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2002年06月26日(水)19時20分までのKumanolifeGuestbookへの書き込みです。


おりょう - 2002/06/26(水) 16:39<

いろいろ

やなさん もんむーさん 「山の郵便配達」みました。しみじみとしたとてもいい映画でした。
宮本常一さんの本に、阿蘇の麓の蘇陽峡の配達区域になっている郵便屋さんの話しがのっていまして、
300戸ぐらいの家があるんだそうですが、谷底で道がろくになく、配達区域を歩いて戻ってくるのに3日はかかるんだそうです。距離にして3里、自転車にも乗れず、谷を上がったり下りたりで、山の郵便屋さんはとても大変なお仕事なんですね。

ヤゾーさん 蛍狩りはこれからです。
えんさんの短い文章にも、とても風情が感じられていいですね。以前読んだ「細雪」にも蛍狩りの描写がでてきますが「遠く、遠く、川のつづく限り、行筋とない線を引いて両側から入り乱れつつ点滅していた、幽鬼めいた蛍の火」と。この川は芦屋川でしょうか。こんな風景があったなんて信じられないことです。

玄米食はお米と混ぜて炊くのでしょうか?

小鳥はどんな鳥でもほんとに可愛いですね。すずめの、あのちっちゃな頭で餌さがしているのを見ているだけでも私は和みます。

蜜柑さんのこれから出される本が待ち遠しい。

turukot(-,.-) - 2002/06/25(火) 23:24<

Re:玄米菜食

私、自炊は玄米で、もう3,4年ぐらいになっちゃいますかね?
菜食ではないですね。玄米は必要栄養素の7〜8割賄えるから、あとは適当におかずを食べても
大丈夫と昔とある方に言われ、実行しましたが栄養が偏ったということがありませんでした。
それから植物性たんぱく質を併せて摂るのがいいとか。

ヤゾ− - 2002/06/25(火) 21:53<

玄米菜食

みなさん こんばんわ

あかりさん とても良い話しを紹介して下さり ありがとうございました。
命を大切にし、互いに助け合って暮らす生き方というのは
弱者や自然にとって 優しい生き方なのでしょうね。

tuyaさん 鳥の可愛さに目覚めてしまったようですね。
早く喋るようになればいいですね。
僕にも「あすにつぐもの」を貸して下さい。

NONさん 楽しそうなイベントですね。
そういう宣伝なら遠慮しないで どんどんして下さいね。
ホームページ見せて頂きましたが表示されないところがありました。
一度 確認してみて下さい。
玄米菜食を続けると 体に良いだけでなく 気持ちが穏やかになってきますね。

NON - 2002/06/25(火) 02:12<

管理人さん済みません

ROMで楽しませてもらっております。山の自宅で。(富山県八尾町)お近くの方おられましたら是非どうぞ。忙しい農作業の中休み。お勤めの方には山の環境と魂へのプレゼント。バックミュージック付。絵画も展示。
玄米菜食(肉。魚,卵,牛乳不使用)+飲み物付き¥1000円 連絡下されば案内文送信します。
〒939-2416 富山県八尾町布谷3158 神実(カムミ)
T&F 076−454−5536
mailto:yoka@cty8.com
http://www.cty8.com/yoka/index.htm

tuya@じつは出雲系 - 2002/06/25(火) 00:02<

表情がいいですよね

>あおきさん<仕事をつきつめることで仏陀の境地に近づく理想的な人生だと思いました 
私も!ビデオに登場した竹細工の職人さんの表情に、立派に生き抜いて年を重ねた人の美しさがにじみ出ていて素敵だなと思いました。

蜜柑さん>期待しています

おりょうさん>私もセキセイインコ飼いました。毎日3分間ディープキスしてます。

あかり - 2002/06/24(月) 20:42<

中学校の教科書

昨年度まで使われていた中学校の歴史の教科書に江戸時代、差別されていた人達の村の方が同じ地域の農民の村より人口増加が多かった。という記述がグラフ入りであり、その理由として、収入の手だてが多かったことの他に「また、命を大切にし、互いに助け合って暮らす伝統が強かったことも、人口の増加を支えました。」と書かれています。また、今年度から使われている、国語の教科書には「縄文は森の文化」という論説文がありますが、その中では縄文時代の人達が森を知り尽くし、自然の循環を大切にして暮らしてきた事や、そういった考え方こそが二十一世紀にも人類がより幸福な存在として生き抜いていくためにさんこうにするべきだといったことが、具体例をあげて書かれています。

ヤゾ− - 2002/06/24(月) 20:25<

真名井原

みなさん こんばんわ

まれびとさん ニギハヤヒの墓の情報 ありがとうございます。
飛鳥もニギハヤヒと深い関係のある土地だそうですね。
十代の頃にフランチェスコを描いた映画「Brother Sun Sister Moon」を見たときには
とても大きな影響を受けて ああいう風に生きてみたいと思いました。
二十代の頃にサンカを描いた映画「瀬降り物語」を見たときにも同じようなことを思いました。
単純なのかも知れません。

えんさん 風情がありますね。
庭にホタルブクロを植え 綺麗な水を引いて小さな池を造って
カワニナが繁殖すれば  ホタルブクロの中で光るホタルを見れるかも知れませんね。

蜜柑さん どんな内容の公表になるのか ワクワクします。

あおきさん 「あすにつぐもの」もう見たんですか。
僕も早く見たいです。
五木寛之さんが対談の中で 賤民は選民であるというようなことを仰っていました。
また Donglyさんが賤民の成り上がりほど程度の悪いものはないと仰っていますが
どちらもよく分るような気がします。

おりょうさん ホタル狩りには行ってきましたか?

但馬故事記によると ニギハヤヒ(天火明)が降臨したのは田庭の比地
(丹波の与謝郡) 真名井原というところだそうです。
籠神社の奥宮真名井神社 出雲の真名井神社 熊野の真名井神社って?

あおき - 2002/06/24(月) 20:13<

あすにつぐもの

tuyaさんに借りたビデオ良かったです 差別され石を投げられても子供のためにたくさん竹細工を売って
飯をくわせる方が 怒ったり悲しんだりするより大切なんて 仕事をつきつめることで仏陀の境地に
近づく理想的な人生だと思いました それにしても田畑をもたず 元手のかからない仕事をすることが
なんで賎民になるのか理解できません 今のサラリーマンなんて元手もないし技もないし要領だけで生きてる人の方が多いのに賎民扱いされてないし 天下りとかしてる奴らのほうが真の賎民だと思うなあ 

蜜柑 - 2002/06/24(月) 15:40<

セブリ

セブリ場特定できました。
ヒロさんが赤ん坊を抱いて飛び込んだ沼の場所分かりました。
ラジオ東京の取材場所判明しました。

その他、まとめて公表予定。

えん - 2002/06/24(月) 13:49<

ほっほっほたるこい

10日頃には自然の舞っているほたるを見ることが出来、
22日には残りの竹やぶに舞うほたるを見ることが出来ラッキー。
またやっと山の緑に映えるやさしい姿のささゆりも見ることが出来ました。

沢山のほたるぶくろは種が出来てきました。

まれびと <http://homepage1.nifty.com/marebito/> - 2002/06/24(月) 13:22<

ニギハヤヒ ほか

ニギハヤヒの墓の詳細、以下のサイトにあります。たしかヤゾーさんのところでリンクされていると思いますが、「神奈備へようこそ」さんのページです。
http://www.kamnavi.net/mn/nara/izanagi.htm

知り合いで飛鳥の藍染織館の館長氏が、かつて石上神宮である啓示を受けたそうでニギハヤヒに昔から興味を持っていて、その館長氏より以前に伺っていたのを思い出してWebで調べてみました。ちなみに氏は飛鳥川の上流にある古社の宮守もしています。
墓は私自身はまだ未見ですが、そのうちに訪ねてみたいと思っています。歴史的には根拠は薄いでしょうが、何となく愉快ですよね。

フランチェスコの自然賛歌は、キリスト教の歴史においては、実はかなり異端的なものではないかとときどき思うことがあります。
そういう意味で、自然の中で生活していたサンカとリンクする部分というのもあるのかも知れません。

ヤゾ− - 2002/06/23(日) 18:03<

いろいろ

みなさん こんばんわ

もんむーさん いろいろと難しい問題もあるようですので、
ココや本では発表できないこともあるみたいです。
いつか蜜柑さんあおきさんから話しを聞く集まりなど開きたいものです。

まれびとさん その本は持ってはいますがパラパラとしか読んでいません。
フランチェスコとサンカ なにか共通のものがあるのか
何人かの人から分る気がするというメールを頂いたことがあります。
生駒の方には 星田の妙見さんやニギハヤヒが降臨したという磐船神社があって不思議なところのようですね。
「ニギハヤヒの墓」は神社か何かにあるのでしょうか。

tuyaさん 植林した山と違って 雑木林の山は四季の変化があって美しいですね。
特に新緑の季節は 木々が盛り上がるように浮きだって 
山がモコモコと蠢いてように生命の息吹きを感じさせてくれます。 
なんだか見てる方も元気が出てきそうな気がします。
年々 雑木林を増やそうという風にはなってきているようです。

写楽保介さん *(-..-)*onglyさん △うぶさん
サンカに惹かれたり興味を持つ人と話しをしたりすると
共通の感性などを感じることはありますが
スサノオやニギハヤヒ 出雲や物部 エミシやハヤトなどと
不思議と縁のある人が多いような気がすることもあります。
また 特定の土地と縁が深かったりすることも感じます。
遺伝子のなせる業なのでしょうか。

籠神社の奥宮に真名井神社というのがありますが
大斎原の近くの山道にも 熊野の神が最初に降臨場だといわれている
石垣の井戸があるだけの真名井神社があります。
確か出雲の方にも真名井神社があったと思います。
マナイという呼び名が不思議な響きです。

米朝さんの落語を見ていたらスリの話しがありました。
スリは自分達のことを泥棒ではなくて 白昼堂々仕事をするので技術者だという笑い話しや
先代の円歌さんが浅草から新宿の末広亭までの移動の間に
角帯に挟んでいた懐中時計の中の機械だけをスリ取られてしまったという
嘘のようなエピソードなどの話しがありました。
警察に届けたら 相手が円歌だと知って悪戯してやろうとしてやったのだろうといわれたそうです。
ルパン三世みたいなスリがいたんですね。

△うぶ - 2002/06/23(日) 02:30<

石上神社など

皆さんこんにちわ。自分も興味有ったので出雲と物部について調べてみました。
1)先ず、石上神社ですが              (関係HPよりの抜粋)
九州から来た、天皇系(天津神)の神社。そもそもは、奈良在住派であったが、天皇系に協力し、
奈良在住派のオオクニヌシを脅迫し、国譲りをさせた。物部氏の氏神。本来、社殿はない。朝廷の武器庫。
祭神…布都御魂(ふつのみたま)-スサノウのお父さん・ニギハヤヒのおじいさん、
    布都斯御魂(ふつしのみたま)-スサノウ・ニギハヤヒのお父さん、
    布留御魂(ふるのみたま)-ニギハヤヒ、
    宇摩志麻治尊(うましまちのみこと)-ニギハヤヒの長男。出雲系4代を祭っている。
出雲健雄神社 いずもたけお;出雲健雄神そもそも、奈良の天皇系の前の支配者
2)その他
「物部」というのは、そもそも「大物主」に仕えるグループの事。
物部には出雲系と日向系が存在したらしい。
出雲東部は蘇我に、出雲西部は物部に加担、そして蘇我勝利。
スサノオ自体→朱沙の王→丹生(水銀)系→中央構造線→大斎原、と継がり、
出雲地名が奈良南部方面へも広がりを見せる(ヤゾーさんの弁)。

*(-..-)*ongly - 2002/06/22(土) 22:44<

こういう生き方なら

ヤゾーさん まれびとさん 写楽保介さん
 物部、ニギハヤヒ、火明命の説明ありがとうございます。
 大・本家は二千年前からある根拠は伝承と様々な文献からと、村内での
扱われ方のようです。地位とか家柄とか経済力でも知識力でもありません
が、屋号を古家というように草分けだから一目置かれるもので、尊敬され
るでもないようです。田畑は七反と言います。ただ村の有力者や役人とも、
行商人とも通婚していたようです。現在は山また山の中の高地ですが、
古代から中世は山中のメインストリート沿いで、商売をやった時代もある
ようですが、ぱっとした家筋でもないのです。
 祭事でもでしゃばることなく、指名された受けるだけと言います。ただ
真面目に誠意をもって人に当る血筋で、家柄や系図などは全く重視しない!
 これこそ理想の生き方ではありませんか。
 このような血筋は長く続くと郷土史家は教えてくれました。
 どこまでが真実かは不明な部分がありますが、もしかしたらサンカかも。

tuya - 2002/06/22(土) 22:09<

北野武の色彩大紀行

 すごく、いい番組でした!(興奮)
 北野武さんの「自然界の色は、人間にはとても思いつかない。人が色を思いつくんじゃなくて、人は自然から色彩を学ぶ」という言葉が素敵でした。

 新緑の季節に熊野にドライブしたとき、雑木林の山を見て、その優しく豊かな色合いに感動しました。私は田舎育ちですが、日本の山といえばスギの山を思い浮かべていました。スギの山は、一年中趣があまり変化しません。でも雑木で覆われた山は、様々な顔を見せてくれます。
 ということは、昔の日本人が見ていた山の風景と、私達の見ている山の風景は、全然違うのですよね。昔の日本人は、もっともっと優しい豊かな色の山を見て暮らしていたはず。雑木の優しい色彩に抱かれて暮らしていた人々の感性は、私達の想像以上に穏やかだったのだろうと思ったりしました。

 しかしスギの山を見て育った私でも、雑木の山を見てスギの山以上に懐かしさを感じるということは、昔の日本人の感覚が、まだ完全に眠り込んでいるわけでもなさそうです。眠り込んでしまわないうちに、自然を回復させねばなりません。

写楽保介 - 2002/06/22(土) 19:03<

ニギハヤヒと海部氏

ニギハヤヒといえば丹後の籠神社の神職海部氏の祖先でもあるはず。最近の考古学に依れば丹後王朝ともいうべきものが存在していたようです。この海部氏の系図をみると卑弥呼と中国で呼ばれた女王の家系はこの海部氏に属するものではないかと考えます。
多分その後大和朝廷に権力が移ったため先行王朝である海部氏の祖先神であるニギハヤヒの痕跡が歴史から抹殺されたのではないでしょうか?サンカの子孫であるという月海黄樹氏もこのように考えているようです。

まれびと <http://homepage1.nifty.com/marebito/> - 2002/06/22(土) 12:41<

昨日

大阪でヨルゲンセンの「アシジの聖フランシスコ」(平凡社ライブラリー)を買ってきました。
ヤゾーさんはもうきっと読んでおられるでしょうね。

生駒山の麓に「ニギハヤヒの墓」と記された石柱があるそうです。

もんむー - 2002/06/22(土) 01:57<

近代化

あおきさんのレポートを読んで、いろいろ考えさせられました。
彼らの人生は日本の近代化の歴史に新しい光をあてるものだと思います。
ぜひ、さらに詳しいレポートを発表してください。

でわでわ

ヤゾ− - 2002/06/22(土) 00:36<

過去の掲示板にこういうのがありました

ニギハヤヒの正式名 

天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(アマテルクニテルヒコアメノホアカリクシタマニギハヤヒノミコト)

本の紹介です。

十一面観音や不動明王はニギハヤヒを投影したものか!?

覇王転生 十一面観音とニギハヤヒ / 小椋一葉/著

目次
第1章 誕生・十一面観会=ニギハヤヒ
第2章 聖徳太子と十一面観音
第3章 長谷寺の謎
第4章 藤原不比等の野望
第5章 不動明王とニギハヤヒ
第6章 お水取りの世界

詳細
神仏習合の千数百年の歴史に消された覇王の影を追う。古代日本の曙の王家=スサノオ一族、そして覇王ニギハヤヒ。
蘇我氏―藤原氏の歴史改竄によって正史から抹殺されたはずの出雲―物部系の王への人々の信仰は、十一面観音の形をとり、
神仏習合の裡に脈々と生きてきた。聖徳太子―弘法大師―長谷寺―二月堂のお水取り…。
仏教の背後に秘められた「消された覇王」の転生のドラマを描く衝撃の古代史。

ヤゾ− - 2002/06/22(土) 00:26<

今夜は夜更し

みなさん こんばんわ。

>自然のすばらしさと、人の心のありがたさと、清らかさ

ヤナさん そういう気持ちを大切にしてゆきたいですね。
辰さんとヒロさんのお子さんたちが、
心優しい大家さんたちに見守られていたことは救われる話しでした。
また HさんMさんたちは生活は苦しそうながらも明るかったそうです。
きっと どちら側にも清らかな心があったからなのだと思いました。

*(@..@)*nglyさん 原田常治さんという方の書いた『古代日本正史』という本では、
奈良の三輪神社に祀られている出雲の神さんである大物主は、
実は物部の祖神のニギハヤヒのことであり、
物部氏は出雲系だというようなことが書かれていたように思います。
また出雲と物部氏との関係を、
朝廷が血眼になって隠そうとした形跡が大物主を祀った神社に残っているとのでした。
物部氏の祖神であるニギハヤヒが、
但馬故事記では天火明(アメノホアカリ)と同一とされているそうで、
サンカのコトツ(伝承)の蝮部(タジヒベ)伝承では、
火明(ホアケ)は蝮部(タジヒベ)お首(オビト)の神であるとあります。
サンカのスサノオ伝承と合わせて考えたときに、
出雲と物部の関係が浮かび上がってきそうです。
サンカの伝承には火明隼人という言葉もあるそうで、
エミシだけでなくハヤトと呼ばれた人たちとも、
出雲や物部と関係があるのかも知れません。

*(@。。@)*ngly <http://www7.ocn.ne.jp/^iyasi> - 2002/06/21(金) 23:29<

求めよさらば得られん

 tuyaさん
 今までは他の方が書いたものや仲間の調査や研究の結果を
お知らせしたりしてました。自分の目で発見するというのは
昂奮します。サンカ近世発生説などはたわごとの感もあり
ました上に、昨年四国に90代とか100代続くサンカの旧
家があると聞き、その家にウメガイありと聞くと、近世発生
など馬鹿馬鹿しい気がします。ところで古代史では物部と
出雲は何か関係があるのでしょうか?「ものべ」と「もののべ
」は違うと聞いてはいますが。
 検証できない古代史などと思って勉強していないので教えて
さい。もちろん仮説で結構です。

tuya - 2002/06/21(金) 21:47<

不思議です

せんだっての、私がビデオに出くわした偶然。蜜柑さんあおきさんが、ツチノコ探すより難しいと思ってた人を見つけ出せたこと。*(@..@)*nglyさんが、行かれる先々でキーワードに出会ったり、祖先を知らせる事実と出遭ったりすること。
それぞれの努力でもあるんだけど、それ以上の力が働いてるような。
どうして求めているものと、人はいつか本当に出会っちゃうんだろう?
おもしろい、おもしろい。

