に、府中市におられる、サンカと呼ばれた人々に会いに行った際に、サンカ民俗資料館も一緒に見てきました。

中国地方のサンカは、関東のサンカとは異なり、箕は造らずに、主に棕櫚ぼうきなどを造っていたので、それらが展示をされていました。

ただ、府中市のサンカは、周囲の人々からはサンカなどと呼ばれていたものの、自らが本当にサンカであるかどうかは分からない、という立場を取ってられましたね。

いわゆるウメガイやテンジンなどのサンカを示す言い伝えがないんですよね。
(ただし、テンジンがサンカのアイデンティティである、ということを言っているのは三角寛だけであって、彼の創作である可能性が高いと思っています)

そもそもサンカという名称が全国区の名称であったどうかも非常に怪しいと思います。
サンカという名が一般化したのは、柳田の論文以降だと思います。

 No.:30   My sensibility 0 2007/09/19(水) 18:51
無題
「人生は第二志望で決まる」
とテレビで耳にしたが、
なかなかうんちくのある言葉だと思った。

うんちくと言えば、
トイレットペーパーの芯に「神に見放されたら、その手で運を掴み取れ」と下手な字で書いたのを、
誰かが訪ねてきたときに、トイレットペーパーホルダーにそっと入れておこうと思っている。
トイレを使用し、それに気づき読んで面白いと言ってくれたなら、
うちのトイレはTOTOウォシュレットではなく、SOTOウイットレットなのだと言ってやりたいのだ。
だが残念なことに、うちのトイレを使う人はなかなか居ない。

下らなくてすみません。

 No.:29   孝太 0 2007/09/19(水) 08:48
テレビ東京の番組

(第三弾の放送があるそうです)
〜 みのもんたの日本ミステリー 〜
http://www.tv-tokyo.co.jp/nihonmystery3/

 No.:28   ya(・ε^)na 0 2007/09/19(水) 08:16
こんなことが・・
なんやこの頃、安心と安全はお金を出さねば持てなくなってきましたねぇ・・
 以前、業務用冷蔵庫回収していただいたとき、フロンの回収料金の高いのに驚きました
でも・・・正規に回収されずそのまま、大気中に捨て去る業者の多い事も耳にしました
 もちろん回収料を取りながら大気中に捨て去る最も悪質な業者もいるそうです・・
情けなや・・情けなや・・・・
  世界的な異常気象もそんな、こんなの積み重ねなんでしょうねぇ

 こんなニュースがありました・・

<中国公害>重金属汚染の涼橋村 村民の死因、8割はがん
9月17日11時15分配信 毎日新聞


 命を拒む赤茶けた土と水が、やせた農村を覆っていた。中国広東省の北部にある人口320人の涼橋村。かつて豊かな恵みをもたらした母なる川は、重金属を含む汚泥を運び込む死の川に変わった。中国全土で20あるとも50あるとも言われる「がんの村」。ここもその一つだ。北京五輪が1年後に迫った8月、急激な経済発展の陰でうめく「沈黙の大地」を訪ねた。
 人口1000万人の省都・広州市から約160キロ。車で3時間ほど走った山あいに村はあった。
 「魚が何匹いたかって? 数えきれないほど、たくさんいたんだ」
 中国共産党の同村支部書記、何保芬さん(44)がまくしたてた。足元のひび割れた土の下には、かつて深さ1メートルほどの養殖池があったという。
 赤茶色の正体は、約30年前から操業している上流の鉱山から流れ出す排水や汚泥だ。色の原因になっている鉄分だけでなく、カドミウムや鉛、亜鉛などが含まれ、生き物がすめないほどの強酸性だ。それが大雨の度に養殖池や田畑に流れ込む。
 この20年ほどの間に亡くなった村人の約8割はがんが死因だったという。下流域も似た状況だ。だが、本格的な疫学調査は行われておらず、汚染との因果関係は今も確認されていない。中国政府は環境重視の政策を打ち出し始めているが、この村に具体的な救済策は見えないままだ。
 「日本の新聞が取材に来たのは初めて。この村で起きていることを多くの人に知らせて」。案内してくれた女性が訴えた。私が見た被害は、ほんの一部にすぎなかった



おとろしや!!
今中国では、こんな事が起きている
 そしてその汚染の大地は大雨と洪水のたびに、下流地域にその汚染を広げている・・
  その汚染物質は、やがて食物を通じて日本の食卓に並ぶ・・・

