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2003年11月25日(火)19時05分までのKumanolifeGuestbookへの書き込みです。


春之助 - 2003/11/24(月) 23:50<

ミキちゃんこんばんわ!

ミキちゃんこんばんわ春之助です。
お元気ですか?
このところ、お父さんも忙しくって、僕の事かまってくれません
でもいいんです。一生懸命のお父さんのこと僕大好きだから
 今日はどこか遠くまでおでかけでした
大きな声でお帰りって呼んだら、「オオ、ただいま」だって
今日は雨だから我慢したけど
こんどのおやすみは、どこかにつれってってよね。

ミキちゃんはどこかにつれってってもらいましたか?
 

どうも - 2003/11/24(月) 21:52<

安心しました。

蜜柑さん、返事をありがとうございました。
存在したか、否か。存在したことすら認めたがらない何かがあるのですね。
だから一つ一つ事実を積み上げて行こうと・・・・・

とても、興味深く拝見させていただいてます。
勉強にもなります。よろしくお願いいたします。

こうへい - 2003/11/24(月) 21:42<

皆既日食

東沢美史さん こんばんわ
皆既日食の映像素晴らしかったです。
ペンギンも感激(?)してました(^o^)

東沢美史 - 2003/11/24(月) 21:13<

皆既日食&ねわたり

こうへいさん

南極から昇ったばかりの「皆既日食」の中継には肝を抜かれましたね。
地平線に浮んだ、黒目を囲む光る「一つ目」。
ゲゲゲの鬼太郎でかつて見た空飛ぶ一つ目の「ダイダラボッチ」や「天目一個神」を連想してしまいました。

井沢元彦氏は朝日を祭祀中に皆既日食に遭遇した事件を卑弥呼の終末の原因として著書に記しています。このときの皆既日食は日本列島の宮城県亘理(わたり)郡から見えはじめたことが地球科学的に証明できるのだそうです。
考え過ぎだとはおもいますが、こうして見ていると歴史民俗学でハツ子さんが「太陽」を「オツキサマ」と答えてたことも、なんかヤケにリアルなものにおもえてきました。

ミミさん

「根渡り」は初めて聞くのですが、東北には「ねわたり」とよく似た「みわたり」「にわたり」などと発音する神社名や部落名は多くあります。
しかし郷土史の執筆者はその特長を掴みかねてるようで、ハッキリとした記載がいま一つみられません。
でも、「みわ」の発音からは畿内の「三輪山」、「にわたり」からは鳥の「ニワトリ」を連想します。漢字ですと「御渡」「見渡」などで表記されてるようです。

地元の規模の大きかった竹細工の産地ではニワトリの羽ばたきを神の発する音と捉えていたためなのか、まだ夜更けなのに人々に夜明けを知らせるため人目に隠れ箕を羽ばたかせ、ニワトリの鳴き真似をし「コケコッコ−」と叫んだ人の話しが伝えられています。ちなみにですが東北太平洋側山地最大の桜樺箕産地&門付け人が出た部落名は「丹渡座」です。

またタケミナカタが出雲を追われ辿り着いた信州諏訪地方には湖面の氷結模様で占う「御渡(みわた)り」、「御神渡り」神事がよく知られています。
「根の国」を意識して発音が「ねわたり」となったりしてしまったのではないのだろうかなんて推測してしまいました。
「中」からは常陸風土記に出てくる「那珂」や沖縄地方の苗字の発音にヒントがないか考え中です。

境内に大きな石がないかとか自生する植物の種類はなんなのかとかも気になりますが、「御神渡り」との関連を探るべく近くに冬に氷結するような大きな川や湖があるかないかも確認してみたい気がしました。

こうへい - 2003/11/24(月) 21:01<

木の枝は年輪の中心、芯から放射状に伸びている

らしいのです。
そういえば、枝を払った幹は、枝跡を次の年輪で隠すから、
切ってから皮を剥いても分からないけど、
製材してみると、中から枝跡が出てくる。

こうへい - 2003/11/24(月) 19:56<

野外手帳

が来ました。なんや料理の本かいと思いました(^o^)
所々に出てくる、浜の生活は面白いです。
解説で、毛利甚八さんが、書いておられますね。
・・人が、人を越えて生きていくことは出来ないのか?
 それは、人が人であることを捨てた時始まるのだ・・・
文明生活に浸かったボクには、マンガのなかに見るしかないのか・・と思ってしまいます。

あおき - 2003/11/23(日) 23:07<

サンカでっちあげなんて無いですよ

 実際平成まで戸籍無しで生きてきた兄弟に会いましたからね
事実はごまかせないですよね がっかりする前に地道なフィールドワーク
蜜柑さんのようにすばやい行動が箕を じゃない実を結ぶんですよね

蜜柑 - 2003/11/23(日) 21:31<
岩波から最近出た「さまざまな生業」っていう本にサンカの項があります。

>どうも様
結局サンカ=三角のデッチアゲ説っていうで落ち着いちゃうから「これまでの研究なんだったんだい?」
と思って不幸になるのかも知れません。でも尾張一さんの研究によってデッチアゲでないことが判明しつつあります。

「写真でつづる上州の民俗」っていう本、図書館にあったら見ましょう!!
サンカ写真ありあますよ。1枚だけど。

雑司十郎って言う人が、その昔「サンカ入門」っていう本を出したそうです。
お持ちの方いたら、貸してください。

ミミ - 2003/11/23(日) 19:36<

千木のない神社

近くの神社でお祭りがある、と言うので行ってきました。神社の名前は根渡(ねわたり)。通りすがりに、いつも気になっていた名前でした。遅くに行ったものですから、終わっていて、役員の方たちがご苦労会をしている所でした。パンフレットも案内板も何もなく、このまま帰ったのではもったいないと思い、古老にお話を伺いました。なぜ千木が無いのか知らないと言うことでした。建て替える前は藁葺きだったそうですがやはり千木は無かったそうです。大国主命を祭ってあり、出雲大社の注連縄と同型のこじんまりとしたものが架けられていました。来週、その古老に古い写真を見せていただき色々お話を聞かせていただくことになりました。こんなことを聞いてみて、、、と言うものがありましたら、教えてください。この場所の小字は「中北」近くに「中谷」があります。

尾張の国知 - 2003/11/23(日) 17:13<

これからフクロアライです。

いま、木曽川水系の“コジキブチ”と呼ばれた、セブリバの調査から戻ってきました。
9月からボツボツと行って来ました現場調査も、本日の平板測量でレベルコンター入れ(等高線記入)作業で完了しました。
テストピット(試掘溝)の1*2mのトレンチも埋め戻してきました。手伝いの院生たちと、これからフクロアライをします。

ヤゾーさん〜 出ましたよ。鉄器の「0000」が。・・・・>今度の『歴民』に、速報のせます(予定)。

蜜柑さん〜、おりょうさん〜、武蔵サンカの調査進んでいますか〜? お互いガンバリましょーう。

おりょう - 2003/11/23(日) 14:40<

山の人生

ビッグ作家 究極の短編集「白土三平」の裏表紙裏に載っている白土三平さんの写真、風雪を耐え抜えぬいてきた野武士の如く、精悍な感じで素敵です。

三角寛の「サンカ小説」の域内の話から外にでないんですが、サンカの「掟ヤブリ」で、もしも、夫婦以外に子供が出来てしまった場合、仲間内内緒で、大金付けて(サンカは山の材料つかって技術だけの仕事だから大金持ちが多いらしい)養子に出してしまう事も往々にしてあるとか。それ以外の事情もあるとおもいますが。
普通の中学生2年が家出して山で生活していけるのかどうかわかりません。が、もし、養子に出される前に山で暮らしていた下地があったとしたら、少しは山の生活を知ってたかもしれない。サンカかどうかは別として。
中学2年で家出しても普通はのこのこと家に帰りますよね。てれくさげに。
その点、外国の子は家出というと、本当に文字通り「家を出る」という事らしいのですが。

ほんとうに「山の人生」現代版ですね。

はつせ - 2003/11/22(土) 23:41<

びっくりしました

カムイ伝の話がでたので白戸三平のHPを訪れ、びっくりしました。白戸氏は一時、「子連れ狼」の小島剛夕氏に代筆をして貰ってたのですね。カムイ伝・外伝で絵がガラッと変わったのは、小島氏の画風を習得したからだそうです。忍者といい枠外の人々の描写といい、白戸先生は偉大です。劇画調になってカムイが可愛くなくなったのはちょっと残念でした。

*(O..O)*ngly - 2003/11/22(土) 22:32<

サンカも

蜜柑さん こんばんは
 サンカも学校に行きます。有名なのは林フミ子という作家
です。確か行商しながらの登校ですが。
 10年くらい前の兵庫県の仲間からの報告ですが、サンカの
家族がいて、中学生(これも行政用語ですが・・・)の娘は
学校に通ったそうです。ただし給食前に登校し昼食をすます
と(もう用事がないから)帰宅したそうです。その親も金が
なくなれば何でも働くが、金があるときは働かないそうです。
借金をして金を返すために一生働きつづけるという行き方と
はまるで違います。このような「本来の」サンカの行き方に
触れたサンカ研究がないのは不思議です。なおその娘が言う
には「この世の中で最も美味い物は川のり」と言ってたそう
です。
 今日も調査で訪問した家の近所にサンカ系の家がありま
した。サンカ系はみのまわりにも沢山おられます。

ヤゾー - 2003/11/22(土) 11:35<

『カムイ』サンカ説

みなさん こんにちわ
久しぶりの晴天なので 今日は布団干しです。

いちご麦さん はじめまして
面白いお話し ありがとうございます。
かの柳田国男も 彼等の民俗には日本列島の文化の古層に属する重要な残留物を表示していると指摘していることからも
サンカの人たちがなにか大切なものを継承しているような気がしています。
その大切なものを知り 学んでみたいという思いがあります。

以前 サンカに見せられたお爺さんの蔵書から 
佐治芳彦さんの『漂泊の民 山窩の謎』という本を借りて読んでみたことがありました。
これがなかなか面白い本で 副題が『忍者カムイと出雲阿国』となっていました。
その本の中で カムイはサンカを意識して描いたもので
賤民でもサンカ系か すくなくともサンカの血が色濃く流れていることを
意識して描いたに違いないみたいなことが書かれてあったように思います。
白土三平さんの「野外手帳」持ってますよ。(^_^)
サライかなにかで 白土三平さんが竹細工している写真があったような気がします。

どうも - 2003/11/22(土) 10:39<

サンカ

なにかと色々詳しい方がいらっしゃるんですが、その方が「サンカ」のことを研究する人達は何故か
不幸な終わり方をされることが多いとだけおっしゃって、それ以後いっさいサンカの話題には触れないのです。
ここいらのこと、心当たりおありですか? どう、思われますか?

こうへい - 2003/11/22(土) 10:33<

皆既日食

明日?南極で皆既日食が見られるそうですが・・・
月は、太陽と見かけの大きさが同じになる位置にあります。
月の公転と自転の周期が全く同じです。だから、月は地球に表だけを見せています。
ということは、多分月から見ると、地平線の上のどこかに位置が固定されて回っている地球が見えると思います。
地球を観察しようとすれば、望遠鏡は固定してればいい?
月は、太古の昔から、生物の生理、誕生に関係している。

大昔、誰かがこの位置に月を置いたような気がする。自転、公転もコントロールされていたようにも・・・
月の石は、地球の石より古いという説もあります。

こうへい - 2003/11/22(土) 10:04<

山に住む人

生きてる間に、話が聞けると良いですね。
死んじゃうと、想像しか出来なくなります・・・

尾張の国知 - 2003/11/22(土) 09:12<

これってサンカですか?>柳田國男「山の人生」現代版?

蜜柑ヤゾウ、つくば署へ電話しましたか・・・・>素早い対応、さすがですね!!
柳田の、掲題の本の冒頭の記事・・・尾張の瀬戸の感化院、・・親と離れ離れになったサンカの子供であった・・・を、彷彿とさせます。この記事ぜひ読みたいです。
私の方、数年前ですが・・・“昼は山の中で仮小屋を作り生活していて、夜になると下界に降りれ来て、食べ物などを盗んで生活していた人が、愛知県警に捕まった”・・・・という記事がありました。研究のため、訳を話し、面会を申し込みましたが、断られました。今その人は、どうしているか・・・僕は心配してます。

蜜柑 - 2003/11/22(土) 02:00<

>これってサンカですか

そいつが、自販機アラシで逮捕されたときに、「10歳のときに親に捨てられて、その後一人で山の中で生活していた」と自供した。と新聞に載っていました。
で、つくば署に電話しましたよ。俺。
サンカじゃないかと

でも、副署長がノライクラリでした。

サンカの臭いプンプンするけど、
学校に行っていたって言うところが、チョット引っかかります。

こうへい - 2003/11/21(金) 23:58<

akira さん

二上山に登られましたか。それは、良かったですね。
ぼくも、穴虫あたりに良く行くんですが、眺めるだけで登っていません。
「飛ぶ女」には、会えませんでしたか?ぼくは、会ったとしても、ついては行けませんが・・

こうへい - 2003/11/21(金) 23:42<

不こうへいと言われても

私は、100円差で、落札しそこねたって言ってるでしょ!
前の「瀬降り物語」は、10円差で持っていかれれてもた。まあ、その後、落札したけど。
今度、3000円で全15巻出てます。落札するのって、なかなかむつかしいんやって・・ホンマ

ya(・ε^)na さん、山小屋生活楽しんで来て下さい。
アマゴは、手づかみやったら、シーズン無いの?
山に行けば、イノシシの手づかみ出来ます(^o^)

ya(・ε^)na - 2003/11/21(金) 22:56<

不こうへい・・や!!

あたいも・・一冊490円で買いましたよゥ
  えへ・・・おりょうさんは980円やったん!!
   んんんんやっぱり・・時代なんやろかぁ・・
 「野外手帳」ってあれやったんや・・
       きのこ採集や山ん中の山家の生活・・・・
     

  現代サンカ!!
   わたしの、大きな憧れ!!・
         マタギ・サンカ・・の現代版を・・痔で行ってみたい・・

  んんんんん・・痔???????
       へへへっへへへなんや・・ちゃいますねぇ・・

                  ほんまわ!!・・ちごてへんねんやろか??
         
                   どやねんやろ??
                        はっははははは・・・・・



                              やな

こうへい - 2003/11/21(金) 18:46<

おりょうさん

本は、読み手によって価値が上がったりしますから(^o^)

山奥は、なぜか老人ですね。仙人のような。
うら若き女性なんて、お会いしたことがない・・・

「野外手帳」注文してしまいました。衝動買いの見本(^o^)



おりょう - 2003/11/21(金) 18:25<

つづき

こうへいさん、おらは1冊980円で15巻、真面目に買ってしまいましたので、すごく損した気分です。

白土三平さんが長野の山を歩きまわっていた時代、山奥で住んでいた不思議な老人と出会い、
毎日、山へ会いにいったという話がありましたが、きっとサンカ老人ですね。

通りすがりの者です - 2003/11/21(金) 18:20<

これって山窩ですか?

