過去のKumanolifeGuestbook

[過去ログ インデックス]   [KumanolifeGuestbookへ戻る]

2002年02月05日(火)06時15分までのKumanolifeGuestbookへの書き込みです。


とんちんかん小僧 - 2002/02/05(火) 02:00<

紋次郎さん

レス有難うございます。
>とてもよくわかってオモシロいです
僕も自分だけではなく、見る・読む人々にも判りやすそうな感じに書けるよう日々努めて
ますヨン。歴史的なことに苦手な方には気の毒だが、これ以上、判りやすく(!?)書く
のは難解だけどね。ありがたいことです。今日は、また今晩にでも続き書きますヨン!
まとめきれなくて、今すぐは投稿できず・・残念ッス!

ya(^ε・)na - 2002/02/04(月) 23:13<

けけけけ

なんかまちごおたわ

ya(^ε・)na - 2002/02/04(月) 23:11<

ながーーーぃなまえ

こんばんわ・・やなですよん

  へへへへのけけけけけ

  うちの家って、変な家ですよん

    みんな、ジュゲムのなまえいえますよん

  じゅげむじゅげむ、ごこうのすりきれ、かいじゃりすいぎょの、うんぎょうまつふらいまつ、くうらいまつ、くうねるところにすむところ、やあぶらこうじぶらこうじ、パイぽぱいぽぱいぽのしゅうりんがん 
しゅうりんがんのぐうりんだいぐうりんだいのぽんぽこりんのぽんぽこなあの長きゅうめいのちょうすけ 


   なんてのどおですか!! 

tuya - 2002/02/04(月) 21:25<

蜜柑さん、ありがとうございます

 蜜柑さん、中山ラビの件、ありがとうございます。(実はちょっと期待してました^^;;)アルバム名がわかったので、早速探してみます。そうです、ギター弾き語りでした。
 当時私は新聞奨学生で、平日は朝夕刊配達しながら夜学に通ったりなんぞしてました。そんな生活だったので、日曜は朝刊を配達したあとクタクタになって寝てました。目がさめると部屋がすでに暗くなっていて、空しいような淋しいような思いで、そのまま電気もつけず布団の中で「もうすぐ」を聴いてました。ラビさんの淋しげな歌が身にしみるようでした。(ちなみに私は「一人っ子」)
 それから碧眼のサンカの資料、ヤゾーさんから「サイギョウ」?してもらいました。
 いろいろ親切にしていただき感激です^^

蜜柑 - 2002/02/04(月) 15:09<

tuyaさん

>歌詞もおぼろげです。なんやら
「一人っ子」がどうのこうのとか「白装束」がどうのこうのというフレーズがあったような・・・・(なんていい加減)


其れは、「もうすぐ」というアルバムに入っている
「一人っ子」と「念仏暮らし」でしょう。たぶん。
唯一のギター一本の弾き語りアルバムです。

*(^..^)*ngly - 2002/02/04(月) 13:53<

拾うから撒く

 正月に雑煮の前に煮豆を食べるK君がいます。「君は本来
非土着系で、もしかしたら鬼の家筋かも」と伝えました。
 先日広島県賀茂郡の親戚で、K姓はサンカで、昔竹細工をし
てたとの話。今は帽子などの材料になる白木(イタヤ楓?)紐
を作ってるとか。その集落を通った時に甲賀姓もあったと記憶
しています。豆を撒くのは「拾う人がいて、その方(貴女の祖先
かもね)のために撒くのですよ、ボランタリーです」、「近くに
寄ると汗臭かったり、虱が跳んでくるから、袖の上に移しあげず
に投げたのです」と言ったら若い女性がびっくりしました。
 八切止夫は桃太郎の鬼とはサンカのことであり、サンカの血筋
を引く祖母から「鬼は外とは何事か!」と怖い顔で叱られたと記
しています。確かに「鬼は内、福も内」「福は内」だけと豆撒を
する地方は結構あり、紀州や三重にもあったようです。鬼といっ
ても反抗する先住民・出雲サンカ・エミシ・木地師とありそうで
す。「鬼は外、福は内」は人種・階級差別の掛声かもしれません
ね。サンカ研究からこのような政治的観点を落すとサンカ民俗学
に堕落するようです。また撒く側も「豆しかない」暮らしだった
の現実も忘れてはならでしょう。
 我が家の渡来系の鬼達は青豆・空豆・大豆が大好きです。

ホラふき 紋次郎 - 2002/02/04(月) 10:11<

熊野の行者はホラ吹いた

 ヤゾー親分はトロイメライ最中らしい。八っつぁんにお尋ねしやすだ。
 サンカ・熊野でズーズー弁を聞いたっちゅうお覚えはござらぬか?

 とんちさん、とてもよくわかってオモシロいです。
 「将軍の勘気を受ける」‥‥含蓄ある措置ですね。将軍だけに「イヤン・イヤン」が許さ
れていたん‥‥やろか。大名とり潰しとか「おいぬ様」をまかり通す下準備ね。

       ……………………          ……………………
 ところで、「ホラ貝、ホラ吹き」の語源がわかったみたいなので、ここに披露カネ。
 古代人は形あるものの裏に「まだ形となって顕われていないもの」へ強執を持った。
 譬えが悪いが血管はなんにも力がない。だが、血管の中を暴れまわり、走りまわる血には
いのちがあら。血は霊(チ)と関係があるかもナ。
 柱と柱のあいだの空間を MA と呼んでことのほかダイジにした。結界でんな。末確定領域
ですが、それを「ヒ(氷・簸・斐・)」とも呼んだ形跡が濃密です。また、これはほとんど
確定領域ですが、それを U-TUTU(現) とか U-TURU とも呼んだ。

 日本語の「恋」たァ、あっちの心をてめェのほうへ「来い来い」と呼び寄せること。ホラ
を吹くとは「向こうにある霊気をわが身へ呼びよせる所作」。
 ネパール語 KHOKRA は「木のホラの中になんにもない」というミョウな形容詞的名詞で
す。KHOKRA の KRA は峠のクラとか鞍、庫とおなじで、「KURA(語り・事物)」から出
た「形あるもの」‥‥機構の“構”‥‥またこれ、神の座でんな。神庫と書いて「ホクラ」
と読ませる‥‥これホント。
 KHOKRA の KHO が上の説明で得られる「な〜んにもない」でんがな。この KHO という
発音はいうなれば XO で、 X はドイツ語のブッフ(本)のフ、‥‥挟擦音。KHO が日本語
化されるときは「ホ」か「コ」になるのであります。

 ホラの -RA は強調末尾辞で、これ自体には意味はありもはん。「ホラ」とはなァ〜〜んも
ないということ。
 老木の肌が KRA(構)で、なァんもない空間と木肌の二ついっしょで KHOKRA 。
 ネパール語にはすでに ΒOLーで「呼ぶ・会話」があります。ホラ貝は吹かなくても、ヒマ
ラヤの霊峰に向って「ナ〜〜モ〜〜」とか「ノ〜〜ノ〜〜」とかを叫んで、返ってくるコダ
マに神意の応答を感じとる錯覚行があったと思われます。
 「ホラ貝を吹く」の「吹く」もネパール語 PHUK(くちで吹く)と同一です。
 では「貝」の語源‥‥、エッチ思考のムキには稿を改めて‥‥。

とんちんかん小僧 - 2002/02/04(月) 00:12<

スキヤキ

一昨日、『狂牛病』で牛肉を食べなくなっていたのですが、ようやく我が家でも“解禁”
され牛肉を超久しぶりに食べることができました。
なんか、10年以上、食べていなかったような感じがしました。
やはり牛肉は最高にウマイ!!

そういや、今日(と言うか昨日になった)は「鬼は外・福は家」の日でしたね。
マメちゃん、いっぱい食べましたー、投げ込みましたー?
僕は、クラッシックの演奏(DVD)を見ながら、パクパク食べていました。

とんちんかん小僧 - 2002/02/03(日) 23:26<

柳生一族(7)

 長男のことなので、江戸城を離れる訳にはいかないが、将軍の勘気を受けた身となると、
登城する必要がないことになる。
 かといってこの十兵衛、江戸の邸にじっとしていたかというと、どうやら江戸にはいな
かった。
 これもまた不思議な話で、将軍の勘気を受けて十二年も出仕をとめられた大名の長男が、
武者修業を理由に悠々と諸国を旅しているのである。
 しかもなお不審なことに、十兵衛はその間に秋篠(あきしの)和泉守の娘を妻に迎えて、
二人の女子を儲けている。
 大名や旗本の結婚縁組は、全て将軍の許可を必要とする。ところが十兵衛は勘気を受けて
出仕を止められているぐらいだから、正式に結婚できない身の上である。
 側女を置くことさえ憚(はばか)られる男が、将軍の許可なくしてはできない結婚を、
ちゃんとしているだから奇妙この上ない。
 この不思議な現象を解く鍵は、十兵衛隠密説である。
 もし彼が別命を受け、一応勘気を受けたことにして江戸城から姿を消したのなら、父親が
引き続き大目付の要職にあっても不思議ではない。
 まして将軍家直属の隠密取締役として秘密の任務に従事していたのなら、その間の結婚も
ありうることでしょう。
 しかし隠密となって修羅場に身を置いたのかというと、それは否だろう。すくなくとも大名
の長男なのだから、十兵衛が自ら剣をとって戦ったわけではないそうです。
 十兵衛の果たした役割は、高度の政治的判断を必要とするCIAの現地指揮官だったのではないか
と考えられているようです。(そこが現実と小説の世界の違いでしょう。)

紫門 - 2002/02/03(日) 18:03<

ya(^ε・)na さぁぁぁああああ〜ん!

          なんもかんがえんとも・・・

                   かんじましたよぉ〜い!








                         かんじましたよぉ〜い!

うろつき 紋次郎 - 2002/02/03(日) 09:30<

 熊野・サンカにズーズー弁は残ちゃいやせんけぇ  

 熊野・サンカが出雲帝国の落とし子なら、往古の語りぐちはズーズー弁だったはず。
 ありませんカネ。誰ぞお教えください。

クミコ - 2002/02/03(日) 01:46<

もうすぐ一年

瀬織津姫を探しているうちに
本来、私達は山や川、海や太陽の中に神を見出していたのに
いつのまにか人や像や紙切れに手を合わせるようになっていったんだなぁ
とつくづく思いはじめるようになりました。
もしも限りなく真理に近い経典が存在したとしても
そこに欲のかけらが混じっていたら、やはりいつかは破綻をきたす。
例えそれがいかに人間らしい願いであったとしても。
私達は手を合わせるところを誤ってはならない。
その誤りが沢山の不幸を創ってきたような気がします。
サンカはその過ちを犯さなかった人達。
川原で眠くなったら寝る!やっぱりいいですよね。
Kumanoで遊ばせてもらうようになって、もうすぐ一年が経ってしまいます。
今年は満開の梅、見れるかなぁ?

とんちんかん小僧 - 2002/02/02(土) 22:41<

柳生一族(6)

●十兵衛隠密説の根拠

 関ヶ原の戦いから江戸幕府初期の間(約50年間)で、取り潰された大名は五十七家に及び
その禄高は四百万石にも上るという。その他に処罰を受けたり改易されたりした大名となる
と数え切れない程で、大半は政略的なものが多かった。
 こんな大作戦を展開しようと思うと、多くの情報を集めなくてはならないが、事が機密を
要するものだけに、顔を知られた幕府の役人では間に合わない。(現代もそうですね)
 そこで諸国に散ばっている柳生の門弟が動員され、一門の名だたる剣士が動員されたもの
と思われる。つまりそれがいわゆる裏柳生だったのだろう。
 このような時代背景の下に登場するのが柳生十兵衛である。
 宗矩の長男に生まれ、剣をとっては父に優るといわれながら、何故か十兵衛は、二十歳の時
、将軍家光の勘気を蒙(こうむ)って出仕をとめられることになった。
 彼が再び出仕を許されるのは寛永十五年(1638)のことなので、その間約十二年の長きに
わたっている。
 普通、長男が主君の勘気を受けて十二年も出仕をとめられたなら、父親の方も謹慎していなくて
はならないのに、父の宗矩は、老中・若年寄に次ぐ大目付の要職にあって、しかも将軍家の指南役
を勤め、宗矩が病気になると、将軍家光は、自ら柳生邸へ赴いて病気を見舞ったというほど厚く
もてなしている。
 それほど信任が厚いのに息子の出仕は十二年間の長きにわたってほったまま。父親の方もまた
、知らん顔。
 ここに十兵衛隠密説の根拠がある。

turukot(−。。−) - 2002/02/02(土) 22:22<

語源なんてワガラネ〜

>TURU しゃんのカキコにも「盗意」ムラムラあるね。

「盗意」なんてありましぇん。オイラが聞いたことをかいたまで。
語源がどうか?なんて実のところハッパ(さっぱり)ワガラネのです。

諸説を聞く自体面白いですよ。
紋のダンナのおっさることはうなずけます。
あっしもそんなξ臭いξを感じます。「ミョンナンジャ」にもね♪
 

tuya - 2002/02/02(土) 22:13<

おいしそうな話題だわ〜♪

明太子、辛子明太子>たまりません〜。といっても私は呑み助ではありません〜。実はかす汁2杯でまっかっかになってしまう下戸でございます〜。なのにぃ〜なのにぃ〜、酒飲みが好むものが大好きなのです〜。明太子、お茶うけに最高です〜〜〜(笑)

キ印 紋チャン - 2002/02/02(土) 21:00<

  巷間語源 と 根源語源  

 TURU しゃんのカキコにも「盗意」ムラムラあるね。

 シェイシュンの紋チャン筑豊で育ったネ。子どものとき「メンタイコ」も「タラコ」もシ
ランかっとってン。おれたちは「鯛のマコ」と呼んでいました。
 目が青いのが特徴の「メンダイ」という鯛がいるンですよ。その「マコ(魚の子ども)」
が「鯛のマコ」とバッカス思うてきました。メンダイは鮮かな赤い色で、「タイのマコ」が
そのマコであっても決してオカシくはないと思います。
 メンダイは40センチぐらいの大きさが普通で、戦争前は安い値段で庶民も用意に買えま
した。
 おらが4歳か5歳(昭和14年ごろ)ぐらいのとき、売店(鉱山経営)の魚屋のオッサン
がヒヨくれ(ふざけて)て「アアー・メンダイ メンダイ」と言ったので、買いに来ていた
オバチャンたちが、どっと笑ったのを覚えています。やっぱ、すこし高価だったんやろか。
 メンタイコとかタラコの呼び名を聞いたのは関東にきてからでした。

 それを初めてきいたのは、浦和(現・さいたま市)の M という飲み屋で、そこに33歳ぐ
らいの、朝鮮銀行の課長か係長ぐらいの青年がきていて語ったのでした。
 ひとくち食べたり飲んだりする毎に、ティシュ・ぺーパーでくちの中の唾液を拭ぐうイヤ
なクセを持った男でした。握った寿司などをヂカに置く楓板のうえに、そいつは唾液にまみ
れたティッシュ・ペーパーをヂカに10センチ以上も重みかさねるのでした。
 「メンタイコなんて朝鮮語起源じゃないか‥‥」と、そいつが喋る言葉も、そのときはウ
ツロにしか響きませんでした。