食料自給率はすでに40%を遠くに切ってしまった今の日本・・・・・・
   しっかり自問して考える最後のときなのかもしれませんねぇ・・とほほほほ

 No.:27   世間師 0 2007/09/18(火) 12:44
府中市の「サンカ民俗資料館」
むむサンカ民俗資料館か・・機会があれば行ってみたいですね。

どうも府中市の一帯には、南朝伝説もあるみたいです。
「角川地名辞典」艮神社の祭神が楠木正成だそうで。

岡山県の津山市付近にも美作後南朝伝説があり、何ヶ月か前に「ムー」に載っていました。

 No.:26   My sensibility 0 2007/09/16(日) 19:05
スパイ大作戦
>「鏡の後にスパイいるかも」と冗談→調べたらマジックミラーの裏に男2人…ホスト国の中国、サッカー女子W杯でスパイ疑惑

自衛隊員に対するハニートラップといい、中国って分かりやすいスパイするんだな。
もっと巧妙にえげつないのはCIAだろうし、
モサドなんてもっと凄いかもしれない。

日本にも中野学校のようなスパイ養成機関があったことは知っているが、
戦後はそういう方面では遅れているのだろう。

国民の知らないところで、もしかしたら優秀なスパイが存在するのかもしれないし、
スパイというより、未然に危機を防いでくれているような組織は存在しているのかもしれない。

日本には元々優れたスパイである忍者という存在があった。
しかし、お忍びでCIAやモサドから教わりにきているようだと、
忍術というか、体術に詳しい人から聞いたことはあるが、
日本の場合、興味のある一般人以外には、
ヤクザのボディーガードらしき人が習いにきているくらいらしい。

体術最強だと唸った話が幾つかある。
任務の途中で殺害された場合、すぐに悪霊となり相手に憑依するという業であった。
ギャオォォ〜 おそろひや。

う〜ん、まったく関係ないけど、
なんていうか、不思議というか、シュールというか、
おいしそうというか、気の弱い人は見ないで下さい。

ねこ鍋

http://www.youtube.com/watch?v=Y_eQHri3xUI&mode=related&search=

 No.:25   まれびと 0 2007/09/16(日) 02:52
ヤゾーさん
早速のご返事、ありがとうございます。

「日本列島の先住民・土蜘蛛の遺跡をたどる」はタイトルからして生唾ものですね。
参加したいのは山々ですが、商業施設で働く身ゆえ、連休の三日間はチト厳しいです。
でもいつかどこかで、沖浦氏の話は聞いてみたいものです。機会があれば。

最近読んだ前田 良一著「役行者 修験道と海人と黄金伝説」という本に、川上村にある井光の井戸跡が出てきて、近いうちにバイクで尋ねてみたいと考えています。
この本もけっこう面白いですよ。
http://www.bk1.jp/product/02723662

サンカ民俗資料館については週明けに、あちらの役所あたりか、無理なら人権博物館に勤めていたつれあいの筋で調べてもらおうかと考えています。
もし行くことができたら、またこちらでもご報告させて頂きます。

 No.:24   tombo 0 2007/09/16(日) 00:19
ホワイト・ピラミッド


中国の西安市周辺のホワイト・ピラミッドと呼ばれる100個近い墓郡。
最も大きいピラミッドは354m × 357 mで高さは310m位あるそうです。
その全てのピラミッドは北緯39度と北緯30度の中心地の北緯34度30分の近似値の北緯34度20分当たりにあります。これは神武稜と略同緯度です。

GIZAのピラミッドは、北緯30度(種子島・屋久島にあたる)から北緯39度(横手市にあたる)と北緯39度から北緯45度(宗谷あたる)の2極化国家建設をするという未来への契約なのです。
その始まりとして北緯24度(与那国島あたる)を隠蔽し北緯26度(那覇市あたる)を引きずった国家建設なのです。
この北緯24度(与那国島)から北緯45度(宗谷)の物指となったのが日本列島なのです。