Y!ニュースより
ヘビ、ネズミ食べ40数年 窃盗未遂の「自称男」

 自動販売機から現金を盗もうとして窃盗未遂罪に問われた群馬県生まれの住所不定、無職、自称加村一馬被告(57)の初公判が21日、土浦簡裁(芳田圭一裁判官)で開かれ、検察側は冒頭陳述で、被告が山の中でヘビやネズミを捕って40数年間1人で生きてきたことを明らかにした。
 被告が名乗った戸籍には該当者がなく、兄とみられる人に写真を見せても確認できず「自称」のまま起訴された。
 冒頭陳述などによると、被告は中学2年の時に家を飛び出し、栃木県の足尾鉱山の洞穴で生活。関東の山や川を転々とし、浅瀬でコイやナマズを捕ったり、山で山菜やヘビ、ネズミを食べたりしていた。最近は茨城県つくば市内の河川敷に住み、魚を捕ったりして暮らしていたという。
 加村被告は公判で起訴事実を認めた。起訴状によると、被告は9月、つくば市で、河川敷で拾ったバールで自販機をこじ開け、現金を盗もうとした。(共同通信) [11月21日17時46分更新]

こうへい - 2003/11/21(金) 16:52<

「野外手帳」

おりょうさん、「野外手帳」の古書・・青森県にありました。
400円
1000円超すと、ボクには高額(^o^)

おりょう - 2003/11/21(金) 15:21<

白土三平さん

「カムイ伝」15巻全部で1600円ですか?安いですねー、吃驚です。

>白土三平FUNのHP有りました。
面白そうなページですね。あとでゆっくりみて見ようかな。

「カムイ伝」8巻みていて「山の民」の絵の鷹匠などもサンカなんでしょうか。

白土三平さんは少年の頃、長野にお住まいで、長野の山をかけまわっていたというからサンカのことは詳しいでしょうね。
今は、千葉県内房の萩生の方でお住まいのようですね。
白土三平「野外手帳」やなさんが喜びそうな、海の幸、川の幸、茸類、猟師料理、猟師達の話等など話題満載。面白い。
猟師達が影で白土三平さんのことを”マンガ”とよんでいるらしい。



- 2003/11/21(金) 12:32<

出雲・・・・

両側から海が迫り、大陸の一部が極端に狭まった地形を地峡と云います。

そのような地形を縄文弥生の人は、イスモ と言いました。

出雲は縄文弥生語です。

いちご麦 - 2003/11/21(金) 10:57<

早速、まちがえました。

阿木米得→阿基米得でした。すみません。

いちご麦 - 2003/11/21(金) 09:24<

はじめまして

阿木米得(あき よねと)著「謎のカタカムナ文明」P.241に「カタカムナ文明の起源を求めるとしたら、...山窩系などの秘密結社が
あるのかもしれない。......」という言葉があり、お邪魔しました。
以前には、浜本末造(橘 香道)検索で、辿り着き、「天川の霊能者」を読ませていただいておりました。
浜本末造著書「万世一系の原理と般若心経の謎」とは、昭和48
年に出会い、平成11年発行の娘さんの著書「無空相__橘香道の提言」(榊原タカ子 心泉社)も読ませていただきました。
今は、「謎のカタカムナ文明」を繰り返し読むことに没頭しておりますが、『サンカ』という言葉に非常にひかれておりますので、宜しくお願い致します。

△うぶ <http://homepage1.nifty.com/kumori-hibi/sirato01/sirato01.html> - 2003/11/21(金) 01:39<

白土三平FUNのHP有りました

画像も沢山。(↑URLクリック)。先生の消息も。本も販売してる。

こうへい - 2003/11/21(金) 01:17<

2Bより恐いカンスプレー

昔、夜勤で漁師の息子とカンスプレーで遊びました。
頑丈な、焼却炉の火の中に空のカンスプレーを放り込みました。ボンッ
半分残ったヤツ・・ボンッ ボワー
新品を・・ボーン、ボワーと焼却炉の三倍くらいの炎が横から、下から吹き出しました。
あれは、缶が熱で破裂して、そのあと入っていた塗料の広がったのに火が着くんやね。
夜やから、迫力ありました。
気が付いたら、新品の入った箱半分ほどになっていました。
証拠隠滅に必死でした(^0^;)

△うぶ - 2003/11/21(金) 01:10<
皆さん、充分悪ガキ悪メロだったみたいで、、、、結構ケだらけ、、でした。
2B、投げ相い戦、煙出てから5秒待って投げるのが、バラツキが有って、よく自爆しました。
駄菓子屋行ったら、サッカリン、チクロ、原色バリバリの怪しい菓子ばかり、、、、一杯食べた。
雨降れば、中ソの核実験放射能の雨、傘もささずに、髪の毛ボトボト。
車は排気ガス垂れ流しで、臭い臭い。川の水は青やら紫やら。、、、、、今生きているのが奇跡です。  
栄養不過と人口甘味のお陰で肥満にもならずに済んだが、、、既にミュータント人かなあ?
楽しみだったのが、TV番組「おらあ 三太だ!」(渡辺篤、ジュディオング)、
♪おらーの家は 水車小屋〜〜♪、、、、、これってサンカの事だったんかなあ?
>それより強力なBというのもあったような
アツ!、かすかな記憶が。  2Bって一本いくらだったんだろ?1円か2円くらい?Bは8円か10円?
>カムイ伝
「少年」連載では無かったような?、「少年サンデー」あたりか?、、、「ガロ」には連載してた(後日)。

こうへい - 2003/11/21(金) 00:37<

「カムイ伝」全15巻

ヤフーオークションで1000円で出てたので、1500円突っ込んどきました。
仕事から帰ってきたら、1600円で取られとったいしょ(`ヘ´)
だれや、ほんまに、邪魔しおって・・2B弾、10本束にして口に突っ込むど・・ほんま

ya(・ε^)na - 2003/11/21(金) 00:03<

蜜柑さんほかにも・・

文庫本8巻P244〜もなんやおもしろいですねぇ
 白土三平は先に三角の本よんどったんとちゃいますやろか??
     

ya(・ε^)na - 2003/11/20(木) 23:11<

げーーーなんじゃ・・こりゃーーぁ!!

  松田優作もびっくりや!!

      ゲーーーーーッ!!
  どこでついたんでしゃろねーーぇ!!
   どこへ行っても、付いてきます・・・
このなんともいわれへん・・スンゲーー匂い!!
  あたいは、でったいきらいなんですよう・・・・・
   たすけてくでーーーぇ
 どうも、どこぞのお宅に寄せてもろた時によばれてしもたみたい・・
  それとも、ねこちゃんからじかに、マイシューズにされたんか??
  とにかく、えらい匂い!!
     ネコのしょんべん臭!!!!
      ゲーーーーーー
   あした、さらの靴かわんとあきません
    洗ても取れへんこの匂い!!
          ひえーーーー!!
     強烈!!
  二B弾つっこんだろか!!
     くそーーーぅ

                 とほほほほほ・・

  せや!・・2Bで思い出したよん
   模造トンプソンの空薬キョウに火薬おもくそ詰めて一発かましたりました
     模造のワルサーのんにも詰めたりました
  ドカーーン!!!・・
    ウヒャーーーー!!   すんゴイ火柱!!
            学校中にこだましました・・
     先生がすっとんできました
   あほは・・・
        飛んで逃げました・・
     昔のお話
          
                おおこわーーぁ

akira - 2003/11/20(木) 21:30<

二上山

皆さんお久しぶりです。
先日、五木寛之「風の王国」を読み、早速、二上山へ登ってきました。
結構、傾斜がきつかったです。
サンカに関する収穫は今回、私の知識をもってしてはありませんでした。
すいません。

おりょう - 2003/11/20(木) 19:22<
子供の頃遊んだ思い出に、原っぱの通り道に落とし穴つくったりして、誰かがはまった形跡があると喜んだりしてました。あと財布に糸をつけて道の真ん中においておくんです。そうすると向こうから、おばさんがやってきて「あら!こんなところに財布が落ちてるわ」なんて腰かがめて拾おうとする、その時です、財布を物陰からぴぴぃッと引っ張るんです。そうすると、おばさんは「あ〜ら、ひっかかっちゃった〜」みたいに、苦笑いしながら通り過ぎていくんです。それをみて私達は、次の獲物がくるのを待つンです。けど、そいう時って、なかなか人がこないんです。そのうち厭きてきたりして・・楽しかりしあの頃です。

こうへいさんカムイの漫画いっしょじゃないんでしょうか。私のもってるのは1989年となってます。
改めて読みなおしたいと思うんですけどなかなか。

蜜柑さん、「カムイ伝」久し振りに開きました。 南無谷沢(一)のところにでてました。
野鍛冶の伝次というサンカが・・・。
三角さんの本にあったのかどうか。
「箕作り組合」検索しても、なにもでないですね。

「ハチヤ同盟」はドングリさんのページででました。

ヤゾー - 2003/11/20(木) 18:15<

戦争ごっこ

みなさん こんばんわ

こうへいさん あれは田ウナギというんですね。
そういえば血がいっぱい出たような記憶がありますから
チウナギと呼ぶのも頷けます。

BBではなくて 2Bでした。
それより強力なBというのもあったような気がします。
煙の色が変わったら爆発したりして 長いこと持っていた方が偉い!みたいな遊びがありました。

小さなころ 戦争ごっこに巻き込まれたことがありました。
田圃を埋め立てて社宅ができる前の 砂山がたくさんあった場所で
地区の違う子供どうしが 最初は泥だんごを投げあって戦っていたのでした。
そのころは 学年を越えて遊んでいましたので
小学校低学年から高学年まで一緒に遊んでいたように思います。
その戦争ごっこが だんだんとエスカレートしてきたのは中学生が参入してきてからでした。
陣地を決めて 陣地を攻め落とされたら子分になるというルールができてしまったのです。
そしてそれぞれのグループが兵隊を集めだしたのでした。
当時 低学年だった僕も兵隊にされてしまいました。
最初はスリルもあって 楽しかったのですが
そのうちに 田圃の粘土質の土で作った団子に2Bを刺して投げ合うようになりました。
爆発したら 団子が炸裂してけっこう迫力がありました。
子供心に もうこれは遊びではなく 本物の戦争だと思うようになりました。
中には兵隊ヤクザの勝新ばりに敵の陣地をめがけて突撃する猛者もいて
まともに団子が顔に命中して泣き出す兵隊もでてきました。
それはもうドキドキハラハラで 攻め込んで敵の陣地に近い砂山に取り残されようものなら
泣きべそをかきそうなくらいビビリました。
そんな戦争ごっこがマンネリ化したころ 中学生が秘密兵器を持ち出したのでした。
それはロケット花火を水平撃ちするという禁断の手段に及んだのでした。
それからというものは 敵がロケットを発射するときにはこちらが砂山の陰に伏せてしのぎ
終わったらこちらが発射するという まるで花火大会のようなありさまになりました。
日が暮れかり 薄暗くなった頭上をロケット花火が通過するときの興奮と
なんでこんな恐ろしいことをしているのだろう?早く家に帰ってご飯食べたいよ〜という醒めた思いを通して
戦争のむなしさを思い知るのには充分な遊びでした。

- 2003/11/20(木) 13:50<

2B弾・・・・・

盆踊りの輪の中に2B(にいびい)弾を放り投げこんだ。
踊っていた人たちはビックリして飛び上がった。
それを見て俺の方がもっと驚ろいた。
それで慌てて逃げた。
でも、
大人につかまちゃた。

家に帰って太ももを見たら三箇所くらい青あざができていた。
頭にさわったらタンコブができていた。
(っ>o<)っイエーイ!

蜜柑 - 2003/11/20(木) 02:59<

カムイ伝の

文庫本の8巻 P252
「現在でも箕作り組合が、そのまま山の者の組合であることからみても〜」
という解説があります。
三角の本にこんな記述あったっけ?

こうへい - 2003/11/20(木) 02:09<

BB弾??

△うぶ さん、そういえば、BB弾って、ゴキ殺しの鉄砲の弾やないですか。
2B弾ですね・・そう言えば。
月刊雑誌「少年」は、10大付録なんてありましたねー。鉄人28号がアトムより良いのはなぜなんでしょう?
「カムイ伝」??って読んだ筈なのに、覚えていない。中身を・・
思い出すと、歯医者さんの待合室かなんかに、「マタギ」とか、「ゴルゴ13」とかと一緒に並んでいて、順番待ちで読んでいたんでしょう。多分。

「ハリスの旋風」・・「ゆうやけ番長」・・「750ライダー」・・「あしたのジョー」
「おれは直角」「元気くん」・・・・
もう、寝よ・・・・

△うぶ - 2003/11/20(木) 01:49<

BB弾?

僕らは「2B(にいびい)」と言ってましたけど、、、地方差?時代差?メーカー差?
「えんしょうだま」も遊んだ、「ばくちく」はばらして使った。月刊雑誌「少年」では
白土三平の「サスケ」、石森の「少年同盟」が好きだった。「ストップにいちゃん」なんてのも。

こうへい - 2003/11/20(木) 01:11<

おりょうさん

こんばんわ
>白土三平さんの「カムイ」も読んでくださいね

昔、読んだ「カムイ伝」とか言うマンガとは、ちがうんですか?
無知なもので、すみません

こうへい - 2003/11/20(木) 00:37<

BB弾

は、下の川で泳いでる連中の真ん中に放ります。
水面で、黄色い煙がでてから、爆発します。忘れた頃に、こんどはボクらが狙われます(^o^)

あおき - 2003/11/19(水) 23:16<

ごぶさたしてます

 BB弾なつかしー 実家が駄菓子屋だったので かんしゃく玉や爆竹なんかもいっぱいあって 腰に巻いて
草むらのバッタとか爆破してました 今思えばテロですよねー
 やっと引越しが一段落してネットが見れるようになりました
とんちんかん小僧さん久しぶりです 何かいろいろ思うことがあったんですね
私もいま忙しくてひーひーいってます 仕事やめたい

こうへい - 2003/11/19(水) 14:28<

田ウナギ

ヤゾーさん、あれは、田ウナギっていうやつです。
こちらでは、チウナギとも呼びます。
ベトナム、中国では、田ウナギ料理があるそうです。
黄色っぽくて、ヒレが無くて、目が奥目で気色の悪いやつです。
何年か前、ウナギ捕りの竹筒を沈めて置いたら、こればっかりで、がっかりしたことがあります。
触るのも、気色悪いやつでした(^_^;)

