過去のKumanolifeGuestbook

[過去ログ インデックス]  [KumanolifeGuestbookへ戻る]

2004年01月26日(月)09時45分までのKumanolifeGuestbookへの書き込みです。


ya(・ε^)na - 2004/01/26(月) 02:31<

でったい!!


ゴッドファザーの感じからしたら・・んんんん
  渡瀬恒彦かねえ??
    信念の強そうなんは・・・北大路欣也やけど・・んんんん

  ヤッパリ・渡瀬や!!
    でったい!!渡瀬恒彦やと思いますよーーゥ

こうへい - 2004/01/25(日) 00:48<

蚊取り線香と鳴門

おりょうさん その人うどん食べるたびに、目を回してるのかなあ。(^o^)
ラーメンに入ってたっけ??
小遣いもそこをついたので、カムイ伝は、ヤゾーさんに借りることにします。

おりょう - 2004/01/24(土) 19:29<

大寒小寒

この板はヤナさんの、”大黒さん”効果で春から縁起がいいですね。宝くじ当選が連鎖反応しています。

こうへいさん「カムイ外伝」もあります。
カムイを読んで育った時代の人は、現在、会社の社長の地位になっていたり、どんなに偉くなった人でも
白土三平さんの話になると目が輝いてくるんだそうです。

香取線香の話、有り難うございました。
鳥マークにそんな言われがあるとは知りませんでした。
知人にね「あの香取線香と鳴門(カマボコ)わたしは嫌いなのよ」って言う人がいて、何で!って聞いたら「目がまわるのよ!」という返事でした。

ワタリ
「山の民・川の民」の井上鋭夫説では、ワタリとタイシと呼ばれ、農業以外の生業についた人々で、ワタリの人々は船をあやつって、交易や物資の運送に従事した人々、タイシは太子信仰に奉じたらしい人々で、箕作り、塩木流し、筏流しなどを業とし、河川や海の舟付場や港で働き、いわれなき差別をうけていた人々。
足が地についていない漂泊する「渡り物」。すなわち河童。

ヤゾーさん答は  松方弘樹 でしょ (^_^)

はつせ <http://www.ne.jp/asahi/songshang/hatsuse/> - 2004/01/24(土) 18:28<

れ:ワタリと言えば

とんちんかん小僧さん、
 白戸三平の「ワタリ」は子供のころに読んでます。また、実写の映画にもなりましたよ。ああ・・古・・
ヤゾーさん、
 「渡り」とは多分、移動をむねとした人達をさし、特定の民を指したのではないのでしょうね。「エタ」という呼称は漢字の当て方を見ても、とても古いもののような気がします。中国の異民族の呼称は全て読みを蔑字にしています。そのころに遡るのでは・・

こうへい - 2004/01/24(土) 17:30<

大黒さんの御利益

宝くじ、1万円当たりました。全部で、11200円。(^o^)
でも、元値を割ってますね。
でも、素直に喜んでおこう。一万円なんて当たったの、初めてです。
ヤナさん、大黒さん、ありがとう。(^o^)

こうへい - 2004/01/24(土) 17:24<

いちご麦さん こんにちわ

ありがとうございます。
よろしくおねがいします。
書きかけで、投稿してしまいました。すいません。
巨石の、星や文字、記号は、とても面白いですね。
大昔、巨石を自由に扱った時代があったのでしょうか?

先日テレビで、昔、8メートルの巨人が居たたか言われてましたが、8メートルの巨人でも、何トンもある岩を、運んだり、積んだり出来ないですよね。
プレインカの、あのカミソリも入らない、複雑な形の石組み、見てみたいです。(^o^)

こうへい - 2004/01/24(土) 17:13<

いちご麦さん

風の王国 掲示板  2003/11/26 (水) 23:48:18の、ヤナさんの六甲の記号?入り巨石もその一つでしょうか。(^o^)

いちご麦 <http://hccweb6.bai.ne.jp/dante/katakamuna/katakamuna01.htm> - 2004/01/24(土) 16:19<

金鳥山

こうへいさん、
こんにちわ。よろしくお願いします。
11月26日 投稿分の続編のようになると思うのですが、上記サイトを
夕べ、知りましたので。(HP内に、ヤゾーさんのお名前もありますね!)

PIKKI <http://mypage.odn.ne.jp/home/hide71> - 2004/01/24(土) 12:31<

しばらくです。古代の最先端産業=金属加工

ヤマタノオロチ神話の源流はどうも越(福建省)のようだ。「蛇」(吉野裕子)を読んでいたら、「捜神記」(晋、4世紀)巻19のそっくりな話が載っていた。違いはといえば、スサノオではなくて、娘と犬とが大蛇を退治するところぐらいだろうか。
中国でも日本でも、製鉄の守護神的な神の湧鉄夫人も金屋子神も女性であり、製鉄の際の犠牲獣が犬だったり、金屋子神が犬に追われて転んで目を傷つけて「天目一箇神」となったり、それが零落して一つ目小僧にという伝承が多いし、金属加工の神の多さや、タタラ製鉄の遺跡の多さは注目すべきではないかと思う。現代でたとえると自動車産業みたいなものだろうか?
 犬はたぶん、製鉄を発祥の地のトルコ・アナトリア地方から東方に伝えた遊牧騎馬民のトーテムなんだろうが・・ヤマタノオロチの「オロチ」は、オロチ族(アムール川流域の)に関係あるのかもしれない。ここから沿海州にかけての土器は、弥生式土器とそっくりだという。
 以前は一軒で数頭のアイヌ犬(琉球犬と同じ遺伝子)を飼っていたアイヌ民族では、犬のカムイが梟のカムイと一緒に、創造神と一緒に降臨して、その神の天地創造を手伝ったりと・・犬の神は信じられないくらい重要な役割を果している。
 なお、中国での製鉄は「春秋左氏伝」に記載されているのは紀元前513年らしいが・・紀元前8世紀よりも前に世界最初の高炉が中国に出現し、紀元前三世紀から一世紀の間にはすでに溶材として石灰石の添加を行っていた・・という説が「鉄の分明史」(窪田蔵郎)に紹介されている。

こうへい - 2004/01/24(土) 12:11<

弁才天を祭るお寺?

船坂に弁財寺というお寺がある。・・と、「ふるさとの泉」に書かれてます。
ボクの地図に載ってないけど、田殿丹生神社は、この船坂にあるから、多分これじゃないかな?

本尊は、上谷にあった最勝寺という大きなお寺が天正の兵火で焼失した際、持ち出された、聖観世音菩薩である。
室町時代の物と思われる五輪塔があるので古いお寺でしょう。
弁財寺と名付けられてるから、建立当時の本尊は、弁財天ではなかったろうか。
最勝寺から移された聖観音は、大きく同じ女性像であることから、ご本尊になったのでは?

・・と、書かれています。船坂は、間口の狭い在所やから、夏瀬の森の近くじゃないかな?

クイズの答えは、一本気な渡哲也かな? でも、真面目過ぎるからなあ。

ヤゾー - 2004/01/24(土) 10:00<

面白いクイズ

みなさん おはようございます

天一神社の女神が鶏に目をつつかれたのなら
クマノライフの女神は 大きな鶏をみてキドキ遠回りしましたか(^o^)
鶏はわりと凶暴なところがありますから 
大きいのに追いかけられたら怖いかも知れません。
おりょうさん とても面白いお話でした。

はつせさん 渡りという言葉は今でも板前なんかの世界では普通に使われていたと思います。
近所の青森出身のお爺さんは 各地の山の堰堤工事などを転々として 自分で渡り土方だと言ってました。
サンカという言葉は 定義が難しいから使えなかったのかも知れません。
言葉狩りのようなことは あまり良い結果を生まなかったと思いますから
これからは あまり意識することはないように思います。
例えばカムイ伝 あれはどう見てもエタという呼び方の方が相応しいように思うことがあるし 
弾左衛門のことを エタ頭なのに ヒニン頭と書いてある本なんか見ると これはおかしいと思うのです。

こうへいさん カムイ伝二部 ありますからお貸ししますよ。
それより夏瀬の森の白山をご神体とした丹生神社の近くに
弁才天を祭るお寺があるそうなんですが どこにあるかご存知ですか?

とんちんかん小僧くん ローマ時代には
身分のある女性の出産は 公開で行われたという話しを聞いたことがあります。
どこかへ出掛けて お年寄りの話しを聞くのも楽しいですよ。

ここのところ文章は書けるようにはなったものの
なんだかはずしまくっているような気もして
自分では面白いと思った話しなのですが
みなさんが面白いかどうかは保証の限りではありません。

ひと昔くらい前に 上岡龍太郎と島田神介が司会する深夜番組でEXというのがありました。
お宝なんでも探偵団という番組も その番組から生まれたように思います。
その番組で面白いクイズがあって 組長に聞きました!というようなものでした。
ヤクザ映画に出演したことのある俳優の中で 本物として通用しそうなのは誰でしょう?というもので
菅原文太 松方弘樹 梅宮辰夫 渡哲也 渡瀬恒彦 北王路欣也から
現役元組長数人から聞くというものであったと思います。
流石にえらいもので すべての組長の答えは一致していました。
さて誰を選んだでしょう?

とんちんかん小僧 - 2004/01/24(土) 01:13<

ワタリといえば・・

はつせさん
白土三平さんの本に『ワタリ』(全七巻、講談社)があります。ここでも頻繁に木地師や忍びの者や山の民や傀儡が登場します。サンカという言葉もチラホラ使われているページもありましたよ。

とんちんかん小僧 - 2004/01/24(土) 01:04<

そのつづき

出産風景についてだけど、ヨーロッパの女性は、分娩後は横になって休息する。
しかし日本の女性は、分娩後、二十日間、昼も夜も座ってなければならない。
今現代の僕らの時代から考えても可笑しい習慣だ。これには当時の習慣で出産後、横に寝かせると血が頭にのぼり死んでしまうと信じられていたからだそうです。また出産後の産婦の死亡率が高かったことも、こうした風習が関係ないとは言い切れないそうです。

次回は武将たちの教養と娯楽についてチョコッと書きます。

はつせ - 2004/01/23(金) 23:32<

渡り

今月号の「乱」という漫画雑誌を出張帰りに読んでました。絵は拙い漫画家が多いですが、結構頑張ってるものだなあと感じました。そのなかで、戦国時代に「渡り」と呼ばれた移動民の話があって、炭焼きや木地師がその中に入ってました。これも「山窩」などの言葉を避けた結果なのでしょうか。

こうへい - 2004/01/23(金) 19:29<

緊張(^o^)蚊取り線香

「金鳥」の商標のいわれ
司馬遷によって編纂された中国史上初の歴史書「史記」のなかの「蘇秦伝」に、中国戦国時代の遊説家・蘇秦は、韓、魏、趙、燕、楚、斉の王たちに同盟を結び、秦に対抗すべきであると説き、「それぞれ小国であっても一国の王としての権威を保つべきだ。秦に屈服するな」ということを伝えるために、「鶏口と為るも牛後と為る無かれ」という言葉を引用しました。つまり秦に屈して牛の尻尾のように生きるよりも、小とは言え、鶏の頭(カシラ)になるべきであると、各国の王を説き、合従策を完成しました。
この一節を信条としていた上山英一郎は、明治43年(1910年)「金鳥」の商標を登録しました。業界の先駆者として「鶏口」になるべき自覚と気概を持ち、品質をはじめ、あらゆる面で他より優れたトップの存在であることを願い、決して「牛後」となることがないよう自戒を込めた決意にほかなりません。

と、かかれています。金鳥で、商標がニワトリですから、金鶏と言えそうですが、金鶏伝説とは、関係ないようです。(^o^)

おりょうさん カムイ伝21巻読んでしまいました。第2部、第3部とあるそうですが、そっちを
読んだ方がいいですか?って人に聞くのもあれなんですが(^o^)

おりょう - 2004/01/23(金) 19:13<

金鶏伝説

先日、神田の古本屋街にいきましたら、ココココケコッコーと大きな声が聞えたので、吃驚して振返って
みたら鶏が飼われていました。こんな雑踏の真ん中でニワトリの声が聞けるなんて、なんていいものかと
しばらく小さな鶏小屋のぞいて見ていました。
金鶏伝説では、金の鶏が埋められていて、その鳴き声が聞えてくるというもので、埋められている場所は
土地によって違うらしいのですが、長者が財宝を埋めた場所などだそうです。
岐阜県に金鶏山という城山があり、城主は土岐氏で、天正十六年、斎藤道三に攻めほろぼされた時、金の鶏を井戸になげて逃げたと伝えられ、この鶏は元旦になると井戸から出てきて鳴くそうです。その声を聞いた者は長生きできるとか、黄金が手にはいるとか言い伝えられているそうです。
私の職場に普通の2倍位の大きな鶏がいて、その鶏が小屋から出ていると、人の顔の区別がつくらしく、気にくわない人が通ると凄い勢いで追い掛け回します。それを目撃した私は、おかしくて笑ってしまったんですが、私は、となると、その鶏がいるとドキドキして遠回りします。
このバカデカイ私の職場の鶏は、黄金のありかを告げるどころか、恐怖を与えてくれます。
くやしい。

金鶏伝説と香取線香なにか関係ありますか?

こうへい - 2004/01/23(金) 14:23<

鏡石または鏡岩

愛知県渥美郡渥美町村松の温室団地の南側に、鏡石は今でも輝いてるそうです。
昭和55年ころ、土地の所有者が水田に入れる客土用に丘陵を削ったとき、地中から出てきたそうです。長さ20メートル、高さ6メートル。

チャートなどの、質の細かく硬い岩石から成る地層が、地震や火山活動の為におこる大地の激しい変動のために、切れた断層の両面が、強い圧力と熱を伴って擦れ合い、その間に出来た断層粘土が研磨材の働きをして、鏡の面のようになった岩肌である。かつての、活断層の場所である。
・・・と、あります。

鏡石は、姿を映すので、名所になったり、信仰のため神社ができたり。
特に、山にあるものは、光を反射して、船の位置の確認になるので、漁師の信仰の対象になったそうです。

別所の上の鏡石山の鏡石は、光るような岩でなく、他にあるんじゃないかと昔からおもっていましたが、じつは、幡川の禅林寺のある薬師谷にある。
げんに、田圃の名前に「鏡石何番」って名前が残ってるそうです。
捜してみたい。
「鏡岩紀行」林宏著・・愛知県尾張の人らしいんですが、他府県の人に教えられるって、なにか愉快です。(^o^)

とんちんかん小僧 - 2004/01/23(金) 13:58<

見つからないので・・

○○シリーズは少しの間封印させてもらいますね。代わりに戦国時代の風習について書きます。
この時代の生活習慣は僕ら現代人だけでなく、当時宣教師として日本を訪れていたルイス・フロイスでさえ唖然したとフロイス著作の『日本史』に書かれています。
例えば、ヨーロッパでは、未婚の女性の最高の栄誉と貴さは、貞操であることで、純潔が犯されない貞潔さである。日本の女性は、処女の純潔を少しも重んじない。
特に武士の上層部は政略結婚があたりまえで、一度嫁がされても強制的に離婚させられることも多かった。
ヨーロッパにおいて、罪悪については別として妻を離別することは最大の不名誉だそうです。しかし、この時代、日本では意のままに離別が可能だった。そして、妻はそのことによって名誉も失わないし、また結婚もできた。

『花の慶次―雲のかなたに― 総集編』原作 隆慶一郎 漫画 原哲夫 脚本 麻生未央を久しぶりに読んでみて時代の変な日常生活が気になりました。
剣客本どこに消えたのかなあ(>_<)ゞ

―つづく。

こうへい - 2004/01/23(金) 08:52<

楠の流木

ありがとうございます。
また、見にいってきます(^o^)
けさは、寒かったー!!

ヤゾー - 2004/01/23(金) 07:51<

楠の流木

みなさん おはようございます

こうへいさん きっとそのフクロウは
天一神社の女神の片目をつついた鶏の化身なんですよ。
アハハ しぶといか!
なんだかんだと言っても 
一緒にエンジンのビデオを見てくれるだけでも 奥さんは偉い!と思いました。

蜜柑さん あんな素敵な女性とフィールドワークができるなんて
なんちゅう羨ましい話じゃと思いましたが
それも地道な努力に対しての御褒美みたいなものなのかも知れません。

昨日 用事で有田川の近くを通りましたので
こうへいさんの投稿にあった楠の流木を写してきました。
風の王国掲示板へアップしています。

蜜柑 - 2004/01/22(木) 23:36<

期間限定 美女とサンカ

始さん緊張の表情を風の王国に載せました。
民俗学&サンカ学の将来は明るい!!

こうへい - 2004/01/22(木) 15:59<

たびたび すみません

それよりも、神社のフクロウのことなんですけどねえ。
どうも、わざわざ撮らせてくれたような気がするんですよ。
なんかねえ、どう考えても、そう思えるンです。
フクロウがそんなこと考える筈はない・・カメラって物も知ってる筈ないんですけどね。

こうへい - 2004/01/22(木) 13:16<

エンジン音

映像と音は、ビデオに撮りました。
台所で、カミサンといっしょに上映会しました。
プロペラの前と後ろでは、音がちがいます。
前から聞くと、風を切る音が混じって、ホントに飛行機のようです。
エンジンかわいらしいやろ、音ええやろ・・っていったら、可愛いって感覚がわからん。
音も、やかましいだけや。
ウーン、トライアンフの音聞かせても、ウルサいだけなんやろなあ

ヤゾーさん 単なる偶然と思いますが。(^o^)

ヤゾー - 2004/01/22(木) 09:28<

金属神と鶏

みなさん おはようございます。
今朝はちゃっぶいちゃっぶい 雪がまだ溶けない。
クルマが登れるギリギリの斜度と幅の私道には雪が積もったままなので
用事があるのにクルマで出て行けないのが辛いです。
水で溶かしてやろうと思ったら 凍って出てきませんでした。

こうへいさん そうなんです。鶏がマークなんです。
釜中の天一神社の祭神が鶏に片目をつつかれた女神であるという投稿を読んだときに
むかし想像を膨らませた 金属と深く関係した一族と金鳥が繋がるようでワクワクしていました。
それと その創業者と同じ名字のこうへいさんが 釜中の鍛冶神である天一神社に興味を持ち
質屋にあった江戸時代の古文書まで引っ張り出してきたのを見たときにも偶然のようには思えませんでした。
ちょっと荒唐無稽な想像ですが 伝記小説を書いたら 面白そうな話かも知れません。(^o^)
あのエンジン回しましたか。オーバーヘッドバルブという響きがたまりませんね。
メカニカルノイズを聴いてみたかったです。
共振という現象 地震の番組でもやってましたね。

紋次郎さん 郷に入らばというのを忘れないようにお願いします。
そういえば 樟脳を使って進む ブリキの船のおもちゃがあったような気がします。

こうへい - 2004/01/21(水) 21:24<

面白い道具

きのう、もらったエンジンの始動会をやりました。
模型飛行機用、SAITO製 5CC 4サイクルOHV
ラジコンのベテランの人、元中島飛行機の整備士のじいさん、ほか6名。
エンジンは軽い音で、快調に回りました。

ベテランの人の道具箱に変な道具がありました。
金属製の刷毛のハンドル状のものに、10本ほど針金が並べて植えられています。
一本一本の針金の根本に数字が書いてあります。
エンジンの回転計でした。
ハンドルの端をエンジンにあてると、どれか一本振動するのだそうです。
振動数に合った棒だけが、共振するのだそうです。
振動数測定器のようなもの。それで、エンジンの回転数がわかる!!
昔から有るそうで、発明者の発想に敬服いたしました。(^o^)

こうへい - 2004/01/21(水) 16:02<

ニワトリのマークに

ヤゾーさん そうですね。ニワトリのマークの中に苗字が書かれてますね。
カトリセンコーの創始者の話は読んだことがあります。(^o^)

こうへい - 2004/01/21(水) 15:48<
紋次郎さん ありがとうございます。参考になりました。(^o^)

トンちゃん 了解しました。トンちゃんを連れて行けば、みんなトンちゃんに寄っていって、
そのスキに通過しようとおもいましたが・・ははは、これ冗談。

ヤゾーさん「真新しい神社」んん・・あやしいですね。神社なら丹生津姫関係とは、思っていましたが、新しいとは、あやしいなあ。

いままで、支障がなかったので、ボクには霊障はないと思っているので、行って見ようと思いますが、聞いてなかったら良かったんですがねえ。(^_^; 

今日、久しぶりに、恩師を訪ねまして、鏡石を捜して全国を回った人の話を聞いて、児童図書館で早速その人の本、借りてきました。
別所の上の鏡石山に、光った岩があった・・というのは、実は幡川のお薬師さん、ミニ八十八カ所のある幡川村にあったそうで、この村も別所であったとすれば、別所の鏡石とは、ここの鏡石のことで、後の人が別所の鏡石とは、今の別所の鏡石と思っても、不思議ではないですね。ややこしいですが。面白そうです。

ヤゾー - 2004/01/21(水) 14:09<

海猫から古武道

みなさん こんにちわ

ヤナさん 僕は小石の鼻で寝ているときに
野良猫にピトっと寄り添われたことがありました。
猫は何を考えているのか分からないので 犬と比べたらあまり好きではないのですが
体を擦り寄せられ その温もりを感じると 野良猫も懐かりゃ可愛いかろうということで
釣ったイサキの小さいのをあげました。なかなか処世術を心得た海猫でした。
フナ虫に好かれたヤナさん ニャンコに好かれたヤゾーさんでした。

PIKKIさん 最近では小額硬化の発行枚数が極端に減っているそうですが
それでも日本中から集めれば相当な額になるのでしょうね。
それを有意義なことに使うことができたなら素敵なことだと思います。

こうへいさん むかしオフロードバイクでクルマが入れないところを走り廻っていた頃です。
鷲ヶ峰からそう離れていないところだと思うのですが 迷路のような狭い山道に迷い込んで
山の中に真新しい神社を見付けたことがありました。
不思議な!こんなクルマも入れない山の中になんでな?新興宗教の秘密の集会所か?と思ったことがありました。
後で何度か探してみたのですが どうしても再び見付けることが出来ませんでした。
確か 丹生津姫を祭っていたような気がします。当時 紀和鏡さんの小説にはまっていたので
これは丹生一族だけの神聖な場所に違いないなどと想像を膨らませたりしました。
あの近所からは 面白いカッパのCMでお馴染の 金鳥の創業者が出ていますが
そこまで結びつけて荒唐無稽な話しを想像したりしました。
そういえば こうへいさんと同じ名字の人でしたね。

とんちんかん小僧くん 実践を通して剣客や忍者というものを知るのも楽しいかも知れません。
去年の暮 深夜にNHK人間講座の再放送をたまたま見ていたら
甲野善紀という古武道家が講師として出ていました。
このおじさん ただ者ではないと感じ入り 引き込まれるようにして数夜続けて見てしまいました。
刀や手裏剣から体術までと 幅広く古武術について 実演を通して深く解説してくれていました。
手裏剣にも宗家があるなんて その時に始めて知りました。
なんでも武者修行に出て 食う物に困ったとしても
手裏剣が得意だと野兎や野鳥を捕ることが出来るので 飢えることがなかったのだそうです。
毎回「剣豪の名言」というのを紹介していたのも良かったです。
唸るような話しばかりでしたよ。その人の本が NHK出版から出ているみたいです。

焼尻紋次郎 - 2004/01/21(水) 14:06<

御赦免花は咲いた

 とんしゃん、へ〜〜んし〜んの術も伝授できんやろか。

 こうへいさん、長い時間のはてには、木はぜんぶ沈むらしい。
 だから石炭がある。おれヤマ(炭坑)ん子。
 コンチキ号で有名なハイエルダ−ルさんは12本のバルサの
木で筏を造りました。100日の航海に耐えたことはたしかです。
 楠木はことのほか、沈みにくいのかもしれません。樟脳で水を
はじく作用ももっている。
                                 
                       ちょと、別荘に行ってました。
                       非常識の発達したオレだが、常識になってる忍術の奥の手を披露したとこ
                       ろ、即座に御赦免花が咲いたよ。
                       でも、オレ、ここではことばの詮索はもうやらん。

とんちんかん小僧 - 2004/01/21(水) 03:01<

除霊できませ〜ん

その場所に一度は行ってみたいようには思いますが、僕にはまだそういうことは出来ない
ので何か起こったとしても自分の身を守ることだけしか出来そうにないからお役に立てない
です。ごめんなさい。ただ水銀の鉱脈の跡だけを見たいですねえ・・。

とんちんかん小僧 - 2004/01/21(水) 02:51<

剣客もの好きな人

 僕もそのもの好きな奴だけど、毎日テレビ欄のどこかに剣客ものの番組が放送されています。昨年、今年の大河ドラマもそう。どちらも配役が気に入らなかったのでチョロとしか見てませんけどね。来年の源義経は楽しみですが。八双飛びをどうやって再現するかが見物です。
何故好きになったかは父が読む本の影響と自分の名前の由来がある剣客に直結してるからです。名は言えないですけど、坂本龍馬に関係深い人物というのがヒントです。僕の名前に使った漢字とは違う(字画が良くなかったらしい)けど、その方を知ったときに剣客がよりみじかに感じられるようになり一時期そういう本を古書店で買い漁ったものです。次回より紹介していこうかと考えています。久々の○○シリーズ再開です。

ヤゾーさん、僕あれでも酔っていなかったような気でいますよん。
でも笑いが止まらなくなっていたから酔っていたかもしれません。

こうへい - 2004/01/21(水) 02:37<

細々 釜中調査隊

ガツロを登り切ったところが、鷲ヶ峰とは、前に書きましたが、
鷲ヶ峰を、逆に南に少し降りていったあたりに、水銀の採掘跡があるらしいんですよ。
教育委員会の友人が、有田川流域に丹生の地名は多いが、水銀の鉱脈は見当たらない・・・って、言ってましたが、どうも有るらしいです。

誰も知らないが、村人はみんな知っているそうです。
昔から、入るのはまかり成らん場所だそうです。
ところが、採掘跡付近に昔のお寺跡の広場があって、霊気が漂っていて不気味だそうです。
太陽があたって、明るい場所だそうですが、なぜか恐いのだそうです。
ボクが、この話しを聞いた人は、同行の神社の奥さんに除霊してもらってはいったそうです。
お寺なら、高野山関係 真言の寺でしょうか?
古本屋さんでそんなこと聞きました。
行ってみたいけど、不気味な広っぱが、ちょと恐い。
トンちゃん、除霊できますか

PIKKI <http://mypage.odn.ne.jp/home/hide71> - 2004/01/21(水) 02:04<

[PIKKIの提言]日本で最大の無駄とは?