以下参考資料
Pyramids in China
http://web.utanet.at/mahain/Pyramids_in_China.htm

【西安市】
◇[中]Xi'an Shi、[英]Xian City
○中国中北部、陝西省(センセイショウ)中南部にある省都。古称は「長安(チョウアン)」。
● Huang-ti Mausoleum 37: size 354 x 357 m,   34°22'52"N  109°15'12"E
Maoling Mausoleum 1: size 222 x 217 m,       34°20'17"N  108°34'11"E
Pyramid 6: size 153 x 158 m,              34°21'47.16"N  108°37'49.80"E
Pyramid 7: size 149 x 155 m,              34°21'42.48"N  108°38'24.36"E
Pyramid 11: size 155 x 154 m,             34°22'29.64"N  108°41'51.36"E
Pyramid 15: size 219 x 230 m,             34°23'52"N  108°42'43"E
Pyramid 31: size 126 x 149 m,             34°14'09.00"N  109°07'05.00"E
Pyramids 33,34,35: bigest 160 x 167 m,       34°10'45.00"N  109°01'41.00"E
ホワイト・ピラミッドの位置図
http://web.utanet.at/mahain/pyramidmap.jpg

 No.:23   My sensibility 0 2007/09/15(土) 19:00
政治家って
人相の悪い人の方が多いと思う。

こうなったら笑うしかない。

こういうドッキリは好きだ

http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=186174

 No.:22   ヤゾー 0 2007/09/15(土) 18:41
無題
まれびとさん こちらこそご無沙汰しております。

サンカ民俗資料館へは行ったことがありません。
機会があれば、是非行ってみたいと思っています。

ご存知かも知れませんが、10月6日から三日間、
沖浦教授たちが中心となった「日本列島の先住民・土蜘蛛の遺跡をたどる」という
シンポジウム、交流会、フィールドワークが熊野にて開催されるようです。
そのシンポジウムに知人と参加する予定だったのですが、都合で参加できなくなりました。
もし興味がありましたら、申し込み方法など、沖浦教授の講座に参加したヤナさんから、
リーフレットと申し込み用紙を送って頂ましたので、詳しいことをお教えできると思います。
解放同盟が後援として名を連ねていますが、純粋な学術的シンポジウムのようですから面白いと思います。

 No.:21   まれびと 0 2007/09/15(土) 08:18
日本唯一のサンカ民俗資料館
Mail marebit@ybb.ne.jp
URL http://www.geocities.jp/marebit/
ご無沙汰しています。お元気ですか。

最近、沖浦氏の「幻の漂泊民・サンカ」を(遅かりしですが)読みました。(知らない間に文庫・新書がたくさん出ていて、「日本民衆文化の原郷」や「旅芸人のいた風景」など、アマゾンでまとめ買いしちゃいました)
その中で氏が「日本唯一のサンカ民俗資料館」と書いている、どうも広島・府中あたりの部落の集会場らしいですが(その二階に川魚漁や棕櫚箒作りについての展示があるとの由)、ヤゾーさんは行かれたこと・あるいは詳しい情報等お持ちでしょうか。
機会があったらぜひ広島に訪ね拝見したく思っているのですが、何かご存じでしたらご教示いただけたら・・・ と思い投稿させて頂きました。

改めてですが、沖浦氏の仕事はじぶんの興味とひどく重なることをハッケンしたこのごろです。
http://www.kaihou-s.com/bl/bl_mokuji/bl_200111.htm

 No.:20   My sensibility 0 2007/09/14(金) 19:08
コツコツと反省中
コツコツと積み上げてゆくところが、
日本人の良いところだと人に言われた。
それは長い目で物事を考えるということに通じるのだと。

戦前戦後、日本のご意見番でもあった山本玄峰老師の、
日本は一刻も早く戦争を止めなければならん。
今となっては負けて勝たねばなりません、という言葉が浮かんだ。

また、ある方とのメールのやり取りにこういうのがあった。

肚で考え、肚で動くのが、日本人ですからね。

頭で考え、頭で動いていると、
もっと頭のいい連中に利用されるだけだったりします。

> かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂
>
> ○○さんが、話の中でよく口にする言葉です。

○○さんも、大和魂をお持ちなのでしょうね。

損をして得(徳)をとるのが、
『やむにやまれぬ大和魂』の妙技かもしれません。

昭和の女性たちは、これを実践できていたので、立派ですよね。

そうした内助の功のおかげで、日本は高度成長を為し遂げてこられたのです。

それに引き換え、
目先の得を追って、自滅に向かっているのが、いまの日本の大衆たちですね。


己を振り返ると、コツコツと反省したくなった。

 No.:19   My sensibility 0 2007/09/12(水) 19:27
ぬいぐるみのようなニャンコ
http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=26630

医師が日本刀を振り回して逮捕。
隣人と口論の末、相手の指を噛み切った爺さん。

胸騒ぎのようなザワザワ感や苛々感は、
動物見てるのが一番癒されます。

 No.:18   こうへい 0 2007/09/11(火) 22:35
それは・・
保険会社に聞いたらあかんのんですか?