*(@..@)*ngly - 2002/06/21(金) 20:19<

2000年前

 私の祖先はいたそうです。調査で伺った寺の住職の話で、昔は文書にもあり
墓もあったといいます。大名の毛利が来る前からあったとか。古文書は二次
大戦前に軍部に押収されたとか。理由は物部(もののべ)の地盤で、大和側
から圧力を受けたといいます。そういえば北条が本営を置いた願成寺もあり、
宮島神領だったこともあり平家の伝承があります。許せない・悔しい!!
すると親戚は今の古事記天皇家より古いことになります。大・本家の住居は
山間の別所地形で、近くに鷹巣という小字で、昔薬師堂があり(今は他に移
動しています)、別所の者ではと思いますが、二千年前では古過ぎます。
 大・本家の分家にはサンカ姓がありまして、近隣は神人やサンカや木地師の
姓があります。家紋は四角に目抜きです。本家にはまだ聴き取りしていません。
 二千年前がこんなに身近にあったとは思いませんでした。

あおき - 2002/06/21(金) 19:58<

蜜柑さん

火曜日現場へ行ったんですよね 会社さぼって どんな情報を仕入れたのかこっそりメールしてください
貝になりますから

蜜柑 - 2002/06/21(金) 18:22<

類は友を呼ぶ

アオキさんとヤゾーとSEBURIさんは、みんな同じ顔をしています。
ヒゲヅラ。

僕は、三角撮影の写真のモデルになったサンカを探すのは、河童やツチノコを探すより難しいと思っていましたが、そうでも無かった。しかし、アオキさんとの濃密な調査は一生の思い出になりそうです。
いまだに興奮してます。ハイ。

*(^。。^)*ngly - 2002/06/21(金) 00:54<

サンカしたい

tuyaさん
 桜の皮の細工は秋田の角館が有名で、この皮細工のビデオが
 あるそうです。いま「白昼堂々」手配してます。「瀬降り物語」
 も若い人に見せたい。私も見たい。
turukotさん  白山はもう頂上宿が満杯ですので、この夏は中止
 だそうです。仲間は来年登ろうとか言いますが、その時は私は
 白山頂上よりも高い所に住んでるかも。と言ったら、その時だけ
 降りて来いとか。
 おおきさん  言葉を聞いててください。
 おりょうさん 行って見たいが高尾サンカ茶屋は遠くて無理です。
 姫路の北、山崎の北になる予定です。お姉さんたちが予定をいま
 検討しています。決まったらお知らせします。
 メイさん  すんごい!サンカ、サンカと言ったり原稿書いたり
 する人はいますが、サンカを実行する人はいません。全身・全生
活をかけて実行するのは難しいが絶対に大事で、何かを得られるで
しょう。論より実行。そして将来、サンカ村を作って下さい。
 それにしても「幕の内」という地名にまた会いました。

ya(・ε^)na - 2002/06/21(金) 00:02<

ほっといてんか!!・プンプン リアップ!!

へんらへらへら・・
もう一度、ヤマモモ取りにいきましたよん
 んんん、中には大きめの実おましたよん!!
   十分実って、おいしい・・・・・んんんデリシャス!!

ふと考えました!・・昔の日本・・東北地方の口減らし!!私の友人は昔
日本海に面した地方で、育ったそうですが
子供のころのおやつ・・なんと・サナギやったそうです・・
  動物蛋白・・げぇ
昔731部隊ってのがあったそうです
  その部隊に所属する人員は東北のある村から多くやってきたそうです

なんてゆうたかねえ、確か石井中将やったかねえ・・
この人の下につどえば・・生きていけた

  226や515もなんやそんな話やったような気がします

     サンカのはなしも、やはり憧れだけでない、悲しい時代すぎてきたんですよね


今の時代、を考えるとき・・

    やっぱり、自然のすばらしさと、人の心のありがたさと、清らかさ

   まだ捨てたモンでないこと  考えたいとおもいます

  若者・・しょおもない人間にならんといてくださいね・・

             おねがいします

tuya - 2002/06/20(木) 23:42<

あおきさんのレポート

レポート読ませていただきました。簡単に感想が言える様な話ではないですね。
苦しかった人生を生き延びてくれて、ありがとうと言いたいです。おかげで私達は、サンカを知り学ぶ機会を与えてもらえたのですから。これからも元気で長生きしていただいて、たくさんの知恵を授けていただきたいです。

ヤゾ− - 2002/06/20(木) 19:00<

みなさん 再び こんばんわ

tuyaさん 高いビデオを買いましたね。
見せて頂くのが楽しみです。

Donglyさん 野史研究会のお知らせ ありがとうございます。
Donglyさんたちのお話も現地でのお話も一度は体験してみる価値のあるものだと思います。
みなさんも是非 Donglyさんにメールして参加してみて下さい。

メイさん なななんと 本当に実行したのですね。
天幕生活から学んだことをまた聞かせて下さい。

メイ - 2002/06/20(木) 16:24<

ひさしぶりです

 ひさしぶりに、電気のあるところにきました。みなさん健康に暮らしてますか?
今、九州の秘密の場所で天幕を張って生活しています、五月から 山にまじりて な感じです
町育ちの貧弱な体は傷だらけです、でもいろいろわかることがあって面白いです。
 レペゼン越後の国 メイ 実践民俗学 またそのうちきます ばいばーい 

ヤゾ− - 2002/06/20(木) 15:25<

あおきさんのサンカ探訪レポート

みなさん こんにちわ。

18日の夜に9枚の写真が添付されたあおきさんのレポートが届きました。
とても心に響くよいレポートで、いろいろと考えさせられて眠れませんでした。
それであおきさんと蜜柑さんに一部をイニシャルにしてみなさんに読んで貰いたい旨を伝えたところ、
レポートをどうするかは僕に任せるというようなことでしたので、
またまたどうしたものかと考えてしまいましたが掲載することにしました。
サンカの末裔の中には成功した人たちもいるのだと思いますが、
その反面、社会から見捨てられるように生きた人たちもいたということに、
純粋な魂を持ち続けたが故に貧乏くじを引いてしまったかのようにも思いました。
蜜柑さんが松さんや辰さんのお子さんたちを見つけ出して光りを当てたことは、
今後、大きな意味を持ってくるような気がします。
あおきさんのレポートは熊野ライフ通信にアップしています。

おりよう - 2002/06/20(木) 11:21<

△うぶ さん

お返事有り難うございました。(^○^)

春日神社と鹿の関係は古代から続いているんでしょうか。

やなさん もんむーさん
最近田山花袋の「日本温泉めぐり」読んでみました。秘境めぐりしているようで面白かったです。
「帰国」書いているぐらいだから、花袋もサンカに対する思い入れが強かったのでしょうね。柳田との交流
もありましたし・・・。

やなさん、この温泉めぐりの中に、有馬から六甲越えして、住吉のほうえ下りてくる道がかなり面白いと・・・。
芦屋川にいのししがいるんですか?六甲山から遊びにきてるんかな。芦屋川も六甲も懐かしい。
それから、布引温泉や諏訪山温泉があつたらしい。今はないですよね。

*(.O・・O)*ngly さん
>兵庫県姫路市北方付近の予定です。
姫路いいですね。いきたいなぁ・・。
白山も以前本読んだらとても行きたくなった所です。 





△うぶ - 2002/06/20(木) 01:55<

△□○□→◇?×

おりょうさん、たいへんレス遅れまして申し訳ないです。
>>ひょっとすると「鹿」「鶴」「猿」は容貌の比喩から来ているのかも知れないと
>>ふと昼間考えていました。
>これ、どいう意味ですか?くわしく教えて下さいませ。
、、、ですが、おりょうさんはTVでや写真でや現実に容貌をご覧になった事ありますか?
ここであまり突っ込んだ話すると問題になりますので、程々にしておきたいのですが。
どうか、どの様に繋がるのかは、おりょうさんなりにお願いします。私も確定的に言える
ものは持ち合わせてはおりませんで、フト、あくまでフト思っただけですので。

turukot(-,.-)ブヒ - 2002/06/20(木) 00:27<

*(.O・・O)*nglyさ〜ん

白山登山から変更になったのですか??

あおき - 2002/06/19(水) 22:55<

tuya さんそれを

ダ○ングしてください 見たい 欲しい 感動したい 瀬振り物語もみてみたいなあ

*(.O・・O)*ngly <http://www7.ocn.ne.jp/~iyasi> - 2002/06/19(水) 22:38<

おしらせです

 ヤゾーさんみなさん今晩は
7月20日過ぎから2泊3日の予定で研究報告会と現地案内
または探訪会を行います。野史研究会(関西)主催です。
 テーマは東北エミシが流された地・別所の探訪の報告です。
といっても軽いものです。
 またサンカについての話も出ますしその調査方法について
も雑談ででると思います。掲示板では出せない事ばかり山盛り
てんこ盛です。何よりも自分の目と耳と鼻と口と足と肉体で
新しい(古いかも)事実(嘘かもしれませんが)を発見した
時は嬉しいものです。もちろん相互に批判もします。
 また今回はこのBSの常連で、東西にお住いのお二人にも
参加とご報告をして頂くようお願いします(予定です)。
場所などはまだ未定ですが、兵庫県姫路市北方付近の予定です。 
 あなたも真実を発見する、暑い夏にしてみませんか!!

 

tuya - 2002/06/19(水) 21:35<

箕作り名人でシンクロ

 今日急な用事ができ、ある会館へ出張しました。蜜柑さんへのメールの内容を考えながら階段を下りているとき、ふと箕作り名人の姿が写されたポスターが目に入ったので、驚いて立ち止まりました。「あすにつぐもの〜竹細工に生きる」という題名のビデオの宣伝ポスターでした。偶然というにはあまりに出来過ぎたタイミングなので、これもきっと縁だと思い、結構な値段(36000円)でしたが購入しました。一度、箕作りの工程を見てみたい気持ちもありましたし、ビデオの内容がよければこちらの皆さんにお貸しできるかな、とも思ったのです。
 このビデオは「社団法人 部落解放・人権研究所」が人権啓発用に製作したものであるため、非常にメッセージ性が強く、また当然のことながら被差別部落の間で伝えられた竹細工技術がクローズアップされているため、山の民についてはさらっと流されているのみです。だからそれぞれの立場によって、感想や意見の異なるビデオかもしれません。私自身はあまりに知識不足なので、このあたりの評価はできません。
 が、難しい話はさておき、山桜の皮をはぐところから箕の完成までのプロセスがじっくり映されているので、私にとっては非常に満足度の高いビデオでした。達人の手によって、見る見る美しい網目が結ばれていく様は、見ていてとても気持ちよかったです。
 また、伝統を継ぐ人々の、正直な言葉を伝えている点も、素晴らしいものでした。 ある達人の、「工芸品を作れば作るほど、親父から遠ざかっていく気がする(父からは日用品としての竹細工の技術を教えられたのに)」という言葉は、深く胸に染み入るものがありました。
 そうそう、ビデオの手引書に書かれた以下の箇所は、おもしろいなと思いました。
「・・・箕は神に捧げる米を選び分ける道具であって、それをふっている間に霊力が付着するという説が昔からあった。また箕は中が窪んでいるから、そこには穀霊が宿ると考えられた。南九州では、八月十五夜祭の供物は、箕にのせた。誕生祝には、その霊力にあやかるように、子どもを箕の上に立たせという風習が残っている」

 ほかにもいろいろ興味深いお話が紹介されていました。このビデオに興味がある方は、お貸し致します。また購入されたい方には、注文先をお知らせ致します。どうぞ管理人さんに、私のアドレスをお尋ねください。

ヤゾ− - 2002/06/18(火) 17:35<

チガレのコトツ

みなさん こんばんわ。
サッカー見てたら疲れました。
惜しかったですね。

もんむーさん お久しぶりでした。
ヤナさん やまももの写真見ましたよ。
tuyaさん セブリ生活を今どう思うかの質問はいいですね。

蜜柑さんが近いうちに数年前まで箕つくりをしていたという方に話しを聞きに行くそうです。
それで是非、聞いて欲しいことはないかとのことです。
僕が聞いて欲しいことは自分たちの歴史や伝承を伝え聞いているかということです。
チガレのコトツというやつです。
後は感性が伝わってくるような質問があればいいなと思います。

tuya - 2002/06/18(火) 00:14<

聞いてきてほしいこと

蜜柑さん>次回のインタビューで聞いてきてほしいことといえば、すごくシンプルな質問なのですけど
「昔の生活が懐かしいですか?今の暮らしと比べてどうですか?」ということです。でももし、お話の流れからはずれた質問だったら、別にいいです。あの方々が昔話をされるとき、どんな表情をしてらしたのか、蜜柑さんが感じたことを教えてくださるのでもいいです。
 つまり私の興味は、セブリ生活を知らない私達の憧れの気持ちと、その生活を知っていて今違う世界で暮らしている人の郷愁とは、接点があるだろうか?あるとしたらどういう点なんだろうか?ということです。

やなぎむし - 2002/06/17(月) 23:29<

およよ!!

大阪の街中でも・・季節って感じれるんですよぅ
 梅雨の間に赤い実がてんこ盛りです・・
実少しこんまいけども・甘酸っぱいこの味・・んんんん
ゲーーーーっ・・少し青かった松脂くさいがな・ぺっぺぺえぺ
 なんやこれ、排ガスくさいがな・・なんて言いながら・・夏の風物詩感じてみました
枝を折っていたら・・兄ちゃん、登らんとええ実とられへんで!!っていいながら
 この木が何の木か知ってる人が通って行きました
  アインシュタインも上を眺めていたらボタボタと赤い実が鼻先に落ちてきました

以前、六甲の芦屋川からロックガーデンに行く途中、大きなこの木がありました
登って、口いっぱいにほおばっていたら、・・なんや・下のほうが騒がしい!!

ありゃりゃ、大きなイノシシがやってきて、下でおこぼれちょうだい中
 長い間、木の上で時間待ちしたこと・・へへへへ
思い出しました

    自然ってほんま・・ええですねえ
                やなでした

もんむー - 2002/06/17(月) 23:29<

金太郎

蜜柑さん、おめでとうございます。
それから大きな収穫ですね。

先日、足柄峠から金時山に登ってきました。
古代の東西を結んだ街道も今は舗装道路になっていますが、
そこかしこに古道が残っていて、往時を偲ばせます。
更級日記を思い浮かべながら、雰囲気にひたってしまいました。

それから、金時山はあの金太郎が遊びまわっていたという山です。
金太郎は古代の山人なのではと想像をめぐらしながら、箱根を見下ろしました。

でわでわ

ヤゾ− - 2002/06/17(月) 20:05<

いいなぁ〜

みなさん こんばんわ。
あおきさん 写真見ました。
蜜柑さんが三角寛全集を手に真剣な顔をして聞き取りをしている様子が、
とても臨場感があって良かったです。
貴重な瞬間に立ち会えて羨ましい限りです。
でもタマコさんが亡くなっていたのは残念でした。
確か犬をだいたサンカの少女の写真の方ですよね。
マサ子さん なんだか親しみを覚える顔してます。
辰さんの子供たちが父親の姓ではなく、
母親の方の姓を継いでいたんですね。
蜜柑さんの今後の発表が楽しみです。

バリ師さん 僕もヘビトンボの幼虫が孫太郎虫だと知ったのは渓流釣りからでした。
ちなみに僕は餌にしようとして噛まれたことがあります。
無茶苦茶痛かったです。
投げ釣りに使う餌にマムシというのがありますが、
あれも噛まれたら相当に痛いとのことで、
釣り餌屋のおじさんが針に刺す前にハサミで頭を切ることを教えてくれました。
でも孫太郎虫は誰もそんなことを教えてくれませんでしたので噛まれました。

おりょうさん アーメンは傑作でした。
おユキちゃんが言うように楽しく読ませて頂いてます。
サンカの人たちと音楽はなにやら深い繋がりがありそうですね。
昔のジャズメンなどの人たちが逆さ言葉を使い始めたのも、
なにか関係があるのかもしれません。
タヌキは勝手にハンターが山に入って猟犬を放してから、
一度何処かへ行ってしまい出没しなくなってしまいましたが、
再び小さめのタヌキが三匹出没するようになりました。
せっかくポン吉と仲良くなれそうだったので腹が立ちました。
とんちゃん 尿道炎だそうです。

おりょう - 2002/06/17(月) 19:37<

こんばんわ

おユキちゃんどうも有り難う。ホタル是非みてきてね。同じ虫でも蛍とかテントウ虫とか可愛いのもいますよね。
バリ師さんちのお子様達、心が豊かに育っていきそう。素晴らしいお父様ぶりですね。

やなさん 朝日と間違えました。蛍の写真どうしてなのか出ませんでした。残念。

ヤゾーさん 子ダヌキ増えたんですか?花御前ステキな名前。

おユキ - 2002/06/17(月) 12:55<
おりょうさん お礼が遅れてごめんなさい。
うかい竹亭は高尾登山口からバスで行けるのですね。
いろいろとありがとうございました。
おりょうさんの文章は愉快で好きです。
私も虫が苦手なので気持ちがよく分ります。

蜜柑さんあおきさん、写真見せて頂きました。
良かったですね。

蜜柑 - 2002/06/17(月) 10:05<
おせわになりました

蜜柑 - 2002/06/17(月) 10:04<

大収穫

あこがれの、まさこチャンに会えました。
タマコは亡くなったそうです。
ハツコの家を見つけました。イツキ小屋のようでした。
なんだか興奮して昨日は寝付けませんでした。
アオキさんニハ

バリ師 - 2002/06/17(月) 00:18<

孫太郎虫

渓流釣りを始めた頃、川の中で網を受け、足で石をごそごそ転がして、せっせと川虫を採っておりました。ほな奇怪なヘビトンボの幼虫が入るんですな。最初、「ギェ〜!なんじゃこれは!!!」と黄色い悲鳴を上げてしまいました。勿論、よう摘ままず他の川虫ごとポイ!