 TURU シャンカキコのお蔭で、われわれが普通「語源」と呼んでいるものの中には「その
発音が社会に固着してしまったあとで、“生活者”が周辺類似発音と関連づけて、腑におと
す領域」があることをハッキリと掴むことができました。
 いうなれば“巷間語源”でしょうか。

 ところが、太古の大昔から喋べられ、ユーラシア大陸に広がる“起源的な語彙”によって
造られた語彙もあります。
 タイノマコの「マコ」は魚(マ)の子ですが、それはネパール語の MACHA(魚)のMA
をとったものであることは、疑いのないところでしょう。
 沖縄にはエラブチャーという魚がいますが、エラブは珊瑚礁のことですが、その CHA は
MACHA の CHA だと思います。
 そして、ネパール語の MACHA とは MA(水)CHA(居る・棲む)から成ります。こう
なったらもう、やっぱ「語源」と言ってもいいのではないでしょうか。
 エラブとはオーストラリア・アボリジニ語で「魚」です。珊瑚礁には魚が棲む‥‥。

turukot(-,.-) - 2002/02/02(土) 00:58<

ミョンナンジャ(明卵子)

語源とは関係あるかどうかわかりまへんけど。。。

にっちょ二ム(様)
>明川の太氏が捕ったサカナだから以後「明太」(ミョンテ→メンタイ)と
>呼ぶことにしたそうでアリマス。

以前、プサンのチャガルチ市場で1.2kgのを買ったことがありましたが、韓国の友人に
「ミョンテジャ、ミョンテジャ」いうてたら「韓国ではミョンナンジャっていうんだよ。」
と言われて、以来「ミョンナンジャ〜」と呼ぶようになりました。チャンチャン

チャガルチで買ったのはトンゲアン(東海岸―日本海沿岸ということ。ヨルムン シウォナジヨ〜)産
でした。安くて親・親戚にあげたら大好評でした。

福岡には明太子の店や工場がおおいですが、ある会社は韓国法人(同じ会社のグループ)から大量に輸
入しているケースもあります。明太子に限らず子会社・提携企業などから輸入→福岡の会社→店 
という流れは明太子に限らずわりとあるような気がする。。。

それにしても明太子に渤海が絡んでいたとは。。知りまへんでした。

とんちんかん小僧 - 2002/02/01(金) 22:42<

柳生一族(5)

 元和(げんな)元年(1615)の大坂夏の陣で、柳生宗矩が太刀をふるったことが
『徳川実紀』にある。
 木村重成(しげなり)の一族の主計(とのも)という者が素肌(すはだ)武者数
十人を率いて、ふいに秀忠の本陣を衝(つ)いた。旗本が崩れ立ったとき、宗矩は
秀忠の馬前に立って、七人まで切り捨てたというのである。殺陣(たて)のない
宗矩の記録としては珍しいことのようです。
 この大坂の陣で、もう一つ名の挙げる出来事があった。それは例の坂崎出羽守の
事件で、反乱に及ぼうとした出羽守を誰も説得できなかったのに、宗矩がとり鎮めた
という話だ。その功によって、坂崎家の家紋“二階笠”(頭に被る笠を横に重ねている
マークです)や家財道具一式を賜ったそうです。現在の子孫もおそらく、二階笠を
使用している事でしょう。
 それから、寛永九年(1632)十二月、柳生宗矩は大目付の要職についた。大目付は、
主に大名や旗本の取締りに当っていた。
 何といっても何十万石という領地をもつ大名を監察するのだから、その権威はすご
かった。将軍に直訴できる権限もあり、老中の支配下にありながら、その老中をも監察
する権限をも与えられているのだから・・これはまさにアメリカのCIA長官に匹敵する
地位といっていいだろう。
 当時、徳川幕府は生誕してまもなくだったので、大名の離反を何よりも恐れていた。
中でも、かつて徳川家と同格だった加賀の前田や薩摩の島津、中国の毛利などが果たして
幕閣の言いなりに従うかどうかと不安を抱いていたからである。
 その上、幕府の方針や施策を不満とする者が後を絶たなかった。

*木村重成は個人的に好きな武将の一人です。まだ、あるかどうか判らないけど、大阪の
八尾市に彼の碑があると思います。(もしかしたらもう移転してるか潰されているかも)
*次回から十兵衛が登場します。

にっちょ - 2002/02/01(金) 22:20<

メンタイ

その昔咸鏡道の明川に太氏を名乗る漁師がいまして
あるとき今まで見たことも無いサカナが捕れたので早速これを
王様に献上食された王様はその美味しさにたいそう喜びさっそく名前を付けることにしました。
明川の太氏が捕ったサカナだから以後「明太」(ミョンテ→メンタイ)と呼ぶことにしたそうでアリマス。

渤海(太氏)の第2代武王は日本との修好関係を成立させ200余年にわたる善隣友好と交易の
道を切り開いたそうです。
ラビさんもきっとメンタイコは大好きだと思います。

*(^><^)*ngly - 2002/02/01(金) 22:07<

読まれました

 かなり前に紹介したのですが、長いベストセラー平岩弓枝『御宿かわせみ』
を読まれた方感想を教えて下さい。京の公事宿・小川家に似たところがありま
せんか?

tuya - 2002/02/01(金) 21:25<

和歌山弁から中山ラビへの連想

 けったいな題ですみません。

 ヤゾーさんTV出演のビデオの中で、ヤゾーさんが「全然」を「でんでん」と発音されてるのを聞いて、大喜びしてしまいました。
「和歌山人だぁ〜〜」
 若い頃の友人の彼氏だった人(今は42〜3才くらいの人)が和歌山のみかん農家のぼんぼんで、めっちゃ男前やのに和歌山弁丸出しで話す人でした。和歌山の人って「ザ行」の発音が「ダ行」になっちゃうんですよね。小さい子などは字を書くときも「ザ行」と「ダ行」を混同することがあると聞きます。
 その彼も「冷蔵庫」を「れいどうこ」と発音するので、おもしろいのでなんべんも言わせて笑っていたら、仕返しにわたしの山口弁をからかわれてしまいました(笑)。
 彼は20代前半に東京で何年か暮らしていたのですが、その頃中山ラビさんのお店の常連だったそうです。「つやちゃん、中山ラビは聴いとかな、あかないて」と言って、カセットにラビさんの歌を入れてくれたんです。
 でも題名を書いてくれてなかったので、ずっとあとになってそのアルバムを聴きたくなったときに、どれだったのか見つけることができませんでした。むっちゃ昔のことなので歌詞もおぼろげです。なんやら
「一人っ子」がどうのこうのとか「白装束」がどうのこうのというフレーズがあったような・・・・(なんていい加減)
 懐かしいです。もしかしてその彼、こちらのどなたかと知り合いだったかも。ニックネームは「マコ」ちゃんといいます。詩を書いても、絵を描いても上手な人でした。中山ラビ時代は「ファイ」という同人誌を作ってた人です。

キ印 紋次郎 - 2002/02/01(金) 07:02<

盗られて哭くぐらいだったら 発表するなってんだ なも  

 じゅうようなこってござんす。
 このごらァよく「版権は**にあり」ってエのが書いてある。あれ、アメ公訴訟社会のありよう
が、さも「いいもんだ」みてえな意識に裏うちされているにちげえねえ。
 スバラシイとてめエ勝手に思うなァ、ご本人の勝手だが、その発表したことをこっそり引用され
て怒るくらいのケツの穴しか持たねえんだったら、のっけから発表するなってんだ。

 紋チャンを見ろ、シェイシュン賭けち 骨削っちつかんだ極意を手とり足とりで、タダでさし
上げよう‥‥ってんだ。“気高さ”がちゃうんじゃナイカイ。

 ここは日本だ。アメリカべっとりの風が吹いてる昨今、歴史性の超希薄なアメリカ文化は無検討
無反省のままに進入を許してはなるまい。

 このおらが意見、だれぞ盗んでくれんかなァ〜〜。

とんちんかん小僧 - 2002/02/01(金) 02:37<

tuyaさんへ

>書き溜めたものはまとめて保存していますか?掲示板で流れてしまうのが、
もったいないような力作なのに。

ハイ!一応それ専用のノートを作っていますから。去年の8月分からだけどね。
でも、やっぱり本物の言葉(生の声)には敵わないっすよ!
僕が書いている事って、自己満足に近いものですから。興味ある人無い人いますし。
だからといって、今のスタイルを変えるつもりは全く無いです。これからもネタが続く
限り書き続ける予定です。盗むのも忍びの手段の一つだから・・。

ヤナギムシ - 2002/01/31(木) 23:33<

すんません・・ヤナです

こんばんわ・やなです

  するめ酒・・ってご存知ですか・・

    フグのひれ酒ならぬ・・するめ酒です・・なかなかいけますよーーぅ


      へんら・・へらへら・・かんら・・かrから
  よおてますよん・・はっははっは
   酒を・・呑む事
    酔うこと・・はっはははっは
ほんま・・ええきもちや


  暮れ豚のおときさんが・・いちばんすきや


  なんや・・酔おてますよん
金剛山・・ってかあ・・
  ええやまです・・峠のあちこちが・・こおってました
      tuyaさんアイゼンわすれたらあきませんよーーーぅ
          ひらいた・・所から見る

                 山・・・・・・・・・

          なんもかんがえんと・・みてくらさい

                   なにが・・かんじれました?








                         なにかかんじれましたか??

ya(^ε・)na - 2002/01/31(木) 22:44<

おときさんや

ヤナの好きな・・オトキさんや・・

       みんなきいたってや・・・あとで・・かきこします

tuya - 2002/01/31(木) 20:33<

わたしも盗るぞ^^

とんちんかん小僧さん>わたしも盗るぞ!だから柳生一族の研究、がんばって続けてください。書き溜めたものはまとめて保存していますか?掲示板で流れてしまうのが、もったいないような力作なのに。

*(-..-)*onglyさん> 大学時代の法学の講義(遠い昔^^;;)で、尊属殺人がテーマになったことがあります。そこで紹介されてたケースをいくつか見ると、他の殺人事件以上に気の毒な、情状酌量の余地がありそうなケースが多く、「やりきれんなぁ」と思ったことがあります。・・・・ただ今は・・・・親子の縁となって生まれてきたことにはきっと深い意味があるのだから、どんなに不幸な親子関係でも、そこから何かを学び取らねば先へ進めないようになってるんじゃないかと考えるようになりました。
 でも、そのことと、法的な問題はもちろん別ですけれど。
 法や制度というのは、どこまでも民主的であってほしいです。

とんちんかん小僧 - 2002/01/31(木) 19:18<

紋次郎さんへ

紋次郎さんにそう言って頂けると嬉しいですね。
また、盗れるものがあったら、いくらでも盗って下さい。
僕も紋次郎さんや皆さんから盗りつづけますから。(良いものが多いからね)

キ印 紋次郎 - 2002/01/31(木) 07:19<

  ♪ サラリーマンは気楽な家業ときた紋だ

 とんちさン、‥‥舌たらずまッぴら。
 わがほう「キ」を教えてもらって以来、カッキカッキの日々が展開しちいやす。
 とんちさァのおハナシには宝物がつまっていることウケアイ。“流れ”なんざ気になさら
ねでくだせえ(こんな発言、席亭だけにしか赦されないのかナ)。
 いまも「江戸末期のサラリーマン武士」というありがた〜い言葉が出てるじゃん。

 あっしに言わせて貰うと、当時のおサムライさんたちゃ「てめえの佇まいよか、安定収
入」のほうを優先選択なすったワケざんす。

 ミナシャア〜〜ン、雪キジルシ責める資格はサラリーマンには付与されねえ〜イヨッ! 
サラどんたちが、キじるし責めてえンなら、まんず経済を知る必要があら。
 経済はカラダ使わねえと身につかねえ。ホント〜に経済を尻たいサラどん‥‥誰かいるカ
ネ。土曜日曜遊んでんだろ。やってみらんカネ。
 極意のほどをタダで手とり足とり、指南申しあげるぜ。

 ヤゾー親ぶン、ウチミソーチ(沖縄;起きやしたけえ)

ヤゾ− - 2002/01/31(木) 04:33<

おはようございます

少し前に思うところがあり、山の中で半日ほど座ってみました。
そして自分が自然の一部としてピタッと一つになったときに、
いろんなことを感じ取ることが出来ました。
今、そのことを自分なりに整理している最中です。
ですので、もうしばらく休ませて下さい。

>東北竹細工の方はこちらで対話をされたいようです。

どうぞ、対話に使って下さい。

紋次郎さん 僕もスウェーデンボルグはよく漢字飛ばして読みましたよ。
『宇宙間の諸地球』と『天界と地獄』とかいうやつまだ持ってます。

それにしても、9時に寝るようになってから、
物凄い早起きになってしまいました。

とんちんかん小僧 - 2002/01/31(木) 02:05<

柳生一族(4)

 伊賀の城主をしていた筒井定次(順慶の子)と一緒に宗矩が大和の近くまで戻ってくると、
すでに伊賀の城は敵手に落ちたという情報が入った。そのため筒井はあきらめて東海道に留
まると言い出した。
 宗矩は、間道づたいに、柳生へ戻ってきた。この時、石舟斎は七十一歳であった。
 表面上は悠々自適の隠居暮らしで、“新陰流兵法目録”などを編んでいるようだが、この
石舟斎、剣をとっては壮者を凌ぐ元気さで、門弟や伊賀忍者を使って、西軍の情報蒐集の
元締めをしていた。
 その上、家康に命じられた後方攪乱、ゲリラ戦の作戦まで練っているのだから、柳生の陰の
流れ、後にいう裏柳生は、この石舟斎を元祖といってよいだろう。
 彼は表芸だけでは柳生家を支えられないから裏の働きをもって表芸を保持しようとしたので
しょう。
 また宗矩は、家康が必ず勝つとは思っていなかった。それというのは、彼ら父子の最大の希望
はいつまでも柳生の里の領主でいたいということであったのです。だから、その領地を保証して
くれる主人が、豊臣であろうが徳川であろうが実はどちらでもよかったそうです。
(真田一族もそうでした。)
 この父祖の地を守るために主人をもつという考え方は、源平時代や鎌倉時代に共通する武士の
生き方で、江戸時代のサラリーマン武士とは違ったらしいです。
 柳生父子にとって、住む土地は一つだが仕える主、領地を保証してくれる有力者は一人ではな
かった。
 この点は忍びも同じことで、彼らは庸主のために生命を的(まと)に働いたりはするが、今日
の庸主を明日また別の庸主の命令で殺しに行くかもしれないのである。
 しかしながら、この時、柳生家には、もう一つ大きな布石があった。
 石田三成の家老であり軍事面をすべて任されている島左近(しまさこん)は、柳生の姻戚関係
だったのである。
 左近はもと、筒井家の家来だったが、同じ立場だった石舟斎の長男厳勝は、左近の娘を娶って
いた。こういうのは、どこまで通じるかどうか判らないが、とにかく太いパイプはあったのであ
る。この左近を通じて西軍の動きを探ったのだから、天下分け目の関ヶ原の戦いで柳生家が果た
した功績は大きかっただろう。
 しかしそれは表に出ない、つまり公にされない陰の働きだった。
 だからこそ家康は戦後宗矩にニ千石を与えて優遇したそうです。これは一剣道指南役のもらう
禄高をはるかに越えていた。

とんちんかん小僧 - 2002/01/31(木) 01:58<

みなさんへ

とてもいいお話をしているのに、僕は表舞台で活躍(?!)した柳生一族を書かせて頂いて
います。いろんな話の腰を折ってしまってすまないとは思いつつもアト何回か書くことにな
るでしょう。そっかあー、tuyaさんも『瀬降り物語』見ましたか!それは、よかったですね。

知らなかったこと…
ガシラって魚、昨日までデメキンの一種か、アンコウの一種と思っていました。
そして、彼らを食うことができると知りました。ウマイんですか、ヤナさん教えてちょ!