それは1円&5円玉ではないだろうか?それと時間ではないかと思う。
さっきふっと思ったのだが、その二つを合体させて、エンデの「モモ」(「ネバー・エンディング・ストトーリー」の作家)の時間泥棒たちの組織とは正反対の「イチゴ時間貯蓄銀行」を作ってはどうだろうか?
 つまりそこらじゅうに捨てられて、なんら活用されていない、1円玉・5円玉を活用して、時間だけは有り余るほど持っている人間がボランティアに使った時間を、未来社会のために貯蓄できるようにするのだ。
 これは、↓の足利銀行のように、地方の中心銀行でも中央官僚の考え一つで潰されるという自体を防ぐ効果があると思う。全国の中小銀行は「イチゴ連合」を作ってはどうだろうか?
 1円・5円玉といえども・・日本中から集めたら、数兆円くらいにはなるのでは・・と思う。これを運営資金として、冒頭の「時間貯蓄銀行」を国の内外で運営するのである。
 具体的に言うと、個々人のボランティアや社会奉仕に費やした時間が従来は、個々の組織でバラバラで、その場限りのものであったのを改めて、日本の内外での活動(NPO・NGOも含めて査定をしっかりインターネットで公表し)を、「いちご資金」で援助すると同時に・・そこでその人が社会や人々のために費やした時間数を「時間貯蓄銀行」の通帳に貯蓄できるようにするのだ。
 このPIKKIのアイデアは、どなたでも自由に使ってください。ただ、僕が原案者だった事にひと言だけでも言及してもらえたら嬉しいですが・・

ya(・ε^)na - 2004/01/21(水) 00:56<

岩屋・・2

そんな・岩屋でねとったんですがな・・
  少し腕に傷がおましたんよぅ・・・・
   んんんんんなんや??チクッってするので目が覚めました・
  ほんならなんや・・奥のほうで!?????・・・・
      ヘッドライトを点けました・・・
  ギョッ・・・・いくつもの光る目玉がこちらを見つめています!!
       ガサゴソッ・・・ギャーーーァ!!!
     フナ虫が、大量にわたしの・・・わたしの腕にへばりついてますーーーぅ
    あの奥の光る目玉はなんやねん・・

     えらいすんません・・・なんや!
       夢こわれますねぇ・・

           へへっへへ

ヤゾー - 2004/01/20(火) 18:12<

岩屋

みなさん こんばんわ

こうへいさん ▽うぶさん こんばんわ
むかしあちこち行っては 地元の人にいろいろと話しを聞いていたことがあって
そのときの話に 自然にできた岩屋に 昭和二十年代くらいまでは
入れ代わり立ち代わり人が入って寝ていたと言ってました。
ほとんどの人はコジキという言い方でしたが 中には身綺麗な人もいたみたいです。
熊野の ある川の流域では 先祖が明治時代頃まで岩屋に暮らしていたという話しもあるみたいです。
夏の夜釣りのときに 磯にできた一帖くらいの岩屋に寝てみたことがありましたが
風や夜露が凌げて 妙に落ち着くことができ 思ったより快適に眠ることができましたわいな。

▽うぶ - 2004/01/20(火) 04:05<

吉見百穴って

むかしむかしの大昔、、、TV黎明期の子供向け連続活劇番組「ナショナルキッド」では
吉見百穴でのロケ有った様な????、、、いや、太田博之の{時間よトマレ}だったかな???
、いや、「8823海底人」だったかな???。
おじさん、すっかり忘れっぽくなってしまったわいな。

こうへい - 2004/01/20(火) 01:09<

吉見百穴って

丘陵の斜面に無数の穴が開いた奇観で、百穴として古くから知られていた。1887年(明治20)からの発掘調査で古墳時代末期の横穴古墳群と判明し、国の史跡に指定。現在、穴は219あり、各横穴は3室から成り、棺を納める玄室の広さは3平方mほど。数カ所の穴には緑色の光りを放つヒカリゴケ(天然記念物)が見られる。

って、観光案内にありました。住むには良いでしょうねえ。(^o^)

ヤゾー - 2004/01/19(月) 18:47<

みなさん こんばんわ

尾張の国知さん ほんとうにそう思いました。
尾張の国知さんも書かれていた三角寛を特集したときの彷書月刊に
東京に居た頃の知人が映画のことを書いているの見て懐かしく思っていました。
ところがその人とジャーナリスト作家の おりょうさんも大ファンだという朝倉喬司さんは
ゴールデン街なんかでよく一緒に酒を呑む間柄なのだそうです。
クマノライフのことも話題になることがあったそうで
なんでも東京のサンカの会に蜜柑さんが顔を出したときに朝倉さんに話していたようです。
朝倉喬司さんといえば 僕もヤクザ関係の本を何冊か買って読んだことがあります。

蜜柑さん 風の王国のハジメさんの写真 いいですねぇ。
思わず微笑んでしまうような写真でした。

こうへいさん 人は勿論そうですが 
良い本との出会いも大きいものがありますね。

とんちんかん小僧くん 迷惑なようで楽しい一夜を過ごせました。
酒に酔って訳の分からんことを言うでない!
ただでさえトンチンカンなんやから。

こうへい - 2004/01/19(月) 13:50<

白土三平さんと原文子さんに感謝

カムイ伝 全21巻 19巻まで読みました。
白土三平さんて、すごい人ですね。(^o^)
原文子さんて、この21巻を買ったひとです。多分・・。買ってくれてなかったら、ボクが読めてないですからね。’77の日付が入っています。(^o^)

尾張の国知 - 2004/01/19(月) 11:35<

“蜜柑 武蔵の国知さん” 祝ホームラン

1・17夜・尾張の国へ“サイギョウ”有り難うございました。それにしても蜜柑国知、かなり興奮シテマシタネ!・・・・・>武蔵サンカ調査会にギャルも入会していたこと、知りませんでした。

尾張サンカ調査会は、木曾・飛騨川でセブリバの発掘調査をしています。ある芸能界の人が、昭和28年まで生活したこともある、セブリバの調査です。蜜柑さん流の表現では、「次の「歴民」を待て!」(1月末発売予定)となります。

ヤゾーさん。それにしても、世の中広いようで、実は狭いものなんですね!

蜜柑 - 2004/01/19(月) 01:25<

ハジメさん大興奮

昨日、ギャル2人とハジメさんを訪問。
風の王国に画像UPしました。
ハジメさんは一時期、吉見百穴に住んでいたそうで、訪ねました。

とんちんかん小僧 - 2004/01/18(日) 23:24<

今年最初のカッパの写真公開!!

今、山小屋に来ています。
道路が凍結していて(!?)泊まることになりました。
・・というのはジョーダンです。
夜も遅くなって雨も降ってきて帰るのが億劫になってきたので予定外だったけど泊まらせてもらうことになりました。
今日は、仙人風呂に川湯温泉と2か所と入ったので大名か王様になった気分がしました。
やっぱ寒いと温泉も気分良く入れますねえ〜 \(^o^)/
今年、最初の温泉での写真(←初めてです!)を風の王国掲示板にアップしています。

ヤゾー - 2004/01/18(日) 12:26<

みなさん こんにちわ

蜜柑さん 単行本 楽しみにしています。
そういうえば何日か前 東京で一番仲の良かった友達から電話がかかってきて
話しの中に蜜柑さんの名前が出てきて驚きました。
トモダチのトモダチは皆トモダチだ!ではないですが 
間に人を置くと 蜜柑さんと共通の知人がいるみたいです。

タヌコさん 宝くじは過去一度だけ買ったことがあります。
十年くらい前に 高額当選者と話しをすることがあって
その人は川で弱っていた鷹を助けたから当ったと言ってましたが 
その人から あなたは絶対に当選する人だと言われ
その気になったアホな僕は 年末ジャンボを最初に3万 
いやまてよともう3万 駆け込みで3000円と買い足しました。
世の中 そんなに甘いことはありませんでした。

こうへいさん 水を吸っていたら相当に重いでしょうね。

ヤナさん その勢いで 今度は大物をゲットして下さい。

こうへい - 2004/01/18(日) 01:00<

追伸

木って、芯まで水がしみこむって、あんの?

こうへい - 2004/01/18(日) 00:46<

あほな計算 流木の巻

流木について計算しました。
体積70.65立方メートル、沈んでるから、70.65トン。大人、子供やから、1人30s引き揚げるとしても、2355人いることになる。
1トン用のロープ、70本使うと、1本あたり34人やから、34メートル+高さ10メートル=44メートル。44*70=3080メートル。メーター当たり千円として、308万円。
ワイヤー70本いくら?
レッカー借りる方が安い??  計算まちごたかなー??

ya(・ε^)na - 2004/01/18(日) 00:03<

追伸・・あおきさん

じつは、あおきさん・・へっへへへ
  あたいの宝くじの当り額・・・・へっへへへ
    1万600円なんですよう・・・へへ
      なんや・・へへっへ
       
         へへっへへへっへへへ
             へのへでおます・・へへへ

ya(・ε^)na - 2004/01/17(土) 23:45<

どないなってるんやろう・・

メチャメチャ・・憑いてルーーゥ
   でったいに・・なんや憑いてます・・
 バス停に行ったらすぐにバスが来たり・・・・
    人気の飲み屋に行ったら、待ち時間なしに通されたり・・
      その店が思いのほかうまくって・・やすくって!!
        帰りになんや、ギフト券拾うたり・・
   宝くじ1万円やけれど当たったり・・・
   仕事で余禄があったり・・・なんや・・

  あの大黒さんにおまいりしてから・・ええことばかり・・
       
       懐にはいまだに北風ふいてるけれど・・・・
           楽観的な・・気持ちが・んんんん

      なんや・・うれしいとおもいませんかぁ・・

            むつかしいことは・・んんんん・・やっぱりわかりませんけど・・

    紋痔ろうさん・・これはええことなんやろかいねぇ??

             へへっへへ

蜜柑 - 2004/01/17(土) 23:09<

久々のホームラン

今日、サンカ調査に行ったら80歳の、サンカの手伝いをしたことのある老人と遭遇。
三角寛にも会ったことがある人でした。
詳しくは単行本を待て。

こうへい - 2004/01/17(土) 11:45<

楠の流木

おはようございます。
そうですね。鮎茶屋の下にあって、釣り人が、ひっかけて仕方がないといってたそうです。
あの、有名な有田川の大洪水の時に、流されたものとおもわれますが。
片側が広がってるらしいので、根こそぎ流されたのかも知れません。
ぼくは、まだ見てませんが(^^)

タヌコ - 2004/01/17(土) 10:14<

宝くじの使い途

>ヤナさん、あおきさん
当選おめでとうございます。新年早々ツイてますね。
しかしお二人とも、さすがはよいダンナさまでいらっしゃる。うちの職場でその話をしたら、先輩に
「オレやったら、絶対嫁はんには言わへんで!なにが嬉しいて嫁はんに言うねん」
と言われました。そういえば以前なにかの番組で、高額当選者に当選金の使途をインタビューしてたんですが、その中に、家族に内緒で毎月5万円ずつ使っているサラリーマンがいました。このひと、お金があっても幸せなんかな〜と思いながら見ていました。
ヤナさん、あおきさんは1万円の幸せを分け合える人がいて、間違いなく幸せですね^^

私はインスタントくじで、よく小金を当てます。数千円から1万円。何に使ってきたかはよく覚えてないけど、たぶんその日に会う約束していた友人たちのウンコになったと思います。

ヤゾー - 2004/01/17(土) 10:06<

楠の流木と神戸

みんさん おはようございます。
朝起きたら 雪景色ですた。
昼過ぎまでは クルマでは出てゆけそうにもありません。

こうへいさん あれは楠の流木だったんですか。
国道側から有田川を見たときに 川の中に異様な大きさの物が見えるので
あれはいったいなんだろうかと 通る度に気になっていました。 
川から殆ど露出している状態なので異様な大きさです。
見たところ 流木のように思っていたのですが
まさか 大洪水でもないかぎり あんな大きな木が流されてくることはないだろうと考えていました。
去年 長雨と大雨で 河川敷にあった野球場やサッカー場
それにテニスコートなどが被害を受けたときの増水で流れてきたのかも知れません。
長いことそのままになっていたので 木の枝などが寄り固まってできたものではないとは思っていましたが
まさか木だったとは驚きです。幹だけの状態みたいですから
あれは最近流されたものではなく 戦後の大洪水のときに流され 
どこかに隠れていたものが 去年の増水で顔を出したのかも知れません。
自然の力というのは不思議なことをするものですね。
今度近くを通るときに写真に撮ってきます。

PIKKIさん 今日で阪神大震災から9年目でしたね。
自分にとって 生まれただけのような神戸ですが 
それでも小学生くらいまでは 年に何度か神戸に行って 
夏休みのときなどは十日ばかり過ごしたこともありましたから
やはり自分にとっては故郷みたいな思いもしております。
あの年は 自分にとってもいろんなことがあった年でした。

PIKKI - 2004/01/17(土) 08:58<

死者六千五百人の阪神大震災から9年目

神戸の影像を見るのは何年ぶりだろうか?
阪神大震災やオウム真理教事件はおそらく、マスコミや権力者層にとっては今でも、戦後最大のタブーなのだろう。ここから本格的な警察国家化が始まり、より一層の税的負担増やリストラや言論弾圧法など・・独裁者なき独裁国家へとまっしぐらの9年間であった。
 ごく普通の市民や庶民にとって、マスコミや支配者というものがいかに冷酷なものかを・・この阪神大震災は白日のものにさらけ出したし、表や裏の権力者たちが深く関与したオウム真理教事件という格好の隠れ蓑を口実にして、震災復興はアメリカという史上最大の弱肉強食国家アメリカよりもさらに冷酷なものであった。我々の義捐金はたして、すべての被災者に平等に渡ったのか?
 それ以前に、このような個人ではどうしようもできない大災害などのために我々の税金があり、政府があったはずではないのか?それ以外の何のために国や政府はあるというのか?
アメリカという・・社会保障では史上最悪の国家でさえもかなりの金額の被災者への見舞い金を、この日本という冷酷な国家は被災者に一円でも手渡そうとしたのだろうか?
 今でも昨日のことのようにありありと、あの日の朝を思い出す。早朝、家が潰れるかという激しい揺れが収まると・・真っ先に隣の部屋のベッドに寝る母の許へと走って行ったら・・ニコニコ笑っている母がいた。
「すんごい地震だったね」「なんともなかったか?地震どこだべ?テレビつけてみるか?」
それから丸数日間はテレビに釘付けだった。
 すぐ直後のオウム真理教に比べると・・この9年間ほとんど、被災地復興の実体や被災老人の孤独死や被災者たちのトラウマの実体を報道しようとしてしなかったほとんどのマスコミや・・大企業のためには熱心だが、被災者の為には何一つしようとしないこの国の政府や支配者層が、この年以降一挙に、日本の警察国家化を進行させてきた事と表裏一体だったのではないのか?
 今や幹線道路や街角は監視カメラだらけだし、元警察官僚による武富士のような私企業でさえもが盗聴のやり放題という盗聴社会の到来だ。オーウエルのSF「1984」で予言された・・メディア利用の独裁国家は、今や奴隷や家畜を満載した監獄列島・日本低国で完成間近である。

こうへい - 2004/01/16(金) 19:49<

水中木

ヤナさん、ヤゾーさん、よかったですねえ。
なんで、乙女の湯?(^o^)

久しぶりに、K市(^^)の古本屋さんへ行きました。
有田川の中に直径3メートル、長さ10メートルの楠の木が沈んでるそうです。
木の臭いがするそうですから、大昔のものじゃないそうですが。

県が入札させて、誰かに引き取らすそうで、入札者もいるらしいんですが。
夏瀬の森あたりから、きたのかも。
これは財産だから、金持ちの置物にしないで、どっかの場所に安置しようって話を聞きました。
初めて会う人ですが・・
子供、大人を集めて、川から引き揚げたらどうかって案。
ボクも賛成なんですが、新聞に取り上げてもらうかしないと難しい??

あおき - 2004/01/16(金) 19:38<

ya(・ε^)na さん

 実は僕もあたりました一万円 奥さんと二人でわけました
10300円も当たりました うれしいっすよねー
一万円でも

ヤゾー - 2004/01/16(金) 17:55<

アンサンブル・プラネタと乙女の湯

みなさん こんばんわ

昼間 なんとはなしにテレビを付けていたら
なにやら気持ちの良い音楽が流れてきました。
女性5人組のクラシック・ア・カペラ・グループでアンサンブル・プラネタという人たちの歌声でした。
その人たちの歌声を聴いていたら 心が浄化されてゆくようで とても良いものを感じました。
人の心理とは面白いもので 汚れると汚れることが気にならなくなり
奇麗になると もっと奇麗になりたくなったりするもので 
むしょうに温泉に入って もっと浄化したくなりました。
それで昼過ぎから隣村にある乙女の湯という温泉へ走りました。
そこは300円で入浴できる 比較的新しくできた奇麗な温泉施設で
今日は誰も入っていなくて 丹念に体を洗い ゆっくりと入浴することができました。
300円は安い!ヤナさん 一万円あったら33回も入れます。
こうへいさん ヤマセミの湯は龍神温泉の近くでしたね。 今度 一緒に行きましょう(^o^)

アンサンブル・プラネタ 何曲か試聴することができるみたいです。

http://www.ponycanyon.co.jp/international/c_classic/artist/ensamble/

ya(・ε^)na - 2004/01/16(金) 16:43<

ああ・・当りましたぁ

たったたた宝くじ!!
  やりました・・
    なんにつかおかいねぇ・・

   たこ焼き・ビール・・焼きそばも・・
         ・・・・んんん

    なんぼ当たったん?って・・

     そうですよう・・ん
        ・・当りましたんよ
               1万円!!

    ショーもナ!!なんていわんとってくださいね
     300円以外初めてなんやさかいに・・
     
   えべっさんと大黒さんのご利益かも・・

             へへへっへ・・・HAPPY!!

ヤゾー - 2004/01/16(金) 11:30<

アイヌの娘

みなさん こんにちわ

すべては当たり障りのないように抑え気味に
悪く言えば優柔不断な態度でやってきた自分に責任があるのだと思います。
そういう意味で 投稿して下さった皆さまには申し訳なかったと反省しております。

十代のころ 県下でも有名なスケ番の女の子に好意を持たれ
その女の子から アイヌの血が流れていることを聞かされたことがありました。
祖父祖母がアイヌの格好した写真も家にあると言ってました。
今から思うと 母性の大きな 地に足のついたというか
大地と魂が強く結びついたような どっしりとした存在感のある感じのする女の子でした。

PIKKI - 2004/01/16(金) 08:09<

隠れ家

またふたたび
夜が明けてゆくように
誰もがいつも
隠れ家を持っている
そんな隠れ家なしには
ぼくらは生きていけない

だからたまたま それが
虐待から逃れるための
多重人格や精神病だからといって
彼らよりも君の方が
優れているという訳ではない
それはたまたま
君の方がちょっとだけ
運がよかっただけなのだ

中国留学生の犯罪だって
君が彼らの立場だったら
そこが素敵な隠れ家なのだと
犯罪者たちに
説得されてしまったかもしれない

子供の頃の僕の隠れ家は
町の北方へとのびる
ポプラ並木の先の落葉松林だった
春のカタクリの群落以外には
何もない森なので
いつもチュルチュルと
源流地帯まで小鳥の鳴きまね

周囲の丘陵地帯には
開拓地がうねうねつづき
風が荒らしていった市街地と
粗い砂しかない
さいはての浜沿いには
墓地や屠殺場や
アイヌの傾いた家々や
きらめく風の足跡や
すすり泣いてるような
ポプラの葉むら

夜の中心の暗黒星雲へと
聳え立ってゆく断崖や
沈みゆく湾のあちこち
灯りゆく浜茄子の群落を指差して
「浜茄子の紅い実は、ね・・」
ときみがつぶやいた時
きみの奪われた山河は 
ぼくの快復まじかの吃音でもあったから
ものみな
きみの両の指先から
燃え上がる炎だった その永遠の夏
アイヌ紋様のシルエットのように
夕暮れの湾一面にたゆたう
波の繰り返す その永遠の紋様

こうへい - 2004/01/16(金) 00:41<

復活の日

目が覚めたとき、なんの映画かわかりませんでした。
だんだん、思い出してきました。
「復活の日」やったんやね。草刈正雄もオリビエ・ハッシーも若いなあ・・何年前の映画やろ
でも、なんか、新鮮やなあ。
「復活の日」か、ええなあ。今日を復活の日にしようかなー・・うん

こうへい - 2004/01/16(金) 00:15<

昼と夜と

ウイルスチェックしてる間に、寝てしまいました。

ずっと、昼と夜が逆転してるので、なんのこっちゃわかりません。
ストレスが、自然に・・・人間の強弱関係のストレスも・・

生活を、自然に近い状態に戻そうと思っています。
なかなか思うように行きませんが。

ヤナさんも、そう思っておられましたか。
ボクも、読み飛ばすのが多かったです。
ヤゾーさんが、一番ストレス感じてたんでしょう。
自分の掲示板やのに、なんでやねん・・・・
そこが、むつかしいところやねえ。

むつかしいなあ・・・

ya(・ε^)na - 2004/01/15(木) 23:06<

すんません!!

ようさん・・・
   お酒呑んでました・・

     すびばせんでした・・!!

ya(・ε^)na - 2004/01/15(木) 22:55<

ふん!!

なんのこっちゃ!!

ya(・ε^)na - 2004/01/15(木) 22:52<

ふん・・なめとんちゃうか!!

なんやこの頃の掲示板・・なんやむつかしおますよねぇ・・
  んんんんんん・・なん???
 いったい私らアホなヤナなんかは??・・
   どないしたらええのん???
       
           東の空から・・あのさん!!・・・
              

   
  そおなんよぅ・・今の頃・・尾鷲あたり・・九鬼でもそうやねんけど・・
      朝一番の出船!!
   海から上がる朝霧をかき分ける漁船!!
    かっこええよーーーぅ!!!
  
  皆さんに見てもらおうと・・・探たんやけど!!
     おませんねぇ・あたいの写真!!

     どなたかもってませんかぁ!!

   難しい本からの抜粋やない!!!
      みんなの心の中の・・・しょうもないそんな・・思い!!
  優しさとおもいやり・・・!!!

   けけけっけけっけ
     へんらへらへら・・・・・・

          かんらからから・・


      あはっははは・・だれか・・アホなわたしを・・へっへへ
         止めてくでーーーェ

           ありゃーーーぁ・・この週末も雨やてぇ???
                和歌山つられへんがな!!

    
    おもいっきり寒い朝・・霜柱立ってませんかぁ
           そんな霜柱にも・・・

          皆さんの思い・・へへへっへへ
             なんやおませんかぁ・・・・

       そんななかに・・なんかおますねぇ??