いろいろ調べますと、このヘビトンボの幼虫、「孫太郎虫」と言うて、薬になるんですな。串刺しにして焼いて食らうのだとか。ここで2回目の悲鳴「ヒェ〜!ほんまかいな!」

自然界には本来、美しいとか不気味だとか、ええもんわるもん、美味い不味い、役に立つ役立たないなどという価値基準や価値判断はないように思われます。自ずから然り、自ら然りですな。

ムカデのゴマ油漬け・蓼や山椒の毒流し・孫太郎虫の串刺し、夏休みの実験のテーマがたくさんできました。

おりょう - 2002/06/16(日) 23:03<
あおきさん写真みました。
凄い!!興奮しました。
二角寛はやはり真実を伝えていたんですね。
はやく話しが聞きたい。

やなさん ホタルの写真でなかった。
明日。また、みて見ます。


おりょう - 2002/06/16(日) 22:37<

みなさまこんばんわ

turukot(-,.-) さん ヤゾーさん URLと画像みてみます。いっぱい載せていただいてありがとうございました。
>んでそいつを寒い戸外に放り投げたことがありました〜。
酷いことを、と思われますか?
私も虫類はニガテで、虫がいると恐怖で殺虫剤をメチャンコかけてしまうんですわ。アーメン。

>確か成吉思汗の吉が義経を、汗が静御前を表し、
そうなんですか?しりませんでした。
義経の牛若丸時代鞍馬の山中で天狗に兵法の手ほどきを受け、また、金売吉次の庇護をうけ、鈴鹿山から
伊勢湾にかけてのクグツ集団の長・伊勢三郎や、羽黒山系の修験者集団の弁慶など、山人族と深いかかわりあいがあるとありますね。この佐治芳彦の「漂泊の民 サンカの謎」も面白い内容でいっぱいです。
話しは別になりますが、この本の中に、木津北島町の百軒長屋のサンカの生活は、九割もの未就学児童がメンコに金銭を賭けていたり、戸籍がなくて就職できなかったりだそうなのですが、ここのサンカの若者達は音楽を愛し、篠笛あるいは横笛などがすこぶる巧みで音楽に併せて、夜のふけるのを忘れてよく踊り、それらの楽器も製造を上手にした・・・・と。なにやら現実離れがしていて、この話しにひかれてます。
そういえば、大阪で5歳の男の子が補導され、警察官にむかって「おっちゃんシャブくれよ」いったとか、いわなかったとか、の話し覚えているのですが、これ現実のことか・・・・・。夢か幻か。

△うぶ - さん
>ひょっとすると「鹿」「鶴」「猿」は容貌の比喩から来ているのかも知れないと
>ふと昼間考えていました。
これ、どいう意味ですか?くわしく教えて下さいませ。

やなさん
山のパネルみましたよ。それから夕日も。
タンポポもあった。

とんちかん小僧さん元気にがんばってるかな。


あおき - 2002/06/16(日) 21:55<

大変なことがありました

今日 蜜柑さんと東松山サンカ探訪に行きました 長々と書かずに 結論だけ書きます
三角 寛のサンカ資料に出ていた 子だくさんのサンカの生き残り3人に会いました
松島はじめさん 松島マサ子さん 松島七郎さんにあいました
くわしい経過は 蜜柑さんにおねがいします
はじめさんと マサ子さんの写真を画像掲示板にアップしときます
ものすごい偶然とあまりにスムースな展開に私達は興奮し 落ち着いて説明できないくらいです
くわしい経過はながーーーーくなるので これで

ヤゾ− - 2002/06/16(日) 20:15<

義経サンカ説というのもあります

みなさん こんばんわ。
おりょうさん 義経ジンギスカン説も面白いですね。
確か成吉思汗の吉が義経を、汗が静御前を表し、
義経がジンギスカンに成りて静御前を思うとかいう話しでしたね。
その静御前の母親は丹波出身の白拍子の元祖でサンカではなかったかと、
佐治芳彦さんの義経の背後に漂う山の民(サンカ)に迫るという本にあって面白かったです。
義経の母親の常盤御前も傀儡か白拍子でサンカから出た可能性があることが書かれていました。
最近、昼夜を問わずよく出没する子タヌキがいます。
芝桜の花をよくクンクンしているので花子と呼んでいますが、
花御前と呼んだら、やっぱり似合わないでしょうね。

turukot(-,.-)ブヒさんの真似してヘビトンボの画像です。
間近で見るともっと気色の悪い虫です。

http://www.biology.tohoku.ac.jp/garden/aobayama/121Protohermes.html
http://www.city.sapporo.jp/eiken/river/pic-hebitonbo.htm
http://musi.s6.xrea.com/tonnbo6.htm

turukot(-,.-) - 2002/06/16(日) 03:28<

訂正

>> 貼った画像の一部が?→ 貼ったURLの一部が? 
です。念の為。

turukot(-,.-)ブヒ - 2002/06/16(日) 03:26<

イモリヤモリ

おりょうさま〜(2002/06/13(木) 20:11)
>turukot(-,.-) さん
>いもりとやもりは、また、種類がちがうんでしょうか。

お返事遅れましてすみません<(_ _)>

やなさんとあおきさんがご解説されたようですね。
百聞は一見に如かず と言いますが、画像がわかりやすいかと
googleのイメージ検索で画像を捜してみました。
以下、リストの一部からURLです。

【イモリ】
http://homepage1.nifty.com/obara/ sirikenimori-1.htm/ iboimori1.jpg
http://homepage1.nifty.com/obara/ iboimori-1.htm
http://www3.osk.3web.ne.jp/ ~express2/P2.html
http://www.horipro.co.jp/talent/ PF006/image/photo_06.jpg 
http://www.sun-inet.or.jp/~omat/card/r-html/r-273.jpg 
 
【ヤモリ】
http://village.infoweb.ne.jp/.../gekko/ gekko/photo/minamigegg.jpg
(あっしはイモリもヤモリも卵を見たことがありません。)
http://www1.harenet.ne.jp/~mihoku/ data_sizen/mamusi.htm
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~ysatoh1h/ langtengah/hotel.htm
http://www.hengchia.cx/
http://howclub.com/index2/shopping/ hair01/hair01.html

あまりURLを並べるとエロサイトの投稿のような・・・
そんな類とは全然関係ありません〜。

あっし12月にヤモリを掴んだことがありますが、暖かいところに寝ぼけ
眼で出てきたんですナ〜。開いた赤い口がちとキモ悪かった・・・
んでそいつを寒い戸外に放り投げたことがありました〜。
酷いことを、と思われますか?
だって工場内だったから。しばらく悩んだんですよ。建物の壁に近い
ところに放ったので、自力で暖かいところに行くことをねがいつつ・・










へ?貼った画像の一部が? ですって?      がはは、ご愛嬌〜

おりょう - 2002/06/15(土) 22:31<

ヤモリ・イモリ・ヘビトンボ可愛いーと思いたいが・・・

ヤナさん あおきさん やぞーさん みなさまこんばんわ
守宮が、ガラス窓にピタッと張りついて職場の中を覗いて見ていられたのは、吸盤のせいだったんですね。あらっ、また来たのね、御願いだから入ってこないでねって気持ちで、めん玉の観察まではおよばなかったもんね。
両性類と爬虫類の違いなんですね。
そういえば子供のころ蜥蜴のシッポ切って遊んでたような・・・・。切られた後もシッポ動いていて、それが面白かったのおぼえてます。イモリとヘビトンボはみた事がないですね。いえ、あの、別に見てみたいとは思っていませんですので。
ヤモリは家を守っていて、イモリは井戸を守っていると聞いた事があります。

キリストの墓も面白い説ですよね。戸来村がヘブライからだそうですが。
義経ジンギスカン説とかいう面白い本もあつたですね。

ヤゾー - 2002/06/15(土) 20:55<

自然観察

みなさん こんばんわ。
ヤナさん あおきさん イモリってカエルに近いんですね。
ところでヘビトンボって虫を知ってますか?
首が長くてヘビのような頭をした蛾のような奴です。
幼虫のときにはムカデみたいな姿で川に住む水生昆虫です。
ある程度、川が奇麗でないと生息しない生き物のようです。
そのヘビトンボが初夏になると燈火に誘われて網戸なんかにへばり付くことがあります。
始めて見たときには、そのあまりの不気味な姿に、
なんちゅう気色の悪い虫なんじゃとゾッとしてしまいました。
今年もまた網戸の向こうにその姿が見れると思うと嬉しいような怖いような気がします。

あおき - 2002/06/15(土) 09:34<

森島の頭はでかい

やりましたねー 解説者がヘディングは高さではなく タイミングだとか言ってましたが
僕は単に頭が人よりでかいのが有利だと思います 中田は顔が怖い
イモリは芸能人 じゃなかった両生類で たまごがカエルみたいで ヤモリは爬虫類でたまごが硬い殻で
おおわれてるそうです

やなぎむし - 2002/06/14(金) 23:19<

あはーーーぁ・・

あはーーぁ・・やりましたねえ・・ワールドカップ・・!!
 暇やから、3時からズーーーット見ちゃいました
がんばれ・・日本!!


言われて飛び出てジャジャジャジャーーーン!!
おりょうさん、イモリ・ヤモリ(家守)・・ですか?このところ出番がなかったので
  やっと、のお呼びでコマリシルよ!

イモリは、わたしたちは、赤腹(アカハラ)なんて呼んでましたヨン
あんまり高くない山の池にいてましたねえ15CM位で上から見たら真っ黒・ひっくり返したらドギツイ真っ赤なお腹に黒い斑点・・
 サンショウウオ(小型)みたなとこおますねえ・・学術てきにはわからへんけどもね?!サンショウウオは、鰓みたいなんついてますけど、アカハラにはおませんねえ
手はどちらかゆうたら・・かえるさんみたいですねえ

ヤモリは、どちらかゆうたら・・トカゲさんみたいですねえぇ
後ろ足と前足独立してるみたいな動きしますねえ・・それに早い!!手はやっぱりトカゲの手みたいです鎧みたいに段々の模様なんですよ楓の葉っぱみたいな形です
 その手は、吸盤みたいに良くくっつくんですよん
その吸着力死んでもなくならへんですよん
 死んだヤモリの手突っついたら、ペチョッて引っ付いて上がってきます

決定的にちゃうのんは、めん玉やろかねえ!!
   一回みてみて!!

  よう観察したら・・動物っておもしろおますねえ


けけけけけ・やなでした

ヤゾ− - 2002/06/14(金) 20:05<

キリストの墓

おりょうさん キリストが日本人であったという話はあまり知りませんが、
日本で死んだという話しは聞いたことがあります。
地質学者で考古学者でもあった山根キクという人が、
かつて戸来(へらい)村と呼ばれた青森県新郷村にキリストの墓を発見したという話しは読んだことがあります。
サンカと関係があるともいわれている『竹内文書』によるキリスト伝説が元になった話しだったと思います。
これがまた結構リアリティのある話しで不思議だったりします。
またキリストの墓がある周辺には大石神ピラミッドや大湯ストーンサークルなどの
縄文時代からの遺跡があるということも面白い気がします。

あかりさん お久しぶりでした。
サンカの人たちには独自の言葉があったとされています。
記紀などの上代語や上記の中で使われている言葉と共通したものがあるそうです。
サンカの人たちが使っていた言葉が、
様々な世界で今も使われている気もしています。

△うぶさん 半分冗談で言ったのですが
そんな説があるなんて驚きました。
紀伊半島にも出雲という知名が幾つか残っているようです。

△うぶ - 2002/06/14(金) 00:28<

出雲とかったい

ヤゾーさん
>出る“くも”(土蜘蛛)で出(蜘蛛)雲なんてどうでしょう?ちょっと無茶かな!
そちらの方が高級です、的を得ています。某学者もそう言っていました。
奈良から京都、丹波を通過し、島根県まで達したらしいです。

ひょっとすると「鹿」「鶴」「猿」は容貌の比喩から来ているのかも知れないと
ふと昼間考えていました。

あかり - 2002/06/13(木) 21:08<

タイ少数民族

タイの少数民族のところで手工芸の支援をしてきた青年海外協力隊のOGの方の話を聞きましたが、サンカのように国境を越えて山岳地帯を移動する民族なのだそうですが、今タイでは定住化を進めていてそれが一定程度の成果をあげているそうです。ところが昔からの平地に住むタイ人は同じタイ国ないに住んでいても同じ国民とは見ない、少しさげすんでみているところがあるのだそうです。言葉もタイ語ではないそれぞれ独自の言葉だそうですが、果たしてサンカには独自の言葉があったのでしょうか。

おりょう - 2002/06/13(木) 20:11<

みなさまこんばんわ

「犯罪の民俗学」これは相当に面白い本です。この中に朝鮮の癩に対する迷信が少しですが載っています。

turukot(-,.-) さん
いもりとやもりは、また、種類がちがうんでしょうか。
職場で古い建物(今は新築)の時、夜、ガラス窓にベタッとヤモリが張りついていました。気色悪い。

キリストが日本人であったという話はどうなんでしょうか?

ヤゾー - 2002/06/13(木) 15:12<

みなさん こんにちわ

おりょうさん Donglyさん にっちょさん ライの人たちに対する意識も変わってきているのかも知れません。
少し前にNHKの人間ドキュメント「津軽・故郷(ふるさと)の光の中へ」という番組を再放送を含め二度見ました。
ライ病患者で詩人の方が療養している確か草津の施設へ、
ボランティアとして訪れてから親しくなったチョンミさんという在日三世の女子大生と一緒に、
60年ぶりに故郷の津軽への里帰りをはたすまでのドキュメントでした。
身内の方や友人の人たちの受け入れる姿勢も良かったですが、
なんといってもチョンミさんとそのライ病患者の詩人の方との心の交流が感動的でした。
チョンミさん素敵でした。人間として存在感のある若い女性を久しぶりに見た思いがしました。
見ていない方はまた再放送される番組だと思いますのでチェックしてみて下さい。

えんさん そういえば山小屋を建てた当初は何度か木酢液を撒いていました。
また貰ってきて撒いてみます。
みなさん 木酢液ってなんだか知ってます?
炭を焼くときに出る煙を冷やすとできる液体のことです。
今ではいろんな効果があることが分かって商品として人気もあるそうです。
昔は肺結核の人が飲んだりもしたそうですが、
精製していないものは発ガン成分のタールを多く含むので危険なのだそうです。

六文さん 素敵な休日の過ごし方ですね。
読み終わったら、また感想などお聞かせ下さい。

写楽保介さん 原ユダヤ人とはもしかしたらなんらかの関係があったのかもしれませんね。
原日本人と友好的に融合した原ユダヤ人のグループが一つの系譜としてあったのかも知れません。

△うぶさん turukotさん 奈良の大神神社は出雲神の大物主(ニギハヤヒだという話しも?)を祀っていますが、
その大神神社のご神体でもある三輪山の祭祀形式が、
アイヌの祭祀形式とそっくりであるとの話しを読んだことがあります。
>(出雲→いずも→いずむ→夷住む)は某輩の弁。
面白いですね。
出る“くも”(土蜘蛛)で出(蜘蛛)雲なんてどうでしょう?ちょっと無茶かな!

ヤナさ〜ん 山の写真見ましたよ。
拓本の趣味といい渋いですね。

にっちょ - 2002/06/13(木) 11:58<

罵詈雑言


熊野ライフの皆様こんにちは〜♪
「四国遍路」で『癩』との関わりをこの身を持って認識させられました。
血縁からも所払いされ、死に場所を四国に求め、命つきるまで歩き続けた行き倒れの墓なども無数に見られました。(諸国を自由往来できないこの時代どの様にして熊野や四国までたどり着いたのだろうか?)また宗教観からきた「癩者」の「聖」としての側面など、病や穢れのある者に施しを与える行為が、利益があると信じられたお接待の行為など 宗教の癩者に対する役割など、そして「在日韓国・朝鮮人癩者」の闇の部分など・・・私自身の宗教観が変わってしまいました。
昔、相手をののしり、蔑む言葉として韓国ではよく、いのいちばんに癩病患者をたとえた“ムンディンセッキ”、などの言葉を使い、相手をののしります、またこんなのもあります“シップハンセッキ”これは近親相姦のたとえだそうで(いまでも日常的にお歳を召した方は使います、まったく目くそ鼻くそですネ、)なぜか朝鮮半島ではこのように、蔑まれる者のたとえとしての悪口が無数にあります悲しいですね・・・あまり突っこみすぎてもよくないので・・・、そんなわけで私は今、四国の道を歩き続けています。

△うぶ - 2002/06/13(木) 03:21<

いろいろ感謝

皆様、いろいろコメント有難うございます。
飛鳥大和時代に言う「出雲」は島根県では無く、奈良県○○市に存在(する?した?)出雲みたい
です、当時院内別所、いろいろ有って、島根へコピー(した?させられた?)地名らしいです。
ちなみに京都市内にも出雲路の地名存在。(出雲→いずも→いずむ→夷住む)は某輩の弁。
*(0。。0)*ngly さん;「笠」→「かさぶた」→皮膚病全般。「法師」→「ほうそ」→「天然痘」。
は定説。「鹿」→「しかしか」→(皮膚の感覚)、「鶴」→「つるつる」→(皮膚が綺麗になる様子)、「猿」→「(病が)去る」、、、かも知れません(苦しいこじ付け?)
身体不自由者を集めたゲットー、関に浮島に寺に特有職業に特有地名、大変興味あります。
さっそく地図とにらめっこ、寺の宗派がヒントその1ですかね。

turukot(-,.-) - 2002/06/13(木) 00:28<

お返事いろいろ

蜜柑さん、ご結婚おめでとうございます。
あっしもいいひと顕れないかなぁ〜。ダリカ紹介して。オデガイ(ToT)・・

蜜柑さん(2002/06/11(火) 16:27)
>福岡県田川郡川崎村藤ケ瀬の泥棒村(サンカの末裔が住み着いたところ)探訪記によると、

同じ田川郡の赤村なんてどうでせうか??(関係ないか「呼び名」かなにか)静かな農村です。

△うぶさん (2002/06/10(月) 04:41)

>かのハプスブルグ帝国と‐‐ロスチャイルド家の資金力に多大に依存していて、鉄道、建設

>港湾、通商などを任せていたのでした。見方に拠っては共存共栄、はたまた、利用されたとも。
>当然ユダヤ人は帝国中央に深く入り込むも婚姻関係も不可能でした。
>しかしこの時代に著名なユダヤ人学者や芸術家を多く輩出できました。この状態を後世の解説
>では友好関係と言っています。私はこれと同様と思っています。

なるほどなるほど。私もそんな気がします(あくまでも個人的に思うだけですが)