ヤゾー - 2003/11/19(水) 13:37<

タイワンドジョウの不思議

みなさん こんにちわ

今日は朝から冷たい雨。
向いの山は墨絵のように霞みがかかって風情があります。

釣楽さん はじめまして
ご丁寧な挨拶 痛み入ります。
勝手な持論ですが サンカの末裔には釣り好きが多いというのがあります。
宜しかったら
釣りのお話でもお聞かせ下さい。

ya(・ε^)naさん そうでした。
亀のタマゴは細長い形をしていました。
実は僕も亀のタマゴを孵そうとして失敗したのでした。

小さなころ 川遊びをよくしたものです。
今から思えば 残酷な遊びもよくしました。
川の護岸が石垣だったころ 石垣の隙間などにタクワンのようにな黄色い色をした
僕たちがタイワンドジョウと呼ぶ気色の悪いウナギのような生き物がたくさん居ました。
それを毎日のように捕まえてはBB弾(爆竹のようなもの)を口に入れて爆殺していました。
まるで仇のように捕まえては殺すということを繰り返していましたので
川沿いの道にはタイワンドジョウの死骸がるいるいと横たわっている有り様でした。
今から思えば どうして仇のように殺していたのか不思議です。
また あれだけ居たタイワンドジョウを最近見ることがなくなったので
魚類図鑑やネットなどで調べてみると タイワンドジョウは雷魚の一種とあり
写真を見ると どうも小さなころに殺していたタイワンドジョウとは違うみいな気がします。
僕たちが仇のように殺していた黄色いウナギのような生き物はなんだったのか不思議です。

- 2003/11/19(水) 10:19<

訂正・・・・

雄略の11月から崇神の1月(1ヶ月と考える)過ぎた月は12月です。

崇神を垂仁に訂正させていただきます。

- 2003/11/19(水) 09:54<

藤原不比等が明かす真実・・・・・


藤原不比等が明かしたかった真実とは大和朝廷の初代天皇は崇神(スジン)であると言うことでしょう。そのために、二人の天皇に同じ歌を残させマハラバを誤った記述にさせて間違いのあることを示したと思われる。
それでは、不比等はどのような謎かけをして崇神の正体を明かしたかを推理してみたいと思います。藤原不比等は倭健命(雄略天皇)が真実を明かしている流れをとってますので雄略天皇に登場していただきます。

大泊瀬幼武尊(雄略天皇)の即位は 456年とあります。

456年と、ただ数字を順序よく並べたような年を選択して即位できたのは、偶然性を強く感じる。子供の頃お正月にはすごろくをして遊びましたがこの456もすごろく遊びの隠語として用いられていましたね。すごろく遊びには“ふりだしえへもどる”という規則がありました。不比等が言うふりだしは二人の天皇の“何代目の即位”に置いてあるようです。雄略天皇は第22代で景行天皇は第12代ですから22代から12代戻ると10代で崇神に当たります。ヽ(*^‐^)人(^-^*)ノ

数字の謎解きを始めます。

垂仁天皇  在位 前 29年  1月 2日 
景行天皇  在位  71年  7月11日
崇神天皇  在位 前 97年  1月13日
雄略天皇  在位  456年 11月13日

先ず即位年から・・・・
456年―97年―71年―29年=259年

259年が崇神天皇の即位年であるといっているようです。

即位月から・・・・
雄略の11月から崇神の1月(1ヶ月と考える)過ぎた月は12月です。
この12月から景行の7月が過ぎた月は7月です。
7月は一寸保留します。残された崇神の1月は初代を表している。

即位日から・・・・
崇神の13日と雄略13日を合わせると26日になります。
景行の11日は歴代天皇第11代を意味し、それが大和朝廷第二代天皇であると言うのが2日という垂仁の即位日に充当させている。

即位月と即位日を合わせると・・・・
先に保留した7月と26日を合わせると7月26日が組み立てられます。
7月26日はマヤ暦のお正月(1月1日)に当たります。

初代崇神が1月1日なら次の日は1月2日です。
ですから、二代垂仁の即位日は1月2日になっているのです。

これが、史実のはずです。はずです。ハズです。・・・・・・

天皇の名前の謎についてはこの次にします。

たま - 2003/11/19(水) 04:50<

「法螺」追記

>“ホン”の“ン”は最後尾ですから、ハヒフへホの最後のホを意味していま
>すが、法螺じゃない文字は“ハ”で、“ロ”も法螺じゃない文字は“ラ”です。

「ン」が最後尾と仰いますが、初期の五十音図には「ン」は無かったのです。
そもそも奈良時代(万葉集、古事記、日本書紀)以前には「ン」を表す文字
が無く、「ム(牟・武・務・夢・茂・無・鵡・謀など)」で表していました。
「いろは歌」にしても最後の「ン」は後世に付け加えられたものです。

たま - 2003/11/19(水) 00:41<

Re: 法螺

>倭健命は言いました。
>「“まほらば”の“ま”と“ば”に挟まれた二文字は“ほら(法螺)”です。
>
>法螺は景行天皇の“まほんろば”の本呂(ホンロ)の二文字です。
>“ホン”の“ン”は最後尾ですから、ハヒフへホの最後のホを意味していま
>すが、法螺じゃない文字は“ハ”で、“ロ”も法螺じゃない文字は“ラ”です。

倭健命が実在の人物だったかどうかは別として、雄略天皇と同時代ならこれらは
五世紀の話ですね。ところが「五十音図」が出来たのは11世紀といわれ、しかも
現存する最古の五十音図「孔雀経音義」では「カキクケコ」ではなく「キコカケク」の
順番で並んでいます。これが後に「カキクケコ」に改められたわけで、少なくとも倭健命
や景行天皇の時代に「ハヒフヘホ」を使った言葉遊びがあったとは、とても信じられ
ない話です。

ということで、私は降ります。

- 2003/11/18(火) 18:48<

部分否定・・・・・

「・・・・・はず。」をカタカムナでの解釈。

「ハ」について・・・・
一、・・・・を(あなたはしないが)私はする。と言う二つの矢の思念があります。
二、・・・・の相似象である。と言う思念でもあります。

「ズ」→「ス」について・・・・
一たび生まれたものはあくまで生存を保つ方向へ進むのが本来性である、しかしあらゆる現象には必ず極限がある。「ス」は潜象界の限界を示している思念です。
現象界に出たいのであるが出ることが出来ない思念でもあります。

「ズ」は「ス」の継続(連続)状態にあると云うことになります。

ですから、「ズ」は完全なる肯定を完成している文字ではなく、否定亦は部分否定を表す文字だともとれます。

「・・・・ハズ」とは
「・・・・」が部分否定(ズ)と相似象(ハ)であると言うことになります。
・・・・を(あなたは思わないが)わたしは思う。ということです。

「・・・はず」は否定亦は部分否定の言葉だと解釈しています。

二者択一はその時によりけりだとは思いますが、たとえ一方を選択することかあろうと他の残された一方を潰さず壊さずの生き方ができたら素晴らしいと思いますので修行中です。・・・・中々難しいです。・・・・

とんちんかん小僧 - 2003/11/18(火) 16:34<

暖かく迎えて下さりありがとうございます。

おりょうさん、紋さん帰ってきました。
やさしい言葉心よりありがとう!!
僕はただただネットに手に付かなくなってきていたので一度スッパリ書くの止めることにしたわけですよ。自分を見つめなおす時間にもなりとても良い時間を過ごすことができ良かったと思います。
これからは、また過去の掲示板を読みつつ根来衆の手がかりを模索して行きたいと思う。
今日さっきビートルズの「レット・イット・ビー…ネイキッド」を購入し聴きました。
思わず感傷的になり泣きそうになった。オリジナルはやはり良いですね。
まるで周りの音が全て消えビートルズの音楽だけが耳に入ってくる錯覚に陥ってしまいました。
生のライヴを聴いているようでした。

- 2003/11/18(火) 13:43<

法螺・・・・・

小学館ランダムハウス英和大辞典で・・・・

maharajahはマハーラージャ、大王:インド王侯の尊称。(またはmaharaja)
とあり、
英語→ダガログ辞書でmaharajを引くとmaharabaとありました。

倭健命は言いました。
「“まほらば”の“ま”と“ば”に挟まれた二文字は“ほら(法螺)”です。

法螺は景行天皇の“まほんろば”の本呂(ホンロ)の二文字です。

“ホン”の“ン”は最後尾ですから、ハヒフへホの最後のホを意味していますが、法螺じゃない文字は“ハ”で、
“ロ”も法螺じゃない文字は“ラ”です。

ハ行ラ行の最初の文字が本当の文字ですです。

ですから、正しく置き換えられると“マハラバ”と言うことになります。」

と言うことで、皆様の清き一票をお願いします。ヽ(´▽`)/へへっ

ヤマトタケルはスサノヲのことだと言う子供の頃からの思いは今でもingです。

タラシとワカタケを名乗る二人の天皇の言葉遊びを通して沢山の謎が隠されていると思っています。

此処に隠された謎はサンカとやぶさかではありません。

神武と崇神を抱き合わせて思考すると色々なかとがわかります。

長くなるので、つづきは亦にします。

紋次郎 さん
異質の言語観は10月から読んでますよ。
何か書いてあるか毎日覗いています。(あしからず。




焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2003/11/18(火) 10:22<

...ヒラカムナ の おすすめ ....

 たまさん、アマカネ(これニューギニア高地石器時代人のあいさつです)。
 おれ(これ、アラビヤ語ですって)も、まはらばを追いかけています。
 でも「考えろ」いわれても、判断資料はぜんぜんインプットされてないんですから
、日本語だけを知っているシロートでは考えようもないんじゃないでしょうか?
 
 ネパール語、朝鮮語でまあまあのところまで接近できますが、ズバリはでません。
 その“ズバリ”を持っている言語群は「南アラビア語」だと、ここでかなり古いカキコ
ミがありました。R.H.言語博士に問い合わせたところ、それらはマハリ語、バトハリ語、
ハルスーシ語、ギッバーリ語、コソトラ語の語群ですが、それら一つひとつにマハラバが
入っている保証はありません。

 でも、あそこは、約3000年間、ダウ船が往来し、ユーラシア言語の母胎となった地
帯ですので、語彙は広範囲に貸借されていることでしょう。
 「語源銀座」ともいえる“あそこ”の西南のつきあたりに3000年の皇統を誇ったエ
チオピアがあります。そこで話されていたスワヒリ語に mahala.,.mahali という語形で
「場所」という語彙があります。

 ふうしゃんに、ここで気持よく書いてもらうために、おれ、当分間、座を外します。
 「ヒラカムナ」を http://www.you-i.org/treebbs/0/index.html でおすすめし
ています。
 「有る」とか「成る」「事」「為」などと書いたら、それだけで馬脚をだしたことにな
っているんです。ま、読んでみてください。
 

たま - 2003/11/18(火) 04:25<

Re: 挑戦してください。・・・・

>まホンロば・・・・景行天皇
>まホラば・・・・・倭健命(雄略天皇)
>
>まはらば と 書くのが正しいはずです。
>
>景行天皇と倭健命(雄略天皇)の優雅な言葉遊びのようですが、
>何故、まはらば と書くのが正しいか謎解きに挑戦してしてくだい。

面白そうなので挑戦したいとは思いますが、その前に教えて頂きたいこと
があります。風さんはこの「正解」を知っていて、私たちに「解いてみろ」と
とおっしゃっているのですか?
それとも、ご自分もわからないので一緒に考えよう・・・ということでしょうか?
もっとも、その場合は「正しいはず」とは言えませんよね。

「ヤマトタケル=倭健命=雄略天皇」説は、一般的には認められていません。
まずこの辺からご説明をお願いしたいところですが如何?

ya(・ε^)na - 2003/11/18(火) 00:28<

ドロガメ!!

むかし・・ドブがわの淵に亀のたまごがおました・・
 まんまるでのおて、少し長ぼそかった記憶がおます・・
   興味本位で割ってみたら・・なななななんんと亀の形・・もおちょっとで孵化するとこやったんやろねぇ・・首がでれーーんっとなってました
  一個や二個とちゃいました・・よおさんおましたよぅ
  ピースの空き缶に、でんでんむしとおたまじゃくしそれと亀の卵・・一緒に煮たことおます
    むかしは、こんなことする機会があったんやねぇ・・
       残酷も糞もあらへん・・
   何でも平気!!・・おおこわっぁ・・

釣 楽 - 2003/11/17(月) 21:08<

大変勉強になります

みなさん、こんばんは。
始めまして、千葉県在住の(釣楽)と申す釣り師です。
お礼方々初投稿を致します。
某渓流釣りの掲示版で、此処のご常連様がサンカについて書かれ以来興味を持ち、
その方からこのHPを教えて頂きました。
↑サンカの存在を全く知りませんでしたし、生き様の壮絶さ・気高さに驚きました
毎日のように掲示版を拝見し、紹介されていた本を読んで参りました。
投稿内容があまりにも専門的で殆ど理解できず、この投稿も躊躇しておりましたが、
何だか盗人のような心境で踏み切りました。

本を読む側から忘れる歳に成ったせいも有るのでしょうが、
「サンカとは?」読み漁るほどに分からなく成ります。
古代人サンカは、何時・何処から来たのだろうか?
海人族と呼ばれる人達が、後のサンカではないのか?
純血に拘るサンカが、なぜ外見で判別出来ないのだろうか?
ハタムラとは言え、なぜ内部告発者が出なかった(八切先生くらい?)のだろうか?
原始的自足で十分であった時代から、なぜ・何時に糧を求めて里川を移動(消費者
の近くに住む)するように成ったのか?
私も若しかしたら、サンカの末裔かも知れないな〜?
素人的な疑問とお笑いでしょうが、こんな想像するのも楽しいものです。
此れからも掲示版を読む専門ですが、こんな者が居ることを報告すると共に、
皆様の益々のご活躍を期待しております。

- 2003/11/17(月) 20:20<

鷲が峰が知っている。

>いまだに こうへいさんの案内で釜中のガツロで見た
>石垣の跡ようなものが なんの為のものだったのか
>また それについてなんの伝承も残っていないというのが不思議でなりません。

ガツロという言葉は、紀元前1000年頃まで遡ることが可能だと思います。

鷲が峰の周りに川がありますから、鷲が峰に水素と酸素の解離ガスが溜まる可能性があります。

大昔に地震が発生した時、解離爆発をおこして峰が釜中方面に吹っ飛んだ可能性、
亦は、地震によって鷲が峰の一部が山津波をおこし釜中方面を襲った可能性も有ります。
山津波は解離ガスによっておこるそうです。

10世紀も経過すると大事件も記憶に残らないでしょうね。
言葉だけが ガツロ として残されている。

ヤゾー - 2003/11/17(月) 19:31<

ガツロの不思議

みなさん こんばんわ

>ヤゾー オメデトウ

蜜柑さん 万歳三唱したい気分であります。

>訂正の方法が解りません。ヤゾーさん処理を宜しくお願いします。

風さん 訂正はできませんので削除するしか方法がありません。

>おりょう さんと「ポンの行方」というタイトルで、『歴民』へ論文かきます。

尾張の国知さん それは楽しみです。

いまだに こうへいさんの案内で釜中のガツロで見た
石垣の跡ようなものが なんの為のものだったのか
また それについてなんの伝承も残っていないというのが不思議でなりません。

- 2003/11/17(月) 18:37<

挑戦してください。・・・・


「夜麻登波 久爾能 麻本呂婆 …」(景行天皇)。やまとは くにの まほんろば
「夜摩苔波 区珥能 摩保邏摩 …」(倭健命)。   やまとは くにの まほらば

まホンロば・・・・景行天皇
まホラば・・・・・倭健命(雄略天皇)

まはらば と 書くのが正しいはずです。

景行天皇と倭健命(雄略天皇)の優雅な言葉遊びのようですが、
何故、まはらば と書くのが正しいか謎解きに挑戦してしてくだい。

第12代 大足彦忍代別尊(景行天皇) オホタラシヒコオシロワケノミコト
在位 71年 7月11日〜 130年11月 7日

第22代 大泊瀬幼武尊(雄略天皇) オホハツセワカタケノミコト
在位 456年11月13日〜 479年 8月 7日

二人の天皇の“やまとことば遊び”を通して、やまと初代天皇は崇神天皇であると云うことを日本書紀と古事記に別けてに書き残してあるようです。
それは“まはらば”という言葉が証明しています。

が、
神武天皇の即位を否定したものでは有りません。

こうへい - 2003/11/17(月) 13:25<

風さん

ありがとうございました<(_ _)>

- 2003/11/17(月) 11:49<

私的結論

>「ながツロい」って、長いを強調する言葉なんでしょうか?

