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2002年04月04日(木)01時03分までのKumanolifeGuestbookへの書き込みです。


tuya - 2002/04/03(水) 23:48<

素敵なお話が続いています

みなさんのお話に、とても心を動かされています。

自分って何者?という問題は、女性にとっては男性以上に難しいものです。
女性同士のつきあいの場では、男性以上に「個」よりも「場」が重要視されます。女性同士は、コミュニケーションのほとんどをあうんの呼吸で進めていくため、「場」の空気が読めないと、たいていの場合、その女性はグループから締め出されてしまいます。

だからといって、自分というものを持たない、あるいは捨ててしまえば上手くいくかというと、けっしてそうではなく、やはり尊敬され信頼されるのは、自分を見失わずにいられる人なのです。個性を殺さず、「場」に調和できる人っているもので、そういう人に、わたしはいつも魅了されます。
でもそういう素敵な人は少数で、わたしのような大多数の不器用タイプは、各々がいろんな形で、「自分らしく生きて、なおかつ周囲と調和するってどういうこと?」と悩んでいるみたいです。女どうしで親密な関係になると、一度はそのテーマが話題にのぼります。もちろん直接アイデンティティに踏み込む話題になることはありませんが、生活の中で生じてくる様々な悩み事が、深いところでそのテーマと結びついていることが多いです。

また女性は、結婚や子育てと職業とをどうするか?という大きな壁にぶつかります。結婚するにせよしないにせよ、大勢の女性が一度はこれにぶつかります。
とくに才能・努力によって社会で認められることがアイデンティティと深く結びついている人は、非常に悩みます。

最近思うのですが、「自分で自分にOK出す」ことと「他者からOKをもらう」ことが、心の中で自覚的に区別 されることって、なかなかまれなことだと感じます。
もしかしたら、子どものときからずっと、「ありのままでOK」というメッセージだけを周囲から与えられて生きてこれたなら、「アイデンティティ」なんてことで悩まなくてもいいのかもしれません。
正直にのびのび生きて、なおかつ周囲と調和できる人をよく観察してみると、やはり愛することも愛されることも自然に経験できる人たちだからです。

わたしは・・・まぁぼちぼちとやっていくことにします^^

ヤナさん>昔話の本を読むより、ヤナさんのその語り口のほうが絶対おもしろい!!(^o^)/

GAINA - 2002/04/03(水) 22:17<

アイデンティティって何なのだ?

虎は死んで、皮を残す。と言われますが・・・。

死んで残せるものに信念を持って努力・行動する。
この信念こそが、少なくとも私個人のアンデンティティだと考えています。

「日本人はアンデンティティが無い」 
ではなく 「言葉そのものを解っていない」 が
本当のところのような気がします。

なにも難しいことではなく、
生き方の問題として捕らえれば、
誰もが持っている、持てるものだと考えています。

ですから
アイデンティティだからといって、
力む事ではないし、また、悩むことでもない。
生きているうちに、自然に芽生えてくるものと思います。

平々凡々と生きている私のアンデンティティ論でした。

あおき - 2002/04/03(水) 19:23<

*(-..-):ngly さん

ぼくも全くの同意見です 中高と親の言うままに無目的に勉強し それなりに成績も上がり
それなりにいい高校に行きましたが 憶えてもすぐ忘れるような使えない知識で大学に
行くのではなく 体で憶えて 忘れない技を身につけて 大学に行こうと思いました
生まれつき父のおかげで 絵画が得意だった私は浪人して 美術大学に行きました
しかし私の行った工業デザイン科は いかに売れるものを作るか どうしたら儲かるか
ということを 企業から天下った教授が 役に立たない時代遅れの知識をだらだら話すだけで
どうやっていきいきと生きるのかなんて 話しはしませんでした
ま しょせん 金をかせがないと自分自身の肉体を維持できないし
借金ばかりして夢を語っても 人に迷惑かけるだけだということがわかっているので
証券マンや銀行マンよりは悪どくない 車のデザインならいいかと思って我慢してます
それと並行して 自己実現のため休みや 帰宅後時間をさいてます
負けないで生きていきます

*(-..-):ngly - 2002/04/03(水) 16:28<

話しを少し戻して

 いろいろお話がでています。整理するために私の原点(出発点)を振
り返らせて下さい。自己確認ですが。
 アイデンティティを追求するように年齢のせいかも知れません。会社
勤めの時代に、高学歴の者でも上位者なら何でも「頭をぺこぺこ」する
のが不思議でならなかったーー奴隷根性ではないか?これでは「人間と
していきる」理想と、現実は真反対に見えました。だから八切の「自己
の歴史を知らぬ者は奴隷である」の言葉が突き刺さっています。
 若いうちなら理想であるとか、志であるとか、あるいはお金であるとか
を追求します。私もそういう時期もありましたが振り返らない事にします。 
 また組織の活動や集団主義になじめない私には個人単独でもできる学習
や思惟が相応しいとも感じています。個人でも出来て、広く社会や人々に
不可欠な重要な事で、自分自身何か生きてる証しはないだろうかの思いも
ありました。それで始めたのが自己確立のためのアイデンティー追求です。
 長く生きてみてつくづく思うのは、やはり金です。なぜみんな金かねという
のでしょうか。保険金殺人のように命よりも大事。経営者は勿論、政治家も官
僚も、やはり金のようです。「愛さえあれば」といいながら,「金の切れ目が
縁の切れ目」。高学歴志向は、土地などの資産がない何よりの証明のようです。
 金儲けの巧い方に聞くと「儲けるのがとても面白い・楽しいそうです」。
更に金儲けの目的を聞くと「そんなもんはない」そうです。金よりももっと
大切なもの、それがあり、楽しくて・夢中になれるもの。そうして引き算して
いくと、手元に残ったものが、これになったようでした。
 巨大なテーマにちっぽけな自分が単独で挑戦できて、目の黒いうちに、いく
ぶんか完成度を自己確認できるもの。いまこれに取り組んでいます。
やなぎむしさん 山爺はどこかでサンカの異称だった気がしますが。

おユキ - 2002/04/03(水) 12:54<

私のアイデンティティ

私にとっては、ここを読ませてもらって、
たまに投稿することがひとつのアイデンティティだったりします。

私の作った巣箱にはまだ営巣してくれません。(;_;)

(-,,-)turukot - 2002/04/03(水) 07:23<

お話面白くなってきました

えっと、*(-,.-)*nglyさんのレスをすぐ書いたのですが、字数オーバーで
投稿されなくて(要点絞ろう9、ブラウズしているいちに本文がきえてしまい
まちた(ToT)

時間がないので、取り急ぎ(急げ〜)

Donglyさん、tuyaさん

あっしが『民族という広域のアイデンティティの自由』と申しました意味は
違うんですよ。あっし個人の見解はDonglyさんのそれと同じです。ただ、そ
うはいっても『実相は日本人なんてマヤカシだから別のアイデンティティを
持つべきだ』と言っても、実際プレッシャーに感じたり、現状内的不整合に
あれば具合悪くなると思うんです。だからまちがっても強制的になされるの
ではなく、自発的にアイデンティティの確立の気のあるひとからカミングアウ
トしていったらいいのでは?とおもうのです。自覚的な人は多いかもしれませ
んが(比率的には少ないか)、アイデンティティを勝ち得ることは自分の意志だけ
では中々上手くいかないケースが多いと思います。そこが出発点かな?と自分
なりに思っています。

tuyaさんのレスは的外れとは思いませんでしたよ。真摯なお気持ちが伝わってきました。

あっしの場合、「日本人というアイデンティティを持って生きるべきだ。」と言われても
「違和感」はどうしても消えるものではないし、抑え込んでも、精神的に死んで生きるこ
とになってしまうんだろうなぁ。「日本人」としては確立できませんね〜「日本国民」な
ら納得できますが。。

やなぎむし - 2002/04/02(火) 23:20<

磐司と桐の花・・5

次の夜・磐司は、鉄砲を構えて待ち受けていた。
  すると、まもなく・・ズシン、ズシンと腹にこたえる足音が、
 馬鹿に急いでやってきた・・思うまもなく・・

 ドバッと、入り口のむしろが、めくり揚げられた・・

ヌーーーーゥ・・恐ろしい山爺の顔があらわれた・・
「磐司、おまえをみこんで、たのみがある」
 「頼みだとう!!・・なんだ!」

  「じつは、・・おらは、ずーっと昔からこの山にすんどる」
 「この山は、今あたりじゃ、美しさも山の実りも、一番じゃ!!」
「ほんやから、ほかの山、のやつら・・うらやましゅうて・・たまらんのや」

  「とうとう、顔が三つ、目が一つの、一本足の山爺が乗り込んできた」

  「そいつの方が、あっちより・・強いんじゃ」・・「このまんまやったら」

 おらっちが、殺されてしまう!!ちゃ!!

  「磐司・・たすけてくれんさい」ってゆうた!!
山爺は・・目からポロポロなみだを、流して磐司にたのむのであった

「よーーーし、引き受けた」・・磐司はひきうけた
「ありがたい」・・山爺は・・踊りながら・・山に帰っていった・・

            つづく

tuya - 2002/04/02(火) 20:35<

打てません・・勝てません・・

GAINAさん、ヤゾーさん>正面からの誠実なレス、ありがとうございました。
わたしはどうも、最初の一歩=「それは本当にそうなのか?」という部分で疑問が残ると、次に進むのを躊躇してしまうのです。

*(-..-)*ngly さん、(-,.-)turukotさん> お話の流れからはずれる話題ばかり持ってきてしまってすみません。自分の心の中では、皆さんが提示されるお話と自分の拙い考えと、一応意味がつながっているのです(共感的な意味で)が、そのつながりを上手に表現することができないでいます。書いてるうちに、スッキリつながってくるのではないかという気がしていますので、勝てないチームをそっちのけにしてPCに向かっています。

 歴史観を変える必要性について、思い出したことがあります。学生時代、民衆にとって太平洋戦争はなんだったのか?をテーマにした講義を受講しました。その先生は、ファジズムを、支配者でなく民衆に焦点をあてて研究された先生でした。どのようにして日本の民衆はファシズムを受け入れていったのか、そして終戦時に民衆は戦争をどうとらえていたのか?・・・膨大な聞き取り調査をされ、戦中戦後の歴史を捉えなおされたのです。
 わたしたち戦後生まれの一般的なイメージとしては、戦時下では国民はこぞって戦争を肯定し、終戦のときには玉 音放送を聞いて国民みんなが涙した、という印象を知らず知らずのうちに抱いています。しかし実際に聞き取り調査をしてみると、戦時下において民衆の多くが本音の部分では厭戦的な気持ちでおり、玉 音放送を聞いて「ほっとした」「やっとおわった」という気持ちになったと回答する人々がたいへん多かったのだそうです。
 しかし、いつのまにやら、まるであの時代はみんなが一様に間違えたのだと言わんばかりに、事実が歪められてしまっています。
 20年近く昔に聴いた講義なのでノートも残っておらず、詳しいお話はできなくて恥ずかしいのですが、その講義を聴いたときの目からウロコが落ちる様な感慨は、今でも忘れることができません。
「歴史はこうやって歪曲され、つくられてしまうんだな!」
 サンカは長い間、国家とは独立して生きてきた人々なので、サンカに焦点をあてて日本を見つめ直してみることは、どれだけ大きな視界が開けていくことになるのか、わくわくするものがあります。
 今ふたたび一方的な歴史観が教育現場に押し付けられている状況なので、この仕事はとても意味のある仕事であるように思います。

あおき - 2002/04/02(火) 11:37<

とんちんかん小僧 さん

おくればせながら がんばってください
でも ネットカフェに飛び込んで 時々サンカしてください
また音楽の話たくさんしましょう
でわ

とんちんかん小僧 - 2002/04/02(火) 10:30<

みんな最高にありがとう! 

tuyaさん やなぎむしさん ヤゾーさん Donglyさん バリ師さん 
それからの他のみんなへ

「とんちんかん」なこと書けなくなるし、寂しくなるけど門出を祝ってくれてありがとう。
掲示板を見ていて感動のあまり泣けてきたよ。
短いような長いような楽しい時間を過ごすことができて感謝&感激の気持ちで一杯です。

これからまた、あっちこっちへ挨拶回りに行ってきます。
「我らのクマノライフは永遠だー!」
本当に良い出会いも出来て最高に、最高にありがとうございました!!!

ヤゾ− - 2002/04/02(火) 09:45<

アイデンティティ

自らの出自を何処に求めるかによって生き方や考え方が変わることがあると思っています。
殆どの人の中には高貴とされた血も賤民とされていた血も流れているように思いますが、
歴史を明らかにすることによって、
自らに流れる賤民とされた血を自覚することに意味があるような気がしています。
それは何故かは説明はできないのですが、
五木寛之さんの「日本人のこころ 4」の中にサンカの末裔として出てくる作田清さんの言葉に
「悲惨な状況にあっても、そこには言葉にならない「神々しい魂」があると感じる」との話しがあり、
また、五木寛之さんの「賤民が神の代理人になるとき」という話しがあって、
感覚的にピンとくる話しだったりします。
水平社宣言の中のも「この血を享けて 人間が神にかわろうとする時代にあうたのだ」という言葉があり、
感性に強く共感したりします。

この国の、この国に暮す人々の為にも差別という問題は克服しなければならないものですが、
その為にも歴史観を変えるということがとても大切だと思います。
差別はする側にとっても とてもマイナスだということがあります。
出口王仁三郎が投獄されているときにおチンチンをいじっているのを看守に叱れ、
「大本もおチンチンと同じじゃ 弄れば弄る程大きくなるのじゃ」と言ったとか?
差別も差別すればする程、被差別側の一部の人間が歪んだ形で大きくなります。

支離滅裂。檜の花粉が最盛期な為 お許しを m(_ _;)m

バリ師 - 2002/04/02(火) 08:29<

たむけの言葉・・・ほどのこともないんやけど

とんちんかん小僧さま、詳しくは知らねども、新しい旅立ち、おめでとうございます。

知り合いに僧籍を持ったお医者さんがおりまして、世間一般的には、その話を聞くと「そんな縁起でもない。医者が坊主やなんて!」ちゅう反応が返ってきますな。それはそのままこの国では、仏教が葬式仏教、もしくは死んだ後の成仏やら極楽やら法事やらを取り扱うもんになってしもとうことを意味しております。

本来、釈尊の教えは生きとう間の今生の教えであり、道しるべであり、指針であったはずです。どこでどう間違ってこんなことになってしまったのか?それを坊さんやなしに庶民が求めたからなのか?

もう一度、釈尊の原点に立ち戻り、生きた教えとして仏教を捉えてくださればと期待しております。

ほかのみんなと一緒にとんちんかん小僧さんのこの春の門出を祝福したいと思います。大きな声で「バンザイ!」「ガンバレ!」「達者でな!」

GAINA - 2002/04/02(火) 02:32<

島国の独立国ですから・・・。

こんばんは。

日本人はアイデンティティが無い?
単一民族なんだからアイデンティティなんて、「はっはっは」
阿吽の呼吸で「まあ、まあ、まあ」

アイデンティティの代わりに、比較をしていれば安心、安心。
金銭の有無、物質の有無・・・
いろいろ較べてきたけど、今じゃ、国民全て中流意識。

較べるものが無くなった?
いえいえ、最後に比べるものが残ってますよ。
系譜ですよ。
生まれは?藤原・源氏?何代続いています?

みなさん大きな声で高らかに応えましょう。
「元は類人猿ですから、何代続いているのやら数えたことなどありません」
ジャンジャン!

tuya - 2002/04/02(火) 01:34<

素朴な疑問(続き)

(続きです) 

 支配的立場にある人が、具体的な私利私欲のために「愛国心」にこだわるのは非常にわかりやすいのです。が、わたしが興味あるのは、そうではない圧倒的多数の日本人の「愛国心」です。「愛国心はたいせつ」・・・皆がごく自然に受け入れていることが、わたしにとっては実に不可解な謎なのです。しかし誤解のないように申しますが、「愛国心は危険」だとする立場の人々と自分の感性とは、まったく異なります。わたしの場合は、なぜかくも「愛国心」が強調されるのか?と、素朴なレベルで疑問に思うのです。自分にとっての愛国心とは、もっとささやかなものであり、それを信念にまで高める必要性を一度も感じたことがないからです。
 
 もちろん、自分が日本人だなぁと感じる場面はいろいろあります。外国人と接しているときは、とくにそれを感じます。東儀秀樹さんの「雅楽」にはまったり、日本画が好きだったり、神社めぐりを楽しんだりするときには、日本人であることを楽しんでいます。逆に戦争の加害責任について学んだときなどは、日本人の一人として、罪悪感に近いものを味わいましたし(罪悪感というのは変かもしれませんが実際そういう気持ちになったのです)、負の歴史を学び伝える必要性についても時間をかけて考えました。

 しかしいずれの場合も、自分が日本人であることへの思い入れより、そこからどう動いていくべきなのか、何をどう学んでいくのが自分にとってプラスになるのか、にすぐ関心が移行するのです。

 わたしは社会的にはある意味マイノリティであり、結婚・就職・引越し等において露骨な差別 も経験しましたが、‘恵まれた’マイノリティでないため、自分の怒りをどこかの集団への帰属意識を通 じて晴らす機会もありませんでした。わたしへの差別は、わたし個人に対する差別 であって、わたしが属する階層や民族への差別ではなかったのです。
 そういうこともあり自分は、系譜・階層・学歴・社会的地位・収入・宗教・政治的立場etc、向き合う相手のいかなる社会的アクセサリーにも興味がありません。その人の生の心のありようが、わたしの関心事です。
 なにがしかの集団に属したり、あるいは何がしかの系譜・流れに位置することで自信を得た経験は、今までありません。それは、その集団や系譜を嫌っているのではないのです。集団や組織や同類の境遇の人々中で楽しくやっていても、その集団と決して一体にはなれない自分、という感覚があるのです。
 ですからおそらく自分のルーツが判明したとしても、そのルーツをもって自分がアイデンティティを確立する、なんてことは自分に関してはないような気がします。 

tuya - 2002/04/02(火) 01:34<

素朴な疑問

 とても真面目な疑問です。批判的な気持ちは全くありません。昔から抱いていた根本的な疑問であり、誰に対して正面 きってたずねても、満足のいく回答を得られなかった疑問点です。 

 どうして多くの人は、系譜や所属等にこだわるのでしょう?わたしは自分のルーツに興味を持ったことがありませんでした。祖祖父母の代になると、どんな人たちだったのかわかりません。
 しかしもし、「自分がどこの馬の骨かわからない」状況がひっくりかえって、「わたしは○○の末裔だ」と語れるようになると、自分の意識がどのように変化するのか、たいへん興味があります。
 自分の存在に誇りを持つことになるのでしょうか?あるいは、自分の系譜に対する愛着ないしは執着心に縛られてしまうことになるのでしょうか?いったい、どうなってしまうんだろう?誇りと執着とは、果 たして切り離すことが可能なのでしょうか?系譜をたいせつにしながら、一方で自由な精神を持ち続けていられるでしょうか?

 日本人は単一民族か、そうでないか?・・・わたしは、その事実云々よりもむしろ、なぜこのテーマに関して大勢の人が、たんなる知的好奇心以上の感情移入をしてしまうのか・・・に興味があります。「単一民族」でなければ、どうも落ち着けない気分になる人が大勢いるのはなぜなのか?
 
 同じ問いかけになりますが、日本人にとって「日本人」であるということは、どういう点で自我の支えとなっているのでしょうか?なぜ遠い過去の出来事なのに、「不都合な歴史」というものが存在してしまうのか?全く奇妙です。しかし歴史上のタブーは確かに存在するのです。
 
 わたしは日本が好きです。深い意味はありません。ですが「愛国心」という言葉で、その気持ちを表現されると拒否反応を起こします。そもそもわたしには、集団というものに対する帰属意識が希薄なのです。だから日本人であり日本が好きであるにもかかわらず、日本人であることが自分の誇りであるかと問われると、どうもそうではないのです。オリンピックを見ていても、選手個人の活躍に魅了され、日本のメダル数には全然興味がわかないのです。
 そもそも「愛国心」というのは、周囲の影響を受けてインプットされるだけなのではないか?・・・いやいや単に私が変わり者なだけなのよ・・・いろいろ考えてしまいます。
 

*(-..-)*ngly - 2002/04/01(月) 22:04<

分らないこと

とんちんかん小僧さん お元気で
あなたがいない間に「とんちんかん」ライフにならないようにします。
turukot、tuyaさん
>1)広域な民族概念でもって自己のアイデンティティを持つのは個人の自由
>2)それにはやはりあるがままの歴史の学びと理解、土地や系譜に根ざした
アイデンティティの確立が必要では。
>3)日本では本来の帰属する集団が同化の圧力下にあって、日本人とのボー
ダーにて揺いでる人が沢山いる。マイノリティーグループだけではない。
1)話が逆では。個人が真の「自由を獲得する」為にはまずこれが必要では?
 「日本人」なる概念は「民族概念」ではないといわれている。
2)あるがままの歴史(正史・日本史・学校歴史)では民衆史として不充分で
はないか?否、民衆史がない。いくら系図や系譜をまさぐっても不明の場合が
ある。系図を持つのは少数で大多数は系図すら持たない。厄介な事だが、自己
の歴史を偽り美化する傾向は郷土史に多くあるが、民衆の本能のようでもある
から系図の偽造などは朝飯前だ。既存の歴史の枠組みに入らず民俗学もびびっ
たサンカでは系図がないのが「健全」で、系譜が不明なのが特徴みたいだが。
 在日や被差別部落など現在のマイノリティーの問題はそれなりに扱う学者や
専門家がいる、という意味では在日や被差別部落は「恵まれているのだ」。
野史は正史を正視できない歴史とする。野史は、自己の祖先が賤民や奴隷だっ
た(専門家の多くは否定しない)自己の歴史に自らの切れ味の悪い「ウメガイ」
で自己の方法で自己手術を試みようとする。重大な事は圧倒的多数は自己の過去
(庶民史)を知らない。換言すれば、差別する側が祖先のすさまじい歴史に無知
な事にある。過去の総括を好まぬ国民性からは私の営為などは愚行となるのだ。
 日本人複合論は詳しくは知らないが、明治期までは唐や百済からの渡来人は
先住民や異民族とは通婚しない(同族結婚)という原則があるそうだが、調査
でもこれは真実のようだ。特に支配層に多いという事は重要であろう。
 なお民族・人種・日本人などは普通の意味で使っています。まだ厳密な定義
はしていません。話が「癒し」でなく「良野史」「賤し」になりすみません。

ヤゾー - 2002/04/01(月) 07:58<

とんちんかん小僧さん ご苦労様でした!