*(-..-)*ongly - 2002/01/31(木) 00:45<

教えて下さい

 憲法学者・鵜飼信成著ですが「家族国家主義」について書かれた本のタイトル
を知りたい。鵜飼は天皇制度を個人レベルで強固に支えている思想をいってる
ようです。日本を民主制度と天皇制を両立する不思議な・奇妙な文化の国と外国
の識者はみているようですが、どうやら日本の親子関係とそれに付随する男女関
係のあり方が、この矛盾を支えている大きな鍵と考えています。
 この二つについての関係は非サンカとサンカの違いのように思えます。たとえ
ば土地のない瀬戸内海の島々では、サンカと同様末子相続です。本を読まれた方
はいろいろ教えて下さい。子いじめ・子殺しが頻発しても、現在の憲法でも「親子
に法なし」と聞いて驚きです。前阪神監督の息子夫婦達も苦労してるようです。
また相続法には尊属とか卑属の用語が未だに使用されてるとか。戦後の事件ですが
娘を強姦した父親を娘が殺した「尊属殺人」で親に罪なしで、娘を重罪とした最高
裁裁判官の言い分は、何と「娘が親の罪を咎められず、娘を尊属殺人とするのは
日本古来の淳風(美風)」だったそうです。
 サンカの親子のあり方は、何か参考になるようです。

ya(^ε・)na - 2002/01/30(水) 23:15<

アノー・・なんですけど

アノーーーゥ・・なんですけど・・
   
        ヤナです・・

  tuyaさんえらい・・なんですねーーーーぇ

  入れ込みのとこ、なんですねんけど・・

         あんまり・・熱いとやけどしますよん

    自然のなかでの、生活って・・本来こんなものかも

       あまりに、今の若者たちの生活って・・

             必ずやってくる・・日本の飢餓

                   それに対して・・備えはあるのだろうか?


                       ええけどね!!

*(^..~)*ngly - 2002/01/30(水) 23:11<

すみません

 蜜柑さん
 忘れました。たまたま目にしたもので文春か公論の類でした。廃刊になっている
かもしれません。私は岩波の世界は読まないほうです。内容は内部告発的な雪印経営
内部の人事政策に関する「論文」だったようです。当時は労働問題にも関心を持って
た記憶があります。

tuya - 2002/01/30(水) 22:24<

「瀬降り物語」見ましたよ!

 あこがれの「瀬降り物語」を見せて貰うことができました。ショーケンヤゾー、かっこいいですね・・・・・・・・・・・じゃなくって(^^;;;
 いろんな事件が起こる前の、サンカの生活風景の描写の部分がとても好きです。サンカの暮らしぶりに、なんともいえない懐かしさを感じました。メンメシノギでみんな自立してるのに、家族のように親密で暖かで・・・いいですね〜憧れです。
 とくに出産経験のある私としては、サンカの女の出産シーンに感じ入るところ、多かったです。サンカの女は自然の中、自力で赤ちゃんを産み落として、へその緒も自分で切って、川で赤ちゃんを洗うのですね。すごい!すごい!すごい!生活のどんな営みも自然の一風景になってしまって、性ですらも美しいです。
 そして「アノさん」という言葉を、私は大好きになりました。出雲系の私としては、「八雲立つ〜」などというフレーズをきくと、それだけでわくわくしてしまいます。
 今日から神様と話をするとき、「アノさん」と呼びかけてみようと思ってます。

 神様を神様と呼ぶより、「アノさん」と呼ぶほうが、自分にはぴったりくるんです。

蜜柑 - 2002/01/30(水) 16:50<

雪印

Donglyさん。
30年前の論文是非入手したいのですが、タイトル、発行所など教えてください。

*(^..~)*ngly - 2002/01/30(水) 12:41<

賎しを求めて

 雪印=行き過ぎの「ユ」+キ印ではないかと思います。
私30年前頃から雪印の経営のでたらめさを記した論文をみて、製品
を買わないでいました。たまには企業の論文を読むと被害を先取りで
きます。雪印の解散は当然ですが、従業員や労働組合にも責任が
あり、勿論農林省や関連団体も責任があります。監査を公認会計士に
任せるても紛飾決算をするので、まず信用できません。責任を過去に
遡ってとらせる法律を作らないと日本は更に腐敗します。
 品質管理学会も企業の財布目当ての方が多く、かつてのチッソ水銀
・カネミ油症・森永砒素ミルクなどに殆ど無関心でしたので、私は加
入していません。品質管理のシステムを完全に構築すれば、被害は防
げます。企業への集(たか)りが余りにも激しい教授を文部省が介入
して大学を辞めさせた事件があるそうです。
知人にISO公認会計士をする方がいますが、その試験では倫理試験
が最も厳しく、2〜3年に一度資格適合試験があるそうです。
 今後は国際的にも通用する非政府・非企業NPOの介入が絶対必要
でしょう。既に国際標準機構ISOの監査を受ける企業や団体が増え
ています。既存の法人などは今必死で認定資格団体を取ろうとしてい
ますが、役所の関連団体ですから何時腐敗するか分りません。これら
の団体を審査する正義のNPOが必要になるでしょう。日本のリーダ
ー達の社会的説明責任、ノーブル?・オブリゲーションのなさには目
を覆うものがあります。賎民あがりが元の仲間を食い散らす構造が
明治以降ひどく、政治の貧困さの大要因と、石上堅氏はいいます。
リーダーの資格無き者は野に下り、ハイテクを踏まえ、最小高度な
工業力を持ち、自然の中で最小限りの争いですごせる列島へ向けて
前進したいものです。自然に活きながらも、悪質な罪や不道徳には
厳罰をかしてやまないサンカの生き方は1つの模範でしょうか。ただ
流石のサンカも個人の質の向上には巧い手が無かったようです。
語学に強い方もおられるようですが、どうです熊野ライフ中心
に正義のNPOを創っては。
 私はなぜ腐敗したリーダーを生み出すのかを勉強しています。
ヤゾーさん 
 東北竹細工の方はこちらで対話をされたいようです。
 頭角を表す意欲より頭が毛髪から出る事を心配するこの頃です。

紋チャン - 2002/01/30(水) 12:08<

  おら ウータン     

 YANA さン、お呼びに預りやしてアマカネ。
 あっしゃ、一級バツバツのせいでキー打ちが両手使えなく、右中指一本だハンデ‥‥、そ
こへキー板が前から2列めが総員ぶっ壊れやして‥‥ケンショウエン。しかもそこへ古代語
追求がメチャおもろくなりやして、ついぞついぞざんした。
         ……………………       ……………………

 バタバタと騒がしくなったのは、除夜の鐘がなり始めてからこっちのことですタイ。
 眠む気、食い気、いろ気がこと足りたら、ボケ〜〜ッとするのが生体の基本。
 そこを、ことば覚えたお猿さんが「より快適な眠む気食い気いろ気」を希求して“少ない
時間”のなかをほっつき歩く。

 スウェーデンボルクさんが書いた『霊界見聞記』のなかには、あっちのひとが「あんたら
2万年前までは、ようけ来てはりましたが、このごろめったには来やはらしまへんなァ」と
言うた、とありやす。
 その「あんたら」のなかには、オランウータンさんたちもかなり多数入っていたのではな
いだろうか‥‥と、おら邪推する。

 ケタタましくなった大きな原因の一つが、家を建て始めたことにあると、おら思う。特に
現代日本人を見ていたら痛切にそう思う。
 人口を抑制し、傾斜地に横井さんがやったような横穴をあけ、通風口を天井に抜けさせれ
ば、もう少し時間の余裕はとれるのではなかろうか。
 石の建築が多い西洋では、その分だけりビエラに行ってのんびりしている。
 仮りに、木の家を建てるにしろ、千年経た樹木から得た木材は千年の時間に耐えるが、い
まじゃアンタ、30年経ったらガタガタじゃモンネ。
 一世代ごとに家を造らにゃならん。これじゃ一生アクセクアクセク‥‥ですばい。そして
家を持てなかった人は落伍者げなち。子どもからバカにされ、襲撃さるるとげなち。
 除夜の鐘がなり始める前までは、朝起きて寝るまで、われわれは立っているとき以外は、
大地と尻をヂカに接触させていた。
 経済の風に吹かれち、空以外は、目に触れるもの一切が商品だらけとなって、あっしらは
それを“文化”として歓迎せなならんと思うちょる。

 ヤゾー親分はウータンですた。

ヤナギムシ - 2002/01/29(火) 23:21<

ほほーーーい

おこんばんわ・・ヤナどすえ

   紋さん・・どないしてますねん・・
      NONさんも・・みなさん・忙しいのんかいねえ・・

   dongliさんもちょっと・・ヤナむきのやさしいのん・・BBSにかきこしとくんなはい!!

         ほほーーーいよろしくぅ

   んんん・・スペル・・チャウ・・ってか??

      堪忍ね・・そんな・・ラベル・・いや・・レベルにしといてね

tuya - 2002/01/29(火) 22:21<

ビデオ見た!

ちょ、ちょっと、ヤゾーさん・・・
やっぱり似てるってば!なんでぇ〜、アタシとおんなじ顔してるんだぁー!

っていうか、ヤゾーさん、アタシの父親の若い頃とおんなじ顔!
そして私は父親似なのでした〜〜〜〜!!

ヤバイって・・・・・^^;;

あかり - 2002/01/29(火) 21:18<

ホームレスになる方は

かつて、日本の貧困について研究された方の話を聞く機会がありました。その方はホームレスの方に面接での聞き取り調査などをされたそうですが、ホームレスになってしまう方というのは人生の転機の時にちょっとした運が足りなくて、そうなってしまう方がほとんどだそうです。
 

tuya - 2002/01/29(火) 21:08<

>蜜柑さん

蜜柑さん、素敵なお話ありがとうございます。
余分なものを持たない人って、どうしてこんなに優しいのでしょう。

今日はヤゾーさんテレビ出演のビデオ、瀬降り物語のビデオ、送っていただきましたので、いまから見ます。皆さんよりだいぶ遅れての鑑賞です。以前掲示板で話題になってるとき、見たくてしようがなかったものです。

おユキ - 2002/01/29(火) 12:55<
弱い立場の人達への思いやりを失った社会は必ず枯渇すると思います。

蜜柑さんの
>サンカの人が困っていたので、村の人がお金をあげたら、お菓子をかってきて、村の子ども達にあげていた。
というお話しは、とてもよく分る気がします。

蜜柑 - 2002/01/29(火) 01:12<

Tuyaサン

>一度息子を活動に連れて行ったときのことです。息子が「おかぁさん、おこづかいもろた〜」といって500円玉を握り締めているので、びっくりしてどなたからか尋ねたのですが、息子にお小遣いをくださったホームレスの方の姿はもうありませんでした。500円といえば、そこで暮らす方にとっては、一日の食事代です。

何処かの地方の民俗誌のサンカの記述に似たようなエピソードがあります。
サンカの人が困っていたので、村の人がお金をあげたら、お菓子をかってきて、村の子ども達にあげていた。

というような話しでした。

ya(^ε・)na - 2002/01/29(火) 00:57<

涙の・・いいちこ

ほんま・・ゆるせませんな!
  糞ガキども・・泣いて謝ったって・・ゆるせない!!

     また・・若者に意見する人が、減ってしまう!!
  日本を、良くしようと思うひとがへってしまう

     情けない・・本当に情けない!!
昔、柳田がゆうとった!!

   教育とゆうことばが、近代の学校教育のみ言われてきたために
   本当に、日本人の実生活に意義ある教育が無視されて来たと嘆かざるをえない

 学校教育の中では、世間つきあいの、きちんとできる人間は、形成されない、民間に伝承する
 先人からの経験知識を、学ばせる、つまり民俗学的知識を学ばせねば、真の日本人教育はできない!っと


        つまり、外国からの受け売りの方法では未来は・・知れているってことかも!!!


        サンカ・・いや・・先人の知恵いまこそ・・

             伝承しなくては・・

                    古いもの・・かならずしも・

                      ・・・・・・・


       今・・今だからこそ・・かんがえなければ


                        UN・・・・・・・ヤナギムシ

春之助 - 2002/01/29(火) 00:32<

ミキちゃーーん

ヤゾーにいちゃん・・こんばんわ・・
  春之助です・・またここの部屋を、使ってミキちゃんに伝言です

ミキちゃん、お元気ですか?
  僕も、げんきにやってますよ
このところ、お父さんいそがしくって、僕の事ちっともかまってくれませんでした
ぼくも、寒いのきらいだから、日曜も布団に包まってねてばかりでした
来週は、って思っていたら
 パソコン教室にいくんだって
 また、僕の事ほったらかしみたいです
ぐれてやろうか!・・

 ヤナのおじさん、そんな考えの僕ってわるい子ですよね

ミキちゃん、またなにかBBSに書いてくださいね
まってます・・それじゃあ またね 

tuya - 2002/01/28(月) 22:56<

やりきれない事件ですね

あおきさん>事件の現場がお近くだったのですか・・・。あおきさんのお祈りとお供えが亡くなった方に届いて、少しでも魂が癒されますよう私もお祈りさせていただきます。

 ホームレス問題は、私にとって身近です。以前、公園にテント生活の方が多く居住され、近隣住民とのトラブルが問題になった地域に住んでいました。そのころ町会から、ホームレス退去を求める署名が回ってきました。それは回覧で、あたかも署名して当然という形で回ってきました。退去を求める理由は、子どもの安全ということで、当時うちの子は小学低学年でしたので、公園からの退去を要求する親の気持ちはわかるけど・・・でも・・・実は私はずっとホームレス地区での炊き出しボランティアに取り組んでいる立場でもあり、非常に辛い思いをしました。
 家のない人が、水とトイレのある場所を求めるのは当然のことで、そうまでして暮らさねばならない人が生まれる状況のほうが、やはりおかしいです。
 でも地域の人たちの敵意は相当のもので、署名しない立場を貫くのは、かなり勇気のいることでした。
 
 炊き出しのときに、そこで暮らす人々と触れ合って感じるのは、苦しむ人々は優しい、ということです。一度息子を活動に連れて行ったときのことです。息子が「おかぁさん、おこづかいもろた〜」といって500円玉を握り締めているので、びっくりしてどなたからか尋ねたのですが、息子にお小遣いをくださったホームレスの方の姿はもうありませんでした。500円といえば、そこで暮らす方にとっては、一日の食事代です。炊き出しに食事を頼らねばならない人が、一日分の食事代を犠牲にしてでも小さな子どもが喜ぶ顔が見たい、という気持ちで、息子に親切にしてくださったのでした。
 あおきさんのおっしゃるとおり、どんなライフスタイルであっても、人と人。共に生き、共に幸せにならねばならない者どうしだと思います。
 サンカの人々のように、お互い様の気持ち、助け合う精神で生きたいものです。