“ が ” は主語を構成する助詞。
“ つろ ”は“ 指し示す、教える ”と言う古代日本語。

だと、思います。

ながツロい→名が意をツロ→名が意を教えて(指し示して)いる。

現代語での解釈はこの様になると思います。

こうへい - 2003/11/17(月) 11:27<

イシガメが水中で集団越冬する

って、初めて知りました。
自然博物館の指導員なんか、適任でしょうねえ。易さんは、どっかの館長さんになってるのかもしれませんね。

こうへい - 2003/11/17(月) 11:18<

「ながツロい」

「ながツロい」って、長いを強調する言葉なんでしょうか?
重いー>重ツロい・・・みたいな。

こうへい - 2003/11/17(月) 11:12<

風さん

ありがとうございます。長津路はボクも以前検索して、出てきました(^^)

- 2003/11/17(月) 10:36<

これなら気に入って戴けますか?

南伊豆の昔話

か く れ が の 里
南伊豆の長津呂(ながつろ)の里

「昔々、南伊豆の長津呂(ながつろ)の里に与丸という若者が住んでおりました。
与丸は年とった母親とニ人ぐらしでした。与丸には、一枚の田畑もなく、財産といえば赤牛一頭だけでした。」・・・・・・・・
http://www6.ocn.ne.jp/~y-rinkai/nanzura/kakureganosato.htm

こうへい - 2003/11/17(月) 09:41<

風 さん

ありがとうございます。
言われるように、東北地方の方言のなごりが残っていたのなら、大変うれしいのですが・・・

- 2003/11/17(月) 09:25<

やっとみつけた ・・・ ガツロ を・・・・


こうへいさん! みつけましたよ。 がツロ。

東北地方の一部で使われているようです。
「ながツロい」、現在は“長い”と言う意味で使われているようです。

“名が位”で名前が地位を表すとか、“奈が居”で、昔、そこに神社仏閣があった場所とかのを表した。そのあたりにガツロの語源があったようにも思えます。

ガツロの使用例が一つしか見つけられませんでしたが、
もしかしたら、鷲がツロ峰として使われていた可能性もあります。

袖ヶ浦 ← そでがツロうら 、 霧が峰 ← きりがツロみね 、 八重垣 ← やえがツロき、 
天の群雲を模写したと謂れのある ウメガイ ← うめがツロい 等。
のように使用することが許されて居たかも知れません。   

この様に思考を進めてみると、何か日本語の基本部分と係わっているように思えます。

日本語の主語には“は”と“が”を用いますが、“は”は相似事象との関係から導きだされたと思う。
私は大人です。大人が主体で私はその相似事象である。
私が大人です。“が”を用いた場合は、主体の大人を主語の内部に取り込む形で主語の成立をはかったのではないか。

古代縄文人は宇宙事象の相似事象を自身の糧として生きてきた。
つまり、宇宙事象を越えないと言う意味での宇宙事象の下僕であった。
だから、あくまで相似事象が主体に置かれているので、日本語には主語がないという理論も成立するように思えます。

尾張の国知 - 2003/11/15(土) 10:38<

蜜柑ヤゾー も オメデトウ

隔世遺伝が最も影響力が発現します。
蜜柑ヤゾーも、間違いなく、どちらかの(または、双方の)祖父母が「ポン系」のサンカであったことが判りました。し〜りませんでした・・・今度、改めて研究のため、面談取材させてください。正直に答えてくださいネ!!
それを基に、おりょう さんと「ポンの行方」というタイトルで、『歴民』へ論文かきます。

- 2003/11/15(土) 09:53<

当たって初めて弾。・・・



たまさん、ご指摘どうも有難う御座います。

左脳と右脳の働きが逆転しちゃた見たいです。(*^3^)/〜☆
 
(○EX大会と、阿弥陀聖・・・・・風 - 2003/11/09(日) 12:50)
では、tanga’を正しく使って居たのに。・・・・

訂正の方法が解りません。ヤゾーさん処理を宜しくお願いします。。<(_ _)> ヘヘー!

おりょう さん
>スッポン捕りにでかけたまま易さんは何処へきえてしまっんだろうか。

フィリピンに渡って仙人に成ったのかも知れませんよ。・・・・・
外国で何の抵抗もなく生活できてる者は、サンカに通じるものを感じます。

蜜柑さん
大トロを食べさせて貰った亀さんのお礼で、竜宮城へご招待されたと言うようなエピソードはないのでしょうか? 

亀さんは美味しい美味しいと喜んで、蜜柑さんは痛い痛いと泣いちゃって。
お〜!これは正しく正反親和が成立しているぞと思わず笑ってしまいました。・・・・

蜜柑 - 2003/11/15(土) 02:38<

ヤゾー オメデトウ

子供の頃は遺伝子が自由に発現する時期であります。
そのころ、亀捕りに夢中になったと言うことは
君の先祖はサンカです。

ボクも亀捕り真剣でした。

昔、父にボーナスが出て、珍しく「特上寿司」を出前でとりました。
ボクは、真っ先に見たことも無い大トロをとり、
わさびを丁寧にそぎ落とし、
飼っていた亀にあげました。亀はもちろん、パクリと食べました。
その瞬間、ゲンコツが飛んできました。

「ウェーン、筋っぽくて、一番安物そうにみえたから、亀にあげたんだよー」

ボクの亀は、我が家で誰よりも早く大トロの味を覚えたのであります。

おりょう - 2003/11/14(金) 23:53<

ポンの行方

スッポン捕りにでかけたまま易さんは何処へきえてしまっんだろうか。

たま - 2003/11/14(金) 23:01<

tagaとtanga

風さん 初めまして。

カタカムナは凄いですね、でもタガログ語はちょっと疑問があります。

>依然、多賀神社についてtagaは間抜け(タガが外れている)と書きましたが、
>多賀には今一つtangaと言う言葉がありす。意味は出生、出身と言うことです。

これは逆ではないでしょうか?
tagaは接頭語としてtaga-Brazil(ブラジル人)のように、出身を表す時に使いますし、
tangaが「間抜け、アホ」ですが・・・

こうへい - 2003/11/14(金) 22:23<

「ガツロ」

って、鷲が峰の昔の呼び名っていうことでしょうか?
うーん・・・・

- 2003/11/14(金) 21:37<

「ガツロ」・・gaturo のつづきのつづき (゚∇^*)テヘ



早速、地図を見ました。
有田もその意味の如く、その地域が、川(ア)によって分断(リ)されて、
静まっている(タ)と言う思念がそのまま生きているようですね。

「ガツロ」・・gaturo を解釈するのに「急峻な大小の岩で出来た斜面」への反応が強すぎたようです。

gaturoは有田のランドマークだったかも。

和歌山県の地図を数枚検索してみただけですが、鷲が峰が和歌山の中央の位置に有りそうな気がしましました。
鷲が峰も輪指ガ身根→輪(地域)指(シめす)ガ身根(中心の根っこ)で、地域の中心の根っこを指す。
gaturo も同じ意味を持っているようです。

有田よりの人は鷲が峰と呼ぶように成ったが
釜中の人にはgaturoと言う呼び方が残って居たような気がします。

ヤゾー - 2003/11/14(金) 19:38<

亀捕り合戦

みなさん こんばんわ

サンカのおっさんのエッセイを読んで
亀捕りに夢中になっていたころのことを思い出しました。
あれは幾つくらいだったか 確か小学4、5年生くらいのときに 
映画「ガメラ」の影響なのか 亀をペットにするということが子供たちの間で流行ったことがありました。
その時分は自宅の前が川だったので 捕まえた亀の甲羅にキリで穴を開けて
ヒモで繋いで川に放しておいたら 翌朝違う亀が一緒に居て捕まえたこともありました。
そのうちに 小さな亀をポケットに忍ばせ 学校に持ってきて自慢するやつまで現れ
にわかに亀捕り合戦が白熱することになりました。
それは 小さい亀ほど上等だという不文律のようなものができあがってしまったからでした。
それからというものは 学校が終わると我れ先にと亀捕りに走る日々が続いたのでした。
貯水池の近くにあった 大きな暗渠の中に 懐中電灯を持って潜り込んで探してみたりと
ちょっとした冒険気分も味わったりしました。
あげくの果てには 亀の卵を見付けて 家で孵そうとしたつわものまで現れましたが
子ガメが誕生したという話しは聞きませんでした。
亀に酒を飲ませて ビンの上に乗せると踊るという面白い話しを年寄りから聞いて
酒を飲ませてビンの上に乗せて遊んだこともありました。
亀も子供のおもちゃにされて さぞ迷惑だったことでしょう。

蜜柑 - 2003/11/14(金) 17:23<

サンカのおっさん

http://kame55.cool.ne.jp/isigame/isigame01.htm
見てください。おもろいエッセイでした。

こうへい - 2003/11/14(金) 11:35<

「ガツロ」・・gaturo のつづき・

風さん、ありがとうございます。
風の王国 掲示板に地図を載せました。
鷲が峰には、城などの伝承はありません。
ガツロは、この山の一部で、急峻な大小の岩で出来た斜面です。
50〜60才のおじさんが、子供の頃ここで遊んで、ガツロって呼んでいたそうです。

- 2003/11/14(金) 10:29<

「ガツロ」・・gaturo のつづき・・・

>この説、面白そうです。

いやいや、まだ完結していませんよ。
環境の条件が明らかに成りましたから、
「ガツロ」・・gaturo の意味を完結させたいと思います。

依然、多賀神社についてtagaは間抜け(タガが外れている)と書きましたが、
多賀には今一つtangaと言う言葉がありす。意味は出生、出身と言うことです。
gaは日本語発音のガでngaは鼻から抜けるガの発音です。
日本語の多賀がタガログでtanga(出生)として使用されていたように、
「ガツロ」・・gaturo もタガログで使用されています。

タガログのturoは教える、指し示すと言う意味の動詞に成ります。

“ツロ”をカタカムナで解釈すると(教える、指し示す為にの、)
 変化する一つ一つの掌握。
と言うことに取れそうです。

“ガ”は“カカ”で”カ”が連続して“ツロ”と“場所”に係る。

山城の地が敵から攻められた時、山城城主が逸早くこの山に布陣を張れば、山城内が一望でき、敵の動きを封じ込み勝つべきして勝つことが約束された場所で有ると思われます。
その様な場所なので名付けて「ガツロ」。
そして、それがその場所の呼び名と成ったのではないだろか。・・・


焼尻紋次郎 - 2003/11/14(金) 06:48<

....な み だ 橋   私 案 橋 ....

 とんしゃんお帰り。最高(ORI)のNEK(安寧の“寧”→ 神官)をみつけたネ。
 ところで、おりょんはんが泣いてる。なぐさみもの‥‥じゃなかった、なぐさめておくれ。
 オレが泣かせたんだが……(おりょんはんは、まだ眼にウス(水)やろかね)。

 長崎市内の「ゆこか・もどろか思案橋」のシアンも、やっぱ from シナの“思案”でしょう
が、『泪橋』だっきゃあ、そのままには捨ておくわけにはゆかねえ。
 むかし、川そのものが御神体だった。
 川を跨ぐ橋は、ミコを「はしと」というように橋そのものも神聖な宗教感覚に満ちていた。
牧師というのも「(神を)bok-(運ぶ)si(ひと)」だった。いまんとこ母言語不明ながら
「*bas = 神」はどこかにあるはず。

 日本建国に活躍したヤマトタケルさんたちは from アラビヤだった。アラビヤ語の
アミダ(柱)を小川に渡したところで「アミダ橋」ができ、そこへネパール語を話すNO2た
ちが強調接頭辞の N- をつけたのが「NーAMIDA橋」‥‥。ちょとウマくできすぎてると
ころが MITHO(ネパール語;味がよい、おいしい)。

 「NA(勿れ)水(洪水)」など、あと2〜3考えられるところも MITHO。
 現代の水の発音は MIZU ですが、四国の方言に MIDU も残っています。豊後浄瑠璃では「な
みだをどんどん流して……」は「なみDU どんどんなげぇち」ちいいます。

 長崎の「思案橋」とは丸山遊廓に「いこうかネェ〜、戻ろうかネェ〜」ですって。
 あした、坂本竜馬の誕生日・兼・命日。

こうへい - 2003/11/14(金) 01:00<

クリムシ・

ya(・ε^)na さん 解説ありがとうございます。

するってーと、小さいときは、餌になり、大きくなると、テグスが作れるって、釣りの為に生まれてきた様な虫ですねえ。大人になると甲虫になるそうですね。
蚕みたいです・・ こっちは、チョウチョか。

この前のドングリ、置いといたらクリ虫が出てくるかも知れませんね。
半分、エサにして、半分テグスつくりにしましょうか?

では、これから風呂入って寝ます。
ええ夢だけ見ましょうか・・・

ya(・ε^)na - 2003/11/14(金) 00:44<

クリムシ・・

こうへいさんこんばんわ・・
  クリムシ=テグスサン=ヤママユガ=クスサンの幼虫でおます
 六月ごろせっせと栗の葉っぱをたべてます、よって緑色のうんこしてます

  七月、白い体毛が抜け出し・・・・(なにぃ!!!毛が抜けるやて!!ぇ・・ハアハア)


  すんません・・この言葉になんや反応するもんで!!つづきです・・

 胴体が透けてきます・・つまり繭をかける寸前で繭の素がギッシリ詰まってるんですよぅ
  あとは酢に通すことによってタンパク質を固める・・よってテグスになるんやそうです

   サメは泳いでんと死んでしまうらしいです
    ヤナも仕事してんと死んでしまうみたいです・・マグロもそんなかんじですねぇ

  

蜜柑 - 2003/11/14(金) 00:32<

問題です 焼き湯

三角の「サンカ社会の研究」「サンカの社会資料編」にある「焼き湯」の写真。
いつ撮影されたものと皆さん推定されますか?
昭和25年5月10日 武州規川縁セブリ地帯で
となってますが、モデルのハツコ(「研究」P153の鎌を持つ少女、背表紙真ん中の女の子)が明らかに鎌を持った時より年をとってます。

故に、「焼き湯」は昭和30、1年くらいに撮影されたものと思われますが・・・・


こうへい - 2003/11/14(金) 00:18<

テグスサンって何なん?

ya(・ε^)na さん こんばんわ

クリムシ=テグスサン なんですか?
クリムシって、ドングリに入ってる虫で、釣り餌にするって出てますが。
こんな虫の腸なんて、引き出せないとおもうのですが、勘違いですか?