とんちんかん小僧さん 数々の投稿 ご苦労様でした。
お寺に住み込んでの勉強も大変だと思いますが、
身体に気をつけてがんばって下さい。

蜜柑さんと三人で和歌浦の月の祭りに行ったことや、
Donglyさんに会いに岡山の野史研究会に参加したりと、
ネット以外でもいろりろとあったことが思い出されます。

turukotしゃん 分かりました。
少し言葉足らずでした。
五木寛之さんの「日本人のこころ 4」の中では、
DNAの分析から日本人とはなにものかということが解明されつつあることを紹介して、
日本民族の起源には六系列あるという日本民族複合論を持ちだしていました。
また、「日本人」という言葉を単純に使ってよいものかと問い、
沖浦氏の知っている人類学者が「日本人」という言葉を使わず、
「この列島の住民」という言葉を使っているというエピソードもありました。

やなぎむし - 2002/03/31(日) 23:30<

おめでとう

とんちゃん・・おめでとうで、いいんでしょうか?
 しっかり、学問極めてきてください。
  寂しい限りですが、お帰りをいや・・再登場を・・たのしみにおまちします


磐司と桐の花・・・4
 
 磐司は、今日こそ正体を、見極めてやると、物陰に隠れてそのときを待った!
やがて、物陰から、現れたそいつの姿たるや!!  なんと恐ろしい!!!
背丈は、磐司の倍以上・・一本足でズン・ズン・飛び跳ねながらやってくる・・

  「なーーるほどう、あんでわ、人の足音とちがうはずや!!」
磐司は、一人うなずくと、月明かりに、近づいてくる怪物を透かしてみるのであった

なんと、なんと、不気味なことに、その怪物は、顔が二つ,目が一つ。そのめはなんと
   囲炉裏の火のように、かっと真っ赤にひかっていた・・

 「これが、噂にきく、山ん爺ちゅうもんやな」

磐司が、こうしてみてるとも知らず・・山ん爺は、小屋に近付くと・・
 そーーーぅっと、中をのぞいているのであった・・・

しかし磐司が、いないと知ると、ガックリと肩ならぬ・・首を落とし跳ねながら
 また帰っていったのだ・・・・・・・・

   磐司は、不思議でならなかった・・

          いずれ、儂を、取って食らう気なのかも!!

       磐司は、・・明日もし来てみあがれ・・

         一撃で、ぶっ殺してくれる・・ と そう考えたのである 

                         つづく 

tuya - 2002/03/31(日) 23:06<

このあたりのお話は関心があります

★*(-..-)*ngly さま
>また奴隷制度を解体する「解放闘争」や「市民革命」が日本には皆無
>な事に関連して、未だ我々は差別と天皇制に代わるものを作り上げる
>努力に成功していないようです。それ以前に本格的に我々の「負の歴史」
>と向かいあい(私の研究の核心はここです)、それを乗り越える勇気が
>必要です。これが自己を知る源泉だと思います。自己の歴史から「逃げ
>回って」歴史を語るとは何と意気地と誠意のない人でしょうか。

歴史関係でレスさせていただくのは、今回が初めてだと思います。私は日本史専攻ではありませんでしたが、このあたりのテーマが学生時代、一番ひきつけられるテーマでした。講義や演習よりむしろ、マイノリティの立場の学生達が主催する、あちこちのサークルの研究会を渡り歩くことで、そのあたりの問題意識が目覚めていったように思います。

★とんちゃん
旅立ちの件、聞きました。淋しいけど、今後の発展が楽しみです。ずっと応援しています。気が向いたら、ときどき連絡くださいね。

>ところで応援している球団、昨日圧勝しましたか?僕の好きなチームは、セが×でパが○でした。

負けました!昨日も!!今日も!!(開幕投手はひいきの選手だったのに)それで、今日はスポーツニュースを見てないのれす(泣)

とんちんかん小僧 - 2002/03/31(日) 22:59<

皆様に、お知らせしたい事があります。

実は、京都のとある短期大学に科目等履修生として入学することになりました。
それで、とある寺に住み込みという形をとりますので、花のネット生活から
「さよなら」する事になりました。(TOT)
今まで皆様に色々とお世話になり、とても感謝の気持ちで一杯です。
本当にありがとうございました。4月3日に京都へ旅立つことになりました。
クマノライフの学び舎には、また復学したいので、ヤゾーさん続けてね。
まだまだ先のことですが復帰した際には、またよろしくお願いします。

(-,.-)turukot - 2002/03/31(日) 21:29<

Re:日本民族複合論

ヤゾーさま〜
>日本人単一民族論など最初からイリュージョンにすぎなく、
>日本民族複合論を支持したよな書き方をしていました。
>また、そういう考えが一般社会では常識になっていないのだろうと結んでいました。

「日本民族複合論」は(ここでおっしゃっている意味合いは理解いたしますが)「単一民族論」
と表裏一体ということにご留意された方がいいのではと思います。
字句通りとると以下の意味合いにとられかねません。

「昔はいろんな部族集団がいたのだろうけれど、今は(同化されて)今は日本民族の一員」

という具合にです。

戦前は複合民族論が優勢でした。戦後、単一民族論が盛んになったのです。

「今は日本国民(民族・部族いろいろ)でどこぞの地域住民」であるので「複合」より
「混住」か「共存(?)」ではないか、と思うのですが。。。

私はまた、「複合論」を「複合単一収束論」とも呼んでいます(心の中で。。)。

ヤゾー - 2002/03/31(日) 20:50<

日本民族複合論

*(-..-)*nglyさん (-,.-)turukotさん 貴重な意見を聞かせて頂きました。
五木寛之さんの「日本人のこころ 4」でも、
日本人単一民族論など最初からイリュージョンにすぎなく、
日本民族複合論を支持したよな書き方をしていました。
また、そういう考えが一般社会では常識になっていないのだろうと結んでいました。

とんちんかん小僧さん そろそろ旅立ちの時期が近づいてきましたね。
少し寂しい気もする今日この頃です。

とんちんかん小僧 - 2002/03/31(日) 11:35<

遅れレス

tuyaさん
ボンドのコンサートでした。
とてもエネルギッシュなライヴでした。
余興で、映画「007」の「ジェイムス・ポンドのテーマ曲」やレッド・ツェッペリンの「
カシミール」も演奏していましたよ!
客層も幼い子供から80代ぐらいまでの老人まで、様々な年齢の方がコンサートに来ていました。
後ろの方だったので、人間観察もできました。
双眼鏡持っていったらよかったなあ・・顔が全く判らなかった・・輪郭だけ判ったけど。(ToT)

ところで応援している球団、昨日圧勝しましたか?
僕の好きなチームは、セが×でパが○でした。

Donglyさん
八切さんって、私にとって馴染みの薄い方なんですけども、正史に対して
負の歴史(闇に消された歴史)に一閃の光を与えた歴史家だと思います。
でも、八切さんは、目が点になっちゃうような話が多くて読者を迷わす
かもしれないから、小説のような書き方をして『真実の歴史』を読み手に(
全員には伝わらないが)遠まわしでもいいから伝えたかったのではないかと
思います。(あくまでも僕の仮説です)

(-,.-)turukot - 2002/03/31(日) 02:14<

えっと・・・

Donglyさん、ご無沙汰いたしております。

>八切の最も重要な主張は日本人多人種(説)です。
>これをふまえて歴史を展開してる学者はいないのでは?
>『記紀』を読めば、新羅・百済・高句麗・渤海などが出てくるにも拘らずです。
>列島における人種紛争が奴隷制度を確立した事や後の被差別部落と天皇制度の
>変質を生み出した事。また奴隷制度を解体する「解放闘争」や「市民革命」が
>日本には皆無な事に関連して、未だ我々は差別と天皇制に代わるものを作り上げる
>努力に成功していないようです。それ以前に本格的に我々の「負の歴史」
>と向かいあい(私の研究の核心はここです)、それを乗り越える勇気が
>必要です。これが自己を知る源泉だと思います。自己の歴史から「逃げ
>回って」歴史を語るとは何と意気地と誠意のない人でしょうか。

ここ、おっしゃられる部分、まったく同感です。
世界における日本と同じ位の面積・地域を見て比較すると、おっしゃる
ところの「多人種(一般的な人種とは少しニュアンスが違うようですが)」
が普通で、それを踏まえない日本の「ケース」ないし論理・前提が稀有で
あるようです。

私は広域な民族概念でもって自己のアイデンティティを持とうとするのは
個人の自由かと思いますが、それにはやはりあるがままの歴史の学びと理解
、土地や系譜に根ざしたアイデンティティの確立が必要ではないかと感じま
す。日本という国の中では本来の帰属する集団が同化の圧力下にあって、日
本人とのボーダーにて揺らいでいる方々が沢山いるようです。これは、所謂
マイノリティーグループだけではないような印象です(あくまでも私見です)。

しかし、分からないことが多すぎる。。
自らが先頭に立って轍のないところを歩んでいかなくてはならないようです。

やなさん、我が故郷の第2弾、嬉しいですね〜
磐司と万治の2人のマタギですか?
あるマタギ衆がネズミにされた話を(矢口センセのマンガから)知っていましたが、
そんな話と早合点してました。ちがった。。
続きが楽しみです。

*(-..-)*ngly - 2002/03/30(土) 23:52<

小説家か歴史家か

 八切氏は一体どっちなんでしょうか?
五木寛之のように小説家なのでしょうか?八切はその説の論拠を
阿部弘蔵や菊池山哉など民間歴史学者の研究成果においています。
それらの民間学者をアカデミズムは全く相手にしていません。
それは阿部や菊池に続く研究者がいなかった事が原因でしょう。
 私が熊野ライフに書き子しているのは、阿部・菊池・八切の巨大
な成果を継承し、少しでも研究を前進させる方を見出すためでもあ
ります。あれやこれやの意見の相違はどちらでもよいのです。批判
するだけでなく一歩でも自らの力で真実へ前進したい方を募ってい
ます。
 小説家の場合いくら参考文献を引用しても「つくり事」か事実な
のか不明か、またはそれを見極めるには時間がかかります。八切の最
も重要な主張は日本人多人種(説)です。これをふまえて歴史を展開
してる学者はいないのでは?『記紀』を読めば、新羅・百済・高句麗
・渤海などが出てくるにも拘らずです。列島における人種紛争が奴隷
制度を確立した事や後の被差別部落と天皇制度の変質を生み出した事。
 また奴隷制度を解体する「解放闘争」や「市民革命」が日本には皆無
な事に関連して、未だ我々は差別と天皇制に代わるものを作り上げる
努力に成功していないようです。それ以前に本格的に我々の「負の歴史」
と向かいあい(私の研究の核心はここです)、それを乗り越える勇気が
必要です。これが自己を知る源泉だと思います。自己の歴史から「逃げ
回って」歴史を語るとは何と意気地と誠意のない人でしょうか。
 その意味でサンカから歴史性を排除し民俗学に「貶め」たり、漂泊する
竹細工業に矮小化するのは志あるサンカ歴史の真髄を踏みにじってるよう
な気がします。サンカを扱う事の政治性から柳田国男は逃亡し、三角寛は
狭隘な政治の世界でサンカを扱うことで一斉を風靡しました。時代の制約が
あるとはいえ、ともに自らのサイズに合わせてサンカを捉えたようです。
五木寛之はどうなんでしょう?私は彼の著作を全く読んでいません。
なぜなら「事実は小説より奇なり」の立場だから。また何よりも「小説は
商品である」ことから目をそむけてはならないと思います。
 以上私見で失礼します。

ヤゾー - 2002/03/30(土) 07:47<

小松左京の本にも

小松左京の『最後の隠密』という短編集の中の『竜虎抱擁』という作品の終わりには、
「上杉謙信女性説」は、八切止夫氏の御作によりました。詳細をお知りになりたい方は、
氏の唖然呆然の大傑作「謙信は男か」「血戦川中島」を是非お読みください。筆者敬白。
という注釈があるそうです。

tuyaさん また時間があるときにはお話しをお聞かせ下さいね。

とんちんかん小僧 - 2002/03/29(金) 23:33<

再び黒須紀一郎氏の本です

もう御存知の方や既に読まれた方もいるかと思われますが、『鉢屋秀吉〜第2部 筋者の道〜』
を読んでいる途中です。
今日、やっと3分の1読みました。ずっと電車の中でしたので、読んでいて泣きそうになったり
して誤魔化すのが大変でした。今回は泣けますよん。
ところで、前回分(第1部)読んだ方は知っていると思いますが、黒須さんって今回も読んでいて
「アレー!?」と思う箇所が多くありました。それというのは、過去(この本が発表される以前)
にクマノライフで取り上げられた話が多くありました。例えば、穴生(あのう)衆・黒鍬(くろくわ
)衆・笛師銀兵衛・・etc。
でも参考文献には今回も含まれていませんでした。
ま、本の内容は書き過ぎると読まれていない方に悪いので止めますが、あとがきにすごく興味深い
方の名前が記されていました。
以下、抜粋。
・ ・秀吉を鉢屋とした出自に関しては、八切止夫氏の諸作品から示唆を受けた。また、家康の出自
については、村岡素一郎著『史疑・徳川家康事蹟』に拠った。・・
しかし、具体的に八切氏のどの本からなのかは参考文献の中には含まれていないので真に残念なこと
であります。

Donglyさん、お久しぶりです。
また八切氏の話・・楽しみたいと思います・・できればの話ですが。

tuya - 2002/03/29(金) 22:57<

明日から開幕につき・・・

このところ毎日お邪魔してましたが、野球好きの私は明日以降、スポーツニュースと某球団関係サイトめぐりに忙しくなりますゆえ、しばらく書き込みお休みさせていただきます。。。


ヤゾー - 2002/03/29(金) 08:35<

Donglyさんと八切止夫さん

Donglyさん お久しぶりでした。
もしや御体でも悪いのではと案じておりました。
また思う存分にお話しをお聞かせ下さい。

次号の歴史民俗学は八切止夫を特集したものだそうで、
インターネットに見る八切止夫ということで僕も執筆を依頼されています。
Donglyさんが書かれるのは相応しいことだと思いますが、
どうして僕なんかにと戸惑っています。
随分前に『サンカ生活体験記』を読んで衝撃を受けてから、
入手困難なこともあり、その後数冊しか読んでいませんでしたので、
八切止夫についてはあまり詳しくはなく、少し難儀しています。

ネットで八切止夫の著作に関した意見を調べてみましたが、
トンデモ本であるとか、言っていることが時期によって違うために、
整合性なないなどの意見がありました。

その反面では八切止夫の歴史観に影響を受けた方も多く、
ネット上にある八切止夫の著作を読み返してみると、
精度の高い貴重な情報も含まれているような気がして、
あらためて異色の在野史家であり歴史作家でもあった八切止夫という人物に興味を持ち始めています。

八切止夫というとDonglyさんとだぶってしまうところがあるのですが、
Donglyさんの八切止夫に対するお気持ちなど、
宜しかったらお聞かせ下さい。

おミヨさ〜ん お忙しくなければ八切止夫に関したことなどまた書いて下さいね。

turukot - 2002/03/29(金) 05:05<

芦屋鋳物師

あかねさま〜

>芦屋釜は筑前芦屋鋳物ですね(T_T)。とすると鋳師の大江さんは釜も造ったんでしょうね。

茶の湯釜で有名な芦屋釜の産地です。もちろん大江氏も造っています。鎌倉時代からはあったようです。
後に博多に移住した太田氏(確か山鹿氏とも?)も有名です。
寺社に寄進しなかった湯釜には銘文がありませんが(高野山に寄進されたものにはある)、他の梵鐘や鰐口、
などの寄進物には記されています。(参考文献:ふくおか歴史散歩 第6巻 福岡市市長室広報課)

2002/03/25(月) 18:18のスレッド
>>エミシ→産鉄・「俘囚」鍛冶関連でなんか接点ないかなと思っています。
>鍛冶集団がいた事で知られる地域の近くには、隼人地名がよく残っているようです。
>それは、穴師兵主や八幡社配置と重なってるみたいに思います。
>中部地域辺り等の産鉄地域周辺にも俘囚配置がなされていたようです。

隼人地名のご教示ありがとうございます。
私が思いまするに、芦屋辺り(遠賀川河口付近)は別所だったのではないかと思っています。
895年以降の「夷俘」防人配置と産鉄関連で。北部九州は砂鉄が多くとれ、別所が重なるよう
です。その点私は糸島半島2個所で確認しております。

ちなみに隼人関連で。筥崎宮の放生会は隼人「征討」にちなむとか聞きます。
また、香椎宮も長府も隼人「征討」の拠点だったとか。

やなぎむし - 2002/03/29(金) 00:22<

磐司と桐の花・・3

磐司は、しだいに、りっぱなマタギになっていった。
  あるときのことだ、早池峰山に小屋がけして、獣をおっていたと・・
   ある夜・・磐司がいろりの火を・・たいていると・
ズンズン・・と地
を鳴らして・・不思議な物音が近づいてきた・・
  人の足音・・みたいやけど・・それにしては・・おかしい
  腹の底にこたえるよおな、なんとも気味の悪いあしおとやった・・
耳を、すますと・・足音は小屋の前でとまった
 そして、ジーーーーーット小屋の中を・・うかがっているのであった

  磐司が、なんや!!と一括すると・・ボワーーーァっとあっと・・言う間にきえてしまった!!

    奇妙なことに・・それから・・毎日毎日・
        その足音と気配は・・何日も何日も・・つずくのであった・・

                つづく

*(-..-)*ongly - 2002/03/28(木) 22:27<

またサンカさせて

 極多忙のなかでしたが、別所とサンカ情報のある地区を
ちょびと尋ねてきました。まだ報告する事は余りありませんが
 1)愛媛県大洲市3ケ所 
 2)福井県福井市外
 3)富山県宇奈月町近郊
 1)は面白い事にサンカ系の方からの連絡です。川漁師・木地師
・温坊筋の混在集落でした。当日は近くの町に五木寛之が講演に来て
ましたが仕事のため参加できませんでした。もう一箇所は山中にあり
他の県でも同一地名でした。大洲は中心道沿いに焼肉屋が目立つので
聞きましたら、銅鉱山や土木工事で強制連行した朝鮮人が多く定着し
てるためだそうです。また肱川(古くは比地とも記す)流域に旧「遊
女町」「遊女集落」を現地確認して年がいもなくエキサイトです。
地名だけでは寂しいものですね、やはり活きた人間がいないとダメ。
2)3)は出張ついでに資料収集だけです。
共に明確な別所なのですが、3)は地名と神社名以外にサンカの証明
は得られませんでした。別所→サンカを確認する地点になるでしょう。
ただ話を聞いた御菓子屋さんは近くの別所地名出身の別所姓だったの
で、笑いを押さえるのに苦労しました。それにしても富山県は一見し
て渡来人末裔が明白ですし、ゼニゲバの度合いが酷く、漂泊性の高く
なる要素が多い県だったようです。でもいいサンカ温泉でしたよ。
2)は朝倉一乗谷方面ですが深雪い山中なのでリタイヤしました。
 楽遊原さん はじめまして
 サンカ=定住しない漂泊性の人々という定義(この定義に最も
ふさわしいのは現在の転勤族サラリーマンでは?)。この疑問に同
感です。また「回遊性」で表現する方もいますが。非回遊性の場合
もあります。職種だけでなく、人種や「他の」特性も考慮しないと
サンカは定義できないように感じています。三角小説にあるような
漂泊性に囚われ過ぎるとサンカの実像を見失う事になるのでは。
そもそも定住とは?漂泊とは?移住とは?土着とは?回遊とは?
 東沢さん
 岡山勝山もそうでしたか。五月には勝田町への調査も考えていま
す。私達は「別所」が共通のテーマなので、兵庫県の「別所」(こ
こは文献があります)の訪問調査にするかも知れません。
 あかねさん
 富山高岡は鋳物師で超有名です。原料立地でも市場立地でもない
ようですが、なぜなんでしょうか?私は「渡来人立地」「大名立地」
ではないかと考えています。すなわち本来渡来系の技術者が多く、
また加賀前田自身が鍛冶か鋳物師だったのでは?