あおき - 2002/01/28(月) 22:02<

1月25日の

ホームレス殺人事件現場に行って いいちこと するめいかと おにぎりをそなえてきました
僕の家から 多摩湖へサイクリングする時に使う 多摩湖サイクリング道路のわきにある
ゲートボール場でした その日 1キロも離れていない 小平市で 飲んでいました
よくホームレスの人が 落ち葉をそうじしていました 
こんなに悲しいことは 初めてでした こんなに身近で起こるなんて・・・・
自分たちと違うライフスタイルをしているだけで ここまでひどいことができるものでしょうか
おそらく サンカも昔 同じような境遇があったのかと思うと
いっぱしの文明を持った日本も 先が見えてきたような気がします
あの中学生は おそらくホームレスのような境遇になって
未来の中学生に同じようなことをされるでしょう 因果応報とは良く言ったものです
今晩のいいちこはおいしく感じました 少しは喜んでもらえたのでしょうか

tuya - 2002/01/28(月) 18:42<

仕事の帰りに

 私は毎日、ウォーキングを兼ねて片道40分を、徒歩通勤しています。
 私の住む町はけっして田舎ではないのですが、たまたまあり難いことに、家から職場までのルートは緑が多く、途中に水鳥の棲む池や川や神社などがあって、ウォーキングにはもってこいです。とくに大和川を渡るとき、遠く河口の方向に広がる夕空はとても美しく、神様に心臓をわしづかみにされたような気持ちになります。
「生かされてるんだよなぁ〜」
と、しみじみとした幸せが心に満ちてきます。

 私は子どもの頃から、夕暮れ時が好きでした。
 私の故郷は山陰の片田舎、山の中腹に住み、1時間近く歩いて学校に通っていました。学校のある川下のあたりから川原をずっと上っていけるところまで上り、遠回りして山道を歩き、あぜ道をジグソーパズルのように進んで行き・・・・歩くことをとても楽しんでいた記憶があります。
 私は山にひとりで入っていくのが、好きでした。もちろん友達ともたくさん遊びましたが、「一人で」山に入るのはまた違った楽しさがありました。
 じーっと耳を澄まし、辺りの音、どんなかすかな音も残さず拾っていくと、心がしーんと静まり返っていき、何か大きな存在に話し掛けられてる気持ちになります。
 樹木を見つめていると、肉眼に映る姿に変わりはないのに、なにやら樹木の違った相が見えてくるようになります。その相も決して一定に落ち着いているわけではなく、様々な相に移り変わっていくようです。
 夕暮れ時になっても、ちっとも怖くありませんでした。
 夜になっても、歩けそうな気がしていました。
 
 きっとサンカたちも、あの感覚を味わっていたのだろうと思います。

ケイミ - 2002/01/28(月) 18:39<

サイドミラーに(^v^)

サイドミラーに恋するメジロくん、見ました!
よく、はっきり撮れましたね?!わたしもありますよ−わたしが恋……ではなく、鳥がわたしの車に(笑)。
アトランタにいたとき、友人の家に遊びに行った帰り、車に乗ろうとしたら、赤い鳥−なんていうのかな。
Cardinal−が、サイドミラーに戯れてました。今思えば、アトランタにいたころから、鳥やらリスにはよ
く出会ってたのです。あと、日帰りでしか行ったことがありませんが、グレート・スモーキー・マウンテン
と熊野の風景が、よく似ています。

とんちんかん小僧 - 2002/01/28(月) 00:30<

柳生一族(3)

●家康を陰で助けた“裏柳生”

 牢人した柳生但馬守宗厳は十一人の子福者だった。長男新次郎厳勝(よしかつ)、二男久斉、
三男徳斉、四男宗章、五男又右衛門宗矩、そして後は女子であった。
 父より新陰流の正統を継いでいた長男は戦さのため傷つき、牢人した宗厳の傍らについていた
のは又右衛門宗矩だった。
 文録三年(1594)に至り、柳生家は徳川家康という有力者と結びつく。宗厳・宗矩親子は、
家康から京都の陣屋に招かれ、新陰流の極意“無刀取り”を披露するのである。
 剣技の好きな家康は、石舟斎の無刀取りの妙技に感服して、召し抱えようとした。そこで
石舟斎は老いたる自分よりこの子をと言って宗矩(当時24歳)を推挙した。
 同じころ、さきの小野忠明(一刀流)も召し抱えている。また新影流の創始者、奥山休賀斎
(きゅうがさい)という以前からの指南役もいる。
 この時、家康がわざわざ柳生を拾ったのは、剣技に惚れ込んだばかりでなく、柳生の地に根を
張っている一族を、関西方面の耳目にしたい希望があったからだった。
 隠れ里柳生は人目につかないくせに、大坂や京都の噂がすぐに耳に入る。しかも柳生の旧臣
たちは、皆それぞれに剣士であり、しかも情報蒐集力に長じていた。
 つまり家康は柳生を、現代風に言うと、情報ステーションにしたかったのだ。それは自らの天下
取り大作戦に必要欠くべからざる存在だった。
 というのも、家康ほど合戦に当って臆病だった大将はなく、十分勝つという目算がつかなくては
なかなか開戦に踏み切らなかった。そうでなくても横合いから攻め込まれて苦汁を飲まされること
が多かったから、家康は情報集めに腐心したのだという。
 この要望に答たのが柳生である。
 慶長五年(1600)七月、家康が上杉攻めの陣を進めて、野州(栃木県)小山にいたとき、突然と
いうより、まず予想されたことだが、上方(かみがた)で石田三成が挙兵したという知らせがきた。
 家康はただちに軍議を開くと同時に、従軍していない諸将や、上方のいまだ石田三成方に所属
していない者、帰趨(きすう)を明らかにしていない者などへ、素早く手を打った。
 柳生の里にあって石舟斎はありとあらゆる情報を集めていた。そして家康は、頃合いを見て、
宗矩を下野小山の陣から柳生へ戻らせた。その時与えられた宗矩の任務は後方攪乱である。

とんちんかん小僧 - 2002/01/27(日) 02:05<

tuyaさんへ

≫それは、
≫  兵法はかくしつつしむ心より
≫    なさる極意はあらじとぞ思う
≫という兵法歌にしのばれる“忍”の心であり、また『不動智神妙録』に、
≫「水上にひさごを打つ」
≫とあるような、つかみどころのない一種到達した境地ということになるだろう。

 前者は中国の兵法の書である七書の一つである、孫子の兵法書からの歌です。
 上にも書いてあるように“忍”の心という境地を伝えた文だと思われます。

 後者の『不動智神妙録(ふどうちしんみょうろく)』は、沢庵宗彭(たくあんそうほう)
(1573〜1645)が、禅を通じて兵法の理を解いた書物です。
 沢庵は柳生但馬守宗矩から度々質問を受けていました。そこで剣の道を説き、宗矩の人間的
成長に大きく寄与したこの書を彼に宛てたのです。この書では様々な修行を通して諸仏不動智
という心境に達することの価値を語っているそうです。
 興味がおありでしたら本を購入して意味を理解するのも一つの手ですね。(池田諭訳『沢庵
不動智神妙録』徳間書店刊)僕は、それほど深くは判らないです。精神論的な話、あまり得意
分野じゃないですから。これぐらいで、ご勘弁下さいませ。

tuya - 2002/01/27(日) 00:32<

質問で〜す>T小僧さん

 とんちんかん小僧さん、下の箇所の意味について解説して!(メル友になったのでなれなれしい)

>それは、
>  兵法はかくしつつしむ心より
>    なさる極意はあらじとぞ思う
>という兵法歌にしのばれる“忍”の心であり、また『不動智神妙録』に、
>「水上にひさごを打つ」
>とあるような、つかみどころのない一種到達した境地ということになるだろう。

 これ↑はつまり、どんな境地なんでしょう?
 
*******************

 私は歴史は苦手なんだけど、歴史の好きな人がなにゆえにそこに引き付けられるのか?という動機や情熱や思い入れに、むっちゃ興味があります。
 自分の未知の世界に生きる人でも、最後はにんげん、ハートとハート。自分の頭でついていけない世界の話をしてる人でも、その人の「思い」に焦点あてたら、どんなえらい学者さんとでも私は対等に話ができるような気がしてる。
 そしてハートが理解できたら、その人が好きなものに自然に影響されて、それが好きになってくる。
 ということで、とんちんかん小僧さんの柳生一族への「思い入れ」を聞かせてくれたから、その分だけ、私の興味は増幅されてるんです^^

とんちんかん小僧 - 2002/01/26(土) 13:48<

柳生一族(2)

 柳生家はあちらにつき、こちらにつきし、離合集散を繰り返したのも、やむをえない成り行き
だった。(当時の小豪族なら、当たり前のことだった。)
 天文十三年(1544)には、大和の有力者筒井氏に攻められ、臣従することになった。ときに
宗厳十六歳。
 ついで永録二年(1559)には、新興の松永弾正久秀と筒井順慶の戦いがあり、宗厳は筒井氏に
背いて、松永方につく。そして所領を回復するが、のちふたたび筒井氏と誼(よしみ)を通じる。
 こうしてふたたび柳生の庄を回復、その頃、宗厳は新当流の名手と評判を得ていた。そこへ
新陰流を開いた上泉伊勢守(かみいずみいせのかみ)が、関東からやってきた。
 剣聖と謳われた伊勢守は、元々上杉の武将だったが、武田と戦って敗れ、やむなく一介の武芸者
となって諸国行脚の旅に出た。
 この伊勢守の高弟疋田(ひきた)豊五郎(文五郎ともいった)と試合をした柳生宗厳は脆くも
敗れて伊勢守に入門弟子入りした。
 こうして、入門した宗厳によって柳生新陰流の基が開かれ、「兵法の家」としての名が広がる
わけだが、乱世は終息に近づいていて、より巨大な勢力、織田信長のもとに組み込まれ、さらに
豊臣秀吉に従わねばならなかった。
 有名な話だが、そこで事件が起こる。太閤検地の目を盗んで、隠し田をもっていた柳生家は、
密告者に摘発され、ふたたび所領を失う。
 宗厳はその不運を、
  兵法の舵(かじ)をとりても世の海を
    渡りかねたる石の舟かな
 と詠み、石舟斎と号して隠棲することになるが、それなりの有為転変の歴史は、ごく自然に
人脈を広げるとともに、伝統的処世観を培うことになったにちがいない。それは、
  兵法はかくしつつしむ心より
    なさる極意はあらじとぞ思う
 という兵法歌にしのばれる“忍”の心であり、また『不動智神妙録』に、
「水上にひさごを打つ」
とあるような、つかみどころのない一種到達した境地ということになるだろう。

とんちんかん小僧 - 2002/01/26(土) 13:40<

tuyaさんへ

それは、
僕の先祖も関わり合いがあったと思うし、影働きをしていた人々を一部の人々だけでなく
多くの人達に知ってもらいたいと思ったからです。
いつから好きになったかは覚えていません。芭蕉とはやり方は違うけど、伝達者として続く
限り書き続けるでしょう。なりより好きなことだから。

ヤゾ− - 2002/01/25(金) 23:15<

青い目の日本人

みなさん こんばんわ。

一度だけ、青い目をした日本人を見たことがあります。
確か、その方は関東の方の出身だと聞いたように思います。
聞いた話によると、東北のある村では、
比較的に多くの碧眼の人が生まれるそうです。
ロシア人漂着説や日高見国末裔説などがいわれているみたいです。

tuya - 2002/01/25(金) 20:50<

レスです

ヤナさん>私が昨日読んでいたのは「遠野物語」の「六」「七」です。そこに娘をさらった男の描写があり、「衣類なども世の常なれど、ただ眼の色少し違り」と、ありました。

蜜柑さん>碧眼なのですか。では私のとは違いますねぇ・・・。中学時代の友人で、髪が栗色、ぬける様な白い肌、そして碧眼の、それはそれは美しい子がいました。おとなしくしてたら、お人形さんみたいでした。でも性格は・・・・私と気が合うくらいなので・・・・(笑)

とんちんかん小僧さん>例のブツ届きましたよ〜♪ところであなたは、どうして忍者や柳生一族にとりつかれちゃったのでしょう?どんなところに惹かれるのですか?^^

「柳生一族の陰謀」という映画、昔見たなぁ・・・。

とんちんかん小僧 - 2002/01/25(金) 13:52<

柳生一族(1)

●新陰流の系譜

 柳生(やぎゅう)というと、剣をもって名を得た者という印象が強い。だが、同じ剣豪でも
、宮本武蔵や伊藤一刀斎、塚原卜伝(ぼくでん)などとは少し感じが違う。武蔵やト伝は一代
限りであるが、柳生家は代々剣をもって将軍家に仕え、小なりといえども一万ニ千五百石を領
する大名であった。
 剣をもって名を知られた者は数多いけれど、剣客剣豪で大名となった者は柳生を措いて他に
はない。
 弧剣よく天下に対するという一匹狼的イメージの強い剣客と柳生とはこの点において全く違
ったものとなってくる。
 では何故、柳生だけが名門となり大名となり得たのか、そこにこの一族の陰の部分がある。
 柳生但馬守宗矩(たじまのかみむねのり)と同役の剣道指南役小野次郎左衛門忠明(ただあき
)は、同じく将軍家に仕えながら禄高はわずかに六百石だった。
 それなのにひとり柳生のみが一万ニ千五百石の高禄をもらい得たのは何故なのか、それこそ
この一族が、単なる剣道指南役でなかったことの証拠といってよいだろう。
 では柳生は一体何だったのだろう。
 もともと彼は、一介の牢人(ろうにん)から名をあげた兵法家ではない。小さいながらも、
家は大和(奈良県)柳生荘を本貫(ほんがん)とする一豪族だった。
 そこは、奈良を経て六キロ、京都へ三六キロ、伊賀上野へ二十キロ、というふうに、大和、
山城(京都府)、伊賀(三重県)の接点に位置し、低いながら険しい山が重なり合う地形に
ある。(地図で確かめて見て下さい)
 一種の隠れ里といってもいいくらいだが、本来、大化の改新に柳生の郷として成立している。
仁和(にんな)年間[885-888]に関白藤原基経(もとつね)の荘園となり、長暦(ちょうりゃく
)二年(1038)に関白藤原頼道(よりみち)が氏神の春日大社へ社領として寄進した。その荘官
に大膳永家(だいぜんながいえ)という人物がいて、この人が柳生家の祖とされている。
 数百年ののち、柳生家中興の祖といわれる宗厳〔むねよし、のちに石舟斎(せきしゅうさい)と
名のる〕が現われたころ、いわゆる戦国乱世だった。 −つづく。

蜜柑 - 2002/01/25(金) 13:25<

サンカの目の色

サンカの目の色が普通の人と違うという
記述のある本があります。
「日本のトーテム文化」の中に「愛鷹山中で出会った山窩」という一文があり、
青目とかいてあります。
ヤゾーにコピー送ります。Tuyaさんにサイギョウしてやってください。

とんちんかん小僧 - 2002/01/25(金) 02:06<

T小僧@忍び者

ヤゾーさん 蜜柑さん
まだ、手に入れれるかどうか判らないですけど、僕も近々、箕が手に入りそうです。
そして、箕職人さんにも、モシカシタラ会えるかもしれないです。
また、箕作りの見学や道具等も見れるかもしれないです。
まだ実は本物を見たことがないから尚更、期待だけが大きく膨らんでいます。
ウメガイがあったら欲しいなあ〜。
いつになるかは未定ですけど手に入ったら(進展があれば)、またご報告します。

ケイト・ブッシュの『嵐ヶ丘』を聴きながら・・。

tuya - 2002/01/25(金) 01:16<

私信失礼します

紫門さん>メール送ろうと思ったら、アドレス聞いてないことに気がつきました。。。すみませんが、そちらからアドレスを教えてくださるメールをいただけますか?

ya(^ε・)na - 2002/01/24(木) 23:28<

おほほほほほ

ヤナ、ご指名ですか・・??

  tuyaさん、何番目ですかいねえ・・遠野物語・・!!
  ヤッパリ・・ひもとかんといかんのんかいねえ


  へへへへへ・・なんや・・たのしみが・・できました

ya(^ε・)na - 2002/01/24(木) 23:20<

タラッタラタラタ・・ラタラタラタタ♪

けけけっけけけ・・やなです
  ほんま・・自然を感じる事って・・なんなんやろかしらねえ

   自然を、感じたくて・・山に入れば!!
    こんなにも、自然は厳しく私にせまってきた

   街に逃げると、人が私をせめてくる

      なんでこんなに、!!!!!!!・・・・考えそしてまた、考える!!