>「物部と蝦夷との政略結婚、、、」ですが、私も、むしろ全てがそうだったと思います。
>生活習慣や文化が違う同士ですので何かの余計な力が働いていたと思います。
>そこに物部の意志(敢て野心とは言いませんが)が存在、その所以が問題でして、
>物部の野心なのか、後続する者の露払いなのか、押し出しなのか、???。

私が考えるのは大和王権と境界権力者やエミシ系有力者との政治力学的関係がどうで
あったか?なんてことです。その辺りがおっしゃるお言葉を拝借しますと「意志」がどうで
あったか見えてくるかも。

おりょうさん(2002/06/10(月) 17:58)
>白石市の鎌崎温泉とならんで小原温泉があり、そこから仰ぐ鎌倉山があり、この
山で
>イモリとムカデの山争いの伝説があるそうですが、なにやら利権争い のような・・・・。

白石市に小原温泉と鎌倉山ですか?地図を見てみます。イモリとムカデが何かを
象徴しているかも?? あっしイモリは外道で釣った(餌のキジ[ミミズ]だけ咥えていて
針にかかっていない。。頭のいい奴だ。)こともあって嫌悪感ないですが、ムカデは・・
いや〜ん。

ヤゾ−さん(2002/06/10(月) 19:25)
△うぶさん turukotさん 物部氏と蝦夷の関係ですが、
>物部氏そのものが蝦夷か、それに近い人たちだったような気がしています。
>日本書紀ではナガスネヒコをエミシと呼んでいますし、
>そのナガスネヒコと物部氏の祖であるニギハヤヒとは義理の兄弟ということになっています。
>ですから朝廷内で物部氏が勢力を保っていたときには、
>東国の蝦夷とも友好関係にあったと考えて自然なような気がしています。

さわりだけ存じています。あっしの印象では、前の拙文と同様、△うぶさん
の御文と重なってきてしまいます〜
ナンにしても検証がないと・・・。

*(◎。。◎)*nglyさん(2002/06/12(水) 22:54)
>出雲族は中国大陸や朝鮮と関係のない南方経由で渡来した中近東非ユダヤ系。なぜ
>なら新羅など朝鮮系を避けているようですし、古墳も作りません。

某所の末裔さんのところの言葉が韓国語に似ているとか聞きましたが。
韓国の方に「どこの韓国語の方言か?」ときかれたとか。
あ、あれは今週中になんとか・・・

*(◎。。◎)*ngly - 2002/06/12(水) 22:54<

毒婦・細工場・出雲・梅干

おりょうさん
 「毒婦と言われていた高橋お伝」の話。そうですか、周囲の差別行為がおでんを
追いやったのでしょうか。そうだとするなら周囲はもっと悪質な「毒人」となり
ます。毒人と闘う人は、少数でも利根郡にはいなかったのでしょうか。
△うぶさん
 昔、目・足・手・頭・口が不自由な人達ばかりを意識的に集めた場所が分り
ました。木・石・藁・編んだ竹と土で川を跨いで「関」があったそうです。側の
川近くに浮島を作り、その島に「寺」があったとか。その関の内側が不自由人の
ゲットーです。多分他にも特徴がありますので文献がなくても確認はできます。
精査で何か掴めるでしょう。たしか野史研究会ではそのような場所は、一般に
院内や産所の近くにあり、非農耕の芸能・商・工業盛んな傾向があり、細工場
と呼んでいました。不自由な部位により地名つけしてる傾向があります。
 なお、おおかわすみを大川角としたのは当て字です。地図には川住・川済・
川隅・川澄などあり、どの漢字を使うかはまだ確認してません。あしからず。
 写楽さん
出雲族は中国大陸や朝鮮と関係のない南方経由で渡来した中近東非ユダヤ系。なぜ
なら新羅など朝鮮系を避けているようですし、古墳も作りません。日槍など新羅系
や高句麗は出雲圏では古墳を作っていますが、本来は出雲の敵でしたが、「大和」
との対立関係で出雲の「傘下」に入った。スサノ−も出雲の敵だったが何かの重要
な貢献をして受け入れられた。以上のように理解しています。
 人骨の遺伝因子鑑定をすれば今でも明瞭になるのでしょうが、単一人種説が真実
の邪魔をしています。
 六文さん
 動物性がお嫌いならば、梅干やアロエなど植物性も安価に利用できます。
 やけどはやはり胡瓜の様です。

おりょう - 2002/06/12(水) 20:53<

みなさまこんばんわ

*(0。。0)*ngly さん ヤゾーさん
最近知ったのですが、毒婦と言われていた高橋お伝、上州の利根郡生まれで17歳の時、同村の高橋波之介
と結婚するが、結婚後に夫が癩病にかかり、村から追放され破滅への道にいたったとか。
癩病にかかると、村人達が金を持ち寄り、巡礼の仕度を整えてやり、当座の路銀をもたせて旅立たせたたという。その裏には村人たちの”追い出し”という無言の強制だったという。笠というのは旅を象徴する道具
でもあり、笠と杖と白衣を着せられというのは死出の旅に出され、二度と故郷には戻れなかったという。

△うぶ さん
昔の山人とか仙人といわれる人達は、穀物がないからウサギや鼠や木のみ等をとって食べていたんでしょうね。
何の本で読んだか忘れましたが、山から迷い出てきた女性を補導し、話しを聞いている間中、袋に色々な虫をいれていて、それを取り出してはムシャムシャ食べるので閉口したという話しやら、柳田の本でサンカの子が父と二人で丸3年山で住んでいて、山から出て来たときには、食物を悉く生で食べていた話し等を思い
だしてしまいました。

写楽保介 - 2002/06/12(水) 20:40<

出雲族とユダヤ

諏訪大社では御頭祭というのが毎年4月15日に行われるそうです。これはユダヤ教の過ぎ越しの祭りの時期に相当します。この祭りがユダヤ教のイサク奉献の故事と類似していると指摘したのはユダヤ教のラビ・マービン・トケイヤーです。この御頭祭は別名ミサクチ神の祭りと呼ばれるそうですが、このミサクチ神というのはかのアラハバキ神より一般になじみが薄いですね。諏訪大社といえばタケミナカタ神を思い出し、これは出雲族の神です。
大本教の出口王仁三郎はスサノオを重視し日ユ同祖論を唱えました。またスサノオ神はサンカにとっても重要な神のはず。
どうも出雲族とはユダヤ民族と深い縁がありそうです。ただし私は日ユ同祖論は採りません。

六文 - 2002/06/12(水) 13:05<
こんにちは。
Dongiyさん ヤゾーさん 
お返事ありがとうございました。しかし,皆さん博学ですね。勉強になります。
私は都内には珍しく緑の多いところに住んでおりまして、休みのたびに
近所の図書館に子供といっては本を借り,公園のお気に入りのベンチでゆっくり
読書するのが習慣です。ゆっくりといっても子供が飽きるまでのしばしの時間ですが。
なかなか気持ちにいい場所なので人気があるらしく,自由人のおじさんが大きな荷物を
枕に寝てたりして使えない場合もあります。

緑の中で本を読むのは気持ちがいいのですが,子供がよく蟲に差されるのですね〜。
まだ3歳なので,免疫(?)がないせいか驚くほど真っ赤に大きく腫れ上がります。
医者に見せたら,200回くらい刺されないと慣れないから,ほっとおくしかないですね,
と言われました。
今度ムカデを見つけて薬作ってみようと思います。

ところで、サンカ関連の本をようやく借りれました。
三角寛氏の「サンカ物語」八切止夫「せぶり生活体験記」です。
両人とも読みづらい(失礼)文章で難儀しそうですが,読み終わったら
また遊びに来ます。
よろしくお願いします。

*(0。。0)*ngly - 2002/06/12(水) 10:09<

温泉もいいな

△うぶさん
 山椒魚は食べると犯罪のようで、捕まえたと言う人はいますが
食べた?とは聞かないです。夜這いなら「やった」「やらない」
というより「やった」前提でどんどん聞いて行きますが。
 ライ者問題はまだまだ深刻のようで厚生大臣が頭を下げた程度では
すまず・すまされない現実が残ってるようです。藤野著『医療とファ
っシズム』岩波書店には熊本や草津関連で描かれています。草津地名
は野史呼び名辞典を見れば明瞭です。笠を龍と読む場合は別の意味で
しょう。温泉地の開発は、群馬の法師温泉などは連想しやすいのです
が、俗には鹿(山鹿温泉)とか鶴とか猿とか言いますが、本当のとこ
はライ者ではと思います。なぜか温泉を好むからです。憶測以外に具
体的には分りません。東北には夏油(げとー)温泉があり気になりま
す。
 広島賀茂郡で強制連行され隔離されたライ者は、島送になったまま
今でも帰郷していませんでした。肉親関係が周辺にある差別意識に負
けるからのようです。差別者に「差別するな」は無駄な事です。差別
する人間が、実は「差別される」側なのだという事を教えるべきでしょう。

△うぶ - 2002/06/12(水) 02:43<

おわび

みなさん、すみません、混乱させてしまって。「フナムシ」ではなくて「フナクイムシ」みたいです。白くて細長いひも状のやつです。船喰虫と書くと思います。船板を喰らうやつです。
*(-..-)*ngly さん;団子ですと味付けはタレつけて炭火で焙るのがよさそうですね。山椒魚って
天然記念物で捕獲しても犯罪のはず、食べて新聞に名前載ったら、それこそ天然記念物者です。
大川姓ウムウムです、そちらでもこちらでもウムウム。
おりょうさん;臭木の芯の虫、トーノムシと言うんですか、既に成虫なんでしょうね。
昔雑草刈りしていた時ノコギリで切り払ったら出てきてゾっとしました、私も毛虫幼虫の
類、大の苦手でして、新緑の頃は神経が過敏になります。
ヤゾーさん;なんでも食べますねえー。私はダメです、即、異物アレルギーで卒倒。
昔、某国で蝸牛の煮付け食べた、これは味付け良し、エスカルゴの親戚、しかし硬くて消化
不良でした。広東料理、蛇、多い、注意要ります(日本国内では話は別)。
殆どの湯治場がライや天然痘に関係有るでしょう?(笠)地名、も然り。
蜜柑さん;山本姓、わが国に一杯じゃないですか。サンカの起源説の一端が投影されそうです。

えん - 2002/06/11(火) 22:16<

むかで

我が家も良く出ていますが、地元の方から教えてもらって、
木酢を家の周りに撒くとでないというので、原液をまいています。
効果があるのか家の中には姿は見えなく、時々まいたところで死んでいます。

蜜柑 - 2002/06/11(火) 16:27<
福岡県田川郡川崎村藤ケ瀬の泥棒村(サンカの末裔が住み着いたところ)探訪記によると、
一番大きな一族の苗字は「山本」です。
「ヤマ」の「ポン」だな。

ヤゾ− - 2002/06/11(火) 15:15<

ライと熊野

Donglyさんのライの話しが続いたので熊野とライについて少し。
熊野詣でには大勢の ライ病の人たちも訪れていたといいます。
湯の峯温泉ではライ病の人たちが湯治しており、
他の湯治客も村の人たちも分け隔てなく接していたといいます。
聞いた話しによるとライ病の人が経営するライ病の人の為の旅館もあったとのことです。
その日暮しの貧しいライ病の人たちの中には、
食べ物を作り村の人や湯治客に売って湯治を続けた人もいたそうで、
村の人は何も気にせずに買って食べていたといいます。
しかし、こういった話しをあまり表立ってするのをタブーとしているようです。
それは熊野や温泉のイメージが悪くなることを恐れてのことなのだそうです。
熊野のほんとうの良さを隠してどうするのでしょうね?

△うぶさん 炭焼きの手伝いをしたときに、
オオカマキリムシの10センチくらいもある幼虫をこんがり狐色に焼いて食べたことがあります。
良質の油の味がして一週間くらいその味が残りました。
不味くはなかったですが二度と食べたくないです。
でもマムシは美味しかったのでまた食べてみたい気もします。
山の人たちの食文化は面白いです。

僕は虫がとても苦手ですが、
釣りというのは恐ろしいもので、
あのゴキブリにも似た舟虫がグレを釣るのに良い餌だと分ると、
餌が無くなったときには素早く捕まえて嫌がる虫を針に刺すのですから大したものです。
後で思い出しては寒気がしていますが。

おりょうさん 田舎暮しも良いことばかりではありません。
時にはムカデも出てきますし、
今の季節、草むしりや草刈りを少しでも怠るとえらいことになります。
いつか遊びにきた暁には、
地元の河童おじさんにお願いして天然ウナギを用意いたします。

なんだかいきなり台風がやってきたので、
ときおり激しい雨と風に襲われています。
なんの備えもしていなかったので壁から雨が・・・

おりょう - 2002/06/11(火) 12:23<

鮎・うなぎ・磯タコ・アマゴ

ああぁぁー天然のウナギがくいてぇよー。

タコは明石のタコが有名よ。タコ焼きもあるし・・・・。
ヤゾーさんは東京の魚なんか食べれないでしょうね。

おりょう - 2002/06/11(火) 12:08<

美味?

△うぶ さん、トーノムシというのは、クサギのしんに食い入っている白い幼虫で、住居の入り口に糞を絹
でかがって蓋にしているそうです。そのトーノムシのいるクサギを探し出して、塩水を口に含んで篠竹の筒で、住居の入り口にそそぎいれてトーノムシが苦しがって(^_^;)をだすのを待っているそうです。それを串
にさしてカラカラに焼くと焼いた川エビの味がして美味、酒のおつまみにいいんだそうです。
毛虫とは又、違いますよね。

食用蛙は外国ではよく食べるとか。高蛋白でカロリーが低いので美容食だと聞いたことあります。

*(-..-)*ngly - 2002/06/11(火) 10:44<

山椒魚

△うぶさん
 舟虫というのはあのゴキブリのような虫をいいますから、
食べれるとは思いませんが。別種でしょうか。
 蛇団子は既述ですが、名古屋辺りでは蛙肉と混ぜて団子に
するようです。味付けはどうするのか、興味津々です。
彼らは旧山伏か、山から下ってサンカとなった者で、太田の庄
(広島県世羅郡にあった荘園)の報告書の中で九州大学の方が
紹介しています。先日も広島賀茂郡福富町を流れる沼田の大渡
近くに同姓の人がいて、旧姓は大川角屋と自称したそうです。
現在はその小字には家はありません。ただ近隣には「丘」に上
がったすなどりの家は何軒かあるようですから、特有の祠が祀
られ祭が残る事がありますので、美女共々探してみます。
 またこの辺り山椒魚もいて昔はライ病によしとて、食べたそ
うですから、その筋の方が多かった模様です。鶏肉ににてるが
山山椒の匂いがしてなお美味とか。同類の私はまだ食べていま
せん(食べたい)。

△うぶ - 2002/06/11(火) 01:42<

こんなんもあり

{毛虫幼虫}学生時代、長野の友達が山中で遭遇。男達が食べてたそうです。焼いた石の上に乗せ
暫く焼き、毛が焼けとれて熱が十分廻りプチンと跳ねた頃が食べ時とか。何者だったかのかは
聞いてなかった。
{蚕}山奥ではタンパク不足を解消する為に食べた。恐らく絹を採った後の蛹をか?
{船虫}船の板やら海中の杭やらの中に住む長い虫。生のままジュルンと。

*(*。。*)*ngly さんも偏食しないで蛇団子も鼠団子も虫も、ありがたく頂いて、体力つけ、
唐の末裔達に果敢に挑まねば、、、、。

*(*。。*)*ngly - 2002/06/10(月) 23:05<

知らなかった

 蜜柑さんおめでとうございます。
 お会いしたことはありますが、
 まさか、未刊・未完だとは思いませんでした。
  バリ師さん
 追加です。タデの他に、山山椒を石灰と練り合わせて流し
 て使うそうです。既出(過去ログ)かも知れません。
 ヤゾーさん
 つい先日聞いてきました。でも味の濃いものを食べたり
 、美食をするとライ病になり、旅に出るとライ病が治り、
 背が低い人はライ病にならないと言われてたそうです。
  呉市音戸瀬戸近くに高烏(たかがらす)山という山が
 あり、平清盛を祭っています。近くの国民宿舎は見晴に
 あります。鷹烏では?何という意味でしょうね。

ヤゾ− - 2002/06/10(月) 19:25<

みなさん こんばんわ

六文さん はじめまして。
ムカデの薬についてDonglyさんが答えて下さったのですが、
少し補足させて下さい。
ムカデを油付けにし有効成分を抽出したものを蜈蚣油というそうです。
虫刺されだけでなく火傷や切り傷、また中耳炎にも効果があることが、
臨床試験でも実正されているそうです。
そういえば忍者の話しか何かでムカデの干したものを薬として食べさせられる話しがありました。
そういうことを昔の人は経験や直感を通して知っていたのですから凄いですね。
今後とも よろしくお願いします。

△うぶさん turukotさん 物部氏と蝦夷の関係ですが、
物部氏そのものが蝦夷か、それに近い人たちだったような気がしています。
日本書紀ではナガスネヒコをエミシと呼んでいますし、
そのナガスネヒコと物部氏の祖であるニギハヤヒとは義理の兄弟ということになっています。
ですから朝廷内で物部氏が勢力を保っていたときには、
東国の蝦夷とも友好関係にあったと考えて自然なような気がしています。
また出雲との関係にも何か深いものがあるような気がしています。
もの凄く大雑把ですが・・・

おりょうさん スーパーで売られている鮎は養殖したもので、
あまり美味しいものではないと思います。
こちらではこれから仕事が終って夕方から鮎釣りをする人が結構いますが、
釣ってもあまり食べない人が多いです。
理由は言う程も美味しくないのだそうです。
一度、釣ったら頂戴と何人かに声を掛けておいたら、
同じ日に数人から合わせて50匹くらい貰って、
それ以降、僕も鮎はあまり食べたくなくなりました。
地元の人でも捕ったら取り合いになるのが天然のウナギです。
これはほんとうに驚く程の美味しさです。
この季節、美食家と呼ばれる人をも唸らせる食べ物が二つあります。
それは磯ダコを捕まえてきて半茹でにしたものとアマゴの塩焼きです。

あおき - 2002/06/10(月) 19:12<

いやあ

蜜柑さん ご結婚おめでとうございます
僕も晩婚でしたが 蜜柑さんも晩婚ですね
奥さんもしかして 若かったりして

おりょう - 2002/06/10(月) 17:58<

いろいろ

蜜柑さん ご結婚おめでとうございます。お幸せに。

おユキちゃん 奥八王子のような気がします。今、パンフレットあげてしまったので、ちよっと住所の方は
分かりませんが高尾登山口から送迎のバスがあります。「・・・鳥山」もホタルはやっています。篝火があ
るのも「・・・鳥山」のほうです。でもホタル狩りの場合は個室じゃないようですよ。「・・・竹亭」の方は個室で懐石料理ですが篝火はありません。私達、今回は4人で「・・・竹亭」の方を利用します。
おユキちゃんも是非行ってね。

*(@。。@)*ngly さん 鼠をたべる話 脂汗タラーリです。
鼠って無気味なわりに、ある地方では「おふくさんと」呼ばれていたと柳田の本で読んだ事があるような気がします。それに大黒様の使神でもあり、災害等の前兆能力に敏いなんていわれてますけど・・・さぶぅ。
癩病って贅沢病だったんですかー。
鯰を食べると癩病になると聞いた事があります。鯰も食べる地方と食べない地方があるらしいですね。

バスク地方ではハトを食べるそうです。

turukot(-,.-) さん 白石市の鎌崎温泉とならんで小原温泉があり、そこから仰ぐ鎌倉山があり、この
山でイモリとムカデの山争いの伝説があるそうですが、なにやら利権争い のような・・・・。


おユキ - 2002/06/10(月) 12:55<

おめでとうございます!