 No.:17   ya(・ε^)na 0 2007/09/11(火) 22:13
数年前の自殺者・・が・
数年前自殺した人の生命保険証書がでてきた・・
 受取人100%のかたのじゅうしょがわからない・・
    数年間でもきっと掛けていたであろう金額はなんぼかでも
んんんん・・取り返せるのであろうか??
   掛け損でおわるのだろうか??

       誰か教えておくんなはれ・・!!

 No.:16   My sensibility 0 2007/09/11(火) 20:50
好み
はっきり言って江頭2:50のファンである。

キムタクは嫌いである。

サラリーマンNEOに出演している奥田恵梨華がタイプで、

セクスィー部長を見るのが密かな楽しみである。

http://www.youtube.com/watch?v=gpMMHOLoffI&mode=related&search=

 No.:15   My sensibility 0 2007/09/11(火) 19:54
アミシャーブ
本屋に立ち寄ったときに「失われたイスラエル10支族」という本があったので、
チラッと立ち読みしてきた。

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4054028063.html

3000円もだして買う気にはならなかったが、
昔読んだ本に、エタ頭である弾左衛門は秦氏に繋がるもので、
ユダヤの失われた十部族に属するダン族がルーツだということが書かれてあったのを思い出した。
また失われた十支族が朝鮮半島を経由した折りにダン族などの一部支族が定住したと言う説もあり、
それらのことに信憑性があるならば、
日本の賎民と白丁と呼ばれた人たちとの共通性や繋がりというものに整合性を感じた。
皇室は同じ失われた十支族のうちのガド族の末裔ともいわれているが、
アミシャーブの代表が来日して調査をした結果はどうなったのだろうか?

http://boukenkyuusha.blog72.fc2.com/blog-date-20070324.html

 No.:14   おりょう 0 2007/09/11(火) 02:43
こんばんは
【政治経済】平成床屋談義 町の噂その14面白そう。お気に入りで後で読ませていただきます。

とんちんかん小僧さん強運少しわけてくださりませ。
相変わらず本と音楽の虫?

 No.:13   My sensibility 0 2007/09/10(月) 18:59
となり町戦争
ある日届いた役所の広報誌には、となり町との戦争の知らせが書かれてあった。
実感を持てないとなり町との見えない戦争、だが戦死者の数は増えてゆく。
一年位前だったか、面白いからと人に薦められて読んだ小説、となり町戦争が映画として上映されている。
9月末にはビデオも出るらしい。
小説より映画の方が、もしかしたら面白いかもしれない。

http://www.kadokawa-pictures.co.jp/official/tonarimachi/

プロ野球は年に数回程しか観ることはないが、
土日の巨人×阪神戦は真剣に観てしまった。

 No.:12   My sensibility 0 2007/09/07(金) 21:55
田んぼの
クマちゃんかわええ!

http://dailynews.yahoo.co.jp/photograph/pickup/?1189165025

 No.:11   My sensibility 0 2007/09/07(金) 19:51
エゴロジスト
知人からエコバックを買うように勧められた。
自然保護グループの一員でもあるその人たちがデザインしたマークが入っていた。
見るからにセンスが悪かった。
それに500円くらいで買えそうなのに1000円もした。
なんだかんだとゴネてたら、それでも自然を愛する人間かと言われ、
しぶしぶ買ってしまった。
自分たちのエコを押し付ける人間をエゴロジストと呼びたい。

 No.:10   とんちんかん小僧 0 2007/09/06(木) 02:12
強いメッセージが飛び込んできた・・
気がしたから久々に覗くことにしました。

おりょうさん
実はその通りかもしれません(笑)

「裏社会の日本史」は未だ購入してません。
とても興味深いと思います。
サンカについては、もうそれほど新しい情報があるとは思わない(あったら失礼)
裏側の社会って、どう構築されてるのかを知りたいから絶版にならないうちに買い
求めたいと思っています。

 No.:9   My sensibility 0 2007/09/05(水) 17:40
補足
気になる投稿だけ読んでも何のことか分かり辛かったですね。
補足としてリンクしておきます。