          自然は、甘くない・・
             世間もヤッパリあまくない・・

         でもわたしの求める何かは・・

                  いつでも・・優しくかんじるんです

tuya@翔ぶ女 - 2002/01/24(木) 23:19<
ヤゾーさん>「風の王国」読み終わりました。感想、めっちゃ長いのでメールで送りました。わたしは正直、歴史は苦手です。でも、サンカはわたしにとっては重要な象徴なんです。自分が求める生き方のヒントが、そこにあるんです。自立・無執着・おもいやり・・・etc。創造されたままに、生き抜くこと。・・・・そんなことをいっぱい書いて、さっき送りました。

ヤナさん>今日は出張だったので、電車の中で「遠野物語」読み始めました。長者の娘をさらった男の特徴で気になることがあります。ほかはみな普通のひとと変わるところがなかったけど、ただ目の色が違う・・・どんな瞳の色なんでしょう?
実は私は、瞳の色が薄めの茶色なんです。室内ではわからないのですが、戸外で見ると、妖怪猫娘みたいなこわい目ぇしてます(笑)。同じやったらおもしろいな、と思って^^;;

ヤゾー - 2002/01/24(木) 23:05<

自然を感じること・・・

みなさん こんばんわ。

tuyaさん 「風の王国」はどうでしたか?

ぼくは小説の最後の方にあった
「わたしたちは、本来、無一物の生きかたを大切にしてきた一族ですもの・・・
取ることでなく、捨てることを知っている素晴らしい一族よ・・・
同じところに止まっちゃいけないわ・・・」 
という言葉が印象に残りました。

今、自分にとって何が一番関心のあることかと思ったときに、
それはこれから起こることであり、それに対応するために何をすべきかのように感じました。
そんなときに、捨てること、とどまらないことが大切なことであるような気がします。

自然と心を合わせ、そこから何かを感じることが、これから起こることを知る手がかりのようにも感じます。
心や感性でものを見ることが、とても重要な意味を持ってきているような気がしています。

tuya - 2002/01/24(木) 00:14<

熊野病

「風の王国」あと40ページで読み終わる♪

いま、無性に歩きたくて仕方ありません(笑)

あったかくなったら、熊野古道を歩きに行こう!

蜜柑 - 2002/01/23(水) 04:18<

またまた発見

ニューガイド
「知られざる日本」
伊能孝著

弘済出版社

これ、サンカの隠れ里探訪っぽい記事あり。
サンカが居付いた集落が実名で出てきます。今日図書館でゲット。

近くの図書館で探して見てください。

ya(^ε・)na - 2002/01/22(火) 22:58<

tuyaさんごくろうさん

はっははは・・そら、ごくろうさんでした
  tuyaさん・みんなさいしょは、そないして・・さがしまわったんですよん
  資料室もみとくんなさいよ・・ね
ネットでさがすのんも・・てですよん
  やっぱ・・もう感染してはるみたいや・・熊野病・・
     この病気、なかなか・・免疫できません

  はよう、ようなられるよおに・・へへへ


  のののさん、も、、気いつけてくらはいね

tuya - 2002/01/22(火) 22:33<

本日の収穫

 今日は仕事の帰り、ヤナさん・ヤゾーさん・とんちんかん小僧さんから紹介していただいた、何冊かの本やビデオをゲットしようと、メモを持ってあちこち回りました。思い立ったらじっとしてられない、せわしない性格です。
 最初に職場の近くの大学図書館に行ってみましたが、大学図書館って専門的な本ばっかしで、メジャーな本はかえってありませんね。なんにも収穫なしでした。とても私には読めそうにないやつばかり。
 次に古本屋と普通の書店を回ったけれど、見つかりません。私には今までヘンなツキがあって、読みたい本や縁のある本というのは、探さなくても念じていたら誰かが偶然貸してくれたり、本屋に入ってざーっと見渡したら、自然に目が吸い寄せられるように見つかったりするんです。だから今日もそんな感じで、店内をささーと回っていたら、ピンポーンと目当ての本が目にとまるもんやと思ってました。それが今日は、必死に探しても見つからないので、「アタシには縁がないっての?!」と、なんやかなしーなってきました。でも最後にもう一回と、同じ場所をもう一度見回してみると、あったあった文庫の「遠野物語」。これでひとつゲット♪
 次にレンタルビデオショップに行って、「瀬降り物語」を探しました。ありませんでした。一番楽しみにしてたのに。店のにーちゃんに検索して貰っても、「置いてないですね〜」(TOT)
 なんぼなんでも、これだけ時間かけて文庫一冊はあまりに淋しい。もう一軒だけ回って収穫なしなら、自分はサンカには縁がないんや〜とヤケクソで最後の本屋に行ってみると、なんとか「風の王国」が見つかったので、ちょっと淋しさ回復しました。
 今日の収穫は、2冊!さて、今日は早く寝床に入って読書タイムにしましょ♪

蜜柑 - 2002/01/22(火) 16:44<

箕つくりの里でも竹細工の里でもないです。
個人で箕をつくっているオッサンです。
昨日、今朝松さんの箕と比べましたが、今朝松さんの方が丈夫そうでした。


で、毛呂山町には一時三角寛が住んでいたそうです。

ヤゾ− - 2002/01/22(火) 07:48<

美しい箕

みなさん おはようございます。

蜜柑さん 寄寓ですね。
昨日、ある方から箕が届きました。
数種類の材料が調和した、とても美しい箕です。
まだ青竹の香りが漂い、見ていると清々しい気持ちになります。
その箕の写真を画像掲示板にアップしています。
あらためて天気の良い日に外で撮影して、
解説と共にページにしたいと思います。

紫門さん いろんなことを経験された方だとは感じていましたが、
なんだか小説『風の王国』の中で、
サエラが自分の過去をあけっぴろげに話すシーンを思い出してしまいました。

ya(^ε・)na - 2002/01/22(火) 01:21<

おおおおおおーーい

熊野病・・きいつけてください
  tuyaさんあぶないです・・

  NONさん・・相変わらず・・雪はふかいんでしょうかいねえ
  

    農家と漁夫のちがいって・・以前はなしたことおます

   漁夫は、漁でとったええ魚食べます
    農民は、ええ作物は市に出して・・自分は悪いものを、たべます

     それが、ちがいや・・ゆうたはりました

   なんか・・あたってる気がしました


                        ヤナでした

きょうかい - 2002/01/21(月) 22:02<

まちがい

 すみません、たしか、竹細工の里でした。

しェイシュンの紋 <http://www.you-i.org> - 2002/01/21(月) 20:43<

七草寺

 長瀞町から皆野町に入る直前、左側へよそ見しよったら「七草寺」ちゅう看板が見え
やした。
 電話帳で調べて、電話かけたら、ナニかが浮きあがりやしょう。

きょうかい - 2002/01/21(月) 20:15<

秩父

 蜜柑さん
 この前、やはり秩父の近く、高麗神社の近くに箕つくりの里という看板があって
 売ってました。同じところですか?

蜜柑 - 2002/01/21(月) 18:37<

フィールドワークの勧め

おととい、秩父近くの「毛呂山町」に「箕つくりの調査」に出かけてきました。
そこで箕を1枚購入。今朝松さんの箕と微妙に違いますが、根本的には一緒です。

そして、「昭和36年頃まで**川の川原に小屋をたてて箕つくりをしていたセブリと呼ばれる人がいた」という情報をゲット!!
平田隼人君が昭和36年に箕つくりをしていたとは思えないので、このセブリと呼ばれていた人の正体を知りたくなりました。はい。


皆さんも地元の「民俗誌」をチェックしたり、古老の話を聞いてみてください。きっとサンカのにおいがしますよ。

シェイシュンの紋 - 2002/01/21(月) 10:06<

  海賊の巣窟 筑豊   

 紫門さん、アマカネ。
 ヤゾー親分、いつも大口たたいてアマカネ。
 ポルトガル語には「大きなくちには蝿が入る」ってえことわざがあるそうにござんす。

 チンポの先にひょうたんの皮をつけてすっ飛んでまわるニューギニア中央高地石器時代人
のモニ族ダニ族の挨拶語は、すべてに「アマカネ」を用いるそうです。
 これ、「すべてはアラーの思ぼしめし‥‥」にも通じやしょうし、「アンタ、天とともに
あるか」「天のようだ」「天にまかせよう」などなどアマカネぞなもし。

 筑豊や瀬戸内周辺は長いあいだ、蛋民海賊の巣窟だったと思います。
 日田盆地や人吉盆地は早くから稲昨が始まったのでしょうが、規模が小さくなかなか中央
制覇にまでは行かなかった。やはり海賊が隠れ住むことができなく、大規模経営が可能な宮
崎西都原が天下を制したのは当然の帰結だったことでしょう。
 筑豊なんざでは、コメなんざを作っていたら「針はいらんカネ」とやってくる行商人から
情報がもれて襲撃されたのだろうと思うのです。
 出雲帝国が近畿奈良を制覇したあと、各地にサンカ(運び屋)を遺して崩壊しますが、そ
の根拠地が宍道湖周辺だったことも稲昨と蛋民海賊とのかかわり合いが絡んでいましょう。
 
 日本に広くケンカみこしを担ぐ習俗が見られるのにも、昔日の海賊の遺風を窺うことがで
きますが、筑豊のそれは、子供たちが遊んでいるときに使っている言葉をきいたら、「あ、
こいつらの先祖は海賊だ!」と、ハッキリわかることでしょう。
 「なんかコンツキショウ(畜生)」「なんかコン(こんやろ)」に混って「コロスぞこん
(コン畜生)」などはしょっちゅう出てきます。

 先日、あにきに「おまや(おまへは)ミヨウな性格になってネエ」ち、手紙に書いたら、
さっそく電話がかかってきて「なんかコン、足腰立たんごつなって‥‥、一にんまいのこつ
いうナ! おまいイ‥‥コロォ〜ス!!」げなちですばい。
 七十すぎの、ガッコの先生しよったこつもある爺さまのことばですばい。

とんちんかん小僧 - 2002/01/21(月) 08:52<
紫門さん tuyaさん
すごく興味深い話、ありがとうございます。人もまた地球で生まれ、また、母なる
地球に召されると思います。
先程まで、病院から呼び出しがあって行っていました。また一人尊い命が母なる大地
で命の灯火が尽きようとしている。お二人様の話を読んでいて、とても地球が身近な
存在であるということを最認識しました。

紫門 - 2002/01/21(月) 04:20<

紋次郎さん、こちらこそアマカネ。

実はこのアマカネの意味がはっきりと分かっていないのですが、音の並びが優しくって、そっと手を合わせながらつぶやくとしっくりきますね。

> イモを洗うが如しのせまッ苦しいこの世に生まれ落ちて、クソだらけの環境に暮らさせら
>れるとき、てめえを造ったナニモノか(……神)へすなおに感謝できやすけえ。

波乱に満ちた人生こそ最高の神様からのプレゼントかもしれないなと思ったのは子供ができた頃でしたかね。

ずいぶんと親を恨み学校を恨み社会を恨み、公平なことなどこの世に存在しないではないかと暴れるだけ暴れた挙句に・・・誰もわかっちゃくれない・・・なんてあったりまえじゃないかと・・・自分がなにかと他者に依存し続けてきた事実に愕然と・・・気づく時が・・・ある。

もう手遅れと思われた。社会的信用は何一つ無く。気が付けば友達はちゃんとしたサラリーマンで車も貯金もしっかりと抱え込んでいて、自分はといえば財産はエレキギターが一本しかない。食えなくて食えなくて眠れなくて眠れなくて泣けて泣けて・・・

死の淵を平泳ぎで漂いながら光のこぼれるあの水面の向こうにはもう浮かび上がれない・・・そんな絶望感が精神も肉体もぼろぼろに蝕んでいた。
自分で借りたアパートを追い出され、行く当ても無かったので父親のアパートの押入れで2年間眠った。
今思い出せばりっぱなひきこもり。ノイローゼだったけど世間では怠け者。フリーターとは呼ばれずプータロウと呼ばれた時代。

ある朝、親父は嫁に行った姉を呼び出し「これからこいつを殺す」と言った。
姉は青ざめた顔で押入れの戸を少し開いて「おとうちゃんが・・・呼んでるよ」と言った。
ふてくされた態度でちゃぶ台のある部屋へ入った。
姉の子供たちは尋常ならざる爺の態度にいつもと違う何かを感じ取って母親の腕に隠れていた。
「親父!やるか!」の一言で修羅場になるはずだった。
「あんたのせいじゃないか!あんたがおふくろを追い出し、姉ちゃんを追い出し、俺を追い出して家庭をめちゃくちゃにしたんじゃないか!」そう啖呵を切り出せばすべてが終わるはずだった。
どかんとボロアパートの床を響かせて俺はちゃぶ台の前にあぐらをかいた。
鬼のような形相だったと思う。
親父はあごをしゃくりあげてそっぽを向いている。
ふと、目線が姉の腕に隠れている3歳になったばかりの姪っ子とかちあった。
自殺未遂を3回繰り返した母親の娘がじっと心配そうに俺の目を覗き込んでいる。
どうして笑顔が作れたのかはわからない。わからないけど笑顔になった。
手招きすると姪っ子は駆け寄ってきた。
「大きくなったなぁ」と二三度抱き上げて膝に座らせた。おとなしくしていた。
親父は苦虫を噛み潰したような顔で
「けっ、食えねえヤロウだ!」
と吐き捨て、背中のベルトに挿してあった出刃をちゃぶ台に投げ出すと日刊競馬をけつに差し込んで出かけてしまった。
そのあと2時間、姉は泣きながら俺に説教をした。
ありがたくとも何とも無かった。
親父は3年後に脳内出血で死んだ。

何処にでもあるような出来事ですが、今となっては輝くような思い出です。
15年もあれば娘は少女に少年は親父に成ります。

生まれて生きて死んでいく、人は実にあっけなく死んでいく。自分もまたその摂理に乗っていると感じる時、あらゆる悲しみや苦しみ喜びが死と言うクライマックスに集約されていく。生に固執する思いがすべてを苦しみに感じさせるのかもしれない。生きていることだけでもめっけもんだと笑えるのならば・・・
> イモを洗うが如しのせまッ苦しいこの世に生まれ落ちて、クソだらけの環境に暮らさせら
>れるとき、てめえを造ったナニモノか(……神)へすなおに感謝できやすけえ。
・・・感謝したくなる気持ちにもなりますかね^^)

ya(^ε・)na - 2002/01/21(月) 01:46<

ポカーーン

ぽかーーん・・と・・
  天を仰いでると・・ペチョ!!・・


    ヤゾー・・けけけけえ・・きいつけや!