サメって、歯が折れたら、後ろからひょいと代わりが出てくるらしいですね。
ひょいじゃ、ないかも・・
サメって泳いでいないと、死んじゃうらしいですね。
呼吸が出来ないんですか?
便利なようで、不便もあるサメ、いつ寝るんですか?
ネムリザメは別にして・・

ya(・ε^)na - 2003/11/13(木) 23:44<

テグスサン??なん??

少し堅いお話がつづいてますので少し柔らかいお話!!
テグスってご存知ですかぁ・・
 四・五日、ゆっくりする時間が出来まして、たまった本をよむことができました
  むかしの本整理してますと矢口高雄さんのほんがありまして・この機会に読みかえしておりました

 その中におましたんよね・・クリムシのテグス!!!
  テグスっていうノンわ・・釣り師のおひとでおましたらどなたさんもご存知の釣り糸でおます
東レさんとか化学メーカーの製品が多いねんけれど本当のテグスって言うのんは・実は!!
 生活の知恵から作られてたんですよね・・
   おろろき!!・・れす!!
テグスサンの腸を酢にとうすことによってラインにする・・これがホンテグスやったんですよね
この製法が何百年の昔からあったらしい?なんて!!・・

   そんなことを想像するだけでも・・楽しいやおませんか!
ひょっとしたら、こうへいさん、骨を削ったり角を削って作った釣り針がこのテグスでむすばれていたのかも??なんて・・へっへ
    勝手な想像をしながら骨休めしてました

  おりょうさん、サメの休暇はヤッパリ短い・・
        動き回ってる方がやっぱりたのしいです・・

             へっへへ・・おじゃまさんでした

こうへい - 2003/11/13(木) 21:52<

「ガツロ」・・gaturo に付いて

風さん、ありがとうございました。

>戦争を主体として「ガツロ」を観ると勝つ為には絶対的に手に入れなければならない場所であり、其処には勝つことが出来る“カ”の力が働いている場所と言うことが出来そうです。

この説、面白そうです。
鷲が峰って言う周辺では、高い山なんですが、山城の伝承は無く、信号所だったのかも知れないのですが。
この、山の斜面の一つがガツロって呼ばれています。
そこだけ、てっぺん迄、岩の斜面が続いている所なんです。
ところが、村の人も名前の由来を知らない。

いや、ありがとうございます。要塞の弱点、または、攻略の最も困難な所かも知れません。

おりょう - 2003/11/13(木) 20:33<

こんばんわ

とんちかん小僧さんしばらくです。
お心に傷をつけてしまってごめんなさいね。お元気でした?
根来衆の調査の結果、またおしえてください。

とんちんかん小僧 - 2003/11/13(木) 16:55<

返レス大変遅くなって申し訳ございません。

Sadabonさん、とても充実した時間ありがとうございました。
また僕も行きたいです。
おりょうさん、再三の呼びかけにも全く答えられずごめんなさい。
完全にではなかったですがネットに触れることなく日々を過ごしていたのでなかなか戻る
ことに躊躇しました。
戻るきっかけはSadabonさんが先にお書きになった大ヶ塚にある顕証寺に行ってからです。
まさかとは思いましたが根来衆の家紋がありました。思わず気が変になりそうでした。
何かしら先祖の足跡が残っていて嬉しかったです。蜜柑さんや*(O..O)*nglyさんらが言うように、
やっぱ自分の足で調査するのは面白いし大切な事だという事が判りました。

- 2003/11/13(木) 16:18<

昨日の地震の謎・・・・

昨日の地震の様に震源が290kmと深い地震の場合、日本海プレートとかフィリピンプレートとか言って、断層が動いて地震になるという定説地震学では説明のつかない現象だと思います。

解離した水素と酸素の混合ガスが爆発することが地震であるという石田理論なら簡単に理解できるのです。下に参考資料アドレスを記載して置きます。興味のある方は読んでください。
サンカとは関係有りませんが。( ̄ー ̄)ニヤリッ

http://www.ailab7.com/lib_044.html
http://www.ailab7.com/lib_045.html
http://www.ailab7.com/lib_046.html

- 2003/11/13(木) 12:55<

「ガツロ」・・gaturo に付いて。

こうへいさんへ

先ず「カカツロ」と分解してみました。
「カ」は、あらゆる現象を発現させる根源のチカラでこの「カ」が解る事に因って、
現象界に於いてアラユルモノに、あらわれる状態(發生、変遷、還元のスガタ)を、抽象して示すこと(コトホグシ)が出来たといわれるくらい重要な文字です。

最初の「カ」が環境としてのある一定の場所にかかっているとします。
「カツ」は「カ」の力(ちから)の矢(の一ツ)が正に働いたのが勝つの意味になります。
“ロ”はその状態の継続を意味しています。
戦争を主体として「ガツロ」を観ると勝つ為には絶対的に手に入れなければならない場所であり、其処には勝つことが出来る“カ”の力が働いている場所と言うことが出来そうです。

例えば剣の比較をしたとすれば、銅剣より鉄剣がより優れているので、
鉄剣をガツロと呼ぶが銅剣はガツロとは呼べない、石器と銅器を比べた場合は銅器がガツロと呼ばれる。このように何かの比較対照するときに使われた言葉ではないでしょうか?

“カツロ”を活路ととる方も有りますが“カ”の一つが何にかかっているのかハッキリしないと、絞りきれない。“カツロ”が形容詞とか副詞とかに絡みあっていた可能性も有る訳ですから。

- 2003/11/13(木) 11:50<

『風の谷のナウシカ』から・・・・・と・・・・・


『インドを失うともシエックスピアーを失うな』

と言うユダヤ大富豪の名言を思い出させてくれました。

>紀伊半島沖で地震があって どうして熊野で揺れずに関東や東北の方が揺れるのだろう?
>不思議だ!

震源地が間違えて居るんじゃないかという感じの地震でしたね。
発現時刻も12日17時34分頃から17時27分頃に変更されているし。

焼尻紋次郎 - 2003/11/13(木) 08:27<

....土壇場 と 団左衛門 をぶった斬る....

 あの浅草の親分はサンカではなく、テキヤだと聞いています。昭和初期に、掏られた財布を二日後
には取り戻す実力を持っていた人物です。
 いつも呑みに行っていた『いこい』のオヤッさんもその昔はテキヤの大親分でした。
 テキヤとサンカとクグツ(傀儡)とヤシ(香具師)、いずれもトップが配下へ生殺与奪の治外法
権をもっていた。あ、金属精錬士のトップ、「ムラゲ」も治外法権を持っていた。
 これらを纏めて考える必要がありましょうが、あっしにはあんまし関わりええのねぇこって……
というよりも、16世紀に消えた川運搬や海賊の消長が掴めないかぎり、これら五者の基本スジは
出るわけがない。
 だから、サンカだと思ってその眼でみればサンカになるし、そうじゃないと思ってみればそうで
はないという、こんぐらがりの関係こそ、真相に近いのではないでしょうか。複重構造ね。

 団左衛門の「団」は、団体の団……即ち、from シナ語でいいのではないでしょうか。
 でもシナ人で「左衛門」などとは聞いたことがない。ここは日本語と化した外国語とみるべきで
しょう。
 ケツから分析すると、門は*gad(王座……かど)を写した「者」→ モン。Eは「格上の」。
 左は「補佐」の佐だが、ひとつまえはそう(総領の総)、ふたつ前は sau 。
 豊後浄瑠璃で『ワタナベんツナちゅうはソウなもんぢ(もんで)』などといいます。意味は「た
いそうな」で、やはり少しだけ「トップ概念」ふくみです。
 sau は凡ア−リア系言語にみられる「最高」だと思われます。
 団左衛門とは「集団の最高貴人」……これ、個人一代の呼び名ではないような気がします。
 あ、サエモン語り場合は「サ・サエ(メロディー・吉兆)物語り」かと……。

 土マンジュウの上に死刑囚をうつ伏せにしてブッタ斬った。「土壇場」とはその盛り土のことだ
そうですね。
 ドタヌキなどという言葉にも、いろんななりゆきが隠されているようです。ヌキはヌチならむ。
 土壇場によく似たことばにアイヌ語の etamba(ここ)があります。この語頭の e (それ)は
ネパール語でないと(アイヌ語としては)成立しません。
 ネパール語 thau は「場所」で、日本、アイヌ、朝鮮の*ta.,to.,do(処)と同根でしょう。凡ア
−リア系の一般形は tan(身体 → 場所)です。b の前なので n が m になっています。

 そんな……こんな……、いろんななりゆきで「その民族の語彙」が成立してるようです。

こうへい - 2003/11/13(木) 03:01<

風さん

こんばんわ
お願いがあるのですが。
「ガツロ」・・gaturo と言う意味がわかりません。
場所の呼び名なのか、場所の様子なのかも。
カタカムナ式に読むと、どうなるのでしょう?
色んな組み合わせで、解読してほしいのですが<(_ _)> 

△うぶ <http://itp.ne.jp/topics/chiiki/yamanashi/kyoudo/yam_kyo001.html> - 2003/11/13(木) 01:53<

箕を食べる人

先日TV東京系列の温泉紹介番組見てたら、富士山裾の河口湖あたりに、箕のパスタを出す店紹介
していました。5cm四方の蕎麦生地を箕の形にして、鍋でウドン的に煮て、丼に入れる汁ソバ。
名前は「みみ」だって。
ボンヤリ見てたので、詳しい場所と店名を覚え損ないましたが、サーチしたら出ましたので(↑)お知
らせします、近所の人食べに行ってみて、探ってみて欲しいです。
富士山裾で箕の蕎麦パスタって、、、、、、、いいんじゃないの?   そして、文章下の
「うどん好きな土地柄です」、、、、、、も、いいですねー。

冷や汗もの(私にとっては)が続いたので、ほのぼのランチ、に、しとこ。

ヤゾー - 2003/11/12(水) 18:40<

原作『風の谷のナウシカ』

みなさん こんばんわ

まれびとさん 125ccのオフロードバイクいいですね。
それくらいのが燃費も良くて 田舎道や林道を景色を楽しみながらゆっくりと走るのに 
ちょうど良い大きさなのかも知れませんね。お待ちしております。

>昼と夜。明と暗。陰と陽が自然界に存在するように、人間の社会も二重構造に成る方がより自然でより強靭な社会が出来上がると考えます。

風さん 同感です。
ちょっとニュアンスは違いますが 宮崎駿原作の『風の谷のナウシカ』に面白い話しがあります。
物語りの中で化外の民と蔑まれ 主人公のナウシカでさえ けがらわしいと忌避していた存在 の「蟲使い」という一族が登場します。
そして物語りを通してもっとも聖なる存在として 森の人の族長である少年セルムがナウシカに語るシーンがあります。
「蟲使いを忌み嫌わないで下さい。彼等は私達のかげなのです。いや私達が彼等のかげかも知れない」と。
それは聖と賤としての「森の人」と「蟲使い」は 実は共通の祖先をもつ同族だからだという話しでした。
そういうテーマは 宮崎駿さんの多くの作品に流れているのかも知れません。

紀伊半島沖で地震があって どうして熊野で揺れずに関東や東北の方が揺れるのだろう?不思議だ!

- 2003/11/12(水) 17:44<

吉本隆明ですか・・・・・

まれびとさん 初めまして!

吉本隆明が今度はそんな事言ってましたか。
依然にはΩ’を評価するような発言をしていたようですが。
吉本隆明の本を読んだのはもう20年以上も前で、確か“幻想論”だたかな。
あれあれ、大分宗教に入り込んじゃてじゃないかな、と言うようなところが感じられた。
若しかしたら、宗教を根本とする国家をイメージしちゃてるんじゃないかな。
ヽ(*^‐^)人(^-^*)ノ

風がイメージするサンカと言うのは、サンカの自らの意志を持って、人を攻撃したり部落を攻撃したり、ましてや天皇制を攻撃したりする事はない。
サンカとて霞みを喰って生きて行ける訳がないので、他者の意志を仕事としてサンカの業を見せた事はあった。その時の体制権力とは懐を別にして、自然を愛し、自由意志を尊び、組織からの干渉を嫌い仲間同士は強い絆で結ばれた影の世界で生きた自由人だったような気がします。

勿論、狸も狢も好きだったし、小鳥からも好かれたし、お魚さんは釣るのも食べるのもOK!
酒もホドホデたしなんだ。・・・・・・・

すみません。<(_ _)><(_ _)> <(_ _)><(_ _)> ヘヘー!

まれびと <http://www.geocities.jp/marebit/> - 2003/11/12(水) 10:28<

参考まで

最近読んだ吉本隆明と赤坂憲雄お二人の対談集「天皇制の基層」(講談社学術文庫)の後半に、サンカの話題が少々出てきます。全体は天皇制をいかに無化するかという内容ですが、そのような流れから出てくるサンカの存在も示唆的であるような気がします。

私事ですが、先日10年間乗りつづけた単車が遂につぶれてしまい、こんどは125ccのオフ・ロードを中古で購入しました。ヤゾーさんの庵を訪ねるのはこのジェベルで、かな(^^)
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Oasis/2599/dj125.htm

寒くなってきましたが、お体ご自愛下さい。

(今年こそ新宮の火祭り、行きたいなあ...)

- 2003/11/12(水) 09:10<

我田引水・・・・


ファイルの検索をして調べ直して見ました。
五経博士の語が見つかった。

繼體の七年(五百十三年)に、百済より五經博士段揚爾を送り、同十年(五百十六年)五經博士漢高安茂を貢して段揚爾に代はらしむとあるより見れば、當時の漢字音は韓國化せられたる字音なりしが如し。(藤岡勝二・ 國語系統説總論より抜粋)

繼體(けいたい)期に五經博士が渡来していました。

「漢字音は韓國化せられたる字音なりしが如し」と有りますが、敬体は北燕国の王の馮 弘・馮 王仁
の血筋説を採用ししています。此処での五經博士は半島に散った馮一族でしょうから、北燕国の発音と言う事になると思います。

四系の起源は敬体・天武にあり。

騨と左の検索から、
宣長の説の如く(漢字三音考)『漢國の音』即ち支那當代の音なりとせざるべからざるを以て、漢音とは決して一地方、一時代の一定音と見難さが如く、呉音(又一に對馬音と稱せるあり)といふも、世間通常傳ふる如く、支那南方江左の音なりと簡單に説き去るべからざるが如し。。(藤岡勝二・ 國語系統説總論より抜粋)

支那南方江左と言うと越に比定出来そうです。

唐のファイルより。
唐(618〜907)を建てたのが、山西で挙兵した李淵、すなわち唐の高祖(565〜635、位618〜626)である。李淵の先祖は、隋を建てた楊氏と同様に鮮卑が多く住んでいた武川の軍閥で、祖父は西魏・北周の「八柱国」(府兵を指揮する軍人貴族)という最高官職に就いた。
以上のことから唐と魏の関係も明らかです。亦、北燕国は魏との戦いを嫌い都を焼いて燕を去りますが、それを魏が見送ったと云われています。

風の我田引水の結論は、弾左は唐系、八系(太夫)は魏・呉系、四系(博士)は敬体・天武系。

長史が何処かへ行ってしまいましたが、調べる必要が有りますね。
越系に繋がる印しはないでしょうか、例えば頭の敬称とか?