          こころのなかに・・へへっへ

こうへい - 2004/01/15(木) 19:57<

笑えないお話ですねえ

ヤゾーさん 笑えない深刻な面白いお話ですね。
おもしろく、読ませてもらいました。(^o^)
若いときは、アホなこと結構してるもんですね。
この人は、特別面白いことやってるので、表彰もんですわ。

カワセミの湯は、ヤマセミの湯のまちがいでした。
場所聞いたので、また、行きましょう。ボクも湯治に??・・・露天あるそうです(^o^)

ヤゾー - 2004/01/15(木) 18:33<

儂の幼なじみの話

長文過ぎて一度に投稿できんかった (-_-;)

何年か前に幼なじみが泊まりにきて 昔話しで盛り上がったことがあった。
同じ頃に田舎を出た幼なじみは 儂より少し前 急に姿を消すようにして田舎を出て行ったのだった。
昔話しの中で それはそうと なぜ急に姿を消すようにして出て行ったのかと儂は訊ねた。
その時の話しを詳しく聞いたら 抜けたやつだとは思っていたが(抜けたにはずば抜けたという意味もあり 少しは褒め言葉の意味合いもある)
そこまでアホやったとは知らなんだと 儂は腹を抱えて大笑いした。

ことの次第はこうである。
幼なじみに悪友がいて 母親の入院にお金がいると言われ 五万 十万と貸してやったらしい。
それが30万くらいになり 噂でそのお金は女に貢いで使っているということが耳に入ったそうだ。
幼なじみは激怒して そのお金を借りたやつの家に怒鳴り込んだ。
しかし そういう嘘までついてお金を借りるようなやつなので そう簡単には返すはずがない。
なんとしてでもお金を取り戻そうと考えた幼なじみは 愚かにも知りあいを通じてヤクザに頼みに行った。
取り立ててきたお金は折半という約束だったらしい。
ところが きっちりと取り立ててきたのは良いものの 全額ヤクザの懐に入れられてしまうはめになった。
頭にきた幼なじみは そのヤクザのマンションに出向き 約束通りに半分のお金を渡して欲しいと談判に行った。
しかし向こうはプロ 幼なじみは間抜けな二十歳前のガキである。
うまくあしらわれてトボトボと引き返してきたそうだ。
あまりのやるせなさに 飲めない酒を飲んで悶々とした夜を過ごした。
気が付いたら深夜 包丁を持ってヤクザのマンションのドアを蹴飛ばしながら
金返さんかい このボケアホカスがと叫んでいたそうである。
しばらくしてドアが開き 中からヤクザが怖い顔でドスを抜いて出てきたそうだ。
流石に怖くなり 幼なじみは走って逃げた。
そして しばらくしたらまた頭に来て マンションのドアを蹴飛ばしボケアホカスと叫び
中からヤクザが飛び出してきては追いかけられるということを何回か繰り返したそうだ。
まるで漫画みたいな話しだが どうやら本当の話らしい。
向こうもアホではない。学習能力というものがあるし 何が悲しくて深夜から未明にかけて
アホなガキ相手に鬼ごっこをせにゃならんのかと思ったことだろう。
しぶとくドアを蹴飛ばそうとやってきたときに 陰に隠れていたヤクザにそいつは取っ捕まった。
部屋の中に引きずり込まれたら 派手なネグリジェを着た女が立っていたそうだ。
ヤクザにいい女はつきものだが その女もそうだったらしい。
ドスを突きつけられ おのりゃなに考えとんじゃ 
ちょっとまっとれ 今若い衆呼んで海に沈めにいったるさかいにと散々脅されたそうだ。
その頃には酒の酔いも醒めて 小便をちびるくらい怖かったそうである。
ヤクザが違う部屋に行っているときに ネグリジェを着た女が もうアホなことはやめとき
あの人怒らしたらほんまにやられてしまうで うちが逃がしたるさかいに 
もう二度とこの辺をうろついたらあかんで と優しい声で諭され逃がしてくれたのだそうだ。
ちょっと芝居がかってはいるが 二十歳前のガキにとっては もうここでは生きていけんと深刻に思ったそうだ。
そういうことがあったので消えるようにして出ていったという訳である。
今でも そのときのネグリジェを思い出すと妙な気分になるのだそうだ。
妙な気分って どんなんやねん? なんかな こうむずむずってする感じやねん。?????・・・。
幼なじみというものは 今なら絶対に友達にはならないであろうというやつでも
友達でいられるところが不思議な関係だと思う。

ヤゾー - 2004/01/15(木) 18:31<

みなさん こんばんわ

おりょうさん ▽うぶさん 暖かい思いやりのあるお言葉 ありがとうございます。
こういう気持ちの良いやり取りが なによりも大切に感じる今日この頃です。
実は長い間スランプで 文章を書くのが億劫にして苦痛で仕方がありませんでした。
人生に行き詰まったら 自分史を振り返れなどと言われたことがありましたが
自分のことを儂と呼んでいた頃の夢を見てから 少し回復してきました。
それと優しいお言葉を掛けて頂くことで 文章が書けるようになりました。
お礼に 何か面白い話しでも書きます。

PIKKIさん ありがとうございます。
PIKKIさんは詩を書かれる人だから分かると思いますが
PIKKIさんに対して苛々したことなどは一度もありません。
四年間もこういう掲示板を運営していると
どんなに美辞麗句を並べようが また愛想のない文章を書いたとしても
その人の心というか 人柄が見えてまいります。

僕のたったひとりの神さまだった
かあさん ありがとう

という詩を読んで 実は涙しました。

GAINAさん こんばんわ
そういえばGAINAさんの郷里には狼を祭る神社がありましたね。
久しぶりに玉置神社へお参りに行こうと思っているのですが
道は凍ってますでしょうか。
あの湧き水の味も忘れられません。


ヤクザと借金ということで 思い出した話しがありましたので
自称 儂ということで書いてみました。

GAINA - 2004/01/15(木) 17:59<

気をつけて

ヤゾーさん、みなさん、こんばんは。

話が後戻りするようで、申し訳けないのですが・・・。
通る が話題となりましたが、
こんなふううに教えられたような気がします。

公の凍った通りを大きい狼が大凡、十 通る。
おおやけの こおった とおりを おおきい おおかみが おおよそ とお とおる。

交通事故の話でなく、交通違反ですが・・・。
違反キップに、私のサインと指紋捺印を警官が偽造し
県警あげての大問題になったことがありました。
みなさん、事故や違反に気をつけましょう。

PIKKI <http://mypage.odn.ne.jp/home/hide71> - 2004/01/15(木) 09:24<

ヤゾーさんに感謝です

僕はこのサイトが肩がこらなくていちばん好きです。いつもトンチンカンな書き込み反省しています。
僕は交通事故に10回くらいあっているのですが・・経験から言うと、警察を呼ぶ事が肝心です。
これは加害・被害どっちの場合でも欠かせない事です。そうでないとあとで大変な事になります。
加害者時に、バックでぶつけてしまい・・車への傷が見つからず困った事がありました。この時は警察と顔見知りのヤクザ関係者らしく、修理工場へ行っても傷が無いので「修理しようがない」と言われ%

こうへい - 2004/01/15(木) 09:03<

ボクも当てられた話

屋上駐車場で、寝てたら、ガン!!
降りて行ったら、オバチャンで、どうしても弁償するって言うので、缶スプレー代千円もらった。
買いにに行ったら、1500円した。
別の日に、同じ駐車場でまたガン!! がら空きの駐車場で何でオレの車に当てるンや!!
頭に来て、降りていったら若いオネーチャン。一応謝ってるので、まーええわ・・・
また、別の日に・・ なんべん当てたらきいすむねん!! わ、また若い女や・・まあ、ええわ・・
結局、この屋上駐車場で、一ヶ月で、4回当てられた。なんでや、訳分からんぞ!!

▽うぶ - 2004/01/15(木) 03:11<

アラカルト

スミマセン ちょっとスランプ状態です 読むべき本も山のままです アイヌの事はあまり知らないので
ROMしてました それと 国内を2500Kmほど鈍行で移動(放浪)してました
紋さん≪ウメガイに関して何かありましたっけ? 。「東」は超重要です、裏の「西」も少々!
ヤナさん≪15年ほど前、私も飲酒赤信号無視のトラックに横腹衝突されました、逃亡されたのを
根性で捜しあてて 刑事では決着したが 民事で再度逃亡されて 大損害受けました 半浮浪者で
ヤクザからの借金からも逃げ回っていた男だったので本籍調査もしましたが破産状態で 差し押さえも
出来ませんでした。 事故の時は 先に車から外に出た方が不利になるらしいです 皆さん気をつけましょ。
ヤゾーさん≪いろいろと大変でしょうが ここでは沢山の理解者も居ますから頑張って欲しいです
楽しい夢見るためには 目覚める直前に 気持ちの良い音楽を流すことです(Newsより)。
事実最近シンフォニー名曲CDつけっぱなしで寝たら 大変楽しい夢たくさん見て スッキリの朝でしたヨ!

また ぼちぼちと 歩み始めたいと思います。

おりょう - 2004/01/15(木) 02:01<

笑いは百薬の長

やぞーさんが相当ストレスためていますので、笑いは百薬の長でひとつ。

医者が、「仕事のストレスだから身体に悪い、しばらく休養しなさい」と指示を出しておきながら
後に出してきた請求書は、半年飲まず食わずに働けといわんばかりの額を表示してくる。

先日、地下鉄の切符を落としたので係りの人に「すみませんトイレで切符おとしてしまったんです」
係りの人いわく「落し物がちがいましたね」だって。

ヤナさんやっぱりやさしい。

こうへいさん その通り→そのとおり が正解

いちご麦 さん いろいろな情報ありがとうございます。

やぞーさん、いろいろ地方の話もきけてこのクマノライフは最高です。




ヤゾー - 2004/01/15(木) 01:15<

ええ話し聞かせてもらいました

ヤナさん 優しいなぁ。
それに男らしい人情家です。
それにしても誠意のないやつですね。
往生際が悪いというか 相手がヤナさんで救われましたね。
ややこしい相手なら もの凄く難儀なことになっていたでしょう。

ya(・ε^)na - 2004/01/15(木) 01:09<

鷲・・・

おおこわーーぁ・・
 つい先程の話・・・
  オカマされたんですわ・・・
おバーあちゃんと二人での帰り道・・・
    なかなか後ろの車から降りてきませんねんがな・・
   むかっ!!
       ちょっとなんや・首筋に衝撃あり!!
降りてきた男・・酒臭い!!
  とにかく平謝り・・まあええかなぁ??そんな気持ちになってきた!!
      念のためTELと名前きいたんですわ・・
  ほんなら、んんんなめとんな!!
    あいてのゆうた、TELに即TELしました・・なななんあなんと・・
      この番号は現在使われ取りませんとのこと!!
         その携帯相手の耳にきかしたりました・・・
  こら!!おまえなめとんのんとちゃうかぁ・・
即110の番号打ったりました・・
   おら!!うそゆうとったらあかんでーーぇ
       免許証出さんかい!!
          なにい!!・家に忘れてきたぁ!!
             即・・110にTEL入れたりました・・
     そないしたら・・はじめて名刺出しよりました・・
    そうこうしてると・・ポリさんが向こうのほうからやってきました・・
        もう拝み倒して許しを請うおっさんが・・・んんんんん
   仏のヤナの首がもたげてしまいました・・・
       ドギマギドギマギ・・・そのしぐさがかわいそうなので・・

 助けてやることにしました・・
    
 ポリさんには、丁重にお引取り願いました・・
     飲酒ばれないようにしたりました・・

       明日目が覚めて首がいたくないことを・・・大黒さんにお祈りしましょかいねぇ

         

        
   

ヤゾー - 2004/01/15(木) 00:45<

儂の夢の話

みなさん こんばんわ

いちご麦さん そうおっしゃられると こちらも嬉しくなります。

風邪の熱で魘されているときに変な夢を見ました。
過去に自分のことを儂と呼び私と呼んでいたときのことを思い出すところから始まり
それぞれの自分が 僕だ私です儂やと主張しあうというような夢でした。
結局 少しヤクザな儂と呼ぶ自分が勝ってしまい
夢の中で おのりゃなめてるんかい!ど頭たらんのかい!と怒鳴り続けたら熱が下がりました。
よほどストレスが溜まっていたのかも知れません。
僕という自分も嘘偽りのない自分であり 私と呼んでいたときの自分も
儂と呼ぶ少しヤクザな自分も 嘘偽りのない姿なのだと思いました。

いちご麦 <http://www.noos.ne.jp/forum3/c-board.cgi?cmd=all;id=noos> - 2004/01/14(水) 22:08<

やめられない止まらないサイト

以前紹介させていただいた「もともと日本は国際国家であった」(安東到著)と上記サイトが、私の中でワクワクして出会っています!
ヤゾーさん おりょうさん PIKKIさん、お返事有難うございました。とっても嬉しかったです。

- 2004/01/14(水) 13:48<

ウキ・・…

> 杉およびクスノキ、この二つの樹は浮宝(船)にしなさい
>>★ 「ウキ」はサンカ用語で舟でしたね。「アマの浮橋」……倭蛋民。

ウキは船だけですかな?
和室の高級彫刻欄間は全て杉です。
天井に彫刻があるものは杉が使われているはずです。

タガログ語の ukit は「彫る」です。

因みに、ノミで彫って作るほぞ穴は abb ていうのですが、
これに、母という nai を接着すると、 abb nai で「危ない」。
「母のほぞ穴は危ない」、何て云ったら怒る人もいるかもね。(笑。
如何ですか? たまさん!

タラちゃんの孫 - 2004/01/14(水) 13:07<

お寒うございました

九州の地も、昨日は季節風が強く、どんより曇った寒い一日でした。
一夜明けて、今朝は風もやみ、ぬけるような青空です。
朝早いうちから冬の太陽が照りつけ、凍えた地面を暖めてくれていました。
心からお日様に感謝したい気持ちになります。
島原半島の畑では、早くも「春ジャガ」の植え付けが進んでいます。
4月か5月には、皆さんの近くのお店に長崎産のジャガイモが並ぶはずです。
確かにこの季節、東は大切な方角ですね。
別所地帯ではこの季節にお日様を拝めるのは10時過ぎ頃からになりましょうか。

諫早の本名川沿いの記念碑群は今度見てみますね。
私の推測としては、昔の干拓事業の記念碑のような気もするのですが。
現在の諫早市街地も川の南側は、ほとんど0メートル地帯です。
昭和30年代の大水害で被害が大きかった所です。
川にかかる橋の上から見ると、市街地が元々干拓地だったことがわかります。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2004/01/14(水) 10:40<

....√♪ オロロン オロロン オロロン ばい ♪ ...,

 ビッキどん、        > 杉およびクスノキ、この二つの樹は浮宝(船)にしなさい
               ★ 「ウキ」はサンカ用語で舟でしたね。「アマの浮橋」……倭蛋民。
                >「ハヤの中心部は、縄文以来の伝統や」……ハヤとは?ハヤトのこと?
 △うぶさんとの間ではまだ「サンカとウメガイ」のことでは
決着をみていませんが、マタギと鉄砲……、新しい金属利器が
集団の核になるのかなぁ?                     杉も「ナオ」もエデン語で“直”。
 犬をつれて行かない猟も奇妙なことではないでしょうか?      豊かな三日月地帯 ……ヒマラヤ杉。

 タラナベしゃん、      √♪ オロロン オロロン オロロン ばい ♪ のとこだけだったかな?
               筑豊でもばあさんが、子供おんぶしてカンボーで被って唄っていました。
               おれが聴いたのは、もう65年も前のことです。
               川崎町で継承されていたタンコぶしの原歌も悲しいメロディーですばい。
 おりかべしゃん、→     オロロン鳥の語源シランかね。
 スペルまちがえた      「子供をあやす、育てる」という意味の *lul- は英語にもありますね。
 thuluj がホント       大阪の『ラルパテの会』はネパールの子供たちに義金や里子もらいうけを世話
          しています。ラルパテも「なでしこ」みたいな意味です。パテは「葉 + -ai」
               「タラ」は一つにはサンカ用語で「母」です。/.タラチネ オキナガタラシ?
 
 土地の人間たちは聖なるタラ岳の、そのまた聖なる「東がわ」は、
ジェッタイによそ者の通過を許さなかった、それで旅人は迂回して
黒木峠を越えたそうです。
 アイヌもメチャクチャに“東”をダイジにします。         ← 家の東を通過したり、東窓から覗く
 諌早の川は L 字型になっていて、この L の水平部分の上下に市街    だけで、火がついたように怒りだ
地が発達しています。                         したそうです。
 そしておもしろいのは、元々の市街地だったみたいな場所の東がわ
に記念碑が川をこえ、垂直に並んでいることです。これは昔日の墓場
ではないでしょうか?
 タラナベしゃん、「記念碑の群は墓場」はいえましょうか?

タラちゃんの孫 - 2004/01/13(火) 23:09<

レスです

紋次郎さんは私の父と同じ世代かなと拝見しました。
ナベも結構ですよ。(出水のナベ鶴みたいで)
ちなみにヤゾーさんは私と同じ世代のようですね。
「礫石原」なんて懐かしいですね。遠足でよく行きました。
今回の噴火では一時避難ぐらいで大丈夫でした。
火山灰でやられたのは、隣にある「千本木」地区でした。(サンカ地名?)
宮崎康平さんも、郷土史にお詳しい方でしたね。
この方の作詞、作曲の「島原の子守唄」は、
戦前に口之津港から海外に売られていった「からゆきさん」を歌った歌です。
「白浜」もすぐ近くです。
ちなみに、世に出なかった、最初の歌詞は、
♪行くときゃ兵隊さんで、行くときゃ兵隊さんで、帰りにゃ仏よ。
諫早トンネル越しゃ、諫早トンネル越しゃ、桐の箱かよ、しょうかいな♪だったそうです。
いずれにしても悲しい歌です。
昔は何処もそうだったんでしょうけど。
今の島原半島は豊かです。県下一の農業地帯で、
火山灰の割りに、土も肥えて作物が良く取れます。
なんで「島原の乱」なんて起こったんだろう、などと考えたくなります。
キリスト教に対する偏見なども私たちの世代以下には、ほとんど有りません。
五島の隠れキリシタンに対する偏見も、今はどうなんだろう。

黒木峠は、ちょっと離れるので、詳しくは存じません。
多良岳の北西約3キロの所の峠に、黒木トンネルと言うのがありますので、その辺でしょうか?
大村市と鹿島市をほぼ直線で結ぶ国道444号線上にあります。
また、多良岳のすぐ南東側には黒木岳というのもあります。

PIKKI <http://mypage.odn.ne.jp/home/hide71> - 2004/01/13(火) 19:42<

日記がみんな消滅してまった!

ODNの調子が悪いので手短に.どっか良いプロバイダーないかな?おりょうさん、日記どうも。
現在は温暖化だけど、江戸時代の記録でも流氷の上を犬ぞりで、樺太や大陸と行き来した・・という記録を読んだ記憶が。縄文末からの寒冷期にはもっと行き来が激しかったと思う。ただ基層文化の縄文の影響が強かったので・・これだけ色んな文化・氏族が流入しながらも、沖縄からアイヌまで似通った文化や宗教や過去遺産なのではないかと思う。
何故、鉄へのこだわりかというと・・古代の金属加工氏族は、造船業を兼ねていたと思う。
新羅の船大工のイナベや、それよりは土着的な海部・隼人も、山へ入って金属等の有用資源を探しながら、山で舟を作っていたと思う。なお杉については、スサノオの言葉−《杉およびクスノキ、この二つの樹は浮宝(船)にしなさい。檜は・・》ですが・・『「木の文明」の成立、上』のP.120に、何故杉が・・の詳しい説明があるので是非お読み下さい。船底をくり抜くにはクスノキが、上部構造の板を作るのは杉が加工しやすかったようです。そういう構造船だったと思う。さらに、金属加工用の燃料として杉がもっとも成長がはやかったので(30年でサイクル可能)・・スサノオが新羅への植林を薦めたのではないかと思う。
製鉄についてはー造船とともに、最も重要な古代日本での最先端技術なので、東北でも出雲などの中国地方でも受け継がれたように、ポルトガル人わざわざやって来た種子島でも(鉄砲伝来以前の製鉄遺跡が圧倒的に多い)・・と考えたのですが、屋久島はむしろその山容から、白山・立山・鳥海のように航海の目印や、信仰の対象や、文化・市場圏の象徴や、侵略のための拠点だったのではないかと思います。(やたらに式内社が多い伊豆諸島や、重視されてきた佐渡や、北海道中の熊の骨が多い利尻・礼文島のように)
ただ屋久島・種子島の最大の利点は、他にはない良い入り江であり、これがずっと貿易の拠点だった最大の理由ではないかと思います。伊豆諸島などとは違って。
ハヤの中心部は、縄文以来の伝統や、朝鮮半島や中国や九州中心部への交易路の関係から、市来湾から球磨地方にかけてではないでしょうか?ここと島原地方が古代の安全なる辺境のセンターだったのでは?

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2004/01/13(火) 10:59<

... √♪ ふるさとの遠いあの峰 ♪...

臥遊人さん、                鶴岡の方言、有り難うございます。お陰さまで一歩前進できました。
 「鳥」はバスク語に txori(鳥)      こんごはキサ“カタ”とします。
 とあるので、古いです。          「カタ=湊」は、森浩一先生の長い間のご持論ですが、母語はどこだろう
                      と不明のまま睨みつづけています。
                      本荘の中心部から北にある病院の△△さんがトリウミさんでした。

タラナベしゃん               ミョウチクリンなところに“偏執”を持ってみるのも思考の経済(?)
                      〜触媒になるのではないでしょうか?
 パーリ語 ta:la:(しゅろ)          宮崎康平さんは邪馬台国は島原だとしましたが、オレのすが目は諌早こ
   〃  haya(速い、馬)        そ日本列島最初のポリス国家だとしました。で、少しこの偏執におつき
                      合いいただけないでしょうか。
                      黒木峠は多良岳山頂のどの方角に約何キロ地点にありましょうか?
                      あ、「ナベ=孫」……タジク語です。わ〜るかったらひっこめます。
                      「クルマで行くと、道をよけてくれていた人が手を振ってくれるのよ。
                      島原ちゃそげな純朴な土地がらバイ」
                      と、嬉しそうな顔をして、いとこの N 子は嫁いでゆきました。
                      
                       √♪ 白い雲が浮いてた ふるさとの遠いあの峰……♪
                      この歌が流行りはじめたころでした。訪ねてゆきました。
                      シナから引き揚げてきた親友も普賢岳ふもとのクレシバル(礫石原)に
                      開拓に入植していました。いまは再び、噴火の石だらけでっしょうネ。
                      
おりかべしゃん、              7世紀、阿部ヒラフ……。タヒラ、タカヒラ(高以良)。沖縄;比良。
                      → 平家。ヒラフはアラビヤ語だったかにドンピシャがありました。語形
 アラビヤ語 tuluj(雪、氷)        と意味具体的にお報せしようと、朝から探していますが見つかりません。
                      
おりょんはん、               今迄は「ワカランことば・即・アイヌ語」でした。集団の既得深大概念ね。
                      ネパール語 puja(礼拝)./. 山伏。

 ヤゾー親分さん、オトコは何かを呑んでいるんです。呑込んだモノは必ず顔にでます。テレビ時代に入って、政治家にオト
コの顔をした男がいなくなりましたね。暗殺されなくなったのも一因でしょうか。
 でも純粋無垢な心情を持っている原始人にも「悪役の顔」はいるそうです。本多勝一さんが紹介したヤゲ○ブラさんの顔を
アップしたいが、技術なし。

おりかべ - 2004/01/13(火) 03:23<

Re:近世における北本州とアイヌ 2

下の投稿の続きです。

>話はとびますが、菅江真澄が在道中の1789年、国後・目梨の蜂起があり、象潟の人三藏が殺され、吉
>太郎は逃げ帰ったという記録があります。

東北の出稼ぎ衆や、場所請負制にて勢力を拡大して、メナシ(道東)のアイヌ方々の搾取と陵辱をした飛騨屋
サイドの人間には少なからず東北出身の人間がいます。
深く問題意識をもっておられる歴史学者もおられます。メナシ・クナシリのアイヌの方々30数名は根室のノッカマップというところで、松前藩により銃殺されて、切り落とされた首は塩漬けして松前に持っていったそうです。毎年供養がおこなわれています。
10年くらい前、私はノッカマップを訪れ、日暮れ時にたたずんでいたときがありました。

>くわしいプロフィールを明かさぬまま、角館で客死している菅江真澄のファンは県内にも多く、私もその一人です。

私は菅江真澄については一目置いていますが、断片的認識です。終焉の地が角館と恥ずかしながら初めて知り(文献乱読がばれました)ました。角館・仙北地方はたまに行っていましたので、改めて親近感を覚える次第です。
臥遊人さんのお陰で、改めて菅江真澄を深く学びたい気になりました。ありがとうございます

おりかべ - 2004/01/13(火) 03:22<

Re:近世における北本州とアイヌ 1

臥遊人さん、こんばんは。お返事遅れました

>おりかべさんの所のウパシはどんな様子だったでしょうか?