蜜柑さん、結婚おめでとうございます。

( ^^)/▽☆▽\(^^ )

とっても素敵なカップルに見えました。

おりょうさん、「うかい竹亭」は奥多摩の方ですよね。

△うぶ - 2002/06/10(月) 04:41<

エミシ、物部、朝廷、藤原、等

蜜柑さん、おめでとうございます。写真拝見。

turukot(-,.-) さん
「朝廷と蝦夷との友好関係、、、、」ですが、「友好」の言葉の捉え方次第ですね。ここでは
ちょっと話題違いかも知れませんが、かのハプスブルグ帝国とユダヤ人社会の関係に少々似た
ところがありまして、時の帝国、ロスチャイルド家の資金力に多大に依存していて、鉄道、建設
、港湾、通商などを任せていたのでした。見方に拠っては共存共栄、はたまた、利用されたとも。
当然ユダヤ人は帝国中央に深く入り込むも婚姻関係も不可能でした。
しかしこの時代に著名なユダヤ人学者や芸術家を多く輩出できました。この状態を後世の解説
では友好関係と言っています。私はこれと同様と思っています。
「物部と蝦夷との政略結婚、、、」ですが、私も、むしろ全てがそうだったと思います。
生活習慣や文化が違う同士ですので何かの余計な力が働いていたと思います。
そこに物部の意志(敢て野心とは言いませんが)が存在、その所以が問題でして、
物部の野心なのか、後続する者の露払いなのか、押し出しなのか、???。
しかし、銅鐸を大急ぎで土中に埋めて隠す事態が有ったことから、押し出しの可能性も
高いと思ったりしてます。  ニニギ、ニギハヤヒとの絡みにも関係大みたいですし、
私の場合、まだまだ読書が必要みたいです。(先は遠い)

ya(・ε^)na - 2002/06/09(日) 23:28<

おめでとうございます

蜜柑さん、こころよりご結婚お喜び申し上げます
 今後は、奥様共々熊野ライフに来られること期待します
  なんと、美人美男やおませんか・・
   よろしいなあ・・

       やなぎむし・・やなぎむし

ヤゾ− - 2002/06/09(日) 19:45<

蜜柑さんの結婚式に出席してきました

みなさん こんばんわ。
6月8日 キャピタル東急にて蜜柑さんの結婚式がおこなわれました。
飾り気のないお二人の人柄を写すように とても良い雰囲気の結婚式でした。

隣の席には歴史民俗学の飯尾さん 伊勢の郷土史家の新田さんが座られて
楽しくお話をすることができました。
飯尾さんの温厚なお人柄に触れることができたのも良かったです。
また 新田さんのお話もとても興味深いものがありました。
今後 蜜柑さんを中心にしたサンカ研究のネットワークが築かれていくような気がしました。

クリーニングに出したら縮んでしまった安物の礼服しか持っていませんでしたし
僕なんかが出席してもいいのかな?なんて招待状が届いたときには迷いまいたが
ほんとうに出席して良かったと思う結婚式でした。
スーツ一式をプレゼントして下さり いろいろとお世話になった
にっちょさんこと 崔 姪耶さんにこの場を借りてお礼申し上げます。

蜜柑さんの結婚式の写真を親しい人たちにだけお送りしようと思っていましたが
蜜柑さんがホームページに載せて下さいと仰ったので 写真だけですが熊野ライフ通信にアップしています。
約2年前に蜜柑さんと知り合ったことがホームページを続けてゆくうえでの大きな原動力でした。
その蜜柑さんの結婚式に出席できたことを思うと感慨無量のものがありました。
ササラちゃん 直箕ちゃんが早く生まれて 幸せな家庭を築いて下さればヤナギムシです。

turukot(-,.-) - 2002/06/09(日) 13:33<

鮎釣り・エミシ・百足

バリ師さま。(2002/06/06(木) 01:54 「元鮎師」より)
>今、鮎と言えばおとり鮎を泳がした「友釣り」ということになっておりますが、
>他に毛鉤釣り(ドブ釣り)と餌釣り(餌:シラスや鯵の身)と
>コロガシ(引っ掛け)があるようです。

私、ミミズで鮎を釣ったことがありますよ。12月にハヤを釣ろうかと糸を垂らしていたら、
かかってきましてね。この時期は氷魚っていいましたっけ?
よっぽど飢えていたのか腹がペッチャンコだったのを憶えています。

また、コロガシ釣り(私は「ガラ掛け」と呼んでいた)は昔よくやりましたよ。
ガラ掛けというのは秋に鮎は下流に産卵床をつくり群れるのですが、夜間にそこを狙って
矢島針かトンボという、返しのない鮎用の針を数個つけて鮎竿で産卵床にそのまま流すンです。
オモリを仕掛けの下につけて、川底を転がすように流すので(流すんじゃない、逆か。)
コロガシ釣りというんですな。針は水中でプロペラの如く回って鮎を引っ掛けて釣り上げま
す。ギャング釣りみたいなので友釣り愛好家は嫌います(友釣りも囮鮎を酷使して引っ掛けるの
だからあまり大きなことはいえないと思うんですが・・・)。釣りキチ三平君もやっていました
ね。岩手では禁止されているので、岩手から隣県に繰り出してやっていました。
外道で八目ウナギが釣れたりしてね(お口怖い〜ん)。もう何年もやってません。
ドブ釣りは仕掛けは買ったことありましたが、釣ったことはありませんね。
友釣りはついぞしたことがないです。だって盛夏の時期でないですか。
イワナちゃんを求めて山に入りますんでね。囮鮎を買って、弱らないように管理
するのもメンドξ臭いξ。

△うぶさま、ヤゾーさま(2002/06/06(木) 17:45「虹の戦士」より)

>もともと朝廷は蝦夷と友好関係にあったのを、
>藤原氏が台頭してきたことで蝦夷を制圧するようになり、
>また物部氏が東国に押されるかたちで蝦夷と混血を重ねていったという話があるそうですね。

友好関係にあったのかなあ?小中華の蕃国として役回りをさせられてきて見下され征服の対象の1に
されてきたのですから。藤原氏は秀郷流、それとも奥州藤原氏?でしょうか?

エミシとの混血について。他でも私は申していますが(私見ですが)政略的族外婚が進められたことも
多分にあると思います。
大唐帝国・渤海などアジアの大国が衰退し、対外的に脅威が薄らいだ平安中期以降、エミシとの大規模
な武力制圧より地元の実力者を仲立ちまたは傀儡にして間接支配をしたことは想像に難くないのでは?
と思います。安倍氏・清原氏などは在地官人や貴族(平氏や藤原氏など)が姻戚となっております。大和
人との婚姻と後ろ盾もあって豪族として強大化していった背景はあったと思います。物部氏も同様だっ
たのでは?なんらかの野心はあったでしょう。


*(@。。@)*nglyさま(2002/06/05(水) 22:36)
≫毘沙門神の使神が百足であり、百足の形は鉱山の坑道を象るものであり
>後半は鉱山辺りにたまにありますね。楠木の毘沙門信仰は何にありましたか?
>百足は穴居民のイメジで日本原住民でしょうか。俵藤太(八切説では中国人)の百足
>退治も意味深で、また渡来人の大好きな龍は百足を嫌うという関係にあります。また鶏
>は百足が大好きです。

なかなか意味深なキ―ワードが出てきて関心があります。俵藤太伝説は津軽氏の創生「神話」
の伝説に悪路王伝説とセットで組みこまれていたように記憶していましたが。。。

百足は、毘沙門の使神ですか・・・・百足こわい〜ん。薬はいいけどいや〜ん。

*(@。。@)*ngly - 2002/06/09(日) 09:11<

鼠をたべる話

 ごく最近このような話を聞いてびっくりしています。
 もちろん日本の話です。鼠団子というのもあるそうです
が、詳しいことをご存知の方は教えて。
 蛇団子は既に出ています。
 また贅沢をしたり、砂糖や塩分を多く摂ると癩病になり、
旅をすると癩病が治るとか、言ったそうです。確かに長く
旅をすれば粗食になり、好き嫌いなく出されたものを食べ
ないとやって行けませんので、バランスのとれた食事にな
るのでしょう。私も出自が賤しい分、漬物・乾物など塩分
の多いものを食べ、東京などへ出たので砂糖入りのコーヒ
ーなどを飲む習慣ができたので、血圧と血糖の「圧力」に
追われるようになりました。
 鼠団子を食べると治るのでしょうか。
 六文さん
 百足を油や酢に漬けて作る百足「薬」は香具師(野師・サンカ系)
の「薬」です。民俗学者の中には偽薬、迷信に基づく薬と、医師会
や薬メーカーを代弁する昔の厚生省のような主張をする方がいます。
残念ながら民俗学者の不勉強です。この薬効きます。お医者さんで
も取れない酷いかゆみや痛みが嘘のように取れます。百足自身の痛
いさされにも瞬時で痛みが解消します。アロエを植えていない家で
も、戸外の石の下に百足が待っています。

六文 - 2002/06/09(日) 07:36<

虫さされの薬

はじめまして、みなさん。六文と申します。
隆慶一郎氏の小説でサンカに出会い、興味を持っていろいろ回っている
うちにこちらにたどり着きました。

さて、チラッとお聞きしたいのですが、ムカデをごま油に漬け込むと
薬になるのですか?何か昔の智慧の輝きがあるようで、もう少し詳しく
教えていただくことはできますか。山人の智慧でしょうか・・・?

ya(・ε^)na - 2002/06/08(土) 01:23<

30年ぶり

クラッシック・・をCDに焼いた!!
こんなに、簡単にコピー出来るなんて!!

古いアルバムを開いてみた・・カノンの音楽で昔の山の写真をながめた
 四季のなかから・春のいぶき感じながら北アの写真をみた

30年ぶりにホコリだらけの写真パネルを出した
 そこには、涸沢からザイテイングラード・そこから眺める前穂高があった
  北穂から眺める常念岳があった

まだあのころの、モノクロームの写真は・・・静かに静かに、吐息をもらしている
 息も絶え絶えなのは・・わたしの方だった

古い私は、ただG線上からながめているだけ

アイネクライネ・・・お店に飾ってみた・・音楽と共に飾った写真は・・
 緑の新芽をいぶいた・・新鮮な古い1枚の写真と古い音楽は・・
新しい・私を・・目覚めさせる!!
   カノ・地のネイテブの民の深いシワに刻まれた真実
    そして、沈黙・・

  1枚のCDにしたためてみた・・
    静かに、静かに・・


       

  お気に入りのCDを、PCにセットしてください
     できれば、穏やかな穏やかな時間おたのしみください

GAINA - 2002/06/08(土) 01:20<

夜叉ヶ池の件

こんばんは。
写楽保介さん、岐阜県の神戸町(ごうどちょう)役場のホームページの紹介だったのですが、
いま入って行けなくなっていました。申し訳ありません。
有名検索エンジンから「夜叉ヶ池」で検索すると探せると思います。
かなり多く掲載サイトがありますので参考になさってください。

おりょう - 2002/06/07(金) 21:30<

いろいろ

△うぶさん、おユキちゃん
そうです「ああ上野駅」の井沢八郎の娘です。△うぶさんも是非行って見てください。夕方からがいいですよ。
全室予約制です。蛍狩りは「うかい竹亭」のほうです。ロン、ヤスの会談ここでしたそうです。

*(@..@)*ngly さん、奥高尾の方です。高尾山も近くです。
高尾山は、成田とともに関東の大霊場で、本尊飯綱権現は、僧俊源の刻んだものだそうです。晴れた日の
朝なら日本アルプスをも遠望することができるそうですが・・・・・・。

>それにしてもサンカの人たちは釣りの達者な人が多かったみたいですね。
和歌山市郊外の雑賀崎の漁法は釣り専門で「雑賀崎の一本釣り」はかなり有名だそうで、雑賀崎の漁師の
魚といえば一段と美味で高く売れたとか。沖縄の糸満、長崎の家船、豊後のシャー、瀬戸内海の鯛専門、
烏賊専門など各自独特な技術をもっていて、魚の生きがよくて高価だと言われているそうです。

鮎の話しが出てスーパーで値段見たら一匹300円でした。高いのでしょうか?安いのでしょうか?
鮮度の点でいえばどうなんだろうかと思いながら買わずに帰ってきました。




写楽保介 - 2002/06/07(金) 21:29<

ミシャクジ政体について

GAINAさんこんばんわ。夜叉が池についてのサイトを紹介していただき有難うございます。
ただそのサイトのURLを入力してもサイトが表示されないのですが、移動先をご存知なら教えて下さい。
さて太古諏訪地方にあったというミシャクジ政体についてしりたいです。
田中基という人が研究して本を出していますが入手困難です。またインターネットで検索しても出てきません。
諏訪神社の近くに洩り矢山というのがあってユダヤ教のラビマービン・トケイヤーという人は著書の仲でアブラハムがイサクをいけにえにささげた故事と関係があると指摘しています。
諏訪神社はタケミナカタを祭っていますし、出雲族とユダヤは関係があるのですかね。
ミシャクジ政体についてご存知の方はアウトラインを教えてください。

おユキ - 2002/06/07(金) 12:55<

おりょうさんもお元気でよかったです。\(^o^)/

おりょうさん、お久しぶりです。
読むのに一生懸命で嬉しい悲鳴を上げています。
私もサンカごっこしに「うかい鳥山」へ行ってみた〜い。
ホタル狩りへは何処へ行くのですか。

△うぶ - 2002/06/07(金) 01:36<

栢など

おりょうさん;栢の字の件、有難うございます。「工藤ゆうき」は工藤夕貴の事でしょうか?
もし「夕貴」なら井沢八郎の娘でして、ウムウム、と頷いてしまいます。
ヤゾーさん;朝廷や物部と蝦夷との関係、端的にまとめていただきました、そのとうりと
思います。それにしても、物部の起承転結は複雑で、基礎知識欠乏の私では何回読んでも
脳みそがまとまりません。(でもオモシロイ)

*(@..@)*ngly - 2002/06/06(木) 23:46<

鮎・高尾・

バリ師さん
>鮎はサンカの人が場所によって手を出さなかった(出せなかった)
 既出と思いますが、江戸時代は鯉や鮎は以前の被差別部落やその部落に居付
いたサンカの仕事で年貢代りに納めたようです。鮎や鯉の漁は彼らだけの排
他的な仕事のようです。従ってそのような地域の日常郷土料理は一般に雑魚で
、ゴリとか泥鰌鍋などもその典型。上士や大商人だけは食べてもよかったよう
です。鮎なども腸だけは利用が許されたのかうるかという地名もあります。
明治になって獲ってもその処分に困り、始めて売って歩いたようです。二次大
戦後でも売りに来た鮎を買うが食べる習慣のない地域もあったようです。
 またサンカの漁法は本来、網・竿・鳥などを使わなかったようです。
>鮎といえばおとり鮎を泳がした「友釣り」
 最近、鳥もおとりで沢山捕まえた地方があったようです。岐阜県坂下町など。
写楽保介さん
>守矢汎という人が縄文人の観点から神社や神道を批判
 この方、信州にお住まいの出雲系の方でしょう。日本原住民かと思います。
おりょうさん
>高尾はサンカが濃厚に残っているような町の「うかい鳥山」
 高尾山のある所でしょうか。高尾=鷹尾で古くは別所と見ていますが。
鵜飼は渡来人の漁法でしょう。工藤という名前もいい名前ですね。
四国四万十川の流域で、鵜飼が山人・猟師系を差別する側に立っています。
ヤゾーさん
>地域によってサンカの人たちに対する認識に違いがあったと
 東沢さんの報告でもそのようです。利田さんが調査に行った所もサンカ
が多い所だからこそ差別がく「(サンカ)そのような差別される人はいま
せん」と言われました。サンカは年から年中漂泊や回遊してるわけでなく、
竹細工にせよ川魚漁にせよ木の伐採にせよ芝居の興行にせよ、時期という
ものがありますし、根拠地と住居を持っていたようです。単身赴任とか左
遷転勤などがないだけで、長期出張が多かっただけのようです。

ヤゾ− - 2002/06/06(木) 17:45<

虹の戦士

>最近、*(-..-)がいっていることを裏付けるような話というのはどの部分でしょうか?
それはDonglyさんが以前から仰っていた狭い範囲でサンカを考えるのではなく、
広い視点を持ってサンカを考えるということについてという意味でした。
中途半端な書き方ですみませんでした。
地域によってサンカの人たちに対する認識に違いがあったということを、
本人たちが自覚していたのではないかということです。
それによって居着き定着する過程にもいろいろと違いがあったのかも知れません。

>獲って食ってはいても、大っぴらに村で売り歩けなかったような
バリ師さん そういう話しを聞いたことがあります。
それにしてもサンカの人たちは釣りの達者な人が多かったみたいですね。

△うぶさん もともと朝廷は蝦夷と友好関係にあったのを、
藤原氏が台頭してきたことで蝦夷を制圧するようになり、
また物部氏が東国に押されるかたちで蝦夷と混血を重ねていったという話があるそうですね。

写楽保介さん 僕もその方の文章を昔読んだ記憶があります。
とてもインパクトがあり影響されたように思います。
サンカの人たちは自然の声を聞くことのできる、
縄文の霊性を継承している虹の戦士たちであるというような文章だったと思います。
サンカの人たちが神社や神道をどう捉えていたのかは分りませんが、
神道が祀ってきた神社の多くが出雲系・国津神系の神々であることから、
怨霊を鎮める為なのか、それとも何かを封印する為だったのかも知れませんね。

つい最近、部屋の中に10センチくらいのムカデが出てきたので、
ハシで摘んでごま油をいれたビンに放り込みました。
ムカデに噛まれたときの薬にする為です。
それにしてもムカデの力強さはたいしたものです。
それに固くて丈夫で見た目より重いです。
でも、ごま油の中に入れたらあっけなく昇天しました。合掌。

おりょう - 2002/06/06(木) 17:35<

いろいろ

釣り名人の心理状態は元より分かりませんが、「あっちゃえ行け!」というサンカのおっさんといい、腕
まくりまでして、どえらい剣幕で怒り出す板前さんといい何やら可笑しくて笑ってしまう。

鮎の塩焼きは、煙が出るものほど美味しいらしいですね。

*(@。。@)*ngly - さん 高尾はサンカが濃厚に残っているような町だと私は思っているのですが 、瀬降り、テンジンコースのお店の名前は「うかい鳥山」で、女優の工藤ユウキ の母親の兄弟がやっているお店です。工藤というのは本名かどうかわかりませんが、素晴らしい美人女優ですよご存知ですか?。
ここのお店は6500坪の庭園に五箇山の合掌作りなど、日本建築の粋をあつめた客室が38棟もあり、個室
でゆっくりお食事ができます。夕方からは篝火の明かりで幻想的な雰囲気を醸しだし、自然たっぷりです。
ぜひ、行って見てください。

毘沙門天は多門天の別名でその多門天の化身が深沙大将すなわち水銀や産鉄にたずさわる反王権の鬼からの
信仰説でしょうか。
百足は一般には足が多い事からお足(お金)の神様と解釈されているが、金神や金山彦に関わると言う事らしいです。


柏の俗字で、その俗字としての「栢」に、わが国では古く「変え」の訓みを持たせたとあります。
芋峠に近い集落が栢森(明日香村)が、戦国時代には「カエノモリ字ホケダニ」で徳川時代には「入谷栢森」といわれた。入谷が水銀にかかわる丹生谷ではなかろうかと・・・・・・。

あかねさんお元気でしょうか。しばらくご無沙汰していましたが、また、恥じを書きにきています。
あかねさんいろいろ教えて頂きたいとおもっています。

おユキちゃんお元気でしょうか?