ヤゾー - 2002/03/28(木) 06:32<

たまらんの唄

たまらん たまらん たまらんぜ〜

たまらん こけたら みなこけた〜

たまらん たまらん・・・

少年の頃に一番楽しみにして見ていたショーケン主演のドラマ番組
「傷だらけの天使」の中で歌われていた意味不明の歌がCMの中で歌われていました。
よくトモダチとたまらんの唄を合唱したものでした。
それにしてもショーケンの顔って サンカ顔?してるって思いました。
う〜ん たまりません。

tuya - 2002/03/27(水) 20:21<

少年に戻る

 バリ師さんの書き込みを読んでふと思ったのですが、「少年に戻る」という言葉はあるけど、「少女に戻る」って、あまり聞いた事ないなぁ。
 でもでも・・・中年以上の女性で、少女に戻れる感性の持ち主って、素敵ですね。私はだめです。なんせ、子どもの頃は男児用のおもちゃでばかり遊んでいたくらいなので。刀やピストルや車や、冒険&探検が大好きでリカちゃん人形を欲しがらない女の子でした。私も「少年に戻る」クチですかね〜???
 そのせいか、女性らしい女の人が大好きです。気配り上手な優しい女の人を見ると、惚れそうになります*^_^*私の周りでは、女の子のお母さんに、少女に戻る感性の持ち主が多いような気がします。
 
★とんちゃん>こないだ教えてくれたグループですね?!DVDでも迫力ありましたが、あれをナマで見たら虜になりそうですね。才能&美貌。天から二物以上を与えられた人っているんだね〜♪

あかね - 2002/03/27(水) 16:55<

鋳物師@A訂正m(__)mと追記

耶耶さん
24日の私のカキコで、不明瞭な点や間違った箇所があったので訂正しますm(__)m。そのうち親王や業平の
鋳物との関りについてもお便りしますね。あ、親王は雄略期に渡来したという青氏かもしれないそうです。
 <鋳物師@> 
 ☆>大江朝臣…[追記]毛利氏系図等を見ますと、業平の兄弟に大江の名を持つ方がいたともされる。
 ☆>在原業平の子も、何の匠か忘れましたが棟梁をしていた
  ⇒  〃     には、中古三十六歌仙人の一人、歌人の在原棟梁(ムネヤナ)もいた。恥ずかしー!!
   〇在原朝臣男・舎人の棟梁という方は晩年、『筑前守』の官位を得ており、ここから筑前鋳物、更
    には鎌倉以降の芦屋鋳物師と何か関りがあるのやもしれません。彼の祖父が流罪の「大宰員外帥」
    に処せられた事も筑前鋳物と関係あるのか?祖父はその後、治部・兵部卿・弾正尹を経て上野・
    上総等の太守を兼ねる(墓は兵庫県芦屋市打出<打出小槌>)。父の業平も右馬頭や蔵人頭・右近衛
    権中将兼美濃守等につき、終生武官であった。蔵人頭は鋳師も押さえ、近衛職は近侍系族の大伴
    や佐伯・山部連等とも関りがあっただろうし、大和鍛冶起源地を支配した山部直(大阪・堺出身
    説あり・堺市の一部はもと美原町)との繋がりもあったのかも。梁を表すムネヤナ名も気になる。
 ☆>全種類の職工の棟梁を大工と云ったので⇒棟梁を、ではなく、職工を率いる各小集団・工房等の頭。
 ☆>古代には、名大工が鍛冶や鋳物師から出ている例も多い
  ⇒       〃       集団から出ている例も多い(東播磨・三木市の日原大工等)
 ☆>竹内古道にほど近い大阪府美原町や狭山町は
  ⇒堺市から大和へ向かう竹内街道が伸びる大阪府美原町や狭山町は
 ☆>その起り自体は、飛鳥宮工房にいた百済からの渡来技術者・錐盤(ロバン)博士や瓦博士等、
  ⇒   〃     4C頃、多くの渡来人が摂河泉地区に移住した事や、韓鍛冶祖・冶金技術者卓素が
   百済から来朝(5C?)した事、588年に百済から鉄盤博士将徳白米等が来朝して鍋の製法を伝えた事、
   飛鳥宮工房にも百済からの渡来技術者・錐盤博士や瓦博士等がいた事、和銅元年(708)に鋳銭司の
   役職についた『多治比真人』が鋳師・鍛冶を統率して美原町大保に住んでいた事等、早くから河内
   地方に鋳造技術があった事に由来すると思われ、5C以前の倭鍛冶との関りも覗えるようです。
 ☆>鋳物師に百済系姓として藤原が多いのは⇒鋳物師に百済系氏(ウジ)として藤原が多いのは。
   〇=セイ。カバネとして河内鋳物師が賜ったと伝わるのは「朝臣」。
 ☆>後に大阪・枚方市藤原で河内国惣官鋳物師となる家の一つ(天命某)が京都へ出ていて
  ⇒美原町に残る河内鋳物師後裔とされる家や、枚方市藤原周辺(北河内)を本拠地として後世に河内国
   惣官鋳物師となった家等が祖先とする天命某が…。
 <鋳物師A>
 ☆>蔵人所灯篭作手⇒蔵人所燈籠作手や供御人。 ☆>藩お抱え⇒(正確には)藩御用鋳師(チュウシ)。

turukotさん
 すみません。芦屋釜は筑前芦屋鋳物ですね(T_T)。とすると鋳師の大江さんは釜も造ったんでしょうね。

ヤゾーさん  檜花粉は白い…。あ、そうですね。檜も杉の木も好きなのに花粉症だなんて(T_T)。

にっちょさん
 有難うございます。嬉しいです。素人の私は間違ったりしますが、今後共よろしくです_(._.)_
 土佐の丹吉と言う手打ちハリ!丹といい、何か丹治氏等との関りを感じますが、どうなんでしょうね。

とんちんかん小僧 - 2002/03/27(水) 02:32<

クラシック・カルテット『Bond(ボンド)』、日本初コンサート

今日(日付けは変わったけど)、大阪国際会議場へ日本で初のコンサートの初日を見に行きました。
セットリストは、夢中になりすぎていて覚えていないです。
あまり良い席ではなかったですが(リカちゃん人形よりも小さかったなあ〜)、“動”と“静”
の曲を半々ずつ演奏していたし、間が空いて退屈な時間があることはなかったし、MCをなるべく
日本人(大阪人等)に判るように「まいど」「おおきに」「(アンコールの曲をやる前に)もう
少し聴きたいですかー!」僕らが手拍子で答えると「ハーイ!」と言って、アンコール曲が始ま
りました。
他にも何か日本語で言って面白かったのですが覚えていません。

ボンドというバンドの由来は「きずな、統合」という意味だそうです。
メンバーは、ヘイリー・エッカー(第1ヴァイオリン・24歳)
      エイオス(第2ヴァイオリン・24歳)
      タニア・デイヴィス(ヴィオラ・25歳)
      ゲイ=イー・ウェスターホフ(チェロ・27歳)

音楽的には、ダンス/インストゥルメンタルです。
スパイス・ガールズやステップスによく似た楽曲があるし、元々古典的なクラシック曲もあります。
それらの曲がダンス・ビートの要素を加えることによって、より斬新なものに甦りました。
全くって言って良いほどに捨て曲或いは手の抜いた曲の無いのに驚きました。
必ず、我が国、日本でも彼女らは大ブレイクするでしょう!
彼女らは時に曲によっては、エレキのヴァイオリン、ヴィオラ、チェロで演奏したり、クラシック
の楽器で演奏したり縦横無尽に動き回って演奏していました。そのバックには、エレキ・ギター(
アコースティック・ギター兼任)、ベース、キーボード、ドラム、パーカッションが元気よく演奏
していたので、とても良かったです。
う〜ん、最高でした!!!

他のコンサート日程

3月27日(水)名古屋 愛知県芸術劇場大ホール
3月28日(木)川口  リリアメインホール
3月29日(金)横浜  神奈川県民ホール
3月30日(土)東京  オーチャードホール
3月31日(日)東京  オーチャードホール

(問)青山音楽事務所 03−3404−9111


行けそうな方、行ってみて下さい。
絶対後悔させません。彼女らのスーパー・プレイは、一度見る価値ありです。
僕も今回、見てハマリました。海外でのコンサートも見に行きたいとも思いました。
何だか、追っかけをしてる方々(色んな他のアーティストの)の気持ちが今回判ったような気が
しました。

バリ師 - 2002/03/27(水) 01:03<

春の雨しとしと・・・

■にっちょさん:父親の残した道具箱に「土佐丹吉鉤」がありました。今でも販売しているのでしょうか?風の王国の方に写 真を載せておきます。

■東沢さん:私は魚釣りが好きなんですが、東北の竹魚篭はどないなんでしょうか。昔、岡山や鳥取の田舎の釣り道具屋ではなく雑貨屋さんに、ごく稀に埃を被ってぶら下がっていることがありました。ハエジャコの大きな津山ビクも見かけなくなりました。

■ヤナギムシさん:ほないっぺん山笑うころ、渓流釣りに行きまほか?海でも川でも、釣りをしている時は少年に戻っておりますな。

やなぎむし - 2002/03/26(火) 23:47<

へんら・へらへら・かんら・からから

今日は、磐司と桐の花やすみます

 きょうは、ヤナ・・けっけけ・・のんでますよん
熊野の酒飲みヤナの・・戯言です!!
  私の友達きょうで、6日も会社休んでます・・
  昭和28年生まれの奴は・・会社におもくそ・・使われてます
    メヌエルとちゃうかって・・人はゆうてます・・

 おい、会社は死ぬまで、おまえのこと・・見てくれへんデーーー
    そないにゆうたりました

 会社に戻ったら・・デスクの上・・山積みになってるやろーーー  やてえ・・

ふと・・考えた・・わしらなんなんやろ??

  上場会社に勤める・・やつにたいして!!!!!!!!


      便所にがまかつのカレンダー吊ってます

雪解けの、山んなかで・・ヤマメやろか・・釣ってます・・

 あいつと、昔剣沢下って・・山を歩いたとき
   こんな、おっさんになるなんて・・考えもしなかった
     バリさん、やったら・・どないおもうやろ??

  熊野の風に吹かれながら・・
      なんか・・問いかけられてる・・やなぎむしです

ヤゾ− - 2002/03/26(火) 21:45<

親バカだったみたい?

楽遊原さん はじめまして!
ここに寄せられた情報により発見があったり
なにかのお役に立てることがあれば幸いです。
東北のサンカにお詳しい方もいらっしゃるような気もします。
今後とも よろしくお願いします。

にっちょさん 手打ちの釣針を使うあたりが凄いような気がします。
釣の体験談なんかもお聞かせ下さい。

おユキちゃん お久しぶりでした。
去年、ヒナ鳥を頻繁に観察した簡単に中が覗ける巣箱にはまだ営巣してません。
いくら懐いていたとはいえ、あれだけ頻繁に巣箱の蓋を開けて覗かれたから、
流石のピーちゃんも勘弁して頂戴って感じなのかも知れません。
親バカ過ぎたのかも知れません?
そのかわりにロフトの窓の上にある巣箱には一番懐いていたピーちゃんが営巣してくれています。
普通、懐いていたヤマガラでも、巣箱に出入りするのを見られるのを嫌がるみたいですが、
そのピーちゃんは僕がジーと見ていても頻繁に出入りしています。
少し前まで、巣箱から出て直接手に乗ってきたこともありました。
可愛いヒナ鳥は僕も見たいので、
なんとかして写真を撮ってやろうと目論んでいます。
ピーちゃん ゴメン!

GAINAさん tuyaさん ヒヨドリの写真 見たいです。

ヤナさん 「万事休す」 って万治のことですね?

楽遊原 - 2002/03/26(火) 21:00<

溜飲下がりました

はじめまして、大変興味深く拝見しました。
なるほどそうだったのかと、手を打ちました。

藤沢周平著【春秋山伏記】という短編集に<人攫い>という作品が
収録されていますが、その中に[箕つくり]という呼称で山窩が
登場します。

解説欄にその補足があって、「山窩の北限は出羽三山一帯であり、
湯殿山の坂道に撒かれた銭なだれを起こす賽銭は、箕つくり達の
収入として黙認されたいたという」。とありました。

私はその近辺に在住の者ですが、読んだ当初はそのバックボーンが
解らず、身近な年配者に訊いたりもしましたが、その範囲では知る
人はいませんでした。
いつの時代頃までサンカと呼ばれた人達が、この出羽三山界隈に存在した
のか興味が湧くと同時に、作品中には、[天井に煤けた太い梁が見えた…]
といった具合に山中深く山窩の”村”が描写されています。
定住しない漂白性の人々という定義を考慮すると矛盾も覚えます。

それらにくわしい方居られましたら、教えていただければ幸いです。

tuya - 2002/03/26(火) 17:44<

ヒヨドリ

GAINAさん、おユキさん>うちのマンションでも毎年ヒヨドリの雛が巣立ちます。
そしてヒナと親鳥が、マンションのベランダで飛行訓練をします。ヒナは人なつこくて、飛行訓練の際に通 路側におちた時は、マンション内のいろんな住民や子ども達に触られていますが、平気です。でもあまり触ったらいけなんだろうけど・・・。
 一度手すりに、ヒナが2羽寄り添ってとまっているのを見つけました。そ〜っと近づいてみると、上の階で親鳥が心配そうに見張っているのが見えたので、手を伸ばすのはやめました。

 全然話は変りますが、きょうKIOSKで「名字の謎」森岡浩著(新潮文庫)という本を見つけたので買いました。名字とルーツの関係ほか、名字にまつわる様々な「おもしろ知識」が書かれています。耶耶さん、あかねさんの提供された話題に触れる内容もあったように思いますが、さ〜っと読み流しただけなので、細部がまだ頭に入っておらず、紹介できないのが情けないです。。。(-_-;
 その本の中で紹介されてた珍しい名字で「小鳥遊」というのがありました。「たかなし」と読むのだそうです。鷹のようなこわい鳥がいなければ小鳥も遊べるだろう、というところから、そういう読みになるのだそうです。

 もっと関係ないけど、日本人男性で最も多い名は「ひろし」だそうです(笑

おユキ - 2002/03/26(火) 12:55<

巣篭もり

ヤマガラのピーちゃんたちの巣篭もりが始まったのですね。
例年より早いみたいですね。
また可愛いヒナ鳥の写真が見られたら嬉しいです。

GAINAさん、はじめまして。
鳥好きの私には堪らないお話です。
ヒヨドリ元気になって良かったですね。
写真が楽しみです。

ヤナさんの語り口調、良いですね。
楽しく読ませて頂いています。

にっちょ - 2002/03/26(火) 12:22<

土佐の丹吉

あかね様、おひさ。
「闇の日本史」の方ではお勉強させて頂いております。
こちらにもチョクチョクとお顔が見えず、寂しい思いをしておりました。
久しぶりの、「あかね節」やはり良いですね。

ワタシ余り専門的なことは書けませぬけれど、いろいろな情報の中で新しい発見のあったとき
この喜びはとても大きく、夢を膨らませてくれます。
これからも沢山、産鉄、タタラ、書いてくださいね。

ちなみにワタクシが磯釣りで使用しているハリが土佐の丹吉と言う手打ちのとても具合の良いものです。

やなぎむし - 2002/03/26(火) 00:30<

磐司と桐の花・・2

あああああ・・
  磐司ありがとう・・私は・・このやまのかみなのです!!

  おんなは、山の神であった・・「苦しいところを、たすけてもろた」
こんなうれしいことはない・・この礼に磐司おまえに、この山の幸を授けよう・・

  磐司は、ただ立ち尽くしていた・・
    そして・・山の神はさらにつずけた・・
  「磐司、これから・・おまえが山に入ったら・・磐司、磐司と自分のなまえを唱えよ」
  「それが、山の幸の手形なのです」
           ぞんぶんに、山の幸をとればよい・・

「それにしても、憎きは万治・・苦しんでいる者に、水の一杯も酌んでやる気のない男に」

  「もう、山の幸はやれん」・・・・・
        
   それからとゆうもの、いままでとは・反対になった
磐司が山には入れば・・獣は、思い道理にとれた
 
 一方、万治といえば・・どんなに山を駆けめぐっても、一匹の鹿さえとれなくなったのであった

磐司は、山の神のお礼に、12日は山の神の祭日とし、山にはいらんよおにした
 12とは、12人の赤ん坊にちなんだという・・

さて、磐司は山の神に守られて・・りっぱな・・マタギになっていった

                  ・・つづく

GAINA - 2002/03/25(月) 22:21<

御礼

ヤゾーさん、こんばんは。

餌についてのサイト紹介ありがとうございました。
元気に餌を食べています。
産毛のような尾羽が生えてきました。
音楽への反応が、他の音よりも敏感で首を傾げて聞き入っています。
また、画像掲示板で紹介させていただきます。

ヤゾ− - 2002/03/25(月) 21:55<

杉は花粉は黄色で檜は白いです

あかねさんも花粉症だったんですか。
ほんと 花粉庁でも開設して対策して貰いたい気分です。
杉と檜の花粉って色が違うの知ってます。
少し前までクルマのフロントガラスに薄らと黄色いものが積もっていましたが、
今では白いものが積もるようになりました。
山小屋は檜の山の中にあります。

tuyaさん 僕もひきこもりなのかも知れません。
山小屋を建てているときにはまさか5年は住むことはないと思っていましたが、
山にひきこもってはや7年になりました。
杉や檜の花粉にもめげずに暮し続けているということは、
よほど楽しいことでもあるのでしょうか。

ヤゾ−@出先からでした

tuya - 2002/03/25(月) 19:04<

ひきこもりも自然の機能

 独り言風で失礼します。 
 
 私は一か月の間の気分の波が、かなりハッキリしてるほうだ。
 で、今は「ひきこもり」の時期。
 この「ひきこもり」の時期を「落ち込み」あるいは「鬱」の時期と解釈していた頃は、この時期を通 過するのが不快だった。でもいつの頃からか、「ひきこもりの時期」とは「物事の異なる側面 を味わう時期」だと気付くようになったので、この時期を迎えるたびに、自分自身を観察して楽しんでいる。
 気分が高揚している時期には、仕事帰りのウォーキングの時間などは、次々湧いてくるアイデアに気をとられているので、周囲の風景など見ているようであまり見ていない。頭が、活発に「考える」ほうに集中している。でもエネルギー不足の今の時期は、「考える」ことが面 倒で、様々な印象を「受け取る」ことが楽しい。
 そんな今日の夕暮れに見つけたものは、つくし。
 閉鎖したガレージの隅、砕かれたコンクリートと一緒に盛られた土から、つくしが何本か伸びていた。茎のシッカリしたつくしだった。昨日だったら、きっ見逃していたに違いない。
 ・・・この土は、つくしの里から運ばれてきた土なんだな・・・。

 気分がトーンダウンしているときにこそよく見えるものは、他にもたくさんある。周囲の人々の、こまやかな心の動きによく気付いていられるのも、こういう時期だ。自分は元気なときには、バイタリティの塊のような人間なので、時々「自分の存在感というのは、おとなしい人々にとっては邪魔なんでないか?」などと気になることがある。それで、注意して自分の言動をコントロールしている。しかし今日のような日は、抑制しなくても自然に、沈みがちな人たちとも波長が合ってくる。
 不思議なことだけど、離れたところに住んでいる友人にも、こちらのペースが伝わっているんじゃないかと感じることがある。元気なときには、活発なタイプの友人からあれこれ楽しいお誘いの連絡が入ってくるし、ひきこもり時には、沈みがちな友人からの長電話やメールが入る。
 彼女達には、私の姿は見えていないはずなのに。人と人って離れていても、目に見えない次元でも、いろんな交流をしてるんだな、と思う。
 でも、こんなふうにリズムが合ってるということは、この人たちとちゃんと上手くやっていけてる証拠だナ。そう考えると、ほんわか胸が温かくなる。

あかね - 2002/03/25(月) 18:18<

ご無沙汰でした

ヤゾーさん
 ご無沙汰でした。花粉症の具合はいかがですか?くしゃみはおさまりました?
 私は杉花粉が苦手だと思ってましたが、どうも檜花粉が特にダメなようです。従って今、目が痒いわ、
 くしゃみがでるわで結構、悲惨です(T_T)。目を洗ったり、甜茶を飲んだり一応、努力はしてますが…。
 ほんで、またまた鋳物師話で失礼しました。好きなもんでついついって感じですm(__)m

東沢美史さん
 牛のエサをエサ箱に分け与える際、竹箕が使われてたというお話、面白いですね!縄文牧畑(里山を焼畑
 した後、山で牛馬を放牧する)に由来するかもしれない、牛重視が残ってるのかなぁと驚きました。
 兵庫県各地にも、何箇所か古くからの竹細工産地がありますね。有馬よりも古い産地が今でも神戸市内に
 あるようです。丹波はもちろん、播磨や但馬にも確か産地はあると思います。また聞いておきますね。
 因みに但馬・豊岡市周辺の特産品、古い由来を持つ楊ごおり生産は、市も力を入れているようです。

turukotさん
 お気遣い、ありがとうです(^。^)。筑前芦屋の鋳物師・大江ですか。面白そう。確か大江山周辺等にも
 いた大江朝臣縁の大江系だったりしたら楽しいな。地域は異なりますが、芦屋釜と同じ芦屋地名なのも
 何か面白い感じがします。調べて解らなければ、また是非、お教え下さいね!
 >エミシ→産鉄・「俘囚」鍛冶関連でなんか接点ないかなと思っています。
  鍛冶集団がいた事で知られる地域の近くには、隼人地名がよく残っているようです。それは、穴師
  兵主や八幡社配置と重なってるみたいに思います。うろ覚えですが、中部地域辺り等の産鉄地域周辺
  にも俘囚配置がなされていたようです。佐伯や犬養等と絡むのか、地域はどこだったのかとか、
  すっかり忘れててごめんなさい。自信のない話なんで、迷子中の資料が見つかったらご報告しますね。

とんちんかん小僧 - 2002/03/25(月) 12:23<

本の紹介です

漂泊者のノート<思うことと生きること>  法研より発売です。
本体1500円
著者:五木寛之・斎藤慎爾

○漂流する作家と異端の俳人によるアンソロジーの冒険。人間・世界・時代を巡り
時と共に輝きを増すフレーズに託し思索の海へと誘う詞葉集。

法研のHP
http://www.sociohealth.co.jp

面白そうなので読んで見て下さい。

ヤゾ− - 2002/03/25(月) 07:55<

あかねさん お久しぶりでした。
鋳物師のお話し とても勉強になりました。
ありがとうございます。

GAINAさん それはご苦労様です。
参考になりそうなページ見つけました。
ヒヨドリの写真 また見せて下さい。

http://www.aurora.dti.ne.jp/~phew/py.html

東沢さん 箕はいろんな場面で使いやすい道具なんでしょうね。
軽くて丈夫で柔軟性があって、
それに天然の物だから最後は自然に戻ります。

turukotしゃん 木酢液配合のシャンプーがあるみたいですが、
そのままだとキツ〜イ酢酸なので、
薄めて使えば良いかも知れませんね。
責任はもちましぇん!