実は私は、故郷岩手を離れ、今は九州なのです。(タラちゃんの孫さんのおっしゃる、タタラ川に近いといえば近いところです)
故郷、平野部なので、割と雪が少ないです。その代わり道路はスケート・リンク状態が普通なのですが、近年、温暖化でさらに、雪が少なくなってきているようです。すでに10年くらい前、八幡平のスキー場に行って、帰宅してからストックを忘れたことに気付いて、バイクで取りに戻ったということがあります。

拙稿ですが・・・
>>幕府と松前藩が「蝦夷地」・アイヌとの交易を独占一本化する前は北海道のアイヌは自由に頻繁に
>>北部本州に行き来していた可能性があると私は考えています。

一部訂正。
後半分、「北海道と本州北部のアイヌは自由に頻繁に行き来していた可能性があると・・・」です。

>海岸から一挙に2,236メートルまでそそり立つ独立峰鳥海山は、渡り鳥が目印にするだけでなく、
>海を行き交った人々の都合のよいランドマークタワーだったと思います。

以前、九州から陸路で帰省する途中、奥羽本線を通ったのですが、そのとき、車窓から鳥海山の雄大な姿を目の当たりにしました。
とても美しかった。立ち寄りたかったのですが、時間の都合で断念しました。もちろん、象潟も通りました。

>9世紀に何度も往来があった渤海国の使節団もそうだったろうし、国際都市だったその中には、
>色々な遺伝子を持った人が大勢いたと推測され、現在当地に、骨格、肌や眼の色にコーカソイドの
>特徴を持つ人が居ても不思議はないと思います。

7世紀に安倍比羅夫が遠征にきて、今の秋田県や津軽、北海道道南地方(断定はできませんが、交易でヒグマの皮を京に持ちかえっている)まで
行って地元の首長クラスを郡領、もしくは郡司にしているのですが、「粛慎」という集団との接触もあったようで、遠征の背景の一つとして、大陸の大きな政治的勢力が本州北部に及ぶことを、当時のヤマト王権国家にとって大きな懸念事項であったのではないかと私は考えています。「粛慎」などの大陸の民が交易や政治的勢力をもたらしていた可能性があるのではないかと。

また、新羅(三国時代のいわゆる統一前の)の海の玄関口「ヨムポ(塩浦:現在のウルサン)」にイスラムの商人が交易に来ていたそうです

>つい私的なイメージで、アイヌは森の民…ひっそりした雰囲気に傾いてしまいますが、アイヌの正装だっ
>た蝦夷錦は山丹交易で得たものだし、『ハバロフスクの博物館でアイヌの衣装見たぞ…』。。

元の記録には、1264年から40年間、「骨嵬(グウェイ:樺太アイヌ)」がタタール(間宮)海峡を渡り、デ・カストリー湾からキジ湖を横断し、
アムール川本流に入って元軍と戦ったとあり、交戦地の1つは現在の中国領内にあるようです。
また、キジ湖西岸〜アムール川中下流部のツングース系先住民族ウリチ族の中に、アイヌのルーツを持つ方々がいらっしゃいます。
一方、近世・近代ロシアによってロシア・東欧に強制移住された北クリル・アイヌもカムチャツカの先住民イテリメンとの交流も密接で、カムチャツカ半島の南部にもアイヌ語地名が存在します。

タラちゃんの孫 - 2004/01/12(月) 23:20<

タラとタイラ

ドングリさんありがとうございます。
タラはタタラに通じるとばかり思っていたのですが、タイラにもつながりますね。
わたりがにの名所はタラとタイラ両方あります。(ほんとに安くて新鮮ですよ)
長崎県国見町(サッカー優勝おめでとう)多比良(タイラ)と、佐賀県太良(タラ)町竹崎です。
ピンと来ましたね。
かにを取るのに竹細工を使うのでしょうね。
雲仙別所ダムのすぐ近くに「稚児落しの滝」という、恐ろしい名前の滝があります。
小さな子供が誤って落ちたのだろうかと、今まで思っておりましたが、
そんなに悲惨な歴史があったのですね。合掌せずにはいられません。
おりょうさん。残念ながら、現在のタラ氏はほとんど漁師さんで、鍛冶屋さんは残っておりません。
昔は釣り針なんか作っていたのでしょうか。

こうへい - 2004/01/12(月) 21:49<

とうりと

>そのとうり→そのとおり
ってボクも初めの頃つかいましたが、「こんばんは」と同じで、誤字なのかな?
「とうり」じゃ、漢字変換できないし、
それとも、ちょっとだけ旧仮名使いなんでしょうか?
はじめ、ぼくも、戸惑いました。(^o^)

おりょう - 2004/01/12(月) 21:27<
 誤字失礼しました
そのとうり→そのとおり
墳を吹く山→噴火山
最後の行消し忘れ

おりょう - 2004/01/12(月) 21:19<

居着き部落 火の山

*(O..O)*ngly さん
五島に切支丹の居着部落があり、ここの人達は他の仏教徒とは殆ど交際もなく、極端な個人主義的生活を
しており、狭い土地に転住してきた人々であり、生活程度は極めて貧しく低いが、しかし、信教のために
は生命さえおしまなかった末裔だけに、神父の命令は絶対的なもので、まわりの仏教徒らはこの犠牲的な
生活態度に敬意をはらいつつも「いつきもん」と呼んで侮蔑視しているそうです。子供どうしも同じ学校
にかよいながら口もきかないといったことがあると宮本常一さん、安岡さんの対談などでもはなしておら
れますので書きこみをちょっと。     朝日選書「差別その根源を問う」より

臥遊人 さん
富士山の「フジ」はアイヌ語で「火の吹く山」ときいたことがありますが そうでしょうか?
鳥海山もかっては噴を吹く山で、安部貞任の弟に鳥海三郎宗任という人がいますが、鳥海山もアイヌと
関係がふかいのでしょうね。
画像あとでみさせていただきます。
秋田県で多い名前は、佐藤、高橋、佐々木、次に多いのが鈴木、斎藤、渡辺、以外と平凡!!
そのとうりですか?

こうへいさん
鳥伝説と鍛冶と関係ふかそうです。
タラちゃんの孫さん、鍛冶にくわしそうですね。

PIKKI さんの日記毎日読ませていただいています。



朝日選書「差別その根源を問う」より

*(O..O)*ngly - 2004/01/12(月) 18:54<

島原別所とサンカのアジ−ル

タラちゃんの孫さん
>佐賀県まで逃げて生き延びた方がいるというのは、初耳でした。
島原落武者の末裔は筑後川畔でも福岡県久留米市の北側に在住のT氏
といわれています。本郷町には関係があるか否か分りませんが巨大な
教会が聳えています。「本郷」地名だから別所だったのかも知れませ
んね。筑後川近辺もサンカの町やサンカ姓が多く、筑紫のイワイ以来
の反天皇・反中央の歴史が脈々と流れているようです。そのため久留
米と佐賀には陸上自衛隊を配置して庶民を監視しています。

 なめ味噌は金山寺味噌の一種ですか?納豆ですか。
 佐賀県の平(タラ?タイラ?)といえば長崎に近い所で。確か
ワタリカニの美味なところ。生簀からあげて料理しますので40分
待ちましたが、天下一品。しかも安価だったようです。また味わい
たいですね。
 『三角・サンカ全集』にはタイラは竹細工でなく刀鍛冶のサンカ
姓とありますが、どうでしょうか。
 島原の別所の一は有名な小浜温泉で昔は水源がただ1ケ所しかな
い所。諫早にも歴史的な何かがありそうで、愛野町は地名からして
別所でしょう。
 島原も「有馬」藩が安堵したりして、別所→サンカ(隠れキリシタン)
の歴史が解明できる地域の1つです。雲仙温泉の子供地獄に突き落と
された先祖の歴史を明かにし、無念をはらすのは、島原の方の神聖な
宿命と義務でしょう。

臥遊人 - 2004/01/12(月) 16:47<

日本列島は防波堤のよう…?!

大陸側を中心に撮影した衛星写真を、東を上にして見れば、日本列島は弧の防波堤のようです。

おりょうさんが言われた…
>いろいろな民族が渡来してきたり流れついたりで、日本列島総ふきだまりなんですね。
は、ピッタリな表現だと思いました。
鳥海山の麓からは、縄文後期〜晩期に渡来したと思われる“青銅刀子”が出土しています。
画像は下記にありますので、興味のある方はご覧になってください。
http://homepage3.nifty.com/hekisui/choukasan%20%2004%20seidoutousu.htm

焼尻紋次郎さんへ
私は仕事で1年間鶴岡に住所を置いたことがありますが、特に異質とは感じませんでした。
庄内弁の特徴は、語尾に“の”を付けることで、「ンダサゲの…」は、「そやさかい…」で、北前船の上方の水夫が
使っていた言葉をハイカラなものとし、独自にアレンジしたものだと知って、へぇ〜と思ったものです。
秋田では、突発的に起こった不幸などの時、「モッケだ…」。ですが、庄内ではものをもらった時などに、お礼の意味
で「モッケだの…」。という使い方をしていたので、慣れないうちは違和感ありました。
全体的に、アクセントが秋田よりゆっくりした丸みがあって、上品な感じがします。

前出のレスになりますが、鳥海山はアイヌ語で太陽を意味する【チュッカイ】という説もありますが、決定打はありません。
それから、麓に「とりうみ」さんがいっぱいいたとのことでしたが、山麓の半分を占める秋田側の自治体の電話帳には、
登録されている「とりうみ」さんは一人もいませんでした。

>象潟と書いて「キサガタ」と読ませる。象をキサなどというのは、カトマンズの先住民、ネワール族だけです。
…そうでもないようです。
ゾウ(象)という名は、漢字の訓であるが、日本では古く(キサ)と呼ばれていた。キサとは“刻み”の義で、ふつう木目の文をいう。
どうしてゾウがキサと呼ばれたかというと、日本にはじめて象牙が渡来したとき、牙に木目のような文があったので・・・
中村浩著【動物名の由来】にはそうあります。
それから、些細なことではありますが、象潟は「キサカタ」で【KISAKATA】と駅の看板にもあります。【カ】に濁点は不要です。

秋田には大変多くのアイヌ語地名がありますが、これはむしろ、エミシ語といったほうが妥当なのかもしれません。
アイヌとエミシの関連は論争の的になっていますが、工藤雅樹福島大名誉教授の説を知って間違いなさそうだと思いました。
そのまま引用させていただきますと

“縄文文化を担った人々の子孫のうち、北海道では稲作文化を受け入れず独自のアイヌ文化・アイヌ民族が形成される。
本州では東北南部まで中央政府に組み込まれ「日本民族」化。東北北部は北海道とも東北南部とも共通項を持ちながら
「第三の道」を歩んだ。それが古代蝦夷…” っというものでした。

若い時分、無精ヒゲのカニ族で阿寒を訪れた際、みやげ物屋のおやじに、「どこの部落の者か?」かと声をかけられました。
鏡を見れば、確かに面長に奥目の剛毛…私は古いタイプの人種なのでしょう。

タラちゃんの孫 - 2004/01/12(月) 15:43<

ピンポーン

恐れ入りました。紋次郎さんもドングリさんも、もう私の居所をわかっていらっしゃるようなレスに
驚きました。
まぎれも無く島原半島からの発信です。
今でこそ、陸の孤島みたいなことを言われていますが、海上交通が主だった頃は、地図を見れば一目同然、
九州西部(長崎、佐賀、福岡、熊本、鹿児島)各地を結ぶ海路の中心にあります。
方言も各地の言葉をごちゃ混ぜにしたような感じで、イントネーションも独特なので、九州各地の方からも、わかりづらいと言われます。
鍛冶屋さんや竹細工屋さんも私が子供の頃まではごく身近に見ることができました。
有名な雲仙温泉のすぐ北側に別所ダムがあります。白雲の池もあります。
サンカ地名と思われるものは数え切れないほどです。(あいにく、白銀海岸は存じません、白浜か?)
このページに興味がわかないはずが有りません。
あっそう、安心してタガログ語の勉強ができる店もたくさんありますよ。
皆さん、ぜひ遊びに(研究に)来てください。
それでは、私のペンネームの由来ですが、私の苗字は日本で3本の指に入る、ありふれた苗字なのですが、
祖母の旧姓がタラなのです。
タラ岳のタラ、福岡県のタタラ川のタラです。親戚のタラ姓が多く住んでいらっしゃる所の地名もサンカ地名のようです。
どうやら私が旅好きで、家に居たがらないのがわかったような気がしました。
ところで、島原のなめ味噌(こちらでは納豆と呼びます)は、この地方だけのものかと思っておりましたが、
全国的にも、「金山時味噌」と言うのを売っていますね。あれとほとんど同じ物です。
「島原の乱」については、最近になって郷土史家の間でも、
教科書(定説)とは違う、いろんな説が出てきているようです。
しかし、以前このページで、佐賀県まで逃げて生き延びた方がいるというのは、初耳でした。
これからも、御教授よろしくお願いいたします。

ヤゾー - 2004/01/12(月) 15:13<

みなさん こんにちわ

タラちゃんの孫さん はじめまして
過去の掲示板を読破されたとのこと ご苦労さまです。
インターネットがもたらした一番の功績は透明化にあったと思います。
タブーは恫喝と暴力によって作り出されてきたと思いますが
ネットはそれらを乗り越えることのできる可能性の持ったツールなのかも知れません。
それだけに使う側の資質 知識だけでなく人格や精神性が問われる難しいツールなのかも知れません。
可愛らしいハンドル名の由来を楽しみにしております。

PIKKIさん 寄寓にも同じ時期に風邪をひいていたんですね。
テレビで小泉さんの顔を見ていると政治家としてどうなのかは分かりませんが
腹のある顔をしているようには感じます。
但し どう見ても間抜け顔で映画に出たら悪役に似合いそうなブッシュJrに
媚び寄ってゆく姿を見たときには情けないなぁとは思いました。
日本とアメリカの政治家の関係なんて ボケとツッコミ漫才のような関係だと誰かが言ってたように思いますが
小突かれ突っ込まれ それをひたすらにボケてかわすくらいしかできないという意味なのかも知れません。
ラムズフェルドの顔もメイキャップなしでオカルト映画に出れそうなくらい怖い顔してますが
間抜け顔のブッシュJrやオカルト風味のラムズフェルドを表に出してきて戦争を始めるあたりに
アメリカの奥深さと底力を感じたりします。

こうへいさん ナイフマガジンは一時読んでいました。
釜中調査隊の続きを楽しみにしています。(^o^)

*(O..O)*ngly - 2004/01/12(月) 13:37<

九州サンカの拠点

紋次郎さん
 以前、広島出身で山形県の酒田に30年くらい生活した方が
酒田と広島市の言葉はイントネーションなどは異なるが語彙
は殆一緒といっておりました。江戸時代の北前船の影響でし
ょうか、それとも平安期に山形から広島に流された俘囚(エ
ビス)の名残りなのでしょうか。詳しい事はよく分りません
が広島弁のイントネーションは栃木弁ににてるようです。
これも俘囚・夷俘、強制移住・流刑の影響でしょうか?
 タラちゃんの孫 さん
 九州の長崎ならサンカの多いという(八切止夫)島原半島が
ありますね。島原の「白銀海岸」は武器庫や倉庫があって、
中世に日本人が奴隷として輸出された港があったっそうです。
またその多くはサンカと言われています。(これが本当なら
サンカの近代や近世発生説は吹っ飛びますが)。半島にはサン
カを意味する港があり、方言も実に多様ですね。島原名産の
島原城に篭城した際に民衆は鉄砲を構え、「一揆味噌」をなめ
なめ強大な家康軍と死闘を演じたそうです。その後も幕閣の
会議では「島原のようなことはどこかで起りそうにないか」と
戦々恐々としたことは有名です。
 一揆味噌はサンカの人達によって伝えられたのではないでし
ょうか。また筑後川流域には明治になって大きな教会がたちま
したが、また島原落城の際の落ち武者が居住とも聞きました。
苗字はA氏です。
 賤民上りの(『偽徳川家康』)家康が島原蜂起のような民衆
の力におびえ、流石の信長も一向宗の民衆蜂起に苦慮しました。
新スタイルの小泉流にほんろうされて、未だに目を覚まさない
人も多いようです。冷静に彼の言動や「実績」を考えたいです。
そう、ブッシュや小泉をほふるのはあれやこれやの言動でなく
て、民衆の力の発揮です。いまこそ日・米・イラク・パレスチナ
の民衆は国際的な連帯力で小泉とブッシュに悪政の最期のとどめ
をさしてより平和な時代を実現する必要があるでしょう。
 田中真紀子氏も我々の先頭にたってくれるでしょう。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2004/01/12(月) 09:07<

....木のぼり紋チャンのほざき....

 ワー、ほめられた。なんだかウズウズしてきた。おら木に登るばい。
 
 おりょんはん、> 日本の歴史も複雑怪奇ですね。日本列島総ふきだまりなんですね。
★ BC300年、華南広州で出土した(構造)船を造る台座のことを教えてくれたひと
  はどこのどなたさんデシタかね。あの情報、あちこちで大反響があがっています。

 タラちゃんの孫さん、はじめまして
 長崎県のどこですと? も少し詳しく言うてもらう必要が出てきました。
 きのふ、地元銀行に勤めあげた「ヒダリ巻きしゃん」が、長崎市内、北松ではゼニの     親和銀行ですタイ。
ことは「“ダラ”ちゃ言わんぞ」ち、年賀はがきで報せちくれました。
 島原はここの掲示板では「被差別」と「アラビヤ」の二つの視角で注目されてるかと。

 ビッキどん、おれも1万年まえでは、氏族数は少なかったと思います。それはシナの
山西省みれば一目瞭然かと。言語が同じなら人相骨格は均一化すると思います。
 十三世紀に書かれた『諏訪大明神絵巻』には、本州北部突端にたむろしている5〜6種   ← このあとに「アイヌ」
の氏族(モザイクなんですね)に、アイヌらしい2〜3種が現れています。          が出現するというワケ。

 臥遊人さん、オレ、いっぺん「北辺で“これぞまぎれもないアイヌ語だ”といえる地名」
を探してみたことがあります。すると、それは函館に近い大間岬のすぐ南の「オコッペ」だ   河口(尻)が kot (ほげ)
けでした。江戸期にかなり来ていたことは確かですが、地名をつけるだけの社会的な力がな   ています。
かったのではないかと思いますが……。(「弁慶」など、何とでも解釈できますしィ♂)

 同じヅ−ヅ−弁でも、秋田衆が聴く山形県鶴岡の発音は異質に感じられませんか?
 おれ、国鉄の鶴岡駅で、まったく聞き取れなくって、とうとう黒板に文字を書いて貰った   こっちの喋りは、あっちの
ことがあります。いまになって考えたら、あそこの発音は沖縄本島の出島(伊計・宮城等)   人びとは聴きとれる。
と同じじゃないかと思えます。bh., dh., gh., jh., kh., th., zh などのインド系発音では?    ラヂオの影響でしょうネ

 こうへいさん、三日四晩のタタラ踏みができるのは「むかしは倭蛋民(筏の竿押し)」で
はないでしょうか? 普通の漁民、狩猟民族では体が続かないらしいです。

 きのふ生物学に詳しい野郎と喋りました。「脳はなくっても生きてゆける」などを語るうちに、「自己純化作用」という概念が大きく浮上してきました。われわれの身体にセットされている“ただのクセ”ってぇ紋ですよ。「小異は捨てて、敢えて大道に就くところだけに進歩がある」とは川崎真治先生のおことばでした。人類共通に張りめぐらされている赤い靱帯とかヘロモンに大同しやしょう。

臥遊人 - 2004/01/11(日) 23:50<

Re:近世における北本州

秋田は吹雪で、夜が明けきらないうちに日が暮れました。
“ウダデナァ” (滅入るなぁ)があいさつ代わりでした。

おりかべさんの所のウパシはどんな様子だったでしょうか?

>幕府と松前藩が「蝦夷地」・アイヌとの交易を独占一本化する前は北海道のアイヌは自由に頻繁に
>北部本州に行き来していた可能性があると私は考えています。

私もそう考えます。
海岸から一挙に2,236メートルまでそそり立つ独立峰鳥海山は、渡り鳥が目印にするだけでなく、
海を行き交った人々の都合のよいランドマークタワーだったと思います。
9世紀に何度も往来があった渤海国の使節団もそうだったろうし、国際都市だったその中には、
色々な遺伝子を持った人が大勢いたと推測され、現在当地に、骨格、肌や眼の色にコーカソイドの
特徴を持つ人が居ても不思議はないと思います。

つい私的なイメージで、アイヌは森の民…ひっそりした雰囲気に傾いてしまいますが、アイヌの正装だった
蝦夷錦は山丹交易で得たものだし、シベリア鉄道でヨーロッパに出るのが流行っていた頃、
『ハバロフスクの博物館でアイヌの衣装見たぞ…』。車中で書いたであろうギザギザの文字にRが鏡文字に
なったスタンプのハガキを朋友からもらった、遠のいた日を思い出しました。

話はとびますが、菅江真澄が在道中の1789年、国後・目梨の蜂起があり、象潟の人三藏が殺され、吉太郎
は逃げ帰ったという記録があります。
真澄は蜂起の原因となった飛騨屋の横暴に苦しむアイヌの惨状を聞き取りする傍ら、和歌などを通じて松前藩の
重鎮たちとも親交を深め、彼らの、幕府にロシアとの密貿易やアイヌへの不正を隠ぺいしようと苦心し、
蝦夷地が幕府直轄領にされてしまうことを恐れていた姿を見ています。

くわしいプロフィールを明かさぬまま、角館で客死している菅江真澄のファンは県内にも多く、私もその一人です。

紹介いただいた“菅江真澄『菅江真澄遊覧記』平凡社ライブラリー”は私も手に入れたいと思います。
ありがとうございました。

タラちゃんの孫 - 2004/01/11(日) 22:42<

はじめまして

みなさん、はじめまして。
このページに出会って早くも3ヶ月経ちます。初めて出合った時には、まるで人生の宝物を見つけたような気になり、すぐにでもお話に参加したい気分だったのですが、
やっぱり皆さんの会話に参加するには「過去の掲示板」をすべて読んでからと言うのが礼儀かな。
と思って、暇を見つけては読み続け、やっと、今回の投稿に至りました。
私の生まれも育ちも紋次郎さんの近くの長崎県です。
根っからの鉄ちゃん(鉄道マニア)で、汽車を使って旅にでるのが大好き。駅名に興味を持ち始めたのがきっかけで、いろんな地名に興味を持つようになりました。
サンカと言う言葉との出会いは、やはり「カムイ外伝」だったのですが、
その時は、山の衆なんて中部山岳や東北地方の話で、
深い山が少ない北九州地方とは無縁の話だと思っていました。
ところが、北九州地方も深いかかわりがあると言うことを知って、ドングリさんや紋次郎さんのお話にどんどん引き込まれていってしまいました。
私が今まで疑問に思っていたことも、いとも簡単に解き明かされたりして、「野史」というか、庶民の歴史、自分のご先祖様の歴史というのが、インターネットによって、
もっともっと世間に理解される日が来るのが楽しみです。
わからないことが出て来たら、みなさんにお尋ねするかも知れません。よろしくお願いいたします。
それでは、あんまり長くなりますので、次回は、私のペンネームの由来などお話したいと思います。

こうへい - 2004/01/11(日) 17:41<

ナイフマガジン 2月号 その2

野鍛冶の特集も載ってました。
みなさん、立ち読みやってください(^o^)

こうへい - 2004/01/11(日) 17:12<

ナイフマガジン 2月号

に、たたら製鉄って大きな見出しがあったので、買ってしまいました。
製鉄の技術を伝えた「金屋子(かなやこ)」と呼ばれる神が白鷺に乗って降臨したのが桂の木で、
どこのタタラでも植える神木である・・と、書かれてますね。金屋子神は、女神で髪を藁で結んだ器量の悪い神とされる。

釜中調査隊は、休業中ですが、釜中の天一神社の祭神もニワトリに片目をつつかれた女神で、
女神であるから、女性が生理の間でも、産後でも、自由に詣れる神社だと、村の女性が言っていました。
タタラは、4日3晩ぶっとうしで操業しますが、続紀伊風土記に出てくる釜中の天一神は一夜巡りの神とされていますが、タタラで一夜とは3晩のことを一夜と言うらしい。
天一神は、操業中の4日3晩、見回ると言うことなのかなあ。
釜中で、桂の木を捜してみよう(^o^)

おりょう - 2004/01/11(日) 12:14<

おはようございます。

紋次郎さんおはようございます。
経験豊かで奥が深い紋次郎さん、いろいろ教えて下さいね。
こうへいさん 新年会だったんですね。
>アイヌが北海道に来たとき、旧石器から連綿と続いた人々が、居たのでしょうか?
何万年前は日本と大陸は繋がっていたといいますから、古代人も生活しておったのでしょう。
血液から骨格から出土品、あらゆる方面から気の遠くなるような研究をしていらっしゃる方が、いっぱい
いらっしゃるんですね。日本の歴史も複雑怪奇ですね。
いろいろな民族が渡来してきたり流れついたりで、日本列島総ふきだまりなんですね。

いちご麦 さん  女性セブン買って読んでみます。



PIKKI <http://mypage.odn.ne.jp/home/hide71> - 2004/01/11(日) 11:52<

やっと風邪から復帰でけた

いちご麦さん、鉄のサイトありがとうございました。日本人は鉄に関心ないのかな?
ヤゾーさんも、焼尻さんもとても尊敬しているので言いたくないのですが・・下記は賛成できない。
中曽根の後継者の小泉は戦後最低最悪の政治屋だと思うし、約1万年間もの間日本列島に閉じ込められた縄文時代は想像以上に同質的だったと思う。
琉球犬とアイヌ犬は遺伝子的に近いというし、血液のガンもインドや新大陸以外には沖縄・九州とアイヌ・東北太平洋岸に見られるだけです。詳しくは下記のリンクをー
「鉄道記念には汐留に行こう」
「カルタゴ皇帝ゴンの世界」

ヤゾー - 2004/01/11(日) 10:53<
みなさん こんにちわ

GAINAさん こうへいさん ありがとうございます。
お陰様で二日寝たら随分と良くなりました。
少し熱に魘されましたが大丈夫みたいです。

サクラさん はじめまして?でしょうか?
以前 同じ名前の人が投稿していたもので違ったらすみません。
また七草粥が食べたくなるような文章でした。

いちご麦さん いつも役立つ情報をありがとうございます。
風邪が良くなったら女性セブンを立ち読みに行きます。

おりょうさん 小泉さんって今までにはないタイプの政治家だと感じています。
なんていうか私利私欲をあまり感じさせないところでしょうか。
山伏の格好をしたらよく似合うかも知れません。

たまさん 揚げ足取りのような文章は傍目から見ても愉快なものではありません。
どうしても書きたかったら 紋次郎さんのところへお書き下さい。

焼尻紋次郎 - 2004/01/11(日) 07:43<

....「呼び名が一つ」に騙されるなかれ....