  島勝浦の釣りから・・帰ってきましたよん
     
    ふん!・・また・・00やろ!    

      ハイ!   皆さんのご期待どうり
       完璧な・くそボーズでした
        あいにくの、気象条件やったんやけど
         時折来る・・大波とうねり  やっぱり自然の力感ぜずにはおれませんでした

    独磯を、去る時・・小さな渡船は、木の葉のようにゆれ
     なかなか、接岸できませんでした(一番危険な時です)
      私たちが、離礁したら・・どこからか、かもめやトンビなんかが、数十羽やってきます
       餌の残りや、小魚がないかのチェックです

         へたくそ、またこいよ!っていわれてるみたいですよん

  はーーい、またきますよん
  
      釣れても、釣れんでも・・ほんま釣りって最高です・・へへへへ

         ほなまた・・ヤナギムシでした

tuya <http://www.gaiasymphony.com/g4.html> - 2002/01/20(日) 17:45<

ガイアシンフォニー

紫門さん>先日はチャットのお相手ありがとうございます。またよろしくお願い致します^^
 紫門さんの書き込みを読ませていただいて、先日観た映画を思い出しました。「地球交響曲(ガイアシンフォニー)第四番」というドキュメンタリー映画に登場される、ジェームズ・ラブロックという科学者の方のことです。その方は、「地球はひとつの生命体である」という「ガイア理論」の提唱者です。
 ラブロック氏は科学者なので、「自分は目に見えるものから学ぶ」とおっしゃっています。一方で彼は父親から、自然を敬う心を育てられました。そして目に見える自然の営みを敬う気持ちで観察する中から、地球はひとつの生命体であることを発見するに至ったのです。ラブロック氏は「神」という言葉を使いませんが、彼の自然に対する態度は、敬虔な信者そのものです。
 彼は研究活動で得た巨額のお金で、自然を取り戻す活動をされています。イギリス・コーンウォール地方の、大規模農業に侵食されようとしてた3万坪の土地を買い取り、一体を自然にまかせて森に返すのです。その土地は現在、財団によって管理されています。
「この土地はわたしの所有でなく、ガイアのもの」

 映画の中では語られないのですが、ラブロック氏のこの活動には、おもしろいエピソードがあります。私はこの映画に「ひとコマスポンサー」としていっちょかみしたので、メイキングビデオを貰ったのですが、そのビデオの中で監督が語っていることです。
 ラブロック氏は、購入した土地には絶対手をつけないと決めていました。すべて自然に任せ、自然の力で森を回復させるのだと誓っていたからです。
 しかし、ある時期からたくさんのリスが生息しはじめ、森の生態系を壊し始めたのだそうです。ラブロック氏は、たいへん悩みました。どうしても、リスを退治しなければならなくなったんです。
 悩んだ末に氏が思いついたのは、自分がリスの命を絶つことを許される唯一の行為は、リスを食べることなんではないか・・・ということです。自分の命を生かすためにだけ他の命を奪うことが、唯一この自然の営みの中で許される行為なのではないか・・・。そうして彼は、リスを食べたのです。
 ところが、リスはとてもまずくて、食べられるものではありませんでした。それで彼は一切あきらめて、自然のままにすべてを任せることにしました。
 リスの顛末がどうなったのかは、語られていませんでしたが、撮影された森は本来の森の姿そのものでした。ラブロック氏は、自分にできる範囲で精一杯、人が壊した自然を地球に返しているです。リスを食べようか・・・というところまで妥協せず、真剣に悩む方なのです。
 私は神を信じる者ですが、神を信じると宣言する自分は、神を肯定も否定もしないが目に見える地球をこんなにも深く愛し敬うラブロック氏の足元にも及びません。紫門さんが紹介してくださったお話を読んで、再びそのことを感じましたので書かせていただきました。 

 ガイアシンフォニーのURLを入れておきましたので、もし興味のある方はご覧ください。

ヤゾ− - 2002/01/20(日) 12:00<

“和み”

紫門さん 素敵な文章を紹介して下さり ありがとうございます。
目覚めるということでは、多くの人の意識の深いところで、
今までの生き方を変化させなければならないことに気付いているような気がしますね。
生き方を変えるというより、自分自身が変化しなければならないことをかも知れません。
そういう意味で、少数民族の人たちからは学ばなければならないことも多いのかも知れませんね。
サンカから、そういうものを感じるているから惹かれているようにも思います。
調和だけでなく“和み”という言葉にも重要な意味があるように感じています。

紋次郎さん ぼくは自然の中で暮らせて本当に恵まれていると思います。
ぽか〜んと口をあけた阿呆面で空や小鳥を眺めていると、心と身体がとても和んで、
なにやら有り難いものが、天から口の中に入ってくるようで感謝せずにおられません。

シェイシュンの紋 - 2002/01/20(日) 09:36<

  ロマンがリクツをしゃべるとき

 紫門さん、先日はアマカネ。
 晶吉っつあんのもの言い‥‥ウンジュ(沖縄;あなた様)がこの文を皮肉って掲出なすっ
たたァ考えられません。やっぱり、かなり共鳴していらっしゃると思うのです。
 いつもいつも、ここら辺を確かめる必要があるので文学はヤヤコシくって叶わんです。

 ロマンだけの音楽を西洋人に理解して貰うとき、斯かるリクツ(論理体系)へ行き着く。
ならば、のっけから別の人間が“犠牲になって”リクツを練っておいて、ほかのひとがハミ
出そうとしたら「そりゃイカンぞ」とケチ(警告)つけてあげる‥‥ケチを受けたひとはリ
クツ抜きでそれに従うようにする。でないとヘンテコリンなことになる。
 晶吉っつあんの踊り見るひとが「あの裏にはすげえリクツがあるのだ」などと考えて、そ
れで踊りになりやすけえ。
 
 イモを洗うが如しのせまッ苦しいこの世に生まれ落ちて、クソだらけの環境に暮らさせら
れるとき、てめえを造ったナニモノか(……神)へすなおに感謝できやすけえ。

 開発途上国でひとが生れるとき 西洋でひとが生れるとき ‥‥拠って立つリクツの場が
違っている。
 反論書いちゃ〜イケねえ〜〜イヨッ 書いたらウンジュのロマン(文学)が壊れる。
 犠牲‥‥こういう特攻隊の生きざまもありやしょうで。

 あっしのパソコン、キー板が壊れていやす。テン打ちふのうで URL 書けやせん。

紫門 - 2002/01/20(日) 00:00<

こういうことを平然とのたまってみたい(全文引用)



>         地球が人類の聖地なんです
>         それは皆わかっているはず


 やはり目覚めるんだよね。自分の音楽が出来上がる。そうなると父が伝統音楽をしていて、そのよいところや苦労を見てきているから、親孝行というか、伝統音楽の孝行をしたくなる。そうすると伝統文化の根っこを探求せざるをえなくなるわけですね。それでだんだん神までいってしまう。そこからさらに普遍的シャーマンの世界を見るようになる。そういう世界で共通する少数民族を見ていくと、そこに非常に広大な魂を見てしまうわけです。その魂の海の文化に目を向けると天まで花が咲くんじゃないかと思ってしまう。そして民族音楽が整理されてくる。クラシックも本当は白人の民族音楽から出てきている可能性を見るわけです。
 そうなると今度は人間の棲み方の問題に目がいく。凄む時には感謝を持って凄んだ方がいいでしょう。少数民族は何か食べる時でも感謝を持って棲みますよね。感謝を持って棲まない連中が侵略的な文化にしてしまっているわけです。だから、私はそれも思い出させようと思っているんです。あらゆる宗教は、基本的にはシャーマニズムから発達していっている。最初は感謝があったはずなのに、感謝のない人達がのさばるようになっていったんですよ。そこに今の原理宗教の爆発もあるし、支配宗教の問題もある。もう一度根っこを深くすれば理解しあえますよ。調和の花が咲くはずですよ。本当にそこまでものごとを掘り下げていけば調和の花は咲くはずなんです。だから、私はずっと音楽でそれをやり続けているわけです。

    ☆ライブでアップテンポな曲になると 
    一緒に踊ってくださいと呼びかけていましたね。
    一緒に踊れば切れることもないと。

 東洋の文化にははずれる文化がある。西洋は切れちゃうわけですよ。なぜ切れるかといえば、大地から切れているからなんです。西洋の文化は切ったところから始まっていますからね。我々の文化ははずれるところから始まっている。これは大事なポイントだと思うんです。だから、私は天と地がまじわるのを祭るんです。そして、大地に根をおきなさいというんです。神が来るのを準備しなさいというんです。大地に根を張れば、神は天からおのずと降りてくるんです。アースがつけば雷も降りて来るでしょう。それと同じですよ。地球こそ人類の聖地なんですから。

----------------------------------------------------------------------------
◇ 喜納昌吉インタビュー MORGEN 2001年12月号
http://www.asyura.com/sora/bd16/msg/360.html

tuya - 2002/01/19(土) 17:36<

画像掲示板

いま、画像掲示板をのぞいてきました。

GAINAさ〜ん>五郎ちゃん、かわいい〜♪私、以前同じ色のインコ飼ってました。エサをついばんだあと、よく鼻の穴にエサが詰まったままになっていたので、ほじくってあげねばなりませんでした(笑

とんちんかん小僧さん>お顔を拝見するに、メールでお聞きした年齢より、シッカリしてはる感じですねぇ。多分会って話したら、年の差関係なくなると思いますよ^^

ヤナさん>今晩から明日にかけて豚の角煮を作るので、デジカメ撮影してお送りしますよって。飲めそうな顔と一緒に写しますよって(笑

きょうかいさん>そうなんです。「これから」なんですけど・・・。春からのトレーニングコースに行けるかどうかは、実習の曜日によるんです。息子の塾の曜日にあわせることができるなら、受講申込しようと思うのですが、あわせられなかったら、「おかぁちゃん業」を優先して、お休みしようと思います。前途多難です。。。社会人になってからの勉強は、たいへんですね。

とんちんかん小僧 - 2002/01/19(土) 00:16<

残念ながら…

きょうかいさん おミヨさん
…デジカメもっていないから無理です。
どういう風な写真なのか見せられなくてすみませんね。

>その方は、何者だったのでしょうか?
単なる私のヒイヒイ祖父さんの弟ですよ!
今になっては何も本当の事は残念ながら判りません。
長男であれば伝わるものは多いけど、次男、三男と下になる程に
伝わるべき内容がないです。
名前は公には書きたくないのでメールします。

>写真興味あります。
有難う。でも今の僕には誰にも見せることはできないなあ〜。
残念だ、残念だ、残念だなあ〜。
そういえば、僕も>「百年前の日本」って本もっていますよ。
随分前に古書店で購入しましたよ!
お二人サマ、
見せることができない以上この話はこれ以上書けないっす。

きょうかい - 2002/01/18(金) 23:37<

僕の方がいいかげんに書きました

百年前の日本だと思います。手元に無かったので適当に書いちゃった。
tuyaさん
 20年くらい前に河合先生の本読んでからファンになったのですが、
 講演はホントに面白かったです。それで人体科学会という変わった学会に
 当初入りました。初めのうちは面白かったのですが、少しずつ離れてしまい
 とうとう、3年くらい前にやめてしまいました。落第です。
 セクションが多すぎて、当時の私では、中に入れませんでした。
  tuyaさんの「これからっていう感じ」がとても伝わってきてうらやましいです。
 

おミヨ - 2002/01/18(金) 21:58<
「百年前の日本」でした。

おミヨ - 2002/01/18(金) 21:50<

わっ!写真

私も持ってる「百年前の東京」「蘇る幕末」「幕末・明治」とか・・・

とんちんかん小僧さん家の写真興味あります。

tuya - 2002/01/18(金) 20:52<

サンカに詳しい友達がいた!

3年前に野球関係のサイトで知り合って以来とても仲がいい友人に、こちらのHPを紹介したら、とても喜んでくれました。彼女は何年か前にサンカに興味を持って、集中して勉強した時期があったのだそうです。彼女とは一度もそんな話をしたことはありませんでした。でも二人ともスサノオ様に縁があるので、神様の話などをメールでよくしてました。それが、こんなふうにつながってくるなんて、もうびっくりです。しかも最近、「サンカがらみで先日おもしろい出会いがあったところで、ただの偶然とは思えない、近いうちに長いメールを送るね!」と言ってきました。その長いメールが、とても待ち遠しい私です。

>あかりさん、きょうかいさん、あおきさん
 おっしゃること、確かに全部思い当たります!やっぱり私は彼女のことが好きなんだと思います。私達は最初会ったときから、おおぜいの中でお互いを見つけ出し、声を掛け合いました。たとえ表面の「考え」は違っても、魂の質が似てるというか、置かれてる環境を入れ替えたら、そのまま相手の姿になるんじゃないかと思うような、そういう点にも気づいていました。それくらい色んな意味で「気になる」存在でした。
きっと、このまま終らないような気がします。彼女も私も、同じ神様に毎日祈っているのだから、神様が二人の願いを聞き届けてくれて、意義あるタイミングで仲直りのきっかけをつくってくれそうな気がします。心を開いて、待つことに決めました。ありがとう^^

>turukotさん
 私は恥ずかしながら、これからやっと実習を受けようか、という段階なので、みなさんの方がきっとたくさん勉強されてることと思います。色々教えてくださいね。
 私が通っているのは「関西カウンセリングセンター」というところです。河合先生は何度か特別講義でお呼びしたことがあるらしいですが、私が入学する前でした。それで河合先生の言葉は、本でしか知らないのです。(対談集が好きです^^)
 前の書き込みの先生は、NLP(神経言語プログラミング)の国内第一人者であられる若本勝義先生です。この先生はヤゾーさんのおっしゃってた「ホリスティックな治療」をされる先生で、カウンセリングにボディデラピー他、いろんな技法を組み合わせた独自のセラピーを施される方です。

ののの - 2002/01/18(金) 20:23<

タヌキって面長なんですね!

ポン吉くん、カワイイ!
偶然、このページを発見。しゃーわせ!
また遊びに来ます。

きょうかい - 2002/01/18(金) 13:25<

くわしくないです

 100年前の東京とか、そういう写真集が好きで、たまたまそこに書いてあったのを写しただけです。
 でも銀盤写真の実物なんてみたこともないし、博物館がほしがるのではないですか?
  その方は、何者だったのでしょうか?
 「ワシを調べてくれ」とおっしゃってませんか?

とんちんかん小僧 - 2002/01/18(金) 13:04<

本当にすごいの?

きょうかいさん
銀盤初期の物ってそんなに無いものなんですね。
この方は若くして亡くなったからか、木箱に銀盤写真が納められていました。
ひいひい祖父さんの写真は晩年の頃の写真(明治41.8.7撮影)しか無いのになあ。
うらやましいですよね。今、銀盤撮影(?)ってできるのですか?