耶耶 - 2002/03/24(日) 21:16<

忘れました

メアドが表示しないのですね。
yaya@hat.hi-ho.ne.jp

耶耶 - 2002/03/24(日) 21:14<

鋳物師の系譜

あかねさん、情報有難うございます。
大変参考になり、また同系のお仲間がいて嬉しいかぎりです。

わが祖の家系図には、南河内より発祥、近江経由で、江戸初期に伊勢・安濃津に
移住したとの記録があります。同姓の会合があるようなんですが(私は知らない)、
家紋が柏みたいです。わが先祖の家紋は違え鷹の羽ですが、これは女性紋だからで
しょうかねえ。
メアドいれときましたので、情報があったら、また教えて下さいませ。

turukot - 2002/03/24(日) 20:02<

石鹸使っているのですが。。。

ヤゾーさま〜

そうですか。ご教示ありがとうございます。
>turukotしゃん ご存知かも知れませんが、
>市販されている殆どのシャンプーを使うと禿げやすくなるそうです

お返事遅れまして。。
実は、お金をケチるために(-.-;)石鹸使っていたのですが、
にもかかわらず!石鹸には抜け毛チョロチョロ
風呂上りなのにフケがボロボロ(げげぇ〜〜)

何故何故??なぜなんだぁ〜〜!!(慟哭)

例の薬を使ってからとりあえず止まっています。
今は薬用石鹸で洗ってからつけているのですが、殺菌剤はヤバイかな〜〜。

炭シャンプーですか?家に備長炭で作られた木酢液と
いうのがありますが。。。え、それはダメ?

あかねさま〜

え?そんな遠慮されなくとも。
私、非常に勉強になっています。筑前芦屋に大江という鋳物師が
いたというのを憶えていますが。。。

エミシ→産鉄・「俘囚」鍛冶関連でなんか接点ないかなと思っています。
素人の浅知恵ですが。

東沢美史 - 2002/03/24(日) 18:53<

八岐のオロチ・中国地方の竹細工、岡山編

東北に住む私にとって行ったことのない、出雲・中国地方は馴染みが薄いけれど出雲風土記、スサノオはとても気になる世界です。
この出雲の神話が山窩の始祖とどうゆう関係にがあるのか、八雲たつ古代への道のりは遥かに遠いけど、
僅かでも解明すべく中国地方の竹細工品で考えてみました。 岡山県の竹細工産地で有名なところといえば勝山町月田の真竹細工です。
この地区はとにかくいろんなところで熱心にPR活動をしてるのが特長で、
我々東北の竹細工に従事してる者たちも中国地方靴竹細工といえば真っ先に勝山町を思い浮かべるのが普通 でしょう。
地方自治においては、竹細工産業の保護を考えて国有地・民有地の竹山を守ることを念頭に開発計画を立ててるところなど少ないです。
むしろ、竹細工など近代化の足かせとばかりに一気にゴルフ場や工業団地にしてしまったりして、
昔の人々がていねいに選別して素性の良い竹だけを植えて増やしてきた貴重な竹やぶの多くが、消えていきました。
その点、自治体や商工会なども後ろから暖かく長年にわたって支えてくれてる勝山町の竹細工はうらやましいです。
全国の自治体が見習うべき産地といえます。 さて、本題のスサノオと竹細工との関係なんですが・・・。
いまから15年くらい前でしょうか、岡山県の肥育牛農家の牛にエサ(飼い葉)をエサ箱に分け与えるのに、
なんと竹箕が使われてた映像をNHKのテレビで見ました。
私は岩手前沢牛の肥育牛農家を水沢を中心に売り歩いていますが径・高さともに60cm前後の、
おわん型の大きなざるを買われる農家がほとんどでして牛用に箕を購入した方なんていません。
確かに箕はエサを分け与えやすい形をしていますが、意外でした。
牛がスサノオの化身だから竹箕でおもてなしということは、まず無いでしょうが・・・。
いつか桃太郎の鬼が島に近い郷土資料館で金山に関する竹細工、わら細工を実際に見に行きたいです。
そうすれば、もっと良い推理ができるかもしれません。
今回はとても解明に近づいたなんて言えないけど、岡山の肥育牛農家で使われてる竹箕で考えて見ました。
次回は鳥取県の竹細工品で考えて書かせていただきます。

GAINA - 2002/03/24(日) 18:36<

餌を教えてください。

こんばんは。

今、小鳥のホスピタルを開業しています。
尾羽が抜けて飛べなくなったヒヨドリのリハビリを行っています。
以前にも巣から落ちたヒヨドリを飼ったことがあるのですが、
今度は、体も大きく食欲旺盛なヒヨドリです。
ヒヨドリは慣れやすく、2日間で手から餌も食べるようになりました。
餌は、バナナ、リンゴなどの果実、かしわ、豚肉などの肉類も与えています。
昆虫も与えたいのですが、探しに行くことが大変ですので、
暖かくなるのを待ってと思っています。
みなさん、ヤゾーさん、いい餌があればお教えください。
全快すれば自然に帰しますが、また餌をねだりに来るのを楽しみにしています。
餌の件、みなさま、よろしくお願いいたします。

tuya - 2002/03/24(日) 15:47<

春の生命力と人々の悲しみと

 今日の午後、出先で、あるおじさんの話をじっと聞いていました。
 そのおじさんは、非常に辛い生活を強いられてる人でしたが、人なつこく、とても明るく振舞う人でした。
 おじさんは私たちに、明らかにホラ話だとわかる話を延々と聞かせてくれました。時々冗談を交えて大げさな口調で話すそのおじさんの話は、それなりにおもしろく、引き込まれるものがありました。
 そういうわけで、私たちは適当に相槌をうったり、ときには相手を調子に乗せたりしながら、おじさんの話につきあっていました。
 おじさんの後方には、新芽が顔を覗かせた春の木々が、そよ風に揺れていました。
 私はおじさんの話に耳を傾けながら、生命力溢れる春の木々をぼーっと見つめていましたが、ふと、大きな悲しみに包まれるのを感じました。それは、私個人の悲しみではなく、おじさんの心の奥底に隠された悲しみが、私のこころに触れたのでした。
 そのとき、私の体はおじさんのふざけ話に同調し、心はおじさんの隠された悲しみに同調し、魂は春のエネルギーに同調していました。
 悲しみと至福が入り混じったような、ちょっと不思議な感覚でした。

あかね - 2002/03/24(日) 15:37<

鋳物師A

 無論、河内鋳物師は江戸初期にも各地へ移動しておりますが、耶耶さんのご先祖の場合は、北畠重臣と
同じ特徴あるお名前ですから、その重臣氏族と同系の氏であったか、またはその氏に関った氏や関る地に
いらしたのではないかなと思います。或いは、河内鋳物師離散期でもある応仁の乱の頃に北畠配下となら
れたか、更にはそれ以前の北条氏時代から、今の市におられた可能性もあると思います。北条氏は鍋窯・
軍器等の鋳造技術を持つ鋳物師を主に領国各地で保護し、各種特権も与えたそうですので、北畠氏も伊勢
でまずは専門技術者を配下にしたでしょうから。加えて河内鋳物師の中には、戦国期等に山岳武士や武家
となった家もあるようですし。つまり江戸初期以前から、鋳物師技術を伝えておられたのではないかと。

 市史にご先祖のお名があるという事は、古くからの鋳物師の場合、鋳造した釣鐘等に銘が入っていたり、
寺(鋳物師は山岳寺院を盛り立てた)の古文書や、藩への上納文書や諸役免除文書などにお名前が残って
いるのだと思います。ご先祖が河内鋳物師とされているのかどうかは、市史やそれらに出て来る鋳物師名
からある程度、解ります。鋳物師家の登録商標とお考え下さい。各地の鋳物師の殆どは河内鋳物師出身で
あるとし、河内鋳物師代表家・109人の名を、大抵はずっと名乗っておられますので。

 鋳物師と木地師の結婚なのに差別されたとの言伝えについては、鋳物師は古代から、蔵人所灯篭作手と
して地位が保障され、江戸期にも職業上の特権が認められており、鋳物師支配の紀氏系下級公家・真継家
の支配を本望とせずに、各藩の認知を得て藩お抱えとなった例も多いからだと思われます。体制の末端
でも、安定した地位にありましたので、刀鍛冶の立場とある種、似てるかもしれませんね。

 本来はメールさせていただくべき内容だと思います。皆様、自己満足の世界で申し訳ございません。
以後、控えさせていただきますねm(__)m。耶耶さん、推測話で失礼しましたm(__)m。
うちは、母方曾祖母の実家の本家が河内鋳物師で、遠いけど鋳物師に愛着を持っております。

あかね - 2002/03/24(日) 14:37<

鋳物師@

耶耶さん
 初めまして。ご先祖の氏族について殆ど存知ないので、具体的には解らないながらも、お書きの内容
から推測される事柄が少しありますので、記しますね。あくまで推量ですが…m(__)m

 まず、在原業平の父は、後世に大江朝臣や毛利なども祖としてますから、ご先祖も産鉄(ハニ・土師含む)
と関り深い氏族だったと考えていいかもしれません。もしもお名前が“墓”という意味であるなら、特に
土師・ハニ氏系と云っていいかもしれませんね。大江朝臣は、伝・出雲臣族土師氏流(土師本主子)で、
土師本主の妻を業平の父の侍女と伝え、平城天皇・第一皇子の胤にして土師氏に養われたか定かではない
ものの(収録氏族一覧表HPより)、私は土師職に関っていた可能性自体はあるのではないかと思います。
この第一皇子の名前は、どうも産鉄地名とも関るようですし。
 在原業平の子も、何の匠か忘れましたが棟梁をしていたそうです。棟梁とは今で云う大工だけではなく、
全種類の職工の棟梁を大工と云ったので、当時は必ずしも棟梁=大工棟梁だけではないのです。業平の
子は、土師や鋳師(鋳型に用いる土との関係で鋳物師と土師は技術に共通性がある)等、だったのかもしれ
ません。しかし古代には、名大工が鍛冶や鋳物師から出ている例も多いため、業平の子は土木建設工事に
関った大工職や、或いは大工職を率いていたのかもしれません。また、業平の腹違いの兄は行平で、行平
鍋の名は、塩作りの窯に由来するので、何となく鋳物師であった可能性も捨てがたいです。

 三重で江戸初期より鋳物師をされていたというと射和か、桑名ですか?もし、この2地域辺りの鋳物師
であられたならば、『河内鋳物師』ご出身である可能性もあります。竹内古道にほど近い大阪府美原町や
狭山町(河内国丹南郡狭山郷日置庄周辺)は、全国鋳物の発祥地とされ、この地出身の河内鋳物師は、古代
から中世にかけて全国へ出職・定住し、三重へも移り住んだそうです。河内鋳物師の最盛期は12〜14世紀
で、全国への離散は応仁の乱以降ですが、その起り自体は、飛鳥宮工房にいた百済からの渡来技術者・
錐盤(ロバン)博士や瓦博士等、或いはそれ以前の倭鍛冶等の産鉄民とも関りがあると思われます。
 因みに鋳物師に百済系姓として藤原が多いのは、後に大阪・枚方市藤原で河内国惣官鋳物師となる家の
一つ(天命某)が京都へ出ていて、12Cに近衛天皇から藤原姓を賜ったことに始まります。真偽の程は確か
ではありませんが、藤原姓を賜った根拠は、賜る以前から、産鉄民としての藤原族系が元来、鋳物師に
多かったことを指すのかもしれません。少なくとも平安中期迄は位に関らず、藤原を名乗る族は全て末端
まで同族だという意識が広くあったそうですから。木地師の場合、花山天皇を祖としますが、こちらも、
同様に考えていいのかもしれませんね。                      〜Aへ続く〜

ヤゾ− - 2002/03/24(日) 11:30<

よよよ

なにかよそよそしかったヤマガラのピーちゃんたちでしたが、
いよいよ巣篭もりが始まったようで、
僕のことなど見向きもしてくれません。
よよよ なんか寂しいな〜
タヌコに走ってやる!

「平成狸合戦ぽんぽこ」はタヌキのことをよく観察して描いていますね。
うちのタヌキはもっと可愛いけど。
親馬鹿でしょうか?

やなぎむし - 2002/03/23(土) 23:16<

磐司と桐の花・・1

昔、陸中の国に、二人のマタギがすんでた。
一人を万治よいい・・もう一人を、磐司とゆうた・
 よく似た名前のふたりやったけども・・二人はどこもかも違っていた!

万治が、山には入れば、獣とゆう獣を思うままに仕留めるんやった・・
 それにひきかえ磐司ときたら、ほんまあかんのんえすわ
   山に入っても獣という獣は穴を、ペンペンたたいて、逃げていくんですわ
そんな、磐司やから、万治にも村人にもばかにされとったんよぅ

 ある日のことやった。
万治が、山に入っていくと、美しい女が、岩にもたれ掛かって苦しんでたんや
 女は万治を、見ると、「お願いです。子供が生まれそおなんです」
  「喉が渇いてなりません・・水を・・」とたのんだんやて
 すると万治は、顔色を変えて、ぺーっとつばを吐き・・ゆうたんやて

 「とんでもねえ」「おらたち、マタギは死人の汚れより、産の汚れをきらうだ」
  「 チェッ、今日の仕事は、もうおしまいや」  と言い捨てると、
    振り向きもせず、山を下っていってしもおた。

しばらくすると、こんどは、磐司が、やってきた。
 磐司は、女を見ると、たまげて、そばによってきた・・
「どないしたんや、えらく苦しそおやが?!」とやさしくたずねた
おんなは、やはり水を求めた・・
  「お願いです・・水・・を・・」

 磐司は、すぐに走り出すと・・木の椀に一杯、谷川の水を、くんで引き返してきた
  すると、その間になんと女は、12人の赤ん坊を産んでいた・
そして驚いたことに、その赤ん坊たちは、生まれたばかりやのに・・
  はいずり回ったり、アウアウとゆうたり、してあそんでいるやないか・・
磐司は、たまげてしもて・・「なんちゅう、強いわらしなんや」と思わずこえにだしてしもた

 そして、その女は、ゴクゴクとうまそおに・・水を飲んで言った

 そのとき、木々は、ざわめきだした・・あんなに晴れていた空はにわかに暗くなったかとおもうと
木の葉がゾーーーーーっと舞い上がった
磐司はなにが起こったのか、わからなかったゴーーーーォ
  ズザアアアーーー
      磐司は、うろたえた・・そして・・女を・・みた・・そのとき!!
               大きくピカーーっと光った!!

            「うあーーーーーーーぁ」磐司は、恐怖のあまりに叫んだのやった!!



                          ・・・・つづく
                        

tuya - 2002/03/23(土) 21:13<

わたしも買おう

今日はドライブに出かけました。桜のトンネルをくぐりました。

蜜柑さん>私も買います、歴史読本♪

とんちゃん>わたしも十津川のホテルで炭シャンプーを知ってから気に入ってしまい、家で使ってます。炭入り石鹸シャンプーです。たしかにリンス効果 ありますね。最近炭に凝って、洗顔石鹸まで炭の真っ黒なの使ってます。十津川のホテルで炭シャンプー以上にびっくりしたのは、お酒の化粧水。「日本○」の銘柄の化粧水で、顔にふりかけるとお酒の香りがします。酔いそうでした。ヤナさんだと、飲んじゃうかもしれません。

ヤナさん>お話はメールで紹介していただけるのですか?ここで紹介してくれるのを期待してるROMの方々もたくさんいると思うけど。。。

ヤゾーさん>高畑勲監督の「平成狸合戦ぽんぽこ」の中で、狸たちが産児制限に取り組むが結局失敗してしまうシーンを思い出しました。あの映画好きで、なんど見たかわかりません。

あおき - 2002/03/23(土) 15:33<

蜜柑さん歴史読本買いました

ザスクープも担当してるんですか あれは中村敦夫 地球発22時から脈々と続く
良い番組ですよね 今日も見ました 岡本公三が出てましたね
イスラムをアメリカ側から見るのでは無く 中立な見方を心がけていました
鳥越さんも 中村敦夫の鋭さに巻けてないっすよねー
これからも サンカ研究がんばってください 三角の愛人小屋にも行ってみたい
今年は飲みましょうほんやら洞で

ヤゾ− - 2002/03/23(土) 07:45<

桜も満開 タヌキもいっぱい

東京では観測史上最速で桜が満開したそうですね。
こちらでも例年より随分早くから桜が咲き始めました。
地球温暖化に大きく作用する二酸化炭素(CO2)濃度が、
過去最高になっていることをニュースでやっていました。
確実に地球温暖化が進んでいるようです。

都会ではタヌキが増殖中だということです。
都内で子タヌキを連れた姿が目撃されているそうです。
『田舎ネズミと都会ネズミ』という話しがありましたが、
田舎タヌキと都会タヌキという話しも生まれそうな昨今です。
寝過ぎて何書いているのか分りません。

蜜柑さん 「歴史読本」読ませて頂きま〜す。

tuya - 2002/03/23(土) 07:19<
>ヤナさん>tuyaさんとんちゃんは・・古い時代なんてかんけいないよね!!

とんちゃんと同世代にしていただいて光栄です(笑
じつは私は、史学科卒だったりします。

とんちんかん小僧 - 2002/03/23(土) 01:51<

炭シャンプーは最高です!

>シャンプーを使うと禿げるみたい!

僕も高校時代、全くってことはありませんがシャンプーなしの石鹸洗いで、すましていました。
その頃は、別に頭髪に気にはかけてませんでしたが、なぜかあまり使用しなかったです。
抜け毛も殆どなく、髪に艶と張りが誰よりもあったように思います。
すごく弾力性があり、フサフサ頭でした。
でも大学入ってからは、シャンプー→リンス→コンディショナーを使うようになってから抜け毛が
増えたような気がします。
ここ数年は、石鹸で頭髪をゴシゴシとほぐすようにマッサージしてから炭シャンプーというアミノ
酸系の最強のシャンプーを使用しています。もちろん、抜け毛が(ほとんど)無いです。
これオススメです。これがあれば、リンスは必要ありません。
たしか、美容室で売っていると思います。普通のお店には置いていなかったと思います。
どこの温泉かちょっと忘れましたが、温泉にも炭シャンプー置かれているそうです。

やなさん・・そんなことないよ。
僕も今時の若者だけど、古い時代のことは絶対忘れてはいけないし、風化させてしまう
ことは許されないことだと思ってますよ。
だから、古い話とても興味があるし、そういう話を一杯聞いて後の世に伝えたいと思って
いますよん。

やなぎむし - 2002/03/22(金) 23:03<

やなでーーーす

蜜柑さんの投稿なんですね!!
  読ませていただきますよん!! 
 
 重く苦しい、人生なんて!!なぜか・・何かを考える自分!!
    紋次郎さん・・nonさん・・人のこと考える余裕なんて・・おませんよね
バリさん・・遊び心なくなったら・・もお・・あきませんよね

蜜柑さん・・現実や過去の事実ってごまかし効きませんよね

  tuyaさんとんちゃんは・・古い時代なんてかんけいないよね!!
      かといって・・モンムーさん・・過去のことしりたいですよね

昔話で過去のこと・・思ってみたいです!!

          こんばんから・・松谷みよ子さんの作品ヤナ風でお送りします・・

 OKの方・・やなにメールくらはい・・
   責任もって返信は、よおしませんけど・・気が向いたらしますのでよろしく

それでは、磐司と桐の花・・のお話

       始まり始まり・・・チョン




  昔・・陸中のくにに、二人のマタギがすんでいた・・!!!!

歴史読本 - 2002/03/22(金) 20:09<

ここをチェック

http://www.jinbutsu.co.jp/rekidoku/0205m.htm

蜜柑 - 2002/03/22(金) 20:04<

お知らせ

本日発売の
「歴史読本」に
サンカと三角寛に関する
興味深いエッセイが有りました。
著者は・・・・・・・

ヤゾ− - 2002/03/22(金) 13:55<

シャンプーを使うと禿げるみたい!