> 「最新の血液型遺伝子の研究ですとアイヌと琉球人は同一種族であること
> が判明されているそうですね。」
 おりょんはんがおっしゃってる主張ではないが、これには異義あり。

 オレ、琉球大付属病院に85日間入院して、そこの売店の横でシゲシゲと   セールスやった紋で、興味があった。
ウチナンチュ−の人相骨格がなんぼあるのかを観察したんです。そしたらそ   そのころは「もう間もなく死ぬ」と
の答は30とでた。独断もあるじゃろけんど……30です。          バッカス思っていました。
 30ということの裏には、それがそうなったまでの氏族単位での血の塊が
あるわけで……。
 そこから、オレは日本人の人相骨格は200あると踏んだ。         200……方法仮説ね。

 万象は「△△だと思えば△△、○○だと思えば○○。似いちゅうと思えば
似いちゅう」となる。だから科学の血液型遺伝子の研究となるのでしょうが    なんで18000年前までは繋がって
少なくとも「バイカル湖南と出雲人」での学者のヤリクチみていたら、科学    いた朝鮮半島とのことを考慮に入れな
の名前が哭くようなオソマツさです。                     のだろうか? ただ、考えきれないと
 最新の血液型遺伝子の研究とやらをやってる傍にジーッと5〜6年いて     いうことだけなんじゃないの?
つぶさに観察してみないことには、ちょと信じられません。

 この日本列島全部にエゾみたいな人種がいて、そこへ弥生人がシナや朝鮮    アイヌ語やってたとき、オレ、これを
からやってきて、エゾを南北に押し分けた……は、パターン・モデル・図式    真面目に考えていました。
思考が陥りやすい陥穽だと惟ふ。テキはうじゃうじゃとモザイクで、且つ、
うごいているのでアリマス。
 沖縄人・日本人・アイヌ……と、ことばの上では夫々ひとつづつですが、
その名前で示されている氏族数は30、200、10だと踏んだほうがいい。
だが、1万年前は、これがぐぐぐ〜っと少なくなる。


 タマさん、池田屋騒動のタマしゃんでしたか。オレすっかりわすれていたヨ。
 川崎真治先生のご逝去のこと、報せてくれて有り難うございます。知らなかった!
 これにはワケあり。掲示板では言えません。Eメールいただけませんか?
 いつごろ亡くなられたのでしょう。ついでに、ウル語、バビロニア語の辞書が出ているかどうかも、お教えアマカネ。
 また、セミチック・バビロニア語といわれている言語についてお教えください。オレ、キカイ・オンチなんです。

たま - 2004/01/10(土) 22:25<

アゼン

焼尻さんは「....♪ 小さいことは いいことだ ♪ ....」に書きました:
> たまさん、小生が川崎真治さん宅で見たシュメル語の辞典はB-4 版を閉じた
>ような大きな本でした。日本語も添えられ、5000語彙は掲載されていたはず。
> どこかに、シュメル語辞典は出ているはずですので、ぜひこの機にご自分の目で
>シュメル語ぜんぶを確かめられることを冀います。

事前に私の方も複数のシュメール語辞書で確かめるくらいの事はしています。
その結果「mi」という語に「女陰」という意味はどこにも見当たらず、また「女陰」を意味する語彙もちゃんと別にあることが分かった。そこで、私もシュメール語に興味を持っていますので焼尻さんの「典拠」を知りたいと思ったわけです。

焼尻さんからのお返事
初め「川崎真治氏から教わった」とお書きになったのが、実は「川崎真治氏のお宅のシュメール語の辞典に載っていた」、それでその「辞典」の名前や出版社も不明、その上川崎氏ご本人はもう亡くなっているので確かめる術が無い・・・・と。

こういう事ですね?
ご説明ありがとうございました。

こうへい - 2004/01/10(土) 22:00<

うーん

今、同期のおっさんと2人の新年会から帰ったところ。自転車で帰ってきたので、暑いです。
>おりょうさん、酔ってる場合ではないじゃないですか。
米酷の小型角平気開発のことは聞いてましたが、ボクたちの将来の夢はどうなるんでしょう。
大震災予言どころじゃないですね。

北海道では、旧石器の代表の石刃が、引き続いて石刃鏃が作られてることで、本土の縄文に当たる時代の弓矢発生が、北海道では、旧石器から、継続されてるように見えます。
本土の旧石器人と縄文の関係とは、違うように見えますね。
アイヌが北海道に来たとき、旧石器から連綿と続いた人々が、居たのでしょうか?

おりょうさん、酔った頭がますます混沌としてきています・・・醒めても変わらない?(^o^)

いちご麦 <http://www4.rocketbbs.com/343/kamuna.html> - 2004/01/10(土) 21:44<

女性セブン

「独占ほら穴インタビュー驚天43年生活のすべて 洞窟オジさん」の記事があることを上記HPアイン・ソフ掲示板Something Greatで知り、コンビニで今、女性セブンを買ってきました!

GAINA - 2004/01/10(土) 18:58<

所変われば・・・。

ヤゾーさん、みなさん、こんばんは。

サクラさん、いろいろと参考になりました。ありがとうございます。
ところで、海の七草といって志摩地方の一部の地域では、
海草を7種入れた粥が古くから食べられているとか。
所変われば・・・・・ですね。

サクラ  - 2004/01/10(土) 18:33<

七草 GAINA様

ふと、とおりかかり、GAINAさんの七草粥のはなしが目にとまりましたので、
つい、書き込みしてしまいました。
なにか、ご参考になりましたら幸いですが....

節句にはいろいろありますが、その第一の節句が正月七日の人日(じんじつ)の節句でした。
人日(じんじつ)というのは五節句の内で同じ数字が並ばない唯一の節句です。
人の為の日でしょうか....
前漢時代に記された占い書によると、この日に人の1年の吉凶を占ったといわれ、この日が晴天なら吉、雨天なら凶の兆しであるとされていたようです。(ちなみに、1月1日は鶏、2日に狗、3日に羊、4日に猪、5日に牛、6日に馬、8日に穀を同様に占ったようです。)
それで、この日に邪気を払うために七草の入った粥を食べ、1年の無事を祈ったのだといわれているそうです。そう、祈りだったのですね。
人々の安らかな一年と魔よけの意味があったということです。

紀元前150年頃、漢の王室行事として、年頭に当たり「皇室の無病息災」を祈願して七草粥を食べたとの説もあります。
その中国の節句が入って来たのが平安時代とか....
日本では延暦二三(八〇四)年に記された「天皇神宮歴史帳」にその記録が残っているようです。
平安時代(光明天皇第36代、884年)に宮中の正月行事として行ったとか、
延期年間に宇多天皇(第59代、889年)の寛平2年正月6日に御所に近い野原から7種を摘んだとか...
醍醐天皇(第60代、923年)は7種の若菜摘みを行ったとか、
やはり、先に宮中の行事として確立されたように思えます。

今でも、七草を作るときには板を7回叩いたり、「七なずな、唐土の鳥が日本の土地にわたらぬ先に、七草なずな」とか、「七草なずな、唐土の鳥が日本の土地に渡らぬ先に、せりこらたたきのたらたたき」とか、7回唱えたりして、作っている地方があるとか。この「七草囃子」地方により幾種類かあるそうですが、ちょっと、気になる歌ですよね。

その行事が徐々に民間に下りてきたのは鎌倉時代以降のようです。
雪の中では青菜を探すこと出来ないので雪が深い地方では野菜で七草粥を作るようになったのじゃないでしょうか?
でも、最初は七草ではなくて七種粥だったそうですよ。
つまり七種の穀物(米、麦、あわ、きび、ひえ、胡麻、小豆)で作られたといいます。
それが、若菜を摘むめでたさと集合して七草粥になったと....

「君がため春の野に出て若菜摘む わが衣手にゆきはふりつつ」という光孝天皇の歌が百人一首にも在りますが、雪が降る野原で若菜を探すのは生きるための一つの仕事だったのではないでしょうか?
そんな貴重な青菜の数々を入れた粥はご馳走の一つだったように思えます。

鎌倉時代に現在に伝わる七草(せり、なずな、ごぎょう、はこべら、仏の座、すずな、すずしろ)が使われるようになったとか....
でも、庶民に広まったのはやっと江戸時代になってからのようです。
白米もなかなか手に入らぬ時代には、七草粥はそれこそ滋養の食べ物だったのではないでしょうか?
また
七草には次のような意味合いが含まれているとか...
セリ      :競り勝つ 
ナズナ     :撫でて汚れを除く
ゴギョウ(御形):仏体    
ハコベ     :繁栄が蔓延る。
ホトケノザ   :仏の安座 
スズナ(カブ) :神を呼ぶ鈴
スズシロ(大根):汚れのない清白を表す。
もちろん、一つずつを見ていけば栄養価が高かったり、ジアスターゼが含まれるものが多くありますね。

お正月の食べすぎを癒すだけでなく、こんな意味合いが含まれる、七草粥。
皆さんは、どんな想いで召上られたことでしょうか....

おりょう - 2004/01/10(土) 17:13<

宇宙巡礼掲示板 縄文土器

こうへいさん
藤原肇の宇宙巡礼掲示板 6.「財界ニッポン」から引用しました。全部読んでみてね。
サンカの話題もあり興味深いです。

「財界ニッポン」の新記事を読了。広島や長崎に投下された原爆は、古代文献を下敷きに製造したと大本社長は言っているが、自分もその通りだと思う。また、今回のイラクにおいて米軍がイラクの古代文献を盗み出したと大本社長は言っているが、大本社長の推測は当たっていると思う。イラクのクジュトラブアの丘にある約2000年前の古代パルティア遺跡から陶製の「電池」が発見された事実をここで思い出すべきだ。次に藤原博士は小泉純一郎は勝共連合の流れをくむ統一協会の人間と言っているが、同時に小泉がサンカであるのはサンカ関連の2チャンでは周知の事実だ。しかし、藤原博士の「UPI通信社も統一協会の系列」という情報を目にし、あるUPIがと絶句した。最後に記事の結論の箇所で藤原博士と大本社長はハルマゲドンが絶対無いように希望すると言っているが、残念ながらハルマゲドンはほぼ間違いなく起こる。以下の記事を参考されたし。
http://www.gyouseinews.com/foreign_prospect/dec2003/004.html

縄文土器について
アイヌは日本人のことを倭人(シャモ)といっているが、仏典の「具舎論」には、インドと中国の間に
「シャモラ」「カラシャモラ」のニ州がらり、古代インドでは、東南アジアの山岳部を山人国(シャモ
ラコク)と呼んでいる。とすれば、縄文人はもともと中国南部にいた山人族であり、琉球の島づたいに
日本列島に渡って広がり、定着したものと考えられる。
この仮説が正しいとすれば、従来、日本列島の縄文土器は、西のものより東に出土するものの方が技術
的にみるとはるかにすぐれているので、つぎのように説明がつく。
縄文文化を持ったアイヌ人は、後着のよりすぐれた文化を持つ渡来民族に追われて次第に東日本に後退
していった。それは長期にわたるものであり、アイヌが北海道に追い詰められるまでの間には、土器作
りの技術は次第に精緻をきわめたものに発達した・・・といえないだろうか。
と近江雅和さんの本にありました。


*(O..O)*ngly さん
>詳細は『野史研究7号』に発表の予定です。
私も購入しますので1冊おくってくださいね。楽しみにしています。

紋次郎さん
>★ 矢切止夫さんの資料源は分らないでしょうか?
書いてありませんでした。
あと、三田村鳶魚の江戸考証には、子沢山だった徳川家斉の64人の子種の中で「福姫」は身長1mに
みたなかったそうですとありました。

一寸法師は針のことだといっておられるかたもいます。



*(O..O)*ngly - 2004/01/10(土) 11:44<

サンカ文書発見!!

お知らせ
 四国でサンカ文書発見しました。
サンカ地名のサンカ姓の旧家から出た古文書に「山家」が
あります。ヤマガでもサンガでもないようだと地元の学者は
いいます。文書の時期は江戸時代です。
ヤマに居住してサンガとよばれ山から里に下りてきて家を
持ち芸能、漁労、竹細工の仕事のため巡業してサンカとよ
ばれた元山の民です。サンカのほかにサンガの概念が必要
です。時間があれば皆さんも身近な市町村史の古文書
をひもといて下さい。新たな発見を自らしませんか。
 詳細は『野史研究7号』に発表の予定です。

焼尻紋次郎 - 2004/01/10(土) 07:40<

 ....♪ 小さいことは いいことだ ♪ ....

 おりょんはん、オンリョ〜! またまたビッツラ情報。
> 勝海舟で1m36cm、坂本竜馬で1m38cm
★ 矢切止夫さんの資料源は分らないでしょうか?
 ものごとは極端を考えるとワカリが早い。アリンコは小さいからこそ
蟻塚の中に数万の人口(?)を擁した農耕社会を作れる。
 
 アリンコとまで行かなくっても、スモゥトリ巨人でも矮小なひとでも
心臓の大きさは変わりないので、体躯が小さいほうが着物、住居、食糧
が少なくて済む。どんなに優れた哲学リロンよりも人口を減らすことは
人びとに恵沢をもたらすものですが、体躯を小さくするのもテですね。

 人と人とが殺し合いをやるようになったのは、弥生期に入って……、     ほんとうに、縄文期にはコロシ合いは
すなわち金属精錬文化の風が吹いてからだと、漠然と考えられてきた向き    なかったのでしょうか……?
がありますが、このへんで煮詰めてみる必要がありそうですね。

 たしかに、氏族どうしのケンカだと巨体のほうがぶん殴る力は有利
にだせる。ケルトの男は二人の敵兵を小脇にかかえて拉致してきたという。    ♪「大きいことはいいことだ」♪ ?
そんなのを見ていた女房たちは、やっぱ巨体のタネを欲しがっただろうなぁ。   品性△△なる者のホザキにしあらずや

 司馬遼太郎さんによると、ポルトガル人たちも小さかったそうです。
 代々小さくっても、巨体を作るのはあんがい簡単です。成長期の8歳ぐらい   ← これ、実際にやったひとがいます。
から毎日牛乳を5合も飲ませたらいい。

 縄文期には、まちがいなく童神崇拝があったので、体躯の矮小な地帯には、
あんがい金属精錬文化が濃密だったともいえるのではないでしょうか?
 古代語には「ひぢ(矮人)」があります。

 たまさん、小生が川崎真治さん宅で見たシュメル語の辞典はB-4 版を閉じた   アイヌ語 mi には「熱中する」という
ような大きな本でした。日本語も添えられ、5000語彙は掲載されていたはず。  意味もあります。ガハハッハ!!
 どこかに、シュメル語辞典は出ているはずですので、ぜひこの機にご自分の目で
シュメル語ぜんぶを確かめられることを冀います。

たま - 2004/01/10(土) 03:21<

川崎真治氏のmi説

焼尻さんは「....♪ 斯くこそありしか 往時のサンカ・ユサバリ ♪ ....」に
書きました:
>シュメル語 mi のことは川崎真治さんから教わりました。ウソじゃない筈です。

ご説明有難うございます。
言語学者の川崎真治氏が焼尻さんに直接『シュメール語で「女陰」が「mi」である』
(川崎氏の全著作においてそのような記述はなされなかったが)と明言された。
このような理解でよろしいでしょうか?

△うぶ - 2004/01/10(土) 02:04<
*(O..O)*ngly さん
>宮島は高句麗(高麗)のお姫様をまつった社ありと、、、、、、、
広島市内で有名な食品のチェーン店の名前に残存していますね、
もう一方の同種有名店が有りますが、こちらは騎馬系を想像させます、いずれも米ではなくて
小麦系で、、、、、ヤッパリです。

メール機能はもう回復しているのですか?

こうへい - 2004/01/10(土) 01:11<

ヤゾーさん

ボクが、ぎっくり腰やってたとき、風邪引かれてましたか。
知らずに、失礼致しました。身体大事にして下さい。
貧乏人は、身体しかありません(^o^)

>おりょうさん、南山宏さんの本、昔随分読みました。本だけですましておいて、テレビで、UFO信奉者の代表では出て欲しくありませんね。デニケンは、一時夢中になりました。
昔の人、小さかったんですね。まあ、ボクも息子を見上げてますから・・
アイヌは、大きかったのでしょうか。
たしかに、アイヌと沖縄、奄美の人は、顔が濃い(ヒゲが濃い?)ですね。
縄文の文様と、アイヌの文様が似ていますよね。そこのところが、何ともよくわかりません。

*(O..O)*ngly - 2004/01/09(金) 23:49<

実・ベッチョ・陰内

たまさん 紋二郎さん
>シュメール語で「女陰」が「mi」である。
「み」の語源はそうですか。助実(すけざね)という地名があります。
野史呼び名辞典を使い解釈すると、助=女、実=さね=
女陰ですから、もうお分かりですね。女陰を表わす地名は、東北から
強制移住された俘囚の囲地、すなわち別所です。ここの祠には十一面観音
薬師観音がまつられており、数Km近くに金毘羅さんをまつる松賀神社が
あります。なお奉賀帳にはサンカ姓が多く見られます。また数Km内には
安芸国分寺とそれを守護する岩清水八幡神社があります。松賀はマツガと
地元では言ってるようですがショウガとも読めます。
 実=さね、ですが実=mi でもありますね。

たまさん
 ベッチョありがとうございます。ベッチョが別所の語源と八切
止夫はいっています。この感覚で行くと、印内・院内地名も陰内
が本来かもしれません。
 「印」=中国語では上から下を抑え付ける(藤堂『大漢和辞典』
)ですから、歴史は支配と被支配を核心に含みますから、私は支配
者が抑圧するの意味から由来するとみて、印内が本来の使用とみて
います。
 傑作なのは幕の内です。弁当でなく地名です。幕とは腰巻(現在
のパンティー)で、その内ですから…・・。この地名も地形からみる
と不動様を祭るような地形ですから、別所と言えます。

GAINA - 2004/01/09(金) 20:08<

風習危惧種

ヤゾーさん、
風邪が流行っているらしいです。気をつけてください。
いつも空気のいい熊野に居るので、ウィルスに弱くなっているのかも知れません。
排気ガスの濃いところの私なんぞ、鼻毛が伸びてウィルスをカットしています。

おりょうさん、だんだん思い出してきました。
田舎では、「唐戸の鳥が日本の国に渡らぬ内にナンナン草」 と続いていました。
鳥追いとも共通性があるのでしょうね。

先日、言葉の危惧種なんていう新聞記事を見ましたが、
風習の危惧種も増えていくのでしょうね。

ヤゾー - 2004/01/09(金) 17:55<

遠流志別石(おるしわけいし) 神社

みなさん こんばんわ

東沢さん ウイットとユーモアに富んだ写真の活用法ですね。
きっとサルくんも「どうも すみません」と感激して喜んでいることだと思います。
また 東北の美しい風物や風景を写真で見せて下さい。

GAINAさん 僕もほんの小さな頃 母か祖母に連れられて七草を採りに行ったことがありました。
トントンなんたらかんたら?という唄を歌って七草を刻んでいたような気がします。
そういう親から子へと 自然を教わり親しむというような風習が年々途絶えてゆくのが寂しいですね。

二年程前に 東沢さんがサンカと関係があるかも知れないということで
上高森遺跡のある築館町の遠流志別石(おるしわけいし) 神社をビデオで撮影して送って下さいました。
田中勝也氏の「サンカ研究」には オルシ人は「上記」によると一名でエミジと名付けられ 
北方種族エビスと同じであるとあります。(十日エビスでは箕が付き物ですから サンカとどこかで繋がっているのかも知れません。)
オルシ人とはオロチ オルチ オロッコに通じる呼び名で オロッコ族 オロチョン族 オルチャ族などの
一派の祖先神を祭る神社が遠流志別石(おるしわけいし) 神社で 
オルシワケとは本拠地から別れて本州の地に移住したオルシ人の一種族という意味ではないかとあります。
三重県紀和町にも尾呂志神社というのがありますが
もしかしたらオルシが訛って尾呂志になったのかも知れません。

新年早々 風邪ひいて寝込んでしまいました。
山の中に居ても インフルエンザには罹らなくても風邪はひくみたいです。
もしかしたらインフルエンザかな?

おりょう - 2004/01/09(金) 17:54<

明治時代の日本人の平均身長 七草粥唄

焼尻紋次郎 さん
最新の血液型遺伝子の研究ですとアイヌと琉球人は同一種族であることが判明されているそうですね。

おりかべ さん、こうへいさんお答えいただいてありがとうございます。
北海道新聞読ませていただきました。痛ましい歴史のあることを始めて知りました。
2枚舌をつかって弱者を愚弄するこの国の暴力にはやりきれない思いがします。

デニケンの世界各地の解明できない不思議な話は、なんでも宇宙人飛来になってしまうと論破されて
しりつぼみに終わってしまいましたね。日本版では、たま編集長vs大月義彦vs野坂昭如でしょうか。

八切さんの本、開いていましたら、明治時代の日本男性の平均身長は1m40cmで、詩吟にも「5尺の男子
意気高し」とうたっていたらしい。勝海舟で1m36cm、坂本竜馬で1m38cmだったそうです。身長か
らみるとコロボックルが日本人の祖先なのでしょうか?なんて単細胞といわれそう(-_-;)

GAINA - さん
伊那谷の「やま国のわらべうた」に七草粥がのっていました。全国にあるんでしょうか?
  七草なずな
  唐土の鳥と
  日本の鳥と
  渡らぬさきに
  合わせて バタバタ
呪術的な意味があり鳥に終始するのは、以前は「鳥追い唄」であったからだそうです。
唐土の鳥は、海の向こうから渡ってくる異国の悪い鳥、これと日本の害鳥がやってこな
いさきに、やっつけておこうと母さんと子供がマナイタの上で青菜をトントンたたきな
がらうたうんだそうな。
 唐土の鳥か 日本の鳥か あわぼうくうな こめぼうくうな たかぼうくうな ホウ ホウ ホウ
鳥追いの唄
 太郎どのの鳥追いか 次郎どのの鳥追いか おれも ちっと 追ってやる ホーイ ホーイ
 太郎と次郎の鳥追いだ 日本の鳥と 唐土の鳥と 合わせて バタバタ
 七草なずなを つみにきて 小刀とられて 泣いてきた ショーイ ショーイ ショーイ
 あわの鳥も ホーホ こめの鳥も ホーホ ホーホ ホーホ ホーホ
 モグラモチ おるすか 槌もって おみまいもーす
モグラも害虫同様、農家の苦痛のたねで、うたいながら、田畑のあぜを槌でたたいてまわるそうです。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2004/01/09(金) 13:27<

....♪ 斯くこそありしか 往時のサンカ・ユサバリ ♪ ....