写楽保介 - 2002/06/06(木) 08:35<

サンカは神社をどのようにとらえるのか?

昔歴史読本という雑誌のなかで守矢汎という人が縄文人の観点から神社や神道を批判していました。
この洩矢というひとは苗字から諏訪地方の宗教的指導者の家系につらなる人物と推理しますが、
彼によるともともと神社のある場所は縄文人が霊性をたかめる場所だったのがあとからやってきた天孫族だか馬賊だかの勢力により乗っ取られ、封印されてしまったという趣旨のことを書いていました。
サンカの神社や神道に対する意見というものを目にしたことがないのですが、サンカの視点から見た神社論を知りたいです。

△うぶ - 2002/06/06(木) 02:16<

*(@。。@)*ngly さん、私の書き方がまずかったみたいでして、、、栢=新羅ではなくて
栢=半島系が真意。 おっしゃる様に、栢と柏、一画違いだけで、何か意味有りそうな?。
判らない事だらけですので、この件はここまでにして、私的に文献探してみます。

ところで、百足と金属ですが、確か銅精錬に関係有り(鏡、矛)、銅精錬と言えば物部氏、
蝦夷等の原住民との関係大(長脛彦は物部一族など)、この方面からも百足=原住民系
と言えそうですが?。

バリ師 - 2002/06/06(木) 01:54<

元鮎師

今、鮎と言えばおとり鮎を泳がした「友釣り」ということになっておりますが、他に毛鉤釣り(ドブ釣り)と餌釣り(餌:シラスや鯵の身)とコロガシ(引っ掛け)があるようです。この鮎毛鉤は、西洋のフライフィッシングの毛鉤にも匹敵する素晴らしい伝統工芸品ですな。

ただ鮎を生業としている人はやっぱ網でありまして、友釣り師が「今日はアカン、10匹やった」「ワシは20ほどや」と言うとるのが、網やと何貫目ということになります。

今でも鮎釣りをするには入漁証が要りますが、ウナギ・ナマズ・スッポンなどと雑魚と違って、鮎はサンカの人が場所によって手を出さなかった(出せなかった)ような気もいたします。獲って食ってはいても、大っぴらに村で売り歩けなかったような・・・しかしまったく確証はありません。

私のテンカラ(和式渓流毛鉤釣り)の師匠も、戦後、市川でサンカのおっさんが毛鉤を振っているのを見て教えてもらおうと近づいたら、最初、大きな声で「あっちゃ行け!」言うて追い払われたそうです。おもろいですな。

*(@。。@)*ngly - 2002/06/05(水) 22:36<

百足・龍・毘沙門・カヤ

ヤゾーさん
>最近、*(-..-)がいっていることを裏付けるような話
 というのはどの部分でしょうか?
 石神は全国に分布しますが、青森に有名なのがありますね。出雲の匂いでしょうか?
 ホピ族はアメリカ政府によって荒涼とした居留地に封込められたそうです。そう日本
では古代から中世までの別所・院内・産所や垣内と同じような所です。ホピ族の居た所
はグランドキャ二オンの裏側で、ウランや石油など鉱物資源が発見されて、ウラン精錬
所の放射性のガスを集落に向けて排出するなどの抑圧を受けていると聞きました。
今はどうなってるのでしょうか。
おりょうさん
>禁忌伝承で、楠木を燃やすと百足が出るか。楠木氏は毘沙門天を信仰していて、その
>毘沙門神の使神が百足であり、百足の形は鉱山の坑道を象るものであり
 後半は鉱山辺りにたまにありますね。楠木の毘沙門信仰は何にありましたか?
 百足は穴居民のイメジで日本原住民でしょうか。俵藤太(八切説では中国人)の百足
退治も意味深で、また渡来人の大好きな龍は百足を嫌うという関係にあります。また鶏
は百足が大好きです。
>瀬降り、天神コース
 行かれた店の名前は、山河屋とか川長とかではないでしょうか?この名前がつくなら
モーテルでも何でも行って見たい。竹に酒を入れて飲ますポッカ酒は宮崎の高千穂観光
で出たことがあります。また九州サンカは焚火であぶった新茶の葉を竹筒に入れそれに
湯を入れて呑むとか。おいしそう。
バリ師さん
 蓼は魚料理の毒消しとすれば、どういう効果があるのでしょうか?
 蓼食う虫も好きずき、といいますから。
△うぶさん
 栢と柏に何かの違いをこめてるのかもしれません。栢が新羅というのは誰の
説なのでしょうか?『記紀』は伽耶(旧伽耶も新伽耶も)族を新羅に一括りし
てるような印象で、カヤ族隠しという説はよく聞きます。何といっても朝鮮半
島から5万人のカヤ族が日本に移動したという説がありましたから。

ヤゾ− - 2002/06/05(水) 21:25<

みなさん こんばんわ

カノさん はじめまして。
ホピの人たちが1988年に来日して、
各地を回って平和を訴えたことがありました。
都会からこちらに移住した年が丁度その1988年で、
偶然にも暮していた村にホピの人たちがきて儀式をしたのを覚えています。
ホピの人たちと同じようにサンカの人たちの生き方や精神性に、
なにかとても大切なものを感じています。
またサンカと石神信仰には、なにか関係があるような気がしています。
今後とも よろしくお願いします。

おりょうさん 板前の話し面白かったです。
友達に元板前がいますが、
今でも彼等の中には各地を転々とする“渡り”と呼ばれる人がいるそうです。

おりょう - 2002/06/05(水) 12:22<

板前さん

山の郵便配達、私も借りて見てみます。

6月は鮎の解禁だそうですが、今朝のテレビで鮎が大好きと言う外国のスターが、鮎は生餌では釣れないん
だと鮎釣りの話を等々と述べておられるのを聞いて思い出したのですが、、「民俗採訪」と言う本に四五年前(昭和の始め頃か?)に信州の松本で、自ら太公望を以って任ずる鮎釣りの名人に出会い、この人は高山出身の板前であった。で、この談中、高山では鮎は生餌で釣るとの話が出て、その餌加減の難しさを得意気に語るのを聞いて、甚だ珍しい事だと感じ、その要領をもっと詳しく聞こうとした所、どえらい剣幕で怒られほうほうの体で逃げてきたとの話と、先日女3人で遠方に食事に出かけ、そこのメニューが、瀬降りコース、テンジンコースとかがあるので、従業員にサンカってご存知ですか?質問したら、反対に、えっサンカって何?って聞き返えされましたので、よく伺ったら板前さんが全部考えてやっていることなので・・とのお答えでした。この二つの話から、現在のサンカシノガラは全国の一流料亭の板前さんかも、政治家などの情報収集もしやすいなんて空想に耽けたりして・・。因みに竹のトックリ酒と岩魚の骨酒を始めて味わいまして、サンカごっこをしてきました。
それで来月はホタル狩りです。


もんむー - 2002/06/05(水) 07:58<

郵便

やなさん、山の郵便配達見てくれたんですね。
もうビデオ化されたんですか。
また見たくなってきました。

カノ <http://www.hoshinet.jp/sora/> - 2002/06/05(水) 06:15<

はじめまして

どうもはじめまして。カノと申します。
白木の話題が出ておりましたので気になりお邪魔致しました。

私が思うに、サンカとは「山を神とした人々」の子孫じゃないかと。
もともとは山の神と共に幸せに暮らしていた人間たちが
山の神に取って代わる存在の支配により、少しずつ山から離れてゆき
山の神のことは封印されていってしまった・・・。
例えばヤマタイコクのように。

それをあらわすサイトがございます。
学術的なサイトではございませんが、皆さまでしたらきっとご理解頂けると思いました。

山と人の関係、出雲と大国主命との関係、一夫一婦制の始まり、
こちらで取り上げられているスサノオノミコトはどういう者だったのか、
白狐・稲荷の謎、白木の本当の意味とは・・・などなど
多くの謎が解き明かされているサイトです。(日本語)

蛇足ではありますが
私、現在アメリカに住んでおりまして
個人的にネイティヴ・アメリカンに興味があります。

ネイティヴ・アメリカンも山ととても関係が深く、
神と崇めているのも「山」や「石」が多いのです。
(ちなみに忌み嫌っている存在は「蛇」です。
 ナバホ族などは蛇を見ただけでも災いとするらしいです。
 それも私のご紹介したサイトの情報とピッタリ合っています。)
ネイティヴの祖であるアナサジ族の遺跡の中から
サンカの人々が扱っていたようなナイフも見つかっていますし
工芸品も、材質は違うものの、サンカの人々と同じように網カゴなどがあります。
山を神と崇め、今もなお、自然と共に暮らしている人々です。
得にホピ族は、争いを嫌い、
多くのホピ族は、現代でも荒涼とした居留区内に留まり生活をしております。
なんとなくサンカに似ていると思いませんか?

はじめてなのに、イッパイおしゃべりしてしまいスミマセン。
良かったら、このサイト、ご覧下さい。

△うぶ - 2002/06/05(水) 02:20<

異論も有りましょうが、、、

*(@..@)*nglyさん、有難うございます。
その後ネット上で調べたところ、「柏」以外に「栢」も白木に関係有る事判明しました。
その他、「新城」「白川」「白石」、、、、、たくさん存在。
谷川健一著「白鳥伝説」の「白鳥」も、それを暗示していると推測出来そうです。
待遇に関してはどうだか知り得ませんが、多数派である事は異論有りません。

白木の神社に狛犬(コマ;高麗)、朱塗りの稲荷(夷也)に白狐(しらぎツネ)。
「柏手」打って、又は紅白の帯の先の金色の鈴鳴らし(金と、鈴もカネヘン)、
半島や大陸や蝦夷地向かって頭下げて神社に参拝、、、、で、す、ね。

ya(・ε^)na - 2002/06/05(水) 00:20<

山の郵便配達

ビデオ屋に行ったら、新作のところにおました・・
早速かってきました・・
 ひとは、やさしくなければ・・ひとっていえませんよね
人は、家族以上に大切にしなければならない人がありますよね
それは、信頼できる家族があったうえですよね
家族を裏切らない自分とその自分を信頼する家族・・話さずとも心って歩いたら伝わるものなんですよね・・
 犬もおんなじですよね・・静かにはなしてやったら・・ただだまって歩いてやったら
   こころて・通じるんですよね・・

    ほんまに・・おだやかになれる・・秀作でした

   モンムーさんありがとうございました・・ええ映画紹介下さって

               やなぎむし

バリ師 - 2002/06/04(火) 23:29<

蓼ですか!

*(-..-):ngly さん、蓼ですか。なるほど、魚を「毒で殺す」ちゅうよりは「エラを麻痺させる」ちゅう感じなんでしょうかなあ。少しぐらい蓼が魚の体内に残っても、蓼酢の如くそのまま塩焼きして美味い気もいたします。

早速、実験してみます。と言っても「毒流し」ではなく、釣った岩魚か山女魚をバケツに入れて蓼をもいで入れてみます。そしてそのまま塩焼きいたしましょう。ありがとうございました。

おりょう - 2002/06/04(火) 22:04<

みなさまこんばんわ

ヤゾーさん、ほたるぶくろご面倒だから無理して頂かなくても大丈夫です。職場の近くにレストラン件
山野草だけ扱っているお店がありますのでそちらで聞いてみます。

*(-..-):ngly さん、甲州遊侠伝にのっていましたよ。

村上水軍というのは、○子様のご先祖にあたるとちらっと読んだ事があります。定かではありませんが。

正成は広範囲な地域の土豪層と婚姻関係を結び、横のつながりが広く、膨大な情報を収集、交換できたから的確な判断による行動がとれたといわれています。やっぱりサンカですね。
禁忌伝承におけるクスノキには、クスノキを燃やすとムカデが出るんだとか。楠木氏は毘沙門天を信仰していて、その毘沙門神の使神がムカデであり、ムカデの形は鉱山の坑道を象るものであり、武人である前に山師で生産豪族だったと・・・。鹿児島県の東シナ海に浮かぶ甑島に何故か正行の苔むしたる墓があるんだそうです。クスノキとは国栖の鬼ことらしい。

「火垂るの墓」の女の子はあまりにもはかなくて悲し過ぎる。
ヤナさんのお近くは、ホタルが飛んでいるんですね。

ヤゾ− - 2002/06/04(火) 20:25<

西村伊作

ヤナさん おりょうさん みなさん こんばんわ。

最近、*(-..-):ngly が仰っていることを裏付けるような話しを聞きました。
それは地元で親しくしている人の叔父さんにあたる方の話しで、
その方は何人かのサンカ人たちと親しくしていたようです。
重篤な病気により余命いくばくもないとのことで、
見舞いに行きいろいろと昔話しをしているときに、
サンカの話しをするととてもよく知っていて驚いたそうです。
また聞きになりますので、いずれ整理してお話しします。
分ったことは、戦前には居着きの人たちが各村に数人いて、
数カ月から数年暮していた。
地域によってサンカの人たちに対する認識に違いがあったことを本人たちが知っていた。
そのために居着き定着する過程に違いがあった。
より定着しやすかった都市部、特に関東へ流れていったように思うとのことです。

△うぶさん 八については面白い話しがたくさんありそうですね。
えんさん 尺八の音色は深山幽谷にぴったりですね。
写楽保介さん カタカムナ文献は相似象学会という勉強会があったと思います。

あおきさん 僕も偶然にその番組の一部だけを出先で見ました。
人魂のところと確か前鬼村近くの滝が綺麗だったを覚えています。
番組の中でサンカという言葉が出てきたのなら凄いですね。
南朝とサンカの関係には隠された歴史がたくさんありそうですね。
まれびとさん むかし十津川で山仕事に従事していた人から聞いた話しです。
十津川でも有数の山持ちの当主が、
毎年河原で新年を迎える習わしがあったとの噂を聞いたことがあり、
それは初代が河原で何かを拾ったことから財を築いたからだとのことでした。
熊野川(十津川)流域は不思議なところですね。

下北山村での瀬降り跡地のテレビ取材に同行させて頂いたときに、
沖浦教授の所望で文化学院の創立者でもある西村伊作の本家を訪ねました。
今でもその本家から見える限りの山林は西村家が所有しているそうで、
今は管理会社は東京の方にあり、本家を管理事務所にしているとのことでした。
ヘリコプターの音が時折聞こえましたが、それを使って見回りしているのだそうです。
傑作なのは、その本家の事務所にいた方からの話しで、
山林業で巨万の富みを築いたきっかけが、
初代の当主が新宮で大博打に勝って大金を手にし、
命からがら夜中に川を泳いで逃げ帰ってきてからが始まりなのだそうです。
普通なら、それなりの由緒でも作りそうなものですが、
その辺りが良い意味で凄いなと妙に感心しました。
西村伊作という方は、なかなか立派な人であったようです。

写楽保介 - 2002/06/04(火) 20:11<

カタカムナ

カタカムナについて勉強したいのですが、この方面で研究している個人、グループがあったら教えてください。
ところでカタカムナを保持していたグループは自称天孫族に比べるとやはり先住民となるのでしょうか?