>お、三重って百済気化系が多いのね、と思いました。

耶耶さん 今なおファンが多い異色の歴史家・ 八切止夫氏の説によれば、
尾張・伊勢には原住民系の八の民も多いとも言います。

turukotしゃん ご存知かも知れませんが、
市販されている殆どのシャンプーを使うと禿げやすくなるそうです。
ネットを始めた頃に、そのことをある方から教えられてから2年以上、
シャンプーを使って髪の毛を洗わなくなりました。
たまに温泉に備え付けのシャンプーを使うことがありますが、
普段より痒くなったり抜け毛が増える気がします。
そういうことで石鹸か水だけで洗っていますが、
なんの問題もありません。

山小屋の前にある桜もちらほらと咲き始めました。
今年は例年よりとても早いです。

turukot - 2002/03/21(木) 23:24<

桜・菜の花咲いてます〜

やなさま〜

悲劇の八郎(ん??ハッピーエンドですが??)えがったです〜
最後はなんと辰子姫と?!
そういえば田沢湖辰子姫もおったげなと思っていましたが、
関係ナイだろうね〜(?)と思ってコメント書かなかった(?)です。

ちなみに辰子姫像に抱きつきたいと(雫石川の御所湖のシオンの像に
抱きついたことが。。あ、大学時代の先輩だった。。)考えたことが
昔ありましたが、あの辺近づき固いところに立っています。

最後の話はなんだか じ〜〜ん ときましたよ。うんうん(-_- )
夫婦愛ですか。ある面、悪者にされがちな2人だったけど2人は土地の
者ですからワルモンなんかではないですよね。

えがったえがった。。

ところで、八郎の腹をくすぐった魚ですが。。。
今は80cm〜1mぐらいの大きな鯉となって釣り上げられたりします(笑)。

とんちんかんさま〜

わたしは、注目されていない薬効がないかなーなんて思っていますが。。
薬師堂のある温泉(大概あるんですかね?)はどうですかな?
目には効くんだろうけど。。。
いやや、あっしの場合副作用が大きいかも。身体そのものでなくて。

ところでリアップは抜群ですかえ?ご教示をありがとうございます。
今、あっしはNFカロヤン アポジカ・シグマを使っております。
そんなに深刻な方ではないと思うのですが(禿げる血筋でもないと思
うのですが)、こないだスーパージェルで固めて、鏡を見たら。。。。
ちとあせりました(-。-;)

耶耶さま〜

北畠顕家は1333年、鎌倉にて後醍醐天皇の院政が樹立されてから
陸奥守に命じられ奥州にやってきます。
で、小幕府のような体制を築くのですが、旧北条領の配分に悩ま
されるものの何とか体制を敷いていきました。

やがて南北朝の争乱勃発で顕家は和泉石津で戦死。顕信が継承し
ますが、足利勢に押され衰退、西根滴石(現雫石町西根)に一時後
退、足利勢の分裂に乗じて多賀国府を占拠しますが、没落します。

その後は私にはよく分かりませんが、顕家の子孫が落ち延びる伝承
があり、閉伊郡の山里に構えた袰綿御所の始まりはそれと言われて
います。また、顕家の姫君が落ち延びたという伝承もあるようです。

 

とんちんかん小僧 - 2002/03/21(木) 17:56<

僕はまだ気になってませんが・・

turukotさんの言うこと、すごく判りますが、そこには書かれていませんでした。
温泉って、イメージ的には体の痛んだところを癒してくれると思っているので温泉によって
は頭髪に効き目抜群の温泉あると思います。
従兄も20代後半で抜け始め心配しましたが、30代に入った頃にリアップが発売され、それ
を使用して見事に大復活しました。かなりビックリしたので忘れられない出来事です。
何年か前に新聞(多分毎日かな)で、アメリカ政府が「髪を生やそう、増やそう」
ってことで10年計画で研究することを発表しました。
僕自身も、それまでにもって欲しいと心から思っています。少ない方も復活可能だそうです。
それが今、どういう段階まできているのかは知りません。最近、20代半ばで既に無い方も
増えていることですし・・僕の友人の中には大学在学中にかなりヤバくなったやつもいました。
早く最高の誰でも使えて副作用の絶対起こらない、世界最強の薬が登場して欲しいものです。

tuya - 2002/03/21(木) 13:48<

春一番かな?

ものすごい強風です。やっと春一番かな?今年は春一番よりさきに春が来た、と言われてたけど。咲き始めてた桜が散っちゃうな〜。

ヤナさん>「悲劇の八郎」をファイルにしました。最初からのつながりで読み返してみます。小学校の道徳の教科書で、八郎潟の伝説が載っていたのですが、もっと単純なお話でした。元のお話はこんなに深いのですね。苦悩の極限を知った八郎が、ふたたび人間に戻るところに、なぜか無性に惹かれます。この伝説が、自分の何をこんなに揺さぶってしまうのか、じっくり考えてみようと思います。

耶耶 - 2002/03/21(木) 12:51<

ややこしいですねー

お返事ありがとうございます。また支離滅裂ですが書いてしまいます。

伊勢国司・北畠氏の出自は漫才師(万歳師)なんですか?
過去ログを読んでも新参者には難解ですね、ここ。でも凄く面白そうです。
私の先祖の苗字は北畠重臣と同じで、在原業平のお父ちゃんと同じ名です。
つまり墓、という意味なんでしょうか? 因みに江戸初期より鋳物師を
やっていたそうで、市史にも登場していますが、大正期に倒産したようです。
母方の祖父(養子)は宮川の上流で育ったようですが、本籍地が判明できない
ので恐らく木地師じゃないのかな?と思います。なにせ、大学を卒業した際
(大正時代ですが)、電力会社(中部配電)に勤務したとされてますから。
さらに、戸籍によると、この祖父の兄弟は3人で、全員認知子(庶子?)です。
名前はシダー関連の苗字です。鋳物師と木地師の結婚なのに差別されて養子
になったとの言い伝えがあります。
で、百済系かな? 父親の先祖も百済王気化系と書いてありました。
お、三重って百済気化系が多いのね、と思いました。

なんか、どの系がこうで、というふうなフローを作っていただくと分かり易いの
ですが。

ヤゾ− - 2002/03/21(木) 07:53<

耶耶さん はじめまして!
南朝を支持した北畠氏は、もともとは北畠の党という万歳師からでた一族だといわれているようですね。
台湾の少数民族ですか。
日本の統治下では、台湾の幾つかある山地原住民族の人たちを、
まとめて高砂族と呼んでいたそうですね。
サンカと関係が深いともいわれている隼人族なんかと、
台湾の山地原住民族の人たちは近い民族のような気もしています。
今後とも、よろしくお願いします。

ヤナさん 悲劇の八朗 面白く読ませて頂きましたよ。
また、新しいのを楽しみにしています。

やなぎむし - 2002/03/20(水) 23:51<

悲劇の八朗・・10

さぁーーーて!・・
  今夜は、八朗のはなしも、最終回です・・turukotさん・・の疑問も解けますかねーーぇ??!!

 ひゅーーーぅ・ドドドドドドド・
  ドプユーーゥ・・ドドドドド・・北に向いて話すことも出来ない!!
      冬の日本海ドドドドド・・北の海が大波をあげて騒いでいても、八郎潟はおとなしく
       静まりかえっていた・・

  八朗は、ただ静かに身体を水底に横たえていた・・

 水の中には、たくさんの魚が群れ、多くの水鳥たちがその湖面を埋め尽くしていた

  悲しみと苦しみに、荒れにあれた八朗の心からすべてが・・ 忘れ去られようとしていた
    水底で魚たちと戯れながら・・八朗は・・感じた!なぜか喉の渇きが・・癒されている!!
 
 「あはははっはは・・魚よう・・儂のはらくすぐるんやないよーーぅ」

  八朗は・・わらしのように、はしゃいでいた

八郎潟の主となり長い年月を湖底ですごした八朗が・・久しぶりに湖面に頭をもたげた・・

  すると、暗い闇の夜に途切れ途切れに笛の音が聞こえてきた

 なんと、胸に深く語りかける・・笛の音でわないか

          おおおおおおおおおおおーーーーー

いてもたってもおれなくなった・・八朗は笛の音に誘われるまま・・山野を越えていったのだった

笛の音は、遙か田沢湖から流れてきていた・・その笛の主は??????

   そこには、竜になった辰子姫が住んでいた
 辰子は、自分のあまりの美しさに容姿の衰えるのを恐れ
 永久の美しさをえようとして、神の怒りにふれ、竜になったむすめであった

かって人間であった辰子と八朗はたがいの出会いを喜んだ!!
  また、悲しく見つめ合い・・お互いを理解し合って・・夫婦の契りを結ぶのだった

すると、またしても十和田湖の主、南祖坊が嫉妬に駆られて・・美しい辰子を奪おうとやってきた
 
 またしても八朗は、南祖坊との激しいたたかいの日々となったのだ

しかし、八朗と辰子の絆は強くうち破られることは、なかった

   愛のために戦うことを知った八朗に敵などなかった!!
 このときから、八朗と辰子は人間の姿を呼び戻すことができるようになった
こうして人間に戻り、旅の姿に身をやつし、八郎潟から田沢湖にかよった八朗の物語は
今も、秋田のあちこちに残っている。
 八郎潟の主で、ありながら、長い雪国の冬を田沢湖で送る八朗であったから
主のいない八郎潟は年がたつにつれて、浅くなっていった

  一方の田沢湖は冬のさなかも凍ることもなく、年々深く、濃い水の色をたたえていると・・いう



  これは、秋田の古老のはなしである・・

              秋田県・岩手県の伝説・・・・瀬川拓男さんの本より


                              やなぎむし・・でした

turukot - 2002/03/20(水) 21:13<

やなぎむしさま〜

お話面白く読ませていただいております。
あ、ご丁寧にありがとうございます。逆にお気を遣わせてしまいましたようで
恐縮です。八郎潟はそうか、ン百年後だったんですね。私の記憶違いでした。

やなさんのお話口調は、八郎への親近感への親近感を抱き、お話に引き込まれる、
そんな不思議な魅力がありますね〜

印象的だったのは、八郎と南粗暴、いやや南祖坊との戦いですね。
。。。熊野権現、鉄草履、そして龍の八郎。。なんだか暗示的ですな〜。
やはり八郎は土着の人ですね〜。親しみわきますな〜。

ところで、八郎潟は近代、埋め立てられて大潟村チいうのができたけど、
八郎はどないなったんでしょうか??

おおおおおお〜い、八郎やぁぁぁぁ〜〜〜い。

とんちんかんさん

その。。そこの温泉て、髪の毛にも効きますかエ?
最近、後退現象が。。。(+_+)トホホ

あおき - 2002/03/20(水) 19:40<

GAINAさんやっぱりねらったのね

>まず、動物のご機嫌をとります。
>餌を与えたりして、ひたすらお願いします。
>動物の殆どがカメラを意識(怖がる)しますので、一生懸命に胡麻をすります。
>そして、ひたすら待ちます。
これはもうプロのやりかたですよ
なんだ かなり上級者だったのね
また良い写真見せてください

tuya - 2002/03/20(水) 19:01<

素敵なおばちゃん・おばあちゃんを目指そ

>とんちゃん<温泉で若返り??
まぁ、若返りなんつー自然に逆らうことより、自然に素敵に年とるほうを目指すことにしよ(笑)

>ヤゾーさん<大地母神の愛液???
どっちかというと、大地母神の羊水のほうがぴったりくるんでないかと思うのですが・・・(^^;;;
 
 私はいっとき、洞窟温泉に浸かる夢をよく見ましたが、夢の中で、「あ、これは子宮回帰の象徴だな。癒しの夢だな」なんて分析してるもうひとりの自分がいたりしました。実際そういう夢を見た翌朝は、精神疲労から回復していたので、「体に自己治癒力があるように、心にも治癒力があるんだな」などと、いろいろ考えました。
 そいうこともあって私は温泉に浸かるとき、地球に癒されるイメージを楽しみながら浸かっています。夜の露天風呂で、自分の手を闇にかざしていると、湯気とは別 に、おもしろい光が見えたりします。その光の層がいろいろ変化しながらひろがっていくので、一体この自然界のどこからどこまでが「自分」という存在のフィールドなのかがわからなくなってきます。「自分」という存在は、視点を変えれば幻想にすぎないのかもしれないな、などと感じたりします。

GAINA - 2002/03/20(水) 17:59<

ありがとうございます。

こんにちは。

すずめの談合のPHOTOへのお褒めの言葉ありがとうございます。
ヤゾーさんも動物の写真を撮るコツをご存知でしょうが・・・。

私の場合は、
まず、動物のご機嫌をとります。
餌を与えたりして、ひたすらお願いします。
動物の殆どがカメラを意識(怖がる)しますので、一生懸命に胡麻をすります。
そして、ひたすら待ちます。
こんな感じで撮っています。

あおきさん、tuyaさん、やなさん、一度挑戦してみてください。

耶耶 - 2002/03/20(水) 17:08<

霧社事件から得たもの

南朝方・伊勢国司北畠公についてドラマ化されていないのが不思議です。
奥州へ落ち延びた説もあります。
まったく関係ないのですが、台湾の少数民族とサンカの関係をどう思われますか?
霧社に行きましたが、なにかほっとする感じがしました。台湾の都市部ではかなり
差別されていますが、彼らの共通語はつい最近まで日本語でしたので、町でたむろ
っている彼らに声を掛けてみたら、本省人に駄目!と言われてむかつきました。
そういえば、タイアル族の持っていたナイフとはどういうものだったかなあと想像
しています。
なんか、支離滅裂でスミマセン。

ヤゾ− - 2002/03/20(水) 10:52<

温泉は大地母神の愛液だ!

随分前にシャーリー・マクレーンの『アウト・オン・アリム』という
映画が話題になったことがあって観たことがありました。

やたらに長い映画で、シャーリー・マクレーンが
ペルーの山岳地帯の温泉に浸かって、
幽体離脱を体験するシーンだけが印象に残っています。

その頃から温泉には何か不思議な力が秘められているに違いないと思っていました。
温泉に浸かっているときに湯舟を枕にして身体を湯に委ねるようにしてプカ〜ンと浮かべていると、
大地母神の愛液に浸かっているような気がして、
身体も心も癒され浄化されてゆくように感じることがあります。

特に一日海で釣りをした後の河原の露天風呂は最高に気持ちが良いです。
川のせせらぎを子守唄にして星空を眺めながら石を枕に湯舟に寝転んでいたら、
そのまま天国まで飛んで行きそうです。
たまに酒を飲んで温泉で寝てしまい、
溺れてそのまま天国に行く人もいます。

とんちんかん小僧 - 2002/03/20(水) 00:55<

若返りますよ〜ん!! 

tuyaさん、その入った日だけでも、そう感じるんだから毎週日帰りで
翡翠温泉に入りに行ったら確実に10歳は若くなるよん!
さしずめ僕の場合だと1?万歳の肌に戻るワケ。
頭の柔らかさも戻ったりしてね。ゼリーみたいに「プルッ!プルッ!」って
なる程に・・そうなったら面白いなあ〜ですね!
今現在も十分緩みっぱなしなので。^-^;
一度入って体感してみたら分かるよん。

やなぎむし - 2002/03/19(火) 23:06<

悲劇の八郎・・9

しばらく・・悲しみに暮れる八朗だったが・・
  「んだ、ここにオラのすみかを、作るべ。 この砂原を湖にするべ」

「ここなら人間もいねし」「じゃまするもんも・・おらんべ」

そおおもいたった、八朗は首をもたげ天を仰いだ
  空はにわかに・・黒雲が舞い風雨を誘って荒れ出した
   たちまち、遙か沖から津波が襲ってきた
  ドドドドドド・・
    ドドドドドドド・・・

  津波は砂浜をのみ・・阿仁のやま山にぶちあたった
   その水煙は天にまでも登りつめた!!

  「ウオオオオオオオーーー・・儂のすみか・・ジャーーーァ」

  「新しい湖が、できるんじゃー」
   
      黒雲が切れると空はすでに明るくなってきていた

 と・・・渦巻く波の向こうから、かすかに人間の悲鳴がしてきた・・
                にんげんなんか、いないと思っていたこのあたりにまで
        住み着くものがあったなんて!
あたりを、うかがうと・・小舟が濁流に流され木の葉のようにもまれていた。
  そこに爺様がしがみついて・・
  「婆様婆様よーーーーぅ!」と狂わんばかりに叫んでいた。

 そしてなお・・よく見ると・・濁流に浮いては沈み、浮いては沈む老婆があった
   爺様はその老婆を助けようとして・・・

  舟もろとも・・波にのまれてしまった。

八朗は思わず波をかけわけ、その濁流をその広い胸で受け止めていた
 「あぶねえでねか」「二人一緒に死んでしまうでねか」

  波間から、婆様と爺様をうまくつまんだ八朗は・・岸にうまく放り投げた
  ふたりは、八朗に向かって・・両手をあわせた・・

  「よかったなあ!!・・命がたすかってよかったなあ!」
  
 今初めて、八朗は、にこりと笑った。
    「じいさんも婆さんも・・まめでなーーぃ」
  そう叫ぶと、八朗は水のそこに潜った

       こうして出来た新しいすみか・・それが・・八郎潟であった

                     つづく・・

   turukotさんおまたせ・・ここまで書けへんかったら・・返事でけへんかたんですわ
     えらいすんません

やなぎむし - 2002/03/19(火) 22:02<

けけけけ

ほんまですよ・・ほんま

  たいがいの人は、絶対に10才は、若なりますよぅ

    でも、どんなばあいでも・・・


      すんません・・・例外がときたま・


        おますんですわ・・・


     ほんま・・すんません

                   おんせんの・・神さんでした

tuya - 2002/03/19(火) 13:29<

>とんちゃん

>とても肌がすべすべになるので、10歳ぐらい若返りますよ!

とんちゃん、ほんとに10才、若返る?ほんまやな??ぜったい、ほんまやな???

とんちんかん小僧 - 2002/03/19(火) 11:07<

翡翠の湯

昨日、書き忘れましたが山小屋近くの翡翠温泉へ行ってきました。
効能は、やけど・アトピー性皮膚炎・小人虚弱等に効きます。
そして、とても肌がすべすべになるので、10歳ぐらい若返りますよ!
で、昨日はヤゾーさんと僕以外たまたま、お客さんが居なくて貸し切り
状態でした。何度でも行きたくなりました。

今朝、椅子に座って日向ぼっこを「ボーっと」した顔でしていた。
すると昨日餌をあげたので、もう馴染みの顔になったのか、ピーちゃんが
顔の間近くを交互に飛び餌をねだってきました。
それで、ピーナッツをすぐに持ってくると、すぐに手に乗っかってきて
餌を食べてくれました。
やっと受け入れてくれたみたいで、とても感動した。
ああ・・今日自宅に帰るのが名残惜しいなあ。

やなぎむし - 2002/03/18(月) 23:58<

しつこい・・悲劇の八朗・8

このころから、八朗のこころもすっかりあらけてしまい、神と人間を敵として四方八方暴れ回るよおになった

黒雲を呼び、滝の雨をふらせては、地をはいずりまわる・・

  山をくずしては、洪水を起こし・・そのために・・家は流され田は、あれた・・
  そして、おおくのにんげんも・・死んだ!!

   しかし、暴れるに任せるほどに・八朗のこころには・・なぜか
  いいようのない悲しみが孤独がむねのおくから・・こみ上げてくるのであった
 胸の渇きは・・そして・・募るばかりであった

 星も数えるばかりの・・ほんまに暗い夜やった

  ふと男鹿の浜にでた・・八朗は・・住む人もない・・荒れ果てた砂原にみをよこたえた・・!!

焼けるような喉の渇きはあったけれど・・なぜか・・いいようのない寂しさが八朗の胸を揺すった!!

三治よーーーぅ・・喜藤ようーーーーぅ

  遠い昔にかえりたかった!!

おおおおおおおおおおおおおおおおおーーーlん

   うおおおおおおおおおおーーーーん

八朗は、ただ・・ただ・・・・・・・・寂しかった!!


ただ、昔の皮はぎをした・・むかしがおもわれた!!

  心の底から好きだった・・三治や喜藤の顔がよみがえってきた・・
魔性にかわっても、二人には強い友情があった!!

   八朗よーぅ、気ぃおとすんじゃねーーぇ
    さあ村さ・・いくべえ・・きっと元の姿にもどるべえ
     いやーーぁ・・きっともどる・・べえ

  さーーーぁ・・おらたちと・・いくべえ・・

八朗はなみだの雨をおとしていた・・

       うおーーーーん・・うおーーーーーん

  「三治よーーーーーーl!!・・喜藤よーーーーん」

               ああこの悲しみ・・は・・なんなんだ!・・おおおおおおおおおおおおん


  いつのまにか、東の阿仁のやまから・・夜明けのかすかな・・臭いが漂ってきた

  うおーーーーーーーん・・なぜか・・こころのそこから・・

  また悲しい心の雄叫びが・・・・なぜか・・はっするのだった・・



              つづく

ヤゾ− - 2002/03/18(月) 23:25<

クモ山人さん はじめまして
ブラザーサン・シスタームーンの音楽がかかったということは、
サントラ盤があるのかも知れませんね。
ドノバンのレコードを調べたことがありましたが、
サントラ盤は見付かりませんでした。
あったら欲しいです。
今後とも よろしくお願いします。

GAINAさん あおきさんが仰るように
スズメの写真 とても良いですね。
tuyaさんも良い写真が撮れたらアップして下さい。

とんちんかん小僧 - 2002/03/18(月) 20:04<

見つめ合う三人

タヌコを初めて見ました。
感動のあまり手で合図を送り「平和な奴だよ」って、伝えました。
でも、よほど不思議に思ったのか僕やヤゾーさんを「じーっと」見つめたままで
目の前にある餌に手をつけず、こちらをずっと見つめていました。
もしかしたら「ホ」の字だったのかもしれません。

ヤナさん
昨日はイカ様は夢に出てきませんでしたが、別の夢を見ました。
ちょっとだけ書きます。
僕はとある大病院の不正を暴くために派遣された潜入調査官として、2度にわたって
失敗もしながらも頑張る今現在の自分とパートナー含め7人と直接の上司として
ヤゾーさんが、そしてボスというかリーダー格の人が蜜柑さんでした。
まあ、最終的に病院の悪巧みを暴いて、夢から覚めました。
めでたし、めでたし。

tuya - 2002/03/18(月) 19:59<

2日目のイカは絶品

イカは2日目のほうが甘味が出ておいしいとのことでしたが、確かに今日のアオリイカのお刺身、おいしかったです。でも息子がほとんど食べて、わたしには3切れしかくれませんでした(泣)

ヤナさん>悲劇の八郎、毎日続きを楽しみにしてるので、よろしくお願いします。こんなに続きが楽しみなのは、NHKの「新・八犬伝」以来です。

GAINAさん>雀の画像、なんともいい感じですね^^セリフを入れたくなるくらい、一羽一羽個性があって、たのしいです。うちの近所にも野鳥が多いので、散歩のときにデジカメ持っていこう。白鷺・ゆりかもめ・セキレイ・カモの親子・ひよどり・・・ほか何種類か見られるのですが。撮影技術がなぁ〜。
「ゆきやなぎ」も視点を変えると、あんな味わいになるのですね。

クモ山人 <http://homepage2.nifty.com/brookside/> - 2002/03/18(月) 19:57<

驚いちゃった!

 3月15日に北兵庫の山間の学校の昼休みにブラザーサン・シスタームーンの曲が
かかってました。なつかしくって検索エンジンで調べたらこのHPにたどり着きました。
 これからゆっくり見ますが、なんかファンタスティックな風が吹いてます!
 とりあえず ごあいさつに替えさせていただきます。よろしく!