おりょんはん、うっス めぇどオゲレツ書いてすまねェー。
> なんだかロマンチック
★ そうなんです。アイヌ及び周辺民族には発達した集団形成にまつわる意識が
 発達しなかったし書残す文字もなかったモンで、記録するほうもついついロマン
 一辺倒になったと思いますぜ。ロマンじみたこと書いておけばええんですじゃ。
 トルコ民族……(と言っても、その一部だと思いますが)は極東にいました。
 トルコ語 *buz(凍結)は「師走」の was .,.bas だとオレ惟ふ。→ ur bas      http://www.you-i.org/treebbs/1/
                                        index.html に、あの日すぐ書きました
 たまさん,[アイヌ語として登録されている陰部の名]は、釧路図書館に寄贈さ
れている山本多助エカシのノートに全部収録されています。
 こっちのほうのそれは、安田徳太郎の『性の風俗』に全網羅かと。ただしガサ
(分量)かせぎのためか、散文調で書かれていますので、読み取りがホネかも。
 シュメル語 mi のことは川崎真治さんから教わりました。ウソじゃない筈です。

 どんぐりしゃん、霧島のお教え……まっこと有り難うございます。
 こうへいさん、キックラヘンキ(秋田〜津軽方言;ギックリ腰)治りました?
 kir-i はアイヌ語に入って「髄」になっています。髄のクラ(坐)のヘンキ
(<センキ;気ウツ → 病気)かと……。
 美幌アイヌだけに「kiri = 山」が残ってるんです。釧路ひがしの霧多布もこ     キリマンジャロのキリと同根か。
れかと思えますが、決め手がないっす。
 四国の土佐だったと記憶しています。ゴジラの背中みたいにゴツゴツした山が
遠望される峠の名前にも「キリ」がついていました。

 東沢さん、おれ「カラス百態」を描いて喜んだことがあります。
 画像をアップするワザがねぇハンデ、乞う、援助交際。

 岩手日報の書き屋さんで、大正十三年うまれをペンネームにしていた大友さん
が言っていました。「ここの裏のほうでは、子供はついさいきんまで素っ裸でし
たヨ」と。裏のほう……いわゆる日本のチベット地帯のことでしょう。         haya 坂峠を東に越えた一帯 → 岩泉
 アイヌの65%以上ぐらいの人びとは、沖縄・レイテ島にいるあの人相です。
 35年ほど前『イルックとアジャック』というエスキモー人の映画をみました。
 室内には氷が張っているのに、イルックは裸まるだしで寝て、汗ボロボロでした。
 斯くこそありしか往時のサンカ・ユサバリ。

たま - 2004/01/09(金) 04:44<

シュメール語「mi」の出典を教えて下さい

*(O..O)*ngly さん(こんにちは)は「ウガヤフキアエズ」に書きました:
>北方諸族の各陰名をご存知の方は教えて下さい。もっとも手軽な・
>興味深い人種判別法だと思います。

全く珍しくもない情報ですが、山形市郊外では「ベッチョ」と言います。
その土地で生まれ育った人はこのような言葉を「耳で覚えて」いても、普通
の国語辞書には載っていないので、やはり聞き取り調査は重要ですね。

ところで、焼尻さんは「....ことしの 岩戸,びらき ああ芽出たい めでたい....」
に書きました。
> シュメール語の mi(女陰)がアイヌ語にあることは、

シュメール語で「女陰」が「mi」である、とは学術研究上大変貴重な資料です。
この情報が掲載されているソース(辞書または文献)は何でしょうか?
これ重要なことなのです、是非教えてください、お願いします。

*(O..O)*ngly - 2004/01/09(金) 02:24<

ウガヤフキアエズ

紋二郎さん
>いつも個々の学者が部分的に拾いあげ、つまみあげているばあでした。
>それを漁ってまわるのが古代への“知識”だった。 
それで思い出したのが「ウガヤフキアエズによう似た音」。鳥の鵜の羽で
葺いた小屋?でうまれた人だからウガヤフキアエズと戦前高名な学者が説
名しています。今ならそんな馬鹿げた議論をとなりますが、一流大学の
著名教授が言うともっともらしくなります。谷クグも谷でぐーぐー鳴くから
蛙と尤らしく「議論」しています。最近でも皇后岩があるとそれを神々と
当て字としたのはよいのですが、尊い人がいたという歴史学者がいるとか。
>宮島の弥山(みせん)
 宮島の最高峰ですが、元は霧島山といったとある古代史の本にあります。
弥山は仏教勢力が占拠して変えたのでしょう。霧島山は鹿児島から東北まで
あるそうで、それと古墳を根拠にある人種の民族移動を説明しています。
二次大戦中のガリ刷りの本ですが、思いきった異説です。霧島山は鹿児島に
あり宮島は高句麗(高麗)のお姫様をまつった社ありと江戸時代に外国の
学者が説明しています。今でも宮島に女性と行くと宮島さん(女)が嫉妬
して2人は必ず結ばれないといいます。私も何人女性を連れて行いた事か。
皆さん
 アイヌは北方民族の多くの人種と混合しているのではないでしょうか?
かつて陰名(女性の性器名称)を集めたときにアイヌ系には確か6〜7個の
呼び名があったと記憶してます(ノートが今行方不明です)。「チ」もその
一つで「恥部」の語源でしょうか?北方諸族の各陰名をご存知の方は教えて
下さい。もっとも手軽な・興味深い人種判別法だと思います。また残っている
はずです。文学用語を除く日本列島の陰名を確か150位集めていました。
 これからみると日本には100以上の人種が住み着いていたと考えます。



             

こうへい - 2004/01/09(金) 01:22<

オロッコ族 もう一つ

■セワポロロ■
 ニポポをもっと原始的な形にした人形がセワポロロです。北方民族の「オロッコ族」の人達が「幸をもたらす人形」として信仰していたおのを、郷土玩具として製作したものです。
 オロッコ族の人達は、終戦後サハリンから網走に引き上げてきましたが、この人達により、戦後「オロチョンの火祭り」が行われようになりました。この祭りに登場するのがセワポロロです。このセワとは全知全能の偉大な神で、願い事はなんでもかなえてくれると信じられてきました。
 オロチョンの火祭りは、網走市の7月の観光行事となっていますが、今ではオロッコ本来の宗教儀式とは異質のものになっています。
って言うのもありましたよー(^o^)

こうへい - 2004/01/09(金) 01:12<

ああー小雪

きょうは、とても寒く、1時間立っていましたが、風がさぶー、パッチが欲しいー。
帰り、0時に鉄の門を閉めてると、雪が・・ははは、初雪やー、10秒程降ってくれました。
きょうの、ごほうびでしょうか? 車で「ああーあ小雪・・」って歌ってしまいました。
小雪って、山番の娘やったかいねえ。絶唱って歌やったか・・わが青春の歌ですねー。
みな、知らんやろねー。

>おりょうさん  デニケン読んでたんですか?ボクもです。写真のデニケンの顔怪しげってトモダチの反応でした。
あのころ、この手の本、大陸書房やったか、タマ出版やったか、いっぱい出てましたねー。

オロンコ岩に登って、オロッコ族の遺跡を掘ってやろうと思って、登ったら、頂上に着いたら、大雨と雷で、雨宿り場所もなく、慌てて下りてしまいました。残念でしたー。

GAINA - 2004/01/09(金) 00:46<

七草でした。

ヤゾーさん、みなさん。こんばんは。

ナンナン ナナクサ。 
トウドノトリガ アッチヘ イッテ バタバタ。
コッチヘ キテ バタバタ。    ●トウド=唐土

田舎にいる頃、6日の夜に親父が神様にお参りをして、
神棚の前にまな板を置き、台所まわりの物、包丁・火箸・ジュウノ(火炭を取るもの)などで
ナンナン ナナクサ・・・の唱え言葉とともに七草を切り刻みます。
それを7日朝にお粥に入れて食していました。

いまになって、親父に唱え言葉をすべて聞いておけばと悔やまれます。
まだ、どこかに こんな風習が残っているのでしょうね。

おりかべ - 2004/01/09(金) 00:42<

近世における北本州

臥遊人さん、こんばんは。レスをありがとうございます。

まずは、1月6日の拙稿の補足です。
>マタギの山言葉にて、雪を「ワシ」、雪が多い様を「ワシホロ」というそうで、
>これは知里氏や金田一京介氏も指摘しているようです。

これは、アイヌ語でいう「ウパシ・ポロ」のことらしい、もしくは関連する、を
間に入れてください。

それから、参考文献は

萱野 茂『萱野茂のアイヌ語辞典』三省堂 
知里真志保『知里真志保著作集 第4巻』 平凡社
菅江真澄『菅江真澄遊覧記』平凡社ライブラリー 

ところで、
>シャクシャインの乱(1669)には、象潟の漁師18人が犠牲になったという記録も残っている
>ので、古くから蝦夷地との交流はあり、松前帰りの人々がアイヌの風俗を持ち帰っていたとの見方
>もあるようです。

シャクシャインの戦いは当時、幕府をゆるがしたようです。近世、少なからず東北から政治的・経済
的事由で東北諸藩関係者や出稼ぎ衆などが多く入り込んでいます(アイヌに対する搾取・暴力も相当)。
由利・本荘のある方とお話する機会がありましたが、お墓がある、というお話をききました。ちなみに
その方は、「アトゥシが家宝として家にある。」ともおっしゃっていました。

幕府と松前藩が「蝦夷地」・アイヌとの交易を独占一本化する前は北海道のアイヌは自由に頻繁に
北部本州に行き来していた可能性があると私は考えています。

また、盛岡(南部)藩、弘前(津軽)藩は自領内にもアイヌの伝統居住地があり、弘前藩は、シャクシャ
インの戦いの時に、津軽アイヌの通詞を引き連れて「蝦夷地」に密偵に訪れています。
また、盛岡藩においても、17世紀、下北のアイヌが、盛岡に御目見得に訪れ、藩主に熊皮を献上し、
蔵米やエムシ(いわゆる蝦夷太刀)を受け取ったという記録が藩の文書にあります。

東沢美史 <http://www.kumanolife.com/Topics/1._4.html> - 2004/01/09(金) 00:11<

「猿の百態」の顔真似

熊野ライフ通信の「猿の百態」を見ながらPCモニターの脇へ鏡を置き彼等の表情の顔真似をしてました。「愛嬌ザル」、「孤高ザル」、「悶絶ザル」、「嫉妬ザル」と次々にトライしましたが最後の「どうもすいませんザル」はなかなか難しかったです。

しかし1度では出来なかったけど2度、3度と表情を微調整してるうちになんとか出来ました。自己満足かもしれませんが。同時に手足の様子、位置も真似しました。「嫉妬」ザルなんかもう、かたいかたい「握り拳」で笑うよ。皆さんも是非トライしてみてください。恥かしいからって悶絶ザルを飛ばしたりしないでくださいね。やれば、かならずハマリますから。

猿の表情というものが豊かでかつ深遠であるということには今回はじめて気付かされました。
なかでも「どうもすいませんザル」にはまけました。「癒し系」というか「永遠のナゴミ系」でしょう。
それにしても今回もナイスショットの連続でしたね、ヤゾーさん。

いちご麦 - 2004/01/08(木) 18:49<

おもちちゃんへ

下記の「七草」というサイトが一番印象に残りました。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~freema/nanakusa.htm

ヤゾー - 2004/01/08(木) 18:28<

さる仙人の話

みなさん こんばんわ

まつおかさん 興味深いイベントのご紹介 ありがとうございます。
久高島の「イザイホー」など 近くだったら参加してみたいです。
以前にも こみさんという方が 縄文のことだま・おとだま『縄文スピリット2002』
というイベントを紹介して下さっていました。
ご成功 お祈りしております。

あおきさん 前に蜜柑さんが紹介していた人がテレビに出ていたんですね。
なんと意地らしい犬なんでしょう。その犬の話しをするところを見たかったです。
むかし読んだ本の中に 明治時代ころの話しだと思うのですが
不幸つづきの人が自殺しようと山の中へ入り 死に場所を探し廻っているうちに
空腹に耐えかねて木の芽や草の根を喰い 
そのうちにカタツムリやナメクジまで食べるようになって気持ちが変わってしまい
死んだと思って生きていればなんとか生きていられるので そのまま冬を迎えたそうです。
凍え死にするならそれでもいいと思っていたら サルが何十匹もやってきて
その人を包んで温めてくれ なんとか冬を越したそうです。
その後 その人はサル仙人と呼ばれるようになったかどうだかは知りませんが 岐阜山中での話しだそうです。

おもちちゃん - 2004/01/08(木) 18:06<

小豆粥について

あずきがゆ&七草がゆについて何か知っている人教えてください!!!

おりかべ - 2004/01/08(木) 17:36<

樺太アイヌ、ウィルタ

みなさん、こんばんは。

樺太アイヌのことが出たので。投稿します。
樺太アイヌも、日本とロシアの領土獲得によって、翻弄されるのですが、
1875年(明治8年)、樺太千島交換条約で、地元の先住民族の意向はそっちのけで、
樺太(サハリン)はロシア領、千島(クリル)は日本領となり、翌年、樺太アイヌは
石狩川下流域の対雁(ついしかり)というところに強制的に移住されます。
以下、読売新聞の記事ですが、対雁の樺太アイヌのことと、地元のアイヌの方の
供養と樺太アイヌの方々への思いが書かれています。

http://hokkaido.yomiuri.co.jp/tanken/tanken_t021130.htm

樺太南半分が、日本領となって後、樺太へ帰りますが、太平洋戦争終了後、
樺太アイヌの方々は、また北海道への移住を余儀なくされ、今北海道に
何人かは存じませんが、樺太アイヌの方がいらっしゃるとのことです。

また、同じような境遇で、ウィルタの方も若干北海道にいらっしゃるとのこと。
「オロッコ」はオロチ族と同様、ツングース系の先住民族ですが、おそらく
トナカイ牧畜を主たる生業としているところから来ている呼び名と聞きます。

日本が南樺太を領有していたとき、日本はニブフなどの先住民とともに、静香
(ポロナイスク)近郊の「オタスの杜」に押しこめ、見世物扱いをし、ロシアへ
スパイとして送りました。送られたウィルタの方はロシア兵に捕らえられ、
他の日本人とともに、シベリアに抑留されました。

「オロッコ」呼称はこのような歴史と日本人から差別的に呼ばれた経緯があって、
当の方々は、あまり好まれないと聞きます(自称は「ウィルタ」)。

http://homepage2.nifty.com/jakka_duxuni/

おりょうさん
>アイヌのコロボックルカムイはフキの下の小さな神様

萱野茂さんは、【Kor-pok-kur】「フキの葉の下にいる人」の意味で、
フキの葉の下に暮らしていて時にアイヌを助けてくれるともいうと
述べていらっしゃいます。

カムイはつかないようですが、クル‐Kur(人)は尊称としての意味合い
も含んでいるようで、古くは「魔、神」の意味だったらしいと知里真志保
さんが述べています。

私のお世話になっているアイヌの方で、アイヌ名が生まれ故郷の英雄の名前
由来なのですが、「その英雄の名前のように‐kurをつけるとしたら、とても
畏れ多い。」というようなことをおっしゃっていました。

コロポックルは小人とよく言われるようですが、秋田の山奥や北海道の網走
辺りの海岸に近いところなんかで、化け物みたいにおおきなフキが生えてい
ます。傘代わりにできるのではないかというくらい大きな。
身の丈は意外と大きかったかも?

おりょう - 2004/01/08(木) 15:45<

アイヌ、コロボックル、オロッコ族

△うぶ さん こへいさん
昔、デニケンの本を夢中になって読んでいたことがあるんですが、アイヌ人の神話で、「カムイ(神)、
アイヌラックル(文化神}、また、その他、牛や熊や狐などの動物が、天と地を自在に飛来し・・・」と
あり、また、樺太のアイヌの説話では「・・・そこで我々は一旦我が家に帰り、家の中に掛け込んで、し
との串を取って懐に入れて揺籃(シンタ)を取り降ろして、それにうち乗って、大空さして高く舞い上がった。」また、「鷲に育てられた少年」では、「天上から神々の舞い降りる仕度をする声が聞え、やがて神々が天降ってきた」などとあり、また、オキクルミのシンタといい、アイヌ人は第5惑星人であろうかと不思議なおももちです。
蝦夷の流れをくむといわれている安部貞任は、身の長け六尺あまり、色白で美丈夫であったとか。
この安部はアベ=アビでアイヌ語では火をあらわしアイヌ族の氏族であったのではないかと・・・・。
>骨格が欧州系で、この極東アジアでは、人種的に浮いた存在らしいです、
ということにあてはまるのでしょうか。
コロボックル
小人伝説での「小さ子」の主人公達の源流はスクナヒコでしょうか?
一寸法師、踵からうまれた「あくと太郎」、指からうまれた「指太郎」、すねからうまれた「すねこたん
ぽこ」、アイヌのコロボックルカムイはフキの下の小さな神様、沖縄はキジムナー、奄美のケンムンはガ
ジュマルの木に住むいたずら者だそうな。
>コロポックルの時代が知りたいですね。
こうへいさん私も知りたくなってきました。
「オロッコ族」の話もすっごく面白い。いっぱい書いてください。(^o^)
いろいろ興味わいてきました。

こうへい - 2004/01/08(木) 13:06<

オロンコ岩 もうちょっと

この島には、オロッコ族が住んでいました。
アイヌの舟がこの島の付近を通ると、オロッコ族は島の上から
石や丸太を投げつけ、船を壊し物を奪う悪い種族でした。
これにアイヌは激怒し、何度も攻めましたが、この島は断崖絶壁の島で、その上から
岩を投げ落してくるので、攻め込む術が無くいつもアイヌは敗退していました。

ある日、アイヌの酋長が人を集め、夜、こっそり海岸に打ち寄せている海草を
集めました。その海草でクジラの人形を作り、その人形に川から獲ってきた
魚をくくり付け海に浮かべました。夜が明け、鳥たちがクジラの人形に付いている
魚を食ペに集り、大騒さをしながら飛びかいました。

その光景を島の上から見ていたオロッコ族は、まんまと騙され
「それ、寄り鯨だ!!弱っているぞ!!」とロ々に喚声をあげ、島を降り船場へと
走って行きました。そのときです。岩かげに身をふせれていたアイヌ達は、
今がチャンスとオロッコ族を取り囲みあっと言う間に全威させてしまいました。

 ここで登場する「オロッコ族」とは、樺太の北部に住んでいる「ウイルタ族」の
ことです。オホーツク海沿岸には、樺太アイヌやウイルタ族などとの貿易も
盛んでした。和人と違い、どちらかと言うと仲がいいと思っていたのですが、

っと、ある人が書いています。

こうへい - 2004/01/08(木) 11:13<

オロンコ岩でした 

その昔、このあたりに住んでいた先住民族「オロッコ族」から、この名がつきましたといわれています。
ウトロ港近くにある、高さが60mもある巨岩です。
170段あまりの急な石段を上っていくと頂上は平らで、岩礁が透けて見えるほど青く澄んだオホーツク海やウトロの町並み、知床連山などが広く見わたせます。

・・・と、観光案内に載ってました。

こうへい - 2004/01/08(木) 11:01<

コロポックル

アイヌが北海道?にやってきたとき、先住民コロポックルが居たんですね。
話が、具体的になってきて、うれしいです。
知床の観光船の出る手前に、山っていうか、台地っていうか、オロロン岩だったかなあ・・がありました。
別の種族が住んでいた遺跡がありましたが、おもしろそうでした。
北海道も人が様々だったんですね。
コロポックルの時代が知りたいですね。

焼尻紋次郎 - 2004/01/08(木) 08:08<

....ことしの 岩戸,びらき ああ芽出たい めでたい....

 どんぐりしゃん、なかなかどうして、古代史にお詳しい。
 あの岩は、厳島神社がある宮島の山(祢山の発音はミセン)
のテッペンにある……ことを、廣島の友人が教えてくれました。
 あの岩の底にある炭の粒で年代を計測する必要がありますね。
 去年はマンジュー(女陰)が、解らなくなっていた日本古代史を        オレ、品性ゲレツなれど、ドエッチに
ブチ破ってくれましたが、ことしは「ミ(女陰)」が天のイワ扉びらき。     にし非ず……ですバイ。

 シュメール語の mi(女陰)がアイヌ語にあることは、ちょっとした
不思議だったんですよ。でも、もう岩戸は開かれたような紋でしょう。      台湾プユマ語 pirat ね。

 また、ことばをテネグりまわして恐縮ですが、イワ、ユワという語彙      hay.,.haya がめだちます。
は周辺には類例がないんです(アイヌ語のイワは日本→アイヌ)。
 やっぱ √イ○○V の 「イ・war(芽出→産出)」を置きたいです。      樺太アイヌこそオタシュツ……別名
                                      タジク人。高貴のカタマリです。
 従来はユーラシア規模でことばをみることをしなかった。いつも個々
の学者が部分的に拾いあげ、つまみあげているばあでした。それを漁っ      ウガヤフキアエズによう似た音
てまわるのが古代への“知識”だった。                    がエチオピア・スワヒリ語にあります。
                                      
 でも「ことばだけじゃ、なんとでも言いくるめられる」との既得深大概念
も、ここ掲示板のうえではダイジに扱わねばならんと、思っています。
 やっぱ80%以上の人びとは言語手段に疑問をお持ちのことと思います。

△うぶ - 2004/01/08(木) 01:35<

蝦夷地で攻防たくさん

おりょうさん
>アイヌ種族もまた何千年前かに渡来してきた人達なんでしょうか、、、、、、、、
(前出ですが)、骨格が欧州系で、この極東アジアでは、人種的に浮いた存在らしいです、
つまり系統付け出来るアジア人が無いらしい、又、対象的にコロボックルの方はアジア系らしいです。
コロボックルがアイヌに苛められた民話を2〜3、私も読みましたが、悲惨より微笑ましさを感じました、
淘汰では無く、膨張圧力に押されて、気が付いたら辺境民になってしまっていた、、、、、とのこと。

おりょう - 2004/01/07(水) 20:38<

こんばんわ

今年もよろしく御願いいたします。

>雪はアイヌ語で【ウパシ】、“共に競って来るもの”っであると
雪が競って降りてくる情景が浮かんできますね。
なんだかロマンチック。

アイヌの神話によれば、太陽の子オキクルミはシンタという空を飛ぶ船で飛来し、アイヌ人に生活の
方法を教えたそうです。北海道にフゴッペ洞窟があり、その洞窟には、動物、魚、船などが描かれて
いるとか。アイヌ種族もまた何千年前かに渡来してきた人達なんでしょうか。

マタギの本開いてみてたら
ホーテがカンゴール (雪が降る)というのが目にはいりました。
秋田弁、津軽弁 熊野ではどういうんだろうか?
大阪弁では、いややなー雪ふってきたやん、ううーさぶー





あおき - 2004/01/07(水) 19:31<

40年間

 北関東近辺の山奥で暮らしてたという人が昨日テレビに出てました
12歳のとき 家でいじめられるのが嫌で足尾銅山の洞穴で2年暮らし その後新潟 山梨 栃木 
最後に茨城の自動販売機を荒らしてる時捕まったそうです
 家出して2日後に飼っていた犬が自分を探し当て ウサギをとってきてくれたり 怪我した所を舐めて
直してくれたりしたそうです でもその犬は2年で死に そのあと徒歩で放浪したそうです
野ねずみやへびなど焼いて食べて とても美味しいと言ってました
 家にいるより山奥の洞窟で寝るほうがぐっすり寝れたそうです
犬の話を泣きながら話す姿に泣いてしまいました 犬が親代わりになってくれたと言ってました
カラーテレビも 携帯電話も オリンピックも 高度経済成長も バブルも知らなかったそうです
人間どんな状況でも生きていけるんですね 松島はじめさんが河原に最近まで住んでいた話も
納得できる気がします
 なんか映画にして欲しい話でした

まつおか <http://www.office-ten.net> - 2004/01/07(水) 18:56<

はじめまして

みなさん
はじめまして
オフィスTENの松岡といいます。
「ニライカナイ」「大重潤一郎監督」のキーワードで
ここのHPを知りました。
サンカやアイヌ という言葉に興味が惹かれるので
この掲示板を大変興味深く見させていただきました。

1月30日に東京にて「ちゅら島・沖縄からみる、日本人の原点」
というテーマで、沖縄文化からみる日本人の本質や方向性、
そして世界における日本の役割に至るまでじっくり探る
映像・唄・トークありの120分を企画しております。

映像は現在沖縄・久高島にて「イザイホー」を追っている
大重潤一郎監督の最新3部作を
ダイジェストで特別に上映いたします。

また、唄は沖縄バンド「寿」のボーカル・ナビィに三線片手に
しっとりと歌っていただきます。

詳しくはオフィスTENのホームページから
「ミルミレにっぽん!」というメニューをクリックすると
ご覧いただけます。

オフィスTENでは「天と大地と人とを結ぶプランニングオフィス」
として、縄文・自然の叡智といったことをキーワードに
スピリットとエンターテインメントを融合した企画を
提供し続けております。

詳しくはHPにのっておりますが、
ご興味のある方に参加いただければ、こころよりうれしく思います。

オフィスTENホームページ
http://www.office-ten.net

「ミルミレにっぽん!」のページに直接いけます
http://home.att.ne.jp/alpha/ten/mirumire/framepage-mirumire-okinawa-top.htm

*(O..O)*ngly - 2004/01/07(水) 17:15<

古代エミシは貴い族

紋次郎さん
『野史呼び名辞典』からの引用ありがとうございます。まだまだ、もっともっと
お役に立ちますよ。
>「エミシ」というのは「ン」という字がないことで、むかし、これらの人びと
は品性高貴で発音での「エンシ」だったのか。
エミシは古代貴人をさし、渡来系の「大和族」「みこと族」から蝦夷と当て字され
エゾと読ますことでイメージダウンされたと八切止夫や朝鮮の学者は主張していま
す。イランなどのゲリラ戦が片方はテロと非難するように歴史は繰り返します。
頭文字「み」も貴→賎への”転落の”歴史があるとも。
               
 >ショケンシのなかには「エンシ」がある。エンシとは樺太アイヌでは?
樺太アイヌとはアイヌ族ではなく、日本人の祖先の一つとされたコロボックル人
(穴居する人の意味)で、俘囚(エミシ)の中心の1つを占めていると菊地山哉
『エゾと天の朝』。北方のコロボックル族はアイヌ族に追い立てられたとも。
天の朝とは神武以前にあった日本の王朝で、天がつく天皇だったそうです。
ただし神武は実在せず、架空の存在とする説もあります。神武直前の王朝はカヤ
族の王朝(ウガヤフキアエズ、中国風には辰韓か)で、これが菊地がいう天の朝
では?また『日本書紀』『古事記』が契丹族とカヤ族を隠蔽してるのは確実です。

ウガヤフキアエズは彦ホホデミとともにサンカの伝承に出てくる尊(命)で神社
に祭られていますが、これが本当ならサンカ近代発生説や近世発生説にはさよな
らです。宇賀神や宇賀という地名はウガヤに関係(中山太郎『民俗学辞典』し、
カヤ族は白蛇がご神体の広島に多い黄幡神社(大判・大番・木幡神社)は
中国地方のタタラのルーツのカヤ族がもたらした、と森浩一門下の研究者は
のべます。
 
 既出ですが九州の吉野ヶ里史跡は出土した巴形銅器(実はウガヤの家紋と
朝鮮の学者の説です)から確実でしょう。
  古代史に疎い私の理解は間違ってるでしょうか?

きりきり舞 - 2004/01/07(水) 16:15<

秋田?