(‐,.‐)turukot - 2002/01/17(木) 22:54<

遅まきながらレス。。。

tuyaさん、はじめまして。

>・・・僕は、クライエントさんとそのクライエントさんを守り導く大きな存在との間の契約に、
>違反することはしません。
>もし催眠状態で過去生の記憶が出てきた場合、それはとても真剣なものです。
>こちら側から興味本位で引き出すものではありません。
>だから僕は、あなたには催眠を行いません。それは必要ありません。
>あなたは現在のところ、ちゃんと「機能」しているからです。
>これからも今までどおり、ありのままに生きてください。
>波乱万丈な人生・・・素敵なことじゃないですか!

遅まきながらですが、心が洗われた気分でした。

催眠療法は応用が多様なのですが、クライエントとセラピストとの信頼関係が
必要不可欠と聞きます。催眠暗示の療法は特にそうではないかと思われます。

私も中途半端ですが、人間性心理学のセミナー・ワークを
渡りあるいていたことがありました。(交流分析とかゲシュタルト療法など)

河合隼雄さんのは山王心理研究所でしょうか?
日本でも数少ない大学外のスーパーヴィジョンの実習が受けられる
定評のある養成施設と聞きます。ユング派ですが、上智大学の学生
さんが出いりしているのでは?

お固い話ですみません〈(__)〉

*(^。。^)*ngly さん、ご無沙汰です。

あの、ご依頼の件は。。。お忙しいですか。。。
荒神と別所の関係についてもう少しご教示ください。そこまで知りませんでした。

あおき - 2002/01/17(木) 21:57<

tuyaさん

その関係は お互いを認めあっているがゆえに お互いのことを
コントロールしたくなった状態だと思います
人間同じような経験を するものだとおもいます
その人を気に入ると その人をコントロールしたくなるものですよね
それで喧嘩になったりしますね
聖なる予言に同じようなことが かいてあったような・・・

きょうかい - 2002/01/17(木) 21:54<

すごい資料かも

 トンチンカン小僧さん
めったにあるものじゃないでしょう。
調べたら、すごい物かもしれないですよ。

 tuyaさん
 もしかしたら、好きだったのでは・・。
 

とんちんかん小僧 - 2002/01/17(木) 21:00<

きょうかいさんへ

どうも有難うございます。
ガラスの盤を銀盤というのですね。知りませんでした。
あまり古くからってわけでもないんですね。
では、ひいひい祖父さんの弟の写真での年齢は10代後半から
20歳代前半でないと時代があわないかー。
どうやらかなり早死にだった模様。

あかり - 2002/01/17(木) 20:00<

確かに言葉は無力とも言えるし・・・

言葉が無力と言うこと、よくわかります。同じ事を言ってもだれが言ったかによって説得力があったりなかったり、結局それは言葉を発する人のそれまでの行いというか、そういったことによって左右される面もすごくあるような気がします。その一方で、そんなつもりで言った言葉ではないのに誤解されてしまったり、
物言えば唇寒しということもあります。正しい言葉を使うことそれ一つとっても人生の大きな課題になりそうです。tuyaさんは自分を映す鏡のような方に出会ったのかも知れませんね。

きょうかい - 2002/01/17(木) 19:27<

写真

1854安政1 来日のペリー艦隊の従軍写真家E・ブラウンJrが日本各地の人物を銀盤撮影する
1857安政4 島津斉彬が日本で最初に銀盤撮影される(現存する最古の日本の銀盤写真)
1858安政5 上野彦馬が長崎のポンぺの医学伝習所へ入門、やがて写真研究が始まる
1859安政6 上野彦馬、堀江鍬次郎は長崎来日の職業写真家ロッシェから湿板法の教えを受ける
1860万延1 咸臨丸の勝海舟、福沢諭吉らがサンフランシスコで撮影させた自像写真を持ち帰る
1862文久2 下岡蓮杖が横浜野毛で、上野彦馬が長崎で日本最初の職業写真家としてそれぞれ開業する

とんちんかん小僧 - 2002/01/17(木) 18:52<

教えて下さい!

皆さんの話の腰を折ってしまいますが、質問したいことがあります。
写真を撮影する技術は何時頃、日本に来たのですか?
何方か教えて下さいませんか。
我が家にかなり古い写真があります。ガラスに人を写した写真です。
私のひいひい祖父さんの弟を写したものだから明治初期か江戸時代末期
のものだと思います。服装は羽織り袴姿です。
チョンマゲはしてません。丸い机に花瓶(花はなし)があり、椅子にゆったりと
座っています。20歳代から30歳半ばの頃の写真です。この人は40歳になるまでに
この世を去っています。(明治15年没)生れた年は今のところ不明です。

tuya - 2002/01/17(木) 18:31<

言葉はたった5分の1

きょうかいさん・おミヨさん、はじめまして。
>言葉がなくても・・・
本当にそうですね。コミュニケーションのうち、言語が占める割合は、たった5分の1程度なんですってね。人と人は、ほんとうは言葉以外でたくさん交流してるのですよね。箱庭、近いうちに私も習います。とても楽しみです^^

河合隼雄先生。河合先生の語り口は、ヤナさんに似てるかも。かわされてるようで、受け入れてくれてるようで。

「関係ゆうもんはそら、めんどくさいもんですがな」

 私は年明けに、大切な関係を失いました。私は以前、とあるスピリチュアル・グループに関わっていたのですが、その世話役の立場にある同い年の女性と、去年からメールの交換をするようになりました。
 彼女との関係は、フクザツでした。組織を大切にする彼女と、組織から自立したい私。
 互いに節度を持って接し、傍から見れば仲の良い関係に見えていたと思います。でも、内心では互いの(求道者としての)姿勢を好きになれず、批判しているところがありました。その一方でもし今よりもっと、うちとけあうことができるなら、最良の友人になれるかもしれない、という期待もありました。そういうデリケートな関係だったのです。
 その緊張に先に耐えられなくなったのは、彼女でした。ふとしたきっかけで彼女はとてもきつい言葉を放ち、それに応えて私が「そこまで言うことないでしょう!」と返したとき、関係は終りました。
 このやり取りは携帯メールで行われましたが、もし誰かがその場にいたとしたら、私の方に味方したかもしれません。でもそれは、表向きのことです。実際には、どちらがどちらの立場になっても不思議ではありませんでした。彼女が先に黒いカードを引いたので、結果として私の手元に白いカードが残った・・・そんな感じです。私たちは互いに、本当はよく知らない筈の相手の価値を勝手に切り下げ、手間隙かけて嫌悪感を肥え太らせていたのです。

 私は一〜二週間のあいだ、彼女の言葉を反芻して怒ったり、あるいはある種の勝利感に浸ったりして過ごしました(一体何に勝利したというのだろう?)。でも今は、言いようのない淋しさを覚えています。
 彼女との関係は確かに重荷でしたが、私達はその中で、生きていました。私は自分の一部を失ったように感じています。二人の関係を美しいものにしたいという思いは、たしかに、たしかにあったのです。彼女の中にも、私にも。

「関係ゆうのんはそら、めんどくさいもんですがな・・・・・・」

この言葉に、泣けてきます。
 

きょうかい - 2002/01/17(木) 10:19<

関係

おミヨさん
 箱庭療法は、クライアント(子供)に箱の中の家のミニチュアを並べ替えさせるだけで
 治療者は、横で見ているだけなんです。ちょうどアリスの症例の配置を同じですね。
  実証主義的な(科学的な)考えでは、説明できないのです。なぜなら観察者自身が
 装置の1部になっていますから。
  
  

おミヨ - 2002/01/17(木) 06:42<

関係はいかにして確立されるか

tuyaさん始めまして きょうかいさん
アリスの症例
何ヶ月もの間、病者と外界との関係が断たれたまま毛布の下にくるまり、瞳と唇は閉じられたままのアリス
が、数日間いつも同じ時刻に30分ベットのかたわらに来て静かに座っていくだけの治療者に、ある日、2つの暗い目を用心深く毛布の端からのぞかせ、不安と深く傷ついた虚ろな表情のアリスは「あなたは私のお姉さんなの?」「いいえ」と治療者「でも、毎日あなたは私に逢いにきてくれたじゃないの、今日だって、昨日だって、一昨日だって!」
静かに座っていくだけの治療者に心を開いていったアリスの症例を読んで感動しましたが、言葉がいらない事ってありますよね。

きょうかい - 2002/01/17(木) 03:03<

言葉が無力なとこもある

 tuyaさん、はじめまして
 tuyaさんが学んでる事は、たぶん日常のわれわれにも大変勉強になるのではと思っています。
 言葉、問診、自白などは表層のことで言葉の裏には僕も含めて自分でも隠したいような何かを
 皆がもってるのかなぁなどと思っています。turuさんのやってるところとは、わかりませんけど
 河合ハヤオさんの箱庭療法の考え方に共感しています。先日は、depressの人と無言で
 15分間対面しました。心の中で「頑張れよ」とずっと唱えてました。
  いろいろ、教えて下さい。
 

ya(^ε・)na - 2002/01/17(木) 02:06<

静寂のなかで!


  静寂と闇の中で・・
   なぜか、目だけがさえるんです・・

      フラジャイル・・のメロディーが今も流れています  
        
          ヤゾー・・かけて見て下さい

           見失いかけた・・なにかが・・また

    静寂の闇の中から、戻って来ます

      わたしの、求めるもの・・って!

        そして、熊野に訪れる仲間たちの・・やさしい・・気持ち!

             ・・自然の中へ・・そして・・心の中へ・・

                でしたね・・・・


                         ヤナギムシ

           

tuya - 2002/01/16(水) 00:13<
あおきさんの夢のお話を読ませていただいてメールしたあと、勢いでこちらの過去の掲示板を古いものから読んでいます。まだ半分ほどしか読めていませんが・・・・
中山ラビ!つげ義春!カムイ!サイババの灰!・・・・・・持ってたりします。。。。。

ヤゾ− - 2002/01/16(水) 00:03<

夢の話

みなさん こんばんわ

おユキちゃん  ども ( ゚(エ) ゚)ゞ クマちゃんです!

tuyaさん 良いお話し ありがとうございました。
日本の医療現場での 魂や霊をも視野に入れたホリスティック医学は遅れているといわれていますが 
そういう先生がいらっしゃると心強いですね。

あおきさんの夢の話しはとても印象的でした。
物語りが書けそうな夢でしたね。
ぼくも変わった夢をよく見ますよ。
夢の話しといえば 数日前の蜜柑さんからのメールに
とても興味津々な内容の話しがあって
ドキドキして読み進めていったら
最後の「という夢を見ました。」で
おもいっきり ひっくりかえりました。

きょうかいさん お陰様で 腰も殆ど治りました。
ゴムバンド ありがとうございました。

訂正とお詫び!

弘法大師作と伝わる三面大黒天は 暁山寺ではなくて第12番札所の焼山寺にあるものでした。
開基は役小角で開山は弘法大師だそうで本尊が虚空蔵菩薩です。
弘法大師作といわれる三面大黒天と午頭天王があるそうです。

にっちょさん お身体に気をつけて四国八十八ケ所巡りしてきて下さい。

*(^。。^)*ngly - 2002/01/15(火) 23:44<

パラノイアは私

難しい事は分りません。いまやるべき事で、できる事にとりくんでいるだけ。
偏執って変質でなく拘り屋かパラノイヤ?変質の繰り返しも偏執なのだろうか?
綜合俯瞰ってグローバリズムって事でしょうか?
 それなら熊野ライフの覗子や書子はみ〜んなパラノイア。でも生き生きして
るみたいですね。何をいっても腹立てないから日本型グローバリズムか。
「過去生退行」も大事。調べてるとみ〜んな江戸時代から気質が変わってないよ
うな気がする。何人かは祖先と本質では同じような仕事してるみたいだ。いくら
高学歴になっても金持ちになっても、XX筋としては変わらない点もあるから。
気質から人種や部族を発見することもありうると思う。これ何学なんだろう。
 癒しなんてのも、賤しい歴史を力づくでまさぐる事が私の、強烈な、最高の良
野史。相変わらず卑しいね。ド ヒ・ヒ・ヒ・ヒ。
これが何時かは世界的にも必要になる見通しがあるのが私の強いグローバリズム。
 おミヨさん 大国主がなんで大神神社に歪な形相で存在しているのか? 
 奈良平野も古代は出雲系が強くて、大国主は大物主で、国譲り時代の名残では?
 別所を調べる時も荒神探しから始める場合もある。荒神も本来は怖い形相をして
た所があるし、そんな怖い顔の神様を自分の家に祭る地方も、結構ある。大寺院は
どうしても政治の圧力で変化したり、すりかえたり、合祀したりして難しいみたい。
太子とか青面金剛とか荒神は仏教宗派が見捨てた庶民レベルだけど見落とせない。
調べて分布地図を作るだけでもいろんな発見があるみたい。小字地図作りはとても
来たり人にはできないので、地五郎さんにお願いするしかない。やっぱし♂(点)
で考えるよりも♀(面)だね。


 

turukot - 2002/01/15(火) 22:28<
>* 国境廃絶の目で朝鮮人の基幹意識を書いたらすぐにロマンだけで反発したヒト。

ステレオタイプな見方をして、ハヤ合点してロマンと決め付けるスタンスでは果たして
きちんと俯瞰できるのかね。

相手の心情を推し量ってちょいと配慮するだけでよかろうも。
私には依然日本人が見下すのを正当化しているとしか思えない。

他者をどうこうおっしゃる前にご自分のあり方を問うたらどうか。



とんちんかん小僧 - 2002/01/15(火) 21:44<
やっぱ、そうですよね。現実から逃避したいがために退行催眠で別の自分を出すようなこと
は、逃げの人生だもんね。ありのままの自分を受け入れて自分自身を飛躍させないと駄目だ
よね。tuyaさんの先生の御言葉とても胸に染みました。どうも有難うございます。

あおき - 2002/01/15(火) 19:59<

めじろいいすね

かわいいすね ヤゾウさん まんまる白い目が
漫画みたいすねー 
tuyaさん ぼくも不思議な夢をたくさんみるので
エドガ− ケーシーみたいに退行催眠受けようかとおもっていましたが
先生の言うとおりだと思いました 過去の掲示板(11月ごろ)
にぼくの不思議な夢のいきなり投稿があります 興味があったら
ちらっと見てみてください 
たしかに今この瞬間をしっかり生きることに
全エネルギーを注ぐことが大切だと思います
いい話またお願いします

tuya - 2002/01/15(火) 18:18<

退行催眠

ヤゾーさん、とんちんかん小僧さん>レスありがとうございます。
セラピーの場においては、退行催眠で出てきた過去生が本当に事実かどうかには、あまりこだわらないようです。夢と同じで、その人がそういうイメージを見ていること、そんなふうに人生を意味付けしていること・・・そこに焦点を合わせて、カウンセリングを進めていくのです。

そして私も実は、下の書き込みに登場する先生のカウンセリングを受けたとき、退行催眠をかけてくださいとお願いしてみたのです。そのときの先生の言葉がとても印象的だったので、ちょっと書いてみます。

・・・僕は、クライエントさんとそのクライエントさんを守り導く大きな存在との間の契約に、違反することはしません。もし催眠状態で過去生の記憶が出てきた場合、それはとても真剣なものです。こちら側から興味本位で引き出すものではありません。
だから僕は、あなたには催眠を行いません。それは必要ありません。あなたは現在のところ、ちゃんと「機能」しているからです。これからも今までどおり、ありのままに生きてください。波乱万丈な人生・・・素敵なことじゃないですか!