あおき - 2002/03/18(月) 17:26<

GAINAさん

すずめの写真見事に撮れてますね それぞれがすべて別の方向を向いていて
絵のような構図になってますね 偶然にしても感覚がいいし
ねらって撮ったなら プロ並ですよ 感動した ダウンロードしときました 

GAINA - 2002/03/18(月) 17:25<

ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン

やなさん、こんにちは。
ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン の大当たり。

花の淡路島、春がいっぱいの感じですね。
こちら名古屋の桜開花宣言も秒読みと思いますが、
あちこちで、「大きい春、大きい春、見つけた」 です。

一面、雪が積もったかのような「ゆきやなぎ」
小さい花ですが一つ一つに 花弁、おしべ、めしべ があり、
それぞれが独立独歩の営み・・・。

また、思いっきり小さいものを、思いっきり大きく撮って
画像掲示板に載せさせてもらいます。

やなぎむし - 2002/03/18(月) 09:04<

ゆきやなぎ

悲劇の八郎・・ちょっと、しつこいですかねえ?

  春、春ってええですよねぇ・・
    嫁の里が、淡路島やよってに、きんのは墓参りに行ってきました

  水仙を初めとして、菜の花・豆の花・スミレにゆきやなぎ

  ほんとに、たくさんの花がさいてました・・

     tuyaさん・とんちゃん・・よかったねえ・・アオリが釣れて

   夢で、口のなかから・でてきませんでしたか・・けけけけ

GAINAさん・・画像掲示板の雀たち・・ええかんじです・・花はおおてますかいねえ??

             やなでした

tuya - 2002/03/18(月) 00:18<

念願のアオリイカ

熊野ライフ通信でアオリイカを知って以来、いちど食べてみたかったアオリイカ。ほんっとーにおいしい!イカがあんなに歯ごたえのあるものだとは知りませんでした。イカの足を使ったソテーもおいしかったです。ソテーは、ヤゾーさんの味付けがお上手でした。

アオリイカとの記念撮影は、さも自分が釣ったかのように写してもらって、ヤナさんに見てもらうんだ、とわがままを言って写 してもらったものです(笑

とんちんかん小僧 - 2002/03/18(月) 00:10<

アオリイカ初めて見ました

今日、再び山小屋へ遊びに行ってきました。
また、一つ思い出ができました。
アオリイカってイカ、生まれて初めて見ました。
あはは、「大げさな事を」と思いますが、とても感動しました。
あっと、その前に野生の日本ザルを間じかで、これも初めて見ました。
ヤゾーさんも先に書いた通り、さばいてイカ料理を楽しみました。
あまり、普段からイカを食べないので、素晴らしく美味しかったです。
明日も刺身を食べるでしょう。
今晩、夢の中でアオリイカに夢枕に立たれたらコワイなあ〜。
何故かというと、さばいた(=バラバラにした)の僕だから恨まれていたらと
思うと今日は寝るのが命がけかなと思ったからです。
無事を祈っていて下さい。

東沢さん
今、山小屋からですので詳しくは書けないですけど、ウズメといえば、甲州武田忍びの
望月千代女(もちづき ちよじょ)を中心とする、歩き巫女というくの一が有名です。

亘理氏についてのご丁寧な説明ありがとうございます。
またまた質問したいことがあります。
口寄せ巫女というのは、恐山にいるイタコとは違うのですか?
教えて下さい。

やなぎむし - 2002/03/17(日) 23:05<

悲劇の八郎・・7

へへへすこしおつかれですかいね・・
  もお、少しお付き合いくださいね


大洪水を起こして奥入瀬川を下った八郎は、大量の土砂を東の海におしながした。

山地をさまよった八郎は焼け付く喉の渇きに狂わんばかりに、
   荒れにあれた!

  かって、八郎が人間であった大昔と似ても似つかぬ世界がそこにひろがっていた

 今では、ありとあらゆるところに、人間どもが住み着き
  それが、天神だの権現だの八郎の見も知らぬ神や仏をあがめくらしていた

  更に悪いことにウジウジと増えた人間どもが、小さな土地を、取り合って、醜い争いを続けていた

  そこに身の丈30丈の八郎の入り込む余地などありもしなかった

 小さな川を堰き止めようとすると・・人間どもの飼い慣らした犬どもが・・何百頭、ワンワンと
吠えたてながら・・八郎めがけて襲いかかってきた

  八郎は犬どもにかみつかれ、追われ追われて米代川を下った
  もうそこは荒波寄せる日本海だった・・・

ヤゾ− - 2002/03/17(日) 21:08<

アオリイカ釣りました!

今日、とんちんかん小僧とtuyaさん親子と一緒にアオリイカ釣りに行ってきました。
地元の釣りトモダチが先に行ってくれていたので、
見事アオリイカをゲットすることが出来ました。
山小屋に帰ってからアオリイカの刺身とソテーでご飯を食べました。
アオリイカの写真は風の王国掲示板にあります。

ヤナさん 羨ましいでしょ!
GAINAさん 東沢さん あらためてレスしますね。

東沢美史 - 2002/03/17(日) 01:42<

星辰信仰、鬼神は大阪から東北へ

スサノオ、シュメール神話、矢切止男、ワタリ、竜川、そして悲劇の八郎!・・・・・。気の効いた持ち駒をいただいたのに、攻めあぐねてる負け将棋の気分になってきました。解明の一手が、見つかるでしょうか。

上手く説明できるか、かなり心配ながらもオシラサマを祭る神社(亘理氏の社)境内、日蔭の阿部屋敷に住んでた大伯母やウズメを信仰する口寄せ巫女の星辰信仰のあとをたよりに書いてみます。亘理氏は宮城のローカルな武将ですが、維新まで口寄せ巫女をかくまった寺社修験、お篭もり堂を采配地に多くかかえた氏族で、現在の角田市、亘理町、東大寺大仏渡金の黄金を調達した涌谷町、高清水町、迫町にいました。

天帝の住む紫微宮(北極星)へお伝えするために北辰(北斗七星)の形に配置された祠、神社(井戸、泉でも良い)を口寄せ巫女などが廻ります。
境内に配置された石でも村内の泉でもよいし、阿弖流為(アテルイ)、源義経など歴史上の大人物ともなれば奥羽を広く覆う北斗七社を祭祀してまわったようです。例えば福島いわきから始めた場合でしたら会津若松、山形米沢、相馬、仙台、上高森ねつ造遺跡で有名になった築館、平泉などと祭祀いたします。紫微宮の北極星に当るのが岩手山(黄金は出るのか?)です。この北斗七星は玉 を鼻先に追いかける龍が化身かもしれません。加えて北斗七星の化身としては鍵、弓、剣、柄杓ともウズメの信仰者や竹細工する者はおもってるようです。

そしてなぜか東海、近畿方面へ頼まれていったようでした。北極星の真下に冨士山が真北に祭祀できるとすれば伊豆半島に北斗七星の形に七社があったのでしょうか。七社が大井川をまたいだ場合は南アルプス山中にまでかかるのか、天竜川(もろ想像しやすい川名ですね)をまたいだ場合は真北だと諏訪神社が北極星に相当するのか、地図見て推測しましたが、子供のときもっとちゃんと聞いてればよかったけど今となっては祖父にもきけないのでわかりません。柄杓の柄先の社を天帝に見たてたと推測しますが、正確にはわかりません。宮城は柄杓の柄が真北を向く北斗七星の形に祠、神社があります。

鬼神の御霊は嵯陀村、今の枚方市だとおもいますがここへ行ってから祭祀したとおもいます。大阪に行った事がないので、枚方の阿弖流為(アテルイ)は北辰(北斗七星)としてなのか天帝(北極星)として祭られているのか、北斗七星に配置された七神社の配置はどっちを向いてるのかもわかりませんが、この御霊を甦らせ、戦争に鬼神として参戦させられたのは確かのようです。下りた鬼神のアテルイは口寄せ巫女(宮城では、おがみさま)に上手く憑いたのでしょうか。最初に祭祀するのは大阪のほうだとおもいますが、全ての祭祀の一番初めに拝みに行くのは大阪だと「北野天満宮」でしょうか。宮城では死人小路を通 って行くとも伝えられる「たがら天神」、天神様を最初に祭祀するということは間違いないです。

タケミカヅチノ命を祭祀する鹿嶋神社宮司は洋上(もしくは海道か)から真北にいわき越え遥かにオシラサマあるいは岩手山(別 山の可能性有り)を祭祀すると、私の地元の鹿嶋社に口利きに来た信仰者たちは伝えています。・・・ただし残念ながら近くの「たがら天神社」でスサノオの話しは聴いた事ありません。
・・・どうも、素人の負け将棋みたいですね。わからないことだらけです。ウズメの星神信仰の知識ではこの説明で精一杯です。

でも次には、八雲立つ関連でヤマタの大蛇、シュメール神話関連でユダヤ(怪しいかな?)、サンカ文字関連で東巴文字を加えまして、スサノオ、星神、天神について、竹細工品で考察してみます。出雲風土記かぁ−、それじゃ、私にとって不案内で馴染みの薄い山陽・山陰地方の木杓子、竹細工品をあえて題材に考えてみますね。

やなぎむし - 2002/03/16(土) 23:44<

悲劇の八郎・・6

南祖坊もただもんやなかった!!
 九巻の経を取り出し巻物を、サーーーーァと風に飛ばしたと思うと!!!
  空に雷鳴が響いた・・そして、大音響の地鳴りと共に
九頭竜となって・・八郎を迎え撃った!!
  思いがけない敵の力に、八郎はタテガミを引きちぎり、炎の息を吹きかけ無数の小竜を
   南祖坊にうちつけた
  
 しかし南祖坊も負けずに呪文をとなえると・・数限りない鉄の剣が、
    雨あられと八郎にむかってとんできた

 ゴーーーーーォ・・ウオーーーーォ・・
    八郎は、三十余丈の蛇体をのたうってあばれた!

  湖は黒い波を振り立て大きな波となって・・岸辺を襲った!!

 南祖坊もひるむことなく、断崖の上で仁王立ちで鉄の剣を飛ばしとおした

  さすがの八郎もこれには・・まいった!!!
   鉄の毒気が八郎の身体に回り始めた・・・・
 次第に力が抜けていった・・

  そうして七日七夜の闘いの後、傷つき衰えた八郎は
   滝の雨を降らせながら十和田より逃れたのであった

  大きく悲しみの叫びをあげながら・・去った十和田湖を・・
  西国よりこの地にやってきた南祖坊が主となって・・

        八郎の去った十和田の主となったのであった・・!!

   つづく


GAINA - 2002/03/16(土) 23:31<

出雲と熊野の共通性は?

ヤゾーさん、こんばんは。

熊野神社の元は、出雲であって、
紀州の熊野三山は出雲から分かれたものだ。 という説もありますね。

全国にある熊野神社も出雲系と紀州熊野系が存在しますが、
出雲と熊野は、その昔何らかの繋がりがあったことは、確かでしょう。
「古事記」や「日本書紀」で新宮・高倉下が神武天皇東遷に従ったという記載から、
熊野の神社の性格も変わったように思われてなりません。
現に熊野には、国津神系の神社がたくさん存在しているのですから・・・。

出雲と熊野の関係、実際はどうだったのでしょうね。???

ヤゾー - 2002/03/16(土) 07:50<

星神山

島根県の八雲村というところに星上山というのがあります。
山頂には那富乃夜神社とい神社もあり、
出雲国風土記にも記されているようで、
フツヌシノ命、タケミカヅチノ命を祭神とし、
別所、家村、西奥、藤原地区の氏神だそうです。
また妙見を祀っていたという記録もあるみたいです。
地元の人たちはこの山のことを天神さんとして親しんでいるそうです。

同じ八雲村には熊野大社という神社もあります。
出雲国風土記には、もともとは熊野山にあったとされていますが、
その熊野山は今では天狗山と呼ばれているそうです。

「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣つくるその八重垣を」

やなぎむし - 2002/03/15(金) 22:45<

悲劇の八郎・・5

八郎は・・眠った・・悲しくって・・辛くって
  ただ・・ひたすら・・眠った
  里では、花が咲き・・山が錦に輝き、人が生まれて・・そして死んでいった

    長い長い年月が・・ただ・・流れた!!

 喜藤と三治も年を取り・・そして死んでいった・・
  しかし魔性の八郎は・・死ぬこともなく・・また何百年がながれた
    そして十和田湖の底で静かに生き続けていた

   ある日のことだ!!身体に鋭い痛みをかんじた!!   そこに、鉄のわらじがあった
     「あいた!!ぁ・・だれや!!・・・鉄のわらじなげこんだんわ!!」

  鉄は竜が、恐れ忌みきらうものやった

  怒りを感じた八郎は、重い頭を・・ズザーーーァ・・とばかりに水面から持ち上げた
 ザバーーーーーーァ

   天に頭を、突き立てて何百年ぶりかに、この地上をみわたした
すると湖の切り立つ崖の上に見慣れない・・坊主が一人数珠を・もみながら念仏を唱えていた

     「おまえかあ・・鉄の下駄ほりこみやがったんわ・・いてもおたろか」
                    
  恐ろしい姿で迫る八郎をみてもその坊主は少しも動じない

  そして答えて曰く
「いかにも、儂じゃ!」「儂は南祖坊とゆうものじゃ」
 「諸国を巡りて60年・・修行をつんでまいった!」
「熊野権現のお告げにより、鉄のわらじのすり切れたところを、永住の地とし」
「そこの主となる我が身なんじゃ!  おまえにはすまんが・・とっととここを立ちのけい!!」

   「なんかしとんのじゃ・・儂はこの湖の主・八郎だぞ」
 八郎は、天まで響くであろう大声でどなった

「八郎とやら。儂はありがたい熊野権現のお告げをつたえとるんやぞ」。
  「おとなしく従わんのなら、目にものみせてやるぞ」

「なんじゃとーーぅ・・儂は十和田の主、この湖百年千年の儂のすみか」
  「取れるものなら・・取ってみろ」

  怒り狂った八郎は、雲をよび・・雷鳴と大雨をもたらして

      南祖坊に襲いかかった・・

            つづく

やなぎむし - 2002/03/15(金) 16:08<

ちゃいますよん

悲劇の八郎は・・瀬川拓男さんの昔話からなんですよん
   ほとんど、朗読状態やけど・・
    今夜からのつづきは・・少しスパイスきかせていきますね

   このおはなし、まだ途中ですよん・・
    お気に召した方よんでくらはいませ!

          ほなまた・・今夜

   

やなぎむし - 2002/03/15(金) 16:06<

ちゃいますよん

悲劇の八郎は・・瀬川拓男さんの昔話からなんですよん
   ほとんど、朗読状態やけど・・
    今夜からのつづきは・・少しスパイスきかせていきますね

   このおはなし、まだ途中ですよん・・
    お気に召した方よんでくらはいませ!

          ほなまた・・今夜

   

とんちんかん小僧 - 2002/03/15(金) 12:10<

ヤナさんへ

お食事中、「こんにちは」です。

最初、なんかアニメ『日本昔話』で見たことあるような気がしたんだけど、いや創作ちゃうか
と思って、毎回ワクワクしながら読んでいました。
やっぱ、この手の話をヤナさん流の語りで書きススメたら世界一ですね。
「感動した!」です。早くも次の話が楽しみです。

今、Bond(ボンド)の『The 1812』を聴きながら、春の気配を肌に感じつつ気のむくままに
手の動きのままに時には感傷的になりながら書いておりまする。
Bondは今年、日本でも大ブレイクしそうなグループですよん!
26日にライヴ行ってまいります。
彼女らは、クラシックとしては異例のシングルデビューしたグループです。
頭の中、彼女らのことで一杯で四六時中CDを聴きっぱなしです。

とんちんかん小僧 - 2002/03/15(金) 10:48<

東沢美史 さんへ

皆さん、おそよでございます。

ヤードバーズについては、ロックを聴くようになってからも未だに試聴したことがありません。
でも「スティル・アイム・サッド」だけは知ってます。
確か、ジェフ・ベックが在籍していた頃の曲だと思います。
私が敬愛するギターリストの一人である、リッチー・ブラックモアがこの曲が好きなので自らの
バンドRAINBOWでインストゥルメンタル・ヴァージョン、歌詞つきのライヴ・ヴァージョンと
スタジオ・ヴァージョンの3種類で録音やっているし、まだ手に入れていないので聴いていません
が、教会から選ばれた聖歌隊がダンスのビートにノッテ歌うヴァージョンもあります。近じかゲット
する予定です。(バンド名はグレゴリアンといいますよん)
クラプトンに対する思い、大いに伝わってきました。
そういう時代を活きてこられたんですね。僕はずっとあとの世代だからクラプトンが「スゲー人だ」
っていうのが全く分かりませんでした。いつかヤードバーズ、クリーム聴きまくろうと思います。
ありがとうございました。

(御存知のことですが)
漫画の「ワタリ」も伊賀・甲賀に属さない第3の忍び者として書かれていて、読めば読むほどに
「これってサンカじゃねーの」って思わざるを得ないことが多く見受けられましたので、ワタリ
一族(忍び者)=サンカという図式がポン!と頭の中にすぐ浮かびあがりました。
伊賀の抜け忍の四貫目(しかんめ)って忍者武芸帳にも出ていましたね。(映画に出ていたかどう
かは知りませんが)僕この四貫目のファンですよん。「カブトわり」「オボロ影」「ほうせん火(
か)の術」etc、どれをとっても素晴らしい忍術だから。(お読みになられていない方に判らない
話してすみません)

その子孫の方っていらっしゃると投稿にあってかなりビックリしました。
そして、映画にもなっていたのにも驚きました。
またいろいろ教えて下さいネ!

Turukot(ケアルイ) - 2002/03/15(金) 05:09<

早朝です

おはようございます。

やなぎむしさん、
お話、ROMしていました。話自体は存じていましたが、やなぎむしさんの語りが
面白かったです。

>岩手山を・・下ると・・怪力にものをいわせて・・
>雫石の東に土手のよおな山を築いた。
>見る間に山が連なり、それまで東に流れていた川は、
>せき止められ幾筋もの川は南えと向きをかえた・・
>小押して雫石の盆地に川とゆう川のみずがながれこんだ!

この辺の話は初耳でした。なるほど。この川、葛根田川といいますが、
雫石川の支流なのに水量が本流より多い?(本流は竜川)川です。
上流域は岩手山が目前にせまり畏怖されますし、あの冷涼な景色と雨の時の
斉斉としたあの感じはなんともいえません。

葛根田川流域はイワナ釣りによく行きました。
あぁ〜、オラホも竜サならねぐでエがっだ〜

ところで、八郎は十和田湖だったのですか?秋田の八郎潟かと思てました。
私の記憶ちがいかも。まぁ、伝承もバリエーションありますし、いろいろありでしょう。

竜の伝説といえば、胆江地域(胆沢・水沢・江刺)の掃部長者と佐用媛の伝説を調べていますが、
竜(または大蛇)の角が落とされるというモチーフに注目しております。
何だかお固くなっちった。。

東沢さん、ご無沙汰いたしております。

>ケアルイさん、ヤゾーさんを唸らせる書き込みをどこまでできるか、
>東北人の粘り強さ(笑)でお互いに力を出しましょうね。

東沢さんは実際箕に触れられて、御先祖様の伝承をご存知でいらっしゃる、読む方を
惹きつけます。あの2chであれだけ荒れない(ヤフー掲示板より遥かにまとも)のも東沢
さんの力量あってからこそ、と思っています。

私の場合、諸事情あって、系譜の上で分からないことが多すぎます。いろいろな側面 で
断絶を目の当たりにして、その一方で日常干渉してくる「意識」とのギャップで具合悪
いです。
江戸時代前半以降、被せられた表層部分を剥がさないことには、おそらく私の系譜の土
着の姿は見えてこないのではないかと思っています。

まぁ、同じ地域にゆかりある者ということで東沢さんと意識を共有できるのはうれしいです。

>畿内をルーツとするかもしれない陸奥のワタリ(日理、亘理)氏、

憶測ですが、秀郷流藤原氏の流れですか?いずれにせよ、平安後期辺りから土着の豪族と
畿内出身の官人・貴族との族外婚というのは顕著だったようですからあってもおかしくは
ないですね。

ヤゾ− - 2002/03/15(金) 04:00<

サンカの信仰とシュメール神話

東沢美史さん おはようございます。

クリームといえばホワイトルームが思い出されます。
一回り上の世代でロックをやっていた人から、
ホワイトルームを初めて聴いたときの感動を熱っぽく語られたことがありました。
あのディストーションの効いた音は頭を思いっきりハンマーで叩かれたほどの衝撃があったそうです。
どうやったらなんな音が出せるのだろうかと、
アンプのスピーカーを破ったりしてみたそうです。

バリ師さん 魚釣りの坊主エキスは笑った!