時代に因って、弾差、太夫、博士は色々と用いられ方が変化していったようですね。
原語の意味を継承しながら変っていったようには思えます。

4と8は非人。6は儒教・朱子学系の非人
1・3・5・7は宗教(仏教)。
2は二束の草鞋で・・・系。

>魏の建国者は中国北方国境や鮮卑と縁が有りますので、この線でも想像出来そうですが(?)。

上で書きましたが唐も同じで、その影響は半島に及びその後の日本と係わって行く。
興味ある日本史が展開されて行く。藤原京が完成する頃から、エッタ、非人、サンカと呼ばれる 組織の色が濃くなって行ったのではないかと思います。
昼と夜。明と暗。陰と陽が自然界に存在するように、人間の社会も二重構造に成る方がより自然でより強靭な社会が出来上がると考えます。裏社会が出来上がって行ったのはある意味では日本国の国防ではなかったかと想像する。

焼尻紋次郎 <http://www.you-i.org> - 2003/11/12(水) 06:36<

じぶんの居住地が世界の、文化の中心地だと考えるクセ と 既得深大概念..

 『夜須町……』はネッからウサンくさい。なぜなら、言い出しっぺが夜須町のご仁だから。
 だれでも自分中心の意識から始まり、真に客観的認識などとはほど遠いところで意識のトグロ
巻いて暮らしています。この地球は西なら西へトコトン進めばまた出発点に戻ってきます。
 21世紀初頭人のわれわれは、せめてユーラシア規模で歴史を観たい紋です。

 上と似た偏り思考ですけど、小生が『既得深大概念』と呼んで自戒している領域(おとし穴)
があります。
 なにかを考えるということは、そのテーマなり対象を他との関連で位置づける作業です。その
とき、まだキャッチできていない領域事は意識にあがることはゼッタイにありえない。そして歴史
(書きもの・シカとした伝承)に登場していない重要事件は、まだまだワンサとあるはずです。
 たとえば『博士』についてですが、教師と訳されている ipakasnuーnispa (nispa は旦那)
というアイヌ語はご存じだったろうか。おっと、これも既得深大概念だったか……。pa が頭、
kas は人間。知里真志保は nu に「持つ」という訳を与えています。√i-○○V 造語ね。

 「ダン」にしても、わが『ネパール語 VS 日本語・アイヌ語 一覧表』をみてください。感謝、
奉納、布施が出ています。『ベトナム語対比一覧』には成功者の意味も出ています。
 概念はこのように地域的・経緯的に大幅に変わってゆきます。その割には「発音」はいちどそ
の社会に取り入れられてしまうと、そんなには変わるもんではあんもはん。

 ついでにふうしゃんに訴えます。概念は縄文初期に区切ってみても、2600あった(これ、
小生の仮説)。これら2600が一音節に押しよせるので、これを50(音ということ)で割れ
ば、一つの音は平均して50の意味を持つことになります。これじゃカナワンので、ユーラシア
規模ではさらに末尾に l とか m とか p などを添えて他との区分を計っています。
 おれ、いちど……、「と」に押しよせている「古代語」がなんぼあるかを並べたことがありま
す。じつに16も数えることができました。
 ですから「“ア”とは○○△△だ、“ヒ”とは××◇◇だ」との一音ごとの内意分析は意味を
もたなくなります(カタカムナ言語観への批判は、サンスクリット語のことも残っていますが、
これでやめにしたいです)。


 夜須町‥‥ア−リア系言語に含まれている yazdan(神)を知ってのものいいだろうか。
 あ、またここにも Dan がでてら。

△うぶ - 2003/11/12(水) 04:33<
風さん、某氏の談、
呉人=火炎玉(拝火)→→巴紋(宇佐、八幡、越)=神武・物部←ウガヤ    が要約?。
そうすると呉との比較上で、魏が(北方)騎馬系で弾左となる、の論でしょうか。
ただ、ウガヤ=騎馬系ですから、拝火=海人系と相反の関係になり、解せない点も。
三国の建国の由来からしても魏の建国者は中国北方国境や鮮卑と縁が有りますので、
この線でも想像出来そうですが(?)。
*(O..O)*ngly さん、博士、ダンゾーの話有難う御座います、呼び名辞典で再確認。
黒覆面ならロンドン塔の執行人も被ってました、手には斧、テムズ河へ送り出し。
義太夫と言うのもありますね。太夫、中国では医者を指します(単に近代用法かも知れませんが)。
弾=断(首)でしたか。檀は布施でした。阿部←安日(アビ)というのも。

- 2003/11/11(火) 11:37<

*(O..O)*ngly さん

邪馬台国は夜須だのホームページです。
http://www.junlab.com/forums/fukuoka/68/

Date :2003/10/15(Wed) 17:32
今日15日邪馬台国夜須と沖縄古代王権とは関わっていたと発表した。
と、あります。
此れは、
沖縄の名護さんや、琉球松さんとの討論の結果の答だとの事です。

ウガヤ王の王冠を初め、出土品を展示していたのですが、
今は先方の都合で見ることが出来ないようです。
参照先 : http://http:/www9.ocn.ne.jp/~aysk535/

邪馬台国の古代文字を印した陶器もあり、
その古代文字を風は“サキトヱ ”と読み、
独立宣言か統一宣言を意味していると提案したのですが、此れには答をもらえませんでした。
出雲文字では十をハと読ませているからでしょう。(泣。

>八切説ですが四の系の頭「博士」は高知県赤岡町の
>別所山近くにある旧部落の頭の通称で出てきて確認できます。

「博士」と云うなら、大海皇子で天武系でしょうね。

*(O..O)*ngly - 2003/11/11(火) 10:26<

これまた失礼します

△うぶさん
>八系の頭は「長吏」では無くて「太夫」と言うのだそうです
 同じ八切説ですが四の系の頭「博士」は高知県赤岡町の
別所山近くにある旧部落の頭の通称で出てきて確認できます。
東北の被差別部落の者を「だんぞー」というのも「弾正」から
でしょう。ダンゾーは黒覆面を被っていたと本にあります。
中世期の大名・中名・小名に弾正や太夫がつきますし、江戸期
の遊郭の女郎の上位者にも「太夫」芸能関係の上位者も「太夫」
と呼びます。弾=断で首切り=断頭に由来すると考えています。
弾圧も反抗する者を首を切って圧(押)さえつければ大安心です。

おりょうさん
 唐十郎の劇は一回も見た事がありません。おりゃー細民窟・
万年町出身とは!安=案=按=杏は、ダンゾーの弾=断=団=
段=檀は明らかです。岡山の按察知者は恩忘者を指しますが、
古代は税金を武器を持って無理に取り立てて歩く者だったと
記憶しています。安にはよい意味はないようです。

紋次郎さん
ドメル(土埋る)です。組織のルール違反者に加える刑罰で
映画「瀬降り物語」の中で不倫した男女に実行しています。
主流のサンカ幹部と出雲旧家は鳥葬(風葬)か水葬です。
 私近所のサンカ姓の家は水葬と聞きます。墓なしです。

風さん
 ウガヤの末裔を自称してる方がいますか。

- 2003/11/11(火) 08:38<

「太夫」と弾左の出処は・・・・

うぶさん

>八系の頭は「長吏」では無くて「太夫」と言うのだそうです。
>だから弾左と長吏は上下関係であり、
>並列関係は長吏と太夫になり、
>両者弾左の支配下だった模様です。


「太夫」の出処は、
・・・大夫難升米(ナンショメ)、大夫伊聲耆掖邪狗(イセキエキヤク)、・・・・・
・・・狗奴國有り。男子を王となす。・・・・古よりこのかた、その使の中國に詣るや、
  皆自ら大夫と称す。・・・・・(魏志倭人伝より)
と、大夫は三系統有るようです。

 大夫難升米は倭の奴国王であったが、「都市牛利=ウマシマジ=物部氏」がとって変る。
 狗奴國・物部氏の連合軍と魏で崇神(スジン)天皇を即位させた。
 崇神の正体が今一ハッキリしないのですが、崇神から応神までは呉系と思われます。

ウガヤ王の末裔に当たるされる某氏によると、
『沖縄の王家はやはり日本と深い関係がありますね、それはご指摘の王家を中心とする、家紋から見て取れます。火の玉紋と呼びましてこれは呉の国の風習でつまりは殷王朝系との繋がりがあったと云う事です。これは間違いありません。沖縄の王家とはそれでご指摘の久米について述べてあるくだりと一致するのが、ご指摘の神武の息の久米というのは事実という事なのです。一致しているからです、巴紋とも称していまして、これは北陸の古代人との関わりがいつ致し,火炎土器も同じ関係から伺え、これはすべて火祭り族の風習を表し、それが呉人にあたるのです。そうしますとウガヤと玉依姫の男神武の子供が久米という事になり、神武の妻は宇佐の大山ずみの娘ですから、呉人である宇佐の国の家紋が すべて一致しており、応神天皇もその内の一人で沖縄の王家は久米であり取り巻きの分家が周りにいて、殆どが巴紋で一致いたしますから、間違いないでしょう』
と、風の問いに解答を戴いたものです。ここから想像すると弾左は魏系(亦は大陸王家)の臭いがします。

長くなりますので、此処までにします。


焼尻紋次郎 - 2003/11/11(火) 07:36<

...乞食三日のなりゆきだった....

  訊いちゃならねぇこと、訊いちゃったんかナ?
 でもワカランことを訊きもしないで陰にこもるのがいちばんイケネェと思ったんです。

 そして訊くときに、いっぺんにいろんな質問したので、隔靴掻痒の感ふかし。
> ‥‥を持つ一つの理由はサンカ組織としてメンバをいかに向上させようとしたか。最悪
の場合ドメルしかなかったのか?
『鳴けない山鳥の詩』の女主人公のような努力かもしれませんが。
★ ドメル云われても山鳥ポッポしゃんもわからんヂヂイのオレばってん、やっぱ「気高さ
崇拝」の志向が底流れしてるのかなぁーーぐらいしかわかりません。

>  この「日本革命」の決意を墓石に 刻んでいたとある本に写真入りで書いてありました。
★ 長かった江戸期、長州の元旦の挨拶は、まず、家臣団のほうから「との、いよいよ今年
から(幕府転覆を)やりますか」と殿様に尋ねることばから始まった‥‥そうです。

> 紋次郎さん、立場は宿場に併設された馬の取扱所のようです。
★ 21世紀初頭人のノーミソも、あんましゴチョゴチョと理屈が並んでいたんでは理解で
きないモンです。ましてや、むかしの人間はもっとアホだった。
 「2頭だて」というように、「たて」には準備するという族際語があります。アイヌ語で
は sitatpa(用意する)があり、ネパール語に tatpar(準備)もあります。
 いまんとこ si の処理がわかりませんが、「支度」という日本語がアイヌ社会に流れていっ
て、sitatpa ということばができた。その場合、シタクの tak が、どうやら「神」らしい。

 「“柱”に対し奉り、恥じるところなかりしか」……こういう簡単な倫理基準でないと、
ユーラシア大陸のふきだまりみたいなこの日本列島は制御できないのではないでしょうか?
 日本社会の特徴は、とにかく人びとがワンサと道にあふれていたことです。
 とうぜん、陽が沈んだら夜になる。
 旅人は三々五々と柱のもとに集まって夜を過ごした時代があった‥‥きっとあった!!


※ “4”や“8”は、科学的思考方法を知らなかった古代人の「偏執」と置いてみるとい
いようですが……。偏執とは乞食三日したら、とかなんとか食えたという事実の集積です。
 “4”はカイラ−ス山から……。あずまやを「四阿」と書くじゃありませんか。
 mana はタミル語でもアイヌ語でもミジン(微塵)です。その mana が八つ集まったら
1pathi というしたのがネパールの「量」秤です。
 カイラ−ス山を写しこんだのがピラミッドだと思います。2万年まえからの偏執です。

△うぶ - 2003/11/11(火) 03:38<
風さん
その後、調べ直したところ、八系の頭は「長吏」では無くて「太夫」と言うのだそうです。だから弾左と長吏は
上下関係であり、並列関係は長吏と太夫になり、両者弾左の支配下だった模様です。
>〜擁護氏族の血筋を頭とする治安維持集団、、、、、、、その通りだと思います、上から下まで一本
の強い絆で強固、勿論各層の権益擁護がそれの原動力だとは思います。
菊花弁数の御説、直ぐには納得は出来ませんが、源を中東辺りとすると、そうなのかも知れません。
四は足の数からが定説、八は鉢叩きから来ているのかも知れません。歴史上は八(天の朝系ゆえ)の方が先。
天皇史については勉強していませんので、詳しくは判りませんが、継体、大友、は半島や以北系だと
記憶しています。(三国の)魏は騎馬系なのですか?すると三国とは三色のモザイク時代だった訳ですね。
太夫系が大陸中緯度や南部及びその沿海部と言えると思いますので、唐・藤原系(の衆)と
言ってあながち間違いでは無いと思いますが、自信は無いです。

こうへい - 2003/11/11(火) 00:36<

あしたのジョー

は、必ず立ち読みしました。
テーマソング、いつも歌ってました。
なにかっていううと、「あしたのための、その1」とか言ってました。
泪橋 ナミダバシ この響きがいいなあ・・・

いつか、この橋を逆に渡るんだ・・ってなかったっけ?