*(-..-):ngly <http://www7.ocn.ne.jp/~iyasi> - 2002/06/04(火) 10:06<

うつみとなるみ

△うぶさん
鳴海と内海は何か共通要素があるのでは?共通に「海」がつくのは
屁理屈ですが。また必ずしも海岸近くにあるとは限りませんし、作用
町山間部にも小豆島海岸にも「内海」あり。鳴は、中世期の坂と同意
のようで、『野史呼び名辞典』に説明があります。
 近所鬼ヶ城山の嶺続きに白木山があり、新羅と一応考えています。
確認はまだです。「証拠」文献があれば、誰でもできるのですが、
確認方法を考え出すのが難しい。渡来人の内で最大多数派なのに、
最も貶められ卑しめられた筈ですが。上田『帰化人』だったかに白木
崎という姓は新羅人に与えた日本名とあったようですが。
柏=白木とみる事もできます。千葉県柏市の歴史からはどうですか?
おりょうさん やなさん
 【蛍】には新潟出雲崎で私娼・街娼の意味もあり、【蛍屋】
とも【曖昧や】とも呼ばれる料理屋に出没するそうです。すると
「蛍袋」は私娼の財布でしょうか?
 土佐の勤皇の志士にはエタ系やサンカ系がいます。京都にある
寺の墓の序列で、中岡慎太郎か吉村寅太郎は最右翼なのに、著名
な志士の墓は最左翼に配置されてると高知北川村で聞きました。
八切説では「左」を賎・卑・蛮族の位置とするのは中華思想とか。
 峠越え荷持ち・ボッカ、駄賃持ちなどの持子、後の万屋・車引・
車押し仕事があったから、サンカや山伏達は境へ居住のようです。
 ヤゾーさん
毒流には蓼(タデ)を使います。刺身についてくる草。木の名
は忘れました。風葬・水葬で出雲と熊野が近くなりそうです。
この伝統を組織的に守ったのが本来のサンカ=出雲サンカか?。
楠木正成は河内産所の長吏で、多分ヤゾーを兼任かもしれない、
百済系サンカと見ていますが。なぜなら本来のサンカは天皇を
担ぎませんが、楠木は天皇様々だからで、それは同じ百済人天
皇だからではないでしょうか。

えん - 2002/06/04(火) 07:02<

鳥たち

ャゾーさんのように鳥たちと親しく慣れたら嬉しい。
ツバメたけは昨年納屋に巣つくりをして警戒心はすっかりなくして帰る時に座敷を
家族で旋回してさよならを言って帰りましたが、今年も同じのが来て
来たよと家族の前を何回も飛び回り、話しかけると電線に止まって
こちらを向いて.いつまでも話します。

若者の尺八合宿をしたときに夜中にも鳴らすので騒音を心配しましたが、
さすが日本の楽器でした。尺八の音色は谷間に溶け込みせせらぎの音に混じってしまいました。

△うぶ - 2002/06/04(火) 00:50<

ていせい

やぞーさん、*(@..@)*ngly さん、おりょうさん、みなさん、こんにちわ。
すみません、「鳴海」と「内海」を間違いました。知多半島には特殊技能を持った
集団が存在していて、技能を買われて集団移住させられたとの話を聞いた事が有り、
「八」かな?と思ったわけでして、それが内海であったのかどうかは知りません。

ところで、「白木」と「柏」ですが、辞書での意味は当然違いますが、民俗学的には
同義ではないかとフト思ったのですが、いかがなもんでしょう?どなたか御存知ない?
(昔の人は巧みに漢字を操作して表現したらしいですので、、、)

ya(・ε^)na - 2002/06/04(火) 00:06<

節子!!

火垂の墓・・あのおっさんがこんなにすてきな本書くんですね
 毎年、一庫ダムの下に、蛍見物に行きます・・

つーーーーっと光の線を描きながら飛んでいく
  静かに向こう岸の木に止まって・・
     ホワーーンと悲しく光っている・・

時々、わたしのそばまで、飛んできて何か言いたげにポワーポワーと光っていた
  わたしは、そーっと手の中に包んでみた・・

          ポワーポワー・・


    わたしの手が、少し光っている・・手以外なーーんにも見えない・・
  しばらく・・しばらく・・わたしは・・じーーーーと見ていた


    そんな手のひらの蛍に・・ふーーーーっと吹いてみた!!!

ふわーーーーぁっと・・かよわい光がわたしの額をかすめて・・・

                飛んだ!!・飛んだ・・

川の流れ・・瀬音がみみに心地よい・・
  欄干に両手を置いて風を感じた・・
   ほたるが、わたしをかすめてつーーーーぅと・・舞って行った
 思わず空をながめると・・星がまたたく

       ほたるが、二匹ツーーーゥっと・とんだ・・・とんだ

         そんな、季節が・・また・またわたしの窓辺にやってきた

               やってきた・・・

                        やなぎむし

まれびと <http://homepage1.nifty.com/marebito/> - 2002/06/03(月) 23:30<

ありがとうございました

*(@..@)*ngly さん、GAINAさん 、ヤゾーさん。ご意見をありがとうございます。
出雲と熊野の関係について、あ、そうだったな、と。出雲には立派な熊野社もありますしね。
おなじ熊野でも、海岸部では岩棚などでの風葬が行われていたのでしょうね。補蛇落渡海も、実際は死体を流していた方が多かったとも聞いています。
図書館にある各村史やネット検索で少し当たってみたのですが、特にこれといった資料は見つけられませんでした。十津川・熊野の水葬の風習について一部触れているくだりはいくつかありましたが、それが何に依拠しているかは不明です。
たとえば十津川の村史では、墓の上にアッパ石といわれる河原の白い石を目印に置く習わしがあり、おなじ理由から河原の白い石を家の中に持ち込むことを嫌う、といった記述がありました。 これも水葬の名残と想像できなくもないですが、それより河原=他界の観念の現れといった気がします。
折口信夫によれば抽象的な「たま(霊魂)」の「しむぼる」が具体的な「たま(玉=石)」だそうですから、死者と他界である河原を石が結びつけるという構図はなかなか面白いなと思ったりもしました。
サンカの風葬・シナドオクリや沖縄の例もそうですが、水葬や風葬・曝葬といったものは、たぶんに古代的な色彩を帯びているように思います。そして私が思うに、それはけっして未開の、あるいは後進的な葬送形式などではなく、むしろ逆に生命の循環的な感性とでもいったものを秘めた、ごくごくナチュラルな形であり、そこから現代のわれわれはなにがしかの学ぶべきものがあるような気がします。
そのような意味で十津川・熊野の水葬は私には意義深く、もう少し腰を据えて(気の向いたときに)調べてみたいと考えています。

週末、所用で家を空けていたものでレスが遅くなりました。
いろいろありがとうございました。

おりょう - 2002/06/03(月) 23:16<

つづき

*(-。。-)*ngly さん 
えっ!穴子!ぎょっ!しょっく!

清水じろ長 さがしてみます。


あおき - 2002/06/03(月) 22:54<

不思議発見というTBSの番組

6/1の不思議発見で後醍醐天皇のことをやってました 楠 正成がサンカの大ヤゾーらしき存在で 吉野や熊野 高野山の修験者の呪術によって南朝を守っていたとかやってました 楠正成の子孫が観世流で能の始祖ということでした 私のみた夢の能とサンカのつながりが証明されたみたいですごい番組だなと思いました ちなみに私の母方の先祖は後醍醐天皇の警備をしていて ほうびとして広島県三次に土地をもらったらしく いまでも先祖代々の墓と神社があり おばが霊能者をやってます 本格的にじぶんのルーツを調べようかと思いました 役小角(えんのおずぬ)とかシキガミを使った修験者がいたり ヤゾーさんの住んでる近辺はホントにいいところですねー 取材中に人魂が写ってました テレビであんなにはっきり映したのは初めてでは? だれか他にも見た人いませんか?

おりょう - 2002/06/03(月) 22:35<

こんばんわ

*(@..@)*ngly さんも△うぶさんもお元気そうですね。

ほたるぶくろに蛍をいれると、青白い仄かな明かりの提灯になるなんて、なんか素敵ですね。季節毎に自然と戯れて遊べる事が出来るなんて、都会に住んでる人間には羨ましいかぎりですね。
蛍が出てくる文学作品で宮本なにがしの「蛍川」に蛍の乱舞の描写がありますが、本当にあるんだろうか。

土佐にサンカがいないということらしいのですが、「土佐の桃源郷」とよばれた檮原村は相当の山奥で他郷とは隔絶され、伝える處によると、延喜十三年に藤原経高(時平の弟の仲平の子)が開拓し共同精神が旺んなところで豊かに暮らしていたらしい。勤皇の志士吉村寅太郎、那須俊平他三名の優れた勤皇の志士を輩出している。足が相当速かったという。

宮本常一によれば日本には、サンカにかぎらず放浪を余儀なくせられている人達が全国に相当に多かっと。そのような人達が、何らかの理由で村境、郡の境、国境などに定住し始めるようになる。

なんだか中途半端な文章になってしまいました。         おやすみなさい。

*(-。。-)*ngly <http://www7.ocn.ne.jp/^iyasi > - 2002/06/03(月) 21:26<

シジミとアナゴ

△うぶさん
 身近な蛤にも疎くなってきた此の頃「近所の蜆」なんて!一体何の話。
桑名の焼き蛤や時雨は美味しい。そうです鳴海は名古屋市笠寺観音(ここ
も薬師像か金毘羅があり別所の流でしょう)の向うにあり、三味線作りで
現在も不景気不知の由とか。
鳴海、海洋系「八」ですか?
 おりょうさん
 イカナゴもそうですか。穴子の生態知る人は嫌がるといいます。他の
海魚は外部から食いつくのに、穴子は目・鼻・耳・口・肛門から入り込ん
で内部を貪欲に食べるからです。瀬戸内でぜひ穴子を召し上がり、
死者の敵を存分にとってやって下さい。
 ところで清水次郎長が、死体をすのこ巻にして、魚の餌になるよう海
に流す商売をしてた、という八切止夫の話の真偽はいかがでしょうか。
 そうならば水葬は火葬より「うまいやりかた」ですね。

ヤゾ− - 2002/06/03(月) 20:25<

ホタル来い!

きょうちんさん 写楽保介さん はじめまして。
ここの掲示板を使って意見や情報交換を、
また、それぞれ交流を深めて下されば幸いです。
今後とも よろしくお願いします。

えんさんは邦楽に携わったお仕事なんですね。
邦楽には昔から興味があって尺八持ってます。
実は、ほたるぶくろが種から育てられるのか知らないのです。
えんさんの田舎家の庭にも鳥が遊びにくると良いですね。

GAINAさん *(@..@)*nglyさん △うぶさん こんばんわ。
大斎原は水葬により死骸が寄り着く場所であったことで、
特別な場所として神聖視され熊野信仰の総本宮が建立されたのではという話を、
地元で歴史民俗に詳しい方から聞いたことがあります。
イザナミを葬ったとされる花の窟神社のご神体の巨岩の窪みや、
その近くの浸食海岸の鬼ヶ城の窪みを見ていたら、
あの中に死骸を入れて風葬していたような気がしてきました。
GAINAさん ヤナさん 画像掲示板の写真 綺麗でした。

おりょうさん ほたるふくろの種が分らなかったら、
根っこから掘って鉢植えしてお送りしますね。
ホタルを最近見たのが、磯へ続く木の茂った道でした。
海の近くでホタルを見るなんてと不思議に思いましたが、
毎年、ホタルの時期には見れるのだそうです。

バリ師さん こちらでの毒流しでは、
ニコチンや何かの植物の汁を使ったと聞いたことがあります。
なにを使おうが愚かなことですね。
ホタルの話し バリ師さんちのお子さんたちは幸せ者です。

東沢美史さん 昔の箕売りの話し良いですね。
僕も25という単位には、なにか気になるものがあります。
少し前に熊野地方の田圃の多いところで、
お年寄りからいろいろとお話を伺ってみたことがありました。
その時に、一昔前くらいまで北陸の方からおじいさんがクルマに乗って、
いろんな竹細工を売りに来ていたことを話してくれました。
その竹細工を売りにきていたおじいさんの話しをするときの、
お婆さんの寂しそうな顔が印象的でした。

ホタルの話題が続きましたが、
僕が子供のころには、
ホタルなんていたるところにいたように思います。
牛乳瓶に草と一緒にホタルを入れて、
部屋を暗くして眺めたりするのが夏の風物詩でした。
農薬の普及や小川にまで護岸工事するようになってから、
ホタルが身近で見れなくなってしまったようです。
ほ ほ ほたるこい なんて無邪気に歌っていたころが懐かしいです。

えん <http://www.mediacapsule.co.jp> - 2002/06/03(月) 12:21<

ハンドルネーム変更

ここでは無月としていましたが、リンクをみましたら無月のページが
ありましたので「えん」に変更します。
それにしてもここもリンクのも中身の濃いホームページの数々、少しずつ
楽しませていただきます

△うぶ - 2002/06/03(月) 00:49<

大根島では無いけれど

*(@..@)*ngly さん、お元気そうでなによりです。大根島までは遠いので、
「近所の蜆」でもいかが?。「おうね」の方言調査、何か思い当たる事出現すれば
報告したいと思います。
名古屋の鳴海、確か知多半島だったと思いますが、海洋系「八」だと思います。
神奈川は無理にしても、作用町の方は訪ねてみたいものです。
大根島では無いですが、昨日三重県の「白木一色」を自転車で通過しました、
地名の「白木」に興味が有ったのですが、通過だけに終わり、将来リベンジ
です。

東沢美史 - 2002/06/03(月) 00:39<

岩手の箕売り、古(いにしえ)の背負い姿

先月25日、岩手県高田まちの日という市で、昔の箕売りの様子を箕売りした本人から直接に聞くことができました。
この方はココへ行くとたまに私に昔の竹細工の様子を話しに何度も来てたそうですが、実家、親戚、嫁ぎ先が竹細工をしてたとか、売りに歩いてたとか話す方は結構多いので、すぐに思い出せなかったのですが店で篠竹目籠も売った事もあると話されて、少し思い出しました。

でも何度も来てる割に私がなかなか思い出せなかったのは、この70代半ばの身軽そうな女性は、女性にしてはあまり喋らないオトナシイ方だったからかもしれません。いつも一人ぽっちで来てて、廻りの人目なんか気にせずポツンと突っ立って、私が他の客に売るのを面白そうに見てたようでした。

年配の女性にしては、あまり話が流暢ではないけれど「オラ、竹(たげ)で作(つぐ)ったかごッコ好(すぎ)きだ」「昔(むがす)かご売ってだんだもん」と聞いていないのに話してきました。前にも同じこという人がいたなって思い出したんですがこの女性のようでした。この日は客が少なかったので彼女が話すまま聞いていたら、「もっと前はこなす(小梨)の箕売ったよ」と語ったので、コレはと思い私も俄然本気になり、彼女の気が散らないようにその先をそっと何気なく聞いて見ました。
「おばチャンが箕売りしたの?」と聞くとポツンポツンと切れ切れの話し方ながら「オレも売ったす、ゴデ様(夫)も売った」、「売れで売れで面白(おもし)ろがった」、「年ぬ(に)300枚は売った」と市の道路に並べた私の竹細工、箕の前で話されました。去年の宮城の年間の桜皮箕の生産数が500枚くらいしかない事を考えるととても多い数なので「いつ頃の話しですか、昭和30年代?」訊くと「ううん、昭和20年代だなっ」。彼女の20代の頃がちょうど昭和20年代の頃のようでした。昭和30年代にはもう売れなくなったそうです。

それと私が前から一番知りたかった担ぎ方を訊いたら「男は25枚、おなご(女)は15枚、スバ(縛)って背中さ担いだ」と言いました。25枚背負うのが本来ですが女性には重過ぎるので15枚ということのようですが、ここで留意したいのは宮城の竹細工の数え方と一部同じで25で1縛り1ヅラ、つまり4縛り4ヅラで100というクウォーターを連想させる数え方をすることです。ヅラは藤蔓を利用して縛ったり篭目の穴を通したりするところからの言い方かとおもいます。今は宮城でもほとんど10枚単位の竹細工、箕の縛り方をしますが、昭和20年代の25枚はもしかして藩政時代、中世にも遡れる古風な数え方かなーって思いました。
この箕売りをしたおばちゃんにまた会ったらウメアイについてなどまたイロイロ訊きたいです。

去年暮れから山窩について本を何冊か読みましたが、コレを参考にして日本人の信仰や古代史の謎など自分なりにですがイロイロ解けそうな気がしてます。でも反対に読めば読むほど解らないのが「ウメアイ」の使い方についてです。これを使って竹細工がどうして出来るのか、どの工程で使うのかとか皆目見当がつきません。
私にザル売りしながら知り合った鍛冶屋さんが何人かいます。「モノは試してみなければわからない」と言いますから今回は仲間でもある岩手の鍛冶屋さんに「ウメアイ」こしらえてもらうよう注文しました。もうすぐ出来るそうです。

バリ師 - 2002/06/02(日) 23:31<

ほたるぶくろ

■5月31日今年は少し早よう蛍が飛んどうちゅうので、夢前川上流へ行ってきました。ポ−ポ−ポ−とゆっくり飛ぶ光の軌跡を、子どもらがもう必死で追いかけていました。

6月1日嫁はんの実家に泊まりにいった子どもらは、庭に咲いている「ほたるぶくろ」の中に蛍を入れて実験しました。暗闇に仄かな青白い提灯が灯ってとても幻想的できれいでした。この花を「ほたるぶくろ」と名づけた昔の人は偉いなあと思いました。

■渓流の毒流しの話はよく聞きますが、この時の「毒」はいったい何を使うのでしょうか?後で渓魚を食べるのですから、そないきつい毒を使えないと思うのですが・・・さあて?

GAINA - 2002/06/02(日) 23:28<

夜叉が池について

写楽保介さん、こんばんは。
http://www.mirai.ne.jp/~godokita/yasya/ を参考になさってください。
昔話として語り継がれ、悲しい物語として伝わります。
岐阜県坂内村と福井県県境の山の上にある神秘の池です。
東海地方では、テレビなどでも紹介されており、ご存知の方が多いようです。

写楽保介 - 2002/06/02(日) 17:48<

泉鏡花と白山古伝承

泉鏡花(金沢生まれ)の小説には地元白山の古伝承が採り入れられていると聞きました。
夜叉が池という小説のファンですがこの小説の元になった伝説をご存知の方は教えてください。

おりょう - 2002/06/02(日) 16:11<

火垂る

源氏ホタル、平家ホタルといわれるように古来、人の魂や死霊の化身だそうですが、川の水が汚れていなかったころには夏の風物詩の一つとして、あっホタルが・・・なんて極普通に観る事ができていたんでしょうね。
ほたるぶくろのなかに蛍が入るとランプになりますか?
ヤゾーさん種採れたら是非送ってください。スミレの種と交換しましょう。

都会を離れて無月さん(初めまして)のように野草を大事にし、ホトトギスやカッコーの鳴く声に耳をかたむけ、蛍狩りに邦楽、優雅で素敵にお暮らしの方もいらっしゃるんですね。でもお客様で大変そう・・・。

turukotさん、「すみれの花咲く頃」という歌もありました。イギリス民謡かな?
洋画観ていると外国の家も素敵ですが、ガーデニングのアレジメントのセンスも抜群ですよね。

小学上がる前の子供のころ、隣のマル子ちゃんの母親の話で「うちのマル子は、イカナゴが死体に群がっ食べていた話しを聞いて、イカナゴ食べなくなった」という話しを聞いて、私もイカナゴ見ると、その話を思い出し永い間イカナゴ食べなかったのですが、もちろん他の魚はセッセッと食べていましたが、水葬というのは、海へ流してしまうと言うことになるのでしょうか?