ヤナさん 龍の子太郎を思い出しました。

東沢さんが前に星神信仰とサンカとの関係を仰っていたので、
少し調べていたらシュメール神話に行き当たり、
少し想像を膨らませてみました。

シュメール神話、バビロニア神話、ギルガメッシュ叙事詩に天神アヌというのが出てきます。
山口県の彦島で見付かったペトログラフ(古代岩刻文字)が、
古代シュメール文字と共通しているとの指摘があり、
発見された当初サンカ文字で解読できたとの話しがあります。

天神アヌはウルクの守護神とされており、
ウルクといえば牛を聖獣としてあがめていた部族という意味があるそうです。
牛といえば牛王のスサノオであり、
サンカの親神さんはスサノオということになっています。
また天神アヌの娘のイシュタルは愛と豊穣と戦の女神とされており、
星の神でもあり弁財天のルーツともされています。

八切止夫は天神信仰はサンカの信仰であると言っています。
シュメール神話に登場する天神アヌとはなにか関係があるのかも知れないと、
想像を膨らませてしまいました。

アノさんとアヌさんも似ています。
「アノさん 今日も平らかく過ごさせてやんなさいや」 
と、朝日に向かって柏手を打つサンカの姿を見てみたかった。

東沢美史 - 2002/03/15(金) 00:40<

米作りの初めに使われる箕

去年の暮れころ、だいたい知ってはいるんだけど、箕を買ってくれるお客さんにあえて箕の使い道を尋ねながら売ってみました。豆、小豆の収穫など農作業に使うのと、お正月など行事に使うのとの割合を大まかに把握しておきたかったこともありましたし、kumanolifeに出会って少しは民俗学的により正確な事をお伝えしたいなってことももちろんありました。結果 は、やはり時期が年末っていうこともあってか、お正月に神仏の前に月の数(閏月も数える)の餅をお供えするっていうのが圧倒的に多い理由でした。ところが、見た目50代後半くらいの一人の男性の方が私が知らなかった、意外ながらも、あーなるほどなっていう使い方の理由の説明をしてくれました。

宮城の米作り農家は今、田植えの時期を予測しながら蒔く種籾を選別作業をしてる真っ最中です。実の入った良い種籾と実の入らない悪い種籾と選別 するには、大きな器の水に薬品や塩を数パーセント溶かし、軽い籾を浮かして取り除き選別 をします。もちろんこれは近代の科学的な農作業の場面です。

ところが、この50代後半の男性はそれが不満らしく、昔ながらに箕で種籾を吹き分けたい、そのほうがより確実に選別 出来るとのことでした。よっぽど、箕吹きの腕に自信のある方なんでしょう、全く頭が下がるとともに関心しました。「あーそすっか」なんて言って知ったかぶりしたけど、種籾を吹き分けるってのは実は初めて知りました。・・・わかってるっておもってても、やっぱり物事は謙虚に聴いてみるもんですね。いまごろ、その方はその新しい箕を使って今年の米作りを始めたことででしょう。

発芽しない軽い籾と、立派に発芽する重い籾とを上下に振ることで箕がそれを吹き分けることは、学校で理科を習ってれば今の人達はそれを科学的に説明できるでしょう。
でもそういった、生物学、物理学の知識のない昔の農民は、振ることによって必ず苗床で発芽する種籾だけを選び残す魔術を備えた箕(上手く表現できた)にたいしてより強い神秘性を感じたことでしょう。

秋の収穫を終えると升に(いまひとつ意味不明ですが、升ではからず箕ではかれとも言います)お米を入れて神棚や神社に奉納したり、お餅を正月の御霊にお供えしたりと、米作りの最初と最後の大事なとき、いずれにも箕は使われてるということになります。
・・・まだまだ他にも不思議な使い道が、この箕にはありそうですね。

2ちゃんねるで竹細工の行商してた私にKumanolifeを最初に紹介してくださった
王様のDonglyさん、ありがとうございました。ココロに張り合いができました。

ケアルイさん、ヤゾーさんを唸らせる書き込みをどこまでできるか、東北人の粘り強さ(笑)でお互いに力を出しましょうね。

とんちんかん小僧さん>70年代頃の私らロック少年の間では、ヤードバーズ歴代ギターリストではE・クラプトンが一番人気がありました。彼の魂、感性にはクリーム、デレク&ドミノス期の激しい音(ロック知らない人達は狂った音楽と言ってた)とアンプラグドの今の静かな音と全く別 世界の音が共存してるようです。
・・・例えたら、素盞鳴尊みたいかな。
鈴木議員に抱かれた直感は、とても大事だとおもいました。
畿内をルーツとするかもしれない陸奥のワタリ(日理、亘理)氏、サンカに関連しそうな部分は、その内に報告します。白土三平の映画「ワタリ」は面 白かったけど、あまり参考にはなりませんでした。

やなぎむし - 2002/03/14(木) 22:33<

悲劇の八郎・・4

竜になった八郎は、うめきながら岩手山の頂に登って四方をながめた
  岩手山から幾筋もの川が流れて・・北上川にそそいでいた・

南に雫石盆地がひろがっていた・・八郎は喜び勇んで
岩手山を・・下ると・・怪力にものをいわせて・・雫石の東に土手のよおな山を築いた。

見る間に山が連なり、それまで東に流れていた川は、せき止められ幾筋もの川は南えと
 向きをかえた・・小押して雫石の盆地に川とゆう川のみずがながれこんだ!

  驚いたのは、雫石に住む里人だった
   家とゆう家・・そして田畑は水浸しになり・・命からがら逃げる里人を見て!!

「ここに湖をつくれねえ」・・竜になったとはいえ・・
  八郎にはまだ、人間の心が血がのこっていた

        自分の苦しみを癒すために、多くの里人をぎせいには・・できなかった

 八郎は、焼け付く渇きをこらえながら、今できたばかりの山をくずし・・水を切って流すと
    岩手山に引き返していった
            そして・・十和田の山にはいっていった

  深い山奥に小さな池があったので、その水をのんでいると
    にわかに山鳴りが来た  ブナの森もはい松の森も金色に光ってザワザワと鳴った
           小鳥の大群が一度に舞い上がり、けたたましく鳴いた

      「なんとしたべ」

  八郎が首を振り上げると、目の前の山が大きくわれた!!
   見る間に大地が割れて辺り一帯の山が陥没した

   そこにできたのが、十和田湖だった。
   八郎にとっては神のすくいであった・・疲れ切っていた八郎は、
      こうしてできたばかりの、湖の底に沈み、深い眠りにつくのだった・・


                        つづく・・  

バリ師 - 2002/03/14(木) 07:44<

漆も飲む

和竿には竹の継ぎ口の所に糸を巻き、漆をおいて補強してあります。

昔、竹竿をつくるおっちゃんに聞いた話では、最初、親方とこに修行に入ったら、耳掻き一杯程度の漆を飲まされたとか。三日三晩、体中がかぶれて熱も出てそらえらい目に会うけんど、そのあと一切、漆にかぶれんようになるとのこと。

「杉の葉エキス」も同じようなことなのかも知れませんね。
こりゃ、魚釣りの坊主エキスでも飲まなあかんなあ。

ヤゾ− - 2002/03/14(木) 07:15<

亡くなった子供同士の結婚

映画で見たのか、何かのテレビで見たのかは忘れましたが、
韓国では亡くなった子供同士を縁組みして結婚させる習俗があるみたいです。
とても優しい習俗だなって感じた記憶があります。

やなぎむし - 2002/03/13(水) 23:21<

悲劇の八郎・・3

  村の掟・・
 貧しいくらしを、支えるには、収穫物の独り占めは許されない!!

掟を破るものは、仲間の面前で処罰をうけねばならなかった

 それを、思うと八郎の胸はいよいよあつくなった!!

  どおにも我慢ができなくなって、谷川へとんでいった

「おら、どおしても・・岩魚とらんといかん・喜藤と三治の岩魚とらんとあかん!!」

だが、谷は暗くって、岩魚の1匹も見ることができない。

  そおするうちにも、八郎ののどの乾きがはげしくなった

八郎は、谷川にカップして、ゴヘゴヘと水を飲んだ・・

 けれども、喉の渇きをいやすことは・・できなかった。

  顔を水からはなすと,たちまち喉は、焼けるようにただれて

  もう死にそうにくるしくなってしまうのだ。

そしてまた、ガッパと伏せてゴッヘゴッヘと水を飲む!! そのたんびに・・八郎のからだは

  どっどとふくれあがるようであった・・
川の水が炎となって燃え上がり
   真っ赤な水になぜか・・大きな影が映し出された

三治と喜藤が玉の汗を流しながら小屋に戻ると・・八郎がいない!!
「あやーーぁ、八郎が、いねーーど」

「ほーーい八郎、どこさいった」

  「ほーーーーぃ・・八郎」

    声を限りに、谷川までおりると・・

「おーーーーーー、帰ったか!!」
    と牛の唸るような声があたりに響いた
  「ありゃーーぁ・・おっかない声だべ」

 二人がおそるおそるあたりを、透かしてみると
    暗ーーぃ谷間に黒いどでかいものが横たわっていた!!

  そのでかいなにかが・・ヌラーーーとうごいた!!
  不意に二つの火の玉がこちらをむいた

    「でたーーーーーーぁ」

  三治と喜藤が、あわてて逃げ出した
   すると後から声が追ってきた

       「三治・喜藤・・おらだ・おらだ!!」
                     「八郎だど」

          首をすくめたまま、振り向くと・・どでかいものは
  二つの赤い目から雨のように涙を落とした

       八郎は、巨大な竜に化身していた!!
  「おら、山の掟を、破ってしまった。だでもお人間にもどれね!」
「こうするうちにも、胸が焼ける焼ける・・腹が焼けてくる・・水飲まずにおられん」

  「おらは、川の水せき止めて沼を、作りその底で水を飲んで生きる」
 おらの形見もってかえってむらに、かえってけろ

  そお言い残して・・竜と化した八郎は滝のような涙をながし・・にわかに風をと雨をふらせて

  川上
えと遡上していった・・
  あたりの木々がバチバチと音をたてて・・倒れていった
   「八郎・・八郎よお」

          三治と喜藤は声を限りに叫んだ  二人は確かにみた巨大な蛇体がズルズルと
            伸びてゆくのを・・

                               つづく


tuya - 2002/03/13(水) 18:20<

テレビで見ましたよ

蜜柑さん>少し前に、「むさかり絵馬」の特集をテレビで見ました!その絵馬でほんとうに浮かばれる霊がある、という内容の番組でした。霊的なエピソードは信じる信じないの世界なのでともかく(私は信じます)、幼い子を亡くされたご両親が、その子が生きていたら結婚する年頃、という時期にむさかり絵馬を奉納し、長い間の悲しみから癒される姿は、とても感動的でした。
「むさかり絵馬」には、あるタブーがあるんですよね。
亡くなった方の実際の婚約者だった方(生存されてる方)をパートナーに絵を描くと、そのパートナーまであの世に連れて行かれるという。。。

ヤナさん>続きが楽しみです^^

NONさん>私もぜひ試してみます。スギ花粉にスギエキスって、すごいですね。思いつかれた方の感性が素晴らしいな、と思いました。真実って、すごくシンプルなんですね!

蜜柑 - 2002/03/13(水) 18:01<

死後婚

「むかさり絵馬」というのが「東北学別冊」で特集してあったので、立ち読みしました。
山形県の村山村では
未婚のまま死んだ子どものために、
その子が男なら、綺麗な女性と
女なら、いい男と
2ショットの結婚式の絵を書いて奉納するそうです。
その絵がなんともいえない不気味な美しさをたたえていました。

ヤゾ− - 2002/03/13(水) 15:34<

『日本人のこころ4』読みました

ヤナさん 八郎の話し、なんだか面白そう!

NONさん スギの葉の利用法、ありがとうございます。
来年試してみます。

五木寛之さんの『日本人のこころ4』読みました。
とても素晴らしい本だと思いました。
サンカの起源については、もやもやしたものが残りましたが、
末子相続制について書かれた箇所があり、
隼人族が末子相続であったことやサンカに末子相続が多かったとの話しがありました。
Donglyさんがよく末子相続について仰っていた通りですね。

NON - 2002/03/13(水) 09:56<
Googleという検索で(項目が多く,なかなかすぐれものです)「スギの葉」の利用を調べていたら花粉症によくきく利用法が重複して多く出ていました。どなたかの参考になればと思いコピーします。私は畑の近くのスギが日照のじゃまなので枝打ちをしていて,たくさんのスギの葉を,何か使えればと思い検索していました。

>>昨春、ラジオで女性漢方研究家が杉の葉で作る液がスギ花粉症に大変良く効いたと話していましたが、今春、私が作り、効果 がハッキリ判るように、花粉症の症状が出ている職場や近所の人に試飲してもらったところ、大変喜ばれたので紹介します。

1.作り方
(1)スギの葉の先端15cm程を切り取り、集めて水洗いする。
(2)鍋にスギの葉を入れ、水を葉の上まで注ぐ。
(3)火を入れ、沸騰したら弱火にして泡が出る状態のまま、4時間程煮つづけ、水を半分から3分の1程度にする。(きれいな褐色になる)
(4)冷めたら葉を取り除き、別の瓶に網やガーゼ、ペーパータオルなどで、ゴミを取り除きながら移し替える。
(5)市販のガムシロップを用意して、煮汁とシロップを同量混ぜ合わせて完成

2.飲み方
お猪口に1杯程度の分量を朝晩2回飲む。

3.参考
味は甘いだけなので、ほとんど苦みを感じない。
鍋にヤニや臭いがついた事例もあるが、ほとんどは問題がない。

4.試飲結果
(1)職場T主任:今年も落涙等の激しい症状が出た。朝晩、2回飲む(1ヶ月程度)。ほとんど症状がでず、効果 を確認。
(2)子供会役員の仲間の奥さん:一日中、かなり激しい症状があり通院していた。朝晩試飲したところ、朝だけ若干の症状が出たが、日中の症状がなくなり感謝された。
(3)床屋主人:目がしょぼつき鼻がでる軽い症状があり、花粉症かなと散髪中にいわれ液をおわけした。3回ほど飲んだら症状がなくなる。
(4)長男:蓄膿症ぎみで春先は目もしょぼつく愚息にも、1週間ほど飲ませた。1日だけ帰宅後に症状がでたが、効果 が認められた。」

5.おわりに
数百円のガムシロップ代とちょっとした手間しかかかりません。新潟県の林業を支えるスギの名誉回復のためにも原因とされるスギを使った花粉症対策、一度お試しあれ。

この記事を書いた小野さんと一緒に、佐渡におけるトキの野生復帰プロジェクトを行っている関係もあって、私と妻の花粉対策でやってみようと思い、日曜日に、わが家でも作ってみました。杉は、庭先の花粉のついていない若い枝を折って、洗ってから、鍋に細かく切っていれました。細かいほど、鍋に入るような気がしたので、5cm〜15cmというサイズにしました。煮始めると、キンカンを煮ているような臭いが、部屋の中に立ちこめました。キンカンは好きな方だったので、続けて2鍋分、合わせて8時間、スギ花粉対策液作りに励んでしまいました。結果 はまだ数日しか経っていないので何とも言えませんが、わが家で始めたのを聞きつけた重症患者が、この液をもっていったところ、早くも楽になったと電話をくれて、具体的な製法を教えることになりました。この文章は、友人に送るものだったのですが、せっかくなので、里地会員の方へもお知らせすることにした次第です。
新潟県の小野さんは、今年も仲間から頼まれて、足かけ3年間この液を作っているので、大丈夫かなと思いますが、医療でも、薬事でもない、漢方研究家の智恵、森の智恵といったところなので、試す人は、すべて、自己責任で行ってください。念のため、何があっても責任は負いませんよ。

バリ師 - 2002/03/13(水) 03:17<

ほんで?

ほんでほんで、やなぎむしさん、早よう続けてけろ。

そんあとどうなったずら?

やなぎむし - 2002/03/12(火) 23:58<

悲劇の八郎・・2

こうして幾日もかけ、まだはぎををするが、ある日のこと、八郎が飯炊きの当番になり、

その日は、ひとり小屋に残った!・・

昼過ぎ、谷川に降りると、水底の小石をを、けりながら、岩魚
がウロコをピラピラさせていた。

八郎は、うれしくなって・川に飛び込み岩魚を・・おった。

水をけちらし、ホイホイと川を上りくだりしたが・・どおしたわけか、とれた岩魚は、・・・

たったの3匹だった。

あい・・すかたねえ・・ひのくれるで・・まんず・・これで晩
げにすべーーーぇ

 八郎は、小屋に戻ると火
をおこし、岩魚をくしにさして・・焼いた!!

 魚が焼けるにおいが・・あたりに漂うと・・

  八郎のはらのむしが・・グエーーーィグエーーーィとわめきだした

「三次も喜藤もおそいなあ」

  八郎は最初・・おおきなはなを・・ベコベコ動かして

岩魚の臭いをむねから・・すいこんでいたが・・そおすると・・

ますます・・腹が減ってきた!!

「えええええーーーい・・オラさきに食うわい」と

八郎は、やきたての一匹をぺろりと食べてしまった・・そのうまいことうまいこと!!

その岩魚のあじときたら・・これまで、食べたどの岩魚よりもうまかった!!

腹の虫は、いよいよわめきだした・・!!
よだれは、口いっぱいに広がり・・

   八郎は腹を押さえたり・・頭をかかえたりしてもだえた!!

  「えええい・・どれ・・いまひとつ」

  うめーーーーぇ

   「もお一つ」

  ついに三匹の岩魚を・・かたずけてしまった




            口をぬぐった・・八郎・・友の顔が・・うかんだ!!
「こらいかん、おら、わるいことした。なかまにわるいことしてしもた!」

  八郎は祖先の古いしきたりを、おもいだした!!

山で取ったものは・・みんなで同じに分ける・・これが・・むらの掟であった!!



                 つづく・・

やなぎむし - 2002/03/12(火) 23:27<

やなぎむしです

少し考えることがあって・・
   私の世界に入ります!!

  あかりさん・・わたしも・・自分の臓器他の人の中で生きること
    かんがえます!!

 今回、とんちんかんさん、みたいに・・やってみます!!

そんじゃあ・・

  悲劇の八郎!!

遠い昔のことである。

南部の岩手山から秋田の鹿角へかけて、人も通わぬ山地に山人の住む里が、あった。
貧しい暮らしでは、あったが古い祖先のしきたりを守り、原始の姿をそのままに伝えていた。

このあたりの山に、八郎とゆう六尺に余る大男がいた!

山鬼おもぶん投げるほどのちからもちであったが、

心はわらしのように、めんごくて、だれでも八郎のかおをみるなら、つ

い・・にこっと笑ってしまうほどだった!!

 その八郎が仲間の三次と喜藤と連れだって、山仕事のまたはぎに出かけた

まだはぎとは、シナの木
の皮をはぐことだが、昔はその皮で糸をとり、布をつくったから、山人の暮らしには、かかせぬ しごとの一つだった!!

  三人は、力も自慢のわかものだったから、遙か深い山に分け入り

昼なお暗い谷川のほとりに小屋がけをした!!・・

                     

あかり - 2002/03/12(火) 21:57<

丸ごと死ぬ権利

延命措置という言葉を読んで、ふっと思い出したことがあります。それは、アメリカなどで事故にあったりして、脳死状態になった場合必ずしも体丸ごと死ねないかもしれないと言うことです。アメリカに旅行に来ていた若い女性が列車事故にあったとき、いっしょに旅行していた家族に彼女の臓器移植の提案があり、結局いくつかの臓器が2〜3人の人に移植されたそうです。その娘は自分の体丸ごと死ねなかったわけです。
一部の臓器はまだ、他の人の体の中で生き続けているわけです。それは、果たして意思を表明できなかった彼女の本意だったのでしょうか。彼女の霊は無事行くべき所に行けたのでしょうか。そういったことを考えると、一見素晴らしい行為のように言われている臓器移植について、私は疑問を感じます。

tuya - 2002/03/12(火) 20:36<

春の食卓

 生協の春の山菜セットが届きました。明日は、山菜のてんぷらにしよう。
 今日はアスパラとなんきんの薄切りを素揚げして、カレーライスに添えました。

 子どもの頃田舎に住んでいたので、毎年つくしを摘んで、きんぴらにして食べていました。つくしのきんぴらは、おいしいです。大阪に出てきてからも、子どもの頃の楽しみが忘れられず、つくしやわらびのとれる場所を探して、何度か出かけました。
 遠くに出かけなくてもそこらで摘めるのが、よもぎ。子どもが小さい頃、一緒に摘みに行って、おだんごを作ったりしました。山菜や薬草を摘んでいると、時間の感覚を忘れるくらい、無心になれるからいいですね。今年もどこかに摘みに行きたいな。

GAINAさん>おっしゃるとおりだと思います。たんに延命措置をするかしないかという技術面 のことよりも、双方が悔いなく、互いに出会えたことに感謝して別れを告げることができるかどうか、という面 が重要だと思います。「自然」という中には、「人と人との自然な関係」という意味も含んでおきたいと思います。そのことは身内の死を経験した者として、痛切に思います。

とんちんかん小僧 - 2002/03/12(火) 12:38<

ムネオちゃん顔面七変化の巻 

今回、生まれて初めて証人喚問を見ました。
今までも何度かあったみたいだけど、あまりマスコミも騒がなかったような気がします。
だから、見たことありませんでした。
ムネオのことも真紀子さんとの口撃バトルが起こるまで、全く知らない方でした。
結果的には、真紀子さんが正しかったことが証明されてオイラだけじゃなく国民全体が
嬉しかったと思う。
ムネオは、皆さんも御存知の通りの「ウソツキ」ようですね。
証人喚問の間中、何度も首を傾げたり、顔を上下させたり、顔を変化(段々と赤みが
さしていた)させていました。
今回は、どのチャンネルをひねっても証人喚問だったので、すごく面白いなと思いました。
どのTV局も視聴率がかなり高かったんじゃないかと思います。
どこかのTV局では、約32%もあったみたいっすね。軒並みに、どのTV局も連ドラ並みの
視聴率があったと予測できそうだ。
でも、各質問者の時間が短かすぎるのが気になりました。
そういう中でも、皆とは言えないがムネオの顔色が変わるぐらいのキツイことを言えたこと
に大拍手したいと思いました。(^o^)//""" パチパチパチっとね♪

ヤゾ− - 2002/03/12(火) 07:45<

春ですね〜

ホ〜ホケッキョ ケキョ ケッキョ ケキョ
朝早くからウグイスの鳴き声で起こされるようになりました。
殆ど耳元で鳴いているくらい近くで鳴かれます。
そしてヤマガラが巣篭もりの準備を始めたので、
寝ている枕元の窓の上の巣箱をコツコツと突く音もします。
夜中にネットをしていた頃は少しは五月蝿いなとも感じていましたが、
早起きになった今ではとても心地よい音です。

GAINA - 2002/03/11(月) 23:28<

残された者の気持ちは?