おりょう - 2003/11/10(月) 20:45<

・・・・・・・

「この橋はな、人呼んで泪橋という、人生にやぶれ、生活につかれはてて、このドヤ街
に流れてきた人間達がなみだでわたるかなしい橋なんだよ・・・」

唐十郎の生まれ故郷「万年町物語」は秀作。

ヤゾー - 2003/11/10(月) 18:55<

泪橋

みなさん こんばんわ

ミミさん ちゃんと選挙には行ってきました。
思ったより投票率が低かったのには ちょっと驚きました。

上京してまもないころ 「あしたのジョー」にでてくる泪橋が実際にあると聞いて
バイクで探しにいったことがありました。
そのころは泪橋という名前に込められた意味などさっぱり知りませんでした。
そういえば 小さいころ見ていたアニメには
主人公がスラムに暮らすというのが多かったような気がします。
「ハリスの風」なんてアニメもありました。
ドンガ〜ドンガラガッタ〜国松さまのお通りだ〜い!ってよく歌っていた記憶があります。

こうへい - 2003/11/10(月) 12:39<

山歩きの危険

北海道は、既に狩猟解禁になっています。
蛇、蚊がなくなり、山行きには良い季節になってきましたが、ヘビより恐い鉄砲玉。
もうすぐ、解禁になるのですが、これを避けるには、大音量のラジオ位しか思いつきません。
池の傍も危ない。水平以下の角度で撃ってはいけないことになっていますが、
水面の鳥など狙われると、外れ玉が、水面で跳ねて対岸に向かいます。
鹿、熊になったつもりで、危険をいち早く察知する能力が要求されます。
民家のすぐ近くに薬莢が落ちていますから、禁漁区も当てになりません。

*(O..O)*ngly - 2003/11/10(月) 12:14<

紋次郎さんへ

紋次郎さん お答えします。
>こういう“気高い”想念は奈辺から生じるもんなんですか?
>背後にある「基本倫理みたいなもの」は何?
>高尚な心情と「おまえの父さんデベソ」な発言とは、どう矛盾しない?
>学問が「輝かしい未来を創るため」にあるとするなら、日本の往時の階
>級支配を微細にわたって把握するよりも、現に階級支配で苦しんでいる
 反省総括すべきはエリートや支配層だけでなく庶民自身も加わるべきで
ある。またそうしなければ過去のあるいは現在の中にある愚劣で悲しい
歴史を繰り返すことになる。昨今の世情や事件からこれを強調せざるをえ
ません。確かに庶民に反省などという高尚な営為を求めるのはトンデモな
いという見解は教育の中にも感じます。私は諦観を拒み、真実の歴史を求
め知り歴史的反省を通して実践してる積りです。既存の学問は支配者の
視座からですが消え去ろうとしている庶民の歴史的実像を何とか再現して
いく事です。庶民の悲劇の根源は自己に対する無知に由来すると思います。
*『野史呼び名辞典』の前書きは、これに近い内容です。

 ご存知の通り組織や団体は一般に民衆を愚かなままに放置あるいは強制
しているように見えます。とりわけ宗教にはこの傾向が強いようです。
人間は精神的に向上しうるし向上しなければならないと考えています。
21世紀の課題だろうと思います。

 私がサンカに興味を持つ一つの理由はサンカ組織としてメンバをいかに
向上させようとしたか。最悪の場合ドメルしかなかったのか?
『鳴けない山鳥の詩』の女主人公のような努力かもしれませんが。

- 2003/11/10(月) 09:57<

八系と四系の私的考察・・

うぶ さん
”?”が一杯についてですが、風の歴史観でレスを入れさせて貰います。

>八切止夫は、長吏系と弾左系を、八系と四系とに対応させてたと記憶していますが?
>弾(はじける→はねる→馬が跳ねる)で騎馬系だったと。
>この系統間の関係はどうなんでしょう?並立関係?又は上下関係?

八系と四系の語源を何処に見つけられるかですが、
私的には天皇家の家紋である十六菊花紋を据えてみたいですね。
八系は八菊花紋で四系は四菊花紋を思念しているのではないか何んて思ったりします。
非人とは、天皇家または天皇擁護氏族の血筋を頭とする治安維持集団。
(祭り事は武家集団で表、表に立てない裏が影集団の非人集団)

騎馬系は二度に渡って列島に影響を与えています。
最初は第10代 崇神(スジン)天皇を即位させた魏軍と物部氏と狗奴國の同盟軍。
二度目は 第26代 継体(ケイタイ)天皇を即位させた高句麗軍に物部氏と大友氏。
高句麗は滅亡していますが高句麗人は帰化して列島に居ましたのでそれに物部氏と大友氏の流れを騎馬系に組み込みたい。
長吏系とは 第40代 天武(テンム)天皇を即位させた唐と藤原氏を指すと云えないだろうか。さらに魏軍と物部氏と狗奴國の血筋を重合させる。

長吏系が唐・魏系なら騎馬系は高句麗系という構図が浮かび上がります。
(継体は孝徳そして天武と血が繋がって居るような居無いような・・・・です。)

あくまで私見です。


- 2003/11/10(月) 08:52<

イ ヒハ シカナの謎に挑戦!

神代文字総覧ファイルからサンカ文字を取り出し、イ ヒハ シカナの文字を観た。

イは左矢印(西を指している)。 ヒは太陽の図象図(東を意味する)。
ハは三枚の葉(一枚の葉の左右は相似象)。
シは傘付き昇り矢印図象図(昇り行く太陽)。カは下り矢印図象図(下りてくる太陽)。

ナはお魚さんにデザインされた∞(連続・継続)。

“イからヒ”へ、との二文字の運動は夜を意味する。
“シからカ”へ、との二文字の運動は昼を意味する。
“イ・ヒ・シ・カ”の四文字は円運動で一日を意味する。

円を水平線で二等分すると上半円と下半円は相似象これが“ハ”の意味。

未来永劫連続して昇ってくる太陽の相似象に文芸座を例えている。

イ ヒハ シカナのサンカ文字で箕に三角さんの思念を留めた。
三角さんの思念の風の解釈は、

文芸座は太陽と同じように日々輝き続けよ!

更に、

 イ・・・・・・・祝
  ヒハ・・・・・開館
 シカナ・・・・文芸座

祝・開館・文芸座の六文字を イ ヒハ シカナの文底に沈めた。

イ ヒハ シカナの意味の解釈はサンカ文字を観ていたら容易に解った。
が、何故、イだけを一文字、ヒハを二文字そしてシカナを三文字として、
敢えて三段に別けたかを理解するのに手間取った。
一文字、二文字、三文字、で思念を意味する合計六文字の漢字文がその答ではないか、
と言うことに気付いた。皆神さんの情報の中にそれを見つけた。

ん〜!

正しく、あぶり出しのサンカ文字! 

サンカ文字は文字ではないようです。
カタカムナと同種の図象図のようです。
48文字に当てた図象図の意味するところはカタカムナに似ている。




焼尻紋次郎 - 2003/11/10(月) 08:05<

過去の生命観は崩れ去っているのに‥‥

どんぐりしゃん、遠慮のないところで書かせてもらいます。
>これにひきかえ現在の庶民のレベルは落ちる所まできているようです。女は遊女に、男は盗人
とまごうばかりの庶民が多いようです。

★ ここで挟んだ疑念‥‥。こういう“気高い”想念は奈辺から生じるもんなんですか? その
  背後にある「基本倫理みたいなもの」は何でしょう、
  そういう高尚な心情と「おまえの父さんデベソ」みたいな発言とは、どう矛盾しないので
  しょうか?
  学問が「輝かしい未来を創るため」にあるとするなら、日本の往時の階級支配を微細にわ
  たって把握するよりも、現に階級支配で苦しんでいるインドに斬り込みをかけるのがスジ
  っていうもんじゃありませんか?
  但し、オレは階級支配の実利をかなり高く評価していて「それも捨てた紋じゃない」との想
  いもかなり強いです。われらはシッポを切ったばかりの21世紀初頭人じゃモンね。

 さいたま市周辺での、このごろの創価学会・青年部のダベリ集会では「○○ちゃん、このまえ
の集会のあと、いっしょにラブ・ホテル行ったんだヨネ〜」などの会話がコ−ゼンと喋られてる
そうです。

 「雨あがりの、梢にかかった滴にさす太陽光でできるプリズム効果」を「神」と見ることがで
きなくなった現代人、バチアタリ現象だらけです。

焼尻紋次郎 - 2003/11/10(月) 07:37<

...アイヌも哭いた「ガクモン」という名のタテマエ....

おりょんはん、ウッス。 > 私の下記の願人坊主というのは、非人ではないそうです。非人
 と良民の間のような・・。
★ 農民と天皇様以外の人びとはみんな非人と呼ばれてもいい関係にいたのでは?
  マミ穴とは ma(鉱山)mi(銅)で、炭坑地帯でいう「タヌキ掘り」の、その穴のこった
  ろうと思います。マミアナといえば大使館とか領事館などが並ぶ超高級・一等地でしょ?
  そのへんに「銅鉱脈」はありそうですか?
  「むかしのあのひとは非人だ、非人じゃない」などといわれた人びとの末裔は、どんな
  気持になるんでしょうか? そのへんでのおりょんはんの存念きかせておくれ。

ふうしゃん、オッス > 左右の脳の働きが逆転すると情緒が不安定になるとありました。満
 月・新月の夜の数時間は左脳・右脳の働きが逆転するそうです。
★ 逆転した脳の作用でしょうか、満月の晩にゴカイみたいなムシムシがワンサと押し寄せる
  島‥‥あれも比国だったデシタか。とてもオイシイんですってね、あのミミズムシ。
  望月さんは富士山の西の身延町にワンサといらっしゃいます。八戸を斬りとりに行ったサ
  ムライたちの末裔ね。真珠の moti は比国では muti でしたか。
  真珠採りの岩がシラータンだとか、耳ガクモンです。
 ※ 粟はシナで「ソク」と発音します。四国のアハにはソグド人がトップに収まった‥‥こ
  れも方法仮説の段階です。
  それがそう呼ばれる前には「アワジ」があった。これはこの島の南北に流れる激流を避け
  るために発達した陸路(apa‥‥川 のchi(道)の謂いかと‥‥。
  親友に「粟野」がいましたが、さっさと諦めて、5年前死んじゃった。気高さじゅうぶん
  なオトコでした。
 ※ √♪ 阿波の殿さま 蜂須賀公が いまに伝えし 阿波お〜〜どぉり ♪ 
  信長さんも、若いとき盆踊りの輪にくわわって、夜おそくまで踊ったらしい。その頃の
  ワルガキ仲間に小六さんもいたし、桶狭間戦争での第一功労者の梁田さんもいた‥‥。
  ネパールには日本の盆おどりに似ているジャウロという踊りがあります。
  しるし半纏もダシ(山車)もあります。
  ミナシャ〜〜ン! インドに行って阿波踊りおどれ。
 ※ 月光は刃物のキレ具合をめちゃ鋭くします。大月氏国などというのも、こういう事実に
  裏打ちされてるんではないでしょうか。
 アレッ? 「カタ(kalta……半分)カモナ」になっちゃた。
 ♪♪ エライやっちゃ・エライやっちゃ ♪ 

△うぶ - 2003/11/10(月) 02:28<

月夜の晩を想ふ

風さん、 その時の事が書かれていました(Net上よりの抜粋です)。
{諸国放浪の念仏僧を月夜の話し相手に招いたのである。そして明るい月が僧の息子と庄屋の娘の血を騒がせた}  
満月が二人の左右脳を逆転させたのでしょうか? 又、歴史上の一大極点でも有った、、、、、、
晩秋の深夜に亮亮の満月を望むと、偶然の皮肉と中世へのロマンがダイレクトに身に沁みます。

{松平家は当時、鉄製の道具類を管理し、山の人々を組織化して活動させていたらしい}
{ここの民は、山の幸を追う漁師であった}
はっきりとは書かれていませんが、山稼ぎの人々の秘境であった事は確かですね。八の地方でも。

おりょう - 2003/11/09(日) 17:50<

案内と革

*(O..O)*ngly さん ありがとうございます。
「案内」も「按内」も同じ意味なんでしょうか?
鳶魚の本に「近来目明し體之者按内為致」という文句がある。地方の事ですから、御代官の手附手代
が捕方に向うわけですが、それに「按内」という字をつかっている。後来田舎の岡引、目明しを「按
内」といっているのは、つまり名称を逃げるので、文化以来の八州廻りなどは、皆「按内」といって
いる。目明しの称は享保度に止み、岡引も宝歴度に禁制がありましたので、それらは公然たる名称に
はなくなっている。だが寛政度には地方では「按内」ともちいられていた。・・・と。

浮游浮浪 さん初めまして。
サンカ仲間がふえて蜜柑さんも喜ばれるとおもいます。

木下川の非人の仕事と豚革の関係どうなんでしょうか???反対に聞いてしまいましてすいません。
豚革安そうですね。
牛レザー「ニチワ」神田 デパートの3分の一ぐらいで買えますよ。凄い安い!

四ッ八ッ
徳川政府の毒は毒でおさえる「夷をもって夷を制する」政策、弾左衛門の下に車善七をおくというような
お互いの縄張りをきめて牽制させていたということらしいです。



*(O..O)*ngly <http://www7.ocn.ne.jp/^iyasi> - 2003/11/09(日) 14:42<

骨ケ原 道案内

浮游浮浪さん 上京の際には仕事そっちのけで行ってみます。
>南千住から日光街道に通じる道は骨通りと呼ばれます。
>小塚原の刑場跡です。
 やはりそうでしたか。八切は骨ケ原⇒小塚原といってます。
他では処刑場は、刑の代りに京、慶、経を使ったりします。
塚には柄、束などを地名として使用。処刑場=仕置場=首切場、
=塩木。見せしめに首を曝す晒場、捨場などがセットとなり、
それに関連する人達も一つのシステムになっているようです。
 トンコツラーメンのトンコツは豚骨でなく、屠殺場が本義の
ようですし、既報のように牛馬だけでなく人も屠ったと想像し
ています。(熊本ラーメンは泡立てるため猫肉を入れたという
噂が昔ありました)。でなければ明治期に屠者創業の醤油製造者
が醸造組合から排除された理由が見当たりません。どうでしょう。

>回向院で杉田玄白が解剖した時、多分エタが実際には手を下
>したと思うんですが、どうなんでしょう。
 証拠はありませんが、同感です。第一死体の処理の権限は勘定
奉行などでなくエタ親分にある筈です。死体処理の面倒をエタ親
分から丸投げされて菰に包んで川に流した魚餌にしたモグリヤク
ザの清水次郎長(サンカ)その人とか。
 朝鮮戦争当時戦死した寝袋に入った米軍兵士の死体処理をした
のは、その筋の方のようです。特に冬は大変だったがいいアルバ
イトと申していました。詳しくは松本清張にお聞き下さい。

おりょうさん 「案内」「道案内」ありました。
八切止夫『日本の特殊部落発生史』P.18
 甲府弁の三八で、八州廻りや石和代官の先にたって刀を二本さし
て歩く八部衆。備後福山で三河より来た八の者なれば三八、茶筅と
も、勧進とも、十手持ちともいう。茶筅は福山では竹細工で、官の
手先。陣笠ぶっさき羽織に両刀帯び、手に六尺棒腰に十手。
三八頭は安芸でエタ頭。『福山志料』『野史呼び名辞典』

浮游浮浪 - 2003/11/09(日) 12:56<
八切の四つ八つというのは存じませんでしたが、

1843年時点での非人頭の勢力(『江戸の弾左衛門』より)

浅草非人頭 車千代松(善七襲名前?) 手下 3946人
品川非人頭 松右衛門 手下 984人
深川非人頭 善三郎 手下 441人
代々木非人頭 久兵衛 手下 272人

 計 5643人

これら4人の非人頭の居宅?を俗に「四ヶ所」とよんだそうです。
八切の説と関係があるのでしょうか。

ただ、寛政年間と明治初期に非人頭木下川久兵衛という人物が登場します。
木下川は現在日本有数の豚革の産地です。(シェア90%以上)
非人頭とどのような関わりがあるのでしょうか。

ちなみに、先日、ここで皮革祭が開催され、行きましたが
祭は終わった後でした。涙

- 2003/11/09(日) 12:50<

○EX大会と、阿弥陀聖・・・・・

多賀(dagad)神社は安産(海‥‥産み)の神さま・・・・

多賀は “タ ガァ”に近い発音をしますね。tanga(タ ガァ)と云う言葉があります。
意味は“間抜け”、タガが外れた人のことです。“ガ=カ+カ”で二つの矢が有るようです。
因みに “タ”は正反が平衡状態にあることをカタカムナ図象図は表しているようです。
“カ”は宇宙が内存している“ちからの総体”という解釈も出来そうですから、
正反のどちらの矢を選択できるかは、
選択する者が持っている“運”が大きな影響を与えるように思えます。

直感人間と論理人間とに二分出来そうですが、これも左右の脳の活動差からでしょうか?