ここは秋田弁で話せるところですか。
ほじなぐなってしまったし。。ほんとうに
こまってしまうしなぁ。。。。
まず、まず、あぇ しかだねごどだ。

臥遊人 - 2004/01/07(水) 11:12<

マタギとアイヌ語

おりかべさん、ありがとうございますホッとしました。
確認したい時、資料が見つからないのは歯がゆいものです。

マタギの語源は“山をまたぐ”から来ているという説をはじめ、諸説あるようですが決め手はないようです。
マタギはシカリ(統領)のもと、一組十数人で組織された狩猟集団で、山の神への信仰に基づいた厳
しいしきたりを重んじ、猟に出る前の1週間、神社に泊まり込こんで願掛けし、神社に来られない者は
その間セックスも自慰も禁止です。また、猟犬を伴わないのもその特徴です。

いったん山に入れば下界の言葉は厳禁、すべて山言葉で通し、仕留めたクマはその場で弔いの儀式
を執り行い、獲物はすべて山の神からの授かり物と信じる…、その点アイヌの価値観と符合すると
思います。
キリタンポも、冷たくなった握り飯を枝に刺して表面を焚き火で焼いて鍋に入れたものが、秋田を
代表する郷土料理に発展したもので、元々はマタギのごった煮です。

最も興味深いのは、シカリ(統領)の携帯品の中に、魚のオコゼの干物があることです。
山の神は醜い女神で、自分より醜いオコゼの姿を見ると喜ぶというのがその理由だとのこと。
これはマタギに限ったことではないようで、三重県尾鷲市の山間部に伝わる祭りでは、山の神に
オコゼをチラリと見せて氏子一同が大笑いするというものや、和歌山や宮崎には、漁村が豊漁を
願って山の神にオコゼを供える風習があったとのことです。
なにぶん、現地の声が何よりだと考えますので、当地域の方々の確認が得られれば幸いです。

秋田にアイヌ語の地名は多く、生保内(オボナイ)西馬音内(ニシモナイ)仁別(ニベツ)……。
アイヌ語か判断しかねますが、直根(ヒタネ)、笹子と書いて(ジネゴ)と読む場所もあります。
クマの心臓はマタギの山言葉もアイヌ語も“サンベ”で共通していますので、アイヌ民族と起源が
一緒の人々がかつていたとみてよいのでは思います。

芭蕉から百年後に象潟の地を踏んだ菅江真澄は面白い発見をしています。
『行きかう人はアツシ(アイヌの着物)という蝦夷地の島人が木の皮でおり、縫って作った短い衣
を着て、小さい蝦夷刀(マキリ)を腰につけ、火打ち袋を備えていた。釣りする漁師は、ナヌノ
(手ぬぐい)に顔を包み、毛笠をかぶって男女のけじめもわからず、あちこちに舟を漕ぎめぐって
いた』<秋田のかりね>。っとあります。
シャクシャインの乱(1669)には、象潟の漁師18人が犠牲になったという記録も残っている
ので、古くから蝦夷地との交流はあり、松前帰りの人々がアイヌの風俗を持ち帰っていたとの見方
もあるようです。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2004/01/07(水) 07:14<

....七草 とは「いろんな薬草」のこと....

 どんぐりしゃんのお書きになった『野史呼び名辞典』で「検見使」を
相談してみたのですが、稲作のでき具合の下見役あたりがでてきました。   △うぶさん、メチャいい情報あがあが。
                                    そういえば、岡山県下の毛唐スタイルの
 サンカはお互いの呼び名は「ショケンシ」だったそうです。        男どもが気になります。
 「エミシ」というのは「ン」という字がないことで、折れ曲がった     そのむかし、これらの人びとは品性高貴で
発音での「エンシ」だったのかもしれません。               死んだら片っぱしから神様として祭られた
 ショケンシのなかには「エンシ」が入っています。エンシとは樺太アイヌ  んとちゃうやろか。
の自称「エンチュー」と等価です。

 また、サンカは公家さんみたいに、さかんに「○○さん」を云い、その
内意は「ひと」のことでした。
 エンサーンはペルシャを中心にして中東諸語で、「ひと」のことです。   シナには燕という国がありました。

 「ショ」などという日本語はまずない……と思っていていいです。
 で、いまのところ、小生の胸に去来するショケンシの意味は……      ショク・エミシ → ショケンシ?
「毒」といえなかった人びとが syok と発音したのでは?
これに「エミシ」(内意はエンシ)がついた……です。

 むかしの人は、全員竹細工ぐらいはやれた。               √♪ わたしゃ 雪国 くすり売り ♪
 サンナイ・丸山から縄文ポシェットがでて、ミナシャン感心したが、     どっけしゃ イランかね〜〜
あれは学者さんたちが、編み方をまるで知らなかっただけのこと。       雪国ではないところにはサンカがいた。
 箕など、ほんま昔日のセールス・アイテムになりえたのか?

 けふ「七草」。毒消(薬草)ならアイテムになれる。
 nana クサ……「いろんな薬草」……のこと。              寒いさむい。雪まじり雨ふるよるは……
                                    ヤゾー親分さん、サンカはどんな防寒対策
 両側に持ち手用の穴があいている“箕”を、あっしらはエビジョーケ    をやって越冬したんですか?
と呼んでいました。エビスが作る「ショーケ」ならまし。

△うぶ - 2004/01/07(水) 01:09<
紋さん、白系ロシア人みたいな人は島根県辺りにも居ます、学生時代に出雲から来ていた友達は
自分からロシア系だろうとホザイテいました、確かに白地でバタ臭い顔つきの大男でした、
苗字は(九州北部にまで有る)タタラ系でした。

ヤゾー <http://www.kumanolife.com/realsystem/index.html> - 2004/01/06(火) 19:05<

桜の木とヤマガラ

みなさん こんばんわ

おりかべさん あけまして おめでとうございます。
今年も よろしくお願いしますね。

山小屋を建てた年に桜の木を植えました。
980円で買ってきたときには 1メートルほどしかなかったのに
今では3メートルくらいの大きさになりました。
その木にはヤマガラをはじめ色んな野鳥が留まりにきてくれます。
桜の木に留まる可愛いヤマガラと
手から落花生を啄ばむヤマガラの動画をアップしました。

おりかべ - 2004/01/06(火) 15:47<

新年明けましておめでとうございます。

ヤゾーさん、皆さん、遅れ馳せながら、新年あけましておめでとうございます。
今年も皆さんにとって多幸な年になりますように祈り申し上げます。

年末年始返上で仕事漬けゆえに新年のご挨拶遅れております。(いいわけすら、なりませんが)

臥遊人さん、はじめまして。
>雪はアイヌ語で【ウパシ】、“共に競って来るもの”っであると
>萱野茂氏の著書で読んだ記憶があるのですが、この記憶にまちがいないでしょうか?

ウパシ(upas)は、萱野茂氏によると、u-pas(お互い・走る)が原義のようで、知里真志保氏も u-と pasについて同様の解説をしておられます。
萱野氏はさらに、「雪は天からアイヌの村に競争して遊びに来ると考えられていた」と述べておられます。

臥遊人さんは、秋田の方とお見受けいたしますが、マタギの山言葉にて、雪を「ワシ」、雪が多い様を「ワシホロ」というそうで、これは知里氏や金田一京介氏も指摘しているようです。
また、近世、阿仁マタギの村と北海道のアイヌ・コタンを訪れた菅江真澄氏も(菅江氏が「マタギ」と呼んでいたのは、阿仁の「マタギ」)両言葉の共通・近似の語があると指摘しています。

いちご麦 - 2004/01/06(火) 08:34<

追伸

すみません、http://www.joy.hi-ho.ne.jp/s-umano/13110506shadow.htmlです。

いちご麦 - 2004/01/06(火) 08:29<

PIKKIさんへ

はじめまして。
製鉄史、とお聞きして、上記のサイトを思い出したので、書かせていただきました。

皆様、昨年中は有難うございました!本年もよろしくお願いいたします。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2004/01/06(火) 07:47<

....おまーさんの ’ネ がい....

 この2日、竜馬に扮した俳優さんが、みんごと「おまーさんの ’ネ がい」
と、山口地方と同一イントネーションを喋ってくれました。               タヌコさん、やっとかめ。
                                          一つひとつの語彙のちがいを
 矢切止夫さんは『天皇アラブ渡来“説”』を書きましたが、アラビヤ勢力        知る必要ありません。
がこの日本列島に来ていたという考えは、もう“説”ではなくなって“事実”       ことばの響き・イントネーション
として扱うべきスジとなりました。                          の領域です。
                                          四万十川スジをサルくのもご先祖
 どんぐりしゃん、長州の中核はどこですりゃ〜? 廣島は第二子音に猛烈な       供養じゃないやろか。
アクセントがくるので、山口方面とは少しちがうような気がします。

 秋田地方に行ってバスに乗ったら、必ず一人や二人の「白系ロシア人」みたい
な男に出くわします。
 秋田美人は嫁入り行列から抜け出てきたキツネの花嫁に、突然出合ったような
強烈なショックをくらいます。津軽のそれとは全くちがいます。
 だから、秋田県はとくに、分散地域の割り出しは厳密でないとアカンとばい。
 あんがいタジク人かもしれん。

PIKKI <http://mypage.odn.ne.jp/home/hide71> - 2004/01/05(月) 21:37<

こんばんは

椎名ハガネさんはじめまして。
鉄について詳しそうですが・・製鉄史について詳しいサイトをご存じないでしょうか?
日本では青銅よりも鉄の方が早かったのではないかという説や・・
ヤマタノオロチのオロチは、アムール川流域のオロチ族のことで、彼らや突厥が樺太〜北海道ルートで越にもたらした鉄剣がヤマタノオロチから出てきた剣であり・・このころはまだ、銅剣のスサノオ勢力(新羅系)よりも技術的に進んでいたのではないでしょうか?
それは僕が少し前の日記に書いたような・・ステップの道を通って、トルコア・ナトリア地方の最古製鉄技術を東にもたらしたスキタイや突厥の存在が関係あるのではないのでしょうか?
あまり時間的な差がなく、現在のトルコから日本海まで伝わっている理由は、それではないだろうか。
なおその交易路についてはー「秋田美人のHP」
このサイトの「北の海みち」というページも面白いです。

こうへい - 2004/01/05(月) 13:31<

ぎっくり腰が治りました(^o^)

夜勤明けで、信仰に近い信頼を置く、○○整骨院に座りに行きました。
「座りに行く」と言うのは、一ヶ月先まで予約一杯なので、朝から座って待って、キャンセルや、ちょっと空いた時間に治療してもらうやり方を言います。
ダラーっと座ってるので、骨盤が開くのだそうです。骨盤を持ち上げるようにして座れば、腹筋も付くし、骨盤が開かないのだそうです。
先生の治療も進化していて、前は随分蹴られましたが、今は押すだけ・・痛いのは痛いのですが。
もう、咳しても腰が痛くない。はっはっは・・・
カチカチの首も治して貰って、この軽快なこと(^o^)
ルンルンの新年です(^o^)
わたくしごとで、失礼いたしましたm(__)m

椎名ハガネ - 2004/01/05(月) 12:16<

はがねのうた

私の名前を
御知りに成り度いのでせう
でも今思ひ出せ無くて
哀しいのです
働く私に名附けて下さい
御呼びになつてだうぞ御好きな樣に
鉄で鉄さえも切る
私に 似合ひの名を

赤白い炎は
焼入れの合圖でせう
雪ふる山奥で生まれます
汗を拭ひて顏を上げて下さい
ほらもうじき私もニエをつくります
変わらない切れ味を
貴方に 御屆けします

私が憧れて居るのは
人間なのです
泣いたり笑つたり出來る事が素敵
たつた今私の名が判りました
貴方が仰る通りの「和鋼(ハガネ)」です
美しい切れ味を
職人さんへ御屆けします
切ります
何も語らず

バリ師 - 2004/01/05(月) 06:23<
お正月は嫁はんの実家でごろんごろんしておりました。そこで子どもらが去年の残りもんの花火を見つけました。

私「正月から花火かあ・・・」 子どもら「まあええやん」 おばあちゃん「庭でしいしい」

しんと冷えきった空気の中で、冬の花火は思いのほか美しくみえました。

空にはオリオン、一年の門出を花火で祝い、今年もよい年でありますように。

△うぶ - 2004/01/05(月) 00:40<

おさる

2年前に椿温泉行った時は確か休業中だったような?
気のせいか?、「嫉妬猿」の顔、クマノヤゾーに似ているみたいやけど?。

ヤゾー <http://www.kumanolife.com/Topics/1._4.html> - 2004/01/04(日) 23:17<

サルの百態

みなさん こんばんわ

今日 椿温泉は伊勢ヶ谷野生サル生息地というところへ行って
サルをゆっくりと観察してきました。
そのときの写真を熊野ライフ通信にアップしています。

PIKKI <http://mypage.odn.ne.jp/home/hide71> - 2004/01/04(日) 21:20<

今年もよろしくお願いします

アルツハイマーや
動脈瘤破裂の手術のあと
だんだんと
寝たきりになって
思い出を一ページずつ
失っていったかあさん
毎日テレビのCMに合わせて
手を叩いて
一緒に歌っていたかあさん
ポータブルトイレに失敗して
僕が仕事から帰るまで
ずっと冷たいお尻のまんま
しゃがみこんで
泣いていたかあさん

子供の頃の冒険譚のなかで
いつもふんわりと吹き抜けてゆく
青い風だったかあさん
気ままな入道雲の喜びや
驟雨に染まってゆく悲しさや
信じることの素晴しさ
色んな宝物をありがとう
かあさん

いつも大好きだった 
かあさん
いつもいつも
僕のたったひとりの神さまだった
かあさん ありがとう

こうへい - 2004/01/04(日) 15:46<

初表採

今年初めて太陽の下を歩こうと思って、杖をつきながら縄文の遺跡に表面採集に行きました。
美里町の畑をゆく、水無月右近・・・??

とんちんかん小僧 - 2004/01/03(土) 01:37<

明けましておめでとうございます!

クマノライフ掲示板にお世話になって随分経ちますが、毎年いろいろと学ぶべき事の多さに吃驚しぱなっしです。
去年の収穫はやはりチビ箕の3セットです(^0^)
最高に感激しました。
今年も何かとお世話になりますがよろしくお願いします。

タヌコ - 2004/01/03(土) 00:52<

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。
元tuyaです。
身辺多忙になり、最近は投稿していませんが、毎日楽しく拝見しています。
これからも皆様の興味深い投稿を楽しみにしています。

臥遊人 - 2004/01/02(金) 20:28<

雪はアイヌ語で“ウパシ”?

秋田の元旦は、雪のない陽光まぶしい朝でした。
除排雪の労苦がないのは、生活者としてとても楽でよいのですが、
地球が病んで熱を出しているのかと思うと色々考えます。

雪はアイヌ語で【ウパシ】、“共に競って来るもの”っであると
萱野茂氏の著書で読んだ記憶があるのですが、この記憶にまちがいないでしょうか?

嵐にゆれる樹木を目にすれば、あっちはダンスがうまいがこっちはヘタだ…。
そういう感性はアイヌの人達に限らず、日々の糧を森の精霊達に分け与えてもらっている
感謝の念を大地に捧げていた、世界の多くの民族が持っていたものと思います。

そこへミッションの大義を掲げた一団が変節を迫る際、崇拝の象徴であった大樹を切り倒し、
勝手に装飾を施して宴をひらいた…、これがクリスマスツリーの起源とか!?
だから作り物では意味がなく、毎年選び抜かれたモミの大木を、切って運んで自分達の
繁栄の証として中心地に供えるのだと…。

これが真の説であるならば、似たような理屈で進められているアフガニスタンやイラクの復興が
本当にあの地でうまくゆくものだろうかと思ってしまうのです。
かつて肉の生食は野蛮だから、熱を通して食べなさいという教えに素直に応じ、壊血病で全滅した
イヌイットの村があったとか…。

日本も言われるままに自衛隊を派遣するくらいなら、全国のシルバー人材センターから選抜した
熟練工でチームを編成して送ったほうが、私はいいと思います。

成田空港に中島みゆきさんに来てもらい、フルオーケストラをバックに生の“地上の星”が
流れる中、手を振って満面の笑みで飛行機に乗り込むマスターズの姿…。
「これが日本の国際貢献である!」胸を張って世界に訴える首相の姿…。
「もうすぐ俺たちも続くぞ!」そう叫んで見送る自分の姿など想像すると、アドレナリンが
沸騰するような活力が湧いてきます。

…っというようなことを、元旦の宴の席で力説したら、皆「おもしろい」と言って手をたたいて
くれましたが、それ以上でもそれ以下でもない反応が少し寂しかったです。

如月弥生 - 2004/01/02(金) 15:16<

武侠

かつて中国にあって日本に無かった漂白のスタイル。それが最近知ることとなった武侠ではないかと思うのですが、日本にも武侠的な役割をしていた存在ってあったのでしょうか。

焼尻紋次郎 - 2004/01/02(金) 09:49<

...おめでたい岩....

 目をつぶっているときの夢はロクなもんじゃなかったです。
 でも目覚めたあとの夢はまったくお芽出たいもんでした。

 八重山〜薩摩〜西長崎〜津軽に来ていたアラビヤ勢力……。
長州もそれくさい。
 ならば、平家とか宮島・厳島だと思って Google かけてみたんです。
 そしたら http://www.hiroshima-cdas.or.jp/miyajima/history/person.htm#kiyomori に
とてもオメデタい岩が出現。

 土佐の喋りぐちにも特異なイントネーションがきけます。
 今日、『竜馬がゆく』を放映するそうです。
 俳優たちが土佐っぽの喋りをまねするらしい。
 どこまで似いちゅう(これ土佐方言)かが聞きどころ。

まれびと <http://www.geocities.jp/marebit/> - 2004/01/01(木) 21:06<

年賀

みなさんに
A Happy New Ear (幸福なあたらしい耳)


神聖なる日の出、堪能しました。

写楽保介 - 2004/01/01(木) 17:11<

久能山と修験

皆様あけましておめでとうございます。
徳川家康は最初久能山に葬られました。ブレーンの天海は修験にも精通していたようですが、久能山は修験と関係あったんでしょうか?また石動修験(富山県)についてなにかご存知でしたら教えて下さい。

はつせ - 2004/01/01(木) 13:58<

初春や

今年もよろしくお願いします。

焼尻紋次郎 - 2004/01/01(木) 05:27<

....あけまして War(芽出) Var(春)....

 あけまして お芽出とうございます。


 何年としとっても、元旦はいいですね。
 キューンと締っていて‥‥。寒さも演出してるのかな? 

△うぶ - 2004/01/01(木) 01:06<

恭賀新年

皆様、あけまして おめでとうございます。
今年もどうぞ宜しくお願いします。
正月の散財少し控えて、天災人災被った不幸な人々に援助の行動をするべき時です。

ya(・ε^)na - 2004/01/01(木) 01:04<

あはっはは・・HAPPY!

あはははははぁ・・・
  疲れて少し寝てる間に・・
     年が明けてしもてるがな・・
            ひゃはははは・・・

   みなさん、新年明けましておめでとうございます・・
     元気に一直線・・
        雷光直撃・・・
         
       幸せ来い来い!
          やって来い!
        みんなの所にやって来い!!

     みなさん今年もよろしくお願いします

*(O..O)*ngly - 2004/01/01(木) 00:25<

賀正

あけましておめでとうございます。
ことしもよいことばかりでありますよう
お祈りします。
 不幸よ、災いよ。去(猿)れ!!

 なおメーラー修理中ですのでメール通信は現在不通です。
 2月14日、15日は
 「原住民と渡来人の古里・大坂を歩く」探訪会を
 します(野史研究会)。
 集合場所・宿など詳細は未定です。

こうへい - 2004/01/01(木) 00:16<

新年

あけまして おめでとうございます。
今年も、よろしくお願いします。
マリーナシティで花火があがっています・・・ちょっとローカル(^^)

ヤゾー <http://www.kumanolife.com/Topics/1._1.html> - 2004/01/01(木) 00:05<

謹賀新年

みなさん あけまして おめでとうございます。
昨年の12月30日に 日之出を観に那智勝浦へ行ってきました。
とても奇麗な日之出を観ることができました。
その時の写真を熊野ライフ通信にアップしています。
今年も よろしくお願いします。

遠くのお寺から除夜の鐘の音が響いてます。

あおき - 2004/01/01(木) 00:05<

あけまして

 おめでとうございます 今年もよろしくお願いします
みなさんの興味深い情報 いつも楽しみにしています
風邪や飲みすぎに気をつけて下さい

*(O..O)*ngly - 2003/12/31(水) 20:39<

百済人から

紋次郎さん
 石油と復興利権にたかるハイエナ達のおかげでイラクの米兵の多くは帰国
できないでいます。ゲリラ戦の恐怖から逃れるためにベトナムでが麻薬が配
られましたが、今回も配布されるのでしょう。戦闘と放射能と麻薬汚染でま
た多くの人命がそこなわれるのでしょう。参戦した日本軍も例外ではありま
せん。流血と屍を積み重ねなければ、解決しないのでしょうか。
 お説のとおり広島は百済系が多い感じです。高杉晋作や管直人のような面
構えが多く、渤海系が多いとされる福岡へ行くと目立ちます。自己本位など
しわい性格も特徴です。政治的にも保守的なのもそうでしょうか。
 PIKKIさん
白山信仰、オシラ様、蚕神信仰も俘囚系・別所系の特徴にあります。
北海道へは本土から集団移住しています。広島から移住した人の居住地区が
札幌南の広島町でカープへの声援とともに広島弁が残っているそうです。
もちろんサンカも集団移住してるようです。多くは後に本土にUターンして
います。北海道から大挙して関東に帰国したサンカを野史研究会では東京
サンカといってます。多分鮭、身欠き鰊、ホッケ、昆布、じゃが芋が好き
です。

- 2003/12/31(水) 20:07<

よいお年をお迎えください


来年も宜しくお願い致します。

PIKKI - 2003/12/31(水) 15:34<

#(0..0)#nglyさん、感想どうも感謝です

質問ですが・・あまり真剣に父の話をきかなかったので、役にはたたないとおもいます。
お正月に餅も食べず火もつかわないとか・・平家落人なので先祖の恨みを・・というのは、奄美大島や喜界島の平家落人伝説に似ているかも。(喜界島は安徳天皇の子孫だとか)。恐山やイタコにも関係があるらしいオシラ様という織物の神様は、秦氏と関係が深い白山信仰とも関係あるそうです。
北海道開拓や参考サイトなどについてはまたこんど。
 
   「ゆきゆきて神軍」(イラク派兵兵士に贈る)

敗走するニューギニアの
道さえもない山岳地帯で
あさ目覚めると また一人と
兵のひとりが盲となって泣き喚く
そのすすり泣きの声が
立ち昇る朝霧のなか
いつまでも いつまでも
熱帯の森のあちこちに
こだまし続けていたという
「俺を連れて行ってくれ、だれか・・」

白豚が米兵で
黒豚は日本兵だったという
その食料を調達する人間が
もっとも重宝されて
それゆえに
生きのびる事ができたのだという

敗戦のすぐあとに
銃殺されたというその二等兵は
米軍に降伏してでも
なんとかして生き延びたく
脱走したのだろう

その銃殺命令を出した
中隊長の息子を銃で撃って
怪我をさせたという罪で
いまではたった一人の
神軍兵士の君が
懲役十数年間の刑から
やっと
出獄してきたばかり

そのときすでに
開戦命令を発した昭和天皇は
すでにこの世にはなく
ふたたび派兵されるのを待つ
日本低国軍隊のニュースばかり
いまではたった一人の
神軍兵士の君が
今はなき天皇に向けて発射した
幾発かのパチンコ玉が
進軍する軍靴の音を聞きながら
ゆっくり ゆっくりと
錆びついてゆくばかり

△うぶ - 2003/12/31(水) 03:35<

五木寛之さん始め、、、

五木寛之さん始め多くの有名作家の本や週刊現代への挿絵画家で有名だった風間完さんが亡く
なられました。ご冥福をお祈りしたいと思います。御長男の風間研さん喪主の下、既に式は
済まされた模様です。小説挿絵画家の第一人者でした。

こうへい - 2003/12/31(水) 01:37<

ya(・ε^)na さん

ありがとうございます。あした言われるとおりにやってみます。
湿布薬、ヒヤコーって文句言いながら四枚貼ってもらって出かけましたが、あっためるんですか。
これから、自家温泉で腰湯でもやってみます。
ありがとうござりました・・・

こうへい - 2003/12/31(水) 01:27<

猿と熊とそれからっと

まえに、小豆島に行って、岬の分教場でくつろいでから、なんとか山の登りを気持ちよく飛ばしていると、カーブを曲がった途端、20匹くらいの猿が道一杯に広がっていました。
急ブレーキで止まってしまい、しばらくにらめっこです。子供を抱いたヤツから、人相のわるいのから・・仕方ないので、3回位空ぶかしやって、突っ込んでいったら、避けました。

足の悪い人が、熊に出会って逃げて、崖から、まくれ落ちて、その途端、長年悪かった足が治って、一目さんに逃げたら、熊が追い越して行ったって話聞いたことがあります。

ya(・ε^)na - 2003/12/31(水) 01:18<

こうへいさん!!