こんばんは。

あかりさん、tuyaさん、あの世に旅立つことですが・・・。
家族が老衰で逝くことについては、大往生ということで問題はないのですが、
そこそこの年齢で、しかも病気や事故で逝く遺族にとって、
延命措置など充分な治療を施すことで、
親族が死に対して納得できる環境が整うことも有りうると思います。
残された者として、心残りの無いようある程度の過度な治療もやむを得ない場合もあるでしょう。
私自身は、延命措置を施しても延命でしかない場合は、
それを望まないと伝えてあります。
でも、残された家族はある程度の措置を望むでしょうから、難しいことです。
結局は、残された者が選択することになるのでしょうね。
まあ、まだまだ時間がありそうな気がしますので、
ゆっくりと考えたいですね。
こういう風に死に対して考えながら歳をとり、死の恐怖が歳とともに薄らいでいくのでしょうね。

tuya - 2002/03/11(月) 22:01<

>あかりさん

わたしの友人のおばあちゃんが、まさにその形の大往生を遂げた方でした。87歳。桜の好きなおばあちゃんで、桜満開の季節に旅立って逝かれました。家族全員が、感動したそうです。

あかり - 2002/03/11(月) 20:24<

GAINAさんの説

今日色々な人に何時生まれたのか、暑さに強いか寒さに強いかと言うことを聞いてみると例外もたまにありますが、これから暑くなる時期に生まれた人は寒がりが多く、逆にこれから寒くなる時期に生まれた人は暑さに弱いようです。ちなみに私も暑いより寒い方が苦手年をとったら、温かいハワイで生活していると思っています。でも死ぬ ときは生まれたときと同じように、万物の命が活動を始める春に息を引き取りたいと思っています。桜の花吹雪の下で息を引き取れたら最高だと思います。舞い上がる桜の花びらと共に肉体を離れいじょう身(漢字がわかりません)となった私は、桜の花びらに埋まっていく脱ぎ捨てた肉体を後目に森羅万象にとけこんでいくのです。(^^)/~~~これが私の夢の一つです。

tuya - 2002/03/11(月) 19:21<

一体何を思って???

 ヤゾーさん、ともかく靴が見つかってよかったです。
 動物って「一体何を思って?」という行動とるときありますね。
 前に飼っていたネコは、靴下が好きでした。息子がこたつの中に脱ぎっぱなしにしてた靴下、私が洗濯物をたたんでいる間にこっそり盗んだ靴下などが、たんすの上に何足分か溜まっていたことがあります。
 洗濯物を畳んでいる間にネコが靴下を盗みに来たとき、おもしろいので見て見ぬ ふりをしてみました。そしてネコがそ〜〜っと靴下を前足で手前に引き寄せ、いざくわえて逃げようとする瞬間に
「こら!」
と声を出すと、「だるまさんが転んだ」みたいにピタっと止まるのがおもしろかったです。そのうちに味をしめて、たんすの引き出しをなんとか開けて盗み出そうとするところも目撃してしまいました。
 一体靴下の、何がそんなに魅惑的なのか、さっぱりわかりません。
 そんなに靴下が好きなら、靴下を使って何か芸ができないかと思い立ち、ネコの頭越しに靴下をぽいっと放ってやると、犬のように走って取りに行くようになりました。何度放り投げても、取ってきて私のところに運んでくれます。そのうち、その遊びが気に入ってしまい、私がテレビを見たりしてくつろいでいると、「遊んで遊んで〜」と言わんばかりに、自分から靴下を持ってきて、私の膝の上に置きに来るようになりました。いじわるな私が知らんふりをしていると、今度は前足で膝をとんとんと叩いて催促するようになりました。そんなことされると、親バカな私は我慢できず、ドラマの中の中居くんが気になりつつも、ネコの相手をしてしまうのでした。

ヤゾー - 2002/03/11(月) 15:00<

牛乳パックの巣箱

ケイミさん こんにちわ!
牛乳パックは1リットルのパックの方が良いと思います。
底から12センチ位のところに直径3センチの穴を開けて下さい。
それから底に水抜きの為の小さな穴を幾つか開けて下さい。
取り付ける場所は木よりも軒下の方が良いかも知れません。
取り付け方は工夫して、しっかりと取り付けてあげて下さい。
牛乳パックをそのまま使うより、
牛乳パックを利用工夫して、本格的な巣箱を作ってみるのも楽しいと思います。
スズメならきっと喜んで営巣してくれますよ。

小鳥の巣箱の理想的な基準(小鳥に聞きました。嘘です。)

底の広さ 12センチ×15センチ
穴までの高さ 12センチ〜15センチ
穴の大きさ 28ミリ〜32ミリ

ヤゾー - 2002/03/11(月) 08:37<

犯人はやはりタヌキだった!

GAINAさんのお陰で靴を見つけることが出来ました。
ありがとうございます。

靴の片一方を持って行ったのはタヌキなのか、
近所の犬なのか考えていました。
タヌキは思ったより小さく子犬くらいの大きさしかありません。
そのタヌキが重い靴をくわえて持って行くだろうか?
もし持って行ったとしても、そんなに遠くへは運んではいないのではないか、
タヌキの通り道を知っているので、
探せば見付かるかもしれないと思っていました。
でも、近所の犬が持って行ったのなら、
諦めるしかないと思っていました。
GAINAさんの書き込みでタヌキが犯人に違い無いと、
朝からタヌキの獣道を辿ってみました。
えらいもので毎日のようにタヌキが現れるので、
獣道がちゃんと出来ていました。
15センチほどの幅で明らかに道なんです。
妙に感動しました。
山小屋からほんの少しのところに靴は落ちていました。
これでなんとか歩いて外出できます。
僕もおめでたい脳みそしてますね。

ケイミ - 2002/03/11(月) 08:34<

巣箱

ヤゾーさん、おはようございます!今日も花粉が多そうですよ!
巣箱のアドバイスありがとうございます!牛乳パックで作れるんですね?!
1リットルのパックでしょうか?穴はどの辺にあければいいですか?
木には、ヒモか何かでつるすのでしょうか?よろしかったら、教えてください!
うちの庭にある木はとても低いです(ムズカシイかな)。
それでは、花粉には気をつけて、よい一日を(^o^)!

"(@ 。。*)”GAINA - 2002/03/10(日) 22:56<

おめでとうさんで! と 気をつけて!

こんばんは。

ヤゾーさん、靴は室内で干しましょう。
玉置神社でも夜、靴を外に置いているとタヌキがくわえて行きます。
夕方になると急いで履物を室内に入れています。
タヌキはどうして靴が好きなのか聞いてみないと判りませんが・・・。

やなさん、PC復帰おめでとうさん。
リカバリーをするとマイドキュメントに保存したものは、全てとんでいってしまいます。
メーカーによって違いますが、ローカルデスクC or Dのマイドキュメントが無い方のデスクに
面倒でも新規にファイルを作って、メールアドレスもコマメに保存しましょう。
「フォーマットしてリカバリー」(メーカー出荷時でない方)を選んでリカバリーすると
ファイルに保存したものは、じっとしていて、とばずにいてくれますよ。

私ごとですが、1年間で3回もリカバリーして、随分勉強しました。
全てを最初から設定し直すのが面倒このうえないですが・・・。

やなぎむし - 2002/03/10(日) 22:12<

こんばんわ・・新生やなです

こんばんわ・・やなです・・
  今日友達がやってきて・・やなのPC直してくれました
   MEとかゆうのんいれてくれました・
       ほんまに、新になりました

  HAPPY・・喜んでばかりもいきません

   なぜなら、みなさんの・・メールアド・・ぜーーーーーーーんぶ
    吹っ飛びましたんよ

       皆さんにお願いです・・ヤナにメールください・・お願いしまーーーーす!!

  ヤナもめでたい脳みそです

              なんだか・・うれしい・・ヤナでした

tuya - 2002/03/10(日) 13:23<

おめでたい脳みそ

発熱してしまいました。食べ物に気をつけていても、睡眠をおろそかにしていたら、なんにもなりません。アホです。
布団の中で汗をかきながら眠っていたら、仲良しの奥さんとサウナに行く夢を見てしまいました。とことんおめでたい人間です。

ヤナさん>わたしの誕生日は翌日です。なんだかうれしいです^^わたしもヤナさんみたいに優しい人になれるかな?
GAINAさん>35歳くらいのとき、無性に死のあり方について考えてしまった時期がありました。それ以降、死って人生の総仕上げだと考えるようになりました。その総仕上げを、不自然なあり方で台無しにされるのは、とても残念です。

ヤゾー - 2002/03/10(日) 10:30<

クルマが壊れて靴をタヌキに盗られて難儀してます

昨日、朝から地元の友達に頼んで近くのスクラップ工場へ乗せて行って貰い、
クルマの部品を探しましたが合うのが見付かりませんでした。
お昼前に戻って来て、天気が良かったので一つしかない靴を表に出して干しておいたのを、
取り入れるのを忘れて今朝みたら片一方がありません。
タヌキが持って行ってしまったのかも知れません。
残るは釣り用の磯ブーツとサンダルしかありません。
アハハハ 笑いごとやありましぇん・・・(-_-;)
田舎生活 クルマと靴が無ければ生きて行けません・・・(;_;)

もんむーさん NHKスペシャル「旅に生きる家族」見ている途中で寝てしまいました。
再放送を待ちます。

ケイミさん ありがとうございます。
こちらの花粉は凄いですよ〜
黒い物を表に置いておいたら、
薄らと花粉が積もっているのが確認できます。
そろそろピーちゃん達が巣篭もりの準備を始めたようです。
今からでも間に合いますから、
巣箱を作ってネコやヘビに襲われないようなところに掛けてみて下さい。
牛乳パックに直径3センチの穴を開けたものでも大丈夫ですよ。

あかりさん お誕生日おめでとうございます。
あかりさんも三月生まれなんて寄寓ですね。
ヤナさんとtuyaさん 一日違いの誕生日なんですね。

GA( @ I * )NA さん 人間も自然の一部なんですから、
自然に生まれて自然に死にたいものですね。

とんちんかん小僧 - 2002/03/10(日) 10:06<

春が近くまでやってきたよ!

GAINAさん
その仮説当ってるかも。
父は12月、弟は9月で寒がりではないですし、母は5月でオイラは4月で超寒がりです。
そして、母とオイラは夏に強いです。今、震えながら書いてます。さむいっす!
ここ数年、夏ってベラボウに暑いから、夏も少し苦手になってきました。
なんせ人間の体感温度より高いから。
オイラは通常35.5度の低体温(かなり河童に近いからね)だけど、あまり暑すぎるのも
ちょっと厳しくなってきました。(だから河童の目撃例も減ってきてるのでしょう)


なんや、三月生まれのヒトばかりだね。皆さん、おめでとうさん。
少し前にTVで沖縄の島々のずーっと台湾に一番近い島で、3月3日のヤゾーさんやこち亀の
両さんの誕生日で玉置神社で御祭りがあった寒い日にナントカ島(名前忘れました)で早く
も海開きがあって、レポーターの女の子がビキニ姿で海に飛び込んでいました。
沖縄ってまだ行ったことはないんですが、見ていてすごく行きたくなりました。
だってこっちはまだ寒いんだも〜〜〜〜ん!!!

GAINA - 2002/03/09(土) 23:49<

訂正です。

>父親があの世に逝く時に、満潮に向かうまで  は間違いです。
             干潮に向かうまで  に訂正いたします。
どうも、失礼しました。
 

GA( @ I * )NA - 2002/03/09(土) 23:29<

人間は自然からはみ出そうとしているのかな?

こんばんは。

3月生まれのみなさん、HAPPY BIRTHDAY!
このような説はみなさんに当てはまりますでしょうか?
生まれてから、寒さ、暑さのピークを迎えるかによって、寒がり、暑がりが決定する。
寒さのピークを過ぎて生まれた人(生まれて最初に迎えるピークは暑さ)は、暑さに強い。
厳密にいうと、春の中頃から暑さのピークまでに生まれた人は、一般に寒がりである。
こんな仮説はいかがでしょう。

それに、生まれてくる時は、満潮に向かう時。死んで逝くときは、干潮に向かう時。
こんなことを聞きませんでしたか?昔はそうだったようですが、
tuyaさんのように、このごろの医学は時間調整的な処置をするので、変わってきたみたいですね。

父親があの世に逝く時に、まだ満潮に向かうまでは時間があるので食事に行ったところ、
もう少しで臨終に立ち会えないところでした。延命措置で変わってきたのでしょう。

本来人間にある大宇宙・自然の摂理(人間も自然の一部)も失われつつありますね。
どちらがいいのか、本人の意思が尊重されるようにならないものでしょうか。
ちょっと感じたまでを・・・。

ya(^ε・)na - 2002/03/09(土) 23:26<

へんらへらへら・・

三月生まれ・・三月生まれのひとて・・

    やさしくて・・ほんでから・・強くって
       ほんでもって・・みんなの事考えている・自分の事さえ忘れて・人のためにつくすんやてえ
   
   ほんまかいな!!


       
         ・ちなみに・・やなも・・三月25日うまれですねんよ!!


tuya - 2002/03/09(土) 21:30<

お誕生日おめでとうございます

あかりさん>お誕生日おめでとうございます!実はわたしも3月生まれです。下旬ですけど。3月といえば日増しにうららかになっていく頃。年をとるというのに、なんとなく心うきうきする季節なんですよね♪
不自然な出産>そういえばわたしも出血が長かったです。

あかり - 2002/03/09(土) 20:43<

びっくり

ここのページを見たとたんHappy Birthday!でしたかと書かれていてびっくり、実は私は3月9か生まれです。私の場合娘にしか、おめでとうといってもらえなかったけれど。この掲示板を見られる3月9日生まれの全ての方々おめでとう。やはりいくつになっても誕生日は嬉しいものです。

tuyaさん、実は私も3人目の出産の時上の二人とはちがう病院で産んだのですが、午前3時なんて言う時間だったせいか、どうも医者が早くまた寝に戻りたかったらしくぎりぎりに来てやはりへその緒を引っ張られて胎盤を出されたようです。そのせいか、授乳して至急が縮むと出血がひどかったりきりきりいたみました。しかも上の二人の子の時と比べ、いつまでもだらだらと出血していました。上の二人のこのときはおなかをもんでくれたり、はいもう一度いきんでくださいといってくれ、自然に胎盤を出させてくれたのでそんなことされるなんて本当に、びっくりしました。でも結構医者の都合でいやな出産体験している人っているものなんですね。

ケイミ - 2002/03/09(土) 12:17<

Happy Birthday!(でしたか??)

ヤゾーさん、こんにちは!少しご無沙汰してしまいました。熊野の花粉はいかがですか?
あ、お誕生日だったのですね?!Happy Birthday!おめでとうございます(^o^)!
ヤゾーさん、『森の生活』という本を読まれたことありますか?まだ読んではいないのですが、図書館から借りてきました−返却期限(2週間)内に読めるかどうか^_^;。都会を離れ、森で自給自足生活を送ったヘンリー・D・ソローという人が書いた本です。
最近わたしは庭に小鳥の巣箱をかけたくなってきました−森の中ではいりませんよね??
今日は動く気がしなくて、時が過ぎゆくのに身も心も任せています……

もんむー <http://www.nhk.or.jp/special/top.html> - 2002/03/09(土) 08:06<

旅に生きる家族

おはようございまさす。
今日の21時15分からのNHKスペシャルは「旅に生きる家族だそうです。
近年アメリカでは自宅を売り払ってキャンピングカーを買い、それで
全国を移動しながら生活する人が増えてきているそうです。そしてIT
を活用して同じような生活をしている人同士のコミュニティを生まれ
てきてるのだそうです。これはその姿を追ったドキュメンタリーです。
ちょっとおもしろそうなので見てみます。

ya(^ε・)na - 2002/03/08(金) 23:01<

んんんなんかへん??

なんや・・へんですねえ!!PCおかしいから・・

     変な画像でたら・・ごめんなさい

  今日近所の子供が・・ゆうとりました・・

  あっさん・あほぼけ・・やってえ・・・

    おいおい・・ええかげんにせいよ!!

  この頃のわかい・・おかあちゃん・・子供のことこわがっとんちゃうか・・

   ええかげんにせえよ・・コンドヤナにゆうたら・・ケツどつきまわすでえ

        そんでもええねんなあ・・

                  韓国の若者・・中国のわかもんの・・と比べて

  なんや・・わが日本の若者・・なんやおとりますねえ

                  けえええええ・やなのんでますよん

        

ヤゾ− - 2002/03/08(金) 18:35<

自画自賛

今日はちょっと自分を誉めたくなりました。
少し前からクルマのブレーキから異音がしていました。
それでタイヤを外したり、下に潜ったりして点検してみました。
どうもディスクとパッドの調子が悪いようなので、
分解しようとボルトを外そうとしたら、
なななんと!ボルトが折れてしまいました。
これはえらいこっちゃ!折れたボルトをなんとかしないと
交換部品が大層になって修理するのに物凄くお金が掛かりそうだ〜(泣)
と、折れたボルトをなんとかして抜き取ることを考えました。
ルータ−を持っているので、それで折れたボルトの頭に+のネジ穴を彫り込んで、
インパクトドライバーを使えば出てくるのではないかと、
クルマの下に潜ってルータ−でネジ穴を彫り、
インパクトドライバーの先をそれに合わせてグラインダーで削って、
少しずつ叩きながらペンチで掴めるだけ引き出すことが出来ました。
なんちゅう器用な奴じゃと自画自賛してしまいました。
で、結局はディスクのローターとパッドを一ケ所交換して、
パッドを押し出すピストンをオーバーホールしなければならないようです。
いずれにしても困った。

tuyaさん 医者の都合に合わせられて可哀想でしたね。
自然のリズムで、自分達で出産できたら素晴らしいでしょうね。

蜜柑さん 新婚旅行は何処へ行くのでしょうか(祝い)

とんちゃん うんにゃ!
自覚しているのが2度目ということです。(笑)

とんちんかん小僧 - 2002/03/08(金) 01:22<

今年、2度目の赤面話

1回目は、寝袋事件でした。かなり恥ずかしかったです。寝袋を見るのも初めてだったから仕方
ないと今は思っています。
でも、1度あることは、2度あるもんなんですねー。
昨日、近くのコンビニまで自転車に颯爽と乗ってコピーを取りに行きました。
自転車から降りて鍵(四つの数字を合わせて解除するタイプ)を右端だけをずらして、コンビニ
の中へ入っていきました。
で、コピーを終えたあと少し、本やお菓子を見て「なんかないかな〜」と物色しましたが、何も
なかったので自転車の鍵を外して別の本屋へ行こうと思ったのですが、鍵のナンバーがイツノマニカ
ぐちゃぐちゃにされていて番号が判らず(自分の自転車じゃないのです)。弟にメールしても
「さぁ〜?覚えてない」とかいう始末・・仕方なく適当にやってましたが解除できず。
あまり鍵をがちゃがちゃ触っていたら不審がられると思ったので、コンビニの姉ちゃんに顔から
火が出そうになりつつも事情を話し、自転車を一日、置かせてもらいました。
多分、心の中で「この人、ちょっと頭おかしいちゃうー」と思われたかもしれません。
アハハ、ハァー・・明日、取りに行ってきます。

この日、予定を変更して馴染みの古本屋に行くことにしました。そこで、白土三平さんの『ワタリ』
全7巻、全部初版本を1000円で購入しました。まだ読んでませんが、店主のおっちゃんによると
「これ、都会で買うとしたら、もっとするよー!」と言ってました。とてもラッキーでした。

蜜柑 - 2002/03/08(金) 01:22<

サンカ選集

その、1巻のケツの方に
「テンジン」の写真があって
「母念寺別院」とあるでしょ。

その場所。見付けました!!
Tuyaさん、新婚旅行で来ませんか?

tuya - 2002/03/07(木) 23:06<

サンカ選集第一巻を読みました

 三角寛のサンカ選集の第一巻を読み終わりました。瀬降物語を見たときにも一番印象に残っていたのですが、今回もやはりサンカの女の出産のようすに深い感銘を受けました。(以下、引用)
******************************
 瀬降の女は出産について、「クソをするのと同じだ」といって、一般社会のような大騒ぎはしない。予定日がきても、平然として働いている。ユサバリを畳んで、移動中にも産気づくことがある。そんなときでも。肩の天幕を下して、その場で産む。かつて、異常出産の実例がない。
 ということは、それが本来の人間の常態である。・・・・・・
******************************

 私は普通に病院で産みましたが、初産で朝7時に破水して、自然にいけば晩の8時くらいに生まれる計算なのに、病院の都合で夕方までにお産を終らせるため、なにも異常がないのに、陣痛促進剤を一定時間おきに服用することで出産時間を早められ、昼の三時に分娩台に上がり、12分後に切開して子どもを引っ張り出されました。後産まで、次の陣痛を待たず、へその緒を引っ張って出されました。楽でしたが、あっけなく感動の薄い出産でした。私と子どもの自然のリズムは、完全に無視されました。
 こういうのって傷つくものがあります。自分と同じようなことがたくさんの妊婦に行われているのなら、中にはそれが原因で、悲しい結果 に終っている出産もあるのではないかという気がします。
 幸い、最近はこうした点がかなり見直されてきているようです。お産はとても感動をともなうものだから、産む母親と生まれてくる子どもの自然のリズムを尊重してほしいし、またそのほうが、医学的にも安全なのではないかという気がします。
 サンカの研究がもっと進んで、自然の中で暮らしてきた人々の知恵が、たくさん現代に蘇ればいいなぁと思いました。

管理人ヤゾー - 2002/03/06(水) 19:35<

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>ヤゾーさん、またお会いしましょう。
GAINAさん そうですね。
こちらに来られるときには是非連絡して下さい。

やはり交流というものは、会って話しをするのが一番ですね。
文章だけのイメージが独り歩きして、実際の人物とは随分と違うこともありますが、
直ぐに旧知の仲のような関係になれます。

にっちょさん 倭寇が100年近くも暴れていたのですね。

その倭寇に済州島などを含む現地勢力や、
半島の住民で白丁と呼ばれる賤民階層が参加していたという話しですが、
半島と日本の複雑な関係を感じさせますね。



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