*(@..@)*ngly - 2002/06/02(日) 11:59<

ね・ね・ね・根の国

△うぶさん
 蜆食べに大根島行ってみたい。「おうね」について歴史学者から文献
依頼があります。方言にあったら、上記メアドまでお願いです。
 調査ではかなりはっきりしていますが、文献がないと納得しないので、
学問の進歩の邪魔をしています。大根と「なる」という地名とセットの
ことがあります。最近訪れた分水嶺地帯で、おうねを大宗・大畝・負根
と記していてびっくり。やはりXXの祠があって、昔は化物が出そうです。
 割りと大きな屋敷のある純農集落で、最近分譲住宅ができました。
宍道湖の大根島も本質は同じとかで、「根の国」みたいなもの。
 兵庫作用町奥海(おねみ)、名古屋鳴海や神奈川相模原に大根があります。
 多分別所関連かと思いますが、調べてみて下さい。

きょうちん - 2002/06/02(日) 11:15<

サンカ?

初めまして!
今日はなぜか早起きをしてテレビを付けたら、BS11で「週間ブックレビュー」なる番組を放送していました。そこで「サンカ」に関する本を紹介しており、早速インターネット検索しているうちに、ここにたどり着きました。
実際、この「サンカ」という言葉も差別用語であることをさっき知ったばかりです。
でもなぜか引かれる「サンカ」の人々。
もっと知りたい!

△うぶ - 2002/06/02(日) 01:29<

宍道湖、勝手な考察

こんにちわ。窓から覗き(です)。
万葉集の時代には、「<おう>のうみ」と呼んだらしいです。
おう→あう→あお→青、かも?知れません。
湖中にある小島「嫁ケ島」、観光、風景写真のメッカですが、
嫁→よめ→よみ→黄泉、なんかはどうでしょう?
中海にある小島「大根島」、→根(の国)、なんかもどうでしょう?

*(@..@)*ngly - 2002/06/01(土) 23:09<

出雲系は風葬・水葬

まれびとさん GAINAさん ヤゾさん
 出雲では明治初期までは旧家や上流階級は風葬や水葬だったとありま
す。そうです水葬は宍道湖に向けて。調査をしていると山の頂上や中腹
の大きな岩に風葬をした痕跡のような伝承があります。多分岩場の上に
置いて鳥につつかせたのでしょうから鳥葬かも。木に吊るす風(鳥)葬
もあるとか。また比丘尼の伝承がある事も。大岩があり神聖な場となっ
ている山上は江戸時代に間引かれた赤子の捨場だった所もあります。
古代なら青山で納得ですが、稀に出雲の山名がつくのは不思議です。
和歌山の補蛇落渡海も、村上水軍も水葬だとか。三角寛の本にも風葬
や鳥葬がありますから、このような葬礼の形式は出雲系サンカの証拠
ではないかと、憶測しています。別所とサンカの交叉点・出雲(熊野
も同じです)もゆっくり調べてみたいです。
佐渡島北海岸の岩場に洞窟があり、その側に、なぜか風車が沢山回
っている所を見ました(二十年位前)。場所の詳細は忘失ですが、
これも風葬の形でしょうか?

GAINA - 2002/06/01(土) 14:29<

風葬・水葬について

こんにちは。
お久しぶりのような感じがします。

まれびとさん、熊野の水葬の話、初めて知りました。
一応、私も熊野の端っこで生まれ育ったのですが、
確かに風葬が一般的だったみたいです。
海岸の洞窟などが風葬に使われていたとの文献も残っているらしいのですが、
この風葬が大波、大水によって流され、水葬と受け取られた可能性もあります。

故郷では、未だに葬儀に風葬の名残のようなものがあります。
葬列のときに墓まで持って行ったご飯と水は墓前に
他の果物等は、墓の広場の石塔の上に置き、鳥や動物にささげています。
鳥葬と同じような風習だったと思われます。

熊野も広いですから、どの地も同じとは思えませんが、
故郷の風習をお知らせしました。
十津川に詳しい方にもお聞きください。

無月 <http://www.mediacapsule.co.jp/en> - 2002/06/01(土) 14:10<

ほたるぶくろ

種が取れるのですか ではお花が終わったら楽しみにしています。

やっと念願の鳥博士がきてくださることになって、今度蛍狩りと
探鳥会をします。12種類は聞き分けたけれど何の鳥か分からない。
ほととぎすが聞こえ始め、もう少し山奥にはいるとカッコウも聞こえます。
月に2度ほど約8日間の田舎暮らしです。これは体力が必要ですよ。
雑草に追われるのとパノラマ風景なのでお客様が多いのと・。・・好きでやってるやんね―
若者の邦楽合宿・コンサートで。。・。わずか1年半の間に350人が来た― 80人が泊まった-

ヤゾ− - 2002/06/01(土) 13:45<

補蛇落渡海記

おミヨさん おりょうさんという名前いいです。
なんだか竜馬の奥さんみたいです。
ホタル狩りなんて風流ですね。
ほたるぶくろの種が分ったらお送りします。
鉢植えして花が咲いたらホタルを中に入れて鑑賞してみて下さい。

turukotさん ミニ ガ−デニングですか。
いろんな植物を寄せ植えしたら楽しそうですね。
モロヘイヤを育てて(いい加減に)食べていたことがあります。
おひたしにして鰹節をかけて混ぜると粘りがでて美味しかったです。
また、ニガウリとモロヘイヤでも植えようかな。
バッテリーと毒流しをすると、その沢では何年も魚が釣れなくなるのに、
田舎の人に限ってそういうことをするんですよね。
アホかちゅうねんと耳元で言いたいです。

無月さん こんにちわ。
都会暮しで時々田舎暮しをしているのでしょうか。
田舎しか知らない人の中には、
あまり自然を有り難がらないようなところがありますね。
雑草でも綺麗で可憐な花を咲かせるのがあったりして楽しいですよね。

まれびとさん ゴム消し読ませて頂きまいた。
ふと思い立って玉置神社と大斎原までバイクで400キロはハードですね。
大斎原がそういう場所だったということは聞いたことがありました。
名前がいかにもそれっぽい気もします。
熊野の水葬については、もしかすると出雲の習俗に風葬と水葬があったそうなので、
そのことと関係があるのかも知れません。
辺境の地だったので、そういう習俗が残ったことも考えられます。
補蛇落渡海なんかも水葬の一種になるのかも知れませんが、
井上靖の小説に「補蛇落渡海記」なんていうのがあって面白かった気がします。

turukot - 2002/06/01(土) 11:52<

すみれって〜♪

turukotです。
おりょうさま〜(改名されたのですね)

>先日花屋さん前を通りすがりに、スミレの鉢をみつけ買ってかえりました。スミレの花びらが濃いビロー>ドのような紫で、ヤナさんに頂いた紫とまた違った紫色でした。スミレの花も濃淡いろいろあるんです
>ね。来年は濃淡の紫の小さい可愛い花がいっぱい咲き誇ることでしょう。

スミレの花もいろいろあるのですか。知りませんでした。早速買いましょうかね。
私の家は狭いんで、もっぱらプランターや鉢でやっていますが、イギリス式のガーデニングに憧れています。(イギリス式もいろいろあるのですけどね)

買うときは花の色や大きさ(小さめが好きなんです)などで発作的に決めて名前を控えないので、
今植えているのがマリーゴールド(らしい)のとモロヘイヤですか後はよく分かりません。

ところで小さな白い花をいっぱい咲かせる花が大き目のプランターいっぱいに咲いていますが、
その間を縫うようにしてマリーゴールド(種を植えたけど発芽しなかったので白い花を移植して
ほっといたら発芽していた)とアブラムシギッシリの身の丈40cm位の白い花が聳えています。
これってひょっとして冬に植えたジャガイモ??これも発芽しないので養分にしてやろうとほっと
いたのですが。。。。なんなんだ。

ここ数年やろうとしてしていなかったのですが、最近フラワーアレンジメントの世界を知ってから
ようやく重い腰が上がったという感じです。フラワーアレンジメントは造花かドライかプリザーブド
フラワーが多いのでしょうけど。花を全般的にとらえてみようかと。
ガーデニングもアレンジメントも相重なる部分は多いでしょう。

>私のミニガーデニングは山野草に凝り始めています。現在は小さな黄色い花が咲き乱れています。

山野草ですか趣があっていいですね。山野草って花が点のように小さいけど、しゃがんで見てみると
綺麗な花を緻密にさかせたりしていません?

>村流し
>かっての大塔村や十津川村で行われた毒流しの漁法で、村の共同作業だったと・・・

横レスすみません。毒流しは昔、渓魚が無尽蔵にいたころはOKだったんでしょうね。郷里のある川で
していると(近年:違法に)聞いたことがありました。
ちなみに昔秋田のある沢に入渓したときビリ(沢に電気を流して取る仕方)の機械を背負ってた(?)
らしき輩とすれちがったことがありましたか。

* 岩崎宏美 すみれ色の涙(レコード会社 知りませんスマソ)より

おりょう - 2002/06/01(土) 11:02<

小さな幸せ

turukotさん、先日花屋さん前を通りすがりに、スミレの鉢をみつけ買ってかえりました。スミレの花びらが濃いビロードのような紫で、ヤナさんに頂いた紫とまた違った紫色でした。スミレの花も濃淡いろいろあるんですね。来年は濃淡の紫の小さい可愛い花がいっぱい咲き誇ることでしょう。
私のミニガーデニングは山野草に凝り始めています。現在は小さな黄色い花が咲き乱れています。
人間ってこんな小さな事でもウキウキするもんなんですね。
ヤナさんから頂いた小さな幸せでした。

ヤゾーさんは山野草には奥が深いことでしょうね。

ヤナさんトマトのような夕日つづいてみれましたぁ
童謡の「ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む」は東京日暮里谷中からみた夕日だそうです。
職場からは夕日も朝日も富士山もよくみえ、朝なんだぁー、あら、もう夕方なんだぁー、今日は富士山がよく見えるーなんてはっきりわかったのに、現在は違う棟の1階に移動したら、朝やら夕方やら天気がどんなんやらさっぱりです。

村流し
かっての大塔村や十津川村で行われた毒流しの漁法で、村の共同作業だったと・・・

無月 - 2002/06/01(土) 07:40<

ここはいいなあ-

我が田舎家も買った当初は恐ろしい雑草で土も見えないほどでしたが
1年半の必死の雑草刈りの末、今年の冬からは可愛いい雑草を残してきましたら
2種類のすみれが群生を始め、ほたるぶくろも白と赤紫が増えてきています。
あと高砂ゆりとか春蘭、名前の知らない可愛い雑草たちが出ています。

田舎の人たちは雑草を増やしてと笑いますが、都会では見れない自然な花々たちに
会いに行く楽しさが増えています。

まれびと <http://homepage1.nifty.com/marebito/> - 2002/06/01(土) 01:28<

熊野の水葬

ヤゾーさん、こんばんわ。先日は娘に森の贈り物をありがとうございました。

ところで今日、大阪の本屋で立ち読みした熊野に関する本に、熊野には古くから水葬の風習があり、十津川でも村で死者が出ると河原に一時的な墓を設けた、という記述がありました。(私ははじめて聞いた話で、そうした記録が残っていることも知らないので、どなたか詳しい方がいらしたらご教示いただきたく思います) そしてあの本宮の大斎原はもともと、地形的にそうした水葬の遺体が多く流れ着く場所でもあったのだそうです。そんな話を聞くと、何やらもう大斎原の河原で野宿などできそうにない気分ですけど(^^)

turukot - 2002/05/31(金) 23:20<

スミレかぁ〜

今度植えようかな?

ミニ ガ−デニング(?)を始めました。

おりょう - 2002/05/31(金) 22:41<

こんばんわ

名前おりょうにしました。よろしく。

スミレ
播種から一年位になるでしょうか、20cm鉢にいっぱい葉が茂り濃い紫の可愛い花が咲きました。
残念ながら咲いたのは3っつだけでしたが、しばらく楽しむ事ができました。
今、ゴマのような種がポンポンはじけて飛び散っています。この種を飛び散る前にとって集めると
いくらでも増えそうです。
野生の強さと美しさというのがよく分かりました。
又、来年、花を咲かせませう。

ホタル袋名前がいいですね。
来月ホタル狩りに行く予定でした。

由井正雪の生家が残っていて400百年もつづいているんですか?凄いですね。
正雪が子供の頃愛読した太平記から楠流というのを思いつき、由井民部介楠正雪となのっていたらしい。
いろいろ謎の多い人物だそうです。

ヤゾ− - 2002/05/31(金) 19:25<

花便り

おりょうさん(おミヨさん) すみれの花が咲いて良かったですね。
ほんとうにお久しぶりでした。
とても嬉しい花便りを頂いたような気持ちがします。
山野に健気に咲くすみれのように、
そうありたいと思いました。

>志の同じ者なら・・この、野生の美しさと強さ感じてくれるかも!!??

ヤナさん 花の種を送るなんてロマンチストですね。
こちらでは、ちらほらとランプシェードのようなホタル袋が咲き始めました。
一度、ホタルが中に入ったところを見てみたいものです。

由比正雪が紺屋の伜でサンカの大ヤゾウの血を引き継ぐ者であったなんて、
とても面白い話しでした。
ネットで少し調べてみたら、
正雪の生家と伝えられる紺屋が、
今も江戸初期から400年近く続いているというのも不思議な話しです。

ya(・ε^)na - 2002/05/30(木) 22:39<

おこんばんわ!

うひゃーーーぁ・・
ほんまに、お久やねえ・・
昔歩いた、かの地に足を踏み入れたとき・
 小さな花が咲いていた・・このはなを、みんなに見てもらいたい
志の同じ者なら・・この、野生の美しさと強さ感じてくれるかも!!??

  昨日夕方、なんて大きなトマトのように真っ赤な夕日!!
デジカメでみんなにみせたろかいねえ・・あしたもあんなんやったらええのになあ

   

       どんな、スミレのはな咲きましたか??
              濃い紫の花なんやろかいねえ

          うれしい色やねぇ・・

                  
へへへへ・・乾杯です           
                  やなぎむし

おりょう - 2002/05/30(木) 21:34<

何ヶ月ぶりかしらん

由井正雪は駿河由比の紺屋の伜で、江戸時代の軍学者、慶安四年(1651)丸橋忠弥や江戸城三の丸の
煙硝奉行河原崎親子を同志にして世直しを企てたが密告され自殺したとされていますが、実は、慶安四年
七月、駿府において捕らわれ三河の国吉田(今の豊橋)の北隅、八名郡に、全山流紋岩からなる不思議な
山が聳え立っている嵩山(すせ)の蛇穴に幽閉されていた。何故殺されなかったのか?その理由は正雪こ
そ、サンカの大ヤゾウの血を引き継ぐ者であった。公儀では、それを知って狼狽し、駿府において捕縛し
ながらも、遂にこれを処刑できなかった。処刑したなら、たちどころに日本諸州の山嶽の何十万というサ
ンカの、猛烈なる復讐を恐れたからであった。今、そのポン衆がついに、密かに正雪が幽閉されている嵩
山を嗅ぎとめたらしい・・・・・・・。「山嵩秘帖」より

ながーくご無沙汰しておりました。
ヤゾーさんヤナさんしばらくです。
ヤナさんに頂いた「すみれの種」花ひらいてますよ。     おミヨ

ヤゾ− - 2002/05/27(月) 20:25<

炭焼きの思い出

ヤナさんちの近くでは大きな雹が降りましたか。
ここのところ身近な人たちの中で、
パソコンの不調や冷蔵庫が壊れたり電球が切れたりする話しをよく耳にします。
山小屋の向かいの山からはカラスとサルの鳴き声が五月蝿いです。
な〜んか変ですね。

70年くらい前の話しです。
学校へ上がるまで、両親と一緒に炭焼きで各地を転々とした人の話しです。
できた炭を最寄りの村まで運ぶのは大変だったそうで、
場所によっては山を歩いて半日近くかかるところでも炭焼きをしなければならなくて、
炭を運んだりちょっとした買い物をするのに運び屋さんのような人がいたそうです。
その運び屋さんがどんな人だったのかは覚えてはいないそうですが、
僅かな賃金で炭を村まで運んでくれて頼んでおいた買い物もしてくれていたそうです。
お互いにどこの誰だかもはっきり知らないのに、
律儀に約束を守りお互いに助け合っていた印象があったそうです。

ya(・ε^)na - 2002/05/26(日) 23:57<

う・!!ひゃーーーーぁ

みなさん、こんばんわ・・
 さきほどまで、大阪のうちの近くの気象大変でした。
  どん・かちん・ゴロゴロ・ドタンバタン・バリバリ・ドン・カチン・バラバラバラバラ
そうです、大きな豹が!!ぁ・・
 ああちごたがな!豹ちゃいました!!・・雹(この字でおおとんかいねえ)
長いこと住んどるけど、こんな大きいのん初めてですし、ホンでこの量もすごいですわ
 ベランダの波板穴だらけになってしまいました
風が吹いたら桶屋が儲かる!!
  雹がふったら、動物園が儲かる・・んん!!・・ちゃいました
  大工さんが儲かるでしたね・・・・・・・



 ヤゾー、アオリ1匹だけでした・・おまけに4人で1匹だけでした残念!!


クジラの話・・・・
  IWOのはなし、今日家族で話合いました
   少しでも話し合いで解決しようとする日本の態度・・ほんまに良くなったように思います
    これなら、世界もみとめてくれますよね
  できるだけたくさんの人が、興味を持つこと・・それがだいじなんかもね
   そして、毅然とした態度が大事やねんやろね

  

管理人ヤゾー - 2002/05/26(日) 23:25<

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マツトシさん はじめまして。
新宮でお育ちとのことで羨ましいです。
新宮は小さな町ですが、なにか華やかな印象があります。
町から少し外れると物凄い田舎だったりするところも魅力的です。
浮島の森は不思議なところですね。一年くらい前にも行きましたよ。
町の中にあるのに、一歩中に入れば伝奇世界の中へ迷い込んでしまったかのような感覚を覚えました。
今後とも よろしくお願いします。

立ち呑みさん はじめまして。
早速、少しですがホームページを見せて頂きました。
なにやら大らかな縄文の匂いを感じました。
国東半島の磨崖仏はとても素晴らしいそうですね。
臼杵一族という鉄の技術者集団と関係が深いとの話しを聞いたことがあります。
椎葉の里はサンカとの関わりが深いとの話しも聞きます。
お酒がお好きなようですが、ヤナギムシさんと共通したものを感じました。
今後とも よろしくお願いします。

無月さん ありがとうございます。
和歌山県は北部と南部では自然も人間も随分と違うようです。
熊野地方はどこか縄文的で排他的なところがないので暮しやすいです。
今後とも よろしくお願いします。

ヤナさん アオリイカ釣れましたか〜
あおきさん 節が分ったらもっと笑えたのにな〜


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