【政治経済】平成床屋談義 町の噂その14
http://tmp6.2ch.net/test/read.cgi/asia/1188593577/

部落の起源やサンカについての話もあり、
面白いかもしれません。

 No.:8   My sensibility 0 2007/09/04(火) 21:17
2ちゃん気になる投稿
724 : ◆.PPM3xS0cE :2007/09/04(火) 11:00:37 ID:JCJ31rg8
とあるルートから警告を受けました。
当分都心部から離れます。
公共交通機関を使用の際、持主の判別できない紙袋、バッグ、段ボールなどがあったら次の駅で早急に降り駅員さんに連絡しましょう。

さて、日米離反工作やアメリカ憎しに凝り固まり、中東で米軍の戦闘を叩き続けていた人種やそれにつながるマスコミは、
日本国内で在日朝鮮人施設やそれを援助していたマスコミ施設が爆破された場合一体どんな反応をするのでしょうね?
千年以上血を血で洗う抗争や報復を続けてきた宗教を甘く見すぎた報いですが。

小池女史を防衛省から外した理由が見えてきましたね。
皮肉なことに散々叩いてきた小池女史がまさに救世主となる可能性を彼らはどう感じるか見ものです。
小池女史にすれば世界一高額な社会資本を有する日本国の国益と日本国民の安全の為に動くだけですがね。
彼らはまたそのおこぼれにまた寄生する訳ですがw


738 : ◆.PPM3xS0cE :2007/09/04(火) 11:37:00 ID:JCJ31rg8
例え原因が韓国政府にあったとしても日本でテロが発生し日本人の血が流れ日本の資産が灰塵となれば日本の負けです。
これが前提条件です。

小池女史はまさに身を呈して防ぐ為に努力するでしょうね。いや、既にしているわけですが。
イスラム過激派は日本がショック状態に陥ると韓国が壊滅するということを理解していますよ。
言いかえれば韓国の殺生与奪権は日本にある事を。
日本の韓国関連及びまたは朝鮮関連の施設に対するテロ攻撃が最大の効果をあげられるとね。

この最悪のシナリオに対する最大の防波堤は皇室であり、
実務の面で奔走しているのは小池女史のグループな訳です。
簡単にいえば陛下が小池という剣をふるってイスラム過激派のテロを無効化させているということです。

しかしながらイスラム系の中でも高い文化を築きあげ、それに立脚したプライドを持つペルシャ人が、
本気で激怒する行動を韓国人は追い打ちでやってしまった訳です。
彼らは信用の概念をはっきりと持ち、交渉と約束を重視する人々です。
彼らの逆鱗に触れた韓国は一体どうする気でしょうね。一体誰が仲介役をしてくれるでしょうね?


754 : ◆.PPM3xS0cE :2007/09/04(火) 12:01:26 ID:JCJ31rg8
>>744
皇室の意味を理解していない下々が暴発した場合が怖いですね。
日本にも天皇家の在りようをがなり立てる慮外者がいる訳ですしw
今の内閣の対外的な危機管理能力を考えれば防ぐでしょう。
実は2005年の冬の方が遙かに危機的状況でしたから。
その時は四桁の関東系同和実戦部隊が24時間体制で最高位の警備体制を敷き、回避できました。
別の側面から見ると関東同和VSイスラム過激派VS関西同和と朝鮮人連合といった図式ですね。
日本国に生きる以上、自立し、時の流れに埋もれる事を望む関東同和。利権を手放したくない関西同和。
首都圏を死守しても関西で暴発するシナリオも考えられるわけです。
ここ2週間が安倍内閣の本当意味での正念場でしょうね。
抑えきれば日本国と安倍内閣の勝利です。

迎えの時間が来ました。
私も切れるカードは全て切ろうと思っています。
それが孫の世代への唯一できる事だと思っていますから。

 No.:7   My sensibility 0 2007/09/04(火) 10:31
太陽エネルギー
人工衛星で集めた太陽の光を、大出力のレーザーに変換して地上に送る新しい技術の開発に、
大阪大学などの研究グループが成功したそうだ。
将来的には1つの衛星から原子力発電所1基分のエネルギーを送ることができる、
画期的な技術として注目されているらしい。

http://www3.nhk.or.jp/news/2007/09/04/d20070903000135.html

未来少年コナンの世界がすぐそこまできている。
だがテクノロジーに見合った精神性がなければ、
核兵器をも遥かに超える超磁力兵器というのも生まれそうだ。

しかし、こういう技術を世界にさきがけて日本が実用化し、
世界に向けて技術を公開し、
発展途上国に対しては援助をしてゆく姿勢であれば素晴らしいことだと思う。
覇権国家や覇権を狙っている愚かな国や勢力は邪魔をするだろうが、
そういう存在は自然淘汰されてしまうに違いない。