左右の脳の関係性はわかりませんが、アワとサヌキのバランスとして考察するとベターな結果が得られそうです。直感が凸に成るとオカルトの臭いが強くなり、論理が凸に成ると全てが合理的に処理され人間性が失われ、人神やナチズムのような宗教を生むことに繋がるような気もします。

オコモリ堂で念仏唱えて、○EX大会と、成り、、、、

真言の高野聖と阿弥陀聖があって、家康の家祖は阿弥陀聖だったそうですね。
そのころの庶民の間では、聖(しじり)に宿を貸すと嫁娘を無料提供するようなものだ、との悪評紛々たる性交の持ち主だったようです。家康の家祖が松平郷に姿を現した時は、寺を持たない時宗の遊行僧で、南無阿弥陀仏を唱えながら(踊念仏)諸国を巡歴する宗派だったようです。当時の松平郷の風土は山の民の集落で、穀物の収穫はわずかな稗(ひえ)とか粟(あわ)、蕎麦(きょうむぎ)の類しかなかった。主な正業は猟師、木工師、木こりだった。松平郷はサンカイだだのでしょうか?


浮游浮浪 - 2003/11/09(日) 12:35<
*(O..O)*ngly さん
>掘ると人骨が一杯の噂も。

南千住から日光街道に通じる道は
骨通り(コツともホネとも)と呼ばれています。
小塚原の刑場跡です。
まさしく、掘ると骨が出るからこの名前が付いたようです。

回向院で杉田玄白が初めて解剖を行った時、
おそらく「エタ」が実際には手を下したと思うんですが、
どうなんでしょう。

*(O..O)*ngly - 2003/11/09(日) 11:56<

押しておして引いて

こうへいさん
 押すだけでなく引く事も大事では?。特に女性相手では。
おりょうさん・浮浪浮遊さん ありがとうございます。
 谷中は谷中の墓地近辺でしょうか?墓地はサンカの縄張り
だったようですね。南千住は最近初めて訪問しました。
駅前に回向院と首切地蔵(本当は線路の反対側とか)、処刑場(首
切地蔵の所)に向かう折、今生の別れとばかり涙が出たのが泪橋。
日本堤1.2丁目が山谷で、山谷交番があり。浅草方面に向かうと
遊郭街があり、今戸の隣の橋場は「橋場の煙」で有名。招き猫と人形
焼の今戸は同時に人焼場か。掘ると人骨が一杯の噂も。
今戸神社は千葉介胤直が創建の白山神社と源頼義親子東北侵略の際に
勧進、頼朝が営繕の岩清水八幡(侵略者・坂上田村麿)を合祀したとか。
人物と社共に別所、従って被差別部落関連で驚き。別所(浅)の賤し
い民(草)社から浅草寺となるか。在原業平(なりひら)縁の言問い橋
近く浅草吉野には遊郭行きの舟が通った堀が埋められて残っています。
まだまだありそうです。東京の方お願いします。

エリカ - 2003/11/09(日) 10:16<
こんにちは、書き方が判らなくて、失敗を削除するのもわからなくてお見苦しくてスミマセン。

ちょっと、お尋ねしたくて・・・・・・
昨晩、某バラエティー番組を見ておりましたら、「吉見百穴」を(よしみひゃくあな)と発音しルビまでふっていたのですが、これって25年前は絶対に(よしみひゃっけつ)だったはずなのですが、わたしの記憶違いなのでしょうか? 

エリカ - 2003/11/09(日) 10:07<

浮游浮浪 - 2003/11/09(日) 09:51<
馴染みのある地名があがっているので、僕の感想などを報告します。

新宿・天龍寺門前 = 再開発がすすみつつありますが、路地を入るとエアポケットのような不思議な空間です。ドヤ街が残っています。高島屋のできる前はかなり「場末感」があったらしいのですが、その頃とは全く変ってしまったようです。

四谷・鮫が橋 = 地形的にすり鉢状の底の部分。外部から明らかに隠蔽されています。というのは、入り口がわかりずらい。側に明治記念館があるのですが、谷下一帯とは全く趣を異にしています。こちらはもっと不思議な空間です。

浅草 = 弾左衛門の屋敷跡にいったとき、くしくも「レッサーパンダ事件」の犯行現場の極細の路地に迷い込んでしまいました。事件直後だったので、深く印象に残っています。花がたむけてあり、もちろん手を合わしました。

神田・橋本町 = 今は面影がありません。

南千住(三河島)= 皮革産業がさかん。小塚原・首切り地蔵・回向院・明日のジョーで有名な泪橋(今はただの交差点・山谷ドヤ街そして、ジョイフル三ノ輪など、興味深いものがたくさんあります。 

千住宿 = 旧街道近くには古い建物が残っています。また柳町は旧赤線で有名です。

万年町 = ドウジュン会(漢字がわかりません!)下谷アパートが残っています。圧巻。しかし、万年町は戦災で戦前の様子は残っていないのでは。また、東京本願寺の大きさと参道の長屋のギャップが唸らせます。

どこもかしこも再開発の波がおそっています。汐入地区など、もはや別世界になってしまいました。
時代の流れには逆らえませんが、とても寂しい気分になりますね。

△うぶ - 2003/11/09(日) 03:15<
紋さん) 一覧表是非とも拝見します。別のルートから貴殿のHPに最近知らずに到達していました、
アイヌ語が研究主題とは知りませんでした、読んでから質問すべきでした。まだ読んでいません。
>多賀(dagad)神社は安産(海‥‥産み)の神さま、、、、、、多賀神社が「アマの朝」関連
との解釈に貢献しそうです、なにせ現在の伊勢神宮よりずっと昔昔の話。
風さん) 直感人間と論理人間とに二分出来そうですが、これも左右の脳の活動差からでしょうか?
こうへいさん) >朝まで語り合う行事、、、今でも有るのですね。これが赤松啓介になるとオコモリ
堂で念仏唱えて、○EX大会と、成り、、、、ただし庚申の日では無いとは思いますが。
*(O..O)*ngly さん) >〜庶民レベルの催しと八切説。、、、、、宗教行事に仮装した「密会」ですね。

おりょう - 2003/11/09(日) 01:00<

こんばんわ

*(O..O)*ngly さん 私の狸穴以外どこも高級地になっていて、どこがどこだかわけわかりません。
新井貢二郎「江戸周辺の被差別部落」からの抜粋です。
 芝・新網(港区)、
 新宿・天龍寺門前、千日谷、四谷・鮫が橋  (新宿区)
 浅草・溜(台東区)、非人小屋(台東区)、谷中(台東区)好きな町
 神田・橋本町(千代田区)
 両国・回向院前(墨田区)
 油掘(江東区)
 南千住(荒川区)
 千住宿(足立区)
 万年ニ町目(台東区) 浅草・竜光寺門前(台東区) 浅草・奥山(台東区)浅草も好きな町
以上です。

四谷とは、千日谷、茗荷谷、干駄谷、大上谷(代々幡狼谷)の四の谷からの説だそうです。
天保年間に書かれた書に「四ッ谷大路の田舎馬、引きもきらず、内藤新宿のうかれ女に引手茶屋も
物好きをあらわし、四ッ手駕もしげしげかよい、頗る賑わいのみやびあれど、もとこれ杓子の名あ
る駅奴なり、さるからに事改める咎もなければ、山の手あたりの芸者、身を果すの色街なりける」と。
今は、新宿の雑踏に目がまわる、夜寝ない町です。

明日、選挙にいきます。
                                 
   

 
 
 

ミミ <http://www.chikyumura.org/campaigns/election/2003shugiin/> - 2003/11/08(土) 23:48<

明日は衆議院選、投票日

みなさん、こんばんは!
明日は衆議院選の投票日です。
これを逃したら、あと4年待たなくてはなりません。
自分の、一票がこれからの日本を造っていきます。
責任のある、大事な、大事な、本当に大切な、一票です。

  未来の、こどもたちに
    あなたは、なにを、遺しますか?
 それは、どんな、社会ですか?

 あなたの、一票に、未来は託されています。

もう、無責任な、大人にはなりたくない。
いままで、本当にいい加減に生きてきてしまった。
この、今の、社会を造ってきてしまったのは、私たち。
どんな社会も、私たちが造るんです。



   未来の こどもたちに
     あなたは なにを 遺しますか?
 それは
  どんな 社会ですか?

環境と平和のNPOネットワーク『地球村』では公開アンケートをしました。
公平と、中立の立場でのアンケートです。
どうぞ、ご覧になって、参考にしていただけたら、と思います。
大切な、一票を、どうぞ、無駄にしないで。

こうへい - 2003/11/08(土) 23:32<

聞き方

が、悪いんですか(^^)

*(O..O)*ngly さん、ありがとうございました(^o^)

*(O..O)*ngly - 2003/11/08(土) 21:43<

細民窟がいっぱい

おりょうさん ありがとうございます。
石井良助『近世関東の被差別部落』は大変参考になります。
でも最近はこの程度の本も自己規制?ででなくなりました。
また東大教授だから公認されたのかもしれません。
 とくに罪人の処刑関係は公開させない教育委員会もあり
ますが、この本では丹念に記述されています。9800円
これと明治から昭和までの貧民窟・細民窟を重ねあわせると
東京散歩も中味の濃いものになりますね。
 A芝新網B新宿天龍寺門前C千日谷D四谷E鮫が橋F浅草溜。
とありますが東京以外の者には現在地が分らない場合があります。
例えばACFIなど現在ではどのあたりになるのでしょうか?また
旧地名と現在地名との対照表のようなものがあるのでしょうか?
 東京は庶民の歴史が豊で、確かめられます。羨ましい限りです。
 江戸期は漂泊の者、歩き筋は芸能であれ、宗教であれ、行商であれ
すべて権力のスパイ・民衆の監視という治安維持の役割を持っていた
といえるでしょう。引き換えに行動と商売の自由を得たのでしょう。

こうへいさん
「杭は誰か(=わし)が持っていった」と、即答、詳しく聞くと、
「わしゃ、年寄りで何も知らん(ことは何もない、もっと上手く聞け)
」と聞こえます。
男女とも一人称自称に「わし」を使ってますから別所の筋でしょうか。
田辺周辺だけですか?「わい」が多いと聞きますが。
情報源として昔話・民話集・童謡集が面白いことがありますね。

こうへい - 2003/11/08(土) 13:18<

*(O..O)*ngly さん

ありがとうございます。
風邪、大丈夫ですか?

元、杭の有ったところを、教えてもらいましたが、コンクリートの道路の下で、見えません。

杭の上の家のお婆さんは、「杭は誰かが持っていった」・・と、即答してくれましたが、
詳しく聞くと、「わしゃ、年寄りで何も知らん」と、態度がかわりました。
何聞いても、その繰り返しで・・
変・・と感じましたが、もしかしたら、隠しているのかも。
いや、全くの誤解かも知れません。

*(O..O)*ngly - 2003/11/08(土) 12:59<

ありがとう画像

ありがとうございます。こうへいさん。
やっぱりそのあたり旧別所でしょう。二川も大月も地名からすれば
その流れを汲む所と推察されます。家屋は外見上佐渡島の家に似て
いますし別所作りの間取りがあるかもしれません。
また多分居付きサンカ筋がいる感じが濃厚です。
来年の大阪の野史研究会では清水谷をも訪れます。おたのしみ。
 往還沿いにあるし角材を埋めこんだ基礎…多分岩か石でしょう..
があるのかもしれません。番太杭を管理した家が残っていると思
います。昔は誇りですが今は真実を語らないでしょう。
 このときどうするか?野史研究会では秘伝の術を使います。

△うぶさん
>庚申の日にマグワッテ出来た子は、女は遊女に、男は盗人になる、
>との言い伝えで、忌み系。そう言うことの無い様に、この日全員
>が集まり、朝まで語り合うッテ言う行事
 これこそ庚申信仰の姿。たまにはセックスのような安直な日々を
すごさずに、昔日のように我らが天下が実現するように集い決意を
新にしようというもの。日常の中に非日常を埋めこんで革命を志向
しようという庶民レベルの催しと八切説。蜂起するためには平生の
不満を「見ざる 聞かざる 言わざる」で抑えておこう、と。
 俘囚のリーダー筋の阿部一族はこの「日本革命」の決意を墓石に
刻んでいたとある本に写真入りで書いてありました。
 これにひきかえ現在の庶民のレベルは落ちる所まできているよう
です。女は遊女に、男は盗人とまごうばかりの庶民が多いようです。

おりょう - 2003/11/08(土) 12:29<

おはようございます

*(O..O)*ngly さん 風邪大丈夫ですか?お大事にしてください。

>東京の中心部にはエタ族の流れが少なく、非人地区が多い。
東京での非人地区は、神田橋本町、芝新網、新宿天龍寺門前・千日谷・四谷・鮫が橋、浅草溜・非人小屋・
谷中、両国回向院前、油掘、品川宿、鈴が森、代々木村、中野区、高井戸宿、西巣鴨、雑司が谷、板橋岩の坂、前野、南千住、千住宿、この他、無宿、乞食は、江戸の町々の空き地、寺社境内、川岸、その周辺、
乞胸系集落は万年町、浅草竜光寺門、浅草奥山とあります。「近世の被差別部落」より。

私の下記の願人坊主というのは、非人ではないそうです。非人と良民の間のような・・。
市街地に住んで良民に雑居していいので寺社奉行の支配になっていたそうで、流派が二派あり、藤澤派は
日輪寺の支敗に属し、圓浄というのが頭で、享保に絶えたそうです。もう一つは鞍馬派で、毘沙門様のある
大蔵院という寺の配下に属する。これが江戸にきたのは江戸に大蔵院の末寺を作りたいためであるといわれているが、実は隠密を頼むつもりで幕府が呼んだものらしい。毘沙門様のお札を配ることは、幕府が公許し
ており、代参、代待、連念佛、説教などをやっておったが、これも享保度にはニ所に分かれ、西月、一入の
一派が馬喰町、春長という配下が芝金杉の百軒長屋に居ることになり、後には芝金杉、四谷鮫橋、神田豊嶋
町の三箇所に分かれるようになり、それも幕末頃にはアホダラ経やカッポレばかりをやっていたと。
以上三田村鳶魚の「江戸のはなし」より。