その先生の言葉で、わたしは「癒し」というものを誤解していたことに気づきました。
「癒し」とは苦悩から解放されることでなく、苦悩に向き合う力を取り戻すことだったんですね^^

とんちんかん小僧 - 2002/01/15(火) 16:30<

四天王寺どやどや祭り

昨日は成人式が各地でありましたが僕はやっぱり四天王寺のどやどや祭りが
行われたことが一番印象に残りました。
下記に詳しい説明があります。
http://www.freedom.ne.jp/tetsu/pursuit/doyadoya.html
毎年、テレビや現場で彼らの勇姿を見るたびに過去の思い出が甦ってきます。
あの時は、嫌で嫌でたまらなかったのに今に思えば良い体験をしたと思います。
実は、高一、ニ年の時に参加しているんです。

tuyaさん
はじめまして、これからもよろしくお願いします。
僕も「過去生退行」をやってみたいと思っています。
輪廻転生は、仏教徒となり私の師僧だった方や色々と学んでいる内に信じざるを得ない話
(実話だし、その人のプライバシーを守りたいからナイショです)を沢山聞いていく中で
そういう事がこの世にはあると悟りました。だから全面的に信じています。
私も、どうやら祖父の生れ変わりのように思います。自分でそう思ってる訳じゃなく母(
祖父の娘)や母の姉妹らにもよく言われます。食べ物の好みや性格だけでなくちょっとした
仕草にいたるまで最近は特に相似しているらしいです。因みに私は祖父が亡くなって、4年
後に生れているので残念ながら祖父とは会っていません。

きょうかい - 2002/01/15(火) 13:46<

賛同と意見

 紋さんへ
>とても大事なことはこの全部の価値観(優先順列)を見る目…33番めの目を持つことです。
 価値観とは、4つの意識の優先順位であること教わりました。そして大変大きな視点を持つことは
 大切だと思います。あとは、その方法だと思います。
 1にも2にも3にも4にも縛られない独立した視点という言葉の共有が必要です。
 それと、言葉は、紋さん言うように
「個が言語修得のときに、いちいちの語彙や統語を拒否できなかったように、習慣となった偏執をも強制され」るならば
 総合俯瞰を語る言葉も、1から4の意識から自由ではないはずです。
 わたしが、今思うことは、1〜4に縛られていることを自覚しつつ、総合俯瞰を意識して
 「生命史は35億年、複数細胞となってこのかた10億年。ヒトらしい形態になってこのか
た500万年。それに比べたら農耕開始は1万年前、青銅精錬は早くて八千年前、地球規模
で普及した(國・階級出現)のは3000年前。除夜の鐘が鳴りはじめてのことだ」
というように徹底的に1〜4を語ることです。そして「総合俯瞰」という視点を浮かびあがらせること。
 直接に総合俯瞰という視点から発言するとそれは、超越、権威(人間を越えたという意)に
 なってしまう恐れがあると思います。
 生命史を人間は見ることができないと思うのです。

おユキ - 2002/01/15(火) 12:53<

(^ェ^) ワンワン!

あかねさん、遅れましたが (^ェ^) 誉めていただいてありがとうございます。
ak*(^a^)*ne さんのもとても素敵です。
ヤゾ−さんの ( ゚(エ) ゚)  も可愛いですよ。
でも、タヌキというよりクマちゃんみたいです。
ヤナギムシさん、お身体、大切にして下さい。


おミヨ - 2002/01/15(火) 10:46<

ヤナさん

寝違いで首傷めて大丈夫ですか?

病院にいってレントゲン撮って整形で診てもらったほうがいいと思います。

大事な身体、お大事にしてください。

シェイシュンの紋 <http://www.you-i.org> - 2002/01/15(火) 08:22<

一億一心 火の玉になれた   

* とにかく情・ロマンに浸っていたいヒト。
* 先祖は威張っていられたんだと、騙されたいきさつを訴えながら泣くヒト。
* 虐げられた階級に思いを馳せて、そこからしか人類を観ようとしないヒト。
* 国境廃絶の目で朝鮮人の基幹意識を書いたらすぐにロマンだけで反発したヒト。

 なんだか、人類を観る眼が近視眼てきになっちょるんとちゃうカネ?
 生命史は35億年、複数細胞となってこのかた10億年。ヒトらしい形態になってこのか
た500万年。それに比べたら農耕開始は1万年前、青銅精錬は早くて八千年前、地球規模
で普及した(國・階級出現)のは3000年前。除夜の鐘が鳴りはじめてのことだ。
 人類といえど、ついさいきんまで1(肉の意識)と2(自然・情・ロマン、ヤオヨロズ
神)だけで暮らしてきた。3(イズム・論理体系・組織・集団形成)や4(経済)が出現し
たから、ヤヤコシくなってきただけだ。5から先はまだ出現していない。

 ヤヤこしくなってはいるが、理解するはムズカしいことではない。現代人の意識とはお猿
さんに3と4が付着して、それをメチャ発達した言語でトグロ巻いているだけだ。
 も一つ、従来のリクツはすべて世界観(生命科学・自然科学)だけだったが、ヒトの優先
選択順位とは、上の4種の塊の優先選択順位のことだった。
 だからフツーの成人の意識は24通りもあるが、24通りしかない。その事実を総合俯瞰
する眼は1種類しかないのだ。

 ここを理解しないと「ヘタをしたら……」という、そのヘタな人生しか待っていない。
24種のうちの1ヶ所から声を出すしかなく、ほかの23種の意識は理解できず、一生かけ
てケンカしなければならない。
 「価値観の多様化」は群れを作っている生命体すべてにとって危険思想です。ナチスのあ
つものに懲りてナマスを吹いて食うアホをやっちゃぁ〜イケねぇ〜〜イヨッ。

 第二次世界大戦のとき、日本は、世界観は神道、天皇(3)第一主義、東亜協栄圏建設
(4)のため、身(1)を挺(犠牲)する優先選択順で、一億一心になれた。
 みみずのような片隅の人生でいいというなら、まずことばを捨てるこった。

ヤゾ− - 2002/01/15(火) 01:14<

みなさん こんばんわ!

tuyaさん こちらでは始めまして!
臨床心理学を学んでいるんですね。
ぼくも変なトラウマがありそうなので 退行催眠して貰いたい気もします。
輪廻転生については 物心ついてから当たり前のように思ってました。
父親は 頑に そういうことを否定する人間でしたので
否定する人の気持ちも理解できます。
豊かな自然を前にすると 思想や貧富 卑賎などという
人間の作り出したものに振り回されていることがアホらしく思えることがあります。
今後とも よろしくお願いします。

turukotさん ホローした投稿 ありがとうございました。
決めつけは差別と同じことですから いけませんよね。

クミコさん 大神神社の祭神 大物主大神はニギハヤヒのことだといいます。
大物主は大国主の別名であると書いてあること事態が嘘のようです。
大物主が大国主なら どうして大己貴神と並んで祀られているのか変ですね。
そうやって訳の分らないように神隠しのようなことが行われてきたのかも知れませんね。
大神神社の宝物収蔵庫にある三面大黒像?絵?は誰の手によるものなのでしょうね。
弘法大師作と伝わる三面大黒天の絵は微妙な雰囲気でした。
呪詛の思いが抜け切っていない福の神みたいな表情でした。
それは空海の出自と関係があるのかも知れませんね。
父方が大和朝廷の征服によって捕虜となった蝦夷系の佐伯で
母方が朝廷とも関係のある帰化系だったと思います。
日本人の殆どがそんな感じなんだと思います。

ヤナさん はよ首 良くなるように願ってますよ。
メジロ可愛かったでしょ。
早く元気になって小さな自然楽しんで下さい。

ya(^ε・)na - 2002/01/14(月) 23:37<

いてててて・・ぇ

ほんまに、痛いもんですねえ
  寝違いって、こんなんやったとは・・
   頭、動かせませんねえ・・寝返りもうてませんねえ
    すぐに、目が覚めてねれませんねえ
     こんなん初めてや・・・・・
       いてててて・・

 メジロ・・かわいいですねえ・・あいつは・・ワタリでしたよね
   街中の公園につつぞや、群れできてましたよ

    小さいながらも、自然を、みつけて・・
      その小さな自然の心・・を・・たのしみたい!




  狂牛病・・本当に牛さんの目を、見ていると・・
    本当に申し訳ない・・って気持ちです
   農家に対しても、何とかしてあげたい気持ちでいっぱいです

     だれもが、いろんな事考えていかなあかん今やのに・・

  なんとも、嘆かわしい成人式・・
    
        あんなん、ばかりやないやろ・・まともな成人もおるんやろに・・

   ほんま、日本のマスコミももっと明るい、まともな、大多数の・・
    私たちの、求める若者の報道をしてください

     新成人のご両親ごくろうさまでした
      今日、たくさんの成人見ました・・みんな・きれいな着物きせてもろて
    首に真っ白なえりまきまいて・・
      個性のない、同じような化粧して・・
       携帯電話耳に・タバコすいながら・・歩く女の子・・
   
         ほんまこんなみてたら・・

            情けノー--なりますねぇ

                            ヤナギムシ

クミコ - 2002/01/14(月) 14:54<

ひつこく大国

おかしいとは思いませんか?
大神神社の祭神は大物主大神 大己貴神 少彦名神
大物主大神と大己貴神は大国主大神と同神ということになっていますよね。
大黒は神仏習合の過程で大国主大神と同神とされている

その大国主がなんで大神神社に歪な形相で存在しているのか? 

tuya - 2002/01/14(月) 13:53<

生まれ変わりと、学びということ

こちらでははじめまして。先日チャットでお世話になった者です。
ずっと前からこちらのサイトが好きで、皆さんの書き込みを読ませていただき、
たくさんのことを学びました。そしてもし自分にも参加できそうな話題になれば
皆さんの輪に加わりたいな、と思っていました。

私は30代の手習い?で、今働きながら臨床心理学を学んでいます。
数年前から催眠による「過去生退行」が話題を呼んでいますね。
私の先生も、クライエントさんが抱える問題のケースによっては、催眠療法を
用いる治療をされるのですが、やはり過去生の記憶が出てくる場合があるそうです。
(以下は、輪廻転生を認める立場からの意見なので、認めない方々にとっては戯言
に過ぎぬものです・・・)
ところで過去生退行の記録を見てみますと、興味深い一致点が見出されます。
それはどうやら、私たちは「学び」のために、この世に何度も生まれ変わってきて
いるらしい、ということです。

私たちは通常、いろんな国、民族、性、職業、役割そして性格などを入れ替わり立
ち代りして、人間としての学びを経験しているようです。
支配階級に生まれることもあれば、虐げられる側に生まれることも、傷つける立場に
なることもあれば、傷つけられる立場になることもあるそうですし、支配的な夫を経
験したあとで、依存的な妻に生まれ変わることもあるようです。
聖職者として生き、肉体的なものを否定したあとで、それを補うように後の生で娼婦
を経験したりするケースもあるそうです。

私も差別や虐待を経験してきた人間ですが、最終的にうらみつらみを乗り越えること
ができたのは、生来の負けん気の強さもあって
「痛い辛いと言うばかりでは自分は犠牲者だ。犠牲者として終るのは、嫌だ。
必ず自分の人生に意味を見出してやる。必ず、(苦しんだ分の)モトを取ってやる」
という形で、憎しみのエネルギーを生かそうと思ったからです。

そして、憎しみを乗り越えたあとで見えてくる世界・・・それは同じ世界であるはず
なのに、何かがすっかり変わってしまいました。
肉眼で見えるものは同じでも、見えてくる相が異なっているような感じです。
それで、思うのです。
憎しみは、それを乗り越えるために経験しているのだと。

turukot - 2002/01/14(月) 11:40<

レス・レス・レス

>“恨”という字をハンと呼ぶのは朝鮮語です。「グル」はエデン語です。

同音であンしたナ。。韓国語においてハングルの「ハン(Han)」は漢語でなく、いわゆる固有語で
「大いなる」チ意味です。ちなみに韓もハンですが、密かにこの意味も含んでるのかな?
意味を込めていらっしゃる御仁はおられるんでせうナ。恨も同様。。
以前、韓国の友人とカラオケ行ったときに「ハノベンニョン(恨五百年)」を歌ったら、
「俺(この歌)キライ」といってました。若い人は演歌がお嫌いですなぁ〜。
さらに漢もハンなんですが、ややこしいなぁ。。

クル(GEUL)は文字チ意味ですわ。ダンナ。エデン語にもそんな意味あります?
文字のことをクルシ(GEUL‐SSI)とも言います。*韓国語は平音の子音の場合、語頭にくると
無声音で語中・語末は有声音です。

とごで、ダンナ。このスレは表現まじぃぜすゼ。最後辺りはいいと思うけど、最後の御文の
気持ちがうまく伝わらないように思いますが。。。 反論はメールでどんぞ。

ヤゾー - 2002/01/14(月) 11:35<

サイドミラーに恋をしたメジロくん

みなさん こんにちわ!

最近 クルマのサイドミラーに よく糞が付いていると思ったら それはメジロくんの仕業でした。
どうやら ミラーに写った自分の姿に恋をしているようです。
せつなく囀りながら ミラーに言い寄っている姿を見ていると
意地らしいやら 「それは鏡やちゅうねん」 と諭してみたり なんだか複雑な心境です。
ヤマガラは賢いので 鏡に言い寄ったりはしないようです。
その様子を デジカメで撮影して リアルプレイヤーで見られるようにしました。

弘法大師作と伝わる三面大黒天の江戸時代の版画の掛け軸を持っています。
オリジナルは確か 四国八十八ケ所の中の一つ 暁山寺に伝わっているものだと思います。
なぜか 一時 そういう物ばかりが集まってきたことがありました。
三面大黒天は弁財天と毘沙門天が合体したものですが
呪詛の色合いが強いのかも知れません。

以前の仕事柄 いろんな物を持っていました。
あまり物には執着しない方なのですが
置いておけば良かったかなと思う物もあります。
山下清さんの絵 後光が射してしました。
戦時中の山下清さんの日記に 殆どの国民が鬼畜米英と呪縛されたように唱えていたのに対して
日本にも 良い人も悪い人もいるんだなぁ だから米英にも良い人もいるんだなぁ などと書いていました。
お互いの悪いところを指摘しあうより 良いところを認めあう心に 良い未来があるように思います。

シェイシュンの紋 <http://www.you-i.org> - 2002/01/14(月) 09:13<

恨(ハン)グル(人々)

 “恨”という字をハンと呼ぶのは朝鮮語です。「グル」はエデン語です。

 あっしが国民学校4年生、敗戦の前の秋、15歳の朝鮮人の少年がクラスにはいってきま
した。朝鮮人からケンカ負けるなんてグヤじいです。なんとかこいつをとっちめてやろうと
すると、こいつ平和的手段としては、自分の肛門に指をいれて、それをこっちになすりつけ
てくる。殴り合いのケンカをしたら、コイツからまともに平手で耳を狙い打ちされた。
 あっしが紋次郎となったなぁ、このとき空いた鼓膜孔から海水がはいって、みみかきを離
せなくなったからにござんす。

 ことほど左様に朝鮮人は、やっぱどこかが朝鮮人だ。このきみょうな偏執を作ったのは、
歴史時代に入ったあとだけでも、外国から800回も侵略を受けたからだと思う。
 ミナシャンは北朝鮮のご仁と文通が可能だということは御存じだろうか。朝鮮全土には日
本語にたんのうな年寄りがいます。当時「ふだん記」にいたあっしは、岩手のおばちゃん