 No.:6   My sensibility 0 2007/09/02(日) 21:58
日本海呼称問題
日本海の呼称について、韓国が「東海」との併記を求めている。
つい最近も、国連地名会議で韓国と北朝鮮が「日本海」は日本の植民地主義の名残であり、
日本海海域の呼称は「東海」ないし「朝鮮海」が正統な表記だと主張したが、
個別国家が特定の地名を国際社会に押し付けることはできないと議論を打ち切られたようだ。

物事を判断するのに、どれだけニュートラルになれるか、
また正当性や妥当性があるかが大切だと思う。

そこで各地の表記を調べてみた。

もし日本列島がなければそのまま太平洋じゃん。

それに日本側から見た場合、「東海」ではなく「西海」でないとおかしい。

せめて極東海とでも主張すべきだと思った。

「東海」では妥当性がない。

 No.:5   おりょう 0 2007/09/01(土) 14:00
もう九月ですね。
ここ数年一つの事にのめりこんで夢中になって走ってきましたが、ふと立ち止まって周りを見渡せば、もう九月。自分のやっていることになにか急に虚しくなってここらで少し一休み。久しぶりにクマノライフ覗いたら書き込み増えていた。

とんちんかん小僧さん強運の持ち主ですね。
「裏社会の日本史」読みました?過去にクマノライフで話題に上ったことが、この本読むと答えが全部出ているみたいな本です。サンカそのものの話題は少ししかありませんが。

朝青龍の件は、日本政府が外務省を通じてモンゴル政府に要請、それゆえ朝青龍のサッカー出場になったというようなことも書いてありましたが、毎日テレビでトップで扱うほど大変なことなのかどうか奥深いところはわかりませんが。


 No.:4   やなぎむし 0 2007/08/31(金) 22:56
むむ・・これって
むむ・・これって・
   スタートレックの物質転送装置ににてませんかぁ
    山小屋の前に置いて照明つけたら・・・んんん

 意外と名物になったりして・・
     でも・・んんん

  シャワー浴びてるのが・・
     ヤゾーでわねぇ・・・・



   へっへへなんや、このくそ暑いのに悪寒が!!

   なんでやろ??・・ほな

 No.:3   My sensibility 0 2007/08/31(金) 20:53
給湯器落札す
18年前の給湯器が壊れたのでシャワーが浴びれなくなった。
メーカーに電話して、そんな古いのはもう部品がありませんと言われながらも、
何度も修理して使い続けてきたのに、
もはや手の施しようがないほどに壊れてしまっているようだ。

仕方がないのでヤフオフで中古の給湯器を落札した。
台所と浴室のリモコンが付いている給湯器であった。
シャワーが浴びられさえすればよいのにオーバースペックだ。
湯量も今までの倍近くでるとのことなので、
少しワクワクしながら届くのを待っている。

シャワールームが手の届く価格で売っている。

http://www.m-kcreation.com/home/item_01.asp?id=575

SFっぽいデザインがちょっとクールなので、
なんか欲しくなってきた。
でもこんなのを山小屋の外に置いたらきっと変だ。

 No.:2   やなぎむし 0 2007/08/31(金) 10:26
強さと優しさ・・・
以前
 強くなければ生きていけない、
  優しさがなければ生きていく資格がない
 そんな言葉が、何かの本に書かれていた
 そのとうりだと思う
  熱しやすく冷めやすい・・
   やる気のない、だらだらとした人生
      目的のないつまらない人生・・・・

    それはお断りや!!

   前向きにいきましょうかいねぇ・・・・
    せっかくこの世に生まれたんやさかい・・
      興味津々に行かせてもらいましょうかいねぇ

  ほんでから、いい環境を次世代に残したりましょかいねぇ

           へへへ・・ほな
   

 No.:1   My sensibility 0 2007/08/30(木) 23:19
意識は地球を救う
日に日に地球は元気をなくしているように感じている。
それは人間によるところが大きいのだろうと思うし
そのことで人間もまた生きる気力が失われてきているような気がする。

しかしまた人間の意識により、
地球に元気を与えられるような気がする。

それは例えば夕景を見て感動するような、
そんなシンプルなものなのかもしれない。

ただし、なにかに気づき、
それを意識するということがプラスされなければならないのだと思う。
なにに気づいたらよいのか、シンプルなようで難しい。

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