義クリ腰・・なん???
 同じ体制続けるからやがな・・
  気の毒に!!・・
   あのねぇ・・ちょうど胃裏あたりの筋肉がこってる場合が多いので
 そのあたりにバンテリン塗ってくらハイ
     ほんでから、痛み止めの薬飲むと以外に効きますよう・・
      
       冷えも悪いみたい!!・
         あったかい温泉にでも入って筋肉やわらげて下さい

                お大事に!!
                             ほなまた

こうへい - 2003/12/31(水) 00:49<

異聞忠臣蔵

矢切止夫作品集で、忠臣蔵の段読んだら、泣けるどころか、侍残酷物語でした。
会社で読んで帰ってきたら、カミサンが忠臣蔵をテレビで見て、大いに感激していたので、
「それはねー」と言いかけて、大人気ないかと止めました。
昼前、パソコンの前に座っていて、弟が来たので立とうとしたら、動けなくなりました。
這わないと、移動できない・・・ぎっくり腰??
オフクロに杖を借りて仕事に行きました。痛い仕事納めでした。来年まで持ち越しそう。
ああーあ

焼尻紋次郎 - 2003/12/30(火) 08:05<

...あした待たるる そのタカラ船....

 どんぐりしゃん、アメ公たちは戦後60年たったらペリリユー島
の恐怖を忘れたとですよ。
 昼間は戦友の屍体の中に隠れ、戦友の屍体に湧いたウジムシを喰      ペリリユー島には「玉砕してもいい」という命
らって夜になったら幽鬼のごとく起ちあがってヤンキーのキャンプ      令(許諾)が最後まで出なかったんです。
へ斬り込みをかけた。
 「ジャップだァ〜!!」との絶叫に数百名の G.I が発狂した。
                                     朝鮮戦争で儲けさせてもらったこともあるが
 「シr 」は シr でもいろいろあらしゃいます。              ペリリユー島の死闘はアメリカ占領軍におだや
 まずは、船着き場、次に頭(かしら)。陸地もあるし、目印も       な占領対策を取らせて、日本繁栄の基礎になっ
ある。平面な「土地」、神社用地、表面、着物の柄……etc。         た。お蔭で日本人パアにされたね。
 このごろ「太陽」もあるのでは? と注目してま。光明がある
のもタシカさんで……。
 
   臥遊人さん、おれ、鳥海山はアイヌ語だろうと考えて、chi(霊が)
  okay(いっぱいいる → 舞い遊ぶ)と解釈してエツになったことが
  あります。あとで、麓には「とりうみ」さんがいっぱいいたので      象潟と書いて「キサガタ」と読ませる。
  カッカァ〜リちたヨ。                         象をキサなどというのは、カトマンズの
   そういえば会津には「ナナウミ」さんがいらっしゃる。         先住民、ネワール族だけです。
   いろんな U(大) mi(神)だと思っています。七福神のことかな?   蜂子王子はネワール族出身かもしれんなぁ。
   遊という漢字の字義は神様や王様が外出する様子を写したものだと
  白川先生の解説にありました。                     鳥海は青森のイワキ山頂にもありますね。
   「遊佐町」はサンカのユサバリとは関係ないやろか。
 
          もういっぺん、どんぐりしゃん、廣島・山口のイントネーションは         桓武天皇
          終わりから2〜3シラブルのところに強烈なアクセントを持ってます。
          百済住民の大挙なだれこみもあったでしょうが、いづれにしろ異質です。
          「菅直人さん、堤大二郎さん」と「イナカッペーさん、太宰治さん」‥‥似いちゅう。
          薩摩長州連合とはアラビヤ勢力の連結ではなかったのか? 竜馬の海援隊が長崎なのは……?
          いまとなっては、このコングラマリットを解く手段は言語しかあんめぇ〜〜イヨッ♂

とんちんかん小僧 - 2003/12/30(火) 00:37<

鳥の歌

29日はパブロ・カザルスの生誕日でした。
彼がチェロで演奏したスペインの民謡曲「鳥の歌」も反戦歌として今年も世界各地で演奏されたそうです。

 ―私の故郷では、鳥たちは平和(ピース)、平和、平和!と鳴きながら飛んでいるのです― 
  
  by パブロ・カザルス 

今、ちょうど僕はカザルスの鳥の歌のチェロの妙技に酔っているところです。

*(O..O)*ngly - 2003/12/29(月) 23:25<

知りたいお正月

PIKKIさん はじめまして
@落人平家、A正月の祝いしない、B恐山信仰、C北海道移住などに興味が
あります。西日本では@は東北から移住してきた俘囚の末裔、すなわち別所の者
の可能性があります。なぜなら平家だからです。鹿児島には落人源氏を称する筋
がいます。おたくでは正月は何をされるのでしょうか。
 大変興味深い詩です。アラブ側の抵抗は「テロ」ではなく正しくゲリラ戦です。
自爆攻撃は紋二郎さんが引用した旧日本の特攻(特別攻撃隊)の模倣だそうです。
 私もイラク人なら鬼となって自爆攻撃を米英日にしかけるでしょう。ゲリラを
テロというのは一種の政治的立場を表わしています。日本のマスコミも同じレベル
です。米やイスラエルが最大のテロ国家だと言う説が米国内にもあります。11・9
は米国没落の始りの合図と私はみます。米兵・日本兵のように上部の命令で死地
に赴くのは没主体的で仕方ないのかもしれませんが、自爆攻撃と言う自分の命と
引き換えの攻撃は憤りや怨念だけでは(もちろん金だけでも)ないはずです。
 金目的でなく命を捨てる、この一点で私はイラクやアラブの勝利を信じます。
 私達までがブッシュや小泉の立場に立つとこの世は終りになります。
紋次郎さん
地名語源は言語学的方法からだけでは難しいですね。
>シリはクルド語に残っている zir(知能の高い、賢い、賢明な)からzir-i
>(そういう賢い人びと)となり、日本では塩尻や聖となっている。
 塩尻地名や聖(坊主)についてはお説のような説が従来からあります。また
八切止夫は長野の塩尻を「奴隷」の意味といっていますし、「尻」がつく
地名には被差別地名になっています。また聖は高野山では非事吏ともかく坊主
でない坊主=坊主に隷属した賤民(高野聖)ですし、非地は関連地名のようです。
 すなわち良い意味の言語でも実際は悪い意味になっている秘密はなにか?
歴史が政治の塊である事です。言語学者達のように政治を避けて言語を論じても
残念ながら歴史とはほど遠いものになるようです。
 お断り。ただいまメーラー故障中で1月7日に復旧します。
 

臥遊人 - 2003/12/29(月) 23:16<

マナーの悪さと学習能力

置き去りにされた喰いかけの握り飯やバナナの皮など、それを食したクマはドングリ食に戻れず、
クマよけの鈴が条件反射になって、人間に近づくクマが増えているとの事です。
昨年クマの被害事故が頻発した秋田県では、クマよけの鈴は逆効果の場合がありゆると専門家が
ローカル局の番組で提言しておりました。特異な例では、海岸でタコ獲りをしていた人に襲いかか
ったというのがあります。

もう亡くなって久しい方ですが、狩猟だけで3人の子どもを育て上げた筋金入りの
鉄砲撃ちがおりました。
その人に、山でクマと鉢合わせになった場合の対処法を訊いたことがありました。

「ズボンとパンツを即座に脱いで、逆立ちすればいい…」。
クマの目には、足は巨大なツノに見え、尻の割れ目は丸呑み専用の歯もない口に見え、
しかも左右に開く形状のものは生まれて初めて見るために、仰天してしりもちついて
後ずさりして逃げて行くという解説でした。
ふだんから寡黙な人が、マユひとつ動かさない無表情の真顔で淡々と話すと、
これホントかもしれないと心が揺らいでくるから不思議です。
死んだマネよりワザがいりますな…。

焼尻紋次郎 <http://www.zik@you-i.org> - 2003/12/29(月) 19:24<

....クマと人間  と  ノモンハン事件....

 こうへいさん、体調わるいのにすみませんでした。
 たしかに確認できました。
 あれみて、オレ、ある種のことを連想したのですが、         おりょんはん、うっふ。
 オレってほんまに品性下劣なんだなぁ〜と思いました。         サンカ語の「かささぎ」にはドエッチな意味があ
                                   るんですなぁ。オレってどうしてこう品性オゲレ
                                   ツなこといっぱいのチャンスに恵まれるんロー?
 渓流釣りに行って、岩から跳び降りたらその岩の根元に
クマが昼寝していた。一瞬でクマも釣り師も逃げ出した……
これ、実話らしいですよ。

 むかしは稲など刈り取ったあとには、藁を積んだ家みたいな
「こづみ」がありました。
 満州にもこれがあったそうです。
 その先生は仲間がらはぐれて、たった一人になって、しかも夜。
 くたくたに疲れて、その堆積のなかに体をつっこんで寝たそう       ミナシャン、こげな書き方どげんジャラホイ
です。朝がたになってハッと気がつくものがあったので、起きだ
して、ソロ〜〜ッと廻りこんでゆくと、向こうのほうもソロ〜〜
ッとやってきたらしく、顔が合った瞬間、方角もメチャクチャで、
その場から逃げだしたそうです。                       ↓ 《 ことし最大の発見 》
 その先生は、そのとき敵兵の顔を1m 先に確認したんでした。         八重山〜薩摩〜西長崎〜津軽のアラビヤ植
いい加減走ったところで、振り返ってみたら、その敵兵もちょうど        民のことは、A-4 の紙4枚にまとめて、友
 そのときに、こっちを振りかえって見ていたそうです。            達に年賀状がわりに出しています。ご望者
 これはノモンハン事件のときの実話です。                  のかたは連絡ください。お送りします。
 太宰府の榎寺(道真さんの仮寓)を掘りに行ったときにききました。      おらたちの年代はダァレもパソコンやらん
                                      しィ、紙を使わんと通信にならんとです。
                                      紙に書いた文章は畳にひっくり返って読め
                                      まっせ。

おりょう - 2003/12/29(月) 12:40<

もうすぐ一年が・・・・

PIKKI さん「石狩平野」読んだことありますが、北海道開拓には大変なご努力があったようですね。
テレビでみたのですが、カナダなど熊が民家近くに出てきても、熊も人間もあまりお互いに恐怖心をもって
いないような画面でしたが、人間が自然や動物を愛する心の培ってきたものがちがうんでしょうね。

>こうへいさん 死んだ真似は、度胸が要るでしょうね・・・
ほんとうに、できないですよね。
あるマタギの兄弟がいて、熊と遭遇、たまたま武器はもっていなかったらしく、格闘しても適わないので、
兄の方は死んだ振りをしたそうです。けれども、熊は様子をさぐりにそばにこようとするので、、弟の方
は、大きな石を拾い、熊になげつけたそうです。でも石は熊に当らなかったのですが、その石に向って熊
は猛然と飛びかかっていったそうです。そのすきにマタギ兄弟は逃げて助かったそうです。
熊は投げてくるものに怒ってとびかかるそうです。
また、別の人も、熊と格闘して死んだふりして助かったそうです。でも、熊は動くものに飛びかかってくる
ので、ピクリともうごかないでいたら、熊はそのままいってしまったとか。

皆様、良いお年をお迎えくださいね。
イラクも一日もはやく平和がくることを願わずにはいられません。
イランの方々も・・・。

また、来年もよろしく御願いいたします。

PIKKI - 2003/12/29(月) 08:50<

「沿海州」で検索して面白ろサイト発見!

僕のリンク集に載ってる「邪馬台国総合説」にもさっき書いたのですが・・
こっちにも書いておきます。膨大なサイトでどなたか感想を・・
そのサイトはー「幻想奇譚千夜一夜」

PIKKI - 2003/12/29(月) 04:46<

ついでにもう一つ北海道の話し

祖父母は遅くに北海道へ入ったので、いい場所はみんな分配されてて、雪が多くて熊の多い土地しか残っていなかったそうだ。その上、隣の家まで一時間以上もかかるという不便さで・・なんと子供が一ダース以上(何人か死んでるので正確には?)の兄弟の末っ子が父だったという。
それでも祖父がなくなった時には、遺産相続で一人につき5町歩ずつ平等に分配したとか。
明治時代以降の100年間に原始林も森の動物も・・熊以外はほとんど抹殺してしまったと思う。
内地の森や山の荒廃は見てすぐわかるけど、北海道のそれはなかなか見てすぐはわからないのでより深刻だと思う。内地同様の動物が豊かに暮らせる森ではないし、それがますます海を貧しくしていると思う。
原発を廃止したり・・自然を回復するような公共事業で、世界一豊かだった日本の森や海が取り戻せないと・・いつまでも札束で食料は輸入できんのではと思う。食料震源が奪い合いになった時に、食料の約6割を輸入している日本はどうするのか?

バリ師 - 2003/12/29(月) 03:06<

猿の股くぐり

渓流釣りを始めた頃、山で、すばしっこい野猿は一瞬、人の股をくぐりながらフグリをこそばすのだとか。すると、その人は笑い死にしてしまうから気をつけろと言われました。アハハ!

野猿の股をくくり直せば助かるらしいのですが、それが出来るのはヤナさんぐらいか。アハハ!

PIKKI <http://mypage.odn.ne.jp/home/hide71> - 2003/12/29(月) 02:41<

父が夜道の真ん中でばったり熊と遭遇とか

全然身動きできなかったそうです。真っ暗で道がよく見えんかったらしい。熊は夜行性?
友達の家に遊びに行った時も、「牛が食われたからこっちへ行くな」と言われた事がー
祖父母が北海道に開拓で入った頃は、夜中に熊が戸がわりのムシロを開けてのぞいたり・・
畑が掘り起こされて全滅という事も多かったとか。
なお、熊は前足が短いので、登り道や木登りは驚く早さだけど、下り道はつんのめるので、
熊さんと出会ったら下りの坂道を一気に逃げろとか。
しかし、今年初めてみた野生の猿が怖かった。近づいてきたらどうしたらいいのかな?

こうへい - 2003/12/29(月) 01:36<

熊よけの鈴

上士幌町の師匠に連れられて、十勝三つ又の沢に行ったんですけど、師匠は、刃渡り20センチ以上もあるナイフと、熊よけの鈴、それから熊用の催涙スプレーを腰にぶちこんでいました。
沢に着いたら、師匠は車のクラクションを10秒程鳴らしていました。
沢下りの途中で、ちょっと車に石を置いてくるって言って、戻っていきました。
気が付くと、周りがクマザサに覆われた沢に、丸腰のボクが残されて、向こうで、クマザサが
ガサガサって揺れるし、師匠は戻って来ないし、心細かった。
着いたとき、熊に食われたメス鹿の死体を見たばっかりだったから。

死んだ真似は、度胸が要るでしょうね・・・

こうへい - 2003/12/29(月) 01:00<

紋次郎 さん、「ん」??

きょうは、日が暮れたら一気に寒くなって、風邪ひきかかってます。頭も痛い。
突き刺さるような、風でした。
だれや、暖かいゆうたんは・・・

紋次郎さん、Kumanolifeにあるサンカ文字の表に「ん」はないですね。
どっかから貰ってきた表にありましたので、風の王国 掲示板に載せましたが、どうでしょうか?

おりょう - 2003/12/28(日) 23:52<

くま山騒げ、犬山だまれ

熊は警戒心の強い動物だから人間のいることをしらせてあげると熊のほうからにげてくれる。
ふいにであったりすると恐怖心で襲ってくるんだそうです。
山犬(狼)は人間がいると好奇心がおおうせいだから、反対によってくるので山犬にさとら
れないように行動するといいそうな。
やなさん山伏のように法螺貝もっていくのはどうでしょうか。

どなたか熊に出会って死んだふりして実験した方いらっしゃいませんか?

紋次郎さん 金子屋神が白鷺に乗って出雲国の能義郡の黒田の非田で羽をやすめ、そこでタタ
ラ製鉄を教えたという伝承がありますけどアイヌ語よくわかりません。


臥遊人 - 2003/12/28(日) 23:51<

予知能力

まよったんでしょう…。
頑丈な自分の住みかにかくまうか、家に帰して家族と一緒に避難するよう促すか。

昭和49年3月1日、鳥海山が噴火しましたが、
その数日前、吹雪の中を移動するクマの親子をテントの中から見ました。
小便に出た仲間が血相変えて外を見るよう合図したのでしたが、冬眠からさめるには早すぎだし
こりゃ、山が火を噴くか地震だぞとテント内は白熱しましたが、その通りになりました。
ま、実際は、泥流と降灰の小規模なものでしたが。

ya(・ε^)na - 2003/12/28(日) 23:01<

なんやてぇ・逃げってゆうたり・待てゆうたり!!

ほんまに、はっきりしてぇなぁ・・
  どっちなん???
 でも、森の仲間達・・仲がよろしおますねぇ・・

さっきから、年賀状のこと考えてるんですよぅ・・
  サルは長い年月で・・人間に進化した!!!
     その人間は、短時間であほなサルに退化しようとしている!!

           ひゃひゃひゃ・・・街にあふれてますねぇ・・

        退化したサルたち!!・・・
             目みたら!!・・・・怒りよるし・・
                  こまったもんですわ・・


             ははっはははは・・

 

臥遊人 - 2003/12/28(日) 22:03<

Re:森のくまさんに質問

たぶん、地震を予知したのだろうと思います…??

いちご麦 - 2003/12/28(日) 19:48<

森のくまさんに質問

くまさんは、なぜ最初に「お嬢さん、お逃げなさい。」と言ったのですか?

焼尻紋次郎 - 2003/12/28(日) 18:19<

....そうですか ありましたか! ....

 こうへいさん、有り難うございます。
 オレ、田中勝也さんの本も見て、あんまし自信なかったんですけど「無い」とほざいてみたんですよ。
 こうへいさんは「風の王国・掲示板」にもアップする力がおありですよネ。
 是非、なんとかしてその文字を写真(?)で出していただけないでしょうか。

 オレ、めちゃくちゃなキカイ・オンチですので、これで2回目にあそこ開きました。
 なんかこう、パソコンが爆発するんじゃねーだろうか‥‥と心配するとです。

 日本歴史の言語は「ン」で振り回されたといっても過言ではない……ぐらいです。

臥遊人 - 2003/12/28(日) 17:38<

森のクマさん

>♪あるう日、森のなか、クマさんに出ああった♪という童謡ほど恐ろしい歌詞はないと思っております。

この歌の出所なら確信を持って覚えています!!
30年以上前、NHKが小中学生を対象として募った創作番組において、賞をとった作品です。
作曲まで手掛けたのかどうかは定かでありませんが、作詞は当時小学生の女子でした。
偶然、私はその番組をリアルタイムで観ておりまして、時を経て“みんなの歌”で何度も流される
この歌を耳する都度、「おぉ〜ッ、あの時の…」と気持ちが向きます。

すでに母親になっているであろうその少女が、ブラウン管を指し自慢気に、
「この歌、お母さんが作ったのよぉー」。そんなシチュエーションを想像すればほのぼのするし、
純真な少女の精神世界に心を浸し、教授のフクロウ、骨董屋のタヌキ、セールスマンのキツネ、
作業員のネズミに現場監督のモグラ、コーラス隊のスズメにダンサーのツル…。
そして、保安官のバッヂがまぶしいクマ!

歌には直接出てこなくとも、擬人化された森の住人達が織り成すストーリーを自由に組み立て
聴きなおしてみれば、これはファンタジーです。

中国では、行きたくとも行けそうにない土地の山水や書を読み、想像の翼を無限にのばして
愉しむ術を、“臥遊”というそうです。

- 2003/12/28(日) 17:09<

いずもはいすも……


タガログ語の ismo  は英語では isthmus です。
一般的にisthmusと言えばスエズ地峡、パナマ地峡に代表されていまが、組織・器官など狭くなっている部分の総称にも成ります。タガログ語の ismo (イスモ)も同じ意味で解釈されています。出雲も上記の条件に回収されると思いますので
『いすも』と発音しても意味上の変化は期待できませんので問題ないと思われます。

タガログ語にはFもZも有りませんがそれぞれ FはH、ZはS に置きかえられています。『が』は かか とダブらせ、それを促音の『かっ』として発音されたか、
nka のような鼻から抜ける音があったと思います。

サンカ文字に いとゐ えとゑ の文字があるくらいですから が という文字がなくとも が 又はそれに近い発音又正記法はあったと思われる。
てふてふ と書いてチョウチョと読ませたように。

こうへい - 2003/12/28(日) 14:39<

紋次郎さん

こんにちは
きょうは、ぽかぽか良い天気です。小春日和ってこんな日なのかな?
サンカ文字表に、「ん」はありますよ。でも、「ぷ」や、「が」は、どうするんでしょうね?
出雲ってイズモだから、濁点が要るんですけど、どなたか教えて下さい(^^)

焼尻紋次郎 - 2003/12/28(日) 10:23<

....鳥名「さんかのごい」....

 サンカ文字にも「ン」はありません。なのに「ン」がつく用語がけっこう残
っています。
 サンカの自称は「ショケンシ」だそうで……。si は「ひと」。
 そうすると、サンカ部族はシナの渭水(いすい)文化とは起源は別だと
の判断が許されるのかな? N は「の」でもありうる。
 サンカだと名乗っていた武蔵さんの写真をみました。
 すると、セールスやったオレの目では、この人相は薩摩にしか出ません。

 特殊部落出身の書いた本をよみましたが、やはり鹿児島県の顔をしてるとあ
りました。

 わずかな類例から結論づけできるのもシロートの特権です。
 で、ここから判断すると、サンカや差別された人びととは、先祖がアラビヤ人で
貴族という名のぬるま湯に漬かっていたので「田畑という名の椅子」取りゲーム
に遅れをとった人びとだ……ということになります。

 ところで、この日本には「さんかのごい」という鳥がいるそうです。
 「ゴイサギ」というので「サンカ」という部分がこの鳥の特徴を限定しています。
鳥で「カ」がつくのですから、この「カ」は鳥です(インド系語彙)。
 しぇば、「サン」とはナニでしょう? 「サ“の”」かな? 

 アイヌ語の san には「降りる」という意味があると思いますが、これに反対する
異見もかなり根づよくあります。
 だいいち、どんな形状の鳥なんでしょうか?
 おりょんはん、おせぇてえな。
 子供も魂を運んでくるコウノトリみたいな説話を纏っていたんならウレシぃな。

 一日一語調の「サンカ用語分析」は言語篇 http://www.you-i.org/treebbs/0/index.html で。

こうへい - 2003/12/28(日) 01:26<

熊と犬

知床で聞いたのですが、人間が熊に近づくと、たいてい熊の方が先に気付いて、熊が隠れるそうです。  それも、クマザサ何本分くらいの距離で。
もし、犬を連れてると吠えたりして、せっかく熊が隠れてくれてるのに、悲惨な結末になるそうです。抱いてる犬でもです。
大事な犬でも車の中に置いて、山に入るようにって。

こうへい - 2003/12/27(土) 14:02<
イランの人々が、一人でも多く助かることを、祈ります。

こうへい - 2003/12/27(土) 11:03<

初雪??

おはようございます
朝起きたら、10時でした。
ゆうべ、何か降ってると思ってましたが、表に出ると濡れてるだけでした。
初雪を見逃したのかも。
今、石琴を作りかけてます。縄文の音がするかも・・・

管理人ヤゾー - 2003/12/27(土) 10:36<

今までの投稿は過去の掲示板へ移動しました

みなさん こんにちわ
今年も後僅かとなりました。
事件事故などに遭わぬよう 穏やかで優しい年末年始をお過ごし下さい。

ガッチャンさん はじめまして
お気持ち ありがとうございます。
ネットとの関わり方にも いろんなスタンスの人がいて良いのだと思います。
でも 顔が見えないからこそ 相手に対しての思いやりや 礼儀というのは必要なのかも知れませんね。
お恥ずかしい限りです。

きょうかいさん 大阪の野史研究会でお会いできるのを楽しみにしています。

ya(・ε^)naさん 熊に遭遇したなんて ちょっと羨ましいです。
紀伊半島では 熊がもう僅かしか生息していないそうです。
野生動物と接していて と言っても人懐っこいヤマガラやタヌキが主ですが
基本的に動物は人間のことが好きなのだという気がすることがあります。
聖者と呼ばれる人には蚊も刺さないし猛獣もネコのように大人しくなるという話しがありますが
こちらに恐れも敵意も微塵もなかったら 熊とだって仲良くなれるに違いない
野生の熊の体に触れてみたいなんて夢想してしまいます。
でも いざ熊と遭遇したら うおぉぉぉ〜と叫んで逃げることになります。

バリ師さん 朝起きたら雪景色でした。
なのに釣りバカが僕を釣りに誘いにきます。
地磯からシマアジが釣れているそうです。

PIKKIさん 前世界大戦での6500万人の死者のうち 非戦闘員の死者が4000万人以上だって
この間からNHKで再放送されている「映像の世紀」でやってましたね。
ずっと見ていましたが これほどまでに人間は残酷になれるものかと憂鬱な気分になりました。
年と共に 年々穏やかで優しいものに惹かれがちなのですが
特攻隊が敵艦に激突するシーンを見たりすると 胸が熱くなり敬意を感じずにはいられません。
思わず敬礼までしてしまいます。当時にあっては自分も志願したかも知れません。
もし自分が戦争に巻き込まれ 自分の大切なもの 例えば家族であったり故郷が踏みにじられようとしていたら
はたして自分はどうするだろうかと考えることがあります。
極端ですが ガンジーのような態度でいられるのか それとも自爆覚悟で戦うのだろうか
耐えに耐えたあげく 侠気ならず狂気が爆発して
わりゃ かかってこんかい!首だけになっても飛んでいって噛んじゃるぞ! という風になるかも知れません。
そういう極端な変わり身の早さが この国にはありそうで怖いです。


[過去ログ インデックス]  [KumanolifeGuestbookへ戻る]



当サイトが使用しているレンタルサーバーです!信頼性が高いです!


